日本革命の前哨戦、
日韓・ヴェトナム闘争を
徹底した実力闘争で闘い抜け!

中原一    1965年9月   

            = 目 次 =

はじめに

 1、世界革命の戦略の中で、
日韓・ヴェトナム闘争はいかなる闘いであるのか

2、日本革命の前哨戦、日韓・ヴェトナム闘争を
ゼネラルストライキをもって闘い抜き、
世界革命の展望を切り開け!

 (a)日韓・ヴェトナムに至る日本における階級闘争
 (b)危機の時代に対する諸階級の状況
 (c)日本革命の前哨戦、日韓・ヴェトナム闘争を
  断固たるゼネラルストライキで闘い抜け!

3、民主連合政府、中間層の
反革命政府の野望を粉砕せよ!
社共の反革命的戦略を粉砕せよ!

         は じ め に

 この地上にはじめてのプロレタリア政権が樹立されてから40数年がすぎた。この間、全世界のプロレタリアートの営々たる闘いは休みなく深化し、幾多の血がこの永続的な革命の中で、共産主義の旗をますます鮮烈な真紅へと染め上げていった。

 世界史は、すでに永続革命の第二段階の後期へ、後進国の一国革命から、いまや先進諸国の同時的革命の時代へと突入せんとしている。

 革命の一国的爆発の結果の労働者革命の疎外を一挙に爆破し、公然たる共産主義世界革命への過渡期に今我々は直面しつつある。

 この偉大な時代は、帝国主義段階の最も弱い環日本におけるプロレタリア革命をもって始まるであろう。日本における革命は、この偉大なる時代の夜明けを荷って突き進むであろう。

 我々は、安保闘争以後日本資本主義の死活を制するものとしての日韓闘争を五年の長きにわたって闘い抜いてきた。

 そして、この間、我々は、ブルジョアジーとの激しい闘争と共にこの巨大なる激動の時代を迎えるべく熾烈な思想闘争を展開して来た。

 それは、世界共産主義運動を辱しめ、革命的プロレタリアートを辱しめつづけてきたスターリニズム、及び社会民主主義をのりこえ、再び輝かしい真紅の旗を奪還すべき闘いであった。

 アメリカ帝国主義による統一的世界は、資本主義自らの論理により打ち破られ、世界資本主義は、再び苦悶の時代を迎えつつある。アメリカ帝国主義による反革命的介入と援助により危うく体制を維持し、日本資本主義が、帝国主義的自立を際立たせつつある世界はこの死の時代へ歩を進めている。

 この不気味な胎動の時代は、労働者革命の危機に瀕した後進国ヴェトナムにおいて部分的に始まりつつあり、そして、同様な国、韓国への反革命意図を持った海外進出=日韓会議により全面的な開始をもとうとしている。今や、一切の単なる観念上の闘いは虚しく、一切のこの時代を具体的に突破する力をもたぬ「思想」は「無」である。

 日本の左翼運動の危機は、この時代において個人の「危機感」や、党派の「組織維持」のため以上の「思想」をもたぬことである。そのような道は、再びスターリニストと社民の勝利を準備するものに他ならない。今一切は、この秋の日韓・ヴェトナム闘争がいかに世界革命の突破口としての日本革命に関わり合うのか、その戦略的次元に位置づけられた解明以外は、無用である。

 我々は、この秋の闘争は、日本革命の帰趨を決定する前哨戦であると考える。一切の敗北は準備され、またすべての勝利は準備される。その意味において、日韓闘争、ヴェトナム闘争における「敗北」は、日本革命の敗北を準備するものに外ならない。

 我々、社青同学協解放派は、全日本の戦闘的学友諸君に対して、日本革命の前哨戦、日韓・ヴェトナム闘争にすべてをかけて参加せよと呼びかける。たとえ、一個の肉体、一個の組織は破壊されても、革命的プロレタリアートの前進はこの秋になされるであろう。その中で、たとえ形において破壊されようとも最も革命的な旗を掲げつづけるものは、組織は、不死鳥のごく蘇り新たな前進を開始するであろう。その中で、すべての闘う魂は、全階級的生命のもとに共産主義革命へ向って巨大な前進をかちとるであろう。


 1、世界革命の戦略の中で、
    日韓・ヴェトナム闘争は
      いかなる闘いであるのか

 1870年以後世界資本主義は、帝国主義段階、すなわち戦争と革命の時代へ突入した。この間、世界は二つの帝国主義戦争を経験し、その中で全世界の三分の一はプロレタリア権力の樹立を経験した。

 我々が、この日韓・ヴェトナム闘争を世界革命へ向けての全世界の階級闘争、特に第二次大戦以後のそれへ位置づけるとき、この二つの大戦と、その中でのプロレタリア権力の樹立の衝撃性はきわめて決定的な要因として作用しつつある。

 すなわち、二つの大戦を経験し世界の三分の一をプロレタリア革命によって引きちぎられた世界資本主義の中で、唯一の真の意味における勝利国アメリカの役割は、巨大なドル撒布をもって、自ら支配を貫徹しつつ、同時に各国資本主義のプロレタリア革命からの救出に全力を注いだのである。

 西欧諸国及び日本は、アメリカの武力と、巨大な経済援助の中で、プロレタリア革命からの脱出に成功し、同時にそのドル撒布の中で自らの帝国主義的復活の道を歩んだのである。そして、この中で、東欧の若干の国を除いては、第一次大戦直後のドイツのごときその維持、回復期をめぐっての階級決戦は、実質的に鎮圧されたのであった。

 むしろ新たな革命に時代は、ドルによる世界の一元的支配の終末、EEC、日本などの帝国主義的自立、復活=世界の多元化の時代をめぐって到来しつつある。アメリカの自らの世界支配と反革命的テコ入れの二重の意味をもったドル撒布による各国帝国主義の復活は、同時に世界資本主義の多元化、分裂の開始でもあった。すなわち、EECの成立、日本の自立への開始は、それと表裏をなすアメリカのドル危機を招来し、世界資本主義は再び巨大な動揺の時代へ突入しつつある。

