現代ファシズムとプロレタリア革命
檜垣岳人 1988年9月
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「それ(帝政)は、ブルジョアジーが国民を統括する能力をすでに失っており、そして労働者階級がまだそれを獲得していないような時期における、ただ一つ可能な政府形態であった」。(マルクス『フランスにおける内乱』)
現在、反ファシズム闘争の大衆的で革命的な構築が、重要かつ焦眉の課題となってきている。
なぜなら一方では、第一次オイルショツク="世界恐慌"とそれ以降の"構造不況"下の世界資本主義を襲った「ブラックマンデー」に象徴される経済過程があり、他方では戦争と内乱が日常化している階級情勢は、まさに30年代的危機とファシズムの問題をあらたに今日的なものとしてわれわれに追っているからである。米ソ「ニューデタント」(と「中ソ和解」)は、「地域紛争」を沈静させつつあるかにみえるが、それは一時的で外面的なものにすぎず、戦後世界資本主義―戦後世界体制の崩壊的危機はいっそう均質化しつつ深まり、階級情勢の展開は戦争(内乱)とファシズムの危機を醸成しつつあるのである。
そもそも「二ューデタント」は、米帝にとっては、対ソ強硬政策の「成果」を前提にしたうえで、「紛争」のプロレタリア革命としての展開を絞殺することを第一義的目的にしたものである。さらに、双子の赤字と膨大な債務のなかで、軍事費の減少によって包括貿易法案(保護貿易主義)と米加自由貿易圏形成(「ブロック化」)によって帝国主義間経済争闘戦を有利にしつつ息つぎをはかろうとするものである。ソ連スターリニストにとっては、帝国主義諸国に対しては無論のこと、「後進」諸国に対しても、「一国社会主義」防衛路線を強化しつつ革命運動の幕引き、制動・否定(プロレタリア革命の絞殺)を一層進め、平和共存のもとで、帝国主義への屈服と協商を条件とした経済的政治的たてなおし(ペレストロイカ)を促進しようとするものにほかならない。
時代は、依然として反プロレタリア的「デタント」を突破し、(反革命)戦争とファシズムヘの突撃を蜂起・内乱に転化しソヴイェト(プロ独)を樹立していくこと、スターリン主義の打倒・止揚を含むプロレタリア世界革命かファシズムアかを問うているのである。しかし、プロレタリア革命の戦略的核心をファシズムかコミューンかとして把むか否かは、現代世界―現代資本主義(帝国主義)の経済的危機の発現と、それを基礎とし、かつ相互関係にある政治的危機の(したがってまたそれからの延命の)究極的構造と形態をいかにとらえるかに関わっており、それ自体論点をなしているのであって、現代ファシズム論の整理は同時にこの点について論証することにならざるをえないのである。
現在ファシズム論の整理が緊要とされている理由は、第一に、日本のみならず、米欧、全世界において「上からの」ファシズムとともに、ファシズム大衆運動が、労働者階級・人民に対する血のテロルをともなって展開されつつあり、直接的にも実践的課題となってきていることによっている。第二に、現代革命にとって、ファシズムの解明が決定的とされながら、しかしこれ程理論的に"くせ"があり、不鮮明なものも例がないということによっている。
第一については、戦後の国際的・国内的体制がその全徴候において破局に向かっているなかで、全世界ブルジョアジーがプロレタリア革命の阻止の一点で経済的に弥縫しつつ、反革命戦争の準備、および部分的着手と議会制ブルジョア独裁下における一方での闘いに対する段階を画した圧殺と他方での執行権力の自立化を軸としたファシズムヘの転換を意識的に推進しつつあること。そして同時に同じ経済的社会的諸関係の改編につき動かされて、都市においてファシズムの突撃隊がテロに走り、胎動してきていることである。
このことはまた、それらのこれまでとは区別された攻撃への屈服をうみ出し、既成政党、特に社民の決定的な体制内化と反プロレタリア的敵対の強化とその基礎をなすとともに相互に規定し合う関係にある。労働戦線の帝国主義的反革命的再編・「統一およびそれを回転軸としたあらゆる戦線の帝国主義的=右翼的再編が、雪崩をうって進んでいる。帝国主義の経済的危機と争闘戦の激化にともなった、世界市場―国際分業の再編を背景として、産業構造の再編と直接的生産過程における技術革新および労働秩序の再編を今日的内容とした、大量の首切り、配転=労働力市場の劇的再編(外国人労働者の急増、下層労働力としての構造的固定化をもテコとした)を含めた産業合理化が社会の基底において進んでいる。
政治過程的には、ブルジョア反革命(と「上から」のファシズムの推進)が制度的改編とともに、解放派(革命党)を重心とした一切の闘いと組織の根絶が系統的に進められ、帝国主義社民、帝国主義労働運動の敵対と産報化、社民左派とスターリニズムの制動が深まるなかで、新たな小ブル「左翼」反革命=革マルの白色テロとならんで、民間ファシストによるテロルが続発し、いまや階級情勢は先端において内乱的様相を強めつつ決戦に向かってしだいに煮つまりつつあるのである。
このような局面にあって、われわれは、天皇Xデー攻撃との闘いをはじめとした反ファッショ闘争を構築し、山谷における日雇労働運動をめぐった暴力団=右翼ファシストによる銃剣によるテロル(佐藤・山岡氏虐殺)・そしてわが解放派と戦闘的共同戦線に対する爆殺テロル(未遂)、さらには朝日新聞へのプロレタリア革命を真の敵とした襲撃等々に対して必ず同水準の報復を貫徹し、かつ反ファッショ共同戦線の形成とファシズムの基礎および尖兵の解体を実現しなければならない。したがって何よりも、ファシズム論=ファシズム批判は実戦的に不可欠になっているということなのである。
第二の点については以下のとおりである。
@ ファシズムについて、予めはっきりさせておくべき点である。これは、ファシズムを歴史的に一過的で例外的な過去のものとするのか、それとも資本主義ないし、帝国主義の政治過程に本質的に内在するものであり、すぐれて現代の課題とするのかどうかである。
そして、このことは、ブルジョア国家の本質の解明および、経済的社会構成―経済過程と相対的独自な政治過程をいかに把むかに関わっている。さらにもう一つは、ファシズムは一般的な政治反動や軍事独裁等々とは区別される事象であって、市民主義者においてはもちろんだが左翼の中でもこれと同一視する傾向がみられることである。A ファシズムの規定を明白にするために、ファシズムをファシズムとさせる指標をたてていくことである。
ファシズム論をめぐる理論的諸課題のなかで、深化しなければならない中心的問題についてである。
ところで、この小論はファシズム論に関する問題の所在がどこにあるかを明らかにする準備ノートという性格にとどまらざるをえない。そして、そのなかでいくつかの問題をめぐっては、現段階という留保を置きながらであるが、私(たち)の見解を要約する試みをしている。本来の目的である30年代の敗北の教訓化と反ファッショ闘争の階級的革命的前進という観点からすれば、絞りあげるべきものは革命戦略上ないしは決戦=蜂起の時点の規定とファシズムの成立(クーデター)についてであり、政治的危機から革命的危機の推転(転化)と「ファッショ化過程」における、反帝・反ファッショ闘争とファシズム大衆運動に対する先制的解体戦のプロレタリア革命の勝利にとっての位置と意義についてであることは疑いえない。
ここで結論を先取りして、ファシズムの規定を指示しておくならば、〈帝国主義段階における(帝国主義戦争と)ロシア革命による公然たる世界革命の開始を歴史的条件にして、ブルジョアジーは、プロレタリアート人民を統括する能力をすでに失ったが、プロレタリアートがまだそれを獲得していない時期において、(都市)小ブルジョアジーと中間層を政治的実践的中軸とした、全有産階級が、ブルジョア(的)社会(構成体)をプロレタリア革命から防衛するための、窮極的な唯一可能な国家権力の形態〉といってよいであろう。
こうして、われわれの結論は、30年代コミンテルンースターリン主義と社民指導下のプロレタリアートがファシズムによって血の海に沈められたことを見据え、本格化しつつあるプロレタリア権力闘争と反革命革マル解体戦と統一し、三里塚二期決戦と固く結合し、天皇Xデー―対国粋会報復戦闘を貫き、広大な反帝反ファッショ共同戦線―プロレタリア統一戦線を構築していくことでなければならないだろう。
(1)ファシズムの指標と規定
