プロレタリア軍事思想
中原一 1974年
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@ 軍事とは、組織的・暴力的闘争であるが、同時に、その前提となる「戦争」の科学的把握からもとらえかえさねばならない。
「戦争」は、共同体と共同体との暴力的闘争をいう。この共同体は歴史的発展の中で国家(階級的支配を内に含んだ)という形をとって現われ、近代ブルジョア社会の成立とともに近代国家という形態を整える。普通、「戦争」はこの国家と国家の闘争として理解されるが、それは「戦争」の半分でしかない。歴史にのこるものでも、古代ローマ帝国に対する奴隷反乱(スパルタクスの反乱)が階級戦争として知られている。つまり、「国家と国家の戦争」に対して、「支配階級と被支配階級の戦争」があるわけだ。これは、普通、内乱とか、革命戦争とかいわれている。私有財産(分業)を基礎とする階級社会が、資本主義社会としても最も発達した段階で「国家と国家」の「戦争」(政府と政府の「戦争」)も極限的に発達していく。そして、資本主義社会の最も発達した段階としての「帝国主義段階」における「帝国主義戦争」となって爆発する。
「帝国主義段階」においては、私有財産制(分業)を基礎とした階級社会の疎外があらゆる面で極限的に現われる。「帝国主義戦争」においても同様である。階級社会での支配者階級の暴力はいうまでもなく被支配者階級に対して向けられつつも、他方、支配者階級相互の「戦争」の論理、それ自体独自に回転し、ブルジョアジーにとってもどうにもならないものとして現出する。それは、兵器の面における究極兵器(核兵器)の出現に最も単純に表現される。これはちょうど、経済面においてブルジョアジーの一切の活動が経済活動の「破局」としての「恐慌」に行きつくのと同様である。そして、分業と競争を原理とする資本主義社会は、その中に被支配者階級としてプロレタリアートを含んでおり、この社会における先ほどみた政治的(軍事的)、経済的疎外からくる矛盾はプロレタリアートに最も集中する。こうして、「国家と国家の戦争」の底からその止揚を目指して階級戦争が発展してくるのである。プロレタリア革命は、世界・同時革命としてしか実現しえないものであり、全世界ブルジョアジーと全世界プロレタリアートの立体的戦争として最終的結着がつく。
このプロレタリア階級の闘争はプロレタリア独裁のプロレタリア国家を実現し、階級を絶滅する共産主義社会へ突き進むためのものである。しかし、それは、ある日突然生まれるものではなく、現在直下におけるソヴィエト運動として形成されているのである。いうまでもなくそれは放置される限りで自然発生的なものであり、プロレタリア革命党の任務はこれを目的意識的に展開することである。
ソヴィエト連動とは、プロレタリア的共同性(団結)を現在的に形成してゆくものにほかならない。勿論、それは、資本主義社会の中にユートピア的に自己完結するものではなく、国家権力の打倒、プロレタリア独裁の樹立を通して初めて普遍的「実現」の第一歩を踏み出すものである。そういう意味で、帝国主義打倒−プロレタリア独裁の樹立の闘いは、旧い共同体に対する新たなる人間的共同体の闘いでもある訳である。
A さて、こうした「戦争」の歴史的、社会的な要点をふまえたうえで、「戦争」をめぐる科学がいかに成立するのかをみよう。
今までみてきたような「戦争」の要約でわかるように、「戦争」一般があるわけではなく「支配階級と支配階級の戦争」と「支配階級と被支配階級の戦争」があり、さらにその前者、後者が、それぞれに歴史の中で変化をする。古代奴隷社会、封建社会、資本主義社会等々の生産関係に対応して、「戦争」の形態は様々に違ってくる。しかし、その歴史的、社会的に規定された「戦争」の変化が、「戦争である限り」何をめぐっての変化なのかは統一的に把みとられなければならない。それは、「共同体のエネルギー」と「暴力の形態」の二つの側面から把みとられなくてはならない。
マルクス主義(プロレタリアートの科学)にとっては、社会科学は、史的唯物論しか存在しない。しかし、それを前提としたうえで個別科学は存在する。経済学、政治学、法律学等々のようにである。同様に、軍事科学も成立する。そして、その軍事科学は、今みてきた二点を基礎として成立するのである。
「共同体のエネルギー」ということは、相戦うその共同体の歴史的、社会的あり方と不可分であり、そして、それに規定されて「暴力の形態」が成立するわけである。この二つは、前者に規定されて後者が成立するという関係であるにしても、後者は後者として相対的独自性をもっている点に注目しなければならない。普通、軍事科学という場合、後者の問題(暴力の形態)のみとして取り上げられるが、それは誤りである。その理由は@で要約的にみてきたが、単に本質論の問題のみならず、「戦争」の形態にも重大な誤りとなって現われてくるのである。特に、革命戦争−内乱の問題を、戦争形態として解明する時に、最もハッキリと現われてくる。したがって、プロレタリアートの軍事思想、軍事科学は資本主義的なそれを引きつぎつつ、それをあらゆる面で改編しつつ成立するのである。勿論それは、ロシア革命の中でトロツキー等の軍事委員会が経験したように、くりかえし支配階級の軍事科学を徹底的に受け継ぎ、利用しつくすことを通してのみ可能なのであるが−。
B ところで、歴史的に成立している「軍事科学」「軍事理論」は一体どのようなものであったのか?それは、後でみる、マルクス・エンゲルス、レーニン、トロツキー、毛沢東等のもの以外は、支配階級の問で形成されてきたものにほかならない。そういうものの集大成が、いったん、プロシャの将軍だったクラウゼヴィッツによってなしとげられる。
クラウゼヴィッツの軍事理論は、『戦争論』に展開されているが、先ほどみた軍事科学の二つの基礎について卓越した地平を生みだしている。それは、クラウゼヴィッツがその軍事理論の手本にした相手がプロシャの啓蒙的君主、フリードリッヒ大王とブルジョア革命の旗手、ナポレオンだったということによる。このクラウゼヴィッツの優位性は二点においてあらわれている。第一点は、それ以前の戦争の理論を合理的に集大成した点である。第二点目は、戦争と政治(共同体又は、国家)との関連を解明した点である。クラウゼヴィッツが対象とした戦争は、ブルジョア革命期の国民的総力戦であった。そこでは「戦争」のそれまでの様々な形態が最も大規模に、最も集中的に展開されていた。こうして、それ以前の段階では、神秘的な君主の、あるいは軍師の直観の領域に属していたように思われる分野を、科学の対象にしたのである。
クラウゼヴィッツの軍事理論の骨格は次のようになっている。
第一には、「戦争」を「政治」の延長と考えること。
第二には、「戦争」の目的を敵戦闘力のセンメツとしてとして明確にとらえること。
第三には、作戦の中心を決戦の明確な設定と、その決戦(主戦)に向けての戦略的な力を空間的、時間的に集中しきることにおいたこと。
第一の問題は、「戦争」の社会科学的本質にかかわることである。
第二の問題は、「戦争」をめぐる勝敗の概念を簡明に示している。
第三の問題は、戦略、戦術形態の中心点を明確にしている。
更に注目すべきものは、クラウゼヴィッツの「絶対的戦争」の概念である。これはクラウゼヴィッツが戦争を政治との関連でとらえつつ、同時に戦争の暴力性を徹底化させたときに達した優れた地平である。小山弘健氏が『軍事思想の研究』の中で述べているように、クラウゼヴィッツが「階級戦争」(封建勢力に対するブルジョア革命戦争としてのナボレオン戦争)の中で自らを鍛え上げつつ生み出したものである。つまり、支配者と支配者の戦争は最後はどこかで政治的妥協が成立するが「階級戦争」は絶滅戦としてのみ結着がつくということである。だが、結局、クラウゼヴィッツはそれを「純粋概念」の世界のみの問題として、「観念の世界」にとじこめてしまった。それは彼がナポレオンと闘ったプロシャ軍にいたこと、及びブルジョア革命がもつ性格、限界に規定されている。ブルジョア革命は結局、別の支配者の革命だったのである。
C 第一の問題は、それをとらえかえした地平から若干先ほど要約したが、更に後でもう一度展開するとして、第二、第三の問題について整理してみよう。
「戦争」の目的を「敵戦闘力のセンメツ」としてハッキリさせるということは、結論からみて、当り前のようにみえても決してそうではない。これは今みたようなクラウゼヴィッツの軍事思想の背景に規定されて生まれているものである。この点、時代がだいぶかけ離れているが、「孫子」のそれとは根本から異なる。「孫子」の場合には、敵戦闘力のセンメツによって得られる勝利を必ずしも最上のものにおいていない。この二つの軍事書の歴史的差違を一応考えねばならぬとしても、階級闘争の洗礼を受けているクラウゼヴィッツの方を我々はより高く評価してゆかなければならない。
第三の「戦争」の形態、又は作戦上の問題に入ってみよう。クラウゼヴィッツの『戦争論』が、それ以後多くの近代軍事書がそれをこえた地平を築くことができていない「原典」的な位置を示しているのは次の点による。それは、すでにみてきたように、彼が近代総力戦(国民戦争)の整理を通じて軍事展開の原理をほぼ整理しきっているからである。マルクスの『資本論』がイギリス資本主義の分析を通して確立されたように、ブルジョア革命戦争であるナボレオン戦争を通して、クラウゼヴィッツは近代戦争の「科学的」解明を行なったのである。
「戦争」や「戦闘」の指導はいうまでもなく紙の上でなしうるものではない。苛烈な戦闘とそれを通して確立される指導力によってのみ可能なものである。だが、それが君主や将軍の「神秘的な直観」によるもので「科学の対象」にならないというものではないことを、クラウゼヴィッツは示した。くりかえすが、原理を知っていてもそれは実戦にすぐ役立つものではない。原理はいくつかの現実的要素を通して貫徹されるのである。しかし、同時に原理的なものの確立は人間の活動を自由に発展させるものなのである(原理と教条とは異なる)。
クラウゼヴィッツが示したものは人間の集団的な、暴力的な闘争の発現の仕方である。「戦闘力の戦略的な時間的、空間的集中」「決戦の勝利」ということは当り前のことに思えて、これが「戦争」の原則上の問題として意識されるのは「近代国民戦争」となってからであろう。それ以前の多くの軍事作戦は、地形主義やその他の技術主義的なとらわれ方をくぐっている(軍事上の「天才」は経験上、これを実践してきている。例えば、日本の戦国時代の「統一」の基礎を築いた織田信長は桶狭間における奇襲作戦の勝利以外は、圧倒的軍事力の集中による勝利によって地位を確立していった)。
この問題を解明する時もう一つ必要なことは「武器」の問題である。ナポレオン作戦の基礎は、大砲と馬であった。砲兵による破壊力の集中と、騎兵による迅速な突撃である。つまり、「近代戦」において戦力を一挙に集中して勝利するためには、火力の水準をアップすることと、兵力をうごかす運送面での兵器の発達が重大な意味をもっている。この面で近代戦の「革命」は原水爆を別にすれば、機関銃と飛行機と戦車であった。
すでにみたような政治的(共同体的)な問題を一応別にして軍事上の問題を形態、技術の問題にのみしぼれば、「勝敗」は結局、兵員数、国土(自然的な条件を含んだ)、武器水準(生産力)により決まる。そういう点で火力の水準のアップと運送兵器の問題は、これとの関連で戦略的な勝敗を決める。
ナポレオンは馬を使い、ヒットラーは飛行機と戦車を使ってロシアに侵入して失敗した。こういう点を考慮しておかねばならぬとしても、第二次大戦におけるドイツ機甲師団や、ノモンハン戦闘にみられるところのソ連陸軍がもたらした陸戦上の「革命」、及び、太平洋戦争においてアメリカ海軍が行なった海戦史上の「革命」は、クラウゼヴィッツ的な戦略の延長にみておかねばならない。陸戦においては歩兵が主力であって戦車は補助的役割しか果さないという考え方を否定し、戦車群のみの師団により機動戦を展開したのがドイツ機甲師団である。これにより「大国」フランスはあっけないほどの短期間に壊滅してしまった。また、日本海海戦の大勝利により結局は艦隊決戦の勝敗にかけ、大艦、巨砲の戦艦を主力とした日本海軍に対して、アメリカ海軍は飛行機による「海戦」を主にし、太平洋戦争中の日・米両海軍は遂に一度も「艦隊決戦」を行なわずに日帝の「大海軍」はセンメツされてしまった。
「戦争」の中味自体が異なる以上、形態上の多くの相違点があるにしても、革命的プロレタリアートは、ブルジョア軍事科学を吸収しつくして、さらになおかつそれを改編しなくてはならない。そのためには「戦史研究」をブルジョアジー以上に行なわなければならない。
