革命的労働者党建設への道は何か
―学生戦線からのアプローチ―

中原一   1968年春   

            = 目 次 =

  ― 序 ―

―リード文―

 1 過渡期とは何か

(a) 過渡期の意味
(b) 我々の原点は何か ――我々の運動の基本的総括

  <ブルジョア社会に対する政治主義的弾劾と
       「運動を通じて党を」という路線(61―64年)>  
  <政治的・社会的弾劾(全面的弾劾)と、
                 二重権力的団結の路線>  
  <革命的反戦闘争(67年秋)>
            ―小ブル急進主義の固定化か? 突破か?  
  <我々の運動の要約>

(c) 小ブル急進主義とマルクス主義
(d) 小ブル急進主義と疎外された党
(e) 学生活動家の思想性について

 2 過渡期の突破の道は何か

―過渡期の突破の道は何か―

  <生きた現実的普遍性とは何か>
  <資本制生産様式と疎外>
  <教育過程・労働監獄>
  <階級社会における国家>
  <学生の実力闘争>
  <プロレタリアートの実力闘争の普遍性>
  <学生とプロレタリアートとの結合>

 3 「観念化」とは何か

―リード文―

(a) 認識とは何か
(b) 分業社会における「認識」の構造

 4 「観念化」の突破の鍵は何か 
―我々の到達した地点―

          ― 序 ―

 世界資本主義の再編成の波は、今世界をおおっている。アメリカ、ヨーロッパのみならず、アジア・大平洋圏においても、後進国においても。この波は多かれ少なかれ「一国社会主義国」における「分業の発展」も促しながら、全世界の流動の根源となっている。

 アジア太平洋経済圏の形成は、国内の第三次合理化の貫徹と、それにふさわしい帝国主義政治体制の確立の準備の中で推し進められている。プロレタリア革命運動は、この波の中でひとつの強力な橋頭堡を建設しうるか否かを問われている。おそらく我々の知る限りで、我々が目指している日本における革命的労働者党建設は、新たなプロレタリア運動が世界をおおう産声となるであろう。量的にみれば、みすぼらしくさえある現状の中に、それをみることのできぬものは革命運動において盲目(原文ママ)である。

 しかし、その我々が本当に全世界を揺り動かし、全世界を獲得するプロレタリア運動の第一歩たりうるか否かは、この一、二年にかかっている。この過程に、それぞれの産別的、あるいは地区的運動は、自己の運動の総括の必然性の上に立って参加しなくてはならない。さもなければ、作られたものはスターリニスト、トロツキスト党の矮小な(原文ママ)再生産となり、長い今までの苦闘は水泡に帰すであろう。

 我々学生戦線はこの60年以後の闘いの中で、「基本的」に小ブル急進主義の過渡期的母斑をもっていることを同志とともに確認した。

 したがって労働戦線に移ることの思想的総括としても、この過渡期性の止揚の作業に参加する任務を私はもっている。そのために、以下の叙述を主に学生戦線の同志に提示したいと考える。


   1 過渡期とは何か

(a) 過渡期の意味

 60年安保闘争から現在に至る過程を階級闘争の性格として規定するならば、それは「過渡期」ということであろう。

 時代の性格を規定づける時には、それぞれの視点からしか成しえないわけであるが、いうまでもなく、我々の視点は革命的労働者運動の視点からのそれである。戦後日本の階級闘争は短い革命期を経験するが、その全体の内容は、旧中間層的な(スターリニスト的な)ものが全体を支配していたのである。それは、50年の第一次合理化への方針の破産で最終的に終末を遂げる。

 50年総評・民同の台頭により、プロレタリア運動への新中間層的・社民的包摂が開始される。このように歴史の中で現在第二次・第三次合理化の中で帝国主義的社民(JC路線)の台頭とともに、それを止揚しようとする革命的労働者運動を潮流として生み出しつつある。

 学生戦線においてもほぼ同様な過程を辿る。60年安保闘争は、新中間層的な急進主義の爆発であり、そしてその敗北は、学生戦線に対して小ブル急進主義の止揚を提起した。いわゆる三派全学連は、この過渡期を全学連運動として経過すべく形成されたものである。

 この問題は、思想的には「外部注入論」の止揚ということとして、歴史的な共産主義運動の課題を負ったのである。それは別の表現をとれば、スターリニスト・トロツキスト党、社民党を越えた革命的労働者党とは何かということであり、学生戦線にとっては、小ブル急進主義の止揚の中で自らの運動を通していかに革命的労働者党建設へ進みうるかという問題である。

 以上が過渡期といわれるものの一切である。そして我々の学生運動にとっての過渡期≠ニは、この全体の性格を学生運動としてどのように推し進めてきたかという問題にかかわることである。結論から先にいうならば、我々の学生運動は「小ブル急進主義」から出発し、そのプロレタリア的止揚の過渡期にあるということである。

 我々は、自分達が「小ブル急進主義」として出発したことについてしっかりと理解しておかねばならぬ。そしてそれは、学生運動にとっては歴史的な起点なのであり、また、偉大なことなのである。60年以降の学生運動の中で、自分の運動を小ブル急進主義の中に「まず」据えつけなかった潮流は矮小(原文ママ)であり、また歴史に対してなにものもなしえなかった。もちろん、同じ小ブル急進主義といっても60年のそれのごとくはありえなかった。多かれ少なかれ、プロレタリア運動という問題を60年のそれ以上に真正面からつきつけられていた。

 また我々の潮流はその意味で最も優れていたのである。そして我々は、自分の出発の地点に固執しつつ、なお固執するが故に頑固にその止揚を追求してきた。またその意味で我々の苦闘は、全世界の共産主義運動に現在偉大な貢献をなしつつあるのである。自分が小ブル急進主義者であり、またはあったことについての「誇り」を持ちつつ、なお重要なことは、その単なる延長上に「共産主義」を定立してはならぬということを知っておくということである。そうでなければ思い上りである。歴史はそれほど「矮小」(原文ママ)なものではない。

 したがって、私はこの過程に「こだわる」のである。おそらくこの過程をいかに通ったかが、我々をスターリニスト、トロツキストにしてしまうか否かを決定するであろう。繰り返すが、その意味で学生戦線の苦闘は、そのまま時代を背負った苦闘なのである。

 同じことの別の表現でもあるが、次の問題へのアプローチでもある。我々の学生運動は、比較的多くの有能な左翼を労働戦線に送り込んだ。しかし同時に消耗者を出した。そして、なおかつ私は自分自身に対するものを含めて、学生運動出身の「左翼」が本当にスターリニズムとトロツキズムをこえているのだろうか、という疑問をもつ。

 いうまでもなく、すでにそれらをこえた人々を生み出しつつあることについて、否定はしない。また、決して問題を回避する意味ではなく、労働戦線は実践的にそのような人々へと学生を変えつつあることも否定しない。しかしなお、問題は依然として我々の前に横たわっているように思う。陰然たる「神」の定立と「引き回し」、そして「追随主義」の問題である。

 要するに、問題をスターリニズム、トロツキズムをこえた革命的労働者党建設という課題のみに絞ってみる時、学生運動は一体何を積みあげてきたのか、そしてその中から、何を突破口として革命的労働者党建設の道へ学生活動家は進むべきなのか、ということである。


(b) 我々の原点は何か ――我々の運動の基本的総括

 すでに過渡期の特徴を述べた。今我々は歴史上かつてなかった偉大なものを生み出すか、あるいは歴史の怒濤の中にのまれてしまうかの境目に立っている。自分が闘い抜いていくための基礎というものは、つまりこの過渡期を本格的に突破していく原点は、どこに存在するのだろうか?

