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全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

福岡東署45号同志の手紙から─獄中者虐殺、「障害者」「病者」虐殺攻撃をゆるさない

2012年5月

 以下は東署45号同志が2011年5月に獄中から発信した手紙を、編集し手直しした文章です。全国のどの監獄においても、長年にわたって獄中者虐待・虐殺が行われてきました。そのなかでも「障害」や「病」をもつ者に対しては、特に集中的・差別的な攻撃が行われています。この文章は、福岡拘置所当局が「障害者」に対して「保護房」などで実際に行った虐殺的攻撃を暴露することを目的に書かれました。それは、当の虐待をうけていた「障害者」自身が「もしも自分がここ(「保護房」)でどうにかなったら(「殺されたりしたら」ということ)、このことを外に知らせてください」と発した訴えに応えたものでもあります。
 そして、今まさに、監獄で当局者が獄中者を殺しても当然視するどころか賞揚するような戦時監獄支配への転換がはかられようとしています。これは、恐慌下で高揚していく労働者人民の闘いに対応したファシズム的改編の一環です。「アカ」(闘う労働者人民や共産主義者のこと)を殺したり転向させることができる監獄にするための改編です。これを打ち砕き監獄での労働者人民虐殺攻撃を粉砕し、監獄支配を打ち破っていくことは全ての労働者人民にとって必須のことだと考えます。
 獄中者を獄外と分断し孤立化させた中で殺そうとすることを粉砕しよう。獄中者を殺すために作られた「保護房」を解体し、監獄解体―獄中解放を勝ちとっていこう。多くの労働者人民の注目(闘い)こそが中の獄中者への虐殺をさせない(できない)力になっています。読者一人ひとりが、監獄での獄殺攻撃との攻防に目的意識的に注目し、参加していくことを訴えます。一人の虐殺も許すな! 〈三里塚・組対法〉決戦への結集を!(編集部)


 2011年5月21日朝、起床後すぐ、点検前にシュプレヒコール決起しました。2年前の5月21日に「保護室3号室」で、馬のりなど、しばらく動けなくなるようなテロを私がうけたことへの弾劾・報復の闘いです(2010年は連続点検拒否をバツ〔※「懲罰」〕になるまでやり続けたのと、近くの「病者」が10日間「保護室」に入れられたことへの弾劾・奪還要求をあわせてのシュプレヒコールを5/24にやった)。5/21(土)朝決起で3泊4日で5/24(火)14:15ごろ解除〔※一般房に戻される〕。ハンスト11食(「保護室」にいる間だけ)。しかし、今回は、そういうことではじめたのですが、「保護室」での、「パニック障害」の「障害者」(「病者」?)に対する差別虐殺攻撃に直面し、それへの闘いに全力で闘うことになりました。今も書きながら怒りがわいてきます。

暴行テロ弾劾・報復のシュプレヒコール決起

 この手紙は、時間の経過に沿って書いていきましょう。
 5/21(土)朝決起。対当局の行動ですが、きいてる獄中者にも何をやっているのかわかりやすくなるように、「すべての獄中者の皆さん、、。2年前の今日、今ごろ、私は『ホゴボー』で動けなくなるほどの暴行をうけました。同じような暴行をうけた仲間や、『強制給食』といった、死んでもおかしくないような拷問をうけた仲間もいます。拷問、虐待、殺しは全国の監獄で行われてきました。名古屋刑をはじめとして…多数の獄中者が「事故」や「病死」などのデッチあげた理由をつけられて、殺されたことを隠されていることもあります。これを打ち破っていくのは、ただ獄中者をはじめとした団結と闘いのみです。暴行・テロを粉砕しよう。『ホゴボー』を解体しよう。監獄を解体しよう…」とアジってからシュプレヒコール開始。点検のために来ていた看守はすぐさま居房に来たけど、部隊の結集は遅く、さらに扉の鍵を皆、持ってないらしく、ひたすらあわない鍵をガチャガチャやっているだけで、10分以上はできました。お茶を飲んで数十秒休息したりもしました。途中から、徳島刑の集団決起に関するアジテーションもしました。獄中者の反応ですが、C棟在住のよく知ってる(笑)獄中者の「ヨシ!ヨシ!」という相の手があり、それはうれしかったですが、さらに知らない複数の獄中者からも「ヨシ!」という声や、何て言ったが忘れてしまったが(すみません)激励の声もありました。「おまえ、うるせーよ」という声も1回あった。やりがいのある闘いでした。
 で、そうしてるうちに扉があき、2人の看守に脇からかかえられ、さらに後ろからもう1人に口を直に手でおさえられ、フゴフゴと何も言えなくなる状態でまわりを多数の看守に囲まれて「保護室」へと運ばれました、「保護室」が3つならんでいるうちの、1番南、2年前の5/21にテロられた時と同じ「保護室3室」へと叩きこまれました。で、すぐ奥の壁に両手をつく形で押さえられ検身。で、「座れ、座れ」と座らせようと体重をかけてくるのですが拒否、粉砕。そして、看守たちは素早く扉から出ていく。すぐ朝飯だったがハンストで、房に入れさせず拒否。お茶のポットのみいれる。

