戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
反戦全学連三里塚現地行動隊
菱田反対同盟鈴木謙太郎さんが、1月7日午前10時過ぎ、脳梗塞で急逝された。享年57歳。謙太郎さんは、父である故鈴木幸司さんの闘いを引き継ぎ、騒音直下の菱田の地で、家族ぐるみで闘いぬいてこられた。
成田用水攻撃のただ中で、「用水」賛成に回った脱落派が農業そのものから次々と撤退していく中で、謙太郎さんが先頭で自主暗渠をおこない、田んぼを維持し続けてきた。日々の営農と生活の過程そのものが、〈「用地」内と共に闘う〉格闘の連続に他ならなかった。叩き出し攻撃と対決し、菱田で一軒となっても反対同盟の旗を守りぬいてこられた。有機・完全無農薬の産直運動に誇りを持って取り組み、実力闘争の現場ではいつも反対同盟の最先頭に立っておられた。2012年年頭決意では“農地死守の原則を守りながら市東さんと共に最後まで闘う”と、市東さん農地強奪阻止決戦の最先頭で闘う決意を表明されていた。
デモの現場で、実力闘争の現場で、誰も制止できない突進する謙太郎さんの迫力はいつも機動隊・私服刑事を圧倒し、震え上がらせた。昨年5・20、現闘本部破壊判決に対する闘いで家族と共に初逮捕された時には、脱落・転向強要の攻撃を完黙闘争で粉砕し、笑顔で奪還された。
木元グループが発生した一九九九年暮れをはじめ、何回も福日労の越冬闘争に参加された。三里塚現地に集中する福日労の仲間との連帯・交流を積み重ねてきた。5・13―2・17組対法弾圧に怒りを燃やし、獄中戦士防衛・奪還の闘いをわれわれと共に闘いぬいた。獄中の仲間たちにいつも思いを寄せてくださった。昨年から本年にかけての福日労越年越冬団結祭りへの結集が、闘争現場での謙太郎さんの最後の勇姿となった。
「気は優しくて力持ち」という言葉がそのまま当てはまるような謙太郎さんは、誰からも愛された。裁判闘争をはじめさまざまな集会現場での名司会ぶりはいまだ記憶に新しい。反対同盟野球大会ではいつも同盟チームのキャプテンを務めた。歌のうまさは圧倒的で、花見や忘年会のカラオケでも謙太郎さんがマイクを握ることを誰もが期待した。その一方で敵に対しては鬼となり、畑や買い物まで執拗につけ回す私服刑事や機動隊に対してはすさまじい怒りを叩きつけた。
われわれは、耐え難い無念と悲しみを抱えつつ、断固として市東さん農地強奪阻止決戦に起ちあがる。それこそが、謙太郎さんの無念をはらし、われわれへの長年の語り尽くせぬ友誼に応える道だ。謙太郎さんの決戦への決意を胸にきざみ、謙太郎さんの分も闘いぬく。謙太郎さん!見ていてください。 反対同盟と共に、空港廃港まで闘いぬくことを改めて誓い、追悼とする。
2012年1月10日