党・ソヴィエト・武装蜂起 第T部

―第W章―
プロレタリア革命における軍事路線

            = 目 次 =

T 戦略の基礎となる基本問題

1 70年代階級闘争の国際的背景

2 日本革命運動の歴史の中での軍事問題

3 革命運動における軍事(暴力)の原理的把握

4 プロレタリア革命における軍事路線の基本構造

5 プロレタリア革命における軍事路線と組織方針

6 現実の階級闘争の中から階級的武装の獲得へ

7 階級闘争における「勝利と敗北」と「軍事問題」

8 日本階級闘争における暴力の質をめぐって

U 戦略と戦術の現在的諸問題

1 目的の実現

2 目的の実現における軍事的側面
  <軍事戦略と戦術(目的と目標)>

3 当面の戦略と戦術のポイント

4 階級闘争の現状と組織路線

5 現段階における戦略・戦術


 T 戦略の基礎となる基本問題

 60年安保闘争と三井・三池闘争の衝撃力の中から60年代階級闘争は発展・拡大し、70年安保闘争を闘いぬいた。敵との激烈な闘いは、すべての闘う個人や闘う党派に「勝利の展望」をもつことを要求する。さらに60年代階級闘争は「暴力的闘争の発展」を生み出し、日本革命における「軍事間題」を正面からつき出した。プロレタリア革命が最終的には武装蜂起をもってのみ勝利することは、革命的左翼にとっては当然のことであるが、このことを「貫徹しぬくこと」は、また極めて多くの問題をわれわれに課する。

 70年代にはいり、革命的左翼を自称するすべての潮流が「軍事」の問題にとりかかっているが、そのすべてが正しいプロレタリア革命の路につながっているとは限らない。革命運動における他の分野でもそうであるように、この「軍事」の問題においても、多くの歪曲、疎外が存在する。プロレタリア革命は暴力革命としてのみ、貫徹されるが、逆にまた、暴力的革命運動が、すべてプロレタリア運動であるとはいいえないのである。われわれは、自らの革命路線の暴力的貫徹(軍事的推進)をなしとげつつ、同時に非プロレタリア的または反プロレタリア的なそれに対しては、断乎たる批判と止揚の闘いを推進せねばならない。

 このプロレタリア革命における軍事問題を正しく推進していくために、いくつか正確にしておくべきことが存在すると思う。それはプロレタリア革命を蜂起にまで至るものとして貫徹しぬくためには、欠くべからざるものであると考える。それをふみはずせば、その「軍事」はいつしか必ず「反プロレタリア的官僚化」の道におちこんでいくであろう。

 その第一は、「暴力」または「軍事」のプロレタリア革命路線上の位置である。第二は、その展開として、階級闘争の中での「軍事」の展開方法である(根拠地問題)。また第一、第二のことから導かれるものとしてのプロレタリア革命の軍事戦略である。第三は、これを推進していく組織路線の問題である。第四は、革命運動における「勝利と敗北」の軍事問題との関連である。第五は、これを推進していく上で、現在的に突破していくべき問題のポイントである。こうした構造を基本的に明らかにしていく前提をいくつかみた上で、この内容の展開にはいっていきたいと考える。それは第一に、階級闘争の国際的な現段階の解明であり、第二に、その中での日本階級闘争における「軍事問題」の歴史的整理である。これは一般的なようで、実はこの軍事問題の路線に決定的な影響を与えていくのである。


  1 70年代階級闘争の国際的背景

 ごく当たり前のことなのだが、軍事がいかなる階級のいかなる問題を解決するための軍事なのかということは、本当に正確にしていかねばならぬ。国際的な階級闘争の歴史の中でこの問題は、何度も深刻に闘うプロレタリア人民の前につき出されてきた(国際的に知られていることでは、スペイン革命におけるスターリニストの武装が、闘う人民に敵対した例がある)。70年代階級闘争の中で軍事問題を正面から問題にし、発展させていくためには、現在の階級闘争の構造の正確な把握をしておかなくてはならぬ。さもなければ、一見リアルにみえる方針がとてつもない破産になってしまうのだ。

 ロシア革命は、帝国主義段階の中で、「プロレタリア革命の時代」を切り拓いた。それは、プロレタリア革命の一国的な爆発と「勝利」である。しかし、ロシア・プロレタリア運動の自然発生性を背景に、その貧農主義による包摂が、革命の爆発から「勝利」−「体制の安定」にかけて進んでいく(歴史的にはボルシェヴィキがこの傾向をもっていた)。所謂、スターリニストの問題である。スターリニズムの根本構造は、世界的なプロレタリア運動の衝撃をうけて、貧農が自らの矛盾を「古い共同体への一定の回帰」−「疎外」を通して「解決」しようとすることを「プロレタリア革命」だとし、その中へ現実の未成熟なプロレタリア運動を包摂し収約してしまうところにある。それはプロレタリア運動からみれば、自分の未成熟或いは敗北の中で産出されていく。プロレタリア運動が貧農の矛盾を解決し止揚していく時、はじめて貧農の悲惨も根本的に解決されていくのだが、これが逆になると、全くのいきづまりになっていく。

 ロシア革命からこの「過渡期の歪曲」がはじまっていく。したがって、ソ連、中国等は、プロレタリア独裁国家が過渡期にもつさまざまな問題、という以上に大きな疎外を孕んでいるのだ。ソ連のその後の「発展」はむしろ「社民化」を生み出し、また中国は文化大革命でその貧農主義路線を深めているにしても、いずれも「プロレタリア独裁」の労働者国家とはいいがたい。いずれも基本的にはスターリニストが全体を制約している。朝鮮民主主義人民共和国、ベトナム民主共和国も、全体としては、中国型に近いスターリニスト国家である。

 一方、所謂第三世界といわれるキューバを中心とするラテンアメリカの革命運動は、プランテーション下の農業プロレタリアの運動を孕んで、路線的にはゲリラ戦主義としてある。従って「非プロレタリア的な人民主義」という傾向をもつが、われわれはこれを今、スターリニズムと規定することは出来ない。しかし、やはり革命の深化の中で、この路線においても、「プロレタリア革命」という問題がもう一度正面から問題になっていくであろう。

 こういう構造の中で、資本主義国でのプロレタリア運動が存在する。つまり、一定の疎外を含みつつ「前進」する「後進国」人民の闘いの衝撃力をうけつつ、「先進国」ブロレタリア−トが突撃し、その革命は「後進国」の「社会主義」たるものの、非プロレタリア性、反プロレタリア性を暴露し、それらの国のプロレタリア革命によるスターリニストの打倒へ進み、一つの「世界革命」は成立するのである。だから、われわれの闘いは、反帝国主義の闘いにおいて、国際的な共同闘争を行ないつつも、現存する「社会主義国」を単純に国際根拠地などと規定することは出来ない(もちろんさまざまな形での共闘は不可欠だが―)。これは後でみるように、軍事路線の根拠地の問題に重要な影響をもってくる。これまでの闘いの中で「侵略戦争反対−反帝ナショナリズム」の破綻が明確となってきたように、帝国主義者は、現代の帝国主義の矛盾の爆発の中での「プロレタリア革命」の突出に対して「ファシズム」と「反革命戦争」をもって対処しようとする。しかも、いま簡単にみたようなロシア革命以降の階級闘争に規定されて、国際ブルジョアジーは、全世界プロレタリアートと全世界ブルジョアジーの立体的な階級矛盾を、「社会主義国」(実は反プロレタリア的なスターリニズムの支配する国)との「体制間戦争」に「転化」しようとする。

 いうまでもなく、「スターリニズム」は、プロレタリア革命の自然発生的爆発を、その衝撃力をうけつつ戦闘化した貧農主義が包摂しつつ歪曲するというものであり、従って、「疎外を含みつつも」プロレタリア運動にとっては敗北的前進の一つの表現である。革マル派や中核派のように、「体制間矛盾の固定化−帝国主義とスターリニズムの分割支配」のような傾向をもった理解をしてはならぬ。つまり「体制間矛盾」自身は、国際的プロレタリアートとブルジョアジーの対決の「疎外された」(歪曲された)現象形態なのである。

