中ソ論争と永続革命=世界革命
滝口弘人 1963年9月
まえおき――中ソ論争形成の現実的基礎と論争把握の方法
中ソ論争の根本問題と永続革命=世界革命
はじめに(中ソ論争の中心問題をいかに問題とするか)
T 永続革命の第一段階
――国民的地盤に立つブルジョア革命と世界的地盤に立つプロレタリア革命――
U 永続革命の第二段階
――世界革命の内容的始点としての後進国革命と組織的端緒としての先進国革命――
【〔以下の展開について―〕別の機会に、別の叙述形式で、原理的にも実践的にも更に詳しいものにしたい。
大きな問題については大体触れられたと思うが、ノートになった。判読を乞う。】
中ソ論争と永続革命=世界革命
=中ソ論争の中心問題をいかに問題とするか=
中ソ論争の中心問題について中共〔註・中国共産党〕は、 「いまなお帝国主義と資本主義制度のもとにおかれている世界人口の3分の2の人民が今後もなお革命をおこなう必要があることをみとめるかどうかの問題であり、すでに社会主義の道をあゆんでいる世界人口の3分の1をしめる人民が今後もなお革命を最後までやりとげる必要があることをみとめるかどうかの問題である」(1963年6月14日付、『中国共産党中央委員会のソ連共産党中央委員会への書簡――国際共産主義運動の総路線についての提案』)という。
われわれは、この問題意識がどの程度真実であり、どの程度真実の解決をふくんでいるかを問題とする。もちろん、われわれの出発点は、世界革命に駆られる世界と日本の現実であり、この世界史的現実に問いかけることによってのみ、この論争を主体化できるし、マルクス主義を革命的な息吹きをもって把握することができる。一口にいえば、われわれは永続革命=世界革命の問題としてとらえる。
プロレタリア永続革命は二つの段階に分けられる。すなわち、第一の段階はプロレタリアートが存在してから「さしあたり一国的」に権力を獲得するまで、第二の段階は、プロレタリアートが「さしあたり一国的」に権力を獲得してから共産主義に至るまで。
そして、いままでの一国的なやり方と異なって、前者も後者も「全体としての世界史」のなかで問題にする。「全体」は「部分」の単なる寄せ集めではない。「全体」が成立するや「部分」はますますそれに依存する。「全体としての世界史」の成立こそが現代である。だからこそ現代は、共産主義の実践的前提条件が成熟しているのである。
「共産主義とその活動は『世界史的』存在としてのみ存在する」(『ドイッチェ・イデオロギー』)。中ソ論争は、具体的なもの、特殊的なもののなかで原則を捨てるのが修正主義であり、具体的なもの、特殊的なものを捨てて原則だけを主張するのが教条主義だといっている。われわれは、見られる通り、この出発点としての生き生きとした世界史的現実のなかで、旧い前提となっている教条そのものを問題にすることを恐れず、しかも忘れさられたマルクス主義の生命をなす革命的原則を復活するであろう! 実践的になるほどのものは、強烈な公式にしぼり上げられなければならぬ。そして、その公式が壁にぶち当るや、その公式を捨てるとともにその公式の基礎をなす体系まで捨てる人たちとも、その壁に当った公式を具体的実践に結びつけるということで、いつのまにか公式を勝手に別ものにしている人たちとも、かくして、われわれは決定的に異なるものである!
〈要項〉(プロレタリアートの階級への形成)
永続革命の第一段階
〔ブルジョア革命とプロレタリア革命、民主主義革命と共産主義革命の関係〕
■後進国一段階革命
後進国のブルジョア革命(民族的独立、民主主義)の〔プロレタリア革命からの〕外観上の独立性は、先進国階級闘争の影響をうけ、特に世界革命期における世界的規模での〔国際的な〕階級形成のもとでは、ますます奪われ、プロレタリア一段階革命であることをあからさまにしてゆく。 |
(1) ブルジョアジーはプロレタリアートの反抗の結果としてはじめて自己意識=階級意識を発生させプロレタリアートを抑圧する階級へと形成される。
(2) プロレタリアートの階級への形成はブルジョアジーの「団結」の形成の結果である。
(3) 第一の円環=経済闘争は、第二の円環=政治闘争を生むとともに、後者は前者をいっそう強める。原因が結果となり結果が原因となる。
(4) プロレタリアートは自己の階級的普遍性を、まずブルジョアジーの普遍性〔の表現〕=「密集した敵」〔註・ただしこの「密集した敵」は絶対主義との妥協やもはやブルジョアジーの独裁ではないボナパルティズムなどでもありうる。〕を生みだし、それに対する対抗として自己〔自身にとって〕の階級へと形成し純化する――反抗は敵を集中させる――。
(5) ブルジョアジーがどの程度分裂しているかは、ブルジョアジーの強さ、ブルジョア的諸関係の強さを示し、プロレタリアートの闘争の弱さを示す。
(6) ブルジョアジーの譲歩によるプロレタリアートの改良は、ブルジョアジーの分裂のプロレタリアートによる利用である。
(7) 後進国において、第一の円環は後進国の世界市場への依存度が大であるほど促進され、第二の円環は、強められた第一の円環によってばかりでなく、そのうえ先進国の階級闘争の影響で早くから強力に顕在化する。
(8) 第一の円環は第二の円環にますます依存し、その外観上の独立を奪われ否定されて含まれてゆく。〔註・にもかかわらず政治的国家と市民社会の分離による政治闘争と経済闘争の区別は存在する。〕
(9) 封建勢力に対抗して、自己を階級へと構成したブルジョアジーの付属物になっているプロレタリアートが、先進国の影響のために早くから階級を顕在化し、そのプロレタリアートの闘争の結果、ブルジョアジーは封建勢力と妥協してプロレタリアートを抑圧し、階級闘争=政治闘争となる。
(10) 外国帝国主義の支配に抗するブルジョアジーの民族独立と封建的神聖同盟の支配に抗するブルジョアジーの民族独立の区別に注意。
(11) ブルジョアは経済的搾取によってプロレタリアの経済闘争(部分的反抗)を準備し、政治的抑圧によってプロレタリアの政治闘争を準備せざるをえない。そしてプロレタリアは、経済闘争によって敵を生み出し、政治闘争によって敵と味方を純化しつつ再生産しながらブルジョアジーを爆破せざるをえない。