 いわゆる、ドル危機に象徴される国際通貨体制の世界資本主義の動揺は、最終的崩壊への過渡期へ突入しつつあることを示している。

 この状況は、2回にわたる大戦と、それを契機にしたプロレタリアートとブルジョアジーの決定的対立を経験した現在、一体いかなる政治過程へ向って進みつつあるのか。

 61〜65年を境として今我々が迎えようとしている時代は、第二次大戦以後の全世界の革命と反革命がその深部において徐々に深化させつづけた構造の決定的顕在化の過程である。それは、世界資本主義が、この時期を過渡期として、危機の先進国化の時代へ突入しつつあるからである。

 61年を前後とするそれ以後の段階においては、世界の階級闘争は、先進諸国での一定の安定のもとに、世界資本主義の危機は、四肢において顕在化し、爆発した。

 61〜65年以前における革命と反革命の闘いは、先進国における一定の安定を基礎に四肢における世界資本主義の危機の顕在化という基本構造の上に、後進国革命に対するアメリカを中心とする反革命連合戦線の介入としての構造をもって基本的に進行した。もちろん四肢における爆発は、世界資本主義そのものの矛盾が最も弱い部分において顕在化したということだから、アメリカを中心とした反革命連合戦線は、世界的存在としてのプロレタリア階級の部分である自国のプロレタリアをもみつめた、世界的規模での反革命連合戦線であったことはいうまでもない。

 しかしながら、危機の先進国化の時代、世界資本主義の死の時代との差異は、先進国における決定的危機の顕在化が存在しなかったが故に、現実の後進国革命と先進国のファッショ化あるいは、階級決戦としての政治過程とのあからさまな結合はむしろみられなかった。

 しかしながら、61〜65年を境とする危機の先進国化への突入は、階級闘争の決定的深化、一つの質的とさえいえる深化を生み出しつつある。すでにプロレタリア革命の波が、世界の三分の一を制圧し、しかも自らの必然の論理をもって再び世界資本主義の死の苦悶が始まりつつある時、全世界ブルジョアジーはいかなる反革命戦略をもってこれに対応しようとしているのであろうか。それは一口でいえば、世界資本主義の決定的危機を体制間戦争(人民対支配者の階級戦争としての性格を持つ体制間戦争)への反革命連合戦線をもっての、部分的あるいは全面的突入によって切り抜けようとするであろう。世界資本主義の死闘が帝国主義諸国の戦争へと進むのは、決してブルジョアジーにとっての「階級」としての必然を意味しはしない。第一次帝国主義戦争及び第二次帝国主義戦争は、世界資本主義の一定の強さをもっての矛盾の戦争への転化形態であった。しかしながら、世界の三分の一が資本主義体制を突破せんとし、各国の階級闘争が深化している現在、世界ブルジョアジーが自らの行きづまりを再び「革命」、しかも決定的な「革命」を生み出すであろう帝国主義諸国間の戦争へ転化する「必然性」はない。むしろ世界市場の拡大を含めこの「社会主義国」への体制間戦争への突入が、国内の階級対立を現象的な体制間矛盾へ転化することも含めて「合理的」であるからである。

 要するに、61〜65年の過渡期以前における反革命連合戦線の構造は顕在化した反乱、後進国革命へのあからさまな介入を軸としつつ、すなわち世界的存在としてのプロレタリアートの当面突出しつつある部分に対する血の抑圧を軸としつつ、全世界プロレタリアート抑圧体制をとったのである。しかし、この時期における特質は危機が部分的にしか顕在化せず、その意味において、全世界的規模におけるプロレタリアートとブルジョアジーの決定的対立の構造ではなかった。61〜65年を過渡期とする危機の先進国化の時代は、この構造に一種の質的深化を与えつつある。すなわち、先進国の矛盾の決定的激化を国内のファッショ的反動化により、反革命の「体制間」戦争へと突き進める方向である。要するに、世界資本主義の決定的危機を背景にしてのプロレタリアートとブルジョアジーの全面的対決を、「社会主義」諸国への戦争へと「転化」することである。61〜65年を前後する過渡期以前は、危機が部分的であり、したがって赤裸々な対決も部分的であったのに対し、それ以後の過程は危機が全面的であり、したがってその対決は世界的なファシズムか革命かの、全プロレタリアートと全ブルジョアジーの顕在化した闘いの時代である。

 その移り変わりの過程を如実に反映しているのがヴェトナム戦争である。

 ヴェトナム戦争は、その出発点自体においては、後進国革命への先進国の介入であり、それに対応した形での先進国の徐々に進行する反動化の過程であった。その限りにおいては、顕在化した危機は先進国自体、すなわち世界資本主義の心臓部においては存在しなかったが故に、その人民と支配者の戦争は後進国ヴェトナムの局地的問題をめぐって一地域の局地的闘いとして行なわれた。

 しかしながら、世界的な構造的停滞期を背景にアメリカを中心とした危機の深化は、世界資本主義の心臓部における危機、世界資本主義の決定的危機をいかなる形でブルジョア的に「止揚」するかという問題の中に、ヴェトナム戦争を浮び上らせつつある。エスカレーション作戦によるアメリカ世論の危機感の麻痺、北進、更には、米中戦争の一定の想定を含んだ作戦として行なわれつつあることを見ても明らかである。明らかにヴェトナム戦争は、先進国における一定の安定と後進国における革命の顕在化という時代における革命と反革命の闘いと、危機が先進国へ波及し、その全世界ブルジョアジーの心臓部における顕在化した危機を処理する反革命戦略としての問題が今、二重映しに進行しつつある。 

 日本における日韓会談は、このような全世界の階級闘争の構造の中に位置づけられて、はじめて現実的な革命の展望をもった闘いとして闘われうるのである。

 すなわち、危機の先進国化の時代における世界資本主義の中へ、独自の経済圏をもって帝国主義的に介入していくことにより、客観的には全世界ブルジョアジーの反革命戦略の中枢へ組み込まれていくことを意味するのだ。

