=資 料=
解放派20年の革命的継承の下、
差別主義・清算主義・投降主義・分裂主義に陥らんとする
一部分子の脱落・逃亡を突破し、
革労協中央の旗の下に結集せよ!

1980年12月 革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)総務委員会書記局有志

 @すべての革労協に結集する同志諸君!

 国際反革命戦争とファシズムとして凝縮する戦後世界体制の危機一日帝の体制的危機の下、共産主義労働者党建設の一大飛躍と革命的プロレタリアート・被差別大衆人民の隊列の巨大な前進によるプロレタリア世界革命の時代として80年代は存在する。

 光州蜂起鎮圧の血の海から再び決起を開始した南朝鮮人民、米帝―サウジアラビアを背景としたイラクによる反革命戦争に抗したたかい続けるイラン人民と固く連帯し、プロレタリア国際主義の旗を掲げ、日米帝をはじめとする国際ブルジョアジーの反革命密集を打ち砕き、世界革命の勝利へ進撃する時代がやってきたのだ。

 スターリン主義足下から反乱を開始したポーランド労働者人民のたたかいはロシア革命、東欧革命のスターリニズム的疎外―固定化=「社会主義共同体」を動揺させ全人民的流動化を引き出し、このルツボの中から小ブル民族主義民主主義との革命的分岐を生み出すか否かの情勢を一挙に成熟させようとしている。

 これに対するNATO演習、EC援助決定をはじめとする「諸国政府の恐怖の一致」による反革命密集との対決、ソ連スターリニストの反革命的敵対の粉砕に向かう国際連帯こそ一つの世界革命への試金石である。

 光州蜂起の衝撃に根底的に規定された日帝鈴木は、差別主義・排外主義の下への動員をとおして朝鮮、国際反革命戦争―内乱鎮圧に突撃せんとしている。

 我々は小ブル「左翼」反革命革マル解体絶滅戦をたたかい抜きつつ、差別主義・排外主義と徹底対決し、安保・天皇攻撃と対決しとりわけ、三里塚を革命的労農水「障」学共闘をもって日本革命の拠点として打ち固める内実において、プロレタリア権力闘争の飛躍を推進してきたのである。しかし同時に、いまだ光州蜂起に応えうる帝国主義足下のプロレタリアートの国際主義に武装された権力闘争の飛躍を実現しえていないことを痛苦に総括せねばならない。

 光州蜂起に対し、金大中拉致主権侵害論を唱えることをもって排外主義煽動にたつ社共の敵対を粉砕し、カンボジアーアフガン内戦をめぐりつつ、非同盟路線下の武装中立論をもって自衛隊容認に拍車をかける日共、協会派平和勢力論の破産をもっての社会党の安保容認への転落を背後とする労働戦線の帝国主義的再編統一を喰い破り、革命的労働運動を創出しなければならない。


A 我々は今、解放派20年(革労協結成10余年)の歴史とたたかいにおいて、結成以来の革命的一大飛躍をなさんとする地平に到達している。

 我々は、60年代の解放派の革命的蓄積の上に69年革労協を結成し、反戦・全共闘運動を震源とする安保―沖縄決戦をたたかい抜き戦後第二の革命期を切り開いてきた。

 革マルは、まさにこの革命的地平に対する反動として析出されたが故に、70年代―革命期の進撃は革マル解体絶滅ぬきにはありえないものであり、だからこそ、我々はこれを通してこそ前進してきたのである。

 75年ベトナム革命の勝利は帝国主義による「後進国」支配を破綻せしめ、戦後世界体制の危機を拡大すると共に、その国際的反動として反革命戦争への密集せる突撃を生み出した。

 わが解放派はこのような中で、国際反革命戦争の高まる危機に屈服し、カンボジア内戦への介入を通して破産を明らかにした中国スターリニスト、更には、「社会主義共同体」防衛に従属した「革命的民主主義による非資本主義的発展」の下にプロレタリア革命を圧殺せんとするソ連スターリニストの世界革命への敵対を粉砕し、スターリニストを決してこえることのできぬ一切の「新」旧左翼をこえ、反ソ排外主義―反革命戦争擁護に立つ反革命革マルとの対極において、帝国主義足下のプロレタリアートの権力闘争の飛躍を掲げることを通して、プロレタリア国際主義の旗を高々と掲げたのである。

 「共産主義―革命的マルクス主義の旗を奪還する為の闘争宣言」において、スターリニスト「81ケ国共産党宣言」と黒田革共同との革命的分岐を綱領的出発点としたわが解放派のみが、唯一この地平に到達しているのだということを確認しなければならない。