われわれ解放派は周知のように、出発点以来、現代革命におけるファシズムの戦略的位置を提起してきており、他のいかなる諸党派に比べても、ファシズム運動への注意を呼びかけ対ファシスト戦を推進せんとしてきた。しかし、時代がまさにファシストとの血みどろの死闘を問いつつあるとき、決定的に不十分な経過をたどってきた。そして、相互に関連し合うものとして、理論面においても、マルクスのボナパルティズム論に依拠するのみに甘んじ、深化する作業を著しく怠ってきたといわざるをえない。
この点を踏まえて、以下の順序で述べていく。
最初に、ファシズム論をめぐって、主要に整理すべき点を論者の引用によって示し、次に、ファシズム論に関する諸課題およびファシズムの指標を列挙する。つづいて現代ファシズム論の核心をなしている、ファシズム論とボナパルティズムの共通性(本質的同一性)と相違点について提起することとする。そしてつぎに、マルクスのボナパルティズム論の総括、コミンテルン・スターリン主義への批判、さらにトロツキー等ボナパルティズムとの関係でファシズム論を立論する部分の評価をおこない、課題と任務の提起につないでいくものとする。
山口定は、『現代ファシズム論の諸潮流』(有斐閣)の「第1章第4節 問題の所在」において「今日のファシズム論は、結局は次の一連の質問に対する考えぬかれた回答を提示しえなければならない」という。すなわち「@ファシズムは世界史的にみてすでに過去の歴史(たとえばノルテのいうような「ファシズムの時代」=第一次大戦と第二次大戦の間の時期)に属するものなのかどうか A第二次大戦後においても、なおファシズムの可能性がのこされているとすれば、それはいわゆる高度資本主義国家においてなのか、発達途上国においてなのか Bそのそれぞれにおいて、可能なファシズムの新たな形態はどのようなものとして予想されるのか」としている。
この設問に対するわれわれの見解は、@については既述しており、Aについては両方においてということであり、Bについては洞察していかなければならない課題であるということに一応なるが、それぞれなお「考えぬか」なければならないことにかわリはない。
つぎにファシズム論に関する諸課題についてである。
@現代革命戦略(戦術)とファシズム
Aファシズムの社会的階級的基礎
Bファシズムの政治的法的制度と経済・社会政策の特質
Cファシズムのイデオロギー的特徴
Dファシズム(大衆)運動の戦術・組織の特徴
Eボナパルティズム(論)とファシズム(論)の共通性と相違点
Fファシズムと戦争
G社会ファシズム論批判
H反ファシズムの闘争・組織方針(反ファシズム共同戦線とプロレタリア統一戦線)
I諸潮流(コミンテルン・スターリン主義・トロツキー・タールハイマー、社民、新左翼諸派等)のファシズム論批判
つづいて、ファシズムの指標である。
(1) 社会的階級的基礎は、都市中間層・小経営者(商店主等小資本家、医者・技術者等諸テクノクラート等)と分割(地)所有農民、およびそれらに「癒着」したプロレタリアートの最下層を軸としていること。
この場合、それはファシズム大衆運動(の時期)において顕著であり、権力掌握後はよりいっそう社会的階級的基礎を拡大し、資本家階級(就中金融資本家)や地主階級も支持基盤を構成していく。
【この領域をめぐる混乱は、政府・国家権力と国家の区別性、したがってまた国家と経済的構成―生産様式との関係について把みきれていないことを中心にしているのだが、後に述べることとする】(2) ファシズム権力の成立構造が、一つの「飛躍」(クーデター等)を持っていること。
(3) ファシズムが発生する階級闘争の情況が「ブルジョアジーが、国民を統治する能力をすでに失っており、そして労働者階級がまだそれを獲得していない」ということ。
(4) 都市(没落)中間層や農民による、またはその利害を政治的に表現した党や政洽的グループによる民間の大衆運動の存在。官僚機構(軍隊)内部における政治的運動も特殊性を踏まえたうえで指標としてもいいだろう。
(5) 政府・国家権力の形態として、執行権力の肥大化、および権力機構に準じた独裁党(者)の「私的権力機構」の併存、そして、テロリズム的であること。
(6) 国家権力による経済過程への介入=統制経済。ただし、資本(家)の賃労働(者)への支配と搾取の関係("経済的社会的権力")いいかえれば資本主義的生産様式(=所有関係)そのものには手をつけえないものであり、このことが「反財閥」や「革新」や「社会主義」などと標榜しようとも、実はプロレタリア革命に対抗した革命とは対極の反革命にほかならず、単に結果的にではなく本質的にブルジョア社会を、したがってまた、帝国主義段階の支配的資本たる金融資本をはじめとした膨大な小ブルジョアや中間層を含めた全有産階級を最後的に防衛することになるのである。
この点に関連するものとして、ニューディール政策や、一般的な国家の経済過程への介入(「国独資」)との相違点の整理の問題や、社民政権の本質的性格の解明にとっても共通する問題などがある。(7) プロレタリア階級闘争を根絶する内乱・内戦の目的意識的推進、および国内階級矛盾の国民(民族)間矛盾への転化としての帝国主義間戦争ないし「体制」間=反革命戦争ないし侵略(と反革命)戦争の準備(と権力掌握後の実行)。
(8) イデオロギーの特徴として階級対立を規定とした諸利害=諸イデオロギー(価値観等)の対立を縫合した超階級的外観をとった統合理念をも、階級闘争の根絶とプロレタリア革命の圧殺を本質的な目的とする。たとえば、極限的な民族(国民)主義・国家主義(ナショナリズム)、個別利害に対する「全体」的利害(公共性・全体・「国家資本」)の優越、家族主義、伝統等々これらと裏返しで不離一体の排外主義や差別主義、反階級闘争=反共産主義。なお「疑似革命」性(・イデオロギー)といわれる点については正確には、"似而非革新"というべきである。
ところで、ファシズムの指標について、ファシズムを心理状況として把む立場から、@戦争態勢における資源問題の優越 A生産過程における労働に対する技術の優越 B資本に対する経営機能の自立化 C「私」的原理に対する「公」的イデオロギーの優越 D個別資本に対する国家資本の優越(『日本のファシズム』有斐閣選書)を掲げているものがある。そこにおいては、ファシズムの実態を「歴史学的アプローチと社会科学的構造的分析の接点においてのみ把握」できるとし、ディミトロフテーゼにおける「単純なイデオロギー史観」も、反面としての「個々の現象や出来事がある体制の構造や法則」の解明にはならぬ「事実関係の実証分析」のみの「歴史的実証主義」(のファシズム否認論)も排すという方法が提起され、「いきなり本質規定からでなく形成過程からのアプローチ」をするとされる。そして「この相互に関連しあう5つの系列の展開過程」としての指標の「それぞれの形成過程は、必ずしもファシズムに固有とはいえぬにしても、重層的に連関し構造的特質を形づくり、こうして単なる軍国主義概念に包摂しきれるものではなく、古典的な帝国主義概念をも逸脱し、まして半封建的な絶対主義体制などではなく、その独自性が解明されよ」うといっている。
しかし、この5点は、それぞれがファシズムに関わる諸現象としては考案されるべきであり、とくに、直接的生産過程における労働に対する技術の優越を産業合理化との関連で展開しようとする点などは注目すべきかにみえるのだが、そもそも本質的な規定にとって指標とはいえない。それは、ファシズム運動の指標としても、ファシズム体制の指標としても、CとD(検討の要)が一応関係しているのみで、政治運動であり政治体制であるファシズムの規定としてはまったくピントがずれているのである。その根拠は、「ファシズム体制といっても、一枚岩的な完結したものとみなせない。むしろそれは体制内部での諸勢力の対立抗争を基本的性格」としており、「無限に未完の体系、完結した目的をもたない無窮動の過程」であり、本質は「内部的自己崩壊過程」であり、ここに「ニヒリスティックな性格(この点で議会主義体制とは区別)」が示され、同時にそれは「ファシズムと戦争の必然的関連」であるとするような、結局は心理的(イデオロギー主義的)なものに本質を認め、資本主義的社会構成体(帝国主義体制)における内在的本質であること、およびその窮極的支配形態であることを否定するところにあるといえる。このことはつぎのような論述に典型的にみることができる。
