共産主義革命論・序説
史的唯物論確立のために(2)

中原一   1969〜70年初  

            = 目 次 =

 1 資本制生産様式と商品の物神的性格

(A)生産物とは何か?
(B)物神性形成の構造
(C)分業と機械のもつ支配力
(D)「衝撃力」と「革命的団結」

 2 「観念的疎外論」と
   「機械的唯物論」批判の視点

−黒田寛一の史的唯物論にあらわれている
  宗教的本質を軸として

 現実の閥いの局面で、我々は様々な困難に直面する。困難の打開の方法は、その時によっていろいろあろうが、それを一つ一つ解決していく時の内容が、体系化されたものになっていかねばならない。さもなければ、我々は問題が起こるたびに、全くの暗中模索から始めなければならないことになる。我々は、世界を「客観主義的」に眺めて活動することはない。たとえあったとしても、その種の「外在的」な「闘い」はすぐに破産する。我々は、この十年間の経験でさえ、そういった形での破産をいくつも見ている。

 「闘い」は、「そうせざるをえない」現実の矛盾が自分に迫ってくる時におこすものである(もちろん、これは出発点においてであるが)

 そういう形で出発する闘いは、一定の蓄積の中で、ある点から意識的にとらえ返されるようになる。そして、一定の路線が生まれる。それは、現在のような階級闘争の激烈な時代では、究極的な点でのものまで要請してくる。

 我々はこの数年間に、闘いの中で直接権力の手によって倒されたものだけでも、数人の「死」を経験している。権力との対決の中でおこる「死」は、直接的にすべての人々に対するように思える。しかし、帝国主義段階における極限的な人間の疎外は、これさえも、幾重ものヴェールをかぶせてしまう。

 権力と闘って倒れた者の意味は、直接的には鮮烈である。しかし、その直接的な真実を最後まで貫き通して、その「死」に対することは、一つの大変な作業となる。権力と直接的に、暴力的に対決している街頭で、また砦の中で、また集会、ニュースで、我々はその衝撃を受ける。しかし、その衝撃は、時には幾重もの遮蔽物を通してしか伝わらない−左翼の内部でさえ−。それは闘った「他者」の問題だけではない。権力との闘い、そして激烈な分派闘争の中で、一人一人は常にその影に「対」する。その時、直感的に我々を前に進ませるものは、多くの同志の力を通して歴史的に蓄積されてきた「思想」である。

 ここでいう「思想」というのは、いわゆる「イデオロギー」という意味ではなく、「人間的力」といったような意味である。それは、体系化されない形で一人の労働者の中に生み出されたものから、体系化されたものまで含む訳であるが、闘いの中での蓄積は、体系化されていくことによって、一人一人の人民の「自立」を促進する「力」となる。

 我々が、たとえそれが稚拙であっても「史的唯物論」のようなものに進まざるをえないのは、自分のこの世界における「生」の意味を正確に知り、その本当の発展の方向性を知ろうとするからである。

 「君もまた覚えておけ、わらのようにではなく、ふるえながら死ぬのだと−」というのは、東大闘争の中の一つの「生」のつぶやきであるが、このように様々な形をとって表現される「生」のつぶやきの本当の意味をつかみとり、結合し、一つの「力」にしていく必要があるだろう。我々は、「生きるため」に闘うのであり、いかなる場合でも、「死」をそれ自身として意味を持たせるような−たとえば「死」を賭けてというような−闘いを行なうのではない。

 したがって、史的唯物論のようなものへの指向は、宗教的な「意味」をさぐるためのものではなく、生の内実とその全面的発展の方向性を科学的に知ろうとするものである。したがってその内容は、ブルジョア社会の宗教的本質と、また「プロレタリア革命」を語りつつ横行しているスターリニズム、トロツキズムの宗教的本質をも暴露しうるものでなくてはならないだろう。

 現在の状況は、世界的に、プロレタリア運動が一つのウネリをもって発展しようとしている時である。第二インター、第三インターによって、小市民的打ち固めを受けた労働者運動が、長い闘いの後、その鎖を意識的に取り払おうとしているのだ。それは、第一インターナショナルの革命的復活の運動として、最終的には発展、完成するであろう。

 この歴史的な時代を推し進めているプロレタリア運動の内容を、思想的に要約するものは何なのだろうか?

 それは、再び「宗教批判」を通して生まれてくる弁証法的唯物論だろう。「宗教批判」ということは、非常に重要なポイントとなると考える。共産主義理論は、宗教を完全に批判しつくし、粉砕しつくした時、自らを一つの完成したものとなしうる。マルクスは百年前に、ほぼその全作業を成し遂げた。しかし、すべてのものを自己の論理にのみつくそうとする資本は、プロレタリア運動の敗北の中で、「マルクス主義」を語る一群の「宗教」を産出していった。

 日本における革命の道は、かなり鮮明なものとなりつつあるが、これを思想的に打ち固める作業も、同時に成し遂げなけれはならない。

 学生運動のみならず、労働運動においても、陰性のイデオロギー主義的「反スタというスターリニズム」(革マル派)と、大衆運動主義を通してあらわれる陽性の「反スタというスターリニズム」(中核派)が、運動の大きな桎梏となってきている(大衆運動という面から見れは、革マル派は陰性であり、中核派は陽性であるが、イデオロギー的には、革マル派は陽性に、中核派はかくされた形で出てくる)。両者をイデオロギー的に「支配」しているのは、「教祖」黒田寛一である(革マル派は、黒田を「教祖」といわれるのを「名誉」に思っているほど、醜悪である)

 一方、60年以降、社学同又はブンドという形で生きのびてきた一群の潮流は、毛沢東派へ「転身」したML派を含めて、実践的・思想的には混迷状況にはいっている。しかし、この部分の特徴だったことは、機械的唯物論の傾向と、その背後に自分も意識しないで「護持」している、「精神労働者」の宗教的意識であった。

 これらはすべて、組織論的には、レーニンの「外部注入論」の、より醜悪な、より矮小(原文ママ)な「復活」を目指していたし、現在もそうである。

 宗教的意識は、体系化された一つの姿をとってくる。現実の闘いの中でそれぞれの破産が暴露されようとも、多かれ少なかれ、直接的な「闘い」はまだ部分的だから、破産した部分はそのインチキ体系の中に逃げ込もうとする。

 自らの「生」の意味を科学として把握し、同時に、諸々の宗教、イデオロギーの内実を暴露しようとする時、現在の状況の中で、それを収約する中心的問題点は何なのだろうか?