 従って、プロレタリア革命の戦略は、「帝国主義的矛盾の合理化によるプロレタリアへの集中」を粉砕し「革命的反戦闘争−反革命階級同盟粉砕の闘争」を闘いぬきつつ、「帝国主義ブルジョア政府打倒−ファシズム粉砕」の中で「世界同時革命」を実現するものである。つまり、立体的階級戦争(国内の内乱)により「体制間戦争への矛盾の転化」を止揚することなのだ。こういうことからいっても、スターリニズムの反帝ナショナリズムや民族主義を越えていくプロレタリア革命の戦略が本当に重要なのである。それなくしては、「体制間戦争への矛盾の転化」を止揚することができず、全世界プロレタリアは解決の方策のないジレンマの中で再び血の海に沈み、歴史は「両階級の共倒れ」の中で歩みを止めることさえありうる。軍事問題は、このような戦略的な問題の中にしっかりとくみ込まれたものでなくてはならぬ。

 いうまでもなく、この反革命階級同盟の強化、スターリニスト国家との「体制間戦争」という問題は、本質的な階級形成から捉え返されねばならぬ。つまり、帝国主義国家内の階級闘争、更には、スターリニスト国家内における階級闘争との関連からみなくてはならぬ。従って、国際階級闘争の壊滅的敗北、又は、帝国主義、スターリニスト国家のそれぞれの中における階級矛盾の激化等のことは、現象的には反革命階級同盟の一定の後退や、「平和共存」の国際化等をもたらす。しかし、全世界ブルジョアジーと全世界プロレタリアートの対立は、これをくり返し立体的な階級闘争、階級戦争へつくり変えていく。


 2 日本革命運動の歴史の中での軍事問題

 われわれが方向性を確定していく前に簡単に日本階級闘争の歴史の中での「軍事問題」にふれてみよう。

 戦前の階級闘争の中では、明治維新(=ブルジョア革命)の中で人民が武装叛乱する例が「秩父困民党」等の形で存在した。これはブルジョア革命の封建的残滓を通しての貫徹に対する下層人民の叛乱であったが、鎮圧されていく。自由民権運動の左派の流れがその種の武装叛乱をいくつか起こしている。このような歴史的出発をもちつつ人民の歩みは始まるのだが、日清、日露の帝国主義戦争を通して、日本が帝国主義的発達を遂げる中で、プロレタリア運動が、一歩一歩進んでいく。

 「米騒動」が自然発生的ながら大規模な人民の叛乱として闘われる。武装叛乱の形をもったものとしては、足尾銅山のプロレタリアのダイナマイトを使った闘いが存在する。組織的なものとしては、コミンテルン指導下の日本共産党が権力の弾圧の下で自衛の意味を含んだ銃器の武装を行なうが、それは党幹部の自衛以上には出ない。つまり武装叛乱という形に進まぬうちに破壊されていく。

 戦後の歴史は次のようになる。「自然発生的」ながら2・1スト前後、メーデー事件における大衆的武装、日本共産党の火炎瓶闘争。これらの日本共産党の闘争とは別に、三井・三池のプロレタリアの大規模な闘争があるが、これはプロレタリアの本格的な武装の片鱗をみせながら、プロレタリア運動自身の未成熟と社民の制約の中で敗北していく。

 60年代にはいり、70年安快決戦が近づく中で、67年10月8日、11月12日の2度の羽田闘争以後、学生運動において「棍棒」による武装が大衆化する。東大安田講堂をめぐる攻防戦の中で更に一歩進み、数千本の火炎ビンが使用される。70年安保闘争は、この棍棒、石、火炎ビンの大衆的武装闘争として闘われ、その敗北の過程で、もう一歩進んだ「必殺の武器」へのエスカレーションが問題となっていく。

 日本階級闘争の中での軍事問題を戦術上(武器使用)の問題にしぼって、非常に簡単にみてきた。この中でわれわれは次の二つの点に気づく。第一は、日本階級闘争の中では、いまだ本格的な階級的蜂起の中での軍事的対決−「銃撃戦、爆弾戦」が闘われていないという点である。第二は、武器のエスカレーションが大衆運動の発展の中で行なわれているということである。

 第一の問題は、次のような点から整理できるだろう。本格的な銃撃戦−爆弾戦は何らかの「蜂起」の開始の中でなされる。つまり、日本で本格的な軍事的対決がなかったということは、蜂起までに成熟しないうちに叩き潰されているということを意味する。戦前の日本共産党の壊滅がその典型である。日本の帝国主義戦争の遂行−敗北の中で、結局、蜂起を成し遂げるだけの力をもつ前に叩き潰されている。これは別の意味からいうならば、革命勢力が大量の武器を手にいれるための前提条件である「帝国主義軍隊の解体」がなしうるまでに、階級闘争を推進するのに失敗しているということを意味する。

 後にもう一度ふれるが、革命軍隊の建設を自国の帝国主義軍隊の解体の中から成し遂げることを放棄している路線は、自らの路線の破産の誤った総括の上に立っているものである。世界中どこを探しても、基本的には、自国支配階級の軍隊の解体の中から武装を獲得していくもの以外に革命が成功した例はない。これは、時代がどう変ろうとも変らない革命の原則である。そして、この帝国主義軍隊の解体の「力」は「先進国」では、プロレタリアのストライキと街頭闘争の衝撃力である。つまり帝国主義軍隊が存立している「共同性」自体の崩壊の開始の中でのみ圧倒的武装はなしうる。もちろん、党による前衛的突撃としての武装闘争はありうるが、それは明確に大衆的「蜂起」の展望の中でのみなされねばならぬ。

 第二の問題については、次のようにいいうる。日共の火炎瓶闘争が「極左」だと騒がれたが、東大安田講堂の攻防戦は一挙に数千本の火炎ビンを「自然」に登場させた。いうまでもなく状況を切り拓く突破口は、政治組織の前衛的突撃によるが、それは、「いつでもなしうる」というようなものではない。それは階級闘争が煮つまってきている現段階でも同じである。階級闘争の質が飛躍を遂げようとするとき、それな推進する衝撃の中で武器のエスカレーションが進む。「石」から「棍棒」へ、「棍棒」から「火炎ビン」へは、やはり、一つ一つが大きな飛躍であった。そして「火炎ビン」は、直接的効果もさることながら、「棍棒」から「銃器−爆弾」の「過渡」をなすものとしての位置を占めている。「火炎ビン」から「銃器−爆弾」へのエスカレーションもプロレタリア階級運動としては一つの飛躍である。

 そして日本のプロレタリア革命運動は、これをいまだ登場させてはいない。それは、「決心するか否か」という問題の外に、現実に闘いの中で権力の壁を破って使用しきり、革命運動の推進力として登場させていないということである。もちろん、ゲリラ的に数十人の規模でこれを登場させ、使用することはなしえないことではない。だが問題はそのような次元をこえて、現実のプロレタリア運動の前進の中でなしうるか否かということである。そしてこの飛躍は、やはりこれまでと同じように、階級闘争の質的発展の中でのみなしうるのだ(もちろん、その突破口は政治組織によって担われるだろうが―)。このことを正確に把握しきり路線化していくために、以下の問題に入っていこうと考える。