〔註・プロレタリアートの階級形成にとって大切なことは「ブルジョア社会に属しかつ属さない階級」(『ヘーゲル法哲学批判序説』)としてつかまれるべきプロレタリアートが、すなわち自分自身に対する関係が同時に他者への関係となっているこの階級が、全ブルジョア社会の批判(自己批判)と転覆を可能ならしめるために、それとの対抗によってプロレタリアートが革命的プロレタリアートとして自らを形成するべき対象、すなわち自らにふさわしい打倒対象を密集した敵として生みだすということ、それに自らを対抗せしめることによって「プロレタリアートの階級への形成、それとともに党への構成」(『共産党宣言』)すなわちプロレタリアの部分的団結は全国的団結へと、それとともに「転覆の党」は「真実に革命的な党」へと、そういうものとしてプロレタリアートの党への構成を推し進めることが可能となるということ、こういう構造をそなえているということが大切である。この階級形成の国際主義的性質については永続革命の第二段階としての世界革命において、それとして見る(エンゲルスの『共産主義の原則』第19問ととくに『フランスにおける階級闘争』における世界革命についての叙述、端的には『フランスの内乱』第四章に注意すること)。こうした事柄の核心は、『フランスにおける階級闘争』の冒頭前文にかかげられている(これは同時に『哲学の貧困』の最後の節「同盟罷業と労働者の団結」と併せて参照されるべきである)。「1848年から1849年までの革命の歴史のかなり重要な部分には、ほんの二三の章をのぞいて、いずれもこんな表題がついている、――革命の敗北! これらの敗北において倒れたものは革命そのものではなかった。倒れたのは前革命的・伝統的な付属物、未だけわしい階級対立にまで尖鋭化していない社会的諸関係が生み出したもの――2月革命以前には革命政党が離脱していなかった人物や幻想や観念や計画である。革命政党は2月の勝利によってではなく、一連の敗北によってはじめて、これらのものから自由になることができたのであった。 ひとくちに言えば、革命的進歩は、その直接的な悲喜劇的な成果によってではなく、逆に、緊密で強大な反革命を生み出すことによってその進路をきりひらいたのであり、この敵と闘うことを通じてはじめて、転覆の党は真に革命的な政党へと成熟したのであった。このことを立証するのが、以下のページの課題である」(『フランスにおける階級闘争』)〕。
[1]国民的革命の社会革命からの外見的独立性の喪失
(13) 封建勢力に対抗してブルジョアジーが自己を階級へと形成する過程が進行する時代の、すなわち、世界的に資本主義が体制的に成立する時代〔註・資本主義体制は最初から国際的性格をもち、それが世界史的にはじめて成立する時代〕の革命は、プロレタリア革命からの外観上の独立性を純粋に見せ、広範なブルジョア民主主義を成立させるが、世界市場の激しい競争と、先進国プロレタリアートの強力な影響をうける後進国では、封建勢力に対抗してブルジョアジーが自己を階級へと形成する過程と同時に、第一図の第二の円環過程も強力に進行し、封建勢力に対抗するブルジョアジーの背後に強力な革命的プロレタリアートが迫っている結果、ブルジョアジーは革命性をしだいに失い、プロレタリアートのまえに封建勢力との妥協を強める。第二図の第一の円環は辿っているが、第二の円環が強力に進行しない(また、一つの階級は、自分自身のもつ特定の被抑圧階級に反抗されるまでは、自分を抑圧する階級を打倒したあとには階級のない社会があらわれると考えている。先進国ブルジョア革命はそうであるからこそ、激しい民主主義的幻想をもっていた)。
しかし、それによってプロレタリアートの背にブルジョア民主主義革命の任務が与えられるのではなく(トロツキーの後進国革命論と毛沢東の新民主主義論、民族民主革命論、連続的一段階革命論はこの点きわめて接近し、ブルジョアジーが民主主義革命を捨てるから民主主義革命を徹底的にかかげて進めば、いつの間にかプロレタリアート独裁になるというシロモノとなる。プロレタリア革命の永続革命論ではなく、ブルジョア革命の永続革命論である。先進国「人民戦線」も本質的には同じであり、中共のイタリア共産党批判は、自分の将来に腹を立てているのだ)、ブルジョア民主主義革命が独立した政治革命としての外観を奪われ、プロレタリア一段階革命にますます接近するのである。特に、ブルジョアジーの国際的団結〔註・ますます激化するブルジョア相互の競争、国際的競争、反撥の中に反撥だけをみとめることを止めなければならない。ますます強力な相互反撥によって崩壊するとはいえ、そこに崩壊すべきもの、つまり相互牽引が、革命的プロレタリアートのまえに、同時にまた強力に再生産されつつあるのだ。しかしこの「団結」は、「競争にかえるに団結をもってする」、「団結を通じて結合する」ところの労働者の団結としっかり区別されなければならない。〕が形成される世界革命の前期においては、際立ってそうである。(14) だから、民族自決、民族解放は外見上の独立した革命であることをやめ、「民族的独立」ではなく民族の解消〔註・「積極的止揚」とすべきである。民族的独立とは「民族」が「国民」となることである。すでにブルジョア革命が、部族組織、氏族社会の解体を通じて生みだされた市民社会=ブルジョア社会を基礎として民族が国民となる国民的革命である。プロレタリア革命は形式上なおさしあたり国民的な、しかし内容上国際的なプロレタリアートの支配として、この「国民」をも止揚してゆくものである。プロレタリア革命はもはや国民的革命ではないものとしてこそ世界革命である。民族解放は世界革命の時代においては、もはや国民的地盤に緊縛された単なる民族的独立=国民的革命としてではなく、「国民」をふくみつつこれを否定したプロレタリアートの世界的地盤に立って遂行される。〕を開始するプロレタリア革命として解決される。驚くべきことに中共もソ連〔(ソ共)〕も「国際主義と愛国主義を結びつける」として「社会主義」諸国間の関係をも律しようとし、また各国プロレタリアートに「正しい民族心」、「民族の自尊心」をもてといっている。「民族」を社会主義に結びつけるという驚くべきことをやっている(しかしこれは「民族自決」についてのレーニン主義そのものをも問題にしなければならないが)。こんなものは、後進国プロレタリアートの小ブルジョア的幻想の産物であり、「国民」となった先進国プロレタリアートの小ブルジョア的幻想である。
現代革命が、後進国プロレタリアートに(永続的)一段階プロレタリア政治革命=社会革命を押しつけ、先進国プロレタリアートに〔とって〕(永続的)同時革命でなければ革命となりえない現状となり、「社会主義」諸国の相互関係が国境の廃止による一つのプロレタリア国家になることなしに解決しない破目になっていることからして、国際プロレタリアートのこうした旧い小ブルジョア的幻想を、「反動」的なものとして捨てざるをえない方向に階級闘争の現実の論理が進んでおり、またこの反動的幻想を捨てることなしに現代革命は一歩も根本的に進みえない!