「苦しくてたまらない気持ちになるのは、福拘に来るまでは一回もなかった」

 で、ここからです。「保護室1室」に、本人言うところの「パニック障害」の獄中者が叩きこまれていました。その人は、時おり、「オヤジーっオヤジーっ〔※看守は獄中者に自分のことをこのように呼ばせる〕」と叫び、看守がきたら「死にたい、殺してくれ」と言うこともありました。5/21(土)に、私は彼に2回ほど話をしようと呼びかけたのですが、その時は、かなり苦しかったらしく、コミュニケーションがとれたのは、5/22(日)から。話してみると、彼はハンストをしている私のことを気づかってくれるような、優しく、物腰も柔らかい、丁寧なしゃべり方をする人でした。ここではAさんとしておきます。

 そのAさんは少し前まで大分刑で受刑中で、最近、余罪逮捕・起訴された。1ヶ月前に福拘に移監してきた。残刑2年ぐらい。19歳の頃、「パニック障害」を"発症"したそうですが、外ではずっと薬があっていて、「何の問題もなかった」。大分刑でも、処方された薬はちょっとききめが弱いこともあったが、それなりにあっていたので雑居で他の獄中者とともに生活していた。「トラブル」になるようなことは全くなかった。「大声」を出すことや「自殺」的なことをすることも全くなかった。逮捕された後の筑紫野署で処方された薬は大変よくきいた。
 しかし、福拘に来て、医者(博多78さんのMRI検査等の要求を拒否ったヤツ!)が言うには「ここには薬はこれしかない」とのことで、トランキライザーが出された。これがまったくきかない。当局にそれを訴えると、「そのうち診科内科の医師が来るから、その時にみてもらえ」と言われた。(そしてAさんはおそらく思いつめて余裕がないので、願箋での要求や面接とかもしてなかったというので、私からは「保護室」から出たらそれらをするように進言した)。処方箋はAさんの手許にはないが、存在するのに、福拘当局は処方しないのです!
 それでAさんはとても苦しくなり、自分の過去の行ないを後悔して「自分なんて死ねばいいんだ」とか思うようになったり、「もう自分の人生にはいいことなんかないんだ、お先真っ暗だ」と絶望し、大声を出して看守に「苦しいからどうにかしてください」とか「もう死にたいんです。どうやったら死ねるんですか、殺してください」と訴えたり、実際にタオルで首をしめたりするようになった。このような気持ちになったり、行為をすることは福拘に来るまでは一回もなかった。福拘に来てこの1ヵ月、苦しくてたまらない、全然眠れない(「1ヵ月間、毎日、平均睡眠時間が1時間ほど」とも言う。私は「ホントかよ!? 人間はそれで生きていけるのか!?」とか思ってしまったが、本人が訴えているので断固として、それを信じることにします。実際、Aさんは深夜にもけっこう大声を出していて寝ていなかったようです)。それで、この1ヵ月間で少なくとも3〜4回は「保護室」に入れられている。1週間もいれられたこともある。

 「大声」を出し、ということにされて「保護房」に叩き込まれていますが、実際は、助けを求めたのをそうされたのでしょう。

Aさんが今回、出るまで、私も出ずにハンストも続けて闘ったるわ!