 70年代において我々は、蜂起に関わる軍事問題と全人民の解放を実現していくプロレタリア革命の普遍性に関わる差別とのたたかいをめぐる問題を軸とする戦略的思想的飛躍を課題としつつ、共産主義労働者党建設を推進せんとしてきた。

 6・24―2・11反革命は、まさにこれらのたたかいに対する真向からの反革命であり、これに対して、我々は党の総力戦を決意し4・15藤原打倒をはじめとした革マル解体絶滅戦の前進をかちとり、今日の革マルの危機を強制してきたのである。


B しかし、78年、わが潮流内から部落抹殺論に基づく「石川黒説」を煽動するという狭山闘争―革命的部落解放運動への打撃、何よりも三百万部落大衆に決定的な打撃を強制するという目上委差別事件を生み出したのである。

 我々は、この目上委差別事件の自己批判の革命的貫徹なしには70年代に至る解放派建設の革命的継承と飛躍はないものとして、解放同盟の糾弾をうけとめ、のみならず、革命的部落解放運動10年の地平をうけとめつつ内部糾弾闘争に踏み切り、革命的自己批判をなしきり、部落大衆の革命的決起を組織化し共に革命党建設とプロレタリア解放―部落絶対解放をたたかいとるものとして、更には、三百万部落大衆をはじめとする被差別大衆に対する歴史的階級的自己批判を貫徹し、解放派を差別の廃絶・プロレタリア解放―被差別大衆の解放にむけてたたかい抜く革命党として鍛え上げていくものとして、全力をあげた推進に入ったのである。

 まさに、このような80年代に至る党的格闘の内実においてかちとられる共産主義労働者党建設とプロレタリア権力闘争の飛躍こそは、南朝鮮・イランを先頭として決起する全世界労働者人民のたたかいと連帯し、一つの世界革命として結合をかちとってゆく最前衛のたたかいであり、プロレタリアート・被差別大衆・全人民の革命的前衛として世界史的意義をもった党建設のたたかいであること、このような党こそがパリコミューンー17年ロシア革命以降、挫折せる世界革命を引き継ぎ、スターリニスト・社民を解体し、プロレタリアートの階級的独立―革命的階級形成を実現し、永続革命―世界革命を完遂してゆく共産主義労働者党建設の道であることを我々は確信してやまない。


C まさに、この課題に応えられぬ一切の中間諸潮流・党派の没落と解体は不可避なのであり、わが解放派といえども決して例外ではありえないのである。

 わが解放派の内部から生み出された反内部糾弾闘争を旗印とする差別主義・清算主義・分裂主義こそは、この歴史的試練―飛躍から脱落し逃亡しようとする部分に他ならない。

 ましてや、脱落・逃亡するのみならず、営々たる14年にわたる反対同盟との団結をもって築合あげた拠点=三里塚における闘争破壊、組織破壊をはじめとした解放派20年の地平の破壊を絶対許すことはできない。

 日帝鈴木が、日米安保の強化・改憲・核武装へ突撃し、又、差別主義・排外主義煽動を通した天皇を頂点とした帝国主義的国民統合を推進し、革命の先制的封殺の為に「解放派壊滅」にふみこむ中で、解放派の試練に飛躍をもってこたえ、権力の反革命題圧・革マルの白色テロに対決して前進してゆくことは前提的に共有されるべきものでなければならないはずである。

 にもかかわらず、反内部糾弾闘争を旗印とする差別主義・清算主義・分裂主義者たちはこの大前提をもふみにじり、自己解体しつつ今日に至っているのである。

 革労協に結集するすべての同志諸君!
 革労協総務委員会の旗を堅持し革命的中央部の下、共に闘わん!


(1)我々の原則的態度
 革労協に結集する同志諸君!

 解放派20年の苦闘の歴史を継承し、革労協中央部の旗の下、国際反革命戦争とファシズムヘの突撃と、それにむけての反革命国民統合を既成野党再編・労働戦線の帝国主義的再編と過激派壊滅に対決し、世界革命の勝利を実現すべき80年代を切り拓くべき我々は現革労協中央の現状に際して以下の見解・態度を表明する。

 78年10月、わが潮流より発生した目上委差別事件を契機として、解放同盟の糾弾をうけとめ、それのみならず、革命的部落解放運動10年の蓄積をうけとめ、革労協の一大飛躍をかけて革命的自己批判を立てきり、この2年間内部糾弾闘争を全党一丸となって推進すべく努力してきた。

 それは「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である」ことを原則としてきたわが解放派が、何故かかる差別事件を発生させたのかを明らかにし、革命党としての立脚点を問い直すことが世界革命の勝利へむけた革命党建設にとり不可欠であると考えた故にである。