(15) 民主主義革命の勢力とプロレタリア革命の勢力が相互に闘いながら同盟して外国帝国主義と国内封建主義の権力を打倒し、ただちに、打倒された敵ではなく、かつての味方であるブルジョア民主主義勢力に(彼らがプロレタリアートを裏切りブルジョア革命としての独立性をかためるのを粉砕すべく)革命の主砲をむけ、プロレタリア革命の出発点となり、帝国主義段階では、特に世界革命前期の現代ではますますブルジョア革命のプロレタリア革命からの外見上の独立性を奪われる。
こうして、ブルジョア民主主義革命が一つの独立した政治革命としての外観をとることは歴史的に不可欠なことではない。それは一国の枠内ですべての国がとらなければならないものとはいえない。全体の世界史におけるその国の位置によってきまる。それは革命なしに社会発展段階が次々に独立した段階として経過するというのではない。社会の独立した発展段階として時間的に継起するためには政治革命を避けることはできない。しかし、旧い社会の内部に発生した新しい社会が政治革命によって自己を貫徹するまえに、もう、先進国との世界史的関係によって、さらにいっそう新たな社会性が発生し、一つの社会に次々の社会発展段階が空間的に並存するのであり、社会の発展段階をただ跳び越えるのではないが、それぞれの政治革命の外観上の独立性を奪われて、爆発する政治革命としては途中の、中間に立つ革命を「跳び越」し「省略」〔註・これはトロツキーの表現だが、それへの批判に注意されたい。この革命ははっきりとプロレタリア革命であって、民主主義革命を含みつつ、しかしこれを否定しているのでなければならない。〕して最後のものが爆発する。一国を永久不変の絶対的な単位とするのではなく、全体としての世界史の成立以後は特に、世界的関連で把えなければならない(以上のことは、ブルジョア的社会諸関係が政治革命なしに社会の中で支配的な関係となったり、はてはプロレタリアの社会が政治革命なしに自己を確立するという「構造的改良」的議論といかに無縁であるかに注意)。
[2]密集した敵の産出とそれへの対抗
(16) ブルジョア世界経済の部分的体現としての個々のブルジョアに対する闘いは、そのブルジョアの〔たんなる〕特殊利益に対してではなく、ブルジョアジーとしての共通利益、すなわちブルジョア的社会関係(経済はその物化した表現)という神経に触れれば触れるほど、ブルジョアジーを怒りにたたき込み、彼らをプロレタリア抑圧のより大きな団結へ向かわせ、ブルジョアジーとしての経済的な普遍性=共通性がブルジョアジーの団結としてプロレタリアートの前に敵が人間の団結という目に見える形をとって現われ出るのである。こうして経済的階級が、目に見える政治的階級として生み出される。ブルジョアジーの共通の神経=物的社会関係に触れるような部分的団結、「矛盾のしわ寄せ」された下層労働者のこの頑固な独走を辞さない部分的団結と部分的反抗→ブルジョアジーの階級としての怒りと彼らの結集、上層プロレタリアへの衝撃→プロレタリアートの旧い団結の限界の暴露からより革命的な団結への脱皮。これが無力な「統一と団結」でもなく、下層労働者主義でもなく、大企業労働者主義でもない、団結の革命的再生産の方法である。
(17) 革命の暴力性、「平和移行」をめぐるトリアッチと中共の論争は、革命の暴力性は先進国の同時革命としてのみ実際に現実となりうるということに考えも及ばぬ論争であるが、同時に国家権力の問題が静止的にとり上げられて、民主主義があるから平和革命、民主主義がないから暴力革命とか、敵の出方による、よらない、とかいう議論をこえることができず、中共も、平和的方法と暴力的方法の二つの方法を兼備せよといっているが、革命については根本的に一つの道、暴力革命しかなく、それは、階級闘争が、国家権力をフランス大革命のような封建勢力の大掃除をやった徹底した民主主義革命のあとでも立法権力から行政権力へ権限を移行し最後には行政権力の外観上の自立(「成長しきったブルジョア社会が、ついには資本による労働の隷属化のための一手段に変形してしまった国家権力のもっとも醜悪な形態、究極的な形態」――『フランスの内乱』)に向って運動せしめるという、運動の論理、階級闘争の論理から説かれていはしない。――労農派の平和革命論も、議会に基礎をおく民主主義国家になったから平和革命だといっているにすぎぬ。
たしかにマルクス、エンゲルスは、イギリスについて「平和的合法的な道」〔註・マルクス『アムステルダムにおける演説』、『資本論』「英語版エンゲルス序文」などをまずもって階級闘争展開の法則性においてつかむべきであって、これをぬきにして帝国主義段階ではということで特殊的諸条件をもっぱらめぐってつかむことはできない。〕をいい、その他の国についてもその可能性をにおわせ、マルクスのアムステルダムでの演説では、フランスと異なった道をにおわせている。しかしそれは、フランスの階級闘争把握の原理的構造とは異なった構造をいっているのではない(構改派はさかんにそのように言う)。『フランスにおける階級闘争』は歴史の経験論的総括ではなくて、原理の「証明」なのだ。「平和的合法的な道」とは、プロレタリアートがブルジョア民主主義を利用しつくして、プロレタリアートが目に見える巨大な階級としてブルジョアジーにせまり(それにつれて「国家の抑圧的な側面はいよいよ顕著になる」――『フランスにおける階級闘争』――ことによって民主主義をプロレタリアートから奪われるが、その間の時期に)この組織された叛乱軍を前にして武装解除されるさい、この巨大な目に見える階級へと形成された人間の暴力的結合のまえに武力的抑圧を比較的にあきらめざるを得ないという極限への可能性をいっていると考えなければならない。
[3]「過渡的政府」とファッシズム、ボナパルティズム
(18) 日本の憲法闘争(または日共でいえば次の安保闘争)も、この革命の永続的性格をしっかりと把握していることが不可欠である。〔註・永続革命論は封建制、君主制の打倒に関する後進国の民主主義革命についてだけの見解、意図をいっているのではない。すでに見てきているように、ブルジョア革命を経てきた先進国の階級闘争そのものにおいても原理的につかまなければならず、トロツキーの「過渡的綱領」もその永続革命論とは別個にではなく、まさに永続革命において批判的に検討されなければならない(階級形成論の欠如)。〕 たとえば「護憲」。「憲法改悪阻止闘争」は「護憲主義者」とも当面共闘するし、統一戦線〔註・これは敵を同じくする共同闘争の戦線であって、階級的立場をも同じくしたプロレタリア統一戦線にまでは至っていないものとして。「プロレタリア統一戦線論」を参照。〕さえも組む。しかし、巨大な労働者の大群の政治的大衆ストライキの嵐と戦闘的な街頭行動なしには勝利しえない。そこでこの労働者の大群の決起によってのみ獲得され得る改憲の挫折は、「護憲・民主・中立の政府」(日共でいえば「民族・民主政府」というプロレタリア革命にとって「過渡的政府」だとするシロモノ)によって収束されようとするであろう。巨大な労働者のものすごい犠牲によってのみ獲得されるこの「成果」をこうしたものですりかえようとするのに対して、労働者〔から〕は今まで鬱積していた(ブルジョアジーの強さのもとであきらめさせられていた)要求が次々にとび出し、この「政府」に入りこまなくなる。そこでこの「政府」は、自己を確立しようとすれば、打ち倒されたはずの旧い勢力と同盟して、「行きすぎる」労働者に血の雨をふらすであろう。