D ナポレオン戦争によって実戦的に展開され、クラウゼヴィッツによって理論的、思想的に確立された近代ブルジョア戦争は、その後いかなる展開を行なっていったのか。勿論、「ブルジョア戦争論」という絶対精神が自己展開していった訳ではない。資本主義が自由主義段階から帝国主義段階に発展してゆくと共に帝国主義戦争が地球上をおおってゆく。この中でブルジョア戦争論は、思想的、実践的破局に直面する。それはいうまでもなく「自由・平等・博愛」をかかげたブルジョア革命が、その中にプロレタリアという被支配者階級を含んだ新たなる階級社会の建設でしかなかったことの結果である。つまり、帝国主義戦争をめぐるプロレタリアートへの矛盾の集中に対して、プロレタリアの階級戦争が発達してくるのである。これは、ブルジョア戦争の思想面、実践面ではどのような形で現われているのだろうか。
前者の問題はクラウゼヴィッツにおいては、いわば「観念の世界」の問題として展開を中断されていたものが「破局」として現われる。つまり、確かに彼においては「軍事を政治の延長」として把えた。しかし、それは直観にとどまり、それはそれとして解明されきっていない。こうして「戦争」それ自体の問題においても、すでにみた「絶対戦争」を「観念の世界」へ封じ込めるような限界として現われる。さらに、軍事指導と被指導との関連が結局「精神労働者とその物理力」という形以外、成立しないものとされてゆく。
軍事展開においては、結果は非常にハッキリ出るし、また、問題の性格上、指導は最も厳格なものが要求される。作戦展開上は中途半端な「優しさ」「人情」がかえって部隊を壊滅させるような原因となる。したがって軍事指導者の思想構造はいかなるタイプのものであれ極限的なものが要求されるし、またそうならざるを得ない。こうして、ブルジョア軍隊の軍事指導者は、その極としてのファシスト的思想構造へ行きつくのである。ここでは「純粋観念」と「物理力」が極限的な形で結びあわされている。こうして最も「非人間的」なものへと行きついてゆくのである。
この問題と不可分に現われてくるのが、「武器」をめぐる疎外である。資本主義社会では本質的にはすべてのものがそうなのであるが、軍事においても個々のブルジョアの思惑を越えて軍事をめぐる問題が独自に、自己展開していく。こうしてブルジョアジー自体の破滅につながる核兵器、核戦争が登場してくることになる。
プロレタリアートの軍事思想、階級戦争論は、これらのブルジョア的軍事思想、戦争論をあらゆる面で突破してゆくために生まれていくのである。
@ プロレタリア革命が「暴力革命」か「平和革命」か、という問題は、現象論や形態論の段階で終らせてはならない。プロレタリア革命の本質にかかわる問題としてつかみとり、そのうえにたって形態の問題としても整理していかなければ、ブルジョアジーの様々な攻勢に足下をすくわれることになる。そういう意味で、社民や「先進国」スターリニストの議会主義は根元から爆破されていかなくてはならない。
プロレタリアートが資本制生産様式のなかで賃金奴隷であるのはそのあり方すべて(生産と消費を基礎とした)が、被支配と被搾取の中にあるからに他ならない。その社会が如何なる社会であるのかということは、労働にたずさわる人間が支配階級なのか、被支配階級なのか、また、被支配階級ならば、社会的生産をめぐる隷属がどのような形なのかによって決まる。この「働く階級のあり方」の上に、政治的上部構造が成立するのである。資本制生産様式とは賃金奴隷によって支えられている社会なのである。人間が自然に働きかけて行なう社会的生産が、「資本と賃労働」の支配、被支配関係によって成立している。
プロレタリアートにとっては、生産活動(生産=消費としての)の一切が資本への隷属の下にあり、そして、それを基礎としてブルジョアジーの政治的支配が行なわれている。プロレタリアートのエネルギーはこの社会的生産をめぐる隷属を突破し、働く階級の共同体を建設せんとするものである。
具体的には社会運動とそれを基礎とした階級的政治闘争によりブルジョア国家を打倒し、プロレタリア独裁の国家を樹立することを通して実現していく。
これは、労働者が社会的生産という感性的活動それ自体をめぐる隷属を突破し、自らの労働を自らの共同の力において支配するための闘いである。つまり、社会的生産のあり方、そして、それを基礎とした「共同体」のあり方を変えんとする闘いである。これはまさに、<感性的活動>−<実力による対象の変革の活動>としてしか成立しない。プロレタリア革命の暴力的本質はここにある。こうして、このプロレタリアートの暴力的闘いは、働く階級の政治的、社会的隷属を粉砕し、新たなる人間的共同体を樹立せんとするものである。
A これをプロレタリアートの矛盾のあり方と、それへの闘いという面からみれば次のようにいいうるだろう。
資本主義社会の矛盾は「恐慌と戦争」として爆発する。「恐慌」とは、資本がその自己矛盾を経済的に爆発させるものであり、ブルジョア国家相互の「戦争」は、この恐慌を究極のものとする資本主義社会の経済的矛盾が、政治的に現れたものである。だが「経済恐慌」と「政府と政府の戦争」(ブルジョア国家とブルジョア国家の戦争)は、それ自身としては資本主義社会の政治的、経済的展開の一サイクルでしかない。つまりこれは、資本主義社会の本質的矛盾が、資本の論理の中で表現されたものでしかない。
資本主義社会の本質的矛盾とは「賃労働と資本の矛盾」であり、それが資本の運動法則の中で「経済恐慌」や「戦争」となって現われるのである。プロレタリア革命は、この資本の本質的矛盾を資本の運動法則を突破する形で止揚せんとする闘いである。したがって、プロレタリア革命の暴力性はこの資本制生産様式の本質的矛盾の中に基礎をもっている。
資本制生産様式の本質的矛盾は、プロレタリアートの社会的生産活動(それは資本の活動として現われる)そのものが、プロレタリアートを不断に破局に叩きこむという点にある。資本主義は一方における強制された「怠惰」としての相対的過剰人口を形成しつつ、他方、工場の中では、単純肉体労働と労務管理の強化、恐るべき搾取の強化をなしとげる。機械の発達と分業の発達によって深化、拡大する搾取と隷属は、資本主義社会の「絶対的矛盾」として労働者に襲いかかっていく。そして、これに対する労働者の抵抗には政治権力の強化をもって圧殺していくのである。
B ブルジョア社会における産業は、資本に対する賃労働の隷属をうちにふくんだ分業と競争を基礎として、被支配者階級に対する暴力装置を備えた「幻想的共同体」である。いうまでもなくそれは、被支配者階級に対する支配階級の政治的支配のみならず、支配階級相互の利害調整の機関でもある。
プロレタリアートの階級性の「原点」は工場の中にある。しかし、その中味が展開されて「階級」と「階級」とが普遍的に対決するのは、国家権力とプロレタリア革命運動という形においてである。つまり、大きくは、現役プロレタリアートと予備役プロレタリアートの分断を前提として、労働者を徹底的に部分化、一面化させ、競争にひきこむことに、また、恐るべき搾取攻撃に、実力で対決する中で生まれる全面的に発達した人間への欲求を基礎として、階級的、政治的団結が始まる。闘争と団結は、相互に増幅しあいながら発達する。このことは、すでに指摘したような感性的活動としての実力闘争として展開される。労働者の団結は、個別工場の団結、職能別的、産業別的な特殊性をもった団結、そして階級的政治性をもった普遍的団結へと発達する。そして、この発達は一つ一つが「飛躍」なのであり、特に階級的政治闘争−国家権力との闘いにおいて、階級的暴力性は最も発達したものとなる。
現実の階級闘争は、それぞれ個別的、特殊的、普遍的闘争が並存して相互に強化しあうのである。最も発達したものとしての階級的、革命的政治闘争は、新たなる人間的共同性(団結の発達と個人の全面的発展)を内包したソヴィエト運動として推進され、ブルジョア国家権力の暴力的粉砕−解体と、プロレタリア独裁権力の樹立をもって公然たる勝利の第一歩にはいる。こういう意味では、プロレタリア革命の暴力性は資本主義社会に全面的に対決せざるをえない階級が、その粉砕を通して、新たなる人間的共同性を形成していく闘いの<本質>を構成しているのである。
だが、我々が徹底的にふまえねばならない点は次のことである。
「ブルジョア的、小ブル的人間性」なるものは、階級と階級の血みどろの暴力的闘争の中から生まれるプロレタリアの新たなる人間性とは、根本から区別されるものである。ブルジョアヒューマズムは言語を絶する階級矛盾と、それに対する鉄火の中の死闘により粉微塵に粉砕されるべきものなのである。鉄火と、敵味方の累々たる屍の中で、自らも死を覚悟して闘う中でのみ新たなる人間的共同性は普遍的に実現しうる。そして、この死闘は「国家権力対プロレタリア革命運動」という形において現われるのであり、あらゆる闘争は、この死闘に敗れるならば絶滅させられていくのである。
C この問題において、さらに、路線的、思想的には小ブル急進主義批判を明確にさせておく必要がある。
周知のように、「後進国」においては武装闘争が展開されており、すでに公然たる内乱、革命戦争へ突入している。他方「先進国」においては、イギリスにみられるようにストライキが国家の存在をゆさぶりつつある。「先進国」においても小市民急進派による、水準を直接「後進国」に合わせた武装ゲリラの試みがなされている。我々は、現段階で、次のマルクス主義の原則を再度、徹底的に確認しておかなければならない。
すなわち、帝国主義を打倒する力は産業プロレタリアートの闘争と、その組織を原動力としているということである。如何なる階級の如何なる暴力かを欠落して、暴力性一般により帝国主義を打倒しようと考えるのは、小市民的インテリの「白昼夢」でしかない。
現代社会における疎外は、小市民、学生、貧農等々を不断に孤独と絶望の中にたたきこみ、思想的にいえば、宗教的絶対者に帰依する形での、あるいは、ニヒリズムをはらんだ実存主義的自己投企としての「死をもいとわぬ闘争」へかりたてる。それは、あまりにも惨めで非惨な人民、あまりにも惨めで非惨な自分、そして、ここへたたきこんでいる帝国主義に対する「すべてをかけた闘い」ではある。そして、プロレタリア革命運動にとっても、反帝国主義の共同闘争の一環として位置をもつ。だがそれは、それ以上でもそれ以下でもない。つまり、決して帝国主義の打倒−世界革命に到達しえぬものなのである。それは、帝国主義の現下における矛盾の構造に自然発生的にのみ反発しているものである。「死をも覚悟した闘い」一般が存在するわけではない。「如何なる質の如何なる闘争における死なのか」がつねに問題になる。現在の社会に対する自然発生的な怒りのままの、又は、小ブル的な怒りのままの「死をも覚悟した闘い」とは、本質的には、帝国主義に包摂された、その手の内における「死をかけた闘い」に外ならない。それは、宗教的な、又は、ニヒリズムに犯された「闘争と死」にほかならない。
勿論、プロレタリア革命派は、それを単に批判するのみではむしろ日和見主義に転落するだろう。プロレタリア革命運動の蜂起へ向けた発展を背景にして、たとえそれが、如何なる限界をもっていようとも、その暴力的闘争の突き出す中味を、産業プロレタリアートを主軸とするプロレタリア運動の階級闘争の質へとらえかえし、再編するカが存在しなくてはならない。小ブル急進主義の「死をもかけて」闘わんとするエネルギーを、プロレタリア的闘争と団結の中に再編し、宗教やニヒリズムをこえた「階級的な生」への「闘争−団結」へと再編していく力をもたねばならない。つまり、現実の生きた階級的利害に結びつけられ(団結が個々人の発展をも推進するプロレタリア革命運動)、勝利を目指して「階級的勝利のためには戦闘における個々の敗北によってもたらされる個々人への死をも引き受けて」闘うプロレタリア暴力革命へと再編していかねばならない。
D @〜Cでみてきた問題は、戦略的、思想的にみれば、結局、現代社会における根源的矛盾をどのようにつかみ、それへの闘いをどこにすえつけるかにかかわることである。我々は、マルクスによって確立された科学と、歴史的な革命運動の総括のうえにたって、現代社会の一切の矛盾の根源を「帝国主義工場制度」の中にあると考える。これこそが、現代社会の矛盾の一切を拡大再生産している「原点」なのである。
階級社会ということは、働く階級が支配され、搾取されている社会のことである。しかし、それが各時代によって異なるのはその働く階級の被支配、被搾取の構造が異なるということでもある。それは、私的所有(分業)のあり方が「発展」しているということである。つまり、資本主義社会とは、私的所有(分業)の最も「発展」した社会である。別の表現をとれば、「疎外」が最も「発展」した社会である。