 日韓以後の日本の政治過程は、この闘いに勝利するにせよ敗北するにせよ、日本自身の国内の階級矛盾の深化を「体制間」の階級戦争(ヴェトナムにおける北進、第二の朝鮮戦争)へ転化する方向において反動化が進むであろう。

 危機の先進国の時代とは、先進国内部における反動化が、ブルジョアジーの反革命「体制間」戦争への自国内の階級対立の転化の方向へ向けて、一切絞りきられる過程として進行するであろう。

 その意味において、日韓会談は、国内の反動化=「憲法改悪」と「反革命階級同盟」=「新安保」を内容として、ますます一つのものとして浮び上らせつつあるあるのだ。

 このような全世界ブルジョアジーの反革命体制間戦争を粉砕し、この世界資本主義の矛盾を真に止揚する道は、国内矛盾の激化を、各国内における自国政府に対する立体的階級戦争へと突き進めることである。

 この世界資本主義の状況とブルジョアジーの反革命戦略の問題に関して、最後に日本共産党について若干のべておきたいと思う。

 最初にのべておきたいことは、日共にしても、我々にしても、目前にしている事実に変りがある訳ではない。唯その事実をいかなる階級的視点から把握するかが問題である。

 日本共産党にとっては、世界の一般的矛盾の激化と、それを世界ブルジョアジーが反革命の対「社会主義圏」への戦争へ転化させようとしている構造は良く見える。しかしながら、その現象がいかなる根本的矛盾の現実的表われなのかが全く見えないが故に、反革命階級同盟、すなわちブルジョアジーとブルジョアジーの結びつきを(もちろんそれは、資本主義国としての強さによりいずれかがヘゲモニーをとる)、民族による民族の支配としか把握できず、したがって反革命階級同盟としての安保体制(彼らによればアメリカによる日本の支配の体制)そのものを、国内におけるプロレタリアートとブルジョアジーの対立が、国際的な規模でそうした敵の団結を生み出したという形では把握することは出来ない。むしろ、プロレタリアートとブルジョアジーの対立という中で国際的関係を見るというよりは、それ以前に民族による民族の支配が、それと切断された形で存在し、一切がこの民族による民族の支配=安保体制から説明されてゆく。

 要するに二つの大戦とプロレタリア革命の波の中での、日本における階級対立の結果(内容的な結果)として生まれた安保体制を、民族主義者は、民族による民族の支配としての諸矛盾の原因として把握する。前者であれば、個々の闘いの徹底化の延長上に安保を見るが故に、個々の闘いの断固たる推進なしに安保を語ることは無意味であるのに対して、日共は、一切の闘いを安保のためのカンパニア運動にしてしまう。しかも、米中戦争、朝鮮戦争さえも全世界プロレタリアートとブルジョアジーの決定的対立のブルジョアジーによる転化形態であるのに、それをアメリカ帝国主義による世界民族支配の野望にしてしまう。

 したがって彼らの語る軍事力の問題は、階級的抑圧という面が抜かれた民族支配としての軍事力への怒りか、又は、一般的な「武器反対」という形になってしまう。

 この犯罪的誤りは、個々の闘争に対する徹底した内容的日和見主義を生みだし、又、彼らのいう七〇年安保においていかに極左戦術を出したところで、その民族主義的戦略は、後にのべる組織問題とともに現実の矛盾を奇妙な形で発散させ、結果的には、革命か反革命かの前に、自己分裂せざるを得ないだろう。


 2、日本革命の前哨戦、
   日韓・ヴェトナム闘争を
    ゼネラルストライキをもって闘い抜き、
     世界革命の展望を切り開け!

(a)日韓・ヴェトナムに至る日本における階級闘争

 1において述べた全体的な世界の階級闘争の構造の中で、より具体的に日本における階級闘争の展開と、その中での日本革命の課題が明らかにされねばならない。

 第二次大戦が、日本資本主義にとって初めて経験した決定的な打撃であった以上、客観的な革命情勢は、当然、戦時から戦争直後にやって来た。2・1スト、片山内閣、当時の日本人民の巨大な自然発生的な高揚がそれであった。今や、日本資本主義は、戦争による産業の決定的破壊の中で、第一次大戦後のドイツが、24年までに経験した情勢、階級決戦の状況を迎えるかに見えた。

 しかしながら、ロシア革命から、第二次大戦直後の中国革命を眼のあたりにした全世界ブルジョアジーは、唯一の真の戦勝国アメリカを軸として、危機に瀕した各国資本主義へ強力な反革命的意図を持った軍隊と経済援助を展開することになった(もちろんアメリカの世界支配を目論みつつ)

 ここに、日本資本主義は、第一次大戦直後のドイツのごとき資本主義生産体制の解体期、及びその復活期をめぐっての後進帝国主義の決定的危機状況を切り抜ける基礎を得たのである。わずかに客観的には階級決戦時として存在した大戦直後も、大戦突入時の激しい弾圧に加え、戦後きわめて短期間に指導部の座を占めた日共の日和見性、及び日本ブルジョアジーの危機に間髪を入れずテコ入れしたアメリカ帝国主義の力により革命を挫折せしめられたのである。

 このような形で、アメリカの強力なテコ入れの中で、自立への道を歩み始めた日本資本主義は、朝鮮戦争の特需により、その自立・復活の基礎を養った。このように戦争直後の危機を切り抜けた日本資本主義は、大戦をむしろ体質改善の契機としつつ巨大な復活の道を歩み、いわゆる高度成長の時代に至ったのである。

 この日本帝国主義の復活過程は、米軍のテコ入れによる産別の解体と同時に、産業プロレタリアートを自らの拡大期の中で民同編注:産別民主化同盟】へと組織したのである。日本資本主義の拡大期の中での一定の安定は、この基幹産業プロレタリアートと、奴隷でありながら奴隷を支配する新たなる中間層(産業下士官)との一定の癒着を呼び起した。しかし、自立・復活の過程の道を歩んだとはいえ、世界資本主義の最も弱い環としての日本資本主義は、日本の労働運動を完全に西欧型にすることが出来ず、総評編注:日本労働組合総評議会】のいわゆる「ニワトリからアヒル」への変質を生み出したのであった。そして、この全体構造は、民同左右、社会党左派、右派という日本の社民を培養していった。