ファシズムは「帝国主義の一形態(であること)に疑問の余地はな」いが、「資源問題は必ずしも資本の論理に還元しつくせないものをもち、従来の帝国主義論はファシズムの志向や論理を全面的に説明するものとなっていな」い。資源問題の「窮極」であり、大衆に対する侵略の正当化をなしている「食料問題は資本の論理を逸脱する典型的な例」で、それは「物的財と同時に心的財」であり、「生活の論理」である。そして「食料危機とは政治的社会的には現実の飢餓状態ではなく、むしろそれを予測し、予感する不安感、恐怖心が現わ」れ、人間はそれへの「不安の心理のもと個人的にも集団的にもエゴイズムの塊りとなり、いかなる暴力・残虐もうけいれる。ファシズム体制こそ、それであり、この体制の行動が資本の論理に還元しきれないのもこの点にあ」るというような主張である。
心理の問題は、諸個人が、特定の歴史的な生産様式に基づく社会構成体における、その一結節としてそれに規定され、特定の階級・性・社会性をもち、生活=行動していること、このような自然的社会的(経済的・政治的)条件のもとでの存在=活動の意識化されたものとしての意識とその一形態としての心理としてとらえようとする限り、つまり、自然的社会的(階級的)実践的問題を。"心理"的側面にひきよせ、一面化し、還元し、すりかえていくのでないのなら、問題の解明にとって阻害にならないばかりか必要なことである。しかし、資本の論理と生活の論理や心理を対置し対立させるのは本質的に誤っており、資本(主義)の美化にほかならない。
なぜなら資本は、諸階級・諸個人の生活を資本の論理によって形成=再生産しているのであり、また、資本主義における支配・隷属関係そのものの属性として(革命的危機の切迫や到来に際して顕在化するのだが)テロルや戦争=国家的テロルにみられる残虐性なども発生するのであり、まさにファシズムもその一姿態なのだからである。
(2) ボナパルティズムとファシズム
ここで、現代ファシズム論の確立にとって核心的な問題の一つである、ボナパルティズムとファシズムとの共通性と相違点について、あらかじめ述べていこう。
その場合の視点は、プロレタリア解放闘争の本質的構造が何かということ、そしてまた両者の相違点とはこの本質的構造の歴史的段階的相違としての相違であるということにある。
このことについて、先にあげた山口の論文のなかで「『ボナパルティズム論』をファシズム研究に導入することの意義を、タールハイマー、バウアー、トロツキーに即して検討する」観点からは、重要な問題は、「一つは、『ボナパルティズム論』の視角とは具体的には何を指すのか」、もう一つは「『ボナパルティズム』のアナロジーはファシズム研究においてどれはどの射程を有するのか、もしくはファシズムとボナパルティズムはどのように異なるのか」としたうえで、「『ボナパルティズム』論の視角は、ファシズム研究にとって極めて有効でありうるが、ファシズムはその視角からは部分的にしか解明しえないのであ」ると、結論している。
そのなかで、彼は、前者については、(1)「階級均衡」という成立期の状況に着目するもの (2)「執行権力の自立化」に着目するもの (3)「上からの革命」としての側面に着目するもの、という三つの視角が入り乱れて存在する状況は、実は、ファシズム論というよりは、「ボナパルティズム」論そのものの側における問題をはらんだ状況の反映としての側面をもつとしている。
(1)については、「『例外国家論』とともに洗い流されるべきものではなく、状況論、危機論とさらに展開されるべき」だが、「基本的諸階級」の「対抗」(「拮抗」)関係の指摘だけに集中し、「外見的第三者」たる「執行権力」を支える特殊な社会的基礎(ボナパルティズムにおける分割地農民とファシズムにおける都市中間層)の分析を軽視すれば、「有効性を、ふたたび殺してしまう」とする。
(2)については、「最も内容のあ」るタールハイマーが「自立化」の意味として @支配階級との関係での執行権力の自立性 A立法府もしくは議会による拘束からの執行権力の解放 B「階級脱落分子」を吸収しての「執行権力の装置の途方もない膨張」をあげていることに即しながら、「ボナパルティズム」論の視角を導入する意味が、この三つの視角を導入するということであれば、それは(1)の一定の修正をすればきわめて有益だとする。
(3)については、ファシズムの果たしたいわゆる「近代化効果」を一面的に、過度に強調することによって、結局はファシズムとボナパルティズムとを安易に同一視し、さらにはこれらすべてを一括して「近代化独裁」と規定するところまでいきかねないという大きな問題が生じるとし、ファシズムについては絶対に不可能と批判している。
後者については、彼は、すでにタールハイマーが「資本主義の一般的性格の変化に由来する相違」として、@「自由競争の資本主義」を背景にしたナポレオン三世と「現代的な意味での帝国主義に起因する対外政策」を展開するムッソリーニの相違 A「国家権力の組織的基礎と手段における相違(「フランスの労働者階級の小さな革命的秘密組織に対応するルイ・ナポレオンの12月党」と「ソヴィエト・ロシアの共産党に対する反革命的対応物としてのファシスト党」の相違)をいっており、それだけでもそれなりに明確だが、タールハイマーに対して「ファシズムをボナパルティズムの特別の形態」としていたという誤解が広範にあり、わが国でも「発生史的にとらえていくばあ」い「ファシズムには、一般的危機の段階におけるボナパルティズムと規定されうる歴史的性格が見出され」るから、相違についてもあらためて整理される必要があるという。
そして、その際第一に、「ボナパルティズムが正規軍と警察を支柱にする個人独裁という形態をとるものであったのに対して、ファシズムは通常、独特の大衆運動を支柱とする個人独裁の形態をとることであ」るとし、トロツキーが「ボナパルティズム」を「軍事的警察的独裁」ととらえていることを援用している。そしてそれに続く「ただし書き」のなかで「『軍部独裁』は、それが、諸階級がその相互の対立によって消耗しつくしている情況において成立し、『社会的デマゴギー』をともない、圧倒的声望をもつ個人を中心とした軍部独裁であるときはボナパルティズムであり、そのうえさらに基礎になる軍隊自体が"大衆軍隊"として非合理的大衆運動に代位するような社会学的構造をもっている場合―敗戦前の日本―にはファシズムであるといってよい。また、諸階級の政治的成熟が充分でない状態で、外からの刺激によって、その社会のエリートの集団としての軍部が『近代化』の推進に乗り出す時には、『近代化独裁』の一形態といってよい」とし、また、「12月党(『12月10日会』)はファシズムがボナパルティズムに似ている例でなくて、ボナパルティズムがファシズムに似ている例としてとらえられるべき」ともいうのである。
つぎに第二の問題として、ボナパルティズムの社会的基礎が小農(分割地農民)であったのに対して、ファシズムは都市と農村の中間層が中心だったという表現もできるが、それだけでは決定的に不十分であって、分割地農民に関するマルクスの「どんな共同関係も、全国的結合も、政治組織を生み出さない限りにおいては真の階級を構成しているとはいえない」という記述とと、グラムシの「ファシズムの特徴的事実は、小ブルジョアジー大衆組織の設立に成功したことにある」という展開とを比較しつつ、ボナパルティズムの場合には、「バラバラのままでの分割地農民が必ずしも能動的ではない形をとって独裁者と直接に結合」したのであって、その点が都市小市民であれ、農村のそれであれ、通常大衆運動の運動体を媒介にして能動的な形で独裁者に結合したファシズムと―両者とも同じ「人民投票による独裁」といっても―きわめて「重大な相違」を生み出すことだとする。
第三(最後)の問題は、グラムシが(編註「言う」?)、現代の「カエサル主義」としてのファシズムとナポレオンー世、三世、ビスマルクの時代の『カエサル主義』との相違に示唆的なもの、すなわち「いずれにせよ、ファシズムは、ボナパルティズムの時代には見られない資本と労働の決定的対立を前提にした独裁だったのであり、。そのようなものとして、その暴力性、残忍性はボナパルティズムよりもはるかに徹底したもの、しかも体系的なもの」ではないかというものである。