  その一つは、「社会的生産」の本質的把握ではないだろうか?それは、歴史と社会の中での自らの「生」の把握と、それのみならず、労働者階級の社会的隷属とその解決の方策を、現在の状況の中で鮮明にしていく「一つの」鍵ではないだろうか? それはヘーゲル弁証法をはじめとして、「運動」を精神労働の分野にのみ切り詰めて、「完成」してきた近代ブルジョアイデオロギーの「宗教的本質」を、暴露する鍵なのではないだろうか? また、それは日本のトロツキズムの宗教的本質を史的唯物論の分野においてあばく一つの鍵となると考える。


 1 資本制生産様式と商品の物神的性格
(A)生産物とは何か?

 労働者階級の社会的矛盾への闘争が、資本制生産様式の根本矛盾を一つ一つ明確にあばき出していく。それは、マルクスによって一旦は解明されつくしたかに見えたものが、再度、厚い小市民イデオロギーの中に歪曲されていったことに対する、「革命的復活」の闘いでもある。一切は労働者階級が日々生産活動に従事していく中で、その生産活動それ自体が、労働者階級に対する資本の支配の強化につながるという問題をめぐっている。マルクスが『経哲手稿』の中で鋭い解明を行ない、『資本論』の中でそれを「科学」にまでみがき上げた内容の「復活」が必要なのだ。

 労働運動の中で、闘いが一つのギリギリの極点にまで達する時、必ず出てくるのが、社会的生産を行なうことがもっている「社会の進歩」又は「生産力の発展」が、労働者階級に何を意味するのかということである。これは、実際的には、直観的に一人一人の労働者が答えを持っている問題であるかのように見える。確かにそうなのであるが、「闘い」の次元においてもう一度問題になる時には、別の「重さ」をもってくる。それへの解答は、労働者の闘いが現実的に、普遍的なものを組織としても獲得してくることにより、与えられてくるものであろうし、また、我々の闘いは実践的にも理論的にもそれを成し遂げつつある。

 今、ここで少しでも整理してみようと思うのは、今までの闘いが生み出してきているものの、「運動」(活動)という側面からの「普遍化」である。

「所有とは、本源的には自分に属するものとしての、自分のものとしての、人間固有の定在とともに前提されたものとしての自然的生産諸条件に対する、人間の関係行為のことに他ならない。すなわち、自己の肉体のいわば延長をなすにすぎない、自分自身の自然的前提としてのこれら生産諸条件に対する関係行為である」
(マルクス『資本制生産に先行する諸形態』)

 所有とは、人間が直接その感性、情熱を、それに向って発現しうると「対象」を確認した時の関係行為に他ならない。その時、その対象は、自己の存在を「生きたもの」として「発現」させる力となり、自己の肉体のいわば延長をなすものとなる。いいかえれば、人間の感性は対象の所有により生きたものとなるのだ。そして、所有と生産とは一つのものを別の側面から、つまり前者は対象との関係において、後者は活動という側面から表現したものに他ならない。つまり、所有によって生きたものとなった感性のその対象への活動が生産である。

 生産物とは、それでは一体何を意味するのだろうか?

 生産活動とは、自己と対象との矛盾に対して、何らかの労働手段をもって対象を人間的に作りかえ(それは同時に自己の存在の対象的実現である)、それによって自己が、普遍的に発展していこうとするものなのだ。もちろん、このことは、共同体的存在としての人間の構造の中で展開される。そして、「生産物」とは、人間と対象との関係の中で、人間存在が類的存在の一環としての自己の労働を、対象的に実現したものなのである。『経哲手稿』の中で明確に展開されているこのことは、「比喩」でも何でもない。まさに、人間存在の本質を解明する鍵なのである。

 そして、この社会的生産の活動が、「個別的存在の総体としての類的存在」としての人間の活動として行なわれていく時おこるのが、「社会的矛盾」なのである。

 「個別的存在の総体としての類的存在」としての人間存在の発展は、生産力の発展の中で成し遂げられる。それは、一人一人の人間の発展として成し遂げられ、分業=私的所有の成立、発展の原因となっていく。それは、自然との関孫が生み出す「精神労働者」の産出によって、一つの社会組織体となって固定化し、人間の「物化」の原因となっていく(精神労働者の産出をもって、肉体労働に従事するものを意識的に「物」として扱う基礎が生まれる)

 我々が資本主義社会の中で中心的に解明していかねはならない「物神性」の「鍵」は、「社会的生産」の本質的解明と、その中での「生産物」の本質的解明にあると考える。もちろん、商品のもつ物神性は、旧い共同体を破壊していく新しい交通の中での商品の生誕と、その発展としての資本主義社会の中で完成される。

 だが、「生産物」が人間に対してもっている「本質的な意味」をぬきにしては、解明は失敗するだろう。それは、マルクスが「人格の物化と物の人格化」という時の内容にかかわるものである。人格の物化は、私的所有=分業の先ほどのべたような問題の中でおこる訳であるが、物の人格化の解明は、分業社会における生産物の把握にかかってくると考える。

 生産物は、「自然と人間との(類的)矛盾」を基礎として、人間が自己を対象的に実現しつつ、自然を人間的に作りかえるものとして生み出され、かつ、それは人間がより普遍的に発展するテコとなる。生産物の産出の原因となる「矛盾」は類的矛盾であり、したがって「認識」も普遍的なものとなり、生産物は人間と自然との矛盾を「類的」に「解決」するためのものである。したがって「生産物」は、いわば類的力の対象化したものであると同時に、誰にでも使用しうる「客観的」なものとなる。

 そして、分業社会では私的所有にもとづいて、「分業」の中でこれが生産される。共同体相互間の交通の中で、旧い共同体の中の生産が、「拡大された共同体」の中で意味をもってくる中で、旧い共同体的「ワク」を越えて、「分業」としての意味を発展させるようになる。その中で、産出されたもののもっている「使用性」と、分業を通しつつもそれがもっていた「人間労働」という側面は、「対立」を明確にしてくる。それが、交換を通して生み出されてくる「商品」、そして「貨幣」の解明の基礎である。「貨幣」が物神的性格をもってくるのは、先ほどみたような意味をもっている「生産物」が、「分業」を通して生産されているからである。