これはほとんど確実に見通されることで、もしこの「政府」がそれをできないとすれば、たちどころに崩壊し、ながい左翼への期待は裏切られて虚脱した大衆をファッシズムがさらうであろう。だからこそ、われわれは、「憲法改悪阻止」のなかで護憲主義者等とも共闘を組みつつもそのなかでプロレタリア革命の勢力を自立させ、彼らが「勝利」のとたん裏切りを開始するのをただちに粉砕できるようにいまから用意し、過渡になり得ぬ「過渡的政府」の幻想を打ち破らなければ勝利はない。革命的統一戦線戦術とはかかるものである(日本社会党が、この「下からの突き上げ」に備えて「主体性」をきずこうとしているのに注意)。
(19) 別の機会に詳論するが、ファッシズムについての有名なディミトロフ=スターリン規定を廃棄することが必要である。コミンテルン第七回大会――「第七回大会、スターリニズム克服の第一歩」(津田道夫『現代コミュニズム史』)などという構改のウソを爆破せよ。第七回大会は一国革命論、国民主義の飛躍的普遍化である――でディミトロフはスターリンをたたえながらいう、「ファシズムは金融資本のもっとも反動的な、もっとも排外主義的な、もっとも帝国主義的な分子の公然たるテロリズム独裁である。」 こうした規定から、「民主主義的、自由主義的」大ブルジョアジー、「民主主義的」帝国主義国との同盟を合理化した。他方トロツキズムは、金融資本の支配の別の形態だという。革命的な統一戦線戦術のためには、ファッシズムのこうした悪意的な規定を廃棄し、ファッシズムは帝国主義段階のボナパルティズムそのものとして把えなければ、ファッシズムの全面的把握に至らない。――帝国主義段階に残存する旧い中間層に注目すること。行政権力の前述の外見的自立過程に注目すること。〔「ブルジョアジーはすでに国民を統治する能力を失ったが労働者階級はまだこの能力を獲得するにいたらなかった一時期において可能な唯一の政治形態」〕 「労働に対する資本の権力のもっとも醜悪な形態、究極的な形態」〔註・「帝政は、生まれたばかりの中産階級が封建制度から自分自身を解放する手段として作りだしはじめたところのものであり、また成熟したブルジョア社会がついに資本による労働の奴隷化の手段に転化したところの、国家権力の最も悖徳的で最終的な形態である。」〕にむかって、行政権――官僚・軍隊・警察の系統図――そのものが外見的に自立してゆく過程としてのファッシズムの形成過程との対決としての反ファッシズムとしてとらえること。それとともに、単なる「一通過点」にしてしまう卑小化されたボナパルティズム論の粉砕。先進国がこの過程をたどっていることに注目するとともに、後進国での広範な軍事独裁の多くが、世界的規模でのプロレタリアートとブルジョアジーの力の平衡状態のなかで、ブルジョア民主主義革命が始まるや否や、突出するプロレタリア革命に恐怖して農民層を基礎にたちまち行政権力の外見的自立としてのボナパルティズムに収斂するものであることに注目すること。
先進国、後進国のこうした事態は、現代が世界革命の成熟しつつある時期であることの必然的な徴候である。平和と民主主義ボケ(原文ママ)へ冷水を! ボナパルティズム=ファッシズムは私有財産の権力そのものである。〔註・「ブルジョアジーはその社会的権力を維持するために政治的権力を捨てた」(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)、「ボナパルティズムは全有産階級をプロレタリア革命に対抗して防衛するための権力である」(エンゲルス『ドイツ農民戦争』序文)――階級闘争の原則的展開においてこれをつかみとること。〕 多少とも所有する〔有産階級の〕あれこれの構成メンバーがこの権力の成立に嘆息し、躊躇し、「民主主義的」動揺もするのは、最後の革命期での所有する支配階級の激しいかつ急速な解体の徴候を意味し、だからこそ第一インターのマルクスがいうように、ボナパルティズムかプロレタリア革命か、「コミューンか帝国か」と問題がたち、ファッシズムかプロレタリア革命かと問題が現実にたてられており、断固たる革命的プロレタリアートの進軍を歴史が要求するのである。
〈要項〉(世界革命の前期と後期)
永続革命の第二段階(世界革命の時代)=資本主義から共産主義への革命的転化の時期、
過渡期、「プロレタリアートと革命的独裁」の時期
――ロシア革命にはじまる――
〔プロレタリア革命の完遂〕
(@)世界革命の前期(「多かれ少なかれ隠然たる」世界革命)――現代
「さしあたり一国的な革命」から「一つの世界革命」へ =後進国革命から先進国革命への波及。 世界市場を支配する先進諸国の「一挙の」ないし「同時の」革命。 |
「さしあたり一国的な」後進国革命から「一つの世界革命」(エンゲルス『共産主義の原則』)、「『一挙』ないし同時」(『ドイッチェ・イデオロギー』)、「同時的な革命」(『原則』)の「組織的な端緒」(『フランスの階級闘争』)としての先進国革命(日本、ヨーロッパ、アメリカ、なかんずくアメリカ)への波及 |
(A)世界革命の後期(「公然たる」世界革命=「一つの世界革命」)
「一つの世界革命」による「さしあたり一国的な」革命の包摂=先進国革命による後進国革命の包摂:後進国革命の一歩飛躍、「一つの世界革命」=世界的な規模での単一のプロレタリア独裁による世界的生産力の集中=世界市場の廃棄、資本主義の共産主義へのプロレタリア永続革命(=世界革命)の完遂 |
■先進国同時革命
一国革命の〔他の各国革命からの〕外観上の独立性は、世界市場を支配する先進国革命であるほどますます奪われ、形式上も同時革命であることをあからさまにする。 |
先進資本主義国の革命の反作用は、旧い革命の旧い幻想と歪曲を誰の目にも公然と暴露し、それら革命を「一つの世界革命」のなかに包摂してゆく。 |
(1) 先進国ブルジョアジーは恐慌によって後進国革命を準備し、反革命十字軍によって先進国革命を準備する。 そして、後進国革命は第一にブルジョア的生活諸関係そのものに手をつけることによって、第二に先進国プロレタリアートとの革命的結合によって、先進国革命へ波及する。
[1]恐慌→後進国革命の爆発
(2) 戦後資本主義の一時的な繁栄の外観に目を奪われて、広範な改良主義が発生したが、いわゆる「過激派」も、夢中の闘争が敗北したあと、資本主義が無限に日和を続けるのではないかと絶望してともに革命戦線を逃亡した。革命からなんとか逃げ出さないでいようとする部分も、一方では「恐慌待望論」を攻撃して、「構造的改良」によって「革命に接近する」のだという客観主義的改良主義に堕落し、他方では「客観主義」を攻撃して「革命的情勢をつくる」のだと称して主観主義的改良主義に陥没した。
「新たなる革命は新たなる恐慌に打続くものとしてのみ可能である。だが、恐慌の到来が確実であるように、革命もまた確実である」(『フランスにおける階級闘争』)。この原則を革命的に把握しつづけていなければならない。恐慌は物というかたちをとったブルジョア的社会諸関係の人間の力に対する反逆であるが、世界市場を支配する先進諸国に比べて、いわゆる「矛盾のしわ寄せされた」後進諸国で激しく革命として爆発する。「恐慌が先ず大陸に革命をひき起すとしても、革命の根源は常にイギリスにあるのである。ブルジョア的身体の心臓より四肢において強力なる爆発が先ず起こるに違いないことはいうまでもない。というのは、心臓にあっては四肢よりも均衡化する可能性がより大きいからである」(『フランスにおける階級闘争』)。20世紀のロシアは19世紀のフランスであった。
[2]後進国プロレタリア革命→国際ブルジョアジーの反革命的団結
(3) 後進国革命の先進国革命に波及する衝撃力の程度は、「その革命がどの程度まで実践的にブルジョア的生活諸関係そのものを問題にしているか、どの程度までその政治構成にしか触れてないのか」による。〔註・「大陸の諸革命がイギリスに及ぼす反作用の程度は、同時に、これらの革命がどの程度まで実際にブルジョア的生活諸関係そのものを問題にしているのか、どの程度までその政治構成にしか触れていないのか、を示す寒暖計である」(『フランスにおける階級闘争』)。〕