 また、帝国主義段階での後進帝国主義としての日本の特殊な位置は、巨大産業による支配集中を推し進めつつ、同時に広汎な中小企業を残存させるという二重構造を作り出した。この二重構造における中小企業は、農村を主とする没落しつつある「旧中間層」をその主要な労働力の供給源としつつ存在し、したがって中小企業の不断の動揺は、「旧中間層」的母斑の濃厚な底辺のプロレタリアートの「旧中間層」と癒着した形での一定の急進的な運動を形成した。それは、産別から自らの小ブル性と、権力の弾圧により駆逐された日本共産党が生き残るための恰好の基礎となった。

 以上のごとき基本構造を形成しつつあった日本資本主義は、58年を前後とするEECの構造的停滞期への突入を背景に、自らも61年を前後として、構造的停滞期へ突入しつつあった。

 この日本帝国主義が自立・復活し、同時に自らも構造的停滞期へ突入するその境目に存在したのが「安保と三池」であった。

 新安保条約は、日米反革命階級同盟としての安保条約を、より双務的なものへと変え、全世界へ自らの帝国主義復活を宣言した条約改定であった。又、三井・三池の闘いは、高成長の中で同時に進行しつつあった資本の社会的権力の強化=合理化の日本ブルジョアジーの正面突破として闘われた。

 61年を境として、65年までの過程は、「高成長」から「安定成長」への過渡期であり、それは、世界経済におけるEEC、日本などの帝国主義的自立と表裏をなしておきたドル危機にも見られるごとく、世界資本主義の苦悶の時代への過渡期であった。

 多元化しつつある世界に生きのびていく日本帝国主義の道は、国内の徹底した合理化と、独自の経済圏の形成以外なかった。この61〜65年までの過程は、この日本資本主義の徹底した合理化と、韓国を当面の目標とする独自の経済圏の形成のための日韓会談の締結の準備の時期であった。それは国内的には労働者階級に対する合理化、産業界を揺るがしはじめる不況の深化、一口にいって階級状況の激しい流動化の開始の時代であった。


(b)危機の時代に対する諸階級の状況

 今まで見て来たような世界的な危機を背景にして、日本の諸階級の対応は、この過渡期においてきわめて鋭い形で進みつつある。61年を前後する以前において、きわめて未分化であり、かつ潜在的であった諸階級の分裂(それぞれの階級、階層間内の団結)は、61年を前後として、きわめて顕在化した形で出現しつつある。

 この社会の実質的な支配者である有産階級の対応は、ほぼ次のごとくいうことが出来る。

 ブルジョア社会における「正常な姿」(原文ママ)は、議会民主制である。それを支えているのは、一定の構造的安定の上に立っての民主主義的大ブルジョアジー(その政治上の代表としての議会ブルジョアジー)、そして中間層、そして最後に、自らの労働力商品としての一定の安定の上に社民的政治性を表現しつつある、プロレタリアートである。

 このような「民主主義社会」は、資本主義社会そのものが、一定の安定を保っている時にのみ存在しうるのである。要するに、それぞれの安定した私有財産制の上に立って、個々バラバラのアトム的個人の「自由」なる総合として「民主主義社会」が成立するのである。

 しかしながら、資本主義の危機の時代が訪れるや否や、各階級の幻想的な利害の一致は打ち破られ、個々の財産の安定の上に成り立っていた「民主主義的」社会性は、各階級間の利害の対立を軸にした各階級内のあからさまな団結、階級的社会性の顕在化の中に打ち破られていくのである。そして、プロレタリアートをのぞく一切のブルジョア的存在にとって、自らが私有財産の上に立っているが故に、その階級的普遍性(社会性)は、自らの団結の中に生み出すことは出来ず、個々の存在の外に「疎外された普遍性」に拝跪し、それを媒介にしてしか団結は形成されない。

 この基本構造は、階級的差異はあれ、有産階級に属する一切の部分に共通である。しかし、同時に各階層の位置によりさまざまな形でこれを貫徹させ、それにより政治過程が決定されていくのである。

 この社会の支配者である大ブルジョアジーにとって、この過程はブルジョアジーの全階級的支配形態としてそれに固執しつつ、プロレタリア革命に恐怖してそれを事実上否定する過程、一口にいって自らの手による議会制を擁護しつつ否定し、行政権の自立に抵抗しつつ屈服する過程として進行する。たとえ、大統領制という形をとっていようといまいと実質における大統領制、執行権への一切の権力の集中過程として進行する。大ブルジョアジーの「神」の形成過程である。それは、ブルジョア思想的にいうならば、「基本的人権」の「公共の福祉」への従属化の道であり、具体的にいうならば、憲法改悪、"上からのファッショ化"の進行である。

 「旧中間層」すなわち、都市小市民、農民の部分は、いかなる対応をなしつつあるのか。

 この部分は、後進帝国主義日本の二重構造の中で、最も不断に動揺にさらされつつある。つまり、大独占の発達の中で大独占の収奪の対象として存続を許されているが故に、大独占の発達の中で激しい消滅と生成の動揺を繰り返さざるをえないのであり、半プロレタリア化しつつある部分が巨大な層として存在し、その意味においてきわめて急進的な部分を生み出しつつある。しかし、それは、階級としては『共産党宣言』にもいうごとく、わずかな財産にしがみつこうとする反動的エネルギーである(もちろん、個々においてはこの中間層の急進化はプロレタリアートとブルジョアジーの決定的対立の中に、反革命と運命を共にする部分と、革命と運命を共にする部分とに分裂する)

 この部分が、大資本への反撥と同時に、巨大な団結をもって迫るプロレタリアートに対する恐怖から作り出す階級的社会性は、自らの外に自らを太陽のごとく保護してくれ、神のごとく命令してくれる唯一者を疎外し、この「疎外された普遍」の中に、それを媒介として形成される。