 つまり、生産物は人間の類的な力の対象化されたものであり、同時にそれは、人間がそれを使用(消費)することにより、より普遍的に発展するテコとなるものなのである。分業の発展は、この内容を交換を通して与えるようになる。

 貨幣は、分業にもとづく生産が生み出す「使用価値」と「価値」の対立を、「疎外形態」をもって「解決」したものである。人間は、生産物をテコとして生活(発展)しようとする訳だが、分業社会では、生産物総体は貨幣を媒介とした商品交換によってしか個人個人の手には入らない。そして「貨幣」は、分業社会における「生産物」の社会的性格を「疎外」を通して体現しているものなのであり、したがって、物神的性格をもっている訳である。


(B)物神性形成の構造

 我々が、商品の物神的性格を明らかにしていくためには、こつのポイントからの接近が必要である。

 第一は、今までみてきたような、生産物が、人間の本質的活動としての生産活動の中でもっている意味である。

 第二は、分業を通して生産された生産物が、交換を通して貨幣を産出する構造である。

 第一の点は、ほぼ今までのべてきたので、第一の展開の中で問題となってくる第二の点について、要点的解明を行なってみよう。言うまでもなく、それは『資本論』 第1巻、第1篇「商品と貨幣」、第1章「商品」の中の展開に整理されている。

「……さて、上衣をぬう裁縫は、亜麻布を織る機械とは種類の異なった具体的労働であるが、しかしながら、機械に等しいとおかれるということは、裁縫を実際に両労働にあって、現実に同一なるものに、すなわち、両労働に共通な人間労働という性質に、整約するのである。…ただ、おのおのちがった商品の等価表現のみが、種類のちがった商品にひそんでいる異種労働を、実際に、それ等に共通するものに、すなわち、人間労働一般に整約して、価値形成労働の特殊的性格を現出させる。」

「…人間労働の凝結物としての亜麻布価値を表現するためには、それは、亜麻布自身とは物的に相違しているが、同時に他の商品と共通に亜麻布にも存する『対象性』として表現されねばならぬ。」

「したがって、価値関係を通して、商品Bの自然形態は、商品Aの価値形態となる。あるいは商品Bの肉体は、商品Aの価値かがみとなる。商品Aが商品Bを価値体として、すなわち人間労働の体化物として、これに関係することにより、商品Aは、使用価値Bをそれ自身の価値表現の材料とするのである。」

(注、18)このことは、商品と同じように、いくらか人間にもあてはまる。人間は鏡をもって生まれてくるのでも、フィヒテ流の哲学者として、我は我である、と言って生まれてくるのでもないのだから、まず他の人間の中に自分を照らし出すのである。ペーテルという人間は、パウルという人間に対して、自身に等しいものとして相関係することによって、はじめて、自分自身に人間として相関係する。しかしながら、このようにしてペーテルにとっては、パウルなるものの全身が、そのパウル的肉体性のままで、人間という種の現象形態と考えられるのである。」

「等価形態の考察に関して目立つ第一の特性は、このことである。すなわち、使用価値が、その反対物の現象形態、すなわち価値の現象形態となるということである。…それ故に、具体的労働がその反対物、すなわち抽象的に人間的な労働の現象形感になるということは、等価形態の第二の特性である。
 しかしながら、この具体的労働、すなわち裁縫は、無差別な人間労働の単なる表現として働くことによって、他の労働、すなわち、亜麻布にひそんでいる労働と同一性質の形熊をもち、したがって他の一切の商品生産労働と同じように私的労働ではあるが、しかし直接に社会的な形態における労働である。まさに、このために、この労働は、直接に他の商品と交換しうる一つの生産物に表わされている。このように私的労働が、その反対物の形態、すなわち、直接に社会的な形態における労働となるということは、等価形態の第三の特性である。」

 ここに、分業に基づいて生産されたものが、普遍的性格をもっていく時の、つまり「疎外」の構造が示されている。

 この場合、きわめて重大なのは、「対象性」ということである。AとBが存在し、そのAとBに共通なものを定立する時の方法である。

 まず、AがBを、自らと同質なものとして定立することによって、AはA自身の申にふくまれているBと同質なものを意識化する。そして、AとBに共通な、例えばCという質は、Bという存在そのものによって全体的に明確にされる。その時、Bは、Aにとっては、Aの中にふくまれているCという性格の現象形態となるということなのである。

 これは、人間の類的存在構造そのものがもっている対象的本質によって生まれるものである。そして、分業によって生産された生産物は、交換によって生まれる等価形態の中で、使用価値が価値の現象形態となり、具体的、私的労働は、その限定をこえて、一般的、社会的労働という性格をもつことになる。

 しかし、問題は、私的所有=分業に基づく生産が、自らのもっている限界を生産物の交換によって越えようとする、つまり、普遍的性格を獲得しようとする時の「解決形態」として、これがおこる所にある。生産主体が分業を基礎にしており、したがって普遍性を獲得しようとする時、生産物の交換によってしかそれを実現出来ないという横道の中で、今のべた「解決」がおこる訳である。そこでは、普遍性は、個別の生産主体にとっては支配できない力として、外在化していく訳である。

 したがって、人間が生産活動の中で、生産物をテコとしてより普遍的に発展しようとする時、分業社会では「人間の力」によってはどうにもならぬ「物神」の力にすがることになるのである。


(C)分業と機械のもつ支配力

 機械が、それ自体としては歴史を越えたものであるように見えながら、決してそうではないのも、今のべた点にかかわる。

 人間の歴史にとっては、分業の発生が必然だったのであり、したがって、生産物のもっている社会的性格が、物神的力として特に被支配階級に迫ってくるのも必然だったのだ。

 生産物が人間の普遍的発展のテコとなるという側面がきわめて顕著になるのは、「機械」である。そして、機械において「生産物」の「類的性格」が完成されたものとなる。機械のもっている本質は、道具において萌芽的に生まれているものであるが、機械においては、道具の機能は結合された力となる。そして、機械は、まさに人間の類的力の対象的実現としての性格を最も鮮明にする。そして、その「類的力」は、「物化された人間=プロレタリア」にとっては、支配の力として働く。それは、「生産物」のもっている本質的な意味が、分業(−私的所有)を通して、資本の力として実現されているからなのだ。