だから、後進国革命の先進国革命への波及力の強さは、その革命が、たとえば、直接にどの程度「反米帝」であるかによるのではなく、しかもどの程度自国ブルジョアジーの特殊利益と区別されたアメリカ帝国主義の特殊利益を攻撃したかによるのではなく(毛沢東的「民族戦線」)、また他方、アメリカ帝国主義の特殊利益と区別された自国ブルジョアジーの特殊利益を攻撃してアメリカ帝国正義をビックリさせないで社会主義革命をやるのだという革命にならない「中立」の道(トリアッチ的「人民戦線」)で、静かにアメリカ帝国主義の首を絞めるのだという夢想でもなく、さらに、「後進国のブルジョア民主主義革命の完遂はプロレタリアート独裁の下でのみ可能だ」として、後進国革命のプロレタリア革命であることをあいまいにいう――この本質的誤謬はプロレタリア革命は政治革命と社会革命の不可分の結合であるにもかかわらず、分離させるものである――道(トロツキー的永続革命論の第一命題としてのトロツキー的後進国一段階革命論)でもなくてこうである。
自国ブルジョアジーの打倒〔註・絶対主義あるいはボナパルティズムの打倒の場合も〕というさしあたり一国的な形式をとるが、ブルジョアジーの国際的分派〔註・各国ブルジョアジー〕の特殊利益への攻撃ではなく、世界ブルジョアジーの共通利益そのものへの攻撃としての自国ブルジョアジーの打倒、したがってそれは具体的には、単なる政治的構成を中心とした無力な「プロレタリア革命」ではなく、徹底した政治革命=社会革命の出発点としてのプロレタリア革命でなければならない。こうしてはじめて、後進国プロレタリア革命は、後進国なるがゆえに〔顕著に〕「さしあたり一国的」な革命であるが、内容上国際主義であり、現実に世界革命の一環でありうる。
トロツキー永続革命論の第二命題である一国社会主義の否定、各国ブルジョアジーの連続打倒論も同じ誤謬をもつ。たしかにトロツキーの「左翼反対派」はスターリンより早く、大工業化を提起した。しかし、これをスターリンによって横取りされたといって歎くのは、スターリンに横取りされるようなシロモノであったわけである。つまり「国有」を利用して生産力を上げる問題であって、「社会主義的大工業化」〔註・以下とくにトロツキー『裏切られた革命』より〕の世界革命における不可分の意義を見落して、せいぜい「世界革命のトリデを強化する」問題としてしか理解せず、だから、スターリンの「クラーク(富農)撲滅運動」を「官僚的ジグザグ」として攻撃しながら、その実、トロツキーの大工業化論は、都市が大量の工業商品を農村に送り出すことによる小農との調和を中心とするものだ。スターリンもトロツキーもともに生産力主義であり、だからともに、工業化と世界革命の不可分の関連を見失ったのだ。プロレタリア革命は、政治革命=社会革命の永続過程である。社会革命をやりぬく槓杆として工業化があり、こうしたブルジョア的社会関係への攻撃は、世界に革命的衝撃を与える。社会革命をやりぬくものとしての経済建設をスターリンの生産力主義に対置して主張できなかったトロツキーは、大工業化の旗を奪われて抽象的政治主義の世界革命論となり、政治革命に疲れた大衆をスターリンに奪われて必然的に敗北した。
トロツキーのプロレタリア革命における政治革命と社会革命の分離は、スターリニスト打倒の「革命」をスターリン主義官僚は階級ではなくカーストであり、国有は守られねばならないからとして、「政治革命であって社会革命でない」とすることで端的に示される。これでは「社会主義」諸国の「革命」はプロレタリア世界革命からまったく切り離され、せいぜい官僚制の下での同情さるべき奴隷の反抗であり、ただその政治において、世界革命への呼びかけが出されるように願望するほかになく、世界革命への大衆的な現実的動機はつかめない。それでも、「世界平和のトリデを強化する」のか? 冗談ではない。帝国主義による反革命の牙はとがれているなかで、政治革命だけの革命が何を意味するか? そんなものをやるプロレタリアートは存在しない! やるとすれば、ポーランド、ハンガリー、結局チトーの道だ。〔註・「民族共産主義」突破のプロレタリア政治革命=社会革命を胚胎しているからこそ――しかし、そういうものとして権力を獲得することを規定的目的として打ち立てるにいたっていない――、ハンガリー労働者評議会は打ち倒された。〕 たしかにスターリン主義官僚は「階級」ではなく、また本質においてプロレタリア共有である。
〔註・『共産主義の原則』(エンゲルス)での、「間接」の「プロレタリアートの政治的支配」を示唆とし,それをマルクス主義においてつかみなおそうとしている。そこでは、こうなっている。
「18問 この革命はどういう発展の道をたどるであろうか?
答 それはなによりもまず民主主義的憲法(民主主義的国家制度)を、またそれとともに(そしてそれによって)、直接にまたは間接に、プロレタリアートの政治的支配を、うちたてるであろう。イギリスのようにプロレタリアートがすでに人民(国民)の多数をしめているところでは直接に、フランスやドイツのように人民(国民)の多数がプロレタリアだけでなく小農民や小市民からなっているところでは間接に。この小農民や小市民は、いまようやくプロレタリアートのがわに移行しはじめているのであって、かれらの政治的利益のすべてにおいてプロレタリアートに依存することがますます多くなり、したがって、遠からずプロレタリアートの要求に順応しなければならなくなるであろう。そのためには、おそらく第二の闘いが必要になるであろう。だがこの闘いはプロレタリアートの勝利をもっておわるほかはない。」 なお、ここで「なによりもまず」としてあげていること、「民主主義(デモクラシー)」と「プロレタリアートの政治的支配」ということについて、『共産党宣言』ではこうなっている。「プロレタリアートは、まずはじめに政治支配を獲得して、国民的階級にまでみずからをたかめ、自分自身を国民として確立しなければならないのであるから、そのかぎりでプロレタリアート自身、ブルジョアジーの意味においてでは決してないが、なお国民的である。」「以上にすでに見たように、労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級にたかめること、デモクラシー(民主主義)を闘いとることである。」――すでにはっきりと書き記されているように、プロレタリアートは自らを支配階級にたかめる、政治的支配を獲得することにおいて国民となるのであって、階級への形成を解消して国民となることによって政治的支配を手に入れるのではない。ここで zur nationalen klasse「国民的階級にまで」たかめるとは、政治的支配を獲得して、the leading class of the nation 「国民の指導的階級にまで」(1888年英語版)たかめることである。また、それに続く『原則』の個所でプロレタリアートが「民主主義(デモクラシー)を利用する」としているところは、『宣言』では、「その政治的支配を利用する」となっている。この「民主主義(デモクラシー)」は「プロレタリアートの政治的支配」であり、マルクスが『ヘーゲル国法論批判』でつかみだした「民主制」をひきつぐものであり、かつ、パリ・コミューンの中に見出したものである。だから、さきのプロレタリアートの「間接」にうちたてられた政治的支配は、政治的国家と官僚制を止揚しないどころか、なおいっそうそれを推し進める小農民的小市民的な民主主義と利害に制約されており、この利害に一致する限りでプロレタリアートが代表されているにすぎない。したがってその「国有」も、「間接」にのみプロレタリアートのものであり、『宣言』の、「プロレタリアートはその政治的支配を利用して」、「あらゆる生産用具を国家の手に、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中し」ということも、この「すなわち」ということが「間接」になっている。トロツキーの「堕落せる労働者国家」論は、「官僚」の社会的基礎の問題が蒸発しているのだ。〕