世界は、さまざまな生産様式が空間的に並存している。原始共産制、アジア的生産様式、封建的社会(ゲルマン的生産様式)、資本主義社会等々−。だが、単に空間的に並存するのみならず、他の生産様式は最も発達した生産様式に全体的に制約されるのみならず、その最も発展した生産様式に解体的に再編されていく。こうしてまた、帝国主義はそれ以前の階級支配のさまざまな形態を、帝国主義的に再編しつつ更にその矛盾を鋭く拡大再生産する力をもっている(プロレタリア革命の一国的勝利も、自らの運命を世界プロレタリアートの中にすえつけ、世界革命戦略の中に発展の道を切り開かない限り、疎外が進行し、帝国主義の破壊作用の下におかれる)。したがって、あらゆる種類の革命運動は、帝国主義工場制度の底から決起し、国家権力と対決する産業プロレタリアートを主軸とするプロレタリアートの革命運動と、結合し、再編されていかねば、如何に現象的にラジカルにみえても、結局、帝国主義に包摂され体制内化されてしまう。これは、決して、「先進国革命主義」でもないし、「後進国」革命運動の切り捨てでもない。全世界プロレタリア人民の矛盾を根源的に解決せんとするならば、これ以外にはないのである。
さらに、このことを原則的に、徹底的に貫き通すうえで注意しなければならないのは、運動の原則を徹底的にふまえることと、それを現段階で、如何に展開するのかということの区別と連関をハッキリさせておかなくてはならないということである。マルクス主義をふまえてプロレタリア革命を推進する組織が、産業プロレタリアートの中にその運動−組織をすえつけていなければ、それは、原則からの逸脱であり、歴史から手痛い打撃を受けるだろう。だが、産業プロレタリアートの中に運動と組織をもっているからといっても、必ずしもそれがプロレタリア革命派とは限らないということである。「先進国」においては、それは例外である所に問題の困難性がある(イギリスの労働党は、その最も極端な例であるが、これほどでなくとも先進国のスターリニスト党も同様である)。産業プロレタリアートの運動と組織の中に基礎をもち、かつ、それが階級的、革命的なものでなくてはならない。まさに、<産業プロレタリアートが虐げられた人民の前衛>として闘わねばならないのである。
要するに、現下における共産主義運動は、次のことを鮮明にしておかなければならない。
第一は、階級矛盾の質、闘争の質を歴史的、社会的、科学的に解明していかねばならない。そのうえにたって、帝国主義工場制度の底から決起してくる産業プロレタリアートの闘いが、現下における「革命」運動の前衛たることを頑強にふまえねばならぬ(そして、プロレタリア革命を推進する者は、前提として、この産業プロレタリアートの階級化・革命化を推進せねばならない)。
第二に、「先進国」の産業プロレタリアートを支配しているのは、体制内的、社民及び社民化したスターリニストであり、第一のことを問題にするということは、これらと徹底的に闘いつつ、プロレタリアートの階級化、革命化を推進するということである。したがって、一般的に産業プロレタリアートの運動と組織に基礎をもっているということをもって、それがプロレタリア革命派だとはとてもいえない。直接的な産業プロレタリアートの運動、組織とともにあらゆる虐げられた人民の闘いとの連帯が問題である。
第三に、以上のことから、プロレタリア革命運動の原則とその展開の、連関と区別を明確にしておかなければならない。我々は、産業プロレタリアートの闘いの階級化、革命化を断固として推進していかなければならない。それは、産業プロレタリアートが工場における闘いを「原点」としつつ、一切の虐げられた人民の前衛として闘うということである。
第四に、我々は現下における次のような傾向の「エセプロレタリア革命派」に転落してはならない。産業プロレタリアートを物理力とする社民的、スターリニスト的運動(議会主義と労働組合主義)への転落を拒否しつつ、帝国主義工場制度との闘いから逃亡し、小ブルや人民一般の闘いにプロレタリアをひきまわす、小ブル急進主義の「エセ革命主義」への転落(これは現下におけるプロレタリア革命運動の困難性から逃亡し、さまざまな闘いの現象的急進性のみに目を奪われる)。社民や、「先進国」スターリニストは、ブルジョアジーのプロレタリアートへの支配に「のっかり」、自己保身し、体制内で生きているのであり、小ブル急進派はブルジョアジーのプロレタリアの支配に絶望し、「もはや産業プロレタリアートは革命化しえない」と思うのである。どちらも、本質的には体制内的な小ブルの身勝手な「左」右へのブレである。
E 第二インターナショナルの帝国主義戦争への屈伏、及びブルジョア議会主義への屈伏に対して、レーニンがロシア革命を勝利に導きえたのは、次章でみるような限界をもちつつも、ナロードニキや、その系譜の中のエス・エルと対抗しながら、今みたような原則をめぐって苦闘したからにほかならない。次の引用はその一端を示している。
「共産党に指導された都市の工業プロレタリアートだけが、農村の勤労大衆を資本と地主的大土地所有との圧制から解放することができるし、資本主義制度が維持される限り必ずつぎつぎにおこる荒廃や、帝国主義戦争から解放することができる…。
他方では、狭い同職組合的、職業的な利益にとじこもったり、時にはどうにかやっていける自分の小市民的状況を改善するにとどまって、自己満足しているようでは、工業労働者は人類を資本のくびきと戦争から解放するという世界史的段階を任すことができない。『労働貴族』のいる多くの先進国が、まさにこういうありさまであり、これ等の『労働貴族』は第二インターナショナルの自称社会主義政党の土台となっているが、実際には、社会主義の最悪の敵であり、社会主義の裏切者、小市民的排外主義者、労働運動内のブルジョアジーの手先である。プロレタリアートは、全ての勤労被搾取者の前衛として、搾取者を打倒するための彼らの闘争の指導者として登場し、行動して初めて真に革命的な階級、真に社会主義的に行動する階級となることができる。」(レーニン『農業問題についてのテーゼ草案』)
@ 「暴力革命」か「平和革命」かという問題は、その本質論をふまえたうえで、最終的には「武装蜂起−内乱」によるプロレタリア革命の勝利か、「議会を通しての権力奪取か」という問題にいきつく。この問題も、「可能か不可能か」という議論とともに、それを含んで、革命運動の性格についての解明として追求される必要がある。
レーニンについて、我々はその評価と批判を極めて注意深くしなくてはならない。当時のマルクス主義者としては超一流の水準であった彼を、ロシア革命全体の流れの中でつかむ必要がある。そういう意味で、レーニンについて一種の結論めいたことをいうためには、それについての論証が必要である。しかし、ここでは、それを行なっている余裕がないため、ここで行なう評価と批判について必ず別の機会にそれを行なうことを前提として、レーニンには次のような優れた面と限界とがあったことを指摘しておかねばならない。
レーニンは、当時、最も優れたマルクス主義者として、「後進国」ロシアにおいて産業プロレタリアートの革命性をつかみとり、その断固たる推進力となった。初期レーニンの思想的格闘は『ロシアにおける資本主義の発達』や『市場問題』にみられるように、ロシアにおいても資本主義が発展するのであり、したがって、それとともにプロレタリア革命運動がロシアの革命運動の主流になることへの科学的追求であった。これは、次にみるような限界を含みつつも、レーニンの生涯の思想を貫いている。さらに、レーニンの優れている点は、革命的リアリズムである。つまり、突き出されてくる諸問題を実践的に解決するリアリズムである。そして、それを通して思想をも問題にしていく姿勢である。
こうした優れたプロレタリア革命運動の推進者でありながらも、次のような問題点をはらんでいたと思われる。それは、プロレタリアートの革命性のつかみ方が「外在的」であり、本質的な面での把握が不十分なことである。これは革命運動上は、次のような問題点として出てくる。つまり、戦術面における革命的リアリズムが、プロレタリア革命運動の本質的な問題、さらには戦略的問題に支えられていないため、ロシア的な現状の特殊性にとらわれ、それを固定化する傾向である。あるいはプロレタリア革命の戦略的な次元の方針が、現実的に展開されていかない傾向である。これは、マルクス主義の理論面では、「活動」にかかわる面の弱さとしてもあらわれる。例えば「私的所有」を「分業面」から、つまり「活動面」からとらえていくことが欠落しやすい。これは方針上は、プロレタリアートの「活動」における革命性が生かされた形のものにならず、「活動を欠落させた結論」のみが、リアリズムに支えられて突き出されることになる(疎外)。これは「民主主義革命における二つの戦術」「ソヴィエト運動」「プロレタリア独裁及びそれをめぐる党の役割」「単独責任制、あるいは独裁をめぐる問題」に等おいて顕著にあらわれてくる。
武装蜂起の問題についても、そういう全体的な問題の中に位置づけていくということを前提としておかなければならない。それをふまえておいたうえで、17年の勝利の後、「議会制民主主義をめぐる批判」について答えつつ、武装蜂起とプロレタリア独裁を擁護しつつ書いたレーニンの諸論文は、優れた内容をもっている。
A 「プロレタリアートは、階級闘争を行ないブルジョアジーを倒すが、その場合に予備的な(然もブルジョアジーの手で施行され、彼らの圧制の下で行なわれる)投票を行なったりしない。それでもプロレタリアートは、彼等の革命の成功のためにはブルジョアジーを首尾よく倒すためには、勤労者の多数者(したがってまた、住民の多数者)の共感が無条件に必要であることをよく知つている。…生きた生活が、現実の諸革命の歴史が示しているところでは、どんな投票(搾取者と被搾取者との「平等」のもとで搾取者の手で施行される投票はさておき!)によっても『勤労者の多数者の共感』を証明できない場合が極めて多い。『勤労者の多数者の共感』は、総じて、投票によってではなく、諸党のうちの一つの党が成長したこととか、ソヴィエトの中でその党の党員数が増えたこととか、個々の、だがなんらかの理由で非常に大きな意義をおびたストライキが成功したこととか、内乱で成功をおさめたこと、等々によって証明される場合がきわめて多い」(『イタリア、フランス、ドイツ共産主義者へのあいさつ』)
「資本主義のもとで勤労大衆が長期にわたる闘争の経験を経ないでも、どの階級、あるいはどの党のあとにつくかを単なる投票によって決定できるほどの、一般になんらかの仕方でまえもってそれを決定できるほどの高度の意識性、堅固な志操、洞察力、広い政治的視野を獲得できると考えたりするには、小ブルジョア民主主義者の、すなわち現代におけるその主要な代表者である『社会主義者』と『社会民主主義者』の幻想がなければならない。…非プロレタリア的勤労者が…ブルジョアジーの指導と、プロレタリアートの指導の比較ができるようにする実践的な経験がなくてはならない。もっとも重大な政治問題を投票によって解決できるかのように考えている『一貫した民主主義』の崇拝者達がいつも見落しているのは、まさにこの事情である。実際には、これ等の問題が鋭いものとなり闘争によって激化させられている時には、それを解決するものは内乱である。そして、この内乱で重要なものは、非プロレタリア的勤労大衆(なによりも農民)の経験であり、彼等がプロレタリアートの権力とブルジョアジーの権力とをつきあわせて行なう比較の経験である。」(『憲法制定議会の選挙とプロレタリアートの独裁』)
これは、権力奪取の後、主に農民問題に苦しみつつ書かれているが、それが単に非プロレタリア的勤労大衆についてのみいっているのではないことは、前後の文脈をみても明らかである。ここでいおうとしていることを要約すれば、<階級的実力(暴力的闘争)によって闘いが前進し、プロレタリア大衆に矛盾の解決に向って突き進むべき方向が明らかにされ、それがブルジョア的な、小ブルジョア的な現実と比較されつつ、突き出されることによって、プロレタリア大衆も、非プロレタリア的勤労大衆も変るのである。実力による現状の突破がなされず、ブルジョア的現状と思想が全体をおおっている中で、「投票」によってプロレタリア大衆や、非プロレタリア動労大衆を変革しようとすることなど全く笑うべき幻想だ>ということである。ここには、「プロレタリア暴力革命」の「蜂起−内乱」の思想が要約的につき出されている。