3 革命運動における軍事(暴力)の原理的把握

 クラウゼヴィッツは『戦争論』の中で有名な言葉を残した。「戦争とは、別の手段を通しての政治の延長である」−これは「軍事」の問題を、諸階級、諸階層あるいは国家間の抗争の中で正確にみていこうとする、正しい視点を含んでいる。クラヴゼヴィッツ自身がナボレオンのブルジョア革命軍と闘った経験の中で、この把握をしたのだと思われる。ナボレオンの軍事的天才も、フランスのブルジョア革命の中で生まれた。つまり、クラウゼヴィッツ自身が、封建的軍隊とブルジョア革命軍の「革命戦争」の中で、この把握を行なったのであり、そういう点でマルクス主義にも多大の影響を与えた。だが、われわれにはこの内容のマルクス主義的把え返しが必要である。ここに示されている政治と軍事の関係の生理である。一歩間違えば、「イデオロギー」としての「政治」と「物理力」としての「軍隊」というブルジョア的な構造にはまり込む。それは、かくされた「イデオロギー主義」を背景とし、表面的には物理的な軍事主義としても現われる。そして、何か軍事的、暴力的であることがプロレタリア的、共産主義的であるという逆転さえ生み出していく危険性をもつ。それは、そのことにおいて自らの階級的基礎を隠蔽しているのだ。

 マルクス主義にとっては、プロレタリア革命における「暴力」とは本質的なものなのである。単なる手段なのではない。資本制生産様式の底で、感性的抑圧の中で苦しんでいるプロレタリアが、対象を実力で変革しようとする闘いが、暴力的闘いなのだ。プロレタリアートは、暴力的闘いの中で新しい人間性を獲得していく。なぜなら、抑圧された感性、一面化された感性が、団結を通して発展の方向性をもち、対象との実力による格闘と獲得の中で、現実的な全面開花を成し遂げる過程こそが、階級闘争に他ならない。それは、プロレタリアにとって世界革命−永続革命の中でのみ完成される。マルクスを引用するまでもなく、人間は類的存在であり、また対象的存在である。プロレタリアは、団結−自立を通しつつ、対象を実力で変革し自らのものとする中で、新たなる人間的感性を開花させていく(社会運動−政治運動、世界革命−永続革命)。団結を通して自立し、その中で一つ一つの資本の制約を突破することは、実力で、暴力的にしかなしえない。なぜなら、支配それ自体が感性的なものだからである。

 従ってプロレタリア運動は、どのようなものでも暴力性を内にもっている。そしてその暴力的本質の全面的発展こそが、軍事問題に他ならない。階級闘争の発展とは、その組織的表現である。従って、階級闘争の発展と別に「軍事問題」は本来定立しえないのである。もし、プロレタリア運動の発展−現実のプロレタリア運動の発展とは別に、むしろそれを放棄して軍事問題を立てているならば、それはプロレタリア革命の軍事問題なのではない。反帝国主義の闘いは、どのようなものでもプロレタリア運動に前進の条件をつくるものである。その意味で、小市民的運動の暴力的闘いとも共闘は必要だが、それがプロレタリア革命を僭称していくのを止揚していかねばならぬ。そのような「軍事」は、どのように英雄的で真剣なものでも、プロレタリア運動を僭称していくことにより、次第にプロレタリア革命に疎外的に作用していく危険性をもつ。軍事問題は、技術的にも、独自にとり出して準備されていく必要があるが、それはあくまでもブロレタリア運動の発展の中で、それを目的意識的に推進する形で実現されなくてはならぬ。

 日本の「新」左翼の軍事問題は、ほとんどプロレタリア運動の現実的展開を放棄してしまい、それとは別に立てられている。こうした傾向は放置されるならば、プロレタリア運動を僭称する小市民運動のプロレタリア運動に対する武装戒厳令の危険性さえもってくるだろう。またはせいぜいイデオロギーの宣伝としての「武装」や、「暴力革命の思想性を体現する」ことに終ってしまうだろう。こうした傾向におち込まないためにも、プロレタリア革命における暴力の本質を正確に把握しておく必要があるだろう。そしてそのことの正確な把握の中で、はじめて正しい軍事路線がしかれていくのだ。


 4 プロレタリア革命における
    軍事路線の基本構造

 これ迄みてきたように、プロレタリア革命における軍事問題の本質を整理しておくならば、その戦略的方向性は自ずと明らかになっていくだろう。

 それは、矛盾の「始元」における−つまり、帝国主義的工場制度の中の−闘いを根本とする。日本の「新」左翼の軍事路線が、一切プロレタリアの反合理化闘争及びその結合・発展としての階級的政治闘争と別に、「暴力」の問題を立てているのは、彼らの非プロレタリア性又は反プロレタリア性を示している。大部分は、そうしたことを「経済主義」だとさえ言う。一体、彼らの暴力性はどこに「根源」をもっているのだろうか。革マル派は、もちろん、反合理化闘争を語りつつ、実際は一切実力闘争を放棄して「イデオロギー的かこい込み」でゴマカすので、本質は全く反プロレタリア的なものである。「工場」を「根源」として、そこにおける闘いの階級的成熟の中で階級的暴力闘争は発展する。工場拠点を基礎として、その地区的、ソヴィエト的展開の中で闘いは発展する。

 プロレタリア運動の「根拠地」とは、いうまでもなく「革命党」であり、それは「工場−組合」の中に建設されねばならない。従っていうまでもなく、軍事的根拠地もこれと同じである。軍事戦略的にみても、ストライキとそれを背景とした街頭闘争がプロレタリアの軍隊の建設のテコとなるのである。

 なぜなら、第一に、いうまでもなくこの中で新しい革命的人間が大量に産出される。それは新しい人間性の息吹きをもって、帝国主義よりも秀れた精神性をもち、従って秀れた戦闘力を発揮する。第二は、このストライキにより帝国主義軍隊の基礎となっている「幻想的共同性」が破壊され、従って「帝国主義軍隊の破壊−解体」の力となる。第三は、帝国主義軍隊が解体されていく過程における武装闘争において、工場はプロレタリア武装闘争の豊富な「武器庫」となる。第四に、地形上からいっても、都市蜂起の中で、工場は軍事的拠点になっていく。これらの諸点は、第二次世界大戦後も、スターリニストに対する東欧プロレタリアの武装叛乱の中で、経験的に示されている。

 現在、国際的に闘われている武装闘争は、ほとんど非プロレタリア的なものであるために、「山岳地帯」「農村地帯」で「地形」を利用して行なわれている。そのことをそのままプロレタリア運動に「アテハメ」てみてもはじまらないのだ。もちろん、「ストライキ−ゼネスト方針」を放棄してしまえば、「都市の軍事路線」は全く絶望的である。都市は「ゲリラの墓場」だとさえいわれる。しかし、その郡市を「軍事的展開の海」にしてしまうのが「ストライキ−ゼネスト」なのだ。ブルジョアジーの精密な支配の足下からそれを崩してしまうのだ。全共闘運動の展開はこうした方向性を萌芽的に示している。大学はすべて、ストライキにより「軍事拠点」になっていったではないか(もちろんストライキやゼネストは「スマート」に進むものではなく、さまざまな過程をくぐりさまざまな街頭闘争を通して実施されていくのだが−)


 5 プロレタリア革命における
    軍事路線と組織方針
 

 プロレタリア革命における軍事路線の戦略、戦術を貫徹するためには、組織路線がこれと一つのものとして原則的に貫徹されていなくてはならぬ。軍事問題の根本がプロレタリア運動の暴力的本質にあるものとしてとらえきっていくということは、軍事戦略展開にも決定的であったと同様に、組織方針においても決定的なのだ。

 すなわち、大衆運動それ自身の中に含まれている暴力的本質の目的意識的全面展開が軍事問題である以上、「大衆組織−行動委員会−党」という組織展開と、別の展開を考えていくのは全くの誤りである。このそれぞれの組織が、それぞれの段階に応じて「軍事的発展」を遂げていくものであり、それぞれに応じて軍事組織なのである。特に党は、そういうものとして目的意識的推進力となっていかなくてはならぬ。プロレタリア運動にとっては、「党−行動委員会」=「プロレタリア統一戦線」が、現在的な正規軍に外ならない。コミューンの原則である「全人民武装」は、行動委員会運動を通してのソヴィエト運動の推進の中で、「ソヴィエトの武装」として成し遂げられていく(階級独裁)。つまり組織問題の根本は、大衆組織(組合、自治会)−行動委員会−党という革命運動上の組織路線が、それぞれ相互に軍事的発展を遂げていくということにあるのだ。要点は、「政治組織」は、それぞれの段階に応じてそのまま「軍事組織」であるということなのだ。