 この事態は、明らかに福拘当局が、Aさんにあう薬を処方すればすむだけの話です。その当局が、(何ら事情も知ってなさそーなヤツも含めて)Aさんに「そんなんだったら〔※タオルで首をしめるなら〕、〔※居房の〕荷物、全部引きあげるぞ!」とか「大声出すな、黙れ、いつまでも出れんぞ!」「自殺とかしとると保護室から出れんぞ!」(←おまえらが合う薬を用意しなかったり、「保護室」に叩きこむのが原因だ! 差別・虐殺者どもが!!)と恫喝したり、「たのむから大声を出すのはやめてくれ!」(まさに本人への責任の押しつけ!!)と「説得」したり、「死にたい、とか思うな。人はせいいっぱい生きていかないと」云々と長いご高説をたれたりしていた!! 「パニック障害」と監獄の抑圧が原因で苦しんでいる人に対して!! もう、怒り怒り怒りです。私は、看守のこれらの暴言に対して弾劾しまくりました。それに対して警備隊の連中をはじめ看守らが、私に言ってきたのが「うるさい」「他人のことなどどーでもよかろーが、ともかく口だすな」でした。これも徹底弾劾しました。Aさんが今回、出るまで、私も出ずにハンストも続けて闘ったるわ!と思いました。

「パンツで首をしめた」ということで服を全部とられて、すっぽんぽんでした。

 これがわかったのは5/22(日)になってからですが、Aさんは5/21(土)の段階で「パンツで首をしめた」ということで服を全部とられて、すっぽんぽんでした。彼曰く「カメラでずっと見られてとても嫌です」とのこと。そもそも自分の両手でタオルやパンツで首をしめて本当に死ねるのでしょうか? 私も今回、抗議の意志も含めて、天井カメラにむけて自分の首に服をまいて両手で引っぱってみましたが、ある程度引っぱって苦しくなったら力がぬけるので、このやり方では死ねないと思います。当局の過剰な反応=弾圧です。Aさんがやると、「保護房」の天井についているカメラを見ていた当局がすっとんできました。

 また、薬(投薬)、獄中医療についてですが、これは監獄当局が獄中者支配のために行うものです。獄中者の闘いをおさえるために一定の治療・投薬はするが、わざと発症するかのような、また動けなくなるような薬を(大量に)飲ませる。「保護室」に叩きこんで(わざと)悪化させる。「治療」という名の行為で直接的に殺す(「強制給食」もこれであろう)。医者に幻想を抱いても殺されるだけである。私の居房の近くにも外部医療などを求めて面接している人もけっこういたりします。

必死で呼びかけました

 Aさんは一日じゅう苦しんでいました。で、何かよくわかんないけど自傷行為的なことをしているので、私は「やめて、やめて」と呼びかけました(カメラみてる当局が飛んでくる)。で、彼は、私に「死にます」とか言ってくるのですが、「苦しい人に、生きようとかいっても辛いだけだろう」とは思いつつも、「死なないでください。オレは○○さんに生きててほしいです。お願いします」みたいな事しか言えませんでした。必死でしたが、どうしたらいいのかわからず途方に暮れました。夜もそんなかんじ。で、Aさんがちょっと落ちついて「話したらちょっと気がまぎれるから」ということで、少しの時間ですが、色々と話せる時があり、それで薬のことなど色々ききました。
 私からはなぜハンストをするのか、とか関連して名古屋刑や宮崎刑のことなど〔※全国獄中での暴行殺人や獄中者の暴動決起など〕も話しました。で、しばらくしゃべると、「ああっもう無理です」とAさんが休憩を求める(話す時も横になっていたことが多い)のですが、その後、またAさんが「殺してください」「もう死にます」と叫びだすことに対して、私は全く何もできませんでした。上記のような「オレは○○さんに死んでほしくないんです。せっかく会ったのに」云々という言葉も何にもならないだろうとは思ったが(ただし落ちついている時には、「ありがとう」と言ってもらった。私の方がうれしかった)、他にできることもないので、それを必死こいて言ったりもしたのだが、彼の行為はとめられませんでした。責任は監獄当局にあり、獄中者を分断支配しているのも当局なのですが。