ただし、誤解されないようにいっておくが、レーニンは議会の革命的利用を最も断固として擁護し、推進してきた革命家である。これは、1905年革命の敗北後の1906年の反動的国会選挙におけるボイコット主義者との闘い、さらに、『共産主義内の左翼小児病』(原文ママ)におけるドイツ共産党「左派」の議会からの召還への批判にもみられる。蜂起−内乱による権力奪取と、議会の革命的利用とは決して矛盾しない。
B 蜂起による国家権力の打倒が、ブランキストによる一揆主義とどこで根本的に区別されるのか。それは、レーニンもいっているように、長い階級闘争による、プロレタリアートの経験(階級形成)をふまえて行なわれるのかどうかにかかわる。 ロシア革命が結局、スターリン主義の勝利によって収約されていったことは、レーニン主義をふくむボルシェヴィキ党全体の問題として解明されなくてはならぬ。たしかに、ロシア革命の勝利にとってレーニン主義は大きな役割を果した。だが、レーニン自身が語っているように、発達した資本主義国においては、はるかにゆっくりした、また複雑な過程をふくむ。コミンテルンが結局「先進国」では社民に敗北したことと、ロシアにおけるスターリズムの勝利とは、統一的に把握されなければならない。我々はロシア革命の経験を徹底的に教訓化しつつも、その限界を越える闘いを現在的に推進しなくては、国家権力の打倒は不可能なのである。その意味で、レーニンの「蜂起−内乱」についての要約を、マルクス主義的に深めなくてはならない。
レーニンの革命的リアリズムは、えてしてロシア的特殊性にひきよせられ、プロレタリア革命の本質的領域の問題が現実的に展開される点において不十分である。「蜂起−内乱」を通してのプロレタリア暴力革命の勝利が、プロレタリア独裁の勝利としてうちかためられ、世界革命の一環として社会主義−共産主義に発展しうるためには、ソヴィエト運動が目的意識的に推進されなくてはならぬ。つまり、一点における暴力的突出が、プロレタリア総体の階級形成を背景として行なわれることによってのみ、その暴力的突出は、拡大再生産されるのである。「後進国」ロシアにおいては、資本主義の未発達に規定されたブルジョアジーの弱さ、社民的基礎の弱さのゆえに、プロレタリア革命は、多分に自然発生的なものであっても勝利しえた。だが、「先進」帝国主義国においては、複雑に発達した分業と国家権力の構造の中で、ロシアのような型の革命は、勝利しえない。まさに、強力なプロレタリア革命党によって推進されるソヴィエト運動の目的意識的展開が不可欠なのだ。
C 蜂起−内乱の問題を、戦争形態として整理してゆけば、次のようになる。それは、二つの要素の統一的推進である。第一の要素は、プロレタリア的実力闘争の突出。第二の要素は、国家の暴力装置の解体である。歴史的な革命運動の中で、革命勢力が無傷の常備軍と正面からぶつかって勝ったためしはない。序でみたような軍事の論理がもつ「破壊力の集中的発揮」の優劣で、勝敗が決まるからである。従って、プロレタリア階級の中に強力な革命党を建設し(非公然展開を含む)、政治闘争において徹底的にプルジョア社会をゆさぶり追いつめることを欠落させて、「軍事的行動」のみで公的暴力に勝利しようなどというのは、階級闘争という観点からみても幼児の夢に等しい。
プロレタリア革命運動においては、こうして正規軍戦やゲリラ戦、陣地戦等が、独特のあり方として展開されることになる。プロレタリアートの革命運動においては、社会的基礎をゆさぶりつつ政治的頂点を攻撃するということが、決定的に重要なのである。この基本構造の上に、軍事的な闘争形態が様々に展開されることになる。
階級闘争が内乱へ発展するのは、資本主義の矛盾が全面的に表面化している中で、大衆の生産−消費をめぐる危機が具体的に煮つまることによる。勿論、それ以前の階級闘争の成熟度合とそれを基礎とする推進力(党)の力の度合により勝敗がきまる。こうして、反合理化闘争を原点とする諸社会運動の結合と、その階級的政治的発展としての国家権力との闘争がどこまで歴史的に蓄積されているかが、非常に重要である。こうした政治的闘争(軍事的闘争に対応する意味での)の推進によって、はじめて、先ほどみたようなプロレタリア軍事展開の二つの要素が推進されうるのである。
D 戦闘形態を問題とする時、政治的な意味と軍事的な意味を厳密にしてゆかなくてはならない。政治的にいえば、正規軍戦とは政治運動(経済的又は社会的闘争に対する意味で)であり、ゲリラ戦とは個別社会運動である。軍事的にいえば、正規軍戦とは正規兵と正規兵の闘争であり、ゲリラ戦とは、破壊、消耗を目的とする少数の奇襲攻撃である。軍事的な意味での正規戦は、階級闘争のそれぞれの段階に応じた政治的な正規戦の目的意識的貫徹という形態をとる。だが、内乱期に至るまでの間、その正規戦の質を切りひらき、暴力的闘争の質と形態を高める水路となるのが、軍事的な意味でのゲリラ戦に外ならない。いうまでもなくこの軍事的なゲリラ戦は、高度な政治的部隊によってのみ切りひらかれていく。政治的な正規戦−ゲリラ戦(政治運動−社会運動)の相互推進の中で、正規戦とゲリラ戦が展開され、軍事的な暴力的闘争の発展と帝国主義軍隊の解体がなされてゆく(この中でプロレタリア解放の正親軍が建設されてゆく)。プロレタリアの階級戦争がブルジョア的な政府と政府の戦争と異なるのは、前者が、国家権力の転覆を伴う内乱として展開されるということであり、戦闘形態は正規戦とゲリラ戦、政治的闘争と軍事的闘争が極めて有機的に結びつけられねばならぬという点にある。この点で、クラウゼヴィッツの『戦争論』の中での基本的形態である「会戦」主義とは、異なった面をもつ(但しゲリラ戦主義とは異なる)。
E 毛沢東は、『持久戦論』において独特の「階級闘争論」を展開している。これは、コミンテルンに指導された20年代の都市蜂起が失敗し、35年の遵義会議において毛沢東の「農村ソヴィエト」型の路線が主流となることにより、中国共産党の中に敷かれていったものである。彼は、次のようにいう。<日本帝国主義は「軍隊は強い」が、「量的には少ない」。また「闘争は不正義」であり、「国際的には孤立」している。一方、中国人民は、当面「軍事的には劣勢」であるが、領土をふくめて「量的には多い」。また「正義の闘い」であり、「国際的な支持」がある>。こういう前提の上に立って、「戦略的防禦」−「戦略的対峠」−「戦略的攻勢」の三段階を区分し、それぞれに応じて「運動戦」−「運動戦と遊撃戦」−「陣地戦をふくむ闘い」という戦争形態を方針化する。「運動戦」というのは、正規軍が陣地戦を行なわず、運動しつつ包囲、反包囲等の戦闘を行なうことことである。戦略的防禦の段階で、根拠地を奥地にしか持てない正規軍が行なう戦闘形態である。
この毛沢東の戦争方針において特徴的なことは、「陣地戦」の役割が第一段階、第二段階で非常に軽視されていることである。地形を利用して奥地に根拠地を作り、独特の社会構造(アジア的生産様式を残存させた広大な農村と点としての都市)の中で、比較的自由に農村における展開が可能だった中国階級闘争の特徴に規定されている。こうしたことを無批判に受けいれて日本に適用した場合には、根拠地をもたない「浮遊する都市ゲリラ」路線になってしまう。
いずれにしろ、闘争形態をいう時には、政治的な意味なのか、軍事的な意味なのかを明確にし、その上で、正規戦、ゲリラ戦等の形態を問題にしなくてはならない。また、軍事は、政治に大きく規定されつつ、それ独自の論理、形態をもっていることをハッキリと意識していなくてはならぬ。
いうまでもなく、階級闘争のそれぞれの段階に応じて、この形態は変化する。例えば、内戦にまで階級闘争が発展した段階では、武器水準に至るまで、正規戦の方が公然たる形で高度の展開を行なう。しかし、それ以前の段階では、ゲリラ戦の方が、武器水準や鋭さにおいては非公然の突出した戦闘となる。
以上を要約してみよう。
<第一に>いかなる階級のいかなる闘争なのかという政治的な戦略、戦術を明確にすること。
<第二に>この政治的なものに大きく規定されつつ、同時に軍事固有の戦略、戦術が定立されねばならぬ。政治的路線を誤った軍事展開は、部分的に勝利しえても全体的にはセンメンされ敗北する。政治路線を展開しつつも軍事展開を立てきれない時には、右翼日和見主義に転落する。
<第三に>戦争形態の問題を、その段階の階級闘争に対応させて弁証法的に展開すること。
@ プロレタリア階級闘争の究極的目標は経済的解放であるが、そのためには政治的解放がなしとげられねばならない。政治的解放とは、いうまでもなく帝国主義国家権力の打倒−プロレタリア独裁の樹立である。この国家権力の打倒は、ブルジョア社会の科学的把握の上にたった、プロレタリア階級の闘争としてのみ可能なのである。
資本主義社会においては、「商品物神」−「貨幣物神」−「資本物神」によるプロレタリアートにたいする社会的な支配が強固に存在している。自然発生的社会(分業社会)における社会的生産それ自体が、階級社会を生み出してゆくのであり、その分業(私的所有)社会のもっとも発達したものとして、資本主義社会がある。ここでは、分業にもとづく生産(=消費)をめぐる「疎外された力」は、社会的には「商品物神」−「貨幣物神」−「資本物神」という形であらわれ、資本家はこれを所有することによってプロレタリアートにたいする支配力をもてるが、しかし、実は彼らも、資本の物神的力の人格的表現以外のものではない。そして国家は、この資本の、プロレタリアートにたいする社会的力の上に成立している。つまり分業(=私的所有)を強固な基礎として、その共同体的総括として成立している。国家は、幻想的共同性ということと、公的暴力装置ということを、統一的に把握しなければならない。分業(=私的所有)が、生産手段を失ったプロレタリアの労働(感性的活動)を隷属させているということが「共同体的」に実現されたものが、公的暴力装置であり、人間の「類的本質」が分業の中で宗教的に疎外されたものが、幻想的共同性である(人間の類的本質が物質的生産の中で疎外されたものが物神である)。
こうして、資本主義社会における国家を問題にする時、次の諸点に注意しなくてはならない。
第一に、資本の物神的力(社会的権力)と国家権力(政治的権力)は、相対的に独自につかまなくてはならない(市民社会と国家の分離)。第二は、人間の類的存在としての把握、及び分業論の上にたって、「幻想的共同性」ということと「公的暴力装置」ということを統一的に把握すること。
A 以上みてきたことは、国家論に関する種々の誤った傾向を批判し、粉砕してゆくことでもある。
第一の誤れる国家論は、社会民主主義、あるいは社民化したスターリニズムの国家論である。これはプロレタリアートの社会的隷属に目をつぶり、さらに、その上に成立している議会制ブルジョア独裁期のブルジョア民主主義に完全に屈伏、埋没しているものである。ソヴィエト運動の否定−平和革命を特徴とする(この亜流として構政派の国家論がある。これは分業論が欠落しているため、国家の抑圧的側面といつの社会にも必要な側面を機械的にふりわける)。
第二の誤れる国家論は、小ブル急進主義的国家論である。これは、小ブルジョアジーがブルジョア社会の疎外の中で、その小ブルジョア的疎外感を固定化させて急進化させる時、生まれる。これは、感性の疎外をプロレタリア階級の闘いの中で再編せず、小ブル的に突破せんとするためおこる。こうして自分は分業と競争の中にハマり込んでしまっているため、先ほどみたような国家の本質的把握はできず、国家をただ自分の感性の抑圧者としてのみつかむ。こうして国家を、個人主義的感性の抑圧者としての物理力的な暴力装置としてつかむ。
第三の誤れる国家論は、アナーキズム的国家論である。アジア的生産様式の社会や封建的社会では、社会的な力と政治的力は直接に結びついてあらわれる。ここでは、領主−地主等への闘争は、直接に政治闘争でもあり、社会的闘争でもある。こういう、市民社会と国家を直接融合させて理解する、農民の国家論である。これは「先進国」におけるサンディカリズムとある面で共通している。サンディカリズムは、資本の社会的力の社会科学的解明ができず、個別資本がもっている力が個別資本固有の力であるかのように錯覚し、個別資本の打倒の総和によって階級社会が消えるという夢想をもつ。
第四の誤れる国家論は、スターリニズムの国家論である。これは、アジア的生産様式の分解の中から生み出される貧農、半プロレタリアートの国家論である。激しい矛盾の中にたたき込まれているために暴力的闘争に決起していき、国家の把握については「暴力装置論」に傾いているが、背後には「市民社会」と「国家」の「癒着」をふくんだ、旧い共同体への強力な回帰の力をもっている。