 「常備軍の解体−全人民の武装」というコミューンの原則は、闘うプロレタリア人民の「外」に疎外されている軍事機構を解体し、働く階級が同時に政治を行ない、したがって武装をも獲得していくということなのであり、このことは現在的に進行していなくてはならぬのだ。革命の正規軍は、この「大衆組織−行動委員会−党」の武装の発展と、帝国主義軍隊(常備軍)の解体、その相互結合の中で建設されていく。

 「党−軍−統一戦線」というようなことが語られているが、こういうような位置の中では、「軍」なるものが、一体何なのかが問題とならざるをえない。プロレタリアの大衆運動の中から発展していく革命運動、そして、それに対応した組織の外に「軍」なるものを定立していくことは、「イデオロギー的な党に支配される物理力としての軍」という「疎外」の開始なのだ。また、逆に、こうした構造の中では、統一戦線なるものが非常に恣意的になり、結局「人集めのプール」のような位置におち込む。これらは、コミューンの原則から外れた「軍の疎外」の開始を孕んでいる。それは単に一般論としてでなく、その「軍」なるものの「軍事行動」の質に大きく関わってくることになる。

 軍事行動には、正規軍的な展開とパルチザン(ゲリラ)とがあるが、いずれもが「働く階級」の「解放」を目指した暴力であることが、鮮明になったものでなくてはならぬ。戦略−戦術、それを実現していく組織路線は、具体的な軍事行動の展開にも大きな影響を与えざるをえないのだ。一つ一つの戦術におけるこうした原則が正確にされていないと、権力につけこまれる隙を与えていくのみならず、権力のキャンペーンの中で人民が離反していく。どんなに主観的な位置づけをもっていようとも、一人一人の生きたプロレタリア人民の「生活」や「闘い」に害をなすような形の「軍事行動」なるものは、闘いの前進になりはしない。特に、「目的」と「手段」が統一的に展開されておらず、戦略と戦術が鮮明でない、いい加減な「ゲリラ」は越えられねばならない。そういう種類のものは、一人一人の生きたプロレタリア大衆を客観的には「物理力化」するものであり、また、それを逆手にとられて、ゲリラ自身が大衆から孤立させられる。のみならず、権力の側の謀略との関連に最大限の注意を払わねばならぬ。

 プロレタリア革命における軍事路線は、一歩誤れば全く革命の阻害物になってしまうのだが、もっともはっきりしてくるのか前記の組織路線である。ソ連の赤軍がすでに全く反プロレタリア的なものになり、ソ連のプロレタリアートにとっては日常的には、手のとどかないものとなっていることの根幹は、やはり「軍事路線」における組織論にかかっている。中国人民解放軍も中国の貧農のエネルギーの組織化には、巨大な力を発揮したが、やはり「外在的」なものなのだ。中国革命の過程で解放軍はプロレタリアの蜂起に対しては抑圧的にさえ動き、文化革命の中でもう一度政治の中に登場したプロレタリアにとって、解放軍は「解体」の対象にさえなっている。このことも、中国革命全体の路線における「軍事路線−組織路線」の根幹に関わっている。

 われわれは、たとえ第一歩であっても、プロレタリアの階級的独立の路線の中にしっかりと軍事路線を位置づけ、現実の生きたプロレタリアからの「軍」の「疎外」というようなことは、徹底的に粉砕していかなくてならぬ。


 6 現実の階級闘争の中から
    階級的武装の獲得へ

 さて、それではわれわれは、現実の階級闘争の中から、如何にしてその暴力的(軍事的)発展を成し遂げていくのか? この問題においても、初めに整理した「暴力」の本質的把握の上にしっかりと立っていなくてはならない。

 70年安保決戦と全く別に、「蜂起」なるものを設定してみたりすることや、三里塚闘争の現実的推進と別に、70年代の「恒常的武装」を定立してみたりすることは、「現実的」のようにみえて実は「抽象的」なのだ。何故ならば、階級闘争の発展の中での暴力の発展と別に、いくら「軍事」を定立してみても、それは部分的な「ゲリラ」以上の意味はもちえないものなのだ。そしてそれが階級運動の推進を放棄して、定立され、いわば「路線化」されることにより、誤りは「固定化」される。つまり、「正規軍−根拠地」は一体何なのかか忘れられることとなるのだ。

 プロレタリア的軍事路線は、二つの方向性によって推進される。つまり、階級闘争の暴力的発展と、それを背景とした「帝国主義軍隊解体」の「叛軍闘争」である。

 前者は、くり返し述べてきたように、資本の鉄鎖の下で抑圧され搾取されているプロレタリアが、反合理化闘争を開始し、階級的要求の中で政治的に結合発展しつつ発揮される「暴力」なのだ。従って暴力の性格が、工場の底で苦しんでいるプロレタリアの矛盾を解決する力として発揮されたものでなくてはならぬのだ。もちろん、政治的闘いにおける「暴力」も、そのようなゲリラ戦の階級的発展として、はっきり「政治中枢−官僚的軍事的統治機構」への攻撃として集中されていかなくてはならぬ。階級闘争における結節点的闘い−安保決戦のような−における暴力性は、そのようなものとして鮮明に闘いぬかれ、権力の解体へ一歩一歩前進するものでなくてはならぬ。又、このような正規軍戦と不可分に闘われるゲリラの闘争は、プロレタリア人民の「憎しみの集中点」を攻撃し、それが正規軍的闘争によって粉砕されていく、「水路」を切りひらくものでなくてはならぬ。いうまでもなく、これは、大衆的圧倒的な街頭闘争の蓄積により、ストライキを掘りおこしていく路線の中で成し遂げられていく。

 従って、この闘争におけるポイントは、次の諸点だろう。それは、第一に、何らかの形で組織的にも工場の闘争と結合し、従ってその暴力が工場プロレタリアの暴力性の推進となること。第二には、階級闘争の発展、成熟の度合(段階)を正確にふまえ、それを目的意識的に一歩鋭くつき出すものとして貫徹されること。目的意識的なこの第一と第二のことにより、その暴力的軍事的行動は、直接的には大衆からはかけ離れ「極端」なようにみえても、工場プロレタリアの大衆的運動のために役立ち、納得しうるものでなくてはならぬ(つまり、階級闘争、運動全体の暴力的発展の推進となっていること)第三に、その軍事行動の意味が誰にでも鮮明にわかるものとしてなされていること(例−羽田訪米阻止、首相官邸突入、日経連突入等)。逆にいえば、如何にブルジョアジーを困らせびっくりさせても、必ずしもプロレタリア運動の推進にはならないということなのだ。ブルジョアジ一に「衝撃」を与えるもの総てがプロレタリア的なものとは限らない。

 こうした階級運動の中からの軍事的発展とともに、もう一つ不可分なプロレタリア軍事路線の柱は、帝国主義軍隊の解体の闘いである。これは今述へた階級闘争の暴力的推進の上に立って、その帝国主義社会の底から、それを解体する闘いの「衝撃力」による「帝国主義軍隊の解体」の闘いである。いうまでもなく、この「解体力」は、階級運動がどれ程まで、この社会の深部から吹き上げているかに関わる。この衝撃力の上に立って、直接的には、「叛軍闘争」−「帝国主義軍隊の中からの叛乱兵士との連帯闘争」が独自に組織されねばならぬ。直接的な叛軍の大衆連動、帝国主義軍隊における「権利闘争」、更には、軍隊内における「党建設」の闘い等の立体構造として展開されるべきだろう。