 生産物は、すでにみてきたように、自然を「人間的に」、つまり「普遍的」に作りかえたものである。それは、本来的に普遍的性格をもっている。この「生産物の普遍的性格」が、最も完成された姿をもって実現されているのが、機械である。

 我々の闘いが生み出した「合理化論」、「分業論」が、マルクス主義の「革命的復活」として明らかにしてきたように、「分業=私的所有」の社会においては、人間の発展は、共同体相互間の発展をテコとして、個々人がますます分業の一コマへと極限的にくみ込まれていくことによってしかありえない。社会内分業と工場内分業の差異はあるにしても、全体の発展が分業の発展を通してであるという点では、共通である。機械の発達とこの分業の発達は、相互関係の中にある。

 社会内分業の相互関係は、無秩序な資本の運動の総体でしかない。別の面から言うならば、貨幣を媒介とした無秩序な商品の運動の総体の中にしかない。したがって、「生産物の総体」は、「物神」の力を媒介とした無秩序な運動の中にある。機械がもつ類的な力の総体も、したがってこのような「資本の総体」である。

 労働者階級は、個々の資本家のもつ私有財産の力によって、それぞれの個別企業の中に縛られている。そして、「類的な性格」をもつ機械は、その機械体系の総体としては、社会内分業の上に立った個々の資本家相互の交換による「無秩序な」総体としてある。ここに、機械のもつ「類的な力」が、労働者階級に対して「疎外された力」として働く原因がある。つまり、機械の導入が単純労働を強制し、競争を激化させ、首切りを生み出すという原因があるのだ。

 「普遍的性格」をもつ生産物が、機械という形にまで発達し、その「総体」は、貨幣を媒介とした商品の総体としてある。そして、これは、「私的所有=分業」の基礎の上に成立している。労働者は僧侶の「私的所有=分業」の中に、従属させられている。そして、分業の発展と機械の発達は、相互強化の関係にあり、この社会での個々人の発達とは、ますます自分が細分化された分業の一コマに包摂される形でなされていくのである。

 機械は「技術性」、「運動」、「結合力」等を客観的なものとして対象的に実現する。正確にいうならば、技術の客観化、運動の客観化等を背景に、それらを結合された力として実現しているのである。

 ところで、労働者階級は、物化された人間として(労働力商品として)個別資本に雇われている。労働者は具体的に個別資本に雇われていない限り、自己の生きる方法がない。そして、類的力の対象化されたものとしての機械は、個別資本家に所有され、その機械全体がもっている力は、分業の総体として−商品交換を通しての無秩序な運動の総体として−存在する。

 ここに、機械のもっている力が労働者に対する支配力として働く根源がある。何故ならば、技術性、運動力、作業力、伝導力等を、一つの客観的な結合された力として機械は実現している。それは、本質的に、共同的団結によってしか支配しえないものなのである。

 生産物の本質からいって、機械は類的力の客観的対象化なのであり、それは、誰にでも利用できるものなのである。それは、人間全体が現実的に機械全体を具体的に利用し、発展しうる条件になっているのだ。

 しかし、逆に人間全体が機械全体を(生産手段全体についていいうるが、ここでは機械のみにしぼってみる)支配せず、個々の機械は個々の資本家の私的所有の下にあり、働く者はその機械の中の分業にくみ込まれた形となっているならば、機械のもっている類的力は、無秩序な資本の運動を背景に、バラバラな労働者に破壊的な支配力となる。

 機械の発達と分業の発達は相互に発展し、労働者を地獄の中にたたきこむ−もし労働者が団結しないならば。


(D)「衝撃力」と「革命的団結」

 分業社会における個別的存在の意味は、自分が、ある特殊な、あるいは個別的な分業を担いきっていくところにある。

 その個別的な、あるいは特殊な活動は、流通を通して全体的な分業の一環としてくみ込まれていく中で、全体をも変えていく力をもっていく。共同体相互間の交通は、分業を発達させるとともに、分業によってまた促進される。分業にくみ込まれた諸個人は、それまでの分業を前提としてさらに細分化されたものに自らをくみ込んでいく。この過程は、自己の全体の感性にとっては、ある特殊な感性に他のすべての感性を従属させ、手段化させる形で進む。

 分業に包摂された諸個人にとって、全体性とは、分業の総体であり、現実的諸個人はそれぞれ自己の諸要素を分割して他者の中に依存しており、生きた現実的総体を自らのものとすることは出来ない。それは、対象においてそうであるのみならず、主体の側の感性自体がそうなっていくのだ。主体の感性は、いわば全体としては抑圧され、意味を失っていく。

 この全構造に対する止揚は、どこから開始されていくのだろうか。

「分業による諸々の人格的な力(関係)の事物的な力への転化は、それに関する一般的観念を我々の頭脳から払いのけることによって廃棄されるのではなく、ただ各個人がこれらの事物的な力を再び支配するに至ることによってのみ、廃棄されうる。しかも、このことは共同体なしには不可能である。他人との共同関係において、初めて各個人はその素質をあらゆる方面に向って発達させる手段をもつ。したがって、共同体において初めて人格的自由は可能となる。」
(『ドイツ・イデオロギー』)

 それでは、この共同休的関係は、いかにして形成されるのだろうか?