だが、山口のファシズム論は、したがってまた、ボナパルティズム論(とそれの区別)は、都市(農村)中間層の「組織化」された非合理的大衆運動(の有無)を基軸としたものであって、それ以外の点は、あらゆる領域についてふれながらも、結局、本質的規定はしえない論理構造になっている。このことは、たとえば「12月党」の評価に際してボナパルティズムがファシズムに似ているというべきだとする点や、「資本と労働の対立」が決定的だったかどうかとする点や、第二の点に関連した「暴力性、残忍性」が「徹底したもの」かどうかとする点などに一見して明らかである。その理由は、ファシズム(一般的には社会的政治的諸事象)を社会的=階級的本質を規定すること自体について、おそらく丸山流の「基底体制還元主義」批判という基底的本質的把握の放棄と実質的否定という思想の影響によって、まさにそれが論点となるべき"マルクス主義"の主張を一般的に承認する外観をとりつつそれだけでは不十分だとして問わないことが第一である。第二は、それはファシズムにとって重要なメルクマールをなすものであるが、「大衆運動」について階級的視点が希薄で階級闘争の本質的構造においてとらえられず、したがってその歴史的な推転―歴史的な階級闘争と階級形成を資本主義の段階的発展とブルジョア国家の階級的性格を踏まえてとらえることができていないことである。もちろん、第一、第二の問題の根本に、経済学批判、ならびにブルジョア国家の批判の内容があるが、ここでそれをあげることはあまり意味がないだろう。
われわれが、ファシズム論を解明し、そのために歴史的=比較的にボナパルティズム論の整理および、前者との共通性と区別性を整理する意味は、プロレタリア革命の勝利のために、ファシズム権力とファシズム大衆運動の政治性格を明らかにすることによって、それに対する闘いと組織(団結)の方針を打ち立てることにあり、単に両者の共通性、ないしは本質的同一性や、相違点についてあげつらうことにはないということは予めはっきりさせておく必要がある。
マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』および『フランスにおける内乱』において、国家権力ないしは「政府形態」の形態転化に関して、プロレタリアートないしは「生産者大衆」の闘争(の「脅威」)との関係を基軸にして、ブルジョア革命による「議会制共和制」の樹立、そして、それから「横領者階級の相争う諸分派、諸徒党の連合体であり、公然たる階級的テロリズム」である「ルイ・ナポレオンを大統領とする議会制共和制」に移行し、つづいてその「生産者大衆に対するたえまない十字軍戦役の中」で「『秩序党』共和制の本来の生みの子」である「第二帝政」に転化した階級闘争の展開構造を描いている。これは、自由主義段階におけるものであることを踏まえたうえで、ブルジョア社会における階級闘争の展開と権力形態―支配形態に関する本質的構造(論理)として把え返しうるものとして考えられる。
こうして、つづいて、「第二帝政」つまりボナパルティズムを規定してマルクスは、実際にはそれは「ブルジョアジーが国民を統合する能力をすでに失っており、そして労働者階級がまだそれを獲得していないような時期におけるただ一つ可能な政府形態」であり、「成熟しきったブルジョア社会がついに資本による労働の奴隷化の手段に転化したあの国家権力の最も醜悪な同時に終局の形態」と言っているのである。
このマルクスのボナパルティズムに対する規定は、ファシズムの概念規定にあたっても本質的に適用しうるのである。しかし、両者がすべての構成要素に関してまったく同一でないのは以下の理由によって当然なのである。
つまり両者は、資本主義の全体としての発展段階の相違(さらにそれに強弱の差はあれ規定されたそれぞれの社会や、資本主義諸国の発展段階と位置の相違)、ならびに階級闘争の歴史的展開の相違、とくに公然たるプロレタリア(世界)革命の開始=ロシア革命の以前と以後の相違によるものである。
資本制社会における階級支配の特殊な構造の誤った把握が根本にあったうえで、この二点の相違のさまざまな態様の現象主義的実証主義的列挙をもって、ファシズムとボナパルティズムは本質的に異なるとするのは誤りであるといわねばならない。
以下まず、ブルジョア社会における階級闘争の論理の解明、第二に「ブルジョア社会」=全有産階級のプロレタリア革命から自らを防衛するための最も抑圧的な究極的な支配形態としてのボナパルティズム=ファシズムについて、第三にボナパルティズムとファシズムの相違について順次述べていく。
最初の点であるが、この解明のためには、資本制社会とその国家ないしは資本制社会における支配・隷属関係(階級支配)の存立構造(在り方)を把むことからはじめなけれぱならない。資本制社会構成体は、世界商業―世界市場の形成を背景にした国民市場の成立を前提的条件として、労働力の商品化をメルクマールにし、剰余労働の搾取を規定的目的とした直接的生産過程と流通過程との統一としての生産、再生産過程(―経済的構成)とその姿態としての政治的国家とによって成立している。したがって、それは、資本(所有者)による賃金労働(者)への経済的支配・隷属関係とその共同体的統括としての政治的支配・隷属関係を階級的本質としているが、その際、流通過程における貨幣と労働力との商品としての交換における。"等価"、つまり平等の外観を根拠に、政治的にも形式的平等によってこの有産階級による無産(労働者)階級に対する支配と搾取をおおい、共同体幻想を構造化するとともに、(資本制)経済的構成(「市民社会」)と(資本制)国家の分離(正確には分離における統一)を有している。こうして、経済的(社会的)支配=権力と政治的支配=権力は形式上分離し、経済的支配階級=ブルジョアジーが同時に直接的に政治的国家の機能的担い手であるとは限らなくなっている。
さらに、このような成立構造をもつ政治的権力は、その典型においては立法(議会)、行政(政府)、司法(裁判所)に分立するとされているが、それらは、諸階級諸階層の利害を代表する(公認)政党が選挙で争った結果議席数を決定する議会を最高権力機関とし、その議会における多数党(ないし連立)によって内閣―政府が組織され、行政執行を指揮し、その行政執行の法律上の可否を判定するものとして裁判所が設置されるという相互関係になっている。
ところで、本稿の課題であるファシズム論に関連してみた場合、これらのことの意味するものは、第一に今日の国家はどこまでも資本制生産(・領有)様式を基礎にした階級国家=ブルジョア国家であること、このことによって政府(内閣)と国家権力は区別されており、たとえ議会をとおして政府を掌握しても資本家(階級)による賃労働者(階級)への支配と搾取の関係=労働者の経済的社会的隷属には本質的には手をつけることはできず、手をつけようとするや否や国家権力は、その政府と矛盾を生じ対立すること、そしてまたプロレタリアート(プロレタリア革命)にとっては、この本質からして、既成の国家権力は利用することはできず解体しなければならないこと、自らブルジョアジーと小ブルジョアジー(それらの党)から独立し階級へと形成し、かつ党に自己を構成しつつ、革命的利害のもとにすべての労働者人民、諸階級・諸階層を"秩序"づけ、プロレタリア統一戦線を形成することによって蜂起し、コミューン=プロレタリアートの「権力」を樹立しなければならないということを確認しておかなければならない。
第二に、軍隊・警察・監獄・一般行政機構等の官僚的軍事的統治機構は、支配階級のみならず、被支配階級出身者によって担い手を再生産されており、ブルジョア国家に対するイデオロギー上の共同幻想性(疎外された観念的普遍性)とも重なって―とくに「国民軍」たる軍隊においては―一定の条件のもとでは政治的流動性をもっているということである。この場合、はっきりさせておかなければならないのは、一方では、この点から、国家権力を物化し、物神化することによって、何か抗いがたいものにするのは間違いであり、動揺させ打倒し解体することは労働者階級人民の政治的=社会的な団結と闘争の力によって可能であること。だが他方では、支配的な思想は支配階級の思想であって、国家=官吏が依拠し守るべき観念上の普遍性たる国民や民族といっても資本家や小ブル的諸個人の普遍化されたものにほかならない限界をそもそももっていること、および権力機構の担い手(とその家族)は、その政治的支配機能を生活源泉にしており、依然として全体としては決定的限界があることである。
付言すれば、後で述べる根本的な第一の点とも相まって社民やスターリニストや小ブル諸党派が、ブルジョア党やファシスト党に対置して、民主的権力(権力の民主化)論や、国民主義、民族主義(反帝ナショナリズム)を競合しても、ブルジョアジーやファシストに足元をすくわれ、それのみか、民主主義と国民(民族)の名のもとにプロレタリア的階級性とプロレタリア革命党を制動・封殺し、破壊することにしかならないのも以上のことから明らかだろう。