B さて、以上みてきたような資本主義社会における国家の把握の上に立って、国家権力の打倒はいかにしてなされるべきなのか。マルクスはこれを、「社会的基礎をゆるがしつつ政治的頂点をおびやかす」という形で定式化している。これは資本主義社会におけるプロレタリアートの権力闘争を鋭く単純に要約している。これをいくつかの要素に分けて整理してみよう。
第一に、資本主義の根本矛盾へ迫る社会運動を推進し、それにより、より深く鋭い団結と闘争をひき出しつつ、それを階級的政治的に結びつけ、国家権力へ<集中>するということである。単なる政治運動や、単なる社会運動は、政治運動と社会運動の相互媒介的同時的推進による闘争と団結の拡大再生産(革命的エネルギーの発揮)と、明確に異なる。前者は小ブル急進主義やアナーキズムやサンディカリズムであり、後者はプロレタリア革命の構造である。プロレタリア革命運動は、この構造の中で「団結−自立」の共同性と破壊的突撃力を集中的に発揮することになる。「集中力」、「突撃力」。
第二に、国家の基礎をほりくずし、さらにそれを背景に突撃することにより、国家の幻想的共同性を破壊することにより公的暴力装置を解体してゆく。ゼネスト、街頭闘争−「解体力」。
第三に、社会的基礎をゆるがしつつ政治的頂点を攻撃することにより、この社会の一切のことが戦闘の力となり、展開力をもち、またそれが敵にたいしては撹乱になること。ストライキ、工場占拠、街頭闘争−「展開力」「壊乱力」。
この場合、プロレタリア革命運動とブルジョア国家権力の闘いにおける「革命の弁証法」をしっかりつかみとらねばならない。資本主義社会の社会的力(経済面)が強ければ強いほど、国家権力は、よりゆるやかな形で現われる。逆にいえば、資本の社会的力が弱まれば弱まるほど、政治権力はより強力に現われざるをえない。こうして、プロレタリアートの政治−社会運動は、ブルジョア社会の社会的基礎を解体しつつ、政治的に密集させる。これは何を意味するかといえば、有産階級の強力な密集は、プロレタリア人民への収約力を失った密集ということであり、それは、一方における解体を意味する。プロレタリア革命は、革命期における突撃により、集中が拡大再生産されるのにたいして、支配階級の「集中」は、一方で解体を内包している。こうして公的暴力装置の解体が進む。
「二つの主要な原則が全作戦計画を総括し、他の一切の原則の規範の役目を果している。第一の原則は、敵の戦闘力の重心をできるだけ少数の、できれば一個の重心に還元せしめること、次に、この重心に対する衝突をできるだけ少数の、できれば二個の主要行動に還元せしめること、最後に、一切の従属的行動をできるだけ主要行動に従属せしめること、ということである。二言でいえば、第一の原則は、できるだけ集中的に行動すべきである、ということになる。
第二の原則は、できるだけ速かに行動すること、したがって、十分な理由なくして中断や迂回を行なってはならないということである。」(クラウゼヴィッツ『戦争論』)
戦闘の原則をきわめて鋭く要約しているが、すでにみてきたようにプロレタリア階級闘争は、この戦闘の原則が鋭く貫徹されるように敵を政治的に密集させ、なおかつそれが解体を内包しているという、弁証法的構造を作り出すのだ。そして蜂起の瞬間においては、敵を一個の重心に還元せしめ、それへ向けての主要行動(武装蜂起)に一切を従属せしめねばならない。それはまた、迂回や無駄を省いた迅速、単純な集中的一斉攻撃でなくてはならず、問のびした行動やゲリラ戦の連続であってはならない。つまり、国家権力の中枢の破壊は、集中的、一斉蜂起によってなさねばならず、それを突破口として言葉どおりの内乱が闘われねばならぬ。そしてこの内乱の長短、あるいは困難の程度は、階級形成の度合と、武装蜂起の成功の度合にかかるだろう。
戦闘の円環構造を要約すれば、次のようになるだろう。
「政治運動と社会運動の相互増幅としての政治的闘争(軍事に対してという意味)」−「ゼネストと国家権力への街頭闘争」−「政治的闘争の激化の中の軍事的ゲリラ戦の有効な展開」−「蜂起と内乱」。
C 以上の問題を軍事戦闘の形態としてみる時、クラウゼヴィッツのいう「主戦」は、プロレタリアートにとっては、政治的闘争を背景に<形成>されるものとしてつかまれねばならない。それは軍事の中心をなす団結力と破壊力にとってもそうなのである。
また、プロレタリア革命運動(階級闘争)は<内戦>にあたることになる。つまり、国家の闘争において多く闘われる<外戦>にたいして、内乱においては、軍事的境界線は明確ではない。この場合、その<内戦>の戦場全体がどちらに有利であるかといえば、プロレタリアートに有利であることはいうまでもない。この条件が形成されないままで蜂起することは必ず敗北を導く。
こうして、軍事力学的にみれば<主戦の形成−内戦>の展開が<敵戦闘力の集中と解体>として推進されるのであり、このプロレタリア革命戦争の弁証法的本質が現実的に展開できない時には敗北するし、展開できれば勝利するということになる。
このプロレタリア軍事展開の弁証法においては、いうまでもなく、強力な政治組織と政治指導にささえられた、大衆の組織化が必要である。
こうした軍事展開の弁証法をものの見事に展開したのがロシア革命で、これに失敗したのがドイツ革命である。
2月革命で成立した二重権力状態の中で、レーニンははやる大衆の7月蜂起を断固として否定し、ソヴィエトにおけるプロレタリアの組織化に全力を集中する。ここでは、政府打倒のスロ−ガンをおろすことさえ要求する。そうした組織化の上に立って10月の蜂起が成功し、プロレタリア権力を打ち立てる。だが、ロシア革命はプロレタリア革命としてはきわめて苦しい状況になる。ブレスト・リトウスクの講和という大後退をあえて行なった後、ドイツ帝国主義の崩壊とヨーロッパ革命の彼の中で力を強化するが、一方、国内の農民に基礎を持った反革命の全面反乱(コルニーロフ、コルチャック、デニキン、ウランゲリ等の帝政の将軍に率いられた)と国際反革命の介入(イギリス、フランス、ポーランド、チェコ、日本、アメリカ)で、決定的危機に見舞われる。ブルジョア的軍事の常識では全く勝つ訳のないロシア赤軍が勝ったのは、国内、国外の反革命軍が、赤軍の突撃の前に次々と内部からの反乱をおこし、自己崩壊をとげてしまったからである。
一方、ドイツ革命は、帝政の崩壊、二重権力というまったくロシアと似た状況を迎えながらも、断固たる革命党の欠落の中で、自然発生的におこる反革命軍の崩壊を促進できなかった。一方、充分な組織化もないまま誤れる突撃を行なった左派が粉砕され、革命は失敗してゆく。
D プロレタリア革命の世界性は、ますます同時的なものとして展開される条件が熱してきている。闘う部分の国際連帯はこの世界同時革命にとって不可欠である。だが、自国帝国主義打開の闘争を放棄してなされる国際連帯なるものは無責任な逃亡である。プロレタリア革命の世界性は、各国プロレタリアートが自国ブルジョアジーの打倒を目指して頑強に闘いぬくことにより実現できるものである。
それは、革命戦略の性格に大きく規定されることになる。
最初に見たように、世界同時革命は、支配階級の政府と政府の戦争、およびそれをめぐる「疎外」を止揚するものであることはいうまでもない。われわれにとっては、この形成されるべき世界性は「先進国」プロレタリア−トの突撃とその世界的連帯を軸として、「後進国」プロレタリア人民の突撃力と連帯してゆくことによって可能になるだろう。勿論、アジアの帝国主義としての日本の位置からいって、アジアプロレタリア人民との国際連帯をそれ独自に強化することは、日本革命の性格を大きく規定する重要なことである。
@ プロレタリア階級闘争の中で暴力がもつ本質的中味は、運動−組織面における階級性とどのように結びついてあらわれるのだろうか。
あらゆる潮流が、階級的という言葉を使う。しかし、この言葉は不正確に一般的に使われてしまってはならない。あらゆる闘争を階級的(従って革命的)に再編してゆくことがプロレタリア革命派の任務である訳だが、その内容は一体どういうものなのかを現実的・本質的に解明し、定立しておかねばならぬし、それとの関連で軍事問題がどう定立されるのかを明らかにしていかねばならない。
3において見てきたように、ブルジョア社会では、資本の社会力と政治支配が相対的に独自に存在する。そして、前者が強ければ後者はむしろ「ゆるやかな形」で現われ、弱ければ強力な形で現われる。
プロレタリア運動の階級性とは、資本の社会的力(社会的権力)に対する闘いを基礎として、その発展として政治闘争が闘われているか否かに関わる。資本制生産様式の基礎にたいする攻撃(反合理化闘争を基軸とする社会運動)を欠落した政治闘争は、小ブル政治闘争以外のなにものでもない。勿論、すでにみてきたように、社会運動に埋没し、その階級的政治的発展、および国家権力打倒の闘いを放棄しているのも、小ブル的サンディカリズムである。
社会運動を基礎にして、その発展としての政治闘争というときに、より具体的にみれば次のようになるだろう。つまりプロレタリアートの反合理化実力闘争の産別的−地区的結合を基礎にすえ、それとあらゆる社会運動を結合すること(社会運動の展開と結合)、そしてその上に立って、その中にふくまれている階級的政治性を独自に引き出し、国家権力への闘いへと突き出す政治運動、ということである。これは相互に、同時的に、媒介的に推進されねばならない。
A プロレタリア運動以外についても同様である。例えば学生運動についても「プロレタリアートとの結合」とか「階級的」とかいっても、一体何が現実的中味なのかが問題にされなくてはならない。学生はあらゆる階級、階層から成立しているし、従ってそれぞれの階級、階層のイデオロギーが反映されることはいうまでもない。従って、あらゆる多様な闘争が必要である。
しかし、階級性の現実的基礎となる資本の社会的力という点から教育過程をみる時、それは労働力商品の再生産過程ということである。従って学生運動はあらゆるプロレタリア人民の闘争に内在し、それを展開せねばならぬが(差別に対する闘い、地域闘争等)、社会運動として階級闘争の中で独自の役割を持っているのはこの分野である(反合闘争と教育闘争の結合)。従って社会運動としてみる場合、学生運動においては様々な教育闘争の結合が必要である。さもなければ<政治的な、社会的な階級支配の中の個人>という階級的把握が欠落し、「不正な社会一般」と「浮遊しつつ闘う個人」というような形になり、階級性が不断に観念化する。
勿論、運動上においてはそれぞれの闘いの山や谷がある訳だから、ある局面ではある闘争課題が中心になる。しかし、それを貫いて今のものがなくてはならぬ。
それを基礎として、階級的労学連帯を実現しつつ国家権力との政治闘争が展開される。学生運動は、今見たような存在から、諸階級の利害を思想的に鋭く突き出す力を持っている。こうして社会運動を背景として階級的政治組織を軸としつつ、プロレタリア階級の解放の闘いの中に自らの運命をすえつけた学生運動−プロレタリア統一戦線の一環としての学生運動−が、国家権力と鋭く対決しつつ展開されねばならない。階級的政治組織としては、プロレタリア運動の発展をはかりつつ、同時に学生を、闘いを通して、階級的団結−政治組織へ結びつける。さらに、それを力として国家権力と実力で対決するプロレタリア統一戦線の一環として、「突撃的推進」をなしきる学生運動へと、あらゆる学生運動を再編していかねばならない。
これは、学生運動にかぎらず他の諸階級諸階層の闘いについても同様である。ここではそれを全面的に展開することが目的ではないが、ソヴィエト運動ということの原則的推進が重要な局面にきている。
B プロレタリア革命の武装ということは、ソヴィエト(運動)の武装ということである。ソヴィエト運動は、プロレタリア革命党と行動委員会を中核的構成部分として推進され展開される。
この場合、徹底的、原則的に貫徹されねばならないのは、政治(組織)と軍事(組織)の本質的同一性ということである。原則ということは、あらゆる場合にあらゆる形を貫いて貫徹されなくてはならないということである。こういう意味では、プロレタリア革命運動における軍事(組織)問題は、階級的政治(組織)に指導されなくてはならない。これはまさに原則的問題である。