 それは思いつき的なものの中にあるわけではない。数年間の我々の闘いと、その結果としてある現在の中にしかないのである。私は、この問題を『共産主義革命論・序説』の中では、いわば「思想史」的に述べた。しかしここでは、もっと我々のこの間の数年間の闘いの次元で問題を解明してみようと考える。

 一体、我々の学生運動は何だったのであり、また何に向かおうとしているのだろうか。そしてその中で、我々の「組織性」は一体どのように出発し、今どこに立っており、どこへ向かおうとしているのだろうか? 同志諸君! どうか諸君がはじめて学生戦線に参加してきた時のことを、今頭に浮べていただきたい。今その問題を述べようとしているのだ。しかしまた、それは決して個人の問題のみではない、学生戦線の歴史的過程の問題である。


<ブルジョア社会に対する政治主義的弾劾と
    「運動を通じて党を」という路線(61―64年)>

 60年安保闘争が終ってからの学生戦線は、未曽有の苦しい時期であった。この時期の学生運動をふり返ってみると、次のような構造をみることができる。

 運動路線におけるブルジョア社会に対する「政治的弾劾の鋭さ」を軸としたものである。情勢分析から「改憲問題」「大管法」「原潜」等々をいずれがどれだけ鋭く大衆的に提起したかという問題が軸であった。その政治的弾劾の「体系性」と「鋭さ」により党派性を維持した。ということは逆にいえば自分自身の左翼的テコは、自分に対してこの社会の政治がいかに敵対しているかということであった。「ブルジョア自由主義の急進派」である。これが要するに「危機感アジリ」の運動の構造である。我々はこのような構造の中で、64年原潜闘争における「戦争論―ファシズム論」をもって、その左派として突出するのである(我々の戦争論・ファシズム論℃ゥ身がどうであったかという問題も存在するが、ここではそれが学生運動にどのようにうけとられたかということで述べている)

 このような小ブル急進主義運動であっても、決して組織論がなかったわけではない。アナーキズムでもない限り、日々の自分の運動を支えるのは「危機感」と、一方における「共同性」「道徳性」である。つまり、自分の日々の苦闘が「他者」への何らかの貢献となり歴史の役に立っているという意識である。それは、日々の自分の活動の精神労働の次元での合理化、普遍化である。また、他者への関係としていえば、自分の日々の活動が他者の救済に役に立っているという意識である(自分の自分に対する関係は、自分と他者との関係として対象的現実的である)。そしてこの「理想化」した自分の姿を「革命的プロレタリアート」として思い込むわけである。

 このような「政治的急進主義」と、その急進的行動の「観念的普遍化―合理化」としての道徳性―共同性が、小ブル急進主義の最初の形である。そして帝国主義段階では、プロレタリア運動の台頭の中で、その衝撃をうけ、「人民一般」への「憐れみ」ではなく、「プロレタリアート」へのそれとして定立されるので、その自己の姿の理想化は「革命的プロレタリアート」とおかれるわけである(プロレタリアートの小ブル急進主義への同質化)

 日本においても、60年安保闘争以降、プロレタリアートの問題が一層鋭くつきつけられた。我々は組織論の問題として「現実の生きたプロレタリアートの運動」というところに原点をすえたが、それは学生戦線では多かれ少なかれ今述べた構造の中で理解されたのである。

●政治主義的小ブル急進派――ブルジョア社会の政治的弾劾
●個人的反逆の理想化・普遍化――それへのプロレタリアートの同質化としての組織性・共同性

 我々社青同解放派は「観念」に対する「感性」の対置、「現実のプロレタリアート自身の自立」を原点に据え、最も優れた情勢把握の中で前進してきたが、問題を明らかにするためあえて極端化すれば、その学生戦線における捉え方は、多かれすくなかれ今述べてきたような傾向をもっていた。それは党組織路線としては、「観念」によるものではなく、「闘争」を通じての「党」という形で表現されていた。もちろんそれは正しいのであるが、今述べたような内容から「小ブル的」に捉えられていた。


<政治的・社会的弾劾(全面的弾劾)と、
    二重権力的団結の路線>

 このような路線は、原潜闘争を経て、日韓・早大闘争の中で、学生の社会的矛盾への「弾劾」へと発展していく。

 日韓闘争の敗北は、我々の運動の「政治主義」とその運動が、議会主義の単なる裏返しである個人的、小ブル的反逆であることを反省させた。それは闘争の全面化の中では「平和と民主主義」的秩序の底に、それを越える社会性の形成が不可欠であるということを提起した。しかし後に見るように、それはまだきわめて観念的残滓を多くもっていた。

 それは「平和と民主主義」の底に生まれてきた「平和と民主主義の極左」の集団(共感)を、「二重権力的団結」として理解する内容を含んでいた。もちろんそれを、その出発点的なものとしてもっているのであるが、後に述べる「プロレタリア的団結」の発展としては不十分なまま、それを固定化する傾向をもった。我々は団結を語ることによって、社会から分離しつつある自分の「方向性」を一般的に表現しえていたが、それはなお実感がもう一歩伴わないものであった。それは早大闘争にひきつがれていく。

 早大闘争は、この「社会的隷属」の全面的暴露の内容を大きく進めた。「産学協同路線粉砕」のスローガンは、学生の日々の教育それ自体の中に含まれている隷属の構造をはじめて暴露した。それは、学生がうけている政治的隷属のみならず、その社会的基礎を暴露したことにおいて、歴史的なものであったとともに、我々にとっては、学生の社会に対する弾劾の全面的完成であった。それは自分個人があらゆる意味において、この社会から害をうけつつあることを知らせた。もちろん、プロレタリアートと異なり、その「害」それ自体を「歓喜」としてうけとめ、エリートになっていくコースも開かれている。しかしそのコースもたとえ成功したとしても、根深い疎外を含んだものとして存在することを暴露したのだった。そしてそれが産業界と結合していることの明確化により、プロレタリアートとの結合という問題が鮮明になった。

 教育それ自体には全く疑いをもたない「平和と民主主義」の底に最もラディカルな抵抗をする諸個人を「自立」させ、自治会の底に新たなる方向性を持った行動委員会を成立させた。これは、日韓闘争の総括を一歩越えて深め、真に行動委員会を具体化させたが、先ほど述べた大きな限界は存在した。


<革命的反戦闘争(67年秋)>
―小ブル急進主義の固定化か? 突破か?

 相次ぐ教育闘争の爆発を背景にしながら、もう一方ではベトナム戦争の激化と日本帝国主義の対外活動の強化が進んだ。それは10月8日の佐藤の訪ベトナム、11月12日の訪米、更に68年1月のエンタープライズ寄港により一つに結びついて帝国主義的「発展」をとげようとしていた。これへの日本プロレタリア人民の闘いは、実力闘争の新たなる発展をもふくんで大きなうねりをもって爆発した。

 教育闘争については、たとえ一定の限界をもったにしても、その革命的発展を推進していこうとする我々と、全くそれに無知な部分――小ブル急進主義のますます反動的な固定化――と、その中間派に分れつつあった。我々と中核派、その中間派としてのブンド、革マルである。それは過渡的母斑をもって、いわゆる三派全学連内の党派闘争となってあらわれた。追いつめられた中核派は、セクト主義的テロ行為をもって内部固めに入っていった。

 この政治運動・社会運動において、我々は最も断固として闘い抜いた。それは大衆的ゲバルトを伴った実力闘争として、日本学生運動史上最も急進的なものとして闘われた。

 しかし、その急進主義の一つの頂点への到達は、同時に次の問題を正面から投げかけた。つまり国家権力への実力闘争の強化は、何らかの共同性、普遍性を要する。我々は今まで簡単に小ブル急進主義の実力闘争の構造と、その「党」的内容をみてきた。その反逆は、その構造から明らかなように、自分個人に対してこの社会が政治的にも社会的にも敵対していることを発見し、弾劾することにより成立する。それは本質的に「個人的反逆」であり、組織性の背景にあるものはそれの中で生まれるある種の「共感」にすぎない(それは、きわめて重要なものを含んではいるが)。そしてその中には、はじめにみたように、その反逆の観念的合理化と、また他者に対しての「救済者」としての定立を萌芽的に含んでいる。繰り返すが、しかし、この内容はあくまでも萌芽でしかなかった。10・8、11・12、1月エンプラ闘争は、これを一歩進め、「具体的」な「党的定立」を現実の要請とした。