(2)革労協中央における脱落逃亡分子の発生

 しかるに、我々は痛苦なおもいで次のことを明らかにしなければならない。

 社青同中央内の一部諸君は、この内部糾弾闘争の革命的・世界史的意義に背をむけ敵対し、「反内糾集大成文書」を反組織的に配布し、以降陰謀的に全国社青同及びプロレタリア統一戦線潮流諸組織の破壊活動を行ってきた。

 その行きつく果てに日本階級闘争の拠点=三里塚で、9・15に示される解放派の三里塚闘争の地平・部落解放戦線・「障害者」解放戦線の地平を結実させた労農水「障」学共闘の連帯組織たる木の根共闘の分裂策動を公然と行ったのである。

 それのみならず、この社青同中央の一部の諸君の策動に滝口君らの革労協中央の一部は公然と呼応した行動をとったのである。

(3)滝口君らの腐敗と脱落

 とりわけ、滝口君は9・14―15三里塚闘争を直前にして、中央機関の何ら事前事後の討議を行なわず、「議長行動」なる差別主義・清算主義・分裂主義グループの「代表」としての私的行動に奔走したことは極めて重大である。

 「議長行動」なるものはそのごう慢な態度の中にその本質が鮮明に示されている。

 それはたたかいの総括と自己対象化なき態度であり、現実の階級闘争の苦闘とその成果にとり全く無縁であり、敵対物でさえあり、観念界に浮遊する思い上りの解釈学にふける自己絶対化・党組織の私物化を露呈させているのだ。

 事前・事後の中央機関の討論・報告がない「議長行動」なるものはその最たるものである。中央機関の上に個人が君臨するなどということは組織を利用視する反階級的宗派的態度そのものであり、プロレタリア的組織原則に180度背反するものである。

 諸個人の思想的・政治的本質は現実にさしせまった火急の判断と行動に直面したときに、凝縮して無意識のうちに具体的態度となって明らかになるものなのだ。

 一方において個人の私的行動をもって独善的に判断して、革命党の指導責任を自ら放棄し、革労協の党的統一機能を解体することを強要する。そして、他方では、木の根共闘を構成する大衆組織間で"共同行動"(統一行動でないところに秘密がある)の話し合いがつけばよいと願望することは、政治組織員として階級的統一のためにたたかい抜いてきた革労協・社青同の同志を各大衆組織ごとに分断し・ふみにじり、分裂策動を固定化させるものである。

 それのみならず、解放派の路線を信頼し共にたたかってきた大衆組織の構成員の人々をもまたふみにじることなのである。

 自己のみが唯一「政治行動」をできるなどと思う自己絶対の独善的反プロレタリア的態度は我々のみならず、すべてのたたかう労働者人民に決してうけいれられることはないのだ。

 我々は、彼を固定してきた我々白身の厳しい自己批判と検証を歴史的諸事実の中に貫ぬかれたその思想的根拠を解明し批判し尽し、なしてゆくものである。

(4)滝口君ら脱落グループに対する最後の通告

 脱落グループの諸君は10・21国際反戦闘争、10・31狭山闘争、12・7三里塚現地闘争という重大な闘争から完全に逃亡し組織破壊―分裂活動に熱中している。

 「個々の思想家は社会的対立を批判しつつ、労働者大衆が実践的にのみ把握し、普及させかつ採用しなければならぬ問題の空想的解決を与える。かような祭司によって形成された宗派は、それ自身の性質によって政治闘争を回避する。彼らはあらゆる現実的活動に対して無縁であり、政治、ストライキ、団結、一言にすれば全体としてすべての運動に無縁である」
(マルクス)

 以上のような姿を急速にあらわにしてきていることを、我々は危惧する。

 我々は諸君達の総逃亡の中で中央機関会議を開催し、次のことを決定した。

 我々は革労協中央部の活動を責任をもって貫徹してきたが、しかしながら滝口君らの逃亡による任務放棄を無限に放置することは原則に反すると考え、次のことを滝口君らに通告するものである。

 @9・15以降の分裂策動と中央部活動の放棄を自己批判し、中央機関会議に参加せよ!
 A中央機関会議においては、内部糾弾闘争の地平に関する総括を行い、新たな飛躍を期すこと、及び、2・11敗北の正面突破をたてきり、新たな非合法党建設をかちとる。
 G以上の通告に対する回答を××月××日に行われたい。

 我々はあくまで諸君が脱落・逃亡を全面的に自己批判し、復帰することを切願するものである。  我々は諸君の回答を通して政治的組織的な原則的態度を最終的に判断するであろう。〈以上〉

 この最後の通告に対して脱落グループは回答を寄せることもできず、自ら党内思想闘争の一つも組織できず、最後的に脱落していったことをつけくわえておく。
 = 関 連 資 料 =
 1980年8月社青同声明
 1981年6月革労協・社青同声明(「党内」闘争宣言)