第三に、第一の前提にたったうえで、経済的支配階級も自ら政党に組織し、その利害のもとに他の諸階級・諸階層を秩序付け(「ブルジョア統一戦線」)、政治的に動員して政府につかねばならないこと、これを角度を変えていうならば体制内の小ブルジョア的政党が、ブルジョア政党と連立したり、独自に政府の座を掌握しえることを意味し、ファシズム権力や社民政権の成立の社会的根拠もここにあるということである。
さて、以上をふまえて、ブルジョア社会における階級闘争(革命闘争)の論理、ことにプロレタリアートのそれに論をすすめよう。それはさしあたって
(1)ある歴史的発展段階の、ある循環の、ある局面における論理としては、
@経済闘争(社会革命)と政治闘争(政治革命)との関係における前者を基礎とした後者への発展、および両者の相互媒介的同時的=統一的推進
A政治闘争における個別政策への反対から反政府、反政府から反国家権力へ(反国家権力から権力解体とプロレタリア権力の樹立へ)の発展
Bブルジョアジー(・地主)、都市・農村の小ブルジョア的中間層(独立自営農民・自営業者・独立テクノクラート等)、プロレタリアート(および諸階級内諸階層)の(党)相互の闘争とその展開。この場合、統治している階級=党との闘争は反政府として表現される面と、それに解消してはならない議会―政府の"外"での闘争との合体である。
C @ABと相互規定的な彼我相方の階級形成および党への構成。(2)資本主義の歴史的発展段階の、ある循環における段階的推転の論理〔一循環とは、ある革命的危機―再建から安定期をはさんで、ふたたび動揺・改編=革命期とりわけ革命情勢=決戦期(決着)までを指す〕
(2)' (2)のらせん的展開="くり返し"
(3)資本主義社会から共産主義社会への移行の論理(移行の必然性についての客体的主体的根拠、および政治革命の先行とそれを条件とした経済的革命に関する問題)―の3ないし4点であろう。
(1)(2) (2)'は、いうまでもなく、それぞれの国における資本主義の発展段階(または先行する社会ないしは、その資本主義的に再編された残存性)や、資本主義的国際関係に占める政治的位置(帝国主義国か、植民地・「後進国」か等々)によって、さまざまな変容形態をとっている。
これらの全体について、全面的に展開するのは別稿の課題にするとして、ここでのテーマに直接関わるのは、(2)と(2)'である。
こうした整理をうけて、第二に、ファシズムの規定を明確にするならば、プロレタリア階級闘争の展開とそれに対抗し、その「脅威」から自らを守ろうとするブルジョアジーによる支配形態の転換過程の最後的なものとしてボナパルティズムとファシズムはあるということなのである。
つまり、プロレタリアートがブルジョアジー(の党)とその政府に対し闘い、その敗北(的前進)のなかでより革命化し革命的な階級形成(党への形成)を進め、政治的普遍的に形成された階級と建設されたプロレタリア革命党によるブルジョア国家権力の打倒とコミューン=プロレタリア独裁の樹立にむけて決起することに対して、ブルジョアジーは安定的局面においては議会制ブルジョア独裁(ブルジョアジーの単独支配)で臨む。だが彼らは、プロレタリア革命に対する現実的な恐怖のなかでは「大統領(制)を頭に置いたブルジョア反動」=反革命政府によって、ブルジョア的=階級的テロルをふるい、その過程において「大統領」=執行権力を自立化・肥大化させ、つぎへの道を掃き清めながら、ついには、「まばらな」自分たちは政府から引き経済的(=社会的)権力の維持(とそれをテコとした政治的規制)に甘んじて、膨大な都市や農村の小ブル的中間層とその政治的代表者(党)に政府を預けるほかなくなり、全有産階級=「ブルジョア社会」の最後的な政府形態〔闘うプロレタリアート人民(とその党)をテロリズムによって根絶する〕を登場させることとなるのである。
そして、この政治過程の推転における最後的に唯一可能な―もっとも抑圧的な政府形態(国家権力の形態)が、第二のボナパルティズムであり、ファシズムである。つまり、それは、ブルジョア社会におけるブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争を基軸とした政治過程の推転の必然的産物であり、もはやブルジョアジーが、単独では統治することができなくなり、議会制形態や議会制形態に執行権力の自立化と大統領制(首相の大統領化)を加えたブルジョア的テロリズム=ブルジョア反革命によってもプロレタリア革命(運動と組織―党)を圧殺しえなくなったとき、没落中間層の利害を代表した政治勢力(=党)を中軸に、クーデター的手段によって、すべての大衆闘争と闘う組織へのテロルによって、全有産階級とブルジョア社会を防衛せんとするものである。
また、その属性として、通常、自立化・肥大化した執行権力=権力形態の人格化としての独裁者を有し、小ブルジョア的中間層とその利害(の超階級的普遍性=民族的国民的共通利害への擬制)のもとに秩序付けられた大ブルや小ブルはもちろん、プロの上層や最下層(失業者等)とによる政治的大衆運動をともない、国民経済の行きづまりを内外のプロレタリア革命=共産主義と他国に対する階級間戦争=反革命戦争(その国家間形態としての「体制」間戦争)と侵略戦争によって打開しようとするものをもっているといえるのである。
つぎに、第三のボナパルティズムとファシズムの両者の相違について述べていこう。
すなわち、両者は、第一、第二で明らかなように本質的に同一性をもっているといってよいが、同時に相違点をもっている。しかし、その相違は、両者が本質的基本的に別の問題であるというようなものではない。
(1) その相違とは、産業資本主義段階と金融資本主義段階(帝国主義段階)の相違によるものである。それは、資本の蓄積様式の変化と、農村・農業の位置の相違、産業構成―階級形成(人口構成)の変化、技術革新―産業合理化による労働下士官とテクノクラートの大量の産出等によって、ボナパルティズムは農村の分割地農民を基盤とし、「12月10日会」を有してはいたが大衆運動は量的にも質的にも限られていたのに比して、ファシズムは日本の天皇制ファシズムのような特殊性を含めて、程度の差はあれ、史上初の世界大戦が、長期かつ総力戦として展開され、特に敗戦国においては退役軍人の不安定な生活状況も相まって、国民的規模での軍事的政治的動員という基盤のうえに、膨大な都市中間層の中の没落部分や失業者最下層のプロレタリアート人民が一定程度大衆的に運動し、やがては官僚や軍隊内部のテクノクラートも参加していくということになったことである。
(2) さらにむしろ、この点が重要なのだがそれぞれの歴史的段階における(1)にも規定された階級闘争と、ブルジョアジーや小ブルジョアジー、小ブル的中間層やプロレダリアートのそれぞれの階級形成―あるいは党への構成における相違である。
すなわち、プロレタリア階級闘争―共産主義革命運動の"敗北的前進"と、逆にいえぱ支配階級=有産階級や中間層の反プ口レタリア的反共産主義的強化・深化が進み、それはパリコミューンを経、決定的には1917年のロシア革命の勝利によって、全世界ブルジョアジーのプロレタリア革命に対する反革命協調は決定的に進み、小ブルジョア的な中間層の反プロレタリア革命―反共産主義は、資本主義の危機に直撃されるなかで、大衆性をもち行動的に尖鋭化するのである。また、ファシズムの場合、議会制民主主義の一面での発展によって、クーデター的テロル的非合法的形態とともに、議会進出をも促進条件としてきている点も注目しておかねばならない。
そして、(1)の資本主義の歴史的展開と(2)のプロレタリア階級闘争の歴史的展開は、相互に規定し合っている。そのことは、反ソ=反共を政治的な核心的動機とし、世界資本主義の恐慌下の自国経済のいきづまりの突破をかけた帝国主義の相互関係の改編を経済的動機とした第二次大戦と、戦後中国・東欧・朝鮮等における戦後革命をくぐり、植民地―民族解放運動の全世界的展開によっていっそう進んだのである。そのなかで、世界ブルジョアジーは国際反革命階級同盟を形成し、国際的経済協調(管理通貨制、IMF・GATT体制等)と国家の経済過程への系統的な介入政策の制度化(「国家独占資本主義」)によって、いよいよ全世界のプロレタリア革命運動とその疎外された転化形態としてのスターリン主義圏(ソ連)に対する反革命的内戦と反革命戦争を目的意識的に準備してきている。