だからといって革命は一回きりのものではなく永続的なものだ。スターリン主義打倒は政治革命であって同時に社会革命である。プロレタリア革命の前進的政治革命=社会革命であるからこそ、全ブルジョア世界に革命的衝撃を与え、1956年のような帝国主義への救援の声〔註・ナジの声として伝えられるもの〕は消えることができる。そして社会革命をやりぬくことのぶつかる現実的な壁は、彼らに世界革命への力強い政治闘争を教え込むことを可能にする。また他方、先進国革命は、その反作用として旧い後進国革命とそのプロレタリアート独裁の歪曲を最も徹底して暴露してしまうのである(これは別に触れる)。
後進国プロレタリア革命は、世界市場を通じて結合された世界的生産力の〔規定性たる〕世界的な〔といっても諸国家として公的に統括されているところの〕ブルジョア的社会諸関係という神経に触れて、国際ブルジョアジーの反革命のための団結を生み出す。プロレタリア革命がプロレタリア革命であるほど必然的に「密集した敵を生み出す」のであって、それに泣き言をいうのはまったく革命的でない。プロレタリア階級闘争は、わざわざ、敵を集中して見せ、集中して打倒することができるようにこうした論理構造を備えているのだ。プロレタリア革命は国際ブルジョアジーの分裂を待望するのではなく、ブルジョアジーの反革命的団結に対してもう一度分裂するように画策するのはすべて犯罪である。〔註・「ブルジョアジーのあいだの分裂を利用して」、プロレタリアートが個々の利益を認めさすことは、国際的階級闘争においても当然のことである。〕 あるのは結合した「lつの敵」として打倒するのみ。
後進国革命の先進国革命への波及力は直接的な反先進国ブルジョアジーでもなく、帝国主義からその植民地という足を奪うことで満足する周辺革命論でもなく、プロレタリアの〔単なる〕政治革命でもなく、ブルジョア的社会関係を徹底的に攻撃するかどうかによる(トロツキーのような「貧困の平等」になるかならぬかというような泣き言の議論をこの場合許すべきではない。〔註・閉鎖的迷信的な「地方的共産主義」での「貧困の平等」と、プロレタリアートがブルジョア的生活諸関係を実践的に問題とする」こととは、別のことである。〕)後進国革命は、一段階革命としてのプロレタリア政治革命=社会革命に徹底的に接近せしめる戦術をとらねばならぬ。また、「社会主義」諸国の国内政策は、世界革命の戦術の前述した不可分な構成部分としてブルジョア的社会関係を徹底して実践的に問題にする政治革命=社会革命の前進でなければならない。〔註・この社会革命は国民的地盤をのりこえて世界的地盤を獲得すればするほど大きく前進する。〕
「同時に社会運動でもないような政治運動は断じて存在しない」(マルクス『哲学の貧困』)。
[3]国際反革命連合戦線と国際革命戦線の相互作用
→ 先進国同時革命
(4)〔現代の時代規定〕第三図の第一の円環は、世界の経済過程、世界の経済闘争の過程であり、第二の円環は世界の政治過程、世界の政治闘争の過程である。現代は、世界革命の前期、すなわちロシア革命から始った後進国革命が、あれこれの誤った幻想、旧い幻想に敗北しながらも、必然的に先進国革命へ波及する衝動に駆られている時期、後進国革命が、最後の力をふりしぼって先進資本主義諸国の同時革命へと波及し、すなわちできるだけはやく〔その〕世界革命前期を終らせ、本来の世界革命の時代――〔先進諸国革命を「組織的端緒」として、〕今までの一切の旧い革命の限界、幻想、歪曲を白昼の下にさらけだすことによってそれを乗り越え、「一つの世界革命」〔として組織だてられてゆく時代〕へと突進しようとしている時期、世界革命の前期から後期への過渡の時期(構改の「世界の構造変化」のフザケブリを想起せよ!)であるから、第三図は現代世界の基本的な過程的構造を示す。 〔註・「フランス社会内部の階級闘争は、諸国民のあい対立する世界戦争に転化する。問題解決は、世界戦争によってプロレタリアートが、世界市場を支配している国民の、すなわちイギリス国民の先頭に立つ瞬間に、はじめて緒につく。革命はイギリスで結末をみるのではなく、その組織的な端緒がみられるのだ。それは息の短かい革命ではない。こんにちの世代は、モーゼが砂漠をこえて導いたユダヤ人に似ている。それは、新世界を征服しなければならないばかりでなく、新しい世界にふさわしい人間にその席をゆずるため、消えていかねばならない」(『フランスにおける階級闘争』)〕。
(5)〔同時革命と世界戦争〕さて、世界経済の危機は、特に後進国の革命として爆発する。その二〇世紀における巨大な出発点はロシア革命であり、その後現在にいたるまで、この爆発をくり返し、拡大して来ている。この革命の先進資本主義諸国への〔註・すなわち、すでにみた「革命の根源」への〕反作用的な衝撃力、波及力の程度は、ひとえに、その革命が「どの程度実践的にブルジョア的生活諸関係そのものを問題にしているか、〔どの程度までその政治構成にしか触れていないのか〕」にかかわる。すなわちそのプロレタリア的社会革命の強力な展開〔註・展開力、推進力の発揮〕にかかわる。〔だから、〕権力を獲得したプロレタリアートの「模範と激励の役割」(中共1963年6月14日付書簡)はソ連〔(ソ共)〕、中共が共に前提にしている「経済競争」「平和競争」〔註・「平和共存」のなかで、生産力の増大をもって、「体制の優位」を示す〕(中共はそれが「革命的闘争にとって代ることはできない」といって、共同の敵・アメリカ帝国主義反対の闘争を支持せよと言っているだけである)でもなく、自国ブルジョアジーの打倒でもなく〔註・単に政治構成を変えただけの「打倒」どまりで、ブルジョア社会は何の衝撃もうけないような〕、民族ブルジョアジーが権力をとるまえも、とったあとも、〔彼らが〕反米帝であるかぎり、あと押しをしたり(中共)、「社会主義」諸国と善隣である限り、「中立」である限り、支持したり(ソ共)――連続的であるか、間のびしているかにかかわらず二段階戦略である〔註・「連続的二段階戦略」とプロレタリア永続革命との区別に注意〕――でなく(19世紀において、世界市場の支配者、イギリスに対して反英であるかぎり、フランス・ブルジョアジーを支持するとしたら、全く革命的反英となりえない、漫画になるのは自明)、ただちに自国で可能なかぎりのブルジョア的社会関係への実践的攻撃を開始する〔註・このことは、たとえば「パリ・コミューン」への過程において、国民軍中央委員会が臨時革命政府となって、コミューンの成立による社会革命の着手のまえに、ただちにヴェルサイユに進軍するようなことを、排除するものではない。〕ことによって、全世界ブルジョアジーとりわけ最先進国ブルジョアジーの憤激を生みだし、彼らブルジョアジーの階級的自己意識をはげしく高揚させ、怒りに狂った(原文ママ)反革命の国際的連合戦線としてブルジョア諸国が連合してたち向うという仕儀にさせる〔註・戦術的一進一退はいうまでもない〕ことをいう。〔註・先進国ブルジョアジーの怒りと反革命的密集の努力の程度が、それを惹起する後進国革命のプロレタリア的焔熱をはかる「寒暖計」なのであって、彼らを怒りと密集に駆りたてることの少ないほど、それだけその革命が彼らにとってとるに足らないものだということである。〕