 それは、資本の諸矛盾に対する闘いの中から生まれる「衝撃力」によってである。資本主義社会における諸矛盾への労働者の反逆の活動は、その感性の暴力的反逆において、制限を越えようとする新たなる感性を生産する。

 単純肉体労働の中にたたきこまれている労働者は、すべての自己の感性をその単純な労働の手段にする。労働者相互は同じ状況におかれたものとして存在する。その一人一人の労働者の隷属は、相互に無意識的にか、意識的にか、同質の労働者として確認されている。相手の中に自らを見、その共通のものの中に奴隷状況についての意識が生まれている。

「一般に人間が自分自身に対して立っているあらゆる関係は、人間が他の諸々の人間に対して立っている関係の中ではじめて現実化されている。」
(『経哲手稿』)

「ペーテルという人間は、パウルという人間に対して自分に等しいものとして相関係することによって、はじめて自分自身に人間として相関係する。」
(『資本論』−この引用は分業社会でもあてはまる)

 したがって、一人の労働者が闘いへの決起の中で生み出す新しい感性の衝撃力は、他の労働者に新しい交通形態を与え、それを通して変化していく条件となっていく。

 資本の下に従属させられている一人一人の労働者が資本に対して闘っていく中で生み出す新たなる感性は、このように他の労働者の新しい感性の発展をひき出す。ここに、一人の人間の発展が他の人間の全面的発展の条件になる原型がある。何故ならば、一切の専門性を奪われているが故に、全面的に発達しようとする欲求がプロレタリアの中に生まれてくるからである。

 これは、ちょうど分業社会の中の「発展」と逆になる。社会的存在、又は類的存在としての人間は、階級社会においては、分業を通して相互関係をもっている。つまり、人間の本質とは、階級社会では、分業を通した相互関係の総体としてある訳である。ところで、一人一人の人間存在は、自らの中に全人間的要素を含んだものである。そして、分業を通じての相互発展とは、自らの中のある要素の活動を他の人間に依存して、それぞれが「発展」するということなのである。したがって一人の人間の発展は、他の人間のその要素を奪うことを意味する。確かに、分業社会では、他者は分業を通して自己の「発展」の条件になるが、それはますます自分を専門奴隷にしていくことなのである。


 2 「観念的疎外論」と
   「機械的唯物論」批判の視点
−黒田寛一の史的唯物論にあらわれている宗教的本質を軸として

 「疎外」という言葉を我々はよく使うが、結局それを最も正しく理解する鍵は、社会的生産活動において生み出される「普遍性」と分業に包摂された諸個人との関係、それを通しての労働者の隷属に焦点をあわせることである。

 「自然と人間の類的対立−矛盾」を根源として、それを「解決」するために行なう人間の社会的生産活動において、分業に包摂された諸個人が、根本的には「普遍的自然」に対抗して生み出す「共同性」において産出せざるをえないのが、「精神労働者」である(人神)。それは、やがて、個別存在にとっては「支配」のテコとなっていく。我々はここにおいて、「疎外」という言葉を使う。マルクスはこれを『ユダヤ人問題について』の中で明確にしている。そして、そのような自然生的分業を通しての「共同性」が生み出す「生産物」 (あるいは生産手段)がもっている「普遍的性格」が、分業を通して人間にもつ「支配力」にも、マルクスは「疎外」という言葉を使っている(「物神」)

 「疎外」という言葉は、「総評の岩井事務局長」が「使う」ほど一般化しており、『経哲手稿』の中でマルクスは、4つの疎外をあげているが、今のべたような視点から理解していくことが重要だと考える。

 ところで、この「疎外」(それは支配という言葉とほとんどイコールに使ってよいと考えるが)を、社会的生産の本質構造を通して理解しない時、大きな混乱と誤りを生み出す。特に、「精神労働」の次元での「疎外」に注目しつつも、それを今みたような形で解明しない時「疎外論」は再び「観念論」となる。

 その典型が、黒田寛一の史的唯物論である。観念論の究極的原因は、「自然」と人間の「矛盾」を生きた現実の矛盾としてつかみきれないところにある。つまり、自然が、現実的な自然として定立されないところにある。このような観念論が唯物論の形をとってあらわれる時の「倒錯」した姿がとる一つの典型を、黒田寛一の史的唯物論は示している。

 それはどういうことかといえば、精神労働の運動を、ただ言葉としての「物質」にうつしかえるということなのだ。『ヘーゲルとマルクス』の中での近代ブルジョア思想の批判の方法と「自覚の弁証法」の中ですでにそれは示され、『社会観の探求』『プロレタリア的人間の論理』の中で完成される。

 たしかに、人間の歴史は、「宇宙的物質の自己運動」といえるかもしれない。しかし、人間の発生、とくに「社会的生産」の本質的構造を通してそれを語るのでなければ、「宇宙的物質」という絶対精神の自己運動(自覚の運動)として、つまり言葉こそ異なるにしても、内容は全く観念論となるのだ。実は、このことは「自然」又は「物質」の精神労働への同質化が前提となっており、それによってはじめて可能になることなのである(『共産主義革命論・序説−史的唯物論確立のために(1)』参照)。したがって「運動」の本質は、結局は、「自覚」ということにきりつめられてしまっている。

 今、その構造を要点的に批判しておこう。『ヘーゲルとマルクス』の叙述の骨子は、次のようになっている。

 「序論」において、「自然弁証法の論理的主導説」によって生み出される客観主義的唯物論に対して、「史的唯物論の先行的確立」を主張し、自らの「主体的立脚点」を示す。そして、次のようにのべるのである。

「すなわち史的唯物論の確立の論理的先行性ということは、資本主義社会の物質的変革を理論的に解明するためには、人間実践そのものの論理構造、あるいは、主客の主体的構造の唯物論的把握を基底としなければならないことを示すのである。したがって、それの必然的な前提条件として、弁証法的唯物論の原理(始元)である『物質』の確立が、マルクス的世界観の成立における第一次的な条件となった、という歴史的事実としてとらえられる。マルクスにおいて唯物論が弁証法的唯物論として確立されたということは、まず第一に唯物論一般の原理である物質あるいは自然が自己運動する物質として把握され、それによって機械的=形而上学的唯物論が原理的に克服されたことを意味するのである。」

 このような視点に立って、第一章「ヘーゲル概念のレーニン的転倒」において、近代ヨーロッパ哲学の批判を通してレーニン的物質」、つまり「弁証法的物質」を定立しようとする。その内容は、次の点に要約的に表現されている。

 ヘーゲルの「理念」は、「悟性の概念結合の主観的必然を仮象とすることなく、それを直倭にその客観的結合と一致させたというこのヘーゲル的な思惟と存在のすりかえ、それゆえに、すなわちカントの物自体の直接的な内在化であるがゆえに、理念は、そのかぎり絶対的全体性として、それ自体自らを過程化させなけれはならなかったのである。」