 7 階級闘争における
    「勝利と敗北」と「軍事問題」

 階級闘争の発展は、現実的闘いにおける「勝利と敗北」をめぐって成し遂げられる。敗北を通して、闘いはより一歩鋭い内容を獲得していく。こうした論理と共に、もう一方で「勝利」を現実的に獲得するためにという問題から、武器のエスカレーションが目指される。敗北を通して、その敗北を根底から越えていくためにという所で「軍事」問題が、正面からとりあげられるようになる。

 だが、ここでも、今までみてきたことと同じ問題につきあたる。単なる武器のエスカレーションによって「勝利」が実際に得られるのか、ということにつきあたる。簡単にわかることだが、支配者の側は、常にすぐれた武器を、しかも大量に保有している。問題をここのみに絞ってみても、もし、問題を武器のエスカレーションのみに限定するならば、本当に権力の「間のぬけた行動」(原文ママ)の隙をついて、「万に一つの勝利」を展望するということしかない。

 従って、武器のエスカレーションによってのみ「勝利の展望」をみようとするならば、行きつく所は、極めてイデオロギッシュな内容をもった「武装闘争の開始の捨石」みたいな形にたる。つまり、「勝利の展望」のために開始したはずの問題が、いつの問にか現実的勝利とかけはなれた形の「思想の次元」に切りつめられる。さもなければ、厳密な検討をぬきにして、現存する「社会主義圏」を讃美し、その武力を当てにするようなことになってしまう(スターリニズムへ引き寄せられる)

 現象的には「軍事的敗北」として現出することを、階級闘争として総括せず、「疎外された」軍事問題として総括していく時、そこに出てくる方針は、階級闘争の現実的展開と別に定立される「疎外された武器のエスカレーション」となり、当然それは、権力の圧倒的な武器の前に「敗北」することとなる。もともと、階級闘争の総括と別に「軍事問題」がある訳はないのだ。

 それでは、プロレタリアートの勝利は如何にしてもたらされるのか?

 それは、その闘争がプロレタリアートの階級的、革命的団結を現実に普遍的(全社会的)に引き出しえた時であり、その中で一歩一歩獲得されていく武装は、権力のより圧倒的な武装をも解体して前進していくものなのだ。もちろん、その突撃は盲目的(原文ママ)なものではなく、ねばり強い日常的な政治運動、社会運動の中で産出されていくプロレタリアの「革命的団結−革命的交通形態」によって「拡大−全面展開」の通路が準備されていなくてはならぬ。それが行動委員会による組合の革命化の闘いなのだ。もちろんそれは、プロレタリア統一戦線の独自の展開と共に、闘う人民の広汎な反帝国主義の共同闘争の中で推進発展させられていくものなのだ。

 いうまでもなく、勝利といっても、部分的個別的勝利と全面的勝利とがある。全面的勝利は、プロレタリア革命−プロレタリア独裁の中にしかない。しかし、いくつかの局面での個別闘争の勝利はありうる。個別的闘争における勝利の展望という時、その個別的闘いとしての勝利の条件を正確に整理し、それを実現していくものとして、その階級闘争の段階をふまえ、それを一歩促進するものとしての武装が成し遂げられていかねばならぬ(例えば、三井・三池の「113日の英雄なき闘い」においては、「一人も脱落者を出さず、団結を守りぬくこと」が勝利の鍵であった。そしてこの段階に見合った武装が必要なのだ)

 くり返すが、勝利の展望をもった武装のエスカレーションとは、日常的な階級闘争における現実のプロレタリアの革命的団結の促進、拡大を条件とし、その階級闘争の現段階を正確にふまえ、その目的意識的な促進として成し遂げられなくてはならないのだ(もちろんそこには飛躍が必要であるが−)


 8 日本階級闘争における
    暴力の質をめぐって

 70年安保闘争の後、声高に「武装」−「軍事」の問題が語られてきた。だがわれわれは本当の勝利のために、この軍事や武装の質を正確にみきわめ、プロレタリア軍事路線の大道を歩まねばならぬ。現在、語られているものの多くが、非プロレタリア的な「暴力」「軍事」に外ならない。「蜂起」を金看板にしている党派が、学生の急進主義に依拠していたことを反省し、肉体労働者の組織化に手をつけねばならぬなどと今頃言い出す始末である。このこと一つをとってみても、今ブルジョア・ジャーナリズムで騒がれているものの多くが、市民主義的な「暴力」の展開にすぎないことがわかる。

 70年安保決戦の中で、プロレタリア階級の暴力性が前進し始めているが(70年安保決戦の中のストライキと街頭闘争)、日本階級闘争史上の「軍事」の大部分は、非プロレタリア的なものである。70年代階級闘争の方向性をみる時、ほぼ次のような構造がうかび上ってきている。

 第一の流れは、三井・三池闘争の敗北以降、営々と闘われてきたプロレタリアの反合理化闘争の上に立って、プロレタリアの階級的政治闘争が暴力的、軍事的展開の第一歩を踏みしめた、それである。これは、いうまでもなく、70年安保決戦の中で、総評、社共が一切闘わない中で、独自に切りひらかれたプロレタリアートの政治ストライキと街頭実力闘争である。それは、ソヴィエト運動の、萌芽であるとしても、すでに決して消えることのない確実な第一歩を踏み出している。

 第二の流れは、日本共産党、スターリニズムの批判をしつつも、結局、学生としての矛盾を闘いぬくことを放棄した結果、プロレタリア運動との現実的結合に至りえず、自らのエネルギーの喪失の中で、再びスターリニスト的な傾向へ回帰しつつある流れである。社学同ML派がその「先駆者」であり、ブント系の諸派がこうした傾向を、最近色濃くもちつつある。

 階級闘争の激化の中で、自らのエネルギーのより一層の革命化を追求することが要求される。日本の民主主義急進派の大衆運動の主流は学生運動であるが、この学生運動が、政治運動と社会運動を通して(自らの社会的矛盾との闘いを通して)、労働監獄の中のプロレタリアートと結合していくことが「発展の途」なのである。しかし、小市民急進派の大部分は、この教育闘争を政治主義的にのり切った結果、依然として「プロレタリア」は言葉の次元に止まり、百万遍「プロレタリア革命」と語りつつも、自らは「現実のプロレタリア運動」、「プロレタリアの矛盾」とは無縁な形で流れている。こうして、権力の弾圧にあい、より激烈な階級闘争の推進が要求されてくるや否や、自分の足下に存在する日本プロレタリアの矛盾や苦闘はみえず、「後進国」の農民や人民の闘いに引き寄せられていく(思想的には、スターリニズムに)

 ML派、ブント諸派のみならず中核派も、ほぼ同様な形にはまりこもうとしている。もちろん、プロレタリア運動の展開の上に立ってあらゆる人民との共同闘争は不可欠であるが、後者に前者が包摂されてしまっては、結局、後者にとっても問題の解決にはならないのだ。そしてもう一方では現実の闘いから逃亡した所で観念的批判にふけり、ずるずると資本に屈服していく革マル派がいる。そして、ブント系の一部は、この革マル派にイデオロギー的に引き寄せられさえしている。

 こうした「暴力」の非プロレタリア的傾向を突破し、「プロレタリア的軍事の大道」を歩むことが、今ほど大切な時はないであろう。

 U 戦略と戦術の現在的諸問題


  1 目的の実現

 70年代階級闘争はわれわれが予測した勢いで激化している。60年代に生まれた様々な要素が展開され、統合され、新しい様相を生み出している。ここでは、その中の「実力闘争」=「軍事路線」についてふれてみたい。何故ならば、軍事の問題は、70年代階級闘争にとっていわば前提的に踏えなければならぬものとなってきているからである。それは基本的には、すでに両階級の激突がそこまで来ているからに外ならない。

 われわれも70年安保決戦の中で、この問題について基本的に解決して前進してきた。何度もくり返されて種々の問題が出てくる。われわれが70年安保決戦の中で提起した方針は、2年近い闘いの中でほぼ実証されている。従って、それだけ討論もし易くなっている。そういう点でいえば、余計な混乱は避けてスッキリさせることができる。そういう意味でもう一度はっきりさせておこう。共産主義革命が暴力革命であるということを否定する党派は、新左翼にはいない。しかし、その暴力革命の実現の過程については多くの路線の差異がある。