 実力闘争の激化は、個人的反逆に、その中での磨滅を通してアナーキズムに化すか、または、何らかの普遍性を定立するか、の二者択一を迫ったのである。ここに「宗教批判」「国家批判」をもって出発しながら(政治主義的自由主義)、再度宗教へと回帰するか否かの問題に実力闘争の発展を通して再度直面したわけである。


<我々の運動の要約>

 ひとつの政治潮流が形成されていく過程と学生運動のそれへの関係は、次のようなものである。

 ひとつの政治潮流の原点がまず存在する。我々にとってはいわゆる『解放6号』であった。この原点それ自体が闘いの中で豊富化され発展させられねばならないし、またされてきた。

 それは、プロレタリア運動を主軸としたものである。一方学生運動は、その原点とまたプロレタリア運動を不断に自己の小ブル急進主義へ同質化しながら、闘いの中でその突破をつきつけられる(もちろんこの過程は、学生運動の側からの原点の再点検と強化発展を含むが)

 我々の出発点は、プロレタリアートの階級的自立―外部注入論批判、生きた現実的普遍性―宗教・スターリニズム批判、であった。

 しかし、これはそれ自身の展開の不十分性とともに、我々の学生運動がまず自分の基礎としてもっている小ブル急進主義による、不断の自己への同質化を通して、そしてその限界を突破することによってしか血肉化されなかった。

 64年までの学生運動は政治主義的急進主義であり、我々はその最左派としての理論体系を戦争論≠ニしてもっていた。それは、日韓闘争をくぐって政治的、社会的弾劾と二重権力的団結の問題へ到達した。しかしその「団結」はいまだきわめて観念的様相をもち、全体としては個人的反逆者の「共感」をそう呼んできたにすぎなかった。早大闘争は、社会的隷属の問題を通して一歩それを突破したが、それはまだ内容の全面的構築としては多くの問題を残していた。67年からの反戦闘争の激化は、その限界の突破を現実的要請としたのである。

 そういう意味でいうならば、我々はいまだ小ブル急進主義者の秩序の中にあり、正確に表現するならば、行動委員会運動の最もすぐれた部分として目的意識的に党の問題に到達した段階であろう。それは「党的意識」の問題から言えば、個人個人勝手にもっていた「疎外された党」のイメージが、個人的反逆の極に解体される中で文字通りの現実的普遍性に到達する前夜である。


(c) 小ブル急進主義とマルクス主義

 60年以降の過程は、学生運動で闘い抜いてきた部分にとっては、具体的、現実的にどのようなものとして存在したのだろうか?

 それを今、小ブル急進主義とそれにとってのマルクス主義という形で解明してみようと思う。

 すでに我々が確認してきたように、60年安保闘争は、家族的共同体から「疎外されて」生まれる近代的個人による反逆が全体をおおったものである。いいかえれば、「疎外された共同体」に対する個人的反逆の集合である。プロレタリア運動においても似たような過程をたどるとしても、小ブル急進主義運動にとって著しいのは「感性の磨滅」である。

 それは一体どうしておこるのだろうか?

 人間が類的存在であることから、いかなる社会においても、その社会に生きる人間を支えているのは、何らかの「共感性」なのである。ブルジョア社会は、「共同体的業務」を担う精神労働者を頂点とした、分業を基礎とした共同体である。

 それに対して反逆していく学生運動は、その自分が生きてきた「共同体」が政治的にも社会的にも、その一個の人間としての「個人」、自分に敵対するものであることを発見していく中で成立する。そこにおいては、今まで自分が生きてきた「共同体」からの自分の「切断」が、運動の基礎となるのである。大衆次元ではそれはど厳しくないが、活動家次元になればなるほどこの内容は進行する。

 小ブル急進主義的学生にとって、マルクス主義が巨大な意味をもってくるのは次の二点においてである。第一は、歴史的に形成されてきた共産主義運動の衝撃を伝えること、第二は、この社会が政治的にも経済的にも、個々の人間に対していかに敵対しているものであるかということを最も体系的、科学的に解明しているからである。

 ここに学生運動における「逆説」が成立することになる。つまりマルクス主義を「利用」しての矛盾の解明は、自分をそれまで支えてきた「共同体」から「切断」することに役立ち、したがって小ブル急進主義の「発展」に役立つわけである。もちろんマルクス主義と現実のプロレタリア運動が与える「新たなる共同体」の直感、予感はこれを支えていくものであるが、しかし、全体としては、今述べた意味での「共同体からの切断」=「感性の磨滅」が急進的行動の裏で進行する。

 つまりこの過程が同時に「新たなる共同性」の確立として進行しないとき、「共同体からの切断」は「それまで旧い共同体によって与えられていた自己の存在の磨滅」としてしか、現象しないわけである。


(d) 小ブル急進主義と疎外された党

 上に述べた過程を支える「共産主義」の直感または予感は、党への指向となって発展する。しかし、この党の予感、直感はその中に真実のものを含みつつ、全体としては「疎外された共同体」的な内容がおおっている。その科学的根拠については次の章で詳しく解明することにして、ここではそれを要約的に述べておく。

 ブルジョア社会への個人的反逆は、ただ一般的な個人的反逆ではない。その中には、多かれ少なかれ必ずその社会を、また現実の自分を否定したところに成立する「人間性」、「共同性」への指向がある。しかし小ブルジョア的反逆の限りであるならば、それは必ずそれまでの旧い自分の「カラ」を美化した「空想的社会主義」なのである。それが醜悪な姿として現われると、出世主義、つまり自分がその「理想の人間」になる手段として運動を利用するのみになる。したがって小ブル急進主義の党とは、自分の姿を美化した「理念」を頂点とした、「疎外された共同体」なのである。それは運動としては、必然的に大衆物理力主義となるのである。

 以上の展開によってのべたことを整理すれば、小ブル急進主義とは、マルクス主義を利用して自分の生活の苦痛を解明して、この社会から個人を切断し、自らをそれをそれに対して反逆させる運動であり、その構造からいって必然的に感性の磨滅を生み出していく。そしてその運動が「党」を語る時、その党は小ブル的な自らの姿を理念化した(精神労働者としての自己を理想化した)「疎外された共同体」の定立を目指すものとなる。

 我々の学生運動が、過渡期をその最も正しい意味で通過しようとしているということは、次の意味においてである。学生の矛盾をあらゆる意味において最も鋭く解明してきたこと、それをもって学生のブルジョア社会に対する全面的反逆を組織して、そしてその中ですでにそれを越えるものをつくり出しつつあることである。しかしその中で、「磨滅」と「空想的社会主義」を完全には止揚できずに残している。それをすでに生まれつつある革命的内容によって最終的に払拭するのが、我々の課題なのである。


(e) 学生活動家の思想性について

 史上最大の観念論者ヘーゲルは、意識の構造について次のように語っている――「自己自身であると同時に他者である」。これをマルクスは、「自己の自己自身への関係は、他者との関係において対象的現実的である」と、現実的次元へと逆転させた。人間が類的存在であるということは、その意識構造においてそうなっていることを意味する。

 このような「自己」と「他者」の関係、その意識内における表現としての「自己意識」と「意識一般」の関係は、左翼運動においても鋭い問題として存在する。ブルジョア社会においては、家族をその原型として個別的存在と他者の関係が開始されていく。それは「疎外された共同性」の開始なのである。主に学生に限ってみるならば、左翼戦線に加わる活動家には二つのタイプがある。

 一つは、自分の何らかの社会的矛盾、または孤独が出発となる。それは何らかの「自我」の問題を通る。もう一つは、自分の生きてきた「共同体」(家族等)が残滓としてもっている「人間性」(幻想)が強く残り、他者への強烈なヒューマニズムが「前提」となってしまっているタイプ。もちろんきれいに分けられるわけではないが、後者は必ずしも「自分の苦痛」が媒介になっていないで「プロレタリア人民」が定立できる。

