党・ソヴィエト・武装蜂起 第U部
W 弁証法(史的唯物論)の根本問題
(1)人間は個別存在の総体としての類的存在であり、自然から生み出され自然の一部としての感性的存在であり、自然を自らの類的対象としてもちまた自分自身を類的意識から対象化しうるという意味で、対象的(意識的)存在である。そして人間のこれらの一切は社会的生産によって生み出され、実現されている。人間のあらゆる活動は、社会的生産の一環又はその特殊な様式にすぎない。これらのことを含んで、人間の本質は社会関係の総体である。
(2)自然的・類的存在としての人間は、自然よりの制限に対して自らの側により普遍的結合(関係)を生み出しつつ対象を認識し、労働手段をテコとして自らを対象的に実現しつつ、対象を人間的に変革し自らのものとする。それにより制限をこえ自らもより普遍的になる。それは新たなる欲望を産出し、他の人問の生産となる。この総体の活動を社会的生産といい、人間の一切の活動は「社会的生産の一環」又は、その「特殊な様式」にすぎない。
(3)社会的生産は大きく二つに分類できる。第一は、自然に対抗して自らの側に普遍性(共同性)を形成していく時に生み出される精神的生産であり、第二は、共同性をテコとして自然を作りかえ、自らの普遍性を対象的に実現する物質的生産である。
(4)人間は個別的存在の総体として類的存在なのであり、従って生産力の発展によってまず生み出されていくのは「個別性」の発展、つまり分業(私的所有)の発展である。
(5)分業(私有)を基礎にした生産とは「疎外」である。生み出され、対象化される普遍性は、分業に包摂されている諸個人に対して支配力として作用する。分業に基づく精神的生産は「神」を生み出し、物質的生産(又は物質的な生産諸活動)は「物神」を生み出す。分業に基づく生産は、社会の中に貫かれている共通性を対象化するということにおいて「矛盾」を超えんとするという点で社会的生産の本質の展開であるが、それは分業に基づいているために「疎外」となるのである。
(6)人間の歴史は、従って自然生的には疎外を通した「発展」の過程である。そしてこの疎外は、分業(私有)そのものを人間的苦痛として感受する階級(プロレタリア)を生み出す。それは、「疎外された類的力の体系」としての機械の発達の中で条件づけられた、資本の社会的権力との闘いと国家権力との問いによって新たなる人間的共同体の産出へ向かう。それは共同性と個別性の統一であり、団結と自立が統一されている共同体である。
(7)この過程は、人間の認識としては、疎外された目による現象的認識から団結−自立を通しての科学的認識への発展の過程でもある。
1972年2月