 このようなヘーゲルとカントの整理と、スピノザの実体の「批判」の上に、「まず、カントの物自体がヘーゲルにおいて直接的に内在化されて、完全にロゴス化されたということは、カントの物自体の超越性の直接的否定であって、その弁証法的否定ではなかったことを意味する。したがって、ヘーゲル的概念のレーニン的転倒とは、認識論的には、カントの物自体をはその直接的否定の結果として形成されたヘーゲルの概念に高めるとともに、この概念を、あるいは、カントの物自体の直接的内在化によるその認識可能性を、再びカントの超越的な物自体に返すことを意味するのでなけれはならない。すなわちカントの超経験的な物自体においてその超越性を内在化することである。超経験的な物自体が物自体として自己を否定し、概念が概念として自己否定しうるような、超越性と内在性との弁証法的統一でなければならない。一口でいえは、カントの物自体とヘーゲルの概念との矛盾的統一である。」

 こうした「レーニン的物質」の「確立」の上に立って、第二章「ヘーゲルにおける労働の論理と史的唯物論」の中で、ヘーゲルとマルクスの「労働の論理」を整理し、第三章「ヘーゲル目的論と技術論」の中で「武谷技術論」の上に立って、「歴史的自然の動的構造」を「物質的自覚」の論理として「整理」するのである。

「要するに、これまで単に『認識の結果』の解釈にのみ終始してきた素朴反映論(いわゆる『弁証法的反映論』をも含めて)を克服して、『認識の過程』を中心軸とした認識論を創造したところの『武谷技術論』、それを社会的実践に適用し(それは理論的には技術論を史的唯物論の基礎とすることである)、しかも、それが『唯物史観からの主体性論』にとどまらないためには、なお『空隙』が残る、社会的実践の問題において『意識的適用』ということの可能根拠への問が、なお欠如している−このことが、社会的実践の特殊性、倫理性を媒介としてあらわにさせられたのである。『生産的実践』においても『意識的適用』とは、実践主体が認識し判断し決意し、もって実現するということなのであるから、『客観的法則性の意識的適用』ということの存在論的意味ないし可能根拠が、いいかえれば『認識論の基礎としての技術論』の認識論的=存在論的把握が、問題にされなければならないということである。すなわち、『意識的』とは『主体の適応行動の社会的規定性』 (田中吉六)であるが、この『意識的』ということそのものの論理、客観的法則性をいかに認識し、かつそれがいかにして『実践への決意』へ転化し、物質的世界へ現実化されるか、という『意識的−適用』の論理過程そのものを究明すること、これこそが「武谷技術論』の主体的把握だということである。だから、要するに主客の認識論的構造を同時に、存在論的に展開することである。
 …ところで、このように『認識論の基礎としての技術論』がその存在論的可俄根拠との統一において把握されることによってはじめて、生産的実践のみならず、社会的実践をも解明しうるとすることは、科学的=対象的認識の主体的自覚への観念的世界での活動は技術論を基礎としてはじめて可能であることを意味する。すなわち、『技術論における主体性論』こそが、『自覚の論理』を究明する基礎だということである。」

 黒田寛一自身の主張の内容は、第三章第三節「技術論と自覚の論理」の中で、最終的にのべられている(なお、『プロレタリア的人間の論理』の中の附録「労働過程の根源的論理構造」の中にもその展開がみられる)

 その主な内容は、今みたような点の上に立って、次のような点に要約されるようなものである。

 「物質」の発展したものとしての人間存在が、自己の「本質」としての「物質」を自覚するものとしての「物質的自覚」の問題。「自然史的過程の一定発展段階における物質と人間の意識との原始分割」とその「判断」としての「物質的判断=原始判断」の問題(これらは「梯哲学」のカテゴリーを用いての展開−梯自身のカテゴリーの内容は、カント、ヘーゲルの思想、したがってそのカテゴリーの限界をこえてはいないと考える−となっている)

 そして、社会的生産の構造を、「行動の推論構造」として、「普遍としての物質は、特殊としての社会を通じて個別的なものとなる(生成)とともに、個別としての人間を実現し(形成)、個別としての人間は、その労働を媒介として特殊としての社会を実現する(発展)。特殊としての社会は、個別としての人間、その労働を媒介として普遍としての物質を実現し(創造)、普遍としての物質を通じて歴史的個別的なものとなるとともに個別としての人間を実現する。そして、個別としての人間、その労働は、普遍としての物質を媒介として特殊としての社会を実現し、特殊としての社会において普遍としての物質を実現するのである」とする。

そして「労働推論が、推論に媒介された物質的判断を・物質的自覚を・対象的現実へ現実化し、もってそれを現実的なものたらしめるとともに、労働の推論の担い手である人間主体は、自己を主体的に自覚するのである。」

「それは、物質の社会的実存形態として意義をもつ世界が、その根底に実存する根源的な物質(始元)への自己反省によって、物質の現実性として意義をもつ世界へ現実に自己発展する、という物質過程の社会実存形態の論理、その主体的表現である。すなわち、社会的物質過程とは、物質の実存形態として意義をもつ歴史的社会的世界において、その一契機として実存する人間の物質的自覚における対象的活動(あるいは技術的実践)を媒介として、合目的的に形成され技術的に創造されていく、歴史的必然性にある自然史的過程のことである。」

 比較的問題を鮮明にしている点を引用してみた訳だが、この『ヘーゲルとマルクス』の中に展開されている意図と内容は、次のようなものである。

 その意図は、スターリン主義の客観主義的唯物論に対して、戦後主体性論の問題をうけて、武谷技術論をテコとして越えようとするものである。それが、はじめに引用した「自然弁証法の論理約主導説」への批判であった。

 その方法は、「唯物論の原理」である「物質」を、「主体性原理」をもった「自己運動する物質」として定立することからはじめる。そしてその内容を、スピノザ・カント・ヘーゲルの「実体」又は「物自体」又は「理念」の批判の中からひき出そうとする。

 そして、その「レーニン的物質」の確立の上に立って、主に「梯哲学」と「武谷技術論」をふまえて、「自己運動する物質」の「原始分割」「主客の適応矛盾」として人間と自然の「矛盾」をとらえ、その矛盾への「活動」を武谷技術論によって「主体的に」つかもうとする。