われわれは、ファシズムもまた過去のことであるどころか、新旧のファシストのみならず、帝国主義ブルジョアジー自体が、ブルジョア反革命のための体制的改編とともに二重に「上からのファッショ化」を準備しつつあることを直視し、現下のブルジョア的反革命的攻勢に対決するとともに、この「上から」と「下から」のファシズムの全要素・全攻勢に対し目的意識的に対決し、ファシスト大衆運動に対しては、ブルジョアジー=「ブルジョア社会」から最後の切り札を奪い去る意義をもつものとして、先制的に解体していかなければならない。
さて、ボナパルティズムとファシズムの相違について、このような意味での相違ではなく、基本的に区別する見解について、いくつかの点だけ、簡略に批判しておくことにしよう。
(1) 「最後的」形態か否か、または歴史的経過からも最後的なものでなかったのではないかという設問については、第一の点の(2)にあるように、革命運動の一循環の本質的論理としてつかむということが理解できないことによって発せられているにすぎない。したがったまた、(2)'という(2)のらせん的展開の構造も理解できず、「国独資」等より高度な資本主義においては通用しないとするか、今後のことは不可知とすることになっているにすぎない。
(2) トロツキーが、「ボナパルティズム」を「議会制民主主義からファシズム体制への移行期」とし、「相拮抗する二つの陣営」の「内乱の回避」を強要する体制とし、他方、ファシズムは「プロレタリア的民主主義の要素を根絶することによって成立する特殊な国家制度」であり、「プロレタリアートの前衛」のみでなく、「すべての独立した、自由な組織を破壊」する「プロレタリアートに対する公然たる内戦の体制」として区別している点である。
これは、両者を段階化し、ブルジョア反革命の政府とボナパルティズムを区別しえないものであり、、その結果、ヒットラーまでの三つの内閣をボナパルティズムと規定したり、「ファシズムに由来するボナパルティズム」という苦し紛れの珍論を生むことになるのである。
ディミトロフテーゼは、「権力を握ったファシズムは、金融資本の最も反動的な最も排外主義的な最も帝国主義的な分子による公然たるテロリズム独裁」とし、「小ブルジョアの政治的動員」や「反動的な社会的デマゴギー」の意味に着目し「社会ファシズム」に反対し、マルクスのボナパルティズム論との関係で把握しようとした点で、すぐれているが、結局、ボナパルティズムの本質的把握がなされていないことが致命的となっているといえよう。
まず、マルクスの『ルイーボナパルトのブリュメール18日』および『フランスの内乱』において、ボナパルティズム論に関係しているところを引用することからはじめよう。
というのは、Uでの展開は、このマルクスの整理を参考にしているし、そもそも、マルクスの展開の吟味からはじめるべきだと考えるからである。
そして、コミンテルン以下諸組織の批判については別論とし、天皇Xデーという日帝のファシズムヘの転化にとっての跳躍台的攻撃が、現に開始しつつあるなかで、革命的反ファシズム闘争の課題と方針について、Wにおいて展開することとする。
『ルイーボナパルトのブリュメール18日』
(1)「議会制共和制は、フランス・ブルジョアジーの2つの分派、正統王朝派とオルレアン派、大土地所有と産業が、平等の権利をもってならんで存在することのできる中立地帯であるにとどまらなかった。それは、彼らの共同の支配のための欠くことのできない条件であり彼らの一般的な階級利害が彼らの各個の分派の要求をも、さらにはかのあらゆる社会階級をも自己に従属させる、ただ一つの国家形態であった。王党派としては、彼らは、彼らのふるい対立に、土地所有か覇権かという闘争に、逆もどりした」
(2)「二代目ボナパルトの治下で、はじめて国家は完全に独立化したようにみえる」
(3)「しかし、それでも国家権力は宙にういているものではない。ボナパルトは一つの階級、しかもフランス社会でいちばん多人数の階級、分割地農民を代表している」
「金モールをいっぱいつけた、栄養のよい、おびただしい数の官僚こそ、二代目ボナパルトにとってなによりも一番性にあった、『ナポレオン的観念』("idees napoleonienne") なのである。ボナパルトは、社会のじっさいの諸階級とならんで、彼の統治を維持しなければ飯の食いあげとなるような人工の種姓(カースト)を、ぜひともつくりださないわけにはいかないのだから、どうしてこれ以外でありえようか?」(4)「いまではもう農民の利益は、ナポレオンの治下でのように、ブルジョアジーの利益と、資本と、調和せずに、それと対立している。だから、農民は、ブルジョア秩序をくつがえすことを任務とする都市プロレタリアートを自分の自然な同盟者かつ指導者とみるのである。だが、強力で無制限な政府は―これが二代目ナポレオンが実行しなければならない第二の『ナポレオン的観念』である」
(5)「もう一つの『ナポレオン的観念』は、統治手段としての坊主の支配形態である。しかし、あたらしくうまれたころの分割地は、社会と調和しており、自然力に左右され、上から保護してくれる公権に服従していたから、おのずと信心ぶかかったが、いまの分割地は、負債で破滅し、社会とも公権とも仲たがいし、それ自身の狭さをこえて追いたてられているので、おのずと不信心になる」
(6)「最後に『ナポレオン的観念』の極致は軍隊の優越である。……『戦争』は彼らの『詩』であり、分割地を空想のなかで延長し完成したものが祖国であり、愛国心は所有観念の理想的形態であった」
「これでわかるように『ナポレオン的観念』とはみな未発達な若々しい分割地の思想であって、老衰した分割地にとっては背理である」
「しかし、フランス国民の大多数を伝統の重圧から解放し、社会に対する国家権力の対立を純粋な形であらわれさすためには、帝政のもじりが必要であった。分割地所有の破滅がすすむにつれて、その上にたてられた国家の建物はくずれおちる」
「ボナパルトは、あらゆる階級に対して家父長的な恩恵者としてあらわれたいと思う。しかし、彼は、ほかの階級からとらないことにはどの階級にも与えることができない」
なお、エングルスは、1859年にマルクスが51年の内容をあらためた点として「ナポレオン主義の力」は「反動」が革命の綱領を執行するところにあるとしている。(『マルクスーエングルス全集』13巻416頁)
『フランスにおける内乱』
「1830年の革命は、政府を地主の手から資本家の手に移すことによって、それを、労働者のより遠い敵の手からより直接の敵の手に移した」
「2月革命の名において国家権力を6月の虐殺のために行使したが、これは、労働者階級に対しては、『社会的』共和制とは労働者階級の社会的隷属を確実にする共和制を意味するのだ、ということを納得させ、またブルジョア、地主階級の大多数をなす王党派にたいしては、統治の苦労とその報酬とをブルジョア『共和派』に安心してまかせてよい、ということを納得させることを目的としていた」
「しかし、6月にただ一度英雄的な功業を果たしたあとでは、ブルジョア共和派は、第一線からしりぞいて、『秩序党』の後尾にひきさがらなければならなかった。―この『秩序党』は、いまや生産者階級に対する敵対を公然と表明するに至った横領者階級の相争う諸分派、諸徒党全部の連合体であった。彼らの株式政府の適切な形態は、ルイーボナパルトを大統領とする議会制共和制であった。彼らの統治は、公然たる階級的テロリズムと『下賤な群衆』にたいする故意の侮辱との統治であった。議会制共和制は、ティエール氏が言ったように、『彼ら』(支配階級のいろいろな分派)『を分裂させることの最も少ないものであった』にしても、この階級と、彼らのまばらな隊列の外部にある社会全体とのあいだの深淵をうがった。以前の諸統治のもとでは、支配階級自身が分裂していたため、国家権力はまだしも抑制されていたが、いまや彼らが連合した結果、そういう抑制は取りのぞかれてしまった。そして、いまや彼らは、プロレタリアートの決起の脅威に直面して、この国家権力を、労働に対する資本の全国的な戦争の機関として、容赦なく、これ見よがしに行使したのである。」
「しかし、生産者大衆にたいするそのたえまない十字軍戦役の中で、彼らは、執行府にたえず増大する抑圧権力をあたえることを余儀なくされただけでなく、同時に、彼ら自身のとりでである議会―国民議会―から、この執行府にたいするあらゆる自衛手段を、つぎつぎに剥ぎとることを余儀なくされた」
「ルイーボナパルトの一身に具現された執行府は、彼らを追いだした。『秩序党』共和制の本来の生みの子こそ、第二帝政であった」
「実際には、それは、ブルジョアジーが国民を統治する能力をすでに失っており、そして労働者階級がまだそれを獲得していないような時期における、ただ一つ可能な政府形態であった」