 実際には、第一の問題が存在する故に、その「解決」のために「家族的共同体」の温かさがあるのだが、諸個人にとっては必ずしも意識されずにすむ場合もある。真の共同体の形成のためには、その前提となっている「家族的共同性―人間への前提」が破壊されねばならない。実は、資本主義自体がそれを行なっていくわけであるが。我々が真の思想性にたどりつくまでの困難さは、今述べた構造における「自己欺瞞」のかべの厚さにかかっている(補償作用といってもいい)。そして、左翼運動と組織がそれを助長することがありうるということである。つまり第一の型にとって、自分が左翼運動に加わっていくこと自体がそのまま「救済」となってしまう傾向となる。資本主義社会ではなにものでもありえないが故に、「左翼」であることによりそれを回復しようとする、ブルジョア的出世主義の裏返し。

 第二のタイプにおいては、すでに存在している「疎外」への開始に気がつかず、自分の前提の延長上に「革命」をみる。それが、ブルジョア社会に対する個人的反逆の上にたつ「思想性」、「組織性」として隠然と進行する。それが闘いの中で再び個人個人に分断される中で幻想を打ち破られ、真の革命的団結とは何かが問題になっているのが、現在の思想的状況である。


  2 過渡期の突破の道は何か

 我々は数年間の苦闘を経て、今、小ブル急進主義をのりこえた党建設の道に入っている。その道の思想的到達点を、今ここで整理してみなければならない。

 昨年秋の実力闘争は、あえていえば党派をこえて学生運動に参加してくる部分に、もう一度自分の本格的思想を問題にさせたのである。10・8闘争、11・12闘争を闘い抜いた活動家は(全く闘いを放棄した部分は別として)、自分の存在を正面から敵にたたきつけて闘い、一定の敗北を喫したのである。そこでは、もはや単純に自分をかりたてるための手段としての理論や個人的反逆では、もう一歩も前進になりえないことを実感した。

 それは小ブル急進主義運動のひとつの段階としての極への到達であったからこそ、またそのような小ブル急進主義的「理論」の限界を問題とさせたのである。破防法適用という問題に直面して我々がみつめたのは、次の問題である。第一に、我々は、現地実力闘争にもかかわらず佐藤訪米を阻止しえなかった。そしてそれからくる激しい虚脱状態。第二に、権力は破防法の適用を準備している。

 そこでは一切の虚飾の理論、または自分がいわば自分の個人的反逆を合理化する「手段」と化していた理論は消えさり、本当の自分と「社会」を解明する理論が要求されていた。もちろんそこでも再度、山崎君の死の小ブル的利用によるさらに小ブル的な強化も、一定程度「有効」であった(中核派をみよ)。しかし、それは政治運動と社会運動から決して逃れず闘い抜いてきた我々には無縁であった。

 一体、我々は何故このような闘いを展開しなければならないのか? それはおそらく一度は必ず全国の学生活動家の頭に浮んだであろう。そこで取り払われつつあったのは、自己の個人的反逆を「合理化」するためのマルクス主義「理論」、または「左翼運動」に参加することをもって、逆に自己の社会的隷属から「逃れて」いたという逆説的構造である。

 我々は、すでに幻想にすがりつくことができぬという実感をもって、再度自分の歩んできた道とプロレタリア運動からの提起を正面から問題とせざるをえなかった。

 我々は一人一人この敗北感をもって明日から一切闘いを放棄し、カバンを下げて学園に帰り、「学問」をしていくことができるだろうか? もし、それを妨げるものに何も突き当らねば、どのように「屈辱」であってもそれをしなければならない。そういうすでに幻想を取り払われつつあった眼で現実を見たのである。

 プロレタリア運動と、またその数多くの学生運動は次のことを我々に提起していた。

<我々の日々の教育は、諸個人の競争を通じて分業を担う専門奴隷の産出の過程である。中卒の人々は肉体労働者となり、高卒の人々は技術労働者となり、大学卒の人々は精神労働者となる。そしてこのことが同時に、その人間の存在を決めていく。そして、その根源には労働監獄が存在する。>

 我々の「反逆」は、ここに出発点をもっているのであり、その上に政治闘争が存在するのだ。また、たとえ一人一人が意識していなくとも、このようなものを底にもつからこそ、我々の闘いは、プロレタリアートの運動との連関をもたざるをえないのであり、それどころかこの学生の問題の究極的解決は、労働監獄の解放の闘いと結合しなければならないのだ。それは「幻想」の霧を取り払われつつあった学生運動の側からの、「プロレタリアートの発見」であった。我々学生もまた、「帰る所のない、闘わざるをえない存在」なのである。

 エンター闘争は、この「プロレタリアート」の「革命的プロレタリアート」への発展をさらに現実的なものとして確認させ、学生への革命的衝撃性をさらに与えたのである。

 ここで次の問題に入っていく前に整理しておかねばならないことがある。それは、どうして同じ問題に対する「解決」の道に、我々と中核派とに、当面典型的に示されるような道があるのかということである。

 もしそれがきわめて恣意的になしうるものだとするならば、左翼運動は主観主義の総和だということになる。左翼運動とは決してそのようなものではない。いかなる「セクト」に属そうとも決して否定のできない現実はあるのだ。そこを避けて通るか、それを真正面から突破しようとするかによって、「疎外」の強化となるか「止揚」の道へ入るかが決まる。それは、否定しようにも否定しえないブルジョア社会の「現実」へどう対決しているか、ということにやはり帰着できる(つまり、左翼運動はもともとそこに基礎をおいている筈なのである)

 ブルジョア思想の突破ということは、単に「マルクスの用語」をアレコレ頭につめこむことではない。左翼運動の中で、何度も闘いの現実を通して自分の以前の幻想的理解を打破することなのだ。それを行なわないことは、すでに固定化しているものの中に一切をハメ込むために現実の運動があることになる。これが「疎外」の強化の道なのである。この数年の運動に限って問題をみるならば、それは教育闘争である。自分の幻想が暴露されることへの恐怖は、左翼的ポーズをとった闘争破壊となって出現したのである。

 また、党派の思想性からいうならば、「プロレタリアートの階級的独立」を現実の闘いの中でつかみ、そこに一切を据えようとする我々と、他の部分との問題である。それはマルクスが百年前つかみとったことの革命的復活なのである。さもなけれは、すでに見たようにプロレタリア革命を語りつつも、隠然たるスターリン主義、トロツキズム(中核、革マル、ブンド)を我々の中から生み出し、それを固定化してしまうのである。

 さてここで我々は、もう一度出発点からの道程を整理してみなければならない。

 我々はプロレタリア運動からの提起をうけつつも、なお小ブル急進主義的限界をもちながら闘ってきた。それは、ブルジョア社会に対する政治的社会的弾劾(自分個人が政治的にも社会的にもブルジョア社会から抑圧されている)による個人的反逆を最も鋭く貫徹する中で行なってきた。日韓・早大闘争を経験する中で、組織的には行動委員会運動という形で整理されながらも、まだ観念的なものであった。もちろん、個人的反逆の共感とその一定の組織的表現の中で、プロレタリア運動との結合を強力に志向してきたのであるが、そういう運動の積み重ねの限界は、次のような点に集中的に表現されるものである。

 アナーキズムへと固定化してしまわない以上、個人的反逆は同時にその中で普遍性を求めていくものである。それは、内的には自分の小ブル的反逆の観念的普遍化であり、外的には「プロレタリア人民」に対する「救済者」として自己を定立していくものである。運動と、また我々の理論は、それを止揚していくものを徐々に形成しながらも、なおこのような傾向を強くもっていた。