「ここ(保護室)に入れるってことは『死ね』ってことですよね」「獄中者解放!」

 んで、彼の言ってた言葉が、「ここ(保護室)に入れるってことは『死ね』ってことですよね」と、いう言葉で、これは衝撃的でした。さらに「もしも自分がここでどうにかなったら(死んだら、ということ)、ニュースとかにして下さい」とも言われた。私は、「そんなことないようにしましょう!」とか言ったと思うが、獄殺攻撃を打ち砕きたい!!と、ほんま心底思いました。で、感動したのが会話している時に、彼が「苦しい〜」と叫びだした時に、「獄中者解放!」と一言、叫んだんです!! 私が「ええっ」とびっくりして、なんでそんな言葉を知っているのかをきくと、「いや、壁に『獄中者解放』と彫ってあるんですよ。それを読んだだけ」ということでしたが、とてもうれしかったですね。まさにAさんこその言葉です!

もう徹底弾劾です。絶対に許せません。

 Aさんが全裸にさせられたのは、おそらく5/20(金)からですが、5/23(月)朝まで(おそらく)そのままでした。で、この月曜の朝から警備隊が登場し、私はテロ・強制給食への弾劾などやっていたのですが、この朝にAさんが求めるので警備隊らがAさんに服をいれたのです。で、しばらくして、おそらくAさんがその服で首をしめはじめたのだと思われますが、カメラを見ていた者から指令をうけた隊員らが飛んできて、「首しめんな」「手錠、手錠」と、この時は「殺してくれ」と抵抗するAさんに服を無理矢理に着せた後に「手錠」(?)をしかけたのです。これに対して私は、猛烈に弾劾したのですが、、、!! で、隊員らが帰った後、しばらくたって、Aさんの房から「ガツン、ガツン」という大きな音が連続してきこえるのです!! 頭を房の固い部分にぶつけているのではないか!! 「○○さん、やめて、やめて、やめて下さい!!」と呼びかけましたが、「手錠」をかけられたあたりから、Aさんはかなり苦しくなっていたのか(?)、私の言葉にも返事を返してくれなくなりました。で、本当に「あっ」という間に看守らが(警備隊も)飛んできて、Aさんをなじりながら、おさえつけ、何かをつけていました。拘束具か? ヘッドギアみたいなものだろうか? ともかく、この時はAさんに対して大勢でおさえつけ何をやっているのかわからんので、私は「やべえ」とも思い、これもひたすら弾劾しました。看守とやりあいながらですが。ちょっと、何をしているのかつきとめるために耳もすました。そして15分くらいは時間をかけてた気もしますが、看守らは帰りました。そして、さらにしばらくして、看守、警備隊らがAさんの房にいきなり突入し、Aさんをおさえつけました。ヤツらの「何で、そんなことするのか!」「流血」とか声がした後、「あっ血は下くちびるから出てますよ」とかいう声がしたので、どうもAさんが何らかの流血があったようです(自傷行為か、暴行によるものか)。で、梅崎(警備隊員でテロ実行者)らの「口を開けろ」という声と、Aさんの「そんなんいれたらしゃべれなくなりますよ」「やめて下さい、やめて」「死にたい」とかいう声がきこえてきたので、何らかの器具(「舌がみ防止」の拘束具か?)をさしいれようとしていたと思われます。もう徹底弾劾しました。絶対に許せません。で、その後、私のわからないうちに、Aさんは隣のエリアの「保護室」(4〜5室)の方へと移動させられてしまったようです。何かAさんのいた房(1号室)から機械の「ブオオ…」という音がしたのですが、掃除機っぽい。で、数人の看守が1号室の床を掃除しているのです。Aさんはよほど流血したのか? 掃除も10分くらいしてました。

獄中者虐殺、「障害者」「病者」虐殺攻撃をまざまざと見せつけられた

 それでAさんとは離れ離れになってしまいましたが、まさに大阪拘置所の鈴木国男さんをはじめとする獄中者虐殺攻撃、「障害者」「病者」虐殺攻撃をまざまざと見せつけられた(実際は音できいたのがほとんどだが)気分です。ただ合う薬を処方すりゃあ、それですむ話なのにその人にとって必要なことは全くしないで、獄中者蔑視・差別のうえで虐殺を核心とした「医療」(という名の攻撃)をしかけたうえで、途方もない労力をかけて、「保護房」に叩きこみ、そこで拷問・虐殺を行っているのです。しかもヤツらの中には、「おさえつけて黙らせる」「保護房にいれる苦痛によって黙らせる」「おとなしくしたら出してやる」という態度・方針が核心にある。これが監獄だ、と思った。徹底報復・解体以外ありえません。その後も「○○さんを早く出せ!ちゃんと薬を処方しろ!テロ・拷問・虐待許さんぞ!報復するぞ!『障害者』虐殺攻撃許さんぞ!」と弾劾しながら闘い続けました。