「それは、社会の救い主として、世界中で喝采された。この帝政の支配のもとで、ブルジョア社会は政治の苦労から解放されて、自分でも予期しなかったほどの発展をとげた」
「国家権力は、外見上は社会のうえに高くそびえていたが、同時に、それ自体、この社会の最大の汚辱であり、社会のあらゆる腐敗の温床であった」
「帝政主義こそは、生まれでようとする中産階級自身が自分自身を封建制度から解放する手段としてつくりあげはじめ、そして、成熟しきったブルジョア社会がついに資本による労働の奴隷化の手段に転化した、あの国家権力の最も醜悪な、同時に終局の形態である」
「帝政の正反対物がコミューンであった」
「コミューンこそは、そういう共和制の現実的な形態であった」
「それは、本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級にたいする生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった」
「生産者の政治的支配と、生産者の社会的奴隷制の永久化とは、両立することはできない。だから、コミューンは、諸階級の、したがってまた階級支配の存在を支えている経済的土台を根こそぎ取りのぞくためのてことならなければならなかった。労働が解放されれば、人はみな労働者となり、生産的労働は階級的属性ではなくなる」
「中産階級……彼らはいまやコミューンか、帝政―それがどういう名前で再現するにせよ―か、そのいずれか一つを選ぶほかないことを、感じていた」
『ルイーボナパルトのブリュメール18日』においてマルクスは、みられるとおり、「ナポレオン主義」について、「議会制共和制」の階級的性格との対比をしながら、いくつかの規定をしている。(1)については「彼ら(「大土地所有と産業」)の一般的な階級利害」が「ほかのあらゆる社会階級をも自己に従属させる(ただ一つの国家形態)」という展開に注目しておくべきである。
「ナポレオン主義」の規定としては、@「国家の(社会からの)独立」の外観をとること→(2)、Aその国家権力の階級的社会的基礎およびその政治的実践部隊→(3)、B「統治手段としての坊主の支配」つまり、国家の執行権力の自立化・肥大化および、非公認の暴力装置と象徴的表現(人格化)である個人の神格化、カリスマ化。C「軍隊の優越」と「戦争」との関係等である。なお、農民が「都市プロレタリアートを自分の自然な同盟者かつ指導者とみ」るとしていることは、反ファシズム闘争の方針に関してボナパルティズム(→ファシズム)の社会的基礎そのものをなす階級(や諸階層)そのものの利害において、プロレタリアートとの連帯の根拠をもっていること、したがって、分割地農民(小農)や、都市中間層との「同盟」=共同戦線を目的意識的に推進していくことの意義を提起したものと把え返しておくべきであろう。
『フランスにおける内乱』では、先に要約しているのであえてくり返さないが、「帝政の正反対物」として「コミューン」が把握されている点について、ファシズムに勝利しうるものが、コミューン(プロレタリアソヴィエト)運動であり、コミューン(としてのソヴィエト)権力以外にありえないといっていると理解しうることだけ付言しておきたい。
本稿執筆中の、9月19日、ヒトラー・ムッソリーニとならぶファシスト・ヒロヒトが、都心の略奪地=「吹上御所」で就寝中、吐血し、重体に陥った。
ついに、Xデー攻撃が、本格的に開始されたのである。
ヒロヒトは、反ソ連=反共産主義(反プロレタリア革命)に照準を定めた15年戦争=第二次大戦において、朝鮮・台湾・中国・アジアー全世界の労働者人民に対して、ナチスのホロコーストを上まわる人体実験、三光作戦、慰安婦の連行をはじめとした残虐のかぎりを尽くした日帝の総責任者である。
レジスタンスによる処刑で決着したムッソリーニ、人民の処断におびえ自殺したヒトラーに比して、この世界史上最凶の人民の殺りく者であり、虚勢をはった臆病者ヒロヒトは、米帝にプロレタリア革命の防止のためには天皇制の存続が必要であると泣訴し、米帝主導の戦後日本革命の圧殺を条件に、ただ一人血塗られた肉体をさらし続けてきた。
われわれは、Xデー攻撃の、直下に急転回しつつある諸事態を座視することなく、戦前天皇制ファシズムヘの闘わずしての敗北と、戦後革命の戦略的誤謬と敗北による天皇制の延命の突破をかけて決起し、天皇制を廃絶しファシズム権力への転化を許さず、日本帝国主義―世界資本主義"体制"を打倒する展望を切り開いていかなければならない。
ここにおいて、同時にわれわれは、コミンテルン、イタリアファシズムの勝利をめぐった短い時期のクララ・ツェトキン等々が、一定の水準をもちながらも、1923年ドイツ「10月革命」敗北の総括のなかでジノヴィエフースターリンによってはじまる「社会ファシズム論」―社民主要打撃論(「ファシズムの一分派」や「ファシズムと社会民主党は双子」等)という誤りに陥り、ナチスの制圧のなかで、こんどは反ファツショ人民戦線へと右ブレしつつ最後的に壊滅させられていったことを、何段にも教訓としておかなければならないのである。
この場合、社会民主党に対するファシズム規定は、ファシズムの把握の誤りと、スターリン主義のセクト主義によっているとともにローザやリープクネヒト虐殺への加担や、1923年ザクセン・チューリングン左翼政府の抑圧への加担、プロイセン社民右派政府による共産党への弾圧をはじめとした決定的時点における反プロレタリア性、反革命性、体制内性が厳存したことにもよることを明確にしておくことは、今日の革命運動に関わる社民の位置の強化からしても忘れられてはならない。
(1) 現代の反ファシズム闘争の実践的課題
ここでは、反ファシズム闘争の実践的課題として、(1)現代のファシズムの特徴 (2)階級決戦(への過程)に占めるファシズムの位置をまずとりあげ、(3)反ファシズムの闘争・組織上の諸課題の要約に入ろう。
(1) 30年代ドイツにおいて、金融資本総体と国防軍がナチス支持にまわったのは、恐慌後の経済的政治的危機のなかで、左右両極の伸張下、ナチスが選挙で後退し、共産党の前進=プロレタリア革命の勝利への危惧をもった時点だった。
現代では、この面は、第二次大戦と戦後革命をくぐり、国際ブルジョアジーもまた反革命階級同盟を形成し、革命の防止を基軸に、政府における政策体系や資本主義による労務管理が、一般的につくられているうえにたって、国際的国内的な危機のくり延べと均質化による一挙的同時爆発にあたって、ブルジョア反革命による圧殺の失敗に備えて、ファシズムヘの転化をよりいっそう、目的意識的に準備していくであろう。否、その危機の爆発に至る過程そのものにおいて、生存条件に発した小ブル中間層と、その政治的代表(党・政治グループ)が、民間において、官僚・軍隊内部において、ファシズム運動を、先端におけるテロルをともなって推進していくことを背景に、議会の無力化と執行権力の自立化・肥大化を、ブルジョア反革命の実現とファシズム権力の準備の二重の目的をもって進め、ファシスト党の隠然たる支持と養成を意識的に進めるということである。
つまり、ファシズムが、都市(農村)没落中間層の利害と行動を軸としたものでありながら、必然的に全有産階級の利害=ブルジョア社会そのものをプロレタリア革命から守る点を、ブルジョアジーも国家官僚も把み、危機の煮つまり過程そのものから、「二つの全体主義」などではまったくなく、共産主義を選別的に敵としていることである。
ファシズム自体も、反独占(「反民族的財閥」)と「革新」性より、反左翼・反共をより直接的に煽動している。そしてそのことを、スターリン主義の党独裁と国家の廃絶の彼岸化、および「一国社会主義」による政治的経済的―文化的限界をもつソ連―スターリン主義圏への敵対をテコに促進しつつあるなかで、闘う側のスターリン主義批判、および共産主義の諸矛盾の止揚力と普遍性で武装することが必要である。さらに、現代帝国主義の戦後的発展において、産業構造の変化にともなう階級構成の変化と階層分化と生産過程での技術的革新が進むなかで、都市における膨大な小ブルや小ブル中間層および職制の比重が高まるなかで、その左右社民による収約を突破する共同戦線の形成と、統一戦線への再編が問われていることに留意しなければならない。このことは、いわゆる「大衆社会状況」論や今日散見されるなしくずしファシズム論と結合した「管理ファシズム」論は、ファシズムをブルジョア的反動の各種形態と区別しえない理論ではあるが、そのように把まれる現実については、「民主主義と理性」の「高度な発展」の現代において30年代以上に深まり、一方では、その裏返しとして非合理主義がうみだされ、ファシズム運動を正当化する「合理的理性的」な官僚やテクノクラートも他方では参加していくことになることをも示しているといえよう。ブルジョア的合理主義と非合理主義はメダルの裏表の関係なのである。