 このような小ブル急進主義は、67年秋の実力闘争の中で一つの究極的展開をみせた。そこで自己の存在そのものが実力をもって権力と対決する時、一人一人の学生活動家はもう一度、自分の行なっている行為の究極の意味を自分に問いかけざるをえなかったのである。そして敗北の中で、一切の幻想を取り払った眼で自分と社会をもう一度凝視した。エンター闘争におけるプロレタリアートとの連帯感は、それを促進した。

(A)<個人的反逆の開始>
(イ)社会が自己に敵対している存在であることの発見。
(ロ)反逆は同時に自己がそこにいた共同体からの切断として進む(感性の一方における磨滅の進行)。
(ハ)しかし、同時にその裏に再度の「疎外された普遍性」の定立が進む。

(B)<個人的反逆の全面展開とプロレタリア運動の衝撃性>
(イ)この反逆の構造はあらゆる面で全面的に進む。政治問題のみならず社会問題においても。
(ロ)部分的にではあるがプロレタリアの闘争と団結の衝撃力は小ブル性をゆさぶる。

(C)<個人的反逆の一つ頂点的爆発と再度「個人」と「孤独」の中に立つ>
(イ)自己自身の社会的隷属の中に立つ。
(ロ)その自己自身の社会的隷属を通して他者(プロレタリア)へ問題が定立される。

 個人から出発し、マルクス主義を利用してのブルジョア社会の弾劾の中で再度空想的社会主義(疎外された普遍性)を定立しようとする。人によっては他者の悲惨の問題から出発するものもある。その中で今述べた疎外の固定化へ進む。そして闘いの中で再度、幻想にすがることの出来ない「個人」として自己を発見する。(それは闘いの中で、前提にしている筈の左翼的同志感が「裏切られる」というような問題を通しても行なわれる。実はこのような左翼的同志感自身が、今述べた幻想の中であったものなのだが――)

 我々は再度「個人」に帰った。しかしこの個人は単なる「個人」ではなく、プロレタリアの衝撃性を受けつつ、同時にその中ですでに「暴露」されていた問題を「本質的」に受けとめざるを得ないところの、したがって現実的に「他者」「類」「共同性」をその中に含まざるをえない、その出発点としての「個人」なのである。我々は、その急進主義的闘いの中の一つの極点の中で我々の存在が直接権力と対決することを通して、一切の幻想をはぎとらざるを得なかった。そこでは、単に自己の個人的反逆の「合理化」「手段」として理論をみる、ということを突破せざるをえないところへきた。「実力闘争」の一つの極点は、そういうものを必ず諸個人にもたらす。

 諸個人が自分の生命の危機を含んでも権力と対決する時に、そこに必ず何らかの思想性(普遍的なもの)を確立せざるをえない。そこでは、アナーキズムの固定化でないかぎり、自分の活動の普遍性を確立することが自己にとっての「要請」となる。そこでは、今までは「個人的反逆」の合理化としてしかなかった「理論」またはそういう「理論への態度」は、吹きとばされざるを得ない。そういう敗北し絶望の淵に立った学生諸個人は、昨年の末再度自分の内容を問われたのであった。そこで、我々は単に自分の個人的反逆の合理化としてではなく、自己の存在そのものにかかわるものとして理論を見直さざるを得なかった。

 我々が羽田闘争に直面した時、一人一人は次のような問に直面した。明日から屈服し教室へ帰り、「学問」を行ない、就職していくことができるのか? もし、その時それを妨げるものがなかったら、いかに「誇り」があろうと、そうしなければならない。

 我々はその時、我々の「疎外論」「合理化論」「教育闘争論」を再度点検した。我々は、分業論、教育闘争論、疎外論、これを集中的に整理せざるを得なかった。我々は反合理化闘争と早大闘争を通して、現在の教育の再編は、産業合理化に見合っての分業(したがって競争)の再編に原因があると把握した。さらに、「意識」の問題と「現実」の問題を追求してきた我々は、マルクスの『経済学哲学手稿』の中の次の言葉を、この問題の中で思い出すことができる。

 「自己と自己自身の関係は、自己と他者の関係において対象的現実的である」

 この問題を分業論を通して再把握することが「疎外論」の一つの発展となり、学生の問題の解明の鍵となるのではないか。つまり、学問の場、教育の場は決してそれが一時的に、または機械的に存在するものではない。中卒者は肉体労働者となり、高卒者は中級労働者になり、大学卒は高級技術労働者ならびに精神労働者になる。

 人間の存在はすべてある対象へ向けて発現していく構造を持っているが、そういうものを含んだ個人の発達は、自然生的分業の社会(今までのすべての社会)においては分業の中へ自分がより深く組み込まれていくという形でしかない。自分が精神労働者として専門奴隷となっていくこと自体が、一方で、ある範囲に自己を限定していくとともに、他方、自己の他の感性は対象性を失った抽象的なものとなる。むしろ全体としては、一切の感性は頭脳労働の奴隷となって抽象化する。それが、この社会への反逆を開始する時の疎外感の根本原因である。つまり競争の中で他者を肉体労働へおし込め、あるいは技術労働におし込めるということは、自己の感性に対象性と技術的な発想を失い、自己の感性やその技術性は精神労働の手段となる。それが疎外≠フ根本原因である。

 このように闘いを通して、何の幻想も持てない「個人」に帰り、その「個人」が自己のおかれている教育の問題をみつめ、プロレタリアートの闘いの衝撃性をうけるとき、はじめて自己の問題を通して「他者」(プロレタリアート)の問題が定立されるのである。

 ここでは、生きた現実的普遍性=類の出発点としての「個」が定立されるのである。そして、それは同時に国家に対決するコンミューンの原初であり、国家権力の打倒をもって最終的に、その原初的欲求を実現できるものである。


<生きた現実的普遍性とは何か>

 革命的労働者党建設の道においては、いうまでもなく、路線――「当面の要求」→「過渡的要求」――がハッキリさせられてゆかねばならぬ。

 しかし、今我々に必要なのは、その前提となる思想的地平―次元の問題である。

 我々が何度も述べてきた「感性的現実」「生きた現実的普遍性」が、我々のこの間の数年間の闘いの中で今どういうものとして不動の基礎をもっているか、これがハッキリしさえすれば、そこから我々は、あふれるようなエネルギーと理論を引き出すことができる。そしてこれこそが、過渡期の突破の思想的な背景となるのである。

 それは、自己の観念と感性、そして精神労働者、肉体労働者の問題を明確にし、決して観念化しえない「現実性」をつかみとり、その普遍的発展の道をみつめることである。一切のイデオロギーを爆破して、イデオロギーに収約しきれない現実的普遍性の基礎をつかみとり、その発展を推進するのだ。

 その構造を簡単に明らかにしておく。


<資本制生産様式と疎外>

 人間が社会的存在であるということは、人間の存在は全て「結合」しているということである。要するに、人間の「眼」「手」「耳」は「結合」しているということである。

 しかし「分業社会」は、この「結合」が「疎外」を通してなされているということである。分業、そしてそれを通してなされる「競争」の論理は、個々の存在が自らの「現実性」をもつということが、他の存在のあるものを「収奪」することによって成立するという構造になっている。それが「分業」の「論理」である。 > したがって、そこに成立している個々の存在の「現実性」は、競争を通しての他者の否定によって成立している。しかもそれは社会的生産の本質に規定されて、個々の存在がそれぞれに無限に自らを発展させていこうとする論理の中で成立している。したがって「生きていく」=「自らの存在が無限に発展していこうとすること」が、「他者」のあるものを収奪すること(現実的には自らが観念的普遍へとなっていくこと、精神労働者になっていくこと)となっていく。


<教育過程・労働監獄>

 この構造は、教育過程においては次のように進行する。

 この論理は、工場内分業、社会的分業に見合って生産されていく労働力商品相互の競争においてまず貫徹されていく。つまり、中卒―肉体労働者、高卒―技術労働者、大学卒―精神労働者という形で貫徹されていく。

 この場合非常に重要なのは、人間の社会的存在の境遇から生まれてくる次の問題である。「人間の自らに対する関係は他者との関係において対象的現実的である」ということである。自らが大学生になることによって肉体労働、技術労働から疎外され、またその部分から精神労働を収奪したということは、その人間の自らに対する関係においては次のようになる。