(6)〔戦争の性格規定〕戦争の問題として要約すればこうである。帝国主義諸国間の分裂と戦争は、ますます「社会主義」諸国とプロレタリア革命への国際十字軍へ転化し、世界的な国民と国民との戦争は世界的な階級と階級との戦争、階級戦争としての革命戦争に転化する。問題解決はこれを徹底的に推し進めるところにある。
(7)〔「社会主義」諸国の内と外――その一〕中共は現代を「帝国主義とプロレタリア革命の時代」だといい、ソ共は「二つの世界体制」の「平和共存」「平和競争」「経済競争」の時代(生産力を引き上げる競争?――本当に革命的な「激励と模範」は、単に生産力ではなくブルジョア的生産関係への攻撃の問題である。資本主義世界との自由競争?――それは世界市場への〔公然たる〕屈服であり、世界のブルジョア的社会関係との〔あからさまな〕調和である。後進資本主義諸国への経済援肋?――それは世界の革命ではなくせいぜい改良であり、ほとんど常に「民族ブルジョアジー」の強化であり、「社会主義」諸国を改良主義的に防衛する「平和地域」政策である)だという。この二つの見解は、本質的に相容れないのか? そうではない。革命はそれぞれの国の国内問題だとされるのだから。こうしてプロレタリアートの闘争は単に形式的のみならず内容的に一国的になり遂には永遠に国境の枠内にとどまって、「国際主義と愛国主義の結合」(1957年の『宣言』)が「社会主義諸国」の関係だとして、遂に国境紛争でもしでかして「自主独立」を発揮して疑わない。現代の規定はすでに述べた。
(8)〔「社会主義」諸国の内と外――その二〕中共も、ソ共さえも、「世界革命」という言葉をつかう。しかし世界革命とは世界市場の廃棄である。だから「資本主義世界と共存して、一国の枠内でプロレタリア革命は完遂できない」ということであるから、一国革命論を根源的に否定することだ。中共は「社会主義革命を最後までやりぬくかどうか」と、ソ連に迫る。しかしプロレタリア革命を完遂するということは、世界市場を通じて一つの全体として結合されている「世界的生産力」を〔このプロレタリアの本質力でありながらプロレタリアから引き離されて自立化しプロレタリアに敵対している世界的生産力を〕、所有からまったく切り離された「世界史的個人」としてのプロレタリア大衆が(このプロレタリア革命の「二大実践的前提条件」の世界的性格が、プロレタリアの革命と団結の世界的内容をなす)「世界的団結」を生産し再生産しつつ奪還してゆく「世界的革命」の永続過程を最後までやりぬくことによって、世界的にのみ共産主義を実現させうるのである。これがマルクス主義の生命である! だから『ドイッチェ・イデオロギー』はいう。「共産主義とその活動は『世界史的』存在としてしか存在しえない。」「共産主義が現実に招来されるのは、それが支配民族の行為として『一挙に』ないしは同時に実現される場合に限られる。」 だから、根本的にいって、一国革命論=世界革命の否定=平和共存論であり、一国革命論の否定=世界革命論=平和共存論の否定である。
(9)〔「社会主義」諸国の内と外――その三〕プロレタリア独裁の根本課題、根本政策は「世界を革命的につくり変えること」である。それはいかにして可能か? 権力を獲得したプロレタリアートは、〔先進国革命を引きだし、それと連帯し、もって世界市場の制約、法則を打破し止揚しつつ自らの大地の上に社会主義、共産主義を実現してゆくこと、そしてそれは、すでにみたことからして、〕第一に全力をあげて社会革命を遂行すること(その一環としての経済建設)すなわちただちにブルジョア的生活諸関係、ブルジョア的社会諸関係を実践的に攻撃する永続過程を、直接に開始すること(=国内政策)。第二に、それによって国際ブルジョアジーは驚愕し、〔恐れ、〕自己意識=階級意識をたかめ、ブルジョアジーがますます国際的に密集した一つの敵として生みだされるのであるから、その世界ブルジョアジー〔註・「国際ブルジョアジー」とすべき〕の一つの政府のように堆積し結合〔註・「密集」とすべき〕して現われ出る敵を撃破するためには、〔それとともに社会革命をやりぬくためには、〕全世界プロレタリアートの革命的団結と闘争に結びつくこと(=対外政策)。――国内政策と対外政策の不可分な必然的関係をトロツキーもスターリンも見落していることはすでに述べた。――こうしてプロレタリア独裁の世界革命のための根本政策〔(根本的な国家的行動)〕が二つの側面の不可分の結合〔(対内的関係と対外的関係のプロレタリア的階級的統一)〕としてあることが、とらえられる。〔註・そして、このプロレタリア独裁の国家的共同行動に促進されて、先進国プロレタリアートが革命的プロレタリアートとして登場しなければならず、それに導かれて、これまでの各国革命は、一つの組織だった世界革命へと、その限界、歪曲をつきだし、それらをつきつぶすように統一されなければならない。〕 たしかに「体制間矛盾」(この切り離された「矛盾」)は世界の体制を少しも変えることはできない〔(そのことから、――このような目には――このプロレタリア独裁はその外の世界の革命的改造について何らなすすべはないように見え、それゆえに、他国の革命はその他国の人民の事業、ということでそれと自らを無関係とするという意味での「内政不干渉」しかないように見える)〕。だからといってプロレタリア革命の対外政策〔(対外行動)〕はブルジョア世界との平和共存を目ざすものではなく、それを革命的につくり変えることを目ざすのである。その方法は前述のとおり。プロレタリア権力が直接に外から「幸せを強制する」(エンゲルスのカウツキー宛の手紙)ことができず、また、そのようなことをすれば「自己の勝利を無に帰せしめる」ことになるのは、第一に、そのようなことをやれば自分自身が他民族を抑圧する民族になるからであり〔註・かの「内政不干渉」の醜悪な裏面は、直接にハンガリーで示され(一九五六年、ソ連の戦車による、ハンガリー・プロレタリア革命の抑圧)、間接にはチェコ・スロバキアで示された(一九六八年、ソ連・東欧五カ国軍のチェコ侵入)。〕、第二に、外的に強制された民族は、排外主義によって反動に大衆が売り渡されて反動が強化され、革命的勢力が無力な孤立にさらされるからであり、いずれにしても世界革命を挫折させるからであって、ブルジョア世界と共存できなくなるからでもなければ軍事的物理力〔(「幸せを強制する」に足らない軍事力)〕の問題でもなく、また、その国の神聖不可侵の一国革命への外からの干渉として道義的に許されぬ問題なのでもない。
〈付録〉マルクス『フランスにおける階級闘争』の抜粋
――特に次の個所を原理的に読みとることが必要――
〔註・ここに抜粋した『フランスにおける階級闘争』における世界革命に関する叙述は、スターリン主義がエンゲルスの『共産主義の原則』第19問とともに遠い19世紀の事柄として、当然にも今日的には全く無視滅却しているものである。この叙述から、同時に『原則』第19問の問題がマルクスによってどのようにつかまれているかをみてとることができる。〕
「労働者たちは、ブルジョアジーと並んで自己を解放しうると思ったように、他のブルジョア諸国民と並んで、フランスの国境の中でプロレタリア革命を完遂できるものと思っていた。しかしフランスの生産関係はフランスの対外貿易によって、世界市場におけるフランスの地位および世界市場の法則によって制約されている。世界市場の専制君主たるイギリスに反響を及ばすヨーロッパ的な革命戦争なしに、フランスはどのようにしてその生産関係を打ちやぶればいいのであろうか?