 この「旧中間層」の二つの部分の内、都市小市民は、商品経済の中にまき込まれ、自給自足した形で存在していないが故に、その階級的社会性=疎外された普遍性は、自らの一定の「自由意志」によるという外観をもった「運動」、大衆運動として「形成」されていく。一方、分割地所有農民は、自ら自給自足を基礎として商品経済に巻き込まれているが故に、その階級的社会性は「運動」としては形成されず、「団結」としては存在しない。むしろ、自らを保護してくれる唯一者を待ち望み、それに拝跪するという形で成立する。

 前者は、日本においては、新興宗教という形で宗教運動として展開されつつある。

 日本における二重構造は、労働組合の次に巨大な形での小ブル運動を生成させつつある。この運動は後で述べる「新中間層」の一部、及びプロレタリアートの下層を吸収して、出発においてはプロレタリアートに敵対していく下からのファシズム運動の萌芽である。

 「新中間層」の部分は、いかなる存在であり、いかなる危機への対応を行ないつつあるのか。

 「新中間層」は、資本主義の発達が必然的に生み出さざるを得ない産業下士官の部分であり、完全に体制内化した存在であるこの部分はブルジョア的存在であり、その危機に対応した団結の形成は、後で述べることく小市民と同一である。

 しかしながら、この部分は大独占の奥深く存在する部分であり、大独占と最終的に運命を共にする部分である。その意味において「旧中間層」が最も不安定な部分であるのに対して、つまり大独占の発達の中で「旧中間層」は不断に動揺するのに対して、「新中間層」は比較的安定を保っていくからである。その意味において、最も民主主義的部分であり、大ブルジョアジーと共に民主主義の柱である部分である。この部分及び旧中間層の富裕な部分は、小ブル社会主義の夢、この社会を小ブル支配の社会にするため、この危機の時代に対応して護憲民主中立政府または民主連合政府の樹立へ向って、態勢を整えつつある。もちろん、更に深い危機の深化は「新中間層」へも深い動揺を与え、「旧中間層」と同じ「疎外された普遍」の形成の大衆運動に加わっていく。ヒトラーのナチス党の30パーセント近くが、この部分によって占められていた。危機の深化は、中間層の大衆運動としての、疎外された普遍の形成("下からのファッショ化")と、大ブルジョアジーの"上からのファッショ化"を進行させ、そしてプロレタリアート革命を目前にして、決定的鍵を握る農民の利害が、先程のべた構造をもって社会の前面に大きく映し出される中で、全社会的なファシズム権力の樹立――最も赤裸々な全有産階級の暴力的支配体制――がなされるのである。

 このような、有産階級の側からの団結の形成、すなわち政治的対応を、現在的に要約すれば、大ブルジョアジーの議会制の実質的否定の動向、行政権力の肥大化の傾向(憲法改悪の道)、没落しつつある中間層の大衆運動としてのファッショ化、そして新中間層を中心とした富裕な中間層を中心とする民主連合政府への動向である。

 これに対する、日本プロレタリアートの状況はいかなる形で進行しつつあるのか。

 それは、この4年間、表面的安定ムードの中で社会の基底部において激しく進行した合理化に一つの軸を見出すことが出来る。

 合理化は、日本資本主義が自らを徹底して強化する道であったと同時に、労働者階級の絶望的隷属の深化の過程でもあった。それは六五年までの合理化の過程が高成長下の合理化、すなわちスクラップアンドビルドという形において、三井・三池型の合理化は少なかったとはいえ、機械体系の導入、社会的人員配列、職制秩序の強化は日本プロレタリアートの革命的闘争の新たな段階を迎えたのである。

 すなわち、合理化の進展は先に述べた産業下士官の下部プロレタリアートへの支配を露骨につきつけ、社民の実在的基礎をなしていた産業下士官と、下部プロレタリアートの激烈な職場における対立を醸成していったのであった。ここに戦後革命運動史上初めての、全社会的な社民と下部プロレタリアートの顕在化した尖鋭な闘い(それは同時に民同の分解過程を意味した)が開始されたのであった。

 このように世界的な背景の中での日本資本主義の危機の深化は、諸ブルジョア階層とプロレタリアートにそれぞれの対立を与えつつある。この構造を再び1においてのべた全世界の階級闘争、特に日韓・ヴェトナムを中心とした階級闘争の中へ位置づけることにより、再度我々の日韓・ヴェトナム闘争を、永続革命=世界革命の一環としての日本革命の中に確立することが必要であろう。


(c)日本革命の前哨戦、日韓・ヴェトナム闘争を
  断固たるゼネラルストライキで闘い抜け!

 我々が再三、再四のべて来たごとく、日韓会談は、それ自体としては、日本帝国主義の韓国ブルジョアジーとの反革命階級同盟を内に含んだところの帝国主義的海外進出である。

 しかし同時にまたそれは、客観的には日本帝国主義が、全世界ブルジョアジーの支配的グループへの独自の経済圏をもって参加することにより、その世界が1においてのべた危機の先進国化の時代(日韓会談それ自体がその一つの表現)であるが故に、日本自身の国内の階級対立の激化に対応して、全世界ブルジョアジーの反革命戦略の一環の中で自国の反動化を押し進める決定的契機となるものである。

 このことを、今のべた国内の階級情勢を媒介にして明確にするならば、大ブルジョアジーの上からの反動化と中間層の下からのファッショ化の根本的動向は、反革命的ファッショ政権の樹立から南北朝鮮戦争等の反革命戦争への道を突き進むことである。

 この、全世界的な反革命の体制間戦争を防ぎ、世界資本主義の危機を共産主義革命へ突破する道は、いうまでもなく、決定的瞬間における日本プロレタリアートの反動化するブルジョアジーの粉砕、自国政府の打倒の道である。