 自らの「感性」「技術」は自らの疎外された精神労働の手段となり、抑圧されているということである。


<階級社会における国家>

 国家とは、本質的には、プロレタリアに対するブルジョアジーの抑圧の機構であり、またその中でブルジョアジー相互の利害調整もなされていく。この抑圧の構造は、プロレタリアに対するブルジョアジーの共同性(プロレタリアにとっては幻想的共同性)を背景とした暴力的なものとしてある。

 国家は、個々の私有がもっているプロレタリアに対する暴力的力とまた私有の力がもっている「共同性」を普遍的に体現しているものである。それは日常的には、共同体的業務にたずさわる政治委員会とその下での暴力装置(それを担う分業者)としてある。

 政治権力は個々の資本のもっている社会的力を普遍的に対象化したものであり、したがってゲリラ戦は(社会運動は)、国家権力の打倒へと進まないかぎり自らの原初的欲求を貫徹しえない。


<学生の実力闘争>

 以上のごとく、大学生の感性は抑圧され、抽象化され切断されており、またそれがますます深化していく。それは積極的には、個人の中に完全に切断されたものとして押し込められる。

 したがって、その実力闘争の直接的発想は、この抑圧され切断された感性の粗暴な表現である。それはその限りでは、極限的に発展していく過程は「磨滅」の過程として出現する。

 これに対してプロレタリアートの実力闘争は、次のような衝撃力を与えていくことになる。

 学生の中に抑圧された感性は、プロレタリアートの単純労働によって「規定」されているものである。それはすでにみてきたように、社会的存在としての人間が、競争(分業)の中で獲得していく「現実性」は、自らが疎外された普遍者となっていく過程で、同時に他者をある分業の中におしこめていくことである。これは同時に、他者をそのような分業におしこめることは、その同じ種類の自己の感性を疎外の中におしこめることでもある。

 これがプロレタリアートにとっては「疎外の活動」としてあるものが、学生にとっては「疎外の状況」としてあらわれるということの意味である。学生にとって、自らの存在の無限の発展としての「革命」の過程は、まず直接的な単純ゲバルト主義的表現とともに、次の内容が必要なのである。つまり学生の自己の疎外の他者における体現としてのプロレタリアートが単純肉体労働からの解放に立ち上り、今のべた相互否定としての「疎外の壁」を破壊することである。

 要するに、プロレタリアートの感性的闘争は、学生の中の疎外された、切断された感性の「孤立の壁」を破壊し、解放の通路を作るのである。繰り返すが、それはプロレタリアートは学生にとっては先ほど述べた意味において「自己」の疎外の体現者であり、その意味で「自己」であるからである。したがってプロレタリアートの実力闘争は強力な衝撃力をもつ。


<プロレタリアートの実力闘争の普遍性>

 しかし、これだけでは問題の解決にはならない。最終的解決には、つまり「結合」の内容を理解するには、プロレタリアートの存在の内容のもう一歩の分析が必要である。

 すでに我々が分業論の中で述べてきたように、資本制生産様式における生産力の発展は、機械の導入の中で、プロレタリアートを全面的な活動を奪われた単純労働の中におい込んでいく。また資本主義社会における機械の導入とそれに伴っての技術の変化は、資本主義社会内での一方における分業の固定化とともに、一方では、労働者の不断の流動と転換を形成する。

 このような構造の中で全面的に発展した人間への欲求が生まれてくるのだ。

 労働者の闘争が本質的に暴力的な構造を持っているのは、このように感性が全面化しようとする活動として階級闘争があるからなのだ。それは団結と自立の中で、自らを抑圧している対象を、感性的活動によって突破し、全社会を自らのものとしようとするものなのだ。これは暴力によってしかなしえないものであり(階級社会では)、暴力は階級社会から真の人間が生まれてくる時の本質的な力なのだ。


<学生とプロレタリアートとの結合>

 学生が自らの闘争の中で一定の限界に直面しつつ、プロレタリアートの実力闘争への決起の中で、感性の疎外の壁が破壊され、無限の存在への発展の奔流の中にたたきこまれるには、さらに次の点が重要である。

 つまり、学生自身の疎外それ自身への闘争の蓄積である。自らの疎外そのものが教育それ自身の専門化と競争の中にあることを知り、それへの闘いを組織化し、その中でその原因を労働監獄の中に発見していく過程がない限り、プロレタリア運動からの衝撃は単なる「ショック→単純ゲバルト主義の強化」となる。

 それに対して「労働者」の「革命的労働者」への転化は、まず機械の発展の中で労働が単純化し、自らがしがみつくべき「分業の特殊性」が奪われる中でその基礎をもつ。

 つまりブルジョア社会は、自らが特殊的な人間としてそれにしがみつくべき分業が基礎となって、競争の中の関係として形成されていく。しかし労働監獄の中での単純労働の中の苦痛、さらに労働者の転変、流動は、労働の特殊性を奪っていく。その中から生まれる人間性は、すでに今まで述べてきたような精神労働を頂点とするものではなく、分業をこえた新しい人間としてしか結合しようがない。それは分業をこえた全面的発達へ向う新たな人間である。そこでは、今まで述べてきた分業の頂点にたつ精神労働者の普遍性を媒介とした結合ではなく、「生きた現実的諸個人」そのものとしての結合である。

 自己の疎外感覚とプロレタリアートの運動の衝撃力の双方からこの内容は発展する。再度強調しておきたいのは、自己の感性の疎外の問題を通して肉体労働者の矛盾をみること(分業論を媒介として)である。

 そこでは決して「観念的普遍性」「精神労働」に同質化しえない自己の感性と、プロレタリアの労働が発見されていくのである。そしてそこでは、「プロレタリアート」の「革命的プロレタリアート」への転化が、その衝撃性が、もはや精神労働へと同質化できぬ現実性として自己を規定し、革命的プロレタリアートの闘争と団結し、結合が自己のものとなるのである。

 そして、それが「革命的労働者党」なのである。

 マルクスが、プロレタリア的政治闘争の構築について「諸ゲリラ戦の結合のみ」といっていることは、「観念的普遍性」を越えるプロレタリアートの闘争の発見の路線的表現にほかならない。

 我々が、学生運動の中からプロレタリア運動へと前進する時、「生きた現実の普遍性」を認識しうる眼の形成、つまり観念的普遍性の完全なる批判がなされていなければならない。自己の小ブル急進主義的運動とその立場の苦闘の中で、何が共産主義運動なのかを識別する眼は形成されるのだ。革命的労働者党建設の道がどうして分派闘争を通じてしかなされないのか、という問題もこの中にある。

 革命的労働者党建設とは、単なる技術的問題ではない!