 しかしこの多くの分岐は、抽象論から来たものではなかった。非常に具体的、戦術的なところから出ていった。どういう形かといえば、結局、<実現>の問題をめぐってである。目的を実現するという「リアリズム」をめぐってである。「提起した方針は実現せねばならぬ。敵に勝たねばならない」。この問題をめぐっている。もちろん、暴力の問題は本質的な問題であるが、それが現象する形態はこういう形となる。こういう形で出てくる問題への小市民的対応は、「一つの夢想」と「一つの日和見主義」を生み出す。「一つの夢想」とは小市民的個人主義に基づく「唯武器主義」であり、「一つの日和見主義」とは「できないからやらない」というものである。これらは相互補完関係にあって、「やるからには実現できなければならない」−「今はやれない」−「従ってやらない」という三段論法になっている。前者を極端化したものが赤軍派であり、後者を極端化したものが日共である。

 だが、よく考えてみればわかるが、「目的の実現」が「武器のエスカレーション」のみで可能ならば、誰も苦労などしはしない。プロレタリア革命は百年も前に終っている。そしてこれへの裏返しとして、日共型の路線、つまり「国家権力は合法的に(議会を通して)手に入れなければ破壊できない」という型になる。

 われわれはこれについては一つの結論をすでにもっている。ブントの中から生まれた赤軍派は前者の極端化であった。だが彼らは、目的を実現できなかった。「できた」のは、ハイジャックという敵の虚をついたゲリラ的行動のみだった。実際70年安保闘争以後の2年の中で、本質的な意味での階級的な破壊力にしても発展力にしても、政治的衝撃力にしても、赤軍派は、階級闘争の推進力とはなりえなかった。

 武器についても「もはや火炎ビン、ゲバ棒の時代は終った」というような「時代認識」はそう簡単に出すべきものではない。階級運動としての武器使用という点からみれば、こういう判断はもっと慎重にしなければならない。党の武装は、階級闘争の現段階を正確に踏えて、プロレタリア革命の武装を一歩鋭くつき出すためになされなければならない。さもなけれは正規軍戦の展望を失い、ゲリラ主義化してしまう。現在の実力闘争の段階で、機動隊を打ち破れないのは武器の問題のみではない。闘争構造と主体のエネルギーの問題なのだ。

 もちろんわれわれは、現在の「通常武器」に手をしばられることは少しもない。むしろその発展を準備していかねばならぬ。だがそれは、階級形成の促進という視点の上に立って正確に推進されねばならぬ。

 さて、われわれはここでこうした「夢想」や「日和見主義」が生まれる構造を分析し、正確に粉砕しておかねばならない。問題は実現ということをめぐっている。軍事的に目的を実現するということは、優れて社会関係=団結をめぐる問題である。戦争とは社会的なものである。従って、問題を個人的な次元で把えた時には様々な誤りがはいってくる。今までみてきたことは、こういう意味で批判されねばならない。

 階級闘争の中での軍事的な目的の実現とは、一体どういう構造で起こるのか?それは≪相対する階級の中で、一方がそれ以前の状況を飛躍的に越えたエネルギーを組織的、技術的に発揮し、敵階級の軍事力を粉砕した時≫になしうる。つまり、階級形成の中でのみなしうるのである。一定の闘いが存在し、それにふさわしい武装が存在する、その「彼我の力関係が突破」されなければ目的の実現はできない。しかしこの「状況の突破」とは、主観的個人的になしうるものではない。自らの階級のエネルギーが、まさに「階級として」−「結合力として」発現しえて初めてそれがなしうる。そして、新しい闘いの質は部分的に開始され、それが闘いを通して一歩一歩発展させられていって<階級的力>になるのである。

 われわれが整理した「現段階的武装」とは、こういう意味で、党を軸として階級的団結がその段階で最も鋭く表現しうる戦術形態をとることによって、階級全体の武装への力を引き出しつつ発展していかんとするものであった。階級運動の中で生み出され、階級運動の発展に基礎をおき、その一歩の発展として立てられる武装こそ、階級闘争に波及し、従ってそれ自体最大限の破壊力も発揮しうるのである。こうして、階級運動の実力闘争の強化の中で一歩一歩目的の実現が可能となっていく。

 従って、<目的の実現>とは、けっして直線的に進みうるものではなくて、今みたように階級形成の円環構造を通しつつ成し遂げられていくのだ。現象的には部分的に開始された新しい次元での武器が、様々な闘争を通して階級的団結の中に定着し、有効な打撃力として技術的にも有効に駆使され、実現されていくことを通して目的の実現に近づいていく。

 今、例えば国会占拠、国会構内集会というようなことを、一つの例としてみてみよう。60年安保闘争は、日本の市民主義運動としては空前のものであった。数十万の人民が連日国会の周辺を埋め尽くした。その段階での警察の武装はヘルメットと棍棒というような軽装だったし、国会周辺はいつでもデモができ、正門前でいつでもできた。そして国会の周りに塀などなかった。従って個人的に決意すればいつでも中へはいれるようにみえた。しかし、「国会構内突入」が現実的に成し遂げられたのは2つの時期であった。11月27日の大包囲闘争の中で、一種の奇襲戦術的にはいってしまったものと、もう一つは5月19日の強行採決によって市民主義のエネルギーが頂点に達し、それが6月2〜3日のストライキをくぐって6月15日に爆発した時である。これは国会をめぐっての支配者と人民の対決の中で、それ以前に存在した関係を越えて人民のエネルギーが爆発し目的を実現したものであった。

 しかし、60年安保から日韓条約粉砕闘争の中で機動隊の装備は飛躍的に強化され、国会は高い塀で囲われ、しかも国会周辺には請願デモ以外近づけなくなってしまったのである。こういう条件の中で、国会への闘いを行なおうとすれば次の条件が闘う主体の中につくられなければならない。第一に、くり返しの闘いの中で機動隊の装備を打ち破る武装が、正規軍を中心とした「戦闘的大衆」のものとなること。第二に、こういう闘いの下に、一地区からの闘いが権力の壁を打ち破って怒濤のように国会に押し寄せること(何故ならば、国会周辺は請願デモしか行けないのだから)。そして、こういう闘いと結びつく形で、ゲリラの直撃が有効性をもち、闘いの水路を示すものとなる。目的の実現とは、こういう形でしか不可能なのである。

 或る党派は国会占拠のために「軍隊」をつくったが失敗した。やはり<できなかった>のである。それは単に技術的失敗ということではない。闘いとは現象的にみれば苦しい局面をもつ。しかし、そういう闘いの持続があって初めて、決定的な時に巨大な飛躍を含めてそれが全大衆のものとなり爆発するのだ。そういう闘いを放棄して、いろいろ「夢想」してみてもやはり「実現」はできないのだ。現実には、現段階的突撃力を内包した階級運動の発展にしか、その「目的の実現」=「勝利」の展望はない。


 2 目的の実現における軍事的側面
  <軍事戦略と戦術(目的と目標)

 今みたようなことを一般的に言ってみても、それだけでは不充分である。階級闘争の現段階の中でそれがどういう所へ来ているのかをハッキリさせ、その構造の推進として現在の方針を立てていかねばならない。そういう意味で、階級闘争の現段階を踏まえての整理を行なってみよう。そのために、まず軍事戦略の基本と戦術の基本をみてみることにする。

 クラウゼヴィッツは、「目的はパリ、目標はフランス軍」という有名な言葉を残した。これは、彼の「戦争とは、別の手段を通しての政治の延長である」という把握に基づいている。これは、ドイツとフランスの戦争を想定して言ったものである。ドイツとフランスの戦争におけるドイツ軍の勝利は、首都パリを占拠することによって戦略的に得られる。このパリ占拠という戦略的目的のためにフランス軍を殲滅するという目標を立てている訳である。