 すでに、ブルジョア諸階層は、自らの反革命的団結を深めつつある。むしろ決定的に立ち遅れているのは、革命的プロレタリアートの団結の形成である。

 先ほどのべたごとく、日本プロレタリアートは、反合闘争を契機としつつ、三井・三池、東交、その他において、徹底した拠点闘争の中で、民同と決定的な訣別の道を歩みはじめつつある。この反合理化闘争の中での個別資本との闘いの中で、同時に社民との決定的訣別の道を歩みつつある日本プロレタリアートは、しかしながらいまだに全国的な普遍的な団結の形成、革命的労働者党の形成にまで至っていない。

 創価学会はすでに公明党へ転化し、数万の青年行動隊を有し、暴力的な反革命の母体を着々と準備し、社共も、護憲、民主、中立政府(民主連合政府)へ自らの組織性を強化しつつある。都議会選、参院選に見られる議会ブルジョアジーの堕落、その敗北は、彼ら自身に「選挙嫌いの空気」を蔓延させつつあり、「めんどうでない、安心した支配」への渇仰を示しつつある。

 すでに世界の危機は、四肢における爆発の時代から、心臓における顕在化の時代に入り、アメリカの黒人暴動は、その内部危機の深化を示している。

 日本における「民主主義的」政治体制、社会体制は、経済危機とプロレタリアート革命の恐怖の中で、音を立てて崩れ去り、「所有せる階級の最も赤裸々な、暴力的支配」の社会へと、取って代らんとしている。正に決定的に欠けているのは、革命的プロレタリアートの、スターリニスト、社民から区別された独自の党の形成である。

 そして、日韓・ヴェトナム闘争こそ、日韓両支配者階級の野望を打ち破ると同時に、その徹底した階級としてのブルジョアジー(普遍的ブルジョアジー)との闘いにより、反合闘争の中で拠点的に存在する革命的プロレタリアートの普遍的団結の形成の決定的鍵である。革命的プロレタリアートの革命的団結とは、決して、「プロレタリア的人間の論理」を理解し、革命的主体性を道徳的に確立することによってではなく、また「危機だ、危機だ」と騒ぎまわり、「危機だから、数万の労働者党をつくろう」と呼びかけて出来るものではない。個別資本との徹底した闘いを基礎にして、プロレタリア自身が自らの力により、妥協なき階級としてのブルジョアジー(その政治権力)と闘うことによってしか生み出されない。

 その意味においてこの闘争は、「新」「旧」両中間層から区別された、プロレタリアートの独自の闘いとして闘われることが決定的に必要である。そして、その階級としてのブルジョアジーとの非妥協的な闘いは、個別的、拠点的に存在し、一部においてはその明確な歩みを始めつつある戦闘的プロレタリアートの普遍的団結(階級的団結)、あるいは、その決定的基礎を生み出すであろう。

 その具体的な内容は、日々資本主義体制の中での二重の支配(活動における疎外、生産物からの疎外)に苦吟しているプロレタリアートが、資本の物化された全体系として存在する社会性から、人間の団結による人間的社会性を奪還し、同時に資本家階級に決定的打撃を与える闘争形態、「ゼネラルストライキ」でなければならない。すなわち、拠点から一点突破として開始される「日韓会談粉砕、ヴェトナム軍事干渉粉砕」のストライキが急速に拡大し、何十万、何百万のデモとなってそれが増幅されるとともに、無期限のゼネストとなって爆発することである。今までのストライキは、労働貴族が、労働者階級の不満を解消し、同時に自らの身を保つために行なわれていたにすぎない。総評、社会党にとっては、ゼネストは、議会闘争のための手段にすぎない。しかし、それを根底からくつがえす形のストライキの貫徹がなされねばならない。

 その労働者階級の自らの手による実力闘争としてのゼネストを保証するのは、下部労働者階級の団結の現実形態、ストライキ委員会である。勝利か悲惨な敗北かという闘いにおいては、大衆の自発的闘いの現実形態としての組織が必要である。それは、労働組合であっても良いし、それが労務管理の機構以上の意味をもたぬ所においては、労働組合の中に公的機関と別に、活動の機関が必要である。

 これが実現できるのは、一定の流動的状況が必要であり、労働者大衆自身により既成幹部からの訣別の動きと、労働者大衆自身による自発的組織の形成、そして、それを一つの潮流へと形成する集団の存在が、それを現実化する条件である。

 すでに、東交をはじめとする戦闘的部分の大衆的な既成指導部からの訣別は徐々に始まりつつあり、又、今春闘に見られる激しいつき上げは、職場段階の活動家集団の存在を物語る。

 そして、最後に、安保以後、個別資本との血のにじみ出るような営々たる闘いと、昨年の原潜、今年の日韓・ヴェトナム闘争の中で、自らの革命的労働者党への道を急速に歩みつつある。

 今や、一切を、この秋の十月を中心としての巨大なゼネストへ向けて準備し、押し上げねばならぬ。

 学生戦線においても、この巨大な左からの衝撃性を受けつつ、同時にそれを増幅させる作用をもった日本ブルジョアジーへの実力闘争、全国的なストライキの貫徹がなされねばならない。

 その成否は、中間層から区別された革命的プロレタリアートの闘争として、日韓・ヴェトナム闘争を闘い抜けるか否かは、日本革命の帰趨を決定するであろう。何故ならば、それは、日韓両ブルジョアジーの野望を粉砕し、同時に階級としてのブルジョアジーとの徹底した実力闘争は、日本革命を担う革命的労働者党、あるいは、その決定的基礎を形成するであろうから。

 あらゆる敗北は準備され、又あらゆる勝利は準備される。

 その意味において、日韓・ヴェトナム闘争は、日本革命の決定的前哨戦である。

 (注)=日韓・ヴェトナム粉砕のゼネストについては、きわめて重要な問題を含むので独立の別論文とした。


  3、民主連合政府、
 中間層の反革命政府の野望を粉砕せよ!
      社共の反革命的戦略を粉砕せよ!