 プロレタリアートの諸ゲリラ戦の結合から生まれる階級的普遍性・政治性が、古い社民、スターリニスト的カラを打ち破るまでに成長していく過程が問題なのである。運動は実際、多かれ少なかれ党的部分の形成がなければ、なかなか進むものではない。しかしそれはあくまでも「党的部分」なのであり、それ以上ではない。現実の党は、「ゲリラ戦」→「行動委員会」→「革命的分派」という過程を正確にくぐるだろう。

 もしすでに何らかの「党」を前提とし、その単なる拡大の手段として分派闘争をたてるならば、それは完全な誤りである。たとえ党的部分が現存しても、それは今述べた「ゲリラ戦」→「行動委員会」→「分派」の過程を更にくぐっていかねば、官僚へと転化するだろう。

 社民、スターリニストをこえた現実の闘いと、したがってその中での団結の形成が問題なのである。しかも前者なしに決して後者はない。

 そして学生運動の側からも、自らの闘いの中で、このような革命的労働者党の問題が現実的要求となったわけである。


     3 「観念化」とは何か

 スターリニズム、トロツキズムは、現実のプロレタリアートの観念化が底にある。我々の潮流は、その出発点において「現実のプロレタリアート」を問題とした。しかし当面学生戦線にのみ問題をしぼってみるならば、「現実のプロレタリアート」が再度「観念化」される傾向を多分にもっているし、また今もそうである。

 確かに学生運動の活動家にとっては、革命化したプロレタリアートをみ、また共に闘うことは、それ自体が自分の変革となる。しかし大衆運動としての学生運動にとっては、それは部分的である(ただしこれには「当面」という限定をつけるが――)。後に述べるように、「革命化」したプロレタリア運動、これが学生を本当に変革するもののすべてである。これを私は当面プロレタリア運動からの衝撃性と呼んでおく。しかし、繰り返すがそれは一挙に学生を変えてしまうものではない。そこには運動を通じての長い過程がある。

 プロレタリア統一戦線の一環としての学生運動にとっては、このプロレタリア運動からの直接的衝撃力とともに、学生運動それ自体からそれを自らのものとする長い過程こそが問題である。それが――つまり、この過程の構造の意識化が――なければ、たとえ直観的にそれをつかんだつもりでいても、自分の中の最後の「宗教的本質」は残り、「現実のプロレタリアート」は再度「観念化」されてしまうだろう。おそらく(今、私はこういう表現しかとれないが)、このような問題の不明確化が、学生運動出身の左翼に少なからずトロツキズム的、またはスターリニズム的残滓を残してきた原因であるように思う。

 ただ単に学生に対して、直接的な衝撃性を与えていくことしか能がないとすれば、そのような党派は自分としては学生運動に手を出すべきではない。それは、「革命的プロレタリアート」の名において学生を物理力にしているにすぎない。

 それは、個人としての左翼を生みだしても、運動を通しては生み出しえない。またそのような、個人としてプロレタリア運動の衝撃力をうけて左翼となったインテリは、自己の学生としての問題が棚上げされることによって、必ずその底には隠然たる「現実のプロレタリアート」の自己への同質化、観念化が残ると考える。

 大衆運動としての学生運動を通しての、革命化したプロレタリアートとの結合のその過程を、明確にしないならば、大量の「残骸」をプロレタリア運動の後に残すにすぎないだろう。

 いうまでもなく、プロレタリアートの独自の運動に敵対するものに対しては、たとえ大量の残骸を作ろうともそれを粉砕して通らねばならない。しかし、私が今述べているのはそういう問題ではないことは明白であろう。

 そういう問題にとって、まず明らかにされなけれはならないのは、一体、「観念化とは何か?」ということである。

 我々は、この解明のカギをすでに自分たちの運動の反省の中でつかんでいる。


(a) 認識とは何か

 認識とは、社会的生産の一環としての「対象化」である。または、現実的対象化の意識的確認である。この場合、対象化というのは、「それから身をひきはなす、それを自分の前にたてる」という意味である。わざわざ「社会的生産」の一環という言葉をつけ加えたのは、認識というのは人間の全活動の一部であり、その底には「対象」からの制限と、それをこえようとする主体の側の衝動があるということをいいたいためである。

 認識が、対象化であるということは、「認識」の底には、必ず対象化する主体の「普遍性」が何らかの意味で形成されているということをも意味する。「普遍的なもの」の対象化は、自らの側にそれをこえる普遍的なものの結合がなければ不可能である。要するにあるものを対象化するということは、それを対象化する立場がなければならないということである。

 ところで、自然科学的認識と社会科学的認識が「異なった」様相を帯びてくるのはここからである。自然の認識には、自然史の進化によって生み出された「人類という存在」の共同性が前提となっている。その人類は、進化の中で「全自然を対象化する存在」として「自然によって」生み出されたものである。したがって「人間である限り」、ほぼ共通の自然への認識が可能である。(本質的な「自然認識」はやはり共産主義革命の中でしか成立しない。『共産主義革命論・序説―史的唯物論確立のために(1)』参照。ここでいっているのは、個別的な事実認識である。)

 しかし、個々の自然の発見・認識とは別に、自然総体の「自然」としての「認識」は次の社会科学的認識に深くかかわってくる(ここで、個々の発展・認識と総体の問題を「別に」したのは、ここではこれ以上述べる力を私がもっていないからにすぎない)

 社会科学的認識、つまり人間の人間社会に対する認識は、社会の発展に大きく規制されてくる。自然認識もそうなのであるが、それとは異なった意味でである。つまり、社会の様々な問題をみてゆく「普遍的立場」「普遍性」により大きく規制されてくるということである。しかも、実はこの社会科学上の規制が、自然科学上の認識にも大きく影響をもつのである。さらに、この段階で注意しなければならないのは、「認識」は必ず、その中に「同質化」を含むということである。対象化する自らの側の普遍性(普遍的立場)に、対象を同質化する内容を必ず含むということである。それは、「認識」が「社会的生産=対象からの制限に対して、自らの側により普遍的結合を生み出し、労働手段をテコとして対象を人間的に変革し対象を自らのものとしてゆく活動」の総体の一環であることに原因をもつ。

 つまり、「対象を認識する」=「理解する」ということは、今述べた「生産の本質」から、「対象」が「認識主体」と同質であるということの確認を含むものである。それは複雑な過程をたどるとしても、社会科学的認識についても同種である。

 対象を理解する何ものかが自らの中になければ、認識は成立しない。したがって認識とは、自らの中に存在するものから対象を「了解」するということであり、それは「同質化」としてあらわれる。


(b)分業社会における「認識」の構造

 すでに確認されてきたように、認識とは「類的生産の一環」として存在する。

 それを意識しているか否かは別として、認識とは、対象に対して自らの側により普遍的結合を生み出すことの中で、つまり「対象」に対して、それを「対象化」する「結合」を生みだす中で成長する。分業社会の中では、この「結合」は、個々の感性をこえた「外在化」した精神労働者を生みだすことによりなされる。

 ここで重要なことは、精神労働者を分業として生み出すことは、それを「生みだした」個々の存在にとってどうなるかということである。

 今、個々の生産にたずさわっている人間との関係としてみるならば、その個々の仕事にたずさわっている人間は、精神労働者を析出する(外在化させる)ことによって、自らの「人間的意識」(自分を共同体的人間として確認する意識)をうるということである。いいかえれば、「個別的存在」としての自分と「精神労働者」としての自分の関係は、一人の個別的存在者にとっては、「共同体的人間としての意識」と「個別的人間としての意識」の関係として実現されるということである。

 人間が類的存在であるということの現実の構造は、このような形で相互の関係は成立しているということを理解しておく必要があるだろう。分業社会(=階級社会)において、これが特殊な精神労働者(分業者)によってになわれているというところに根本的問題が存在するわけである。

 さて、我々がここで問題にしようとしているのは、どうして「観念化」なるものがおこるのかということである。フォイエルバッハは「神の本質は人間である」と語った。問題は、それを科学的に問題にしようとすることである。つまり、「どうして人間は自分の類的本質を、神として疎外できるのか?」ということである。それに対する答の重要な鍵は、分業論であり、観念的普遍性の基礎としての「精神労働者」を全体の分業の中で理解することである。

 しかし、階級社会とは分業社会であり、その内容は頂点に精神労働者を析出することによってそれが成立しているのだということでは、問題の解決にはならない。それはあくまでも問題の解決の基礎でしかない。つまり、外面的な解明であり、問題の解決そのものではない。それを解決するためには、人間の類的本質ということを「類的生産」の中から理解すること、また人間の認識の構造を理解することが必要である。また、それはスターリニズムを解明するためのひとつの決定的な鍵でもある。

 すでに解決は与えられている。

 分業社会において成立する人間としての普遍性は、「精神労働者が獲得する観念的普遍性」である。つまり、人間が対象を認識する時自らの側に形成する「普遍性」は、精神労働者をその頂点に外在化させることによって獲得する「観念的普遍性」なのである。