社会の革命的利害関係をみずからのうちに集中している階級は、ひとたび立ち上るや否や、その革命的行動、つまり敵をうちやぶり、闘争の必要が彼らに授けた方策を講ずる、という行動の内容や素材を、直接みずからの状態の中に見出し、自分たちの行動の結果が、彼らをさらにかり立ててゆくものである。その階級は、自分自身の任務について、何ら理論的な研究をこころみはしない。フランスの労働者階級は、このような立場におかれていなかった。彼らはまだ自分自身の革命を遂行するだけの能力をもっていなかった」(「一、1848年6月の敗北」)。
「若い共和国は、自己の主要な功績を、ひとをおどしつけるよりも、むしろ自分自身がたえずおびえるところに、また温順、無抵抗であることによって生存の権利を獲得し抵抗をなだめるところに求めた。共和国は平和を愛する性質のものである、自分も生きひとをも生かすこそ共和国のモットーである、ということが、内は特権階級に対し、外は専制主義的な列強に対して、声高に告げ知らされた。そのうえ、二月革命の直後に、ドイツ人、ポーランド人、オーストリア人、ハンガリー人、イタリア人など、各民族が、それぞれ当面の情況に応じて叛乱をおこしたのである(1848年のドイツ3月革命、およびポーランド、ハンガリー、イタリア等の叛乱をさす)。ロシアとイギリスは、後者はみずから動揺していたため(2月革命の影響下にイギリスのチャーティスト運動は最後の昂揚をみせた)前者は狼狽していたため、これに対するそなえをもたなかった。そういうわけで、共和国は、何ら国民的な敵に直面しなかった。だから行動力に火を点じ、革命の経過をはやめ、臨時政府を前方へおしすすめるか、もしくはこれを投げすててしまうことのできるような、大規模な対外紛争はおこらなかった。……
共和国は、外からも内からも何ひとつ抵抗に出あわなかった。共和国が武装解除したのは、そのためである。共和国の課題は、もはや世界を革命的につくりかえることではなく、いまではわずかに、自己をブルジョア的社会の諸関係に適合させてゆくことだけであった。どれほど熱狂的に臨時政府がこの課題に立ちむかったか、これを物語る証拠として、その財政政策にまさるものはない。……
プロレタリアートの蜂起、これはブルジョア的信用の廃止である。なぜならそれはブルジョア的生産とブルジョア的制度の廃止なのであるから。国家信用と個人信用とは、それによって革命の強度を測定できる、経済的な寒暖計である。信用が低下すると同じ度合で、革命の炎熱と産出力とは上昇するのである」(同上)。
「6月の蜂起がヨーロッパ大陸のいたるところでブルジョアジーの自己意識をたかめ、彼らをおおっぴらに封建的王権と結んで人民に対抗させたとき、まずこの犠牲となったのは誰であったろうか? それは大陸のブルジョアジー自身であった。6月の敗北は彼らが自己の支配をかためることを妨げ、また人民を、ブルジョア革命のもっとも低い段階で、なかば満足なかば不満の状態に、じっとさせておくことを妨げたのである。
ついに6月の敗北は、ヨーロッパの専制主義的列強に対して、フランスは、国内で市民戦争を遂行するためには、どのような条件のもとでも、対外的に平和を維持しなければならない、という秘密をもらした。そこで、国民的独立のための闘いをはじめていた諸民族は、ロシア、オーストリア、プロイセンの優勢に身をまかせたが、しかし同時に、これら国民的革命の運命はプロレタリア革命の運命にしたがわせられ、その外見上の独立性、つまり大きな社会変革からの独立性を奪われた。ハンガリー人も、ポーランド人も、イタリア人も労働者が奴隷であるかぎり、いつまでも解放されえないのだ!
ついにヨーロッパは神聖同盟の勝利によって、フランスでプロレタリアが新たな叛乱をおこすたびごとに、それは直ちに世界戦争をともなうような形をとった。新たなフランス革命は、すぐさまその国民的な土台をすてて、ヨーロッパ的な地盤を征服することを余儀なくされている。この地盤の上でのみ、19世紀の社会革命は遂行されうるのだ」(同上)。
「フランスでは、普通なら工業ブルジョアのなすべきことを小ブルジョアがやり、普通なら小ブルジョアの使命とすべきことを、労働者がやっている。だとすれば、労働者の任務は、いったい誰がはたすのか? だれもいはしない。それはフランスでは果されない。それはフランスでは声明されるだけだ。それは、フランスという国のかこいのなかでは、けっして解決されないものだ。フランス社会内部の階級闘争は、諸国民のあい対立する世界戦争に転化する。問題解決は世界戦争によってプロレタリアートが、世界市場を支配している国民の、すなわちイギリス国民の先頭にたつ瞬間に、はじめて緒につく。革命はイギリスで結末をみるのではなく、その組織的な端緒がみられるのだ。それは息の短かい革命ではない。こんにちの世代は、モーゼが砂漠をこえて導いたユダヤ人に似ている。それは、新世界を征服しなければならないばかりでなく、新しい世界にふさわしい人間にその席をゆずるため、消えていかねばならない」(「三、1849年6月13日の諸結果」)。
「恐慌期がイギリスよりも後になって大陸に始まるように、繁栄期もまたそうである。本源の過程が起るのは常にイギリスである。イギリスはブルジョア宇宙の創造主である。大陸では、ブルジョア社会が繰返し繰返し経過する循環のさまざまな段階は、第二次、第三次の形態で現われる。第一に、大陸はイギリスに向けて、他のどの国よりも比較にならぬほど多く輸出していた。ところがこのイギリス向けの輸出はまたイギリスの状態、特にその海外市場に対する状態に依存しているのである。次ぎに、イギリスは海外諸国に向けて、全大陸とは比較にならぬほど多く輸出している。だからこれら諸国に向ける大陸の輪出量は、そのつどつどのイギリスの海外輸出にいつも依存するということになる。だから、恐慌が先ず大陸に革命をひき起すとしても、革命の根源は常にイギリスにあるのである。ブルジョア的身体の心臓より四肢において強力なる爆発が先ず起るに違いないことは言うまでもない。というのは、心臓にあっては四肢よりも均衡化する可能性がより大きいからである。他方では大陸の諸革命がイギリスに及ばす反作用の程度は、同時に、これらの革命がどの程度まで実際にブルジョア的生活諸関係そのものを問題にしているのか、どの程度までその政治構成にしか触れていないのか、を示す寒暖計である。
こうした全般的好況のさいには、ブルジョア社会の生産諸力は、ブルジョア社会の内部でそれがそもそも可能な限り、盛んに発展するのであって、現実の革命などは問題にならない。こうした革命はこれら二つの要素、すなわち近代的生産諸力とブルジョア的生産諸形態とが矛盾に陥入った時期にのみ可能なのである。現在、大陸の秩序党の個々の分派の代表者たちが盛んにとり組んで、お互いに恥をさらし合っているあれやこれやの喧嘩沙汰は、新たなる革命のきっかけを与えるものであるどころか、反対に諸関係の基礎が目下のところでは全く危険のないもので、また、これは反動の知らないことだが、全くブルジョア的であるからこそ可能なのである。ブルジョア的発展をみな押し留めようとする反動どもの試みは、民主主義者たちのあらゆる道義的憤激、あらゆる熱情的宣言と同様に、この基礎にぶつかって跳ねのけられてしまうであろう。新たなる革命は新たなる恐慌に打続くものとしてのみ可能である。だが、恐慌の到来が確実であるように、革命もまた確実である」(「四、1850年の普通選挙権の廃止」)。
〔編註〕
この文書は1963年9月に共産主義者通信委員会の内部文書として霧島常之名義で発表された。公表されたのは1965年12月の学協解放派の機関誌『解放』4である。
1976年8月に改訂を行なったが、当時、組織内で戦略論争が進行中であり、文章を直接改めるのではなく初版との違いを〔 〕に入れ明示する形になった。
次の機会からは、直接文章を改めた読みやすい形で公刊するというのが、著者との了解であったが、今回は改訂時のままの形で収録する事とした。以下は、改訂時の凡例である。
1、改行・句読点の整理、「 」の欠落、及びごくわずかだがまったく技術的校正に属するものは、特にことわらなかった。
2、後から補った言葉は〔 〕、註は〔註 〕で示されている。
3、小見出しをつけて全体の構造をわかりやすくした。
4、Uの〈要項〉中の第三図と先進国同時革命の項は「i 世界革命の前期」と「A 世界革命の後期」の間にあったものだが、要項を一見してつかみやすいように、後ろに移した。
5、Tの(13)の「第二図の第一の円環は……(また、」が、最初のガリ切りされた文章では、草稿の紙片断片を清書に移す過程で順序がいれかわって、文節冒頭の「封建勢力に対抗して……自己を階級へと形成する過程が」の次に入ってしまい、また(の記号が抜けた結果、文脈をたどりにくいままにになっていた。今回復元した(本書八六頁)。
6、第一図、第二図、第三図を若干改めた。もとのものを次に記しておく。
本書では、6項の元図及び目次については省略した。