 「日本において唯一革命を指導しうる党」日本共産党は、民主連合政府を錦の御旗に掲げ、社会党左派の一定の党内における勝利は、この民主連合政府への「主体性」を強めつつあるかに見える。

 我々は、我々の基本的戦略の延長の中で、主に日本共産党の戦略、組織戦術(特にここでいうのは組織戦術について)の基本的批判を通じて、この中間政府の問題に対する我々の態度を明確にしておきたいと思う。

 日本共産党の日本革命の戦略は、アメリカ帝国主義とそれに追随する少数の独占資本に対して、一部資本を含んだ民主勢力による「民主主義革命」を遂行し、それによって民主連合政府を打ち立て、それから「強行連続的」に社会主義革命へ移行するという、いわゆる二段階革命である。彼らは、アメリカ帝国主義の日本人民に対する「力」をきわめて強調する。そして、「アメリカ帝国主義の権力と、日本独占資本の権力が、それぞれ別々に又からみ合いながら全体として日本人民を支配している……アメリカ帝国主義が、日本の国家権力の構成要素なのではなく、アメリカ帝国主義の権力は、日本の国家権力の及ばない外で直接に、また、日本の国家権力の上から日本の国家権力を通じて間接に日本人民支配している」(日共中央委宣伝文化部編出版物)という。

 一度でもまともに革命を考えたことのある者なら、このアメリカ帝国主義が現在日本の人民の革命運動に対して、決定的な抑圧として存在することに異存のある者はおそらくあるまい。

 しかし問題は、このアメリカ帝国主義の人民に対する抑圧を、一体何として把握するのかである。彼らにとって、それは、民族的抑圧として存在する。したがって、一部の「売国資本家」を除く全日本民族の「愛国者」によるアメリカ帝国主義の駆逐の民族民主革命の遂行ということになる。確かに、彼らの非常に強調するアメリカ軍隊、基地の存在理由が「日本民族」支配のためなら、それは「可能」であろう。しかしながら、アメリカの軍隊は、一部独占資本家も含んだ「日本民族」の支配のために存在するのか。事実は、彼らの四苦八苦の説明によっても歪曲は出来ない。

 今まで述べて来たごとく、アメリカ帝国主義の武力は、明らかにプロレタリア革命に対するブルジョア階級の反革命の暴力装置として存在するのであり、「民族」の支配のためではない。日本資本主義は、自らの発達の途上において、軍事費の負担は重荷であったため、その大部分をアメリカの援助にあおいできた。しかしながら、アメリカのドル危機、そして日本の「高成長」は、アメリカ帝国主義をして、反革命軍隊を自力でもつことを要求している。日本帝国主義にとって、それが不可欠な経済構造への進展は、当然反革命軍隊を喜んで「自力」でもつだろう。現に、自衛隊の増強とそれによるアメリカ軍との交代は、徐々に進展しつつある。

 資本主義相互間は、資本主義国としては、相互に利害の対立を生み出し、同時に、「ブルジョア階級」として、反革命的に連合する。日共にとっては、前者の面は全く見えず、後者の面は、アメリカ帝国主義へのますますの従属としてしか見えない。反革命階級同盟としての安保体制は、「階級同盟」であるが故に、それに真に対決するものは、プロレタリアの「階級」としての団結であって、「全国民的民主主義」なのではない。

 先ほど述べたごとく、階級対立の内容的結果として生まれた安保体制を、民族的支配の根源としてむしろ一切の原因にしている。

 したがって、彼らの「民族民主革命」にしたところで、労働者階級の当面は「味方」であるはずの一部独占資本家や、中小企業主達は、労働者階級が闘って前面に出れば出るほど、恐怖して「安保体制」へしがみつくことになるだろう。

 このような誤り、一言で言えば小ブル思想による誤りは、大衆運動の組織面における大衆追随と、大衆蔑視のいわゆる「スターリニスト」的戦術を生み出している。

 階級支配は、決して「善者」を「悪者」が力で支配しているという、単純な構造によって成立しているのではない。階級支配は、ある意味では、プロレタリアートを含めて、すべての階級の現実存在にその基礎をもっているのであり、問題はその現実存在が本質的にいかなる存在であるかということなのである。そして階級闘争の過程は、このすべてがそれぞれ支えているブルジョア「民主主義社会」から、経済の動向と世界の階級対立の中で、自らの位置に応じての「階級的社会性」を明らかにしていく過程である。ブルジョア的経済層はそれぞれの位置に応じて、それぞれのブルジョア的団結を打ち固めていき、その途上においては相互に反発し合う。しかし、プロレタリアートの団結の前に、最終的にはプロレタリア革命と運命を共にすべく分裂してきた中間層を除き、全有産階級は、一つの密集した姿をもってプロレタリアートに立ち向う。

 したがって、その反革命勢力とプロレタリアートの決戦までの過程は、必然的にブルジョア諸階層の対応の中で、政治権力の掌握をめぐっての、ブルジョア秩序内部における「政治革命」が進行する。

 例えば、議会ブルジョアジーの手から民主的中間層を中心とする中間政府への「政治革命」である。これを称して二段階革命であるということは勝手であるが、一体何を基準にして、どの階級の立場から言うかが問題である。中間政府からプロレタリア革命へという過程が、ブルジョア民主主義革命からプロレタリア革命への二段階だというならば、それは客観主義(本質的なブルジョアイデオロギー)以外の何物でもない。何故なら、そのような議会ブルジョアジーから民主的中間層を中心とした部分への政権の移行は、先ほど述べた危機の時代におけるブルジョアジーの階級的団結の一段階にすぎないのである。それは、危機の時代におけるブルジョア諸階層のそれぞれの立場に応じての、階級的団結の姿にほかならないからである。

 もし、この政治過程を、諸階級の危機に対応した団結の過程という観点をぬきにして、全く現象的客観的にとらえるならば、確かに「二段階革命」であろう。しかしこのような把握は、ブルジョア的概念から把握した階級闘争の把握でしかない。