(2) 決戦時は、恐慌等を背景にした経済的社会的危機と階級闘争の煮つまりのなかで、小ブルを秩序づけたブルジョアジーとその政府が統治能力を失うなかで、先制的な軍隊のクーデター、社民的小ブル的中間左派政権の成立(日本のように帝国主義社民政権すら経験していない場合、中間右派政府のケースもあるかもしれないが)と、ファシズム(のクーデターによる)権力の成立等をめぐった時期になろうが、それ以前に戦争に突入している場合も想定しておかねばならない。
前二者の場合、ブルジョア反革命クーデターのケースはそのまま鎮圧して政権を維持しえた場合は別にして、崩壊した場合、中間政府をたどってか、直接にプロレタリア革命とファシズム(とブルジョア反革命の連合)との決戦となろう。中間左派政府成立の場合やはり、そのまま維持することはなく、軍隊のクーデターか、プロレタリア革命勢力(=党)とファシズム勢力(=党)との決戦となるであろう。
いずれにせよ、これらの洞察を可能とするのは、ファシズムは膨大な小ブルを政治的基軸とした全有産階級の最後的な唯一可能な権力形態という把握によってであり、プロレタリアート人民が、事前に反革命弾圧―ブルジョア的テロルとファシストのテロル(さらには、社民や小ブル党派)に対して、その議会主義を平和革命路線や、非公然・軍事能力の欠如、大衆運動と組織(組合等)の階級的革命的再編の失敗等によって敗北した場合には、ファシズム権力を必要としないということにすぎないということなのである。また、この後者の場合でも、国際的な革命運動の勝利とその波及等によって、革命の危険性がなお存在する場合には、ファシズム権力に転化するだろう。
なお関連して、いわゆる、「均衡」については、ブルジョアジーとプロレタリアートの関係について言われているが、その場合にも、政府の支配力だけではなく、国家そのものは、ブルジョア社会=私的所有の防衛を基礎としている以上、ブルジョアジーを含む全有産階級の共同体であって、単純に「均衡」ということはできない。しかも、階級関係―政治関係は二大階級間のみならず、農民・都市小ブルジョアジーや各種の中間層を含めて成立しているのであって、現実の階級闘争は党対党を先端にした階級間および諸党派間の立体的なものであることをおさえておく必要がある。
したがって、プロレタリアート人民にとっての決戦は、ブルジョアジー(党)とその政府―国家権力との攻防を基軸に、これと二重に、ファシズム党(勢力)と闘い、この闘争の勝利をめぐるものとして、社民・スターリン主義のプロレタリアート人民の中間的民主主義的収約とプロレタリア(社会)革命に対する敵対を突破するという構造をもつこと、そして、先述した政府性格をめぐるいくつかのケースを踏まえて、遂行されるということである。
(3)については、
@ブルジョアジーの党と政府への闘い・議会進出の闘い(議会の幻想性の暴露と全プロレタリアート人民の大規模な決起と階級形成、共同戦線―統一戦線の形成、ブルジョア党・ファシズムならびに社民・スタ等の大衆的批判のため)。
A反ファシズムのスト(スト防衛)。街頭闘争(制圧・宣伝・戦闘)。白色テロに対する階級的革命的テロルによる対抗。
B労働組合(本工)、農民組織、被抑圧、被差別大衆の組織、日雇いおよび失業者組合等の階級的再編をめぐる組織攻防。都市中間層・小農等とプロレタリアートとの共同戦線の形成、それによるファシズムの基盤の解体。軍隊工作をめぐる攻防。
Cエセ「革新」性、民族、国民(国家)の普遍性の疎外された観念性、その反人民的独裁性、ブルジョアジー(全有産階級)の擁護者=労働者人民の敵等、ファシズムヘのイデオロギー批判の系統的大衆的推進。
(2)反ファシズム闘争の現段階的任務
現在の国際・国内階級情勢の特徴は、経済危機の世界的一挙的爆発に向かい、諸階級諸階層(それらの政治勢力)が、生存条件に発してすでに内乱に突入し、あるいは根本から胎動しつつあるところにある。
そのなかで、世界ブルジョアジー―帝国主義は、NATO・日韓米安保・ASEAN等の反革命階級同盟の実戦的強化、反革命戦争の準備と、ブルジョア反革命の強行とファシズムヘの転化に向けた権力機構の改編とを進めつつ、ファシズムの養成と小ブルジョア的体制内野党の屈服をひき出し、ぬるま湯状態の労働者・人民大衆の組織を直撃し、解体・再編させつつ、闘う労働者・人民と戦闘的革命的党派の包囲と壊滅を進めている。そして、ファシズムの先端におけるテロルと胎動こそは、階級闘争の内乱的様相を深め、それに耐えられるものとそうでないものとをふるいにかけつつあるのである。
われわれは、ヨーロッパにおけるネオファシストの登場、たとえば、フランスにおけるように一割台の得票率までにいたった現状について直視し、闘う国際プロレタリアートと連帯し、日帝足下において開始された上からのファシズムと新旧右翼のテロルと反革命戦争の絶叫に対して、全プロレタリアート人民に警鐘を鳴らしつつ、全党・全軍をあげた前衛的戦闘に赴かなければならない時代を迎えているのだ。
対ファシスト戦の現段階的推進構造は、@反帝闘争とその反政府闘争、さらに権力闘争への発展=権力闘争、小ブル反革命革マルおよび社民・スターリニストとの党派闘争と有機的に結合して闘うこと A闘う大衆組織の自衛武装と防衛、非公然・非合法能力の形成、組合=大衆組織の階級的再編とソヴィエト運動の推進、社民・スタ・ファシストとの大衆組織の"権力"をめぐる攻防と戦闘的階級的共同戦線の形成(とくに中間層とプロとの共闘) Bそれを担う党―統一戦線(行動委)の武装と軍事・非合法の習得 Cそして、新旧右翼(一水会、国粋会と暴力団系)、神道系、仏教系、キリスト系(神社本庁、成長の家、勝共連合等々)ファシズム勢力や、権力機構およびイデオローグ内部のファシストおよび天皇制に対する系統的批判活動、ならびに帝国主義国、「後進」諸国におけるファシズム運動の研究、およびそれと闘う部分との国際的交流の開始―以上である。
この場合、特に強調しなければならないのは、ファシストの先制に対する報復根絶戦を貫徹し、一切の犠牲をいとわず対ファシスト戦への先制的勝利をもぎとることが決定的に重要であり、他のどれとの闘い以上に守勢は死を招くことである。さらに、日帝足下においては、下からのブルジョア革命も経験なく、戦前ブルジョア反革命とファシズムのクーデター=天皇制ファシズムのまえに総転向し、あれほどの好条件のもとでの戦後革命において本格的蜂起もないままに敗北した歴史のなかで、わが解放派以外、先端を切り開ける党派がいないことをも踏まえ、われわれの流すであろう大量の血はやがて闘うプロレタリアートの決起へと波及し、唯一、日本革命を担う党派として解放派を不動のものとするであろうことである。
すでに、日帝は、中曽根(―後藤田)政権において、戦前のファシズムヘの転化過程を意識しつつ、行革―省の統廃合と税務庁(→省)への省の枠を越えた一元化を進め、執行権力の自立化―大統領(的首相)制の導入の試みをおこないつつ、天皇制の一挙の政治的前面化を強行し、国鉄―総評労働運動の解体―労戦の帝国主義的反革命再編(報国会化)と社民の帝国主義的純化―野党の無力化と改編(翼賛政党化の下準備)を推進しつつ、三里塚闘争―反対同盟の解体をはじめとした一切の闘う労働者人民―労農水「障」学の共闘と、最大の環としての解放派を政治的重心に据え、諸党派(とその共闘)の潰滅をスパイ戦術やフレームアップをふくめて進めてきているのである。
天皇ヒロヒトのXデー攻撃は、日帝のファシズムヘの転化と、したがってまた、反革命戦争と内乱鎮圧的国内階級闘争圧殺の跳躍台としての政治的位置をもたされたものである。
われわれは、この攻撃に対して、コミンテルンー日共の指導下の血の敗北を越え、中国・朝鮮―アジア、沖縄人民への歴史的反省と階級的連帯の形成にかけて、三里塚二期決戦と固く結合し、最先頭で闘わなければならない。
そして、佐藤・山岡両氏虐殺―4・29爆殺攻撃に対して、必ず同水準の反撃を実現することをもって、3・17で開始した本格的権力闘争、および反革命革マルの根絶戦と有機的に統一したファシスト撃滅戦を本格的に開始していかなければならない。
ファシズムか、コミューンか。
一路、コミューンの道へ驀進せよ!
(1988年9月)