 この目的と目標をはっきりさせておかないと非常に大きな失敗をする。どちらか一方に片寄れば必ず誤りを残す。第二次大戦の最終局面で、ヨーロッパの連合司令官アイゼンハワーは、壊走する「ドイツ軍の殲滅」と「ベルリン進攻」の二者択一を迫られ前者を選んだ。これに対してソ連軍は、ドイツ軍の主力は放っておいても壊滅する程敗北していると判断し、ベルリンの占領に集中した。こうして第二次大戦後、ソ連は非常に有利な立場に立つことができたといわれる。もちろん「敵戦闘力の壊滅」という戦争の本来の構造を放棄して目的の達成はできない訳であるが、目的のはっきりしない行動は破産する(例えば目的のはっきりしない機動隊殲滅″なる「方針」)

 「目的」を実現するために目標を殲滅するのである。戦争中にはこの「戦闘力の殲滅」が唯一の軸として現われるし、それをおいて他に何をやっても空想なのであるが、その中に「目的」という赤い糸が貫かれていなくては、この戦争自体が失敗するということなのである。しかも、この区別と関連性の明確化は、安易に「目的が実現できないからその方針は誤りだ」などということこそ、「誤り」であるということをハッキリさせる。「目的の実現」のために敵戦闘力を粉砕する過程があるのだ。

<軍事作戦の基本>

 原理などというものが身につくためには、実践的経験が繰り返し積み重ねられていなければならない。従って、原理がわかったからといって実際に勝つとは限らない。だが原理を正確に掴み捉えておくことは、少なくとも勝利へ向けて経験を積む上で非常な力となる。次にみるように、例えばゲリラ戦のバイブルとされている毛沢東の軍事戦略、戦術は、フリードリヒ大王やナポレオンによって実行され、クラウゼヴィッツによって実践を通して理論化された近代戦の原理を、スターリン主義的な形をとりつつも中国階級闘争の中に応用したものである。こういう形のものが「目的の実現」の方法なのだ。

 われわれの方針にはいる前に、軍事行動の原理を要約しておいてみよう。クラウゼヴィッツによれば軍事行動の原理は「集団行動」という点からくるいくつかの要点に整理できる。

(1)戦略上は、軍隊は時間的・空間的に一点に集中し、破壊力を爆発させる。戦略上は、軍隊は同時的使用しかない。戦術的には漸次使用もある。<「集団力−共同体的力」の発現の方法>

(2)(1)の逆にして勝利に導く。つまり、故が(1)にみたような力を発揮できないうちに、又はできない所にもっていって勝利する。(敵の集中力の封殺−味方の集団力の発揮)<地形・各個撃破等>

(3)原則的に、軍隊は一方向のみにしか働きえない。これを有効に使う。個人の総体としての集団だから、形成される集中力は一方向に傾く。また、一たん形成された方向性は簡単に転換できない。<側面攻撃の有効性・奇襲の有効性>

(4)常に主導権を握り、先制主導の立場に立って闘う。(集団、共同の行動だから、そこに存在する個人の総体を一糸乱れずに統一された攻撃力として(1)〜(3)にみたように形成していくためには、先手をとり、常に攻撃的に行動していなくてはならない。この調和が破れると、集団はばらばらになり、軍事行動として力が半減する)<奇襲・先制攻撃等>

―これらの一切の前提に、如何なる困難にも耐えぬく戦闘のエネルギーがあることはいうまでもない。

 これらは、戦争という行為が、個人個人の総体としての「集団の行動」であり、その力は「精神的肉体的な力」の総合力であるということの結果生まれるものである。

 ナポレオンの戦争は、土地革命によって生まれたフランス農民のエネルギーを背景にして、(1)(2)を最大限に発揮したものである。ナポレオンが倍近い敵を相手に勝っているのは、自らの軍隊をそれ以前の常識をはるかにこえた速さで動かし、二方面あるいは三方面から集中して自らに向かってくる敵を各個撃破したところにある。しかも、ナポレオン型の密集陣型(縦陣)を作り、(1)の原理をフルに発揮させたのである。戦史上有名なタンネンベルクの殲滅戦(第一次世界大戦中、東部戦線で圧倒的数で進んできたロシア軍を、ドイツのヒンデンブルクとルーデンドルフが捉え、数万の軍隊を完全に殲滅してしまった)も、この原理による。二方面から進んでくるロシア軍(レンネンカンプとサムノフ)の圧倒的力でおされていた数の少ないドイツ軍は、密かに一方の軍をひいて全軍をサムノフ軍のみに集中し、レンネンカンプの軍が気づかぬうちにサムノフ軍を包囲殲滅したのである。実際の戦争の中ではこのような例は少ないし、このような例ばかりを考えていろいろと現実とは別に夢想したところで失敗しかないが、しかし、一つの定石の見事な例である(今ここにあげた例は、実はもっといろいろな模索があるのであり、それを抜きにして応用しようとしても駄目だという点に注意すべきだろう)

 こういう形の階級闘争への応用をみてみよう。毛沢東の軍事戦略は、「目的実現」のリアリズムの典型のようにいわれるが、それはけっして所謂「クソリアリズム」ではない。これまでみてきたような軍事戦略の基本を正確に踏えた上で、中国の革命運動に適用した例である。毛沢東のゲリラ戦の要点といわれる「敵進めば我退き、敵止まれば我乱し、敵疲れれば我打ち、敵退けば我進む」というのは、次のような背景の中で語られている。中国の広大で悲惨な農村があり、そこには無数の貧農が苦しんでいる。反革命軍は都市をおさえているが、広大な農村にまで軍事的政治的経済的に手がまわらない。そして反革命軍は武器と数において優れている。だが帝国主義戦争の中で矛盾は深まり、帝国主義軍隊の崩壊は必至であるという展望の上に立っている。こうして「戦略的防衛」−「戦略的持久戦」−「戦略的攻勢」という段階規定を行ない、その防衛又は持久戦の中で先程みた戦術(ゲリラ戦の戦術)が立てられたのである。

 つまり、政治的判断の上に立って、広大な農村と貧農の悲惨を背景に、敵の力を分散させ、味方の力を集中して軍事的に勝利し、それを通して味方の軍隊と根拠地を作り、目的(北京入城−全土制圧)達成に一歩一歩近づくというものであった。これは、一般化していえば、ナポレオン型の各個撃破戦術の中国階級闘争における適用である。「できるかできないか」−「できるためには何でもやろう」−「できないからやらない」などというクリアリズムではない。中国型スターリニズムなりの鍛え上げられた戦略と戦術である。問題は軍事戦略、戦術のプロレタリア革命としての展開である。さて、それではわれわれの方針はこれに対してどのように立てるべきか。これを次に述べていきたい。


  3 当面の戦略と戦術のポイント

 われわれはこれについて一歩一歩積み重ねをもってきているが、それを再度簡単に要約しつつ、もう一段の発展を追求してみょう。

(1)社会的基礎を揺がしつつ、政治的頂点を攻撃する(ストライキと政治権力中枢への攻撃)

●個別資本の下で資本の社会的力を粉砕していく団結が、自らの労働を自ら支配する衝動として結合し、「共同体的支配」「政治支配」へと向かって進む。
●この具体的あり方は、ストライキを背景とした政治権力中枢への街頭戦である。
●この構造は、大量の人間の革命化、更には軍事拠点、武器庫の形成をも意味する。

(2)ストライキと街頭闘争は相互増幅作用に入る。

●ストライキは資本の社会的基礎を解体し、揺がす。街頭闘争はそれを具体的、現実的に結合する唯一の戦術である。ストライキを追求しまたは実現の方向性をもたぬ街頭闘争は、波及力、発展力を失い破産する。また街頭闘争をもたぬストライキは、結合力、集中力を失い消滅する。「街頭示威行進→市街戦」「経済スト→政治スト」、この二つが相互強化しながら発展する。
●ストライキと街頭闘争は、双方共に欠くことのできぬものであり、一方のみの一面的強調に終らぬようにしなくてはならない。