その上に立って、軍事は、政治とは形態上独自に展開されなくてはならない。これは組織的にも同様である。つまりプロレタリア革命運動における軍事(組織)は、政治(組織)が形態転換したものである。小ブル急進派においておこる政治と軍事の分離、軍事の疎外は、そもそも小ブル急進主義においては軍事の中に貫かれる暴力性がプロレタリア的なものでないことから生ずる。つまりプロレタリア的政治(軍事に対する意味での)の困難性を自分のものとせず、小ブル的暴力性を革命的なものと勝手に思いこみ、プロレタリア運動への絶望の上に軍事を立てているからである。これは、プロレタリア的軍事ではない。プロレタリア的軍事は、まさにプロレタリア革命、「内乱としての軍事」なのである。従ってプロレタリア階級闘争を自らのものとしていないものに、プロレタリア軍事を推進することはできないのである。
こうして現下におけるプロレタリア革命派は、2においてみてきたような右翼的日和見主義(社民、先進国スターリニスト)への断固たる対決とともに、小ブル的限界の固定化の上に立つ、資本主義社会の絶滅に至りえない小ブル的軍事をも越えていかねばならない。
C 組織問題においてわれわれが教訓化しておかなくてはならないのは、ロシア革命における次の諸問題だと思われる。いままでみてきた階級的軍事の問題が、組織間題上どのようにあらわれているのかということである。
第一は、赤衛隊と赤軍の問題である。赤衛隊は、働く階級が働きながら軍事にたずさわるという、全人民の総武装の路線の下に造られた。しかし、第一次大戦後の荒廃の中で、参加人員が少数であり、かつこの形態では全国的正規軍の展開が不可能となり、赤軍の建設が着手される。赤軍は、24時間軍事にたずさわる、常備軍的性格をもつものである。この二つの軍事組織の統一的解明と把握が必要と思われる。
第二は、政治組織と軍事組織の関連である。1917年2月革命の段階からケレンスキー政権へ到る中で、コミッサール制が導入される。帝政の軍隊が崩壊し、その中から赤軍を生み出してゆく時、軍事指揮官(将校)の多くは帝政ロシアの軍人だった。従ってそれを監視してゆく意味で、コミッサール制度が導入される。これは17年のボルシェビキとソヴィエトの蜂起後も継承される。つまり作戦は帝政ロシアの将校だった「軍事専門家」が行ない、コミッサールは、それが反革命的でないことを確認して承認すると言うものである。これは支配者階級の軍隊の解体−革命軍の建設という問題である。
もう一つは、これをふまえて革命的政治と革命的軍事の関連の問題がある。政治組織(ソヴィエト、共産党)と赤軍司令部との関連である。
内戦の中でしばしば多くの困難な問題が出てきている(作戦上、指揮系統上)。これについての実際上の解決は、トロツキーによれば大体次のようになっていたようである。特別な失敗や支障がないかぎり、日常的な作戦は赤軍司令部(これは主に帝政ロシアの軍人からなっていた)が展開する。大きな軍事戦略(必然的に政治的戦略に規定される)は、共産党の軍事委員会、ソヴィエト軍事人民委員会を背景に、軍事革命会議において決定されたようである。
この軍事革命会議は、共産党の代表委員、ソヴィエト代表人民委員、赤軍司令部(軍人)の三者により構成されており、方針上混乱がおきた時には、この軍事革命会議のメンバーが赤軍司令部より高い権限を持って解決していた。つまり、この共和国軍事革命会議は、階級的政治性を貫きつつ政治と軍事の統一的展開をする組織だったようである。これが政治(組織)の指導下における軍事(組織)の展開だったようである。
なお、軍事展開をあらゆる面で支えるものとして、軍事人民委員会の外に、レーニンを議長とする国防評議会が設けられた。これはあらゆる力を軍事に集中するための機構であった。
@ 序においてきわめて要約的にみたように、「絶対的戦争」は、クラウゼヴィッツがはじめて究明の対象としつつもそれを展開しえなかったものである。クラウゼヴィッツは、戦争を無制限の暴力の行使として規定しつつも、「個人と個人の決闘」ということを基礎に考えていくという方法しかとれず、結局、現実的調整や修正によってそれを純粋概念の中にとじ込めてしまった。だがクラウゼヴィッツが「絶対戦争」を問題にしていったのは、ブルジョア革命戦争であったナポレオン戦争の経験であった。
「フランス革命という短い序奏の後、粗暴なボナパルトが出るに及んで、戦争はその概念を絶対完全に具現するものとなった。彼のもとにあって、戦争は敵が降伏するまで間断なく前進し、反撃も同様に間断なく行なわれるようになった。この現象がわれわれの眼を戦争の本来の概念に向けさせ、その厳密な帰結の追求に駆り立てたのは、これまた自然かつ必然的なことではなかろうか」(『戦争論』)
「1805年、1806年、1809年の戦役やそれ以後の戦役を経て初めて、破壊的なエネルギーをもつ最近の絶対戦争の概念が歴史から容易に抽き出せるようになったのである」(『同』)
こういう把握をもちつつも、いまみたような限界にぶつかってゆくのは、ブルジョア革命の歴史的限界によるのである。絶対的戦争が現実的展開にはいるのは、プロレタリア永続革命においてなのである。勿論、ブルジョアジーの側にとっても、戦闘においてはセンメツ戦を目的とするにしても、階級的総力戦においてはそれは不可能なのである。
ブルジョアジーもプロレタリアートに絶滅戦をしかける。それは、ファシズム対プロレタリア革命という形で、つまり、全有産階扱とプロレタリアートという形で、もっとも究極的な闘争になる。そして、ここでは、階級的に組織されたプロレタリアは絶滅される。だが、有産階級(支配階級)にとっては、それを本質的な意味での絶対的戦争として貫徹しようとするならば、自己を含めて絶滅するしかない。なぜならば、有産階級は、プロレタリアートを前提としてしか存在しえないからである。しかし、プロレタリアートにとっての階級戦争は、文字通りの絶対戦争−絶滅戦として存在する。世界革命−永続革命は、共産主義の実現まで、つまりこの地上に一切、有産階級が存在しなくなるまで闘われるのである。
A プロレタリアートの絶対的戦争は、戦争形態としてみればセンメツ戦なのであるが、同時に、階級社会の止揚としての闘いでもある。<止揚>などというと、小ブルイデオロ−グ達は、やれ「解放派は階級対立を非妥協的につき出し闘おうとしていない」などと騒ぎたてる。そういうことは、そういう自分の中途半端な「革命性」の範囲でしかものを考えられない、勝手な素町人的なオシャベリの世界にまかせておけばいい。たんなる「否定」は、「絶滅」にはならないのである。<止揚>が現実的なものとしてたてられて、はじめて絶滅が可能なのである。
たしかに、ヘーゲルにおける「止揚」は観念的なものであるから、現実的な矛盾を残したまま自己完結する保守的な面をもつ、そもそもヘーゲルにおいては「矛盾」それ自体が観念的なのであり、また矛盾をめぐる「運動」も、疎外されたイデオロギーの自覚運動なのであり、そういうものに規定されつつ、「止揚」もまた、観念的になるのである。ヘーゲル弁証法は、「否定の弁証法」であるなどとも言われるが、それについても、いまみたような点からそうしていかなくてはならない。
ヘーゲルにおいては、「A」と「非A」(Aでないもの)の対立(→矛盾)が「止揚」に進むのは、「A」と「非A」の「根拠」を対象化することにおいてである。一般的に言われる「正」−「反」−「合」という構造がいわゆる悪無限的な相互否定のくり返しを越えているといわれるのは、この理由による。しかし、A−A´−A″(正−反−合)のA"がAとA´を現実的に止揚しているのか、それとも現実には、その矛盾をのこしながら、A″がそれを「調整」してしまっているのかが問題なのである。つまり、A″が逆に現実的にAとA´を定立してしまう場合が「疎外」としての「対象化」なのであり、A″がA−A´を現実的に突破してしまうのが止揚なのである。前者がヘーゲル弁証法であり、後者がマルクスの弁証法であることはいうまでもない。
A−A´の対立(→矛盾)において、「止揚」として立てられるA″が「疎外」となるのか止揚となるかのもう一つの問題点は、「A−A´」という「対立−矛盾」の「根拠」への到達の仕方によって決定されるということである。これは別の言い方をすれば、その矛盾の根拠が「弁証法的唯物論」−「史的唯物論」的に立てられているのか(人間と自然の矛盾を前提とした社会的生産をめぐる社会的矛盾として立てられているのか)、あるいは、そこにふれることができずその矛盾の上にそびえ立つ「精神労働−意識」の疎外を巡る問題になっているのかによる。いうまでもなく、弁証法一般がある訳ではない。
プロレタリア階級の矛盾は、人間と自然の関係のあり方それ自体(社会的生産のあり方)を変革しつつ人間のあり方を変えることによって(この双方の統一において)しか、解決できないのである。
こうして、A(ブルジョアジー)にたいするA´(プロレタリアート)は、階級闘争を通してAよりも普遍的な存在A″へと自分を発達させることができる。だからプロレタリア永続革命は、ブルジョアジーのみならず全有産階級を絶滅できるのである(この場合A−A´−A″は、「A−A´」という対立の外に第三者的に生まれるのではない。A″が「A−A´」の成立している根拠それ自体を変革して、発展することにより成立するのである)。
小ブル急進派やスターリニスト、社会民主主義、アナーキスト等の「反ブルジョア性」は、「A−A´」という「相互否定−相互反発」の中で、結局は、ブルジョアジーの補完物になってしまう以外の何ものでもない。
B プロレタリアートの絶対的戦争は、敵のセンメツ戦として闘われる訳であるが、ここでは安手のブルジョア、小ブルジョアヒューマニズムは成立する余地はない。「同じ人間だ」ということをブルジョアや小ブルジョアが階級社会の中で使う場合、それはプロレタリアートの矛盾に目をつぶって屈伏しろという意味なのである。自然科学的にはいざ知らず、社会科学的には、人間は階級と階級としてのみ存在しているのである。階級闘争−階級戦争においては「容赦なく、また容赦求めず」という論理のみが貫かれていく。この戦闘における勝利を欠落させて「人間の変革」など語ることは「坊主の説教」であって、敗北の思想である。たしかに、反革命的軍隊の中に、また警察の中には労働者人民の子弟がいるだろう。そしてまたそこにおける個々人の変革の可能性がゼロになってしまう訳ではない。しかし、日常的な階級闘争の中で不断に諸個人は問題をつきつけられているのであり、その上で一人ひとりは責任をとらねばならない。そして階級闘争に敵対しているかぎり、センメツしてやることを通して「階級的裏切りの歴史を断ってやる」ことができるのだ。いうまでもなく、一連の戦闘における粉砕の後、生きのこった者にたいしては、それを生かしきり、個々人をバラバラにした上で階級的に変革する努力はなされなくてはならない。またそういう闘いがなければ、プロレタリア独裁は成立しない。
C 戦争という場合、次の一般的なことはハッキリさせておかなくてはならない。一般論ではあるが、またそのかぎりで、支配階級とプロレタリアートの階級戦争、革命派と反革命的宗派の戦闘にあてはまることである。つまり戦争は、正規戦における正面戦闘のみならず、それとの関連においてまた、相対的に独立した形で革命的テロルをふくむのである。
国際的な階級闘争の経験においてその間題が出てくる。
反革命ヴェルサイユ側は、パリ・コミューンの戦士の捕虜を処刑する。これにたいしてパリ・コミューンの側は、それを行なわない。マルクスはこれをパリ・コミューン側の不徹底さとして批判するのである。反革命的暴虐が行なわれている時に、それに対抗してそれを防ぐためにも、パリ・コミューンによる反革命側の捕虜の処刑は必要だったとマルクスは総括している。
ロシア革命においても、内乱の中で、白軍に呼応する国内の分子にたいしてボルシェヴィキは、革命的テロルを行ない、「人質」をとって対抗した。
この種の問題を歴史的に総括していく場合、それをめぐっておきた疎外という結果から革命的テロルをも否定してしまえば、それは、まったくの日和見主義におち込む。スターリンによって行なわれた粛清を批判することから、内乱期におけるこの種の問題まで否定するならば誤りである。いうまでもなくそれは、階級的政治路線と政治組織に支えられて原則的に行使されねば、これをめぐって闘う側が荒廃し、自壊してしまうことは歴史的に何度も経験している。原則的に問題をたてるならば、革命的テロルは革命的増悪の集中点に向けて、全体の闘いを鼓舞し、推進するように貫徹されるべきである(従ってテロによる絶域戦などというのは非マルクス主義的テロリズムである)。
また抵抗する意志のない、又は抵抗力を奪われた捕虜を虐待するのは誤りであるが、一定の条件の下では抵抗力を奪うための打撃、さらには抵抗した場合の打撃は戦闘の一環として必要なことである。