 ということは次のことを意味する。

 すなわち、<分業社会における認識はその究極において対象の精神労働者への同質化を含んでいる>ということである。

 それは、自然認識においては「精神労働者としての人間」への「自然」の同質化がある(『共産主義革命論・序説―史的唯物論確立のために(1)』―「4ヘーゲル批判のために」参照)。そして、社会科学的認識においては、人間としての内容については精神労働者のそれへ一切を同質化する構造としてあるということである。それは同じことの別の表現として、逆に「人間なるもの」「人間的なもの」でない物質的なものは、物理的機械的なものとして把握されることになる。そしてまた、そういうものが唯物論だという形で、機械的物理的なものによって人間の一切を説明しようとすることになる。

 これが、人間がどうして「神」を生み出すかということの秘密であり、また分業社会における「人間としての発展」は、必ず「神」を生みだしてしまうということの秘密である。また、「神」的地位にいる人間が、「衆生」をどのように見ているか、どういう論理構造で「物理力」とするかの秘密である。

 また、スターリニズムとは、本質的にその底に「プロレタリアート」の「精神労働者」への同質化を含むこと、逆にいえばスターリニストが自分(小ブル的存在)の「理想的側面」を「観念化」(神格化)し、それを「革命的プロレタリアート」と思いこみ、それへ現実のプロレタリアートを「同質化」することの秘密でもある。


  4 「観念化」の突破の鍵は何か
      ―我々の到達した地点―

 我々はこれまで、スターリニズム、トロツキズムの定立する「革命的プロレタリアート」なるものの内容を、認識の本質構造と分業の問題を通じて鮮明にしてきた。それが学生運動を通じてどのように突破されてゆくのかという構造を、次に提起してみたいと考える。

 すでに簡単に述べたように、学生運動は、学生が、自分に対して社会が敵対しているものであることをマルクス主義によって提起されることによって、反逆の活動を開始してゆくことである。そしてその中で、その個人は抵抗のみならず、その中に「解放」を求めていく以上、必然的に「個人」から出発して再度「普遍性」を定立していく。その時の内容として「観念化」がおこることを確認した。それをもう少し実際の過程としてみるならば、次のようである。

 マルクス主義からの提起による反逆は、個人を自分がそれまで生きてきた「共同体」から切断していくことによって成立する。したがって、初期における「生き生きとした個人の反逆」を経験しながら、同時に「感性の磨滅」として進行する。何故ならば、その次元では現実的普遍性は形成されていないからである。また、これは傾向としてであるが、理論が弾劾としての役割を果しているのみだから、自分の闘いと自分の苦闘が理論の発展となっていくことがない。もちろんマルクス主義の出発は「弾劾」であり、そこに大衆運動の一切があるといってもいいすぎではない。しかし、それにとどまるかぎり、「理論」は空疎な「カテゴリーの操作」(革マル)みたいになってしまう。この時期に、いわゆる活動家の「消耗」がおこるのである。

 このような時期に内容において、本当に先ほど述べたような「観念化」を突破した形で「党」を定立しないと、「個人の反逆」に疲れて、その疲れの「補償」として党を定立することになり、再度「裏返しのファシズム」=スターリニズムになる。さてそれでは一体その突破はどのようにしてなされるのか(運動の内容からいえば、ここまでの段階は反帝学評運動である)。すでに確認したように、観念的普遍性の定立の底には、「分業社会」の「精神労働者」の疎外があり、その上に立つ、「人間の精神労働者への同質化」がある。これを突破するということは、自己自身の問題を通して「感性」「肉体労働」が「観念」または、「精神労働」に同質化できないものとしてつきつけられねばならない。それを実現するのが、今みてきたような学生運動の全面的展開と、それへの革命的プロレタリアートの闘いの衝撃力である。学生運動に参加してくる活動家の契機は様々であるが、他者の悲惨を通してかまたは自己自身の問題を通じてかは別として、その根本には自分の感性または意識の全面的発展の欲求がある。問題の入口は様々であるが、そのような欲求がこの社会においては「ゆがみ」「抽象化」「他者への抑圧を通じての自己のゆがみ」等の「感性と意識の矛盾」として出現してくる。

 この「原点」の確認はほぼ二度経験する「はず」である。

 第一は自分が社会への抵抗を決心する時である。「自己の苦痛」「ゆがみ」を出発としてもつか、あるいは「他者」の悲惨を出発としてもつかは、活動家としての体質の差異がでてくる。前者の場合でいうならば、「マルクス主義理論」は「革マル的意味」をもってくる。後者でいうならば、「マルクス主義」は日共的または社学同的意味をもってくる。つまり、後者はある普遍的なものへ自己を抹殺し捧げてしまうということは、「自明の理」「前提」となっているのである。そしてその中で、日共的なものはどのようにして、「団結」を形成するのかを主にしていくし、社学同的なものは、どのようにしてその前提としてしまっている「普遍」を基礎として「大衆運動」をおこすかを考えるわけである。

 このような例を使ったのは小市民的運動の傾向を明確にするためである。

 我々に結集している部分は、学生としての存在の中で、このような傾向のどれにも埋没することを拒否したものである。したがってどのような例にもあてはまらないし、また、どのような傾向をももっているといるといってもいいだろう。我々に結集しているものは、「これらをどのように止揚するか?」ということを問題にしている部分である。しかし、今我々は学生運動(小ブル急進主義)をどのように止揚するかということなのであるから、その出発として、このような傾向を基礎として考えていくのは有効であろう。

 ヘーゲルのいう「自己自身であるとともに他者の内にある」という人間の類的存在の意識の次元における表現は、学生の矛盾と「意識」の次元ではこのような形となるのである。へーゲルがまちがっているのは、この分業社会の意識の構造を現実の「止揚」とスリカエたことである。したがって、この原点は、これらの二つの傾向、つまり「自己の問題」、「他者の問題」という形をとりながら、実は同じ問題の二つの進み方にすぎないことがわかる。

 ただ、それが人間の社会的生産の本質構造、つまり「対象(自然)との矛盾に対して、自らの側により普遍的結合をつくり、労働手段をテコとして対象を変革し、自らのものとすることにより自分自身より普遍的なものになっていく」ということの、「精神労働」に倒錯して映し出された構造であることは変りがない。つまり資本に対して、何らかの「普遍」をつくり、それを破壊することにより「自ら」が「普遍」へと高まっていくということである。したがって、どのような傾向にしても「対象」と「運動」と「自己自身がより普遍的になる」という要素はもっているのである。そして「対象の弾劾としてのマルクス主義」「対象の破壊としての急進主義」、「自らがより普遍的になっていくこと」としての「観念的普遍性」(神的なもの)の要素はみなもっているわけである。

 そして、これらの意味をふくんで「自己自身であるとともに他者の内にある」この社会での「自己」が「原点」となっているのである。そしてそれが一定の期間の闘いの中で、反帝学評的な闘いを経過して(反帝学評というのは、行動委員会の最高に整備された姿という意味)到達するのが、「社会と自己の関係」を内在化させたところの「自己と他者」「感性と意識」の矛盾を向自化しつつある個人(自己)である。

 これが党的出発となるものである。つまり、闘いと一定の「感性の磨滅」を経験して、ひとつの円環をくぐって、再度「個人」へと到達するのである。

 そしてこの自分は、ヘーゲル的なあるいは小ブル急進主義的な「自己と他者」を定立しえないものなのである。それは実は内在的論理としては今述べた形をとりつつ、運動―対象の弾劾としては最も鋭い内容をもってきた我々の「三反路線」の結果なのである。

 つまり、「資本の学生に対する矛盾の全面的暴露」の結果、出発点における「自己と他者」→「個人」→「観念化した他者」を突破しうる向自化された「現実的」な「個人と他者」→「生きた現実的諸個人」への入口に立つのである。これが「プロレタリアート」の発見の構造である。これをまず前提としなければならない。

 そして実は、歴史的にみれば、それが今我々「社青同解放派」の学生運動が到達した地点なのだと考える。

(1968年春)