(3)ストライキと街頭闘争は、帝国主義軍隊の解体へと波及して、プロレタリア革命の正規軍へと発展する。


  4 階級闘争の現状と組織路線

 次に階級闘争の現状と、その中での彼我の力関係をみておかねばならない。われわれは次のように掴んできた。

(1)第二次大戦以後の世界資本主義の矛盾の心臓部分における表面化の時代。戦後政治社会秩序の解体的再編を通して、プロレタリア人民に矛盾を集中しつつ、ブルジョアジーの支配を維持する時代。

(2)戦後労働者組織の再編、分岐や労働組合の右翼的再編−本隊としての右傾化の危機。その中から革命的闘いが一歩一歩潮流化しつつある。

 こうした情勢は、より具体的には次のように現われている。日本の政治社会秩序の帝国主義的改編の中で−。<JC、同盟路線への戦線統一の流れ>−<農民、都市中間階級の解体のなかでの農民運動、市民運動の再度の激化>−<市民主義急進派の運動とプロレタリア運動の革命的潮流の共闘。反戦青年委、戦闘的労働組合、全学連、全共闘>。要約すれば、プロレタリア本隊の右翼的再編の波のなかで、それを越えるべく革命的闘いが一歩一歩独自の潮流化にはいっている。これが階級闘争の現状である。従って、組織路線は次のように立てられねばならない。「独自の戦闘的潮流、運動の展開と、その労働組合への波及」−「反戦、全学連、行動委員会の闘いを組合運動へと波及させ、またその逆を行ない相互発展を獲得する」−「党派的には革命的分派闘争」

 要約−「客観情勢の一歩一歩の革命化−主体の一定の立ち遅れ」「ゲリラ戦の攻撃的展開と正規軍的結合の時代」(行動委員会と組合)


  5 現段階における戦略・戦術

 われわれは、これまでの叙述の中で次のように確認してきた。

(1)ストライキと街頭闘争の構造
(2)戦後第二の革命期を背景とした主体の状況−組合運動の右翼的再編と革命的運動の潮流化の開始(主体的な立ち遅れと革命的潮流の形成)。諸階級、諸階層の解体的再編の中での反帝国主義化 (3)組織的には社・共−総評ブロック化に対して、小市民急進派とプロレタリア革命派の台頭(反戦、行動委、戦闘的労組)

 こういう情勢の中での軍事路線は如何にあるのか?われわれはこれを、70年安保闘争、沖縄闘争を通して実践的に整理されてきたものから、引き出してみよう。運動潮流(プロレタリア革命派)は、小ブル急進派との共闘を含んで独自の戦闘的潮流を運動として形成しえていること、更にそれと呼応して労組の中にいくつかの拠点的戦闘的労組をもっていること、しかし、後者については全体としての民同又はJC−同盟型の運動の制約下にあること。そしてそれは大きな意味では前者も制約している。

 こうして次のような戦術が生まれてくる。

<第一に>独自の戦闘的潮流は現在の権力の弾圧下においては、一地区を制圧しつつそこから政治権力の中枢へ向かっていくという戦術が最も有効である(工場、地区の解放区がいまだ形成しえぬ段階ではいろいろな形がありうる)。そして、この独自の戦闘化は徹底的に闘い抜かねばならぬ。

<第二に>このことの上に立って、総評に組織化されている部隊の戦闘化を図るべく、この独自の闘いの<貫徹力>を背景に、戦闘的労組を基礎に、総評下に組織化されている労働者の全体の戦闘化を追求する。

<第三に>この第一、第二の闘いが目指す目的を実力闘争として鮮明に指し示すゲリラ闘争(もちろんこれは軍事的戦闘にのみしぼってみたもので、ストライキ闘争等についてはすでにのべた)「正規軍的武装闘争」−「プロレタリア本隊への波及」−「目的を示す武装ゲリラ闘争」この三つの有効な集中力の形成を目的とした組み合わせが、現在のわれわれの軍事戦略である。

 この戦略は、一体どのようなプロレタリア的原則に貫かれているのか?それは次の点である。

<第一は>プロレタリアの政治的目的を暴力的に鮮明にする戦術であること。
<第二は>現段階的な正規軍戦を現段階的武装を通してやり抜くこと。
<第三は>第一、第二がプロレタリア本隊に組織的にもつながっていること。
<第四は>目的をはっきりさせ、戦略と戦術が統一されていることが一目ではっきりするようなゲリラの有効な駆使。
<第五は>以上を通して、以上四つが有機的な構造、団結として、または関係として統一的につき出されていくことによってプロレタリア総体の革命化を進める。貧農の根拠地は、地理的条件を通して形成されるが、プロレタリア革命の根拠地は団結−組織そのものである。そういう点で、以上の四つが有機的関係として集中力をもってつき出されることが何よりも大切である(ソヴィエトの総武装を目指して)

 つまり、プロレタリア革命の軍事戦略は、暴力性がプロレタリア本隊と組織的、運動論的に結合されつつ波及し、更に波及することによって逆に突撃力も発展していくということ、及び、それが組織、運動相互の関係として有機的に突き出され根拠地形成のための団結の革命的前進となっていくこと。

 そしてこういう構造の中で、勝利は一体どのように目指されるのか? 軍事作戦の原則の中でみたような形での勝利がやはり目指されねばならない。それは結局、階級闘争の現状を踏まえて戦術的には敵の小部隊をわれわれの大部隊で粉砕していくという部分的勝利の一歩一歩の拡大を通して、先程みた全体の構造の勝利へ波及させていくということだろう。もちろんこれはゲリラ化せよということではない。正規軍戦の中で、このような原則を有効に駆使していくということである。

 この原理は決してゲリラ戦の専売特許ではない。プロシャのフリードリヒ大王もナポレオンも、またヒンデンブルクも正規軍戦の中でこの原理を駆使している。これは味方を集中して、敵の力が集中する前に、または集中させない形で粉砕する″ということであり、正面戦を避けろということではない。むしろ独自部隊の戦闘は、必ず正面戦がなければならない。ただその中で今みた原則を有効に使うということである。くり返すが部分的戦闘の勝利ということは大切である。部分的勝利が先程みた戦略的構造に波及して闘う人民が自信をもっていくということ、また権力側が恐怖していくことが大切なのだ。毛沢東のゲリラ戦もそれを意識した戦術である。

 それからもう一つ強調すべきことは、今みたような戦略のポイントは、諸組織が、諸組織としての発展段階の力を、それぞれのできる形で有効に発揮しつつ、その総合力としての集中を作り出すという点である。部分的にみては消耗でも全体の総合力としての破壊力をみていくということが、戦略的にも戦術的にも必要である。例えば、独自の戦闘的潮流の正規軍戦において、●●●、××、●●●●が、それぞれやれる範囲で有効に駆使されることが必要なのであって、●●●を使えないから独自の戦闘を爆発させえないというのは間違いである(ここでは省いたが、独自の闘いの戦闘的展開のためにも、また、今みたような構造を実現するためにも、党=政治組織=の建設、強化が軸として立てられねばならぬ)

 目的の実現とは、以上の全構造によって貫かれていくのだ。<運動が全体として非合法化された時でも、今迄みた諸要素≠ヘ、全体として推進されねばならない。如何なる困難があろうとも−。>

 ここに書いたことは、みな60年代の後半から70年安保決戦にかけて一般化していることである。単なるその整理でしかない。ただ、ここであえて強調したことは、次のことである。「軍事問題」というと、すぐ毛沢東となりゲバラとなる。毛沢東やゲバラを日本にあてはめても勝てる訳がない。もちろんその中に貫かれている本質は、掴みとらねばならないが−。われわれにいちばん必要なことはプロレタリア運動における軍事路線なのである。プロレタリア運動を軍事問題から抱え返すということである。そういう問題意識の上に立って、あえて「わかりきったこと」を整理したのである。

1972年2月

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