 第一、プロレタリア権力と、ブルジョア権力の中間の「ヌエ」のような「中間政府」など存在せず、樹立される権力は、プロレタリア独裁かブルジョア権力かのいずれかである。したがってプロレタリアートが目指すのは、大ブルジョアの打倒を中間層と統一戦線を組みつつ、自らのヘゲモニーにより貫徹し、プロレタリア独裁の権力を打ち立てることである。これこそ現在、全プロレタリアートの全力を挙げて追求すべき課題である。そしてこの統一戦線のヘゲモニーを、自らの力不足の中で中間層に奪われ、そして中間層の手により、基本的には反革命の私有財産権力である「中間政府」が成立する場合が、日共が追求している「二段階革命」の場合である。しかしながら、これとてプロレタリアートにとっては、最初から打倒の対象であり、現象的には、「小ブル革命」から「プロレタリア革命」へ進むように見えても、プロレタリアートが中間層になってしまうのでない限り、プロレタリア革命の過程でしかなく、まず「小ブル革命」次に「プロレタリア革命」へと自分が変化するのではない。戦略的に見ても、まず当面は小ブル民主革命、次にプロレタリア革命へと、戦略が変化するのではない。不幸にして、この大ブルジョアジー打倒の統一戦線が、中間層のヘゲモニーのもとに行なわれるならば、直ちにその打倒を目指すことである。

 したがって、この過程におけるプロレタリアートのとる戦術は、他階級からの徹底した自立、独自の革命的スローガンの下における小ブルとの統一戦線であり、決して小ブルの民主連合政府のスローガンに自らを一致させて進むのではない。階級間の統一戦線は、マルクスがつとに指摘しているごとく、特別な協定などがなくとも成立する。何故ならば、階級とは現実の物質的な意味であり、したがって階級利害のその時々の一致は、それぞれの階級の自らの利害として生まれるからである。プロレタリアートが革命的スローガンを掲げれば、小ブルは逃げ去り、統一戦線は不可能であり、したがって小ブルが逃げないために「民主主義革命のスローガンを」という思考は、階級を観念的に把握した小ブル思想であり、大衆がデマゴギーで動くと信ずるスターリン主義的思考である。そして最も決定的なことは、プロレタリアートをそのようなスローガン、すなわち小ブルの合唱隊にすることにより、いつまでも階級的自立を抑え、決定的瞬間におけるプロレタリアートの立ち遅れと、反革命の勝利を生み出す以外の何ものでもないということである。

 彼らの小ブル思想、観念論は、プロレタリアートが革命を遂行するには、「労働力商品」=プロレタリアートから、ブルジョアジーとの闘いの中で「革命プロレタリアート」へ現実の団結において形成され、自らの独自のスローガンを持ったものへと現実に形成されることなくして不可能であることを知らず、「革命」を自らの頭の中に置き、「共産」党員のみが頭の中で「革命」を「考えて」いれば、当面はプロレタリアートは小ブル運動をやっていれば良いというふざけた思考をもっている(この意味において、本質的には、革通革共、第四インター派等も同じ)。このことは、決して彼らが将来的に反革命となるばかりではなく、現実的に反革命である。何故ならば、現実においてブルジョアジーとの闘いの中で、中間層との訣別を自然発生的にも行ないつつあるプロレタリアートを、小ブル的に固定化することになるから。この危機の時代における諸方針は、他階級と徹底して区別されたプロレタリア独自のスローガンの下に、中間層と統一戦線を組み、大ブルジョアジーを自らのヘゲモニーのもとに打倒し、プロレタリア独裁の権力を打ち立てることである。不幸にして中間政府が成立した場合、独自の革命的スローガンのもとに直ちに最終決戦へと突き進むことである。

 そしてプロレタリアートが徹底して自立し、独自のスローガンをもって、中間層と統一戦線を組む中で、中間層は革命と反革命の前に大きく分解し、プロレタリア革命と共に進む部分が生まれるのである。むしろ、それを大規模に生み出すためにも、一刻も早いプロレタリアの自立が必要である。

 この日本における過程は、そのお膳立ては先ほど述べたごとく進行しつつある。アメリカ帝国主義による反革命テコ入れにより危機を切り抜けた日本資本主義の一定の確立は、「民主主義の最後の砦」になるべき新中間層の一定の存在をもっている。この部分が中心となり、ブルジョア民主派「旧中間層」の一部を含んで中間政府の基礎が存在する。しかしながら、日本帝国主義の構造的弱さと世界階級闘争の切迫は、この中間的なものの内容をきわめて動揺せざるをえないものにしつつある。

 中間政府の短命ということは、期間的なものよりむしろ内容的なものである(情勢により一定の生命を保つかもしれないし、又逆にこの中間政府の成立期をめぐって直ちに階級決戦に突入するかも知れない)。いかに日本共産党が、頭の中でこの過程を内容抜きに二段階革命として把握し、「強行連続的に社会主義革命」を考えようと、現実のプロレタリアの自立を抑圧する限りにおいて、「観念」のもてあそびであり、客観的、現実的存在としての諸階級の闘いは、日共自体の分裂を生み出さざるを得ないだろう。日本の社民は、この民主連合政府に向けて、今着々と進みつつあり、日共はこれに歩を合わせる意味において、社民化せざるを得ず、現実のプロレタリアートの自立には自ら立ち遅れてしまうであろう。

 日本資本主義の危機へ向けての大ブルジョアジーの対応(行政権の自立過程)"上からのファッショ化"、「新中間層」を中心とした比較的安定した部分の民主主義革命としての対応、そして「旧中間層」を中心とする動揺せる中間層の大衆運動としての下からのファッショ化の過程の中で、日本プロレタリアートは、最も立ち遅れているといわねばならない。

 そして日韓両ブルジョアジーの野望を粉砕するとともに、日本革命のためにも、日韓・ヴェトナム闘争こそは、これまでの拠点的闘争を基礎に、一挙に全国的普遍的な闘争としての団結を生み出す決定的闘争である。

 革命とは、観念の遊びではない限り、日本プロレタリアートはこの闘争に、自らの自立した闘いとして立ち上り、全国的な革命的政治潮流の形成の基礎をかちとらぬ限り、民主連合政府の小ブルの完全なヘゲモニーの成立、その中でプロレタリアートは独自の要求を出した時、密集した反革命との闘いにより、血の海に沈むであろう。

                          

(1965年9月)