@ プロレタリア階級闘争は、その戦略的打倒対象を帝国主義におくものであるが、同時にその闘争は、様々な宗派との党派闘争という形をとった小ブルジョアジーとプロレタリアートの闘争をも激化させる。党派闘争というのは、諸階級のそれぞれの闘争と別にあるものではなく、反帝国主義の闘争を普遍的なものとしつつも(それに規定されつつも)階級闘争として存在するのである。
いうまでもなく、反帝国主義の闘争と小ブル諸宗派との闘争は、密着する場合と相対的に独立して闘われる場合がある。しかしその場合でも、反帝国主義の闘争の普遍的性格の規定性を明確にして闘わねば「反帝・反スタ」的な混乱と破産を生み出す。
A 党派闘争は、反帝国主義の闘争を行なう諸階級が、それを行ないつつ同時に自己の階級性を確立する過程と、その対立がムキ出しになる過程で行なわれる。プロレタリアートの矛盾がより根源的であり、現在の社会はブルジョア社会であるから小ブル的なものは公然と根づいている。従って党派闘争は、小ブルジョアジーがプロレタリアートを物理力としている中から、プロレタリアートが台頭してくる時期に激化する。党派闘争の形態は、思想的(組織的)闘争のみならず、暴力的、軍事的開争にまで発展する。その内でいずれが前面に出るかは階級情勢と、対抗する党派のありかたによるのであり、それをいかに目的意識的に貫徹するかが問題となる。
こうして、プロレタリアートがあらゆる闘争を階級闘争に再編し、また自らを小ブルジョア党から区別したプロレタリア革命党へと確立していくということは、党派闘争(分派闘争形態をふくめて)を闘いぬくということであり、従って階級闘争を目的意識的に推進するということは、党派闘争を断固として推進するということによってのみ可能となる。
B これを、反帝国主義の闘争との相互関連でみれば、次のようになるだろう。
基本的関係は、いうまでもなく、反帝国主義の闘いが諸宗派との闘争を規定する。それは、闘争の中味および水準の双方においてそうである。しかし、すでにいまみたように、党派闘争は反帝国主義の闘争の中味、水準に規定されつつ、それをその段階において階級的に深化し、純化するものとなり、従ってまたそれは、より深く目的意識的な反帝国主義の闘争を準備しているものである。
宗派との闘争は、「反帝国主義の大衆運動をめぐる闘争」−「反帝国主義の闘争の激化の中で階級間の対立が激化し、それを代表する党派と党派の闘争が全面化する段階」−「革命運動の激化が権力闘争に突入していく中で、あるいはその前後において闘われる絶滅戦」等の段階があるだろう。勿論、その党派の基盤、あるいは思想性、組織性の強弱によってきわめて早い段階で消されてしまうこともあるだろう。そしてまた、反革命的宗派はできるだけ早く消滅させるべきである。
だが、その基礎をふくめた根絶は基本的に階級闘争全体の成熟との関連の中でのみ、立てられるだろう。
この場合、さらに次のことが重要だと思われる。
第一は、党派闘争において、反帝国主義の闘争との関連(これはかならずしも大衆運動一般という意味ではない。革命運動としてもである)をいかなる場合にも明確にしていくこと。
第二に、第一のことをふまえた上で、党派闘争が全面化する段階では、党派闘争独自の論理における戦略、戦術を目的意識的に貫徹していくことが、きわめて重要である。
第三には、反帝国主義の闘争の推進軸からその宗派を批判し闘うという形態と、党派と党派として闘う形態の、立体的推進が必要である。前者のみでは、大衆運動主義的傾向になり、さらに党派闘争からの逃亡になり、後者のみでは、結局、戦術面における対抗のみとなり、その党派闘争が相手を根絶する絶滅戦へ拡大再生産されていく道を失う。
C 以上のように基本的に把握すれば、党派闘争を何か階級闘争にとって無意味なものであるかのようにみる見解は、まったく小ブル的な、日和見主義的なものであることがわかる。党派闘争は階級闘争の重大な環であり、従って情勢と闘争の段階によって暴力的闘争へ突入する。たとえそれがどんなにささやかな武装であっても、暴力的闘争にはいれば死者の可能性はふくまれるのであり、そこから目をそむけていくことはまったく自己欺瞞であり、逃亡主義である。
いうまでもなく、闘争のそれぞれの段階に応じて、その水準が異なる。<敵の部分的破壊>がその軍事戦の基調であるのか、<敵の全面的破壊>がその段階の軍事戦の基調であるかは、厳密にしていかねばならぬし、それを原則的に貫徹していかねばならぬ。
だが、<敵の部分的破壊>を目的とする段階でも、個別的、特殊的に敵が「全面的に破壊」されてしまうことはありうるのであり、その結果自体は、「ありうべきもの」として基本的にひきうけられるべきことである。それは、目的と手段の関連における手段がもつ相対的独自性の中にふくまれているものである。
いうまでもなくそれは、「結果」は何でもかんでも肯定すべきだということ(結果の無理やりな肯定から過程すべてを肯定する)ではなく、また、普遍的に目的にしていなかった結果が出ればそれにより逆にすべてを否定してしまうのでもない。その戦闘全体の性格−構造の中で、その戦闘、およびその中での個々の局面における戦術が階級的なものであれば、その結果は階級的にひきうけられねばならない。
D 最後に、党派闘争と広大な団結という問題をみてみよう。いうまでもないことだが、党派闘争と大衆運動の広大な発展とはけっして矛盾するものではない。プロレタリア的党派の闘う党派闘争は、強大な階級的団結の発展のためのものである。小ブル宗派の「党派闘争」は、大衆の階級的結合を切断し、あるいは発展を抑圧するために、イデオロギー的にあるいは暴力的に行なわれる。
われわれの闘う党派闘争は広大な大衆の結合とその階級的革命的発展のためのものであり、それに敵対してくる宗派を目的意識的に解体−止揚していくものである。従ってそれは、「大衆運動の断固たる推進」、「組織的思想的闘争」と「実力闘争」の立体的組合せでなくてはならない。
すでにみてきたが、反革命的宗派の解体−止揚は大衆運動の階級的革命的発展と階級的革命的団結の強力な発展(共同戦線、統一戦線の発展)の中で可能であり、そのために、あらゆる闘争が闘われるのである。従って、党派闘争の推進と、広大な共同戦線、強力な統一戦線の形成とは、けっして対立するものではない。
早大闘争においてすでに全日本人民の前に明らかにされたように、広大な数万の大衆の決起も、宗派の反革命的暴力のもとに蹂躙されてしまう。−もし、それを粉砕する、階級的革命的党派を軸とした実力闘争がないならば。
まさに宗派への実力闘争は、大衆運動の保障、結合さらにその階級的革命的発展のために不可欠のものなのである。これから逃亡して「内ゲバ反対」なるスロ−ガンを出している第四インターなる組織は、自己の責任を明らかにせねばならない。もし彼らが早大における革マルの暴虐にたいして責任をもった対応を一度でもしたことがあるならば、それを証明した上で、何かを語らねばならない。それを欠落させて、革マルに対する闘いをもふくめて「内ゲバ主義反対」などといっている以上、その責任の所在を明らかにしてもらわねばならない。
@ 軍事ということが、思想上問題になるのか、ならぬのか?あるいはなるとしたらどのように問題になるのだろうか。
軍事思想一般などというのはありえないことは、いうまでもない。それはつねに、いかなる階級のいかなる軍事思想かという形で問題になる。だが同時に、そのいかなる階級の軍事思想かという時、その軍事ということをめぐる共通の問題は存在するのであり、それをめぐって独自の解明が必要なことになる。
それでは、それぞれの階級のそれぞれの軍事思想という時、その軍事思想に共通なものは何なのか。それは「闘争と死」という問題である。軍隊は、「鉄火と敵味方の死」の中で鍛え上げられる。つまり、究極的には「自ら死を覚悟して闘い殺す」という問題である。
封建社会の武士の本に『葉隠』というのがあり、そこに「武士とは死ぬこととみつけたり」という有名な言葉がある。中世の貴族社会の武装防衛隊だった部分が、その武力をテコとしてのし上がっていったその中で、支配階級の頂点にまで進めず、その支配者の中にいながらも武装勢力の中心だった中段、下級武士の中に、自分たちの役割を思想として抽象化する必要がおこり、先ほどみたような言葉が生まれてくる。これは、後でみるように、宗教的な、あるいはニヒリズムをはらんだ支配階級の軍事思想であるが、しかし、軍事思想がはらまねはならぬ領域を、支配階級の側から表現しているものである。
A いままでの叙述の中で部分的にふれてきたように、ブルジョア社会は分業(私的所有)のもっとも発達した社会であり、従って疎外がもっとも発達した社会である。そこでは、現実的な利害は相互に激烈に衝突し、競争の中にある。まさに、万人の万人への闘争である。だが、それが「共同体」としての役割を果さねばならない以上、そのブルジョアジーの利害調整と、さらに被支配階級としてのプロレタリアートの反乱に対抗していくために、疎外された共同性(普遍性)としての国家を確立し、強化しなければならない。ブルジョア的政治支配形態は、議会制ブルジョア独裁が唯一のものである。こうして、ブルジョア民主主義形態が通常における政治支配形態となる。
しかし、プロレタリアートの闘争が激化していく中で、ブルジョアジーとプロレタリアートの力が均衡状態にはいり、この手詰りを突破せんとして、小ブルジョアジーの闘いを軸としたファシズムが、ブルジョア政治支配をも打倒しつつ台頭する。そしてこれは、最終的には、全有産階級の政治権力として、結局、資本主義を防衛し発展させる。
こうして、支配階級の軍事思想には、ブルジョア民主主義的軍事思想とファシズム的軍事思想が成立する。このブルジョア民主主義は、資本主義の安定(資本の社会的権力の強さ)に基礎をもったブルジョア的自由、ブルジョア的平等のイデオロギーである。こうして、軍事的には、ブルジョア的自由、平等(プロレタリアートを支配し隷属する自由と平等)の防衛と発展のために展開される。これは、資本主義の経済的強さに支えられるかぎりイデオロギー的にも強力であり、軍事的にも強力なものとして成立する。「自由、平等のために死をかけて闘う」ことになるのである。
帝国主義問戦争においては、政治的、経済的に先進帝国主義が市場を制圧し、おくれた帝国主義がこれに介入し、それが軍事的衝突にまでいたる形になる。この場合、先進帝国主義は経済的に強力で安定しているために、先進国の民主主義的軍隊と後進国のファシズム的軍隊の対決という時には、イデオロギー的にも物質的にもファシズム軍隊が負けるのである。従って、民主主義者が暴力には弱いなどというのは、まさに小ブル民主主義的誤りである。
また、この民主主義者の暴力的闘争は、ブルジョアジーにかぎらず、小ブル議会主義者によっても行使される。ドイツ革命の中で崩壊した帝政にかわってドイツ資本主義を守ったのはドイツ社会民主党右派であり、その軍事指導部ノスケであった。先進国における独占の発達は、独占に忠実な産業下士官の強固な層を生み出す。没落し反動化した都市旧中間層とともに、ブルジョア的自由を守るための反革命的軍事活動の軸として、プロレタリアートに対決してくるのである。
ロシアでは、資本の弱さに規定されてブルジョア自由主義や小ブル民主主義者の基礎が弱かったためにドイツ型にならなかったが、日本の場合には、社民右派、社民中央派、日共の役割は注目しておかねばならない。
いまみたように、資本主義がまだ一定の力をもっており、その中で「民主主義」と「ファシズム」が闘うかぎり、それは民主主義の勝利に終る(第二次世界大戦)。だが、世界資本主義がその心臓部において根底的矛盾を露呈していき、さらにそれが国際的なプロレタリア革命運動に追いつめられていく時には、異なった様相をもってくる。つまり、「先進国」ファシズムの形成とプロレタリア革命との激突である。
ここでは支配階級の思想がもっとも究極的に表現される。ここでは、資本主義社会という、歴史性をもった階級社会のありかたとともに、もう一方では、階級社会(分業社会)が共通にもっている旧い共同性への一切のものの減却(否定)という側面が同時に出てくる。ブルジョア的個別性は絶対的なものに滅却され、逆にブルジョア的個別性は宗教的絶対者に自分の全てを委ねてそれに融合せんとする。ここでは、イデオロギー的、宗教的「一者」と物理力としての「大衆」という極限的な姿が、実現される。
軍事的にも、それがもっとも鋭い形で実現される。ここでは敵は、自然科学的にも「人間ではないもの」−動物として扱われ、殺される(ナチズムのユダヤ人虐殺)。これは、支配階級にとっては人間は究極的には「精神労働者」でしかないことの表現である。
B プロレタリアートにとっては、軍事をめぐる思想はいかに確立され、展開されるのか?