 そしてその社会的生産の内容は、「普遍としての物質」が、「特殊としての社会」の中での「個別としての人間」の自覚(物質的自覚)を背景とした「意志目的の対象化=実現による感性的客体の物質的変革、これを媒介とする主体の自己復帰、物質的自覚の・客観的現実性を媒介とする・主休的自覚への高揚」としてあることになる。

 このイデオロギーの「体系」は、黒田自身が「のりこえられぬ残骸」といっているように、以後の展開の基礎となっている(『社会観の探究』、『プロレタリア的人間の論理』)

 革マルイデオロギー運動への実践的批判、あるいは理論的批判は、すでに大きな基本線において、我々の潮流によってなされてきた。そしてそれは、あくまでも現実の闘いを通して一歩一歩なしとげられるものである。そのイデオロギー体系の一つの基礎が明確になっても、それは直接的な打撃にはなりえない。しかし、問題を明確にし、破産を更に白日のもとにさらす一つのテコにはなるだろう。

 たしかに、スターリン主義哲学をこえていくカギは、その「客観主義」の突破にある。そして、「自然弁証法の論理的主導説」批判にみられた問題提起は、それへの突破の方法をはらんでいた。「史的唯物論の先行的確立」あるいは「主体」的立場という所に示されるものである。

 しかし、この展開は、問題の人口でとどまり、結局、市民的自我の次元にとどめられてしまうことになる。それは、内容的には、問題の解決の「カギ」を、弁証法的唯物論の原理としての物質の確立に求める所に始まっていく。史的唯物論の確立をもって、自然弁証法の問題へ発展し、総体としての「弁証法的唯物論」の確立へ進もうとする時、この史的唯物論の基礎の定立の方法が、一つの決定的な意味をもってくることになる。

 たしかに、史的唯物論の基礎の確立は、「同時に」、弁証法的唯物論の原理の確立をも意味してくる。だが、史的唯物論として解決されねばならぬ問題を、それ自体として解決する中でそれへの発展をなしとげないとき、ヘーゲルと同様に、観念的内実を「神秘化した物質」の中におし込んでおいて、その「展開」として史的唯物論を解明することとなる。

 マルクスが、悪無限的な「発生根拠」への追求への批判の中で、「しかし、社会主義的人間にとっては、いわゆる世界史全体が、人間労働による人間の産出、人間にとっての自然の生成よりほかのなにものでもないのであるから、彼は自分自身による自分の出生、自分の発生過程についての、直観的な、あらがえない証明をもっているわけである。人間と自然との実在性が−すなわち人間が人間にとって自然の現存在として、また自然が人間にとって人間の現存在として−実践的、感性的、直観可能になっているのであるから、ある疎遠な本質に対する問い、自然と人間とを越えた本質に対する問い、つまり自然と人間との非本質性の容認を含んでいる問いは、実践的に不可能となっている」(『経哲手稿』)といっていることは重大な意味をもっている。

 後に整理するような「社会主義的人間」にとっては、ここでマルクスがのべているように、人間を自然の発展として明確にとらえることができる。したがって、この人間をふくんでの自然の総体を、「自己運動する物質」といって悪い訳ではない。しかし、この内容に、「主体性原理」等の意味をふくんでいっている所にすでに問題ははらまれている。エンゲルスが、宇宙の物質の性格を示す一般的なものとしては、「運動」ということしかないといっている以上に、「自己運動する物質」などということに、すでにある種の「余計な」内容がふくまれている。

 マルクスが、『経哲手稿』の中で理論的に鮮明にしたような、「プロレタリアの発見」を通しての「自然の一部としての人間」、「自然の発見」は、社会をふくめての存在の絵体を、「自然」として、または「物質」としてつかみとることを可能にする。しかし、人間の存在の解明の内実は、弁証法的物質規定によってではなく、つまり、到達点を「物質の本質の解明」という方向に進めることによってではなく、「自然と人間の関係とその中での人間の問題」の方向へと発展させることによってのみ、可能なのだ。

 実は、そのことは、弁証法的唯物論、あるいは自然弁証法への発展の放棄ではなく、まさに、それをなしとげるための不可欠な条件なのだ(例えば、ヘーゲル弁証法、あるいはその方法の批判等として)。それは社会的生産の本質的解明としてなしとげられねばならない。

 吉本隆明が鋭く指摘していたように、マルクスが、物質についての解明を「自然」ということ以上になしていないのは、単なる偶然ではない。にもかかわらず、黒田の方法は、そのままヘーゲル的な構造にはまり込んでいく。はじめの引用でみたように、弁証法的物質がカントやスピノザやヘーゲルの概念をひねくりまわすことによって生み出されていること自体が、それを示している。マルクスの定立した「自然」の意味を全く理解していない証拠である。

 この黒田の方法の欠陥は、実は、梯明秀の方法の欠陥をひきついでいるものにほかならない。先ほど簡単にみた「行動推論」とか「生産判断」とか「物質的自覚」とかいうカテゴリーは、カントやヘーゲルの論理の中に、「物質」なただ形だけおし込んだものにほかならない。

 こうした黒田の方法は、一体どのような内容の史的唯物論と、また、現実社会の理解、そして「運動」をひき出したのだろうか。

 黒田の方法が先ほどみたような形になっているということは、いいかえれば、現実の自然、そして人間、そしてその関係としての生産がつかみとられていないということになる。したがって、社会的生産の構造そのものの中に、「矛盾」を、したがって発展をみれないことになる。『ヘーゲルとマルクス』においても『社会観の探求』においても、マルクスの引用により形だけの「生産」の分析はある。しかし、その生産の構造が、「宇宙的物質」という黒田の「絶対精神」の「自覚運動」の方にひきよせられ、現実的、本質的な、その生産の中での実践的変革と人間の結合、変化については、ゼロに近い。

 そのような方法は、資本主義理解、又は『資本論』理解においても、マルクスが「資本の社会的権力」と表現している、現実の資本のもつ物神的力についての無視となってあらわれる。彼にとっては、資本の「物的力」は、現象的にしか意味をもたず、本質的な意味はイデオロギーに収約されてしまう。人間の革命的変化についても全く同様である。現実的大衆運動の中での革命的変化などはゼロであり、革命性は、すべてイデオロギーの中に収奪されているのである。

 スターリン主義の客観主義哲学への批判という、それ自体としては正しい問題意識に立ちながら、このような観念論におち込んだ理由は何なのだろうか?