プロレタリア革命運動は、資本主義社会と、政治的、社会的に対決していく中で、現実的利害によって結びつきつつ(団結)、同時にそれを通して諸個人が全面的に発達せんとするものである。その場合、プロレタリアートが階級的に闘いつつ、その生命のありかたが全面的に開花される第一の決定的闘争は、政治権力の打倒−プロレタリア独裁の樹立である。プロレタリアートが「団結−自立」の基本構造をもっとも全面的に開示させるのは、武装蜂起を頂点とする権力闘争においてである。そこではもっとも発達した団結が問われるし、またその構造の中で、諸個人にとってはもっとも全面的に開示した感性の発現が問われる。そこでは、階級的革命的生命は究極的な燃焼がなされる。また、そうした力の総体によってしか、ブルジョア国家権力は粉砕しえない。そしてまた、だからこそ、宗教的にではなく、現実的、階級的利害(感性的闘争を通した階級的結合)の勝利のためには、個々人の<敗北をめぐる死>をも覚悟して闘うことが必要となり、また可能となる。それは、宗教のように死それ自体に意味をもたせるのではなく、敵との戦闘である以上、「階級的に生きるための闘い」における全体の戦線の中での個別的敗北はありうるのであり、それをめぐる個々人の死は覚悟して闘うということである。全面的な生命の開示は、階級社会では敵と暴力的に闘うことにおいて可能となる。
こうして階級社会においては、全面的な生命の開示は、「自由かしからずんば死」という弁証法的構造においてつきつけられる。
この問題は組織面ではどういう中味となるのだろうか。
宗教においては、個々人の死それ自体が絶対者(神)への帰依としての意味をもち、個々人の死それ自体により、「神」は増々光り輝く。反革命戦争においては、指揮官は、部隊を人間として扱えばかえって敗北するというジレンマをもつ。徹底的に軍事力学的に物理力として部隊を扱った方が勝つのである。
プロレタリアートの軍事展開においては、この問題は次のようにあらわれる。プロレタリアートの敵は、けっして自然科学的な意味の人間以外の物理力ではない。それは「物」ではないし、また動物でもない。しかし、社会科学的には、「同一の人間」などというものはいないのである。つまり「階級の敵」を粉砕するのである。
そして軍事的闘争においては、階級闘争における「闘争−団結」の問題がもっとも純化してあらわれる。つまり、「倒すか倒されるか」「自由かしからザんは死か」という形である。これは、闘争においては、階級的怒りの極限的爆発と階級的団結の極限的展開である。それは、軍事的規律においても「万人が一人のために、一人が万人のために」(レーニン)というプロレタリア的団結を最高に表現するものとしてのみ、形成される。こうして、軍事行動における「部隊行動中は指揮官の指揮にいっさい従う」「敵前逃亡は行なわない」等の軍隊規律が、プロレタリア的に生まれる。歴史的な軍事行動の中でつみ上げられてきたこれらのものは、より深く、より断固としてプロレタリア的に再編されてつきだされる。
この場合、これらの軍事行動における中味は、政治的団結の形態転換したものである以上、政治闘争と政治的団結(軍事に対する意味での政治)の成熟に大きく規定きれ、その中味を極限的につきだしているものである(従って政治的未熟の上に成り立つ軍事主義は、軍事日和見主義と同様、危険である)。
すでにみてきた階級戦争の弁証法、つまり「支配階級の軍隊の集中と解体の弁証法」の問題は、より具体的にみれば次のようになる。
つまり、反革命的軍隊が展開する軍事は、先ほどみたようなファシズム的思想構造の中で(結局その中に多くの人民をふくまざるをえない以上)、不断の摩滅と消耗を生み出す。しかしプロレタリアートの軍隊は軍事行動の中味がプロレタリアートの本質の展開である以上、それはより根源的なエネルギーの拡大再生産となる。
第一次大戦の中でもっとも手痛い打撃をうけ、いったん崩壊した帝政ロシアの中から、きわめて短期間のうちに赤軍が生み出され、しかもろくに食糧さえない状態の中で国内の内乱に勝ち、国際反革命に勝っていった驚くべきエネルギーは、それを現実に示した。飢えたロシアの中で、さらに農民の半分近い食糧しかロに入れていないロシアの都市プロレタリアートが、黙々と、崩壊しかかった最前線に出撃していく有様は、世界史の中でも、もっとも感動的な光景である。まさに、人民の究極的生命の、もっとも奥深い所からの爆発としてのみ、可能な革命であった。
C こうしたプロレタリア革命の軍事思想は、同時に、小ブル急進主義のそれと根底的に区別されていかなくてはならない。
小ブル急進主義とは、資本主義社会の矛盾の中で急進化する小市民の不安、矛盾を、プロレタリアートの矛盾と闘争の中に再編し得ず、固定化したものにほかならない。それは、ラディカルのようにみえて、表面的なものにすぎない。つまり、ある時点まで急進的でも結局、階級闘争の困難な積み上げに絶望してしまい、自分の矛盾をこえたエネルギーについてはかならず反動的にふるまうのである。表面的急進性に目を奪われることなく、プロレタリア的戦闘化を断固として推進し、それへ再編していかなくてはならぬ。
すでに要点的にみたように、小ブル的軍事の論理は、分業と競争の中における没落と孤独のエネルギーの暴力的表現である。それは、内的にはニヒリズム、または宗教的に死を覚悟し、外的には他者にそれを強制する形であらわれる。まさにそれは、ブルジョア社会における感性の摩滅、荒廃のそのままのあらわれである。自己の生命があまりにも悲惨であることに反撥しても、それをプロレタリアートの利害と結びつけて再編せず、そのあまりにもみじめな自己の生命を「粗末」に扱うことによって社会に報復せんとするのであり、自分も他人も「物」としてしか見えない軍事である。
小ブルジョアジーがプロレタリア運動と結合しえず、個人的にニヒリズムに陥り個人的に死を含んで宗教に没入するのは勝手であるが、それを「プロレタリア革命の名」において他人に強制することは許されない。
戦後第二の革命期に突入していく60年代の後半において、われわれは、小ブル急進主義との軍事思想上の訣別を遂げてきた。
「大衆物理力主義と疎外された死の覚悟」にたいして、階級性を原点的に深化させつつ「プロレタリア的戦闘化と階級的生のための闘い」を対置した。67年からはじまる暴力的闘争において、この分岐は明確になっていった。そしてこの時期から70年安保闘争の中で、対権力闘争とともに反革命的宗派との激烈な闘いを断固として推進せんとしたものは、死を覚悟して闘った。それはあくまでも「階級的生」を頑強につきださんとする方向においてであり、それはしっかりと踏まえねばならぬ。
しかし60年代後半から70年安保決戦においては「軍事思想」としては全面的な展開が不十分であり、それを思想として、潮流として血肉化するには不十分であった。そこから、小ブル急進主義的な「宗教的、ニヒリスティックな死」にたいする「階級的生」の対置が、小ブル・ヒューマニズムと混同される問題もおきた。
われわれは、小ブル急進派と必要な共闘を組みつつ、小ブルジョア的軍事の荒廃と破滅からは徹底的に自己を区別しつつ、同時にプロレタリア軍事思想を頑強にうちたてねばならぬ。
D 軍事の論理とは、ブルジョア市民社会にとっては「非常の論理」である。つまり、ブルジョア的日常性を破壊する論理である。そして軍事戦略、戦術においては、ここに徹しきった者のみが勝つ。そしてブルジョア社会にたいする「非常の論理」とは、反革命的には「ファシズムの論理」であり、革命的には「プロレタリア革命の論理」である。あらゆる困難、あらゆる戦術的失敗や敗北を通しながらプロレタリア革命の軍事戦略を貫き通しつつ、戦術的勝利をつみあげることが大切なのである。
そのためには、一方で戦術面における練り上げとともに、他方では思想的戦略的練り上げが必要である。クラウゼヴィッツは、『戦争論』の中で、下級指揮官において勇猛な者が、最高指揮官としても同様に勇気のある指揮ができるかというとけっしてそうではない、むしろ逆に決断が鈍ってくる、といっている。それは、直接、自分の目で確かめられる範囲での決断と、目にみえない総体を「見て」「判断」することは異なるからである。階級的思想的深化がなしきれない者は(より沢山の知識を知っていることとかならずしもイクオールではない)、より広大な指揮を任されるにしたがって日和見主義に転落するのである。勿論、何でもかんでも左翼的なことをいっていればまちがわないだろうなどと思って、柔軟性や階級闘争の「山や谷」の判断、さらに主体的力量を考えずに、「左翼」的方針を出して、自己の弱さを隠蔽する「左翼主義」=レーニンのいう「左翼的小児病」(原文ママ)は、粉砕されねばならない。
そういう意味では、軍事思想のプロレタリア的深化はどうしても必要と思われる。なぜならば、プロレタリア革命運動は、プロレタリア大衆が一人ひとり発展し、すぐれた軍事指揮官を産出していくことなくして勝利しえないからである。
軍事固有の領域を、プロレタリア階級として本質的に問題にすることができなければ、結局、軍事日和見主義か、またはその裏返しの小ブル的軍事主義が横行することになる。それはともに、悲惨な敗北しか招かないのである。
こういう課題の一助として以上の文書は書かれた。
(1974年)