 それは、戦後主体性論の限界にかかわる問題であるが、それ自身としては「小市民的自我」から出発する「主体性」の問題が、現実の闘いの中で「分業論」あるいは「国家論」(ファシズム論)等を通しながら、「生きた現実のプロレタリアの発見」に至りえなかったことによる。つまり、「プロレタリアの小市民への−精神労働者的存在への−同質化」を突破しえなかったことになる。もちろん、それは、プロレタリア運動と、市民主義極左の運動としての学生運動の歴史的つみ重ねによってしか、なしえないものであるが。「小市民的な反スターリニズム」は、スターリニズムのもっている「個別性への全体性による抹殺」に対する抵抗の中で生まれる。スターリニズムは、我々が明らかにしてきたように、「ファシズム」の裏返しなのである。そのスターリニズムの思想としての「唯物論」(タダモノ論)は、観念論の構造の中に「物質」を機械的におし込むことによって成立する。このスターリニズムの運動構造及び思想に対して、近代的自我(個人意識)は反発していく。この近代的自我の反発は、運動においても、思想においても、プロレタリア階級のそれに大きく影響されていく。

 しかし、この「反発」が、小市民の思想がもっている宗教的本質をこえるためには−つまりスターリニズムへの批判が、カトリシズムに対するプロテスタンティズムにならないためには−、その分業に包摂された自己の矛盾への闘いの中で、「精神労働」によっては決して収奪しきれない「現実の生きたプロレタリアート」の発見と、それへの結合がなければならない。

 それは同時に、精神労働に同質化できぬ「自然」の発見の基礎となっていくのだ。

 自然が、何の神秘性もない現実の自然として自己の前に定立できるためには、精神労働に同質化しえぬ「革命化した労働者」(革命化した働く階級)との結合がなけれはならないのだ。何故ならば、「主体」が、現実的感性的存在としての普遍性を獲得していてはじめて、対象は、現実的対象的対象として把握しうるのだから。

 そういう点からのべられているのが、『経哲手稿』における、先ほど引用したマルクスの「自然」と「人間」への見方なのである。


<機械的唯物論批判の我々の基礎>

 観念論への批判が、はじめに我々がみたような点によってなされない時おち込むのが、機械的唯物論の傾向である。

 近代ブルジョア思想でさえ、物質的なものの人間の意識への反映は認めているのであり、問題は、それが、「予定調和」により、あるいは偶然の力によってなされるのではなく、まさに、社会的生産の中で解明されなけれはならない。それでなければ、史的唯物論のいきつくところ、結局、ブルジョア心理学以上に出ないものになってしまう。

 この問題は、マルクスの思想形成の中でいえは、『経哲手稿』の位置の理解にかかっている。

 たしかに『経哲手稿』は、後の『ドイツ・イデオロギー』、さらに『資本論』に比較すれば、多くの不充分な点をもっている。特に、共産主義の内容展開については、不充分なままのものを多くふくんでいる。

 しかし、マルクスは、『経哲手稿』の中で、一つの決定的転回をなしとげているのである。

 それは何かと言うならば、マルクスは、ここではじめて、革命的プロレタリアの眼を通して「自然」をみているのだ。

 すなわち、「社会的生産」の絶体的把握と「自然の発見」は、この『経哲手稿』によって思想的にうちかためられている。それは、「有史以来」の思想史の中で、「自然」が、「精神労働」への同質化を突破して、感性的活動の対象として「思想的」な意味をもって語られている最初のものといってよいだろう。それは、「労働」、又は「社会的生産」の解明にいたらなかったフォイエルバッハの「自然」とも異なるし、また他の誰の借りものでもない。そして、その眼をもって、人間の社会的生産の本質的な意味を各章にわたって鮮烈に書きしるしている。

 もちろん、それは、『ドイツ・イデオロギー』から『資本論』に至る過程において科学となるのであるが、逆に、今のべたものをぬきにしたならば、マルクスの唯物論はヘーゲルの観念論を越えられなかったろう。

 『資本論』に完成されている思想は、マルクス主義の真髄であり、頂点である。したがって、それを後戻りさせて理解するのは、観念論への道をひらきやすい。しかしその『資本論』があってさえ、「インチキマルクス主義」が百年の間くり返し生み出されてきたのである。『資本論』の体系は、直接的には資本主義社会の解明が目的であり、その解明がもたらす弁証法的唯物論、史的唯物論的展開は、直接的には、行間にのべられているにすぎない。マルクスは『資本論』を、あそこまで書いて死んだのである。したがって、『資本論』のよみ方をめぐっていくつかの潮流が生まれる(もちろん、『資本論』のよみ方は一つしかないのであるが)

 我々は、現実の闘いの中で、一歩一歩『資本論』の革命的復活を日指す。その時、『経哲手稿』は、きわめて重大な鍵となる。『資本論』の次元から、史的唯物論、弁証法的唯物論をひき出す鍵となるのだ。

 『経哲手稿』は、「分業論」、「資本主義社会の科学的解明」等において不充分なものをもち、したがって、「共産主義の概念的展開」において不充分なものをもっている。しかし、「自然の発見」「社会的生産の科学的解明」の点において、卓抜した位置を占め、したがってそれをぬきにしては、マルクス主義はありえないのである。

 現在「疎外論批判」が部分的に語られている。たしかに、「疎外論」−「人間性の回復としての革命」というような潮流がいるかもしれない。それは、明らかに観念的な潮流である。しかし、そのことへの批判が、「疎外」という言葉を使ってマルクスが解明しようとしたことを否定する理由にはならない。先程のべたような視点からみるならば、『経哲手稿』は、不充分な点をもちつつも、『ドイツ・イデオロギー』『資本論』の決定的な基礎となっている。「観念的疎外論」の批判が、社会的生産の本質的解明を通さない時、『経哲手稿』の不充分性を指摘するあまりその画期的意味を見失い、自らは何物も具体的には定立できなくなるだろう。

(1969〜70年初)