 んで、4日め、5/24(火)14:15頃、「出るぞ」と10数人の看守(含警備隊)がやってきました。「Aさん、まだおるんやろ。Aさんが出るまで出らん」と叩きつけると、なんかヤツら困って「もう出した」と口をそろえて言ってくるんですね。「確かに出した」とか。私が「確かめさせろ」と言うと、「そうはさせれるか」とか言う。ここでしばらくなやんだのですが、出ることにしました。隣のエリアの「保護室」に人がいる時についているランプは一応消えていた(最近、ヤツらは中に人がいても消してることがあるが)。

 そして、5/25(水)未明にE棟方向から明らかにAさんの「オヤジィ、オヤジィ」という声が何回もきこえていた(この時、連行にはならなかったようである)ので、それはうれしかったですね。24日じゅうには出ていた、ということですね。福拘の獄中者、とりわけ「障害者」「病者」虐殺を許さず、闘い続けます。


…2011年5月に東署45号同志から寄せられた手紙の抜粋は以上です。今回出獄した同志との討論の中で、ホームページ掲載にあたっては以下の文章を補足として付け加えてほしいという要請を受けましたので、あわせて紹介します。

 私は獄中闘争の中でこのような「障害者」への差別虐殺的攻撃を知り、監獄解体―獄中者解放へむけた思いをさらに強くしています。私たちが支配階級・国家権力、あるいはファシストなどと闘う場合、このような支配階級と同じような闘い方をするわけにはいきません。例えば「東電幹部を監獄へぶちこめ」「公安を監獄へ」というような主張をする方々(あるいは党派)もおられます。しかし、ここまで書いてきたことでもわかるような反人民的かつ差別的な監獄を利用して支配階級と闘うかぎり、必ずスターリズム的に、ブルジョア支配と同質な内容をもって労働者人民を抑圧・支配してしまうことになるでしょう。そうではなく、「このような抑圧・支配そのものを無くしたい!」という衝動・欲求をもった労働者人民の闘い・結合こそが、新たな社会をつくっていく力になっていくと思います。ブルジョアに対してその権力をよこせ、と要求するのではなく、ブルジョア権力を打倒してそれとは区別された労働者階級・全人民の権力=コミューンをつくり出すということです。ブルジョア権力を打倒する闘いの内容とどのような新たな社会をめざすかという内容は統一的です。

 また、このようなことを、私は監獄で実際に当局と闘うことによって感じ取ってきました。「懲役の分際で」などと繰り返し獄中者差別をむきだしにし、恫喝(と懐柔)のみで支配しようとする看守。上下関係しか、看守にへつらう関係しか認めないような社会。気を失うほど胸を圧迫されるテロを行いせせら笑っている看守ども。「障害者」差別や女性差別の数々の言動。監獄で黙って唯々諾々していても「学ぶ」ものはあるとしても、しかし、闘う思想、解放を求める思想、展望する社会は闘いの中でつくっていくもの、あるいは検証されていくもの、不断に生み直されていくものであって、大切なことを「学ぶ」ことはできないと思います。私たちは日本左翼(の多く)が監獄を「革命の学校」と位置づけ、対監獄闘争を放棄してきた歴史を転換し、監獄から社会総体を変えていくような闘いをつくり出そうと奮闘してきました。(もちろん、実際に監獄で闘う場合は、そこでの健康破壊攻撃に対応し、各人のペースで闘っていけばよいと思いますが)。多くの労働者人民、学生への闘いへの決起を呼びかけます。

 さらに、労働者人民、学生のみなさんに訴える! このホームページの各所に刻まれているように、我々は国家権力や反革命が全力でしかけてきたテロと弾圧を真っ向から闘い、壊滅攻撃を粉砕してきました。労働者人民が団結して闘えば権力も資本も必ず倒せる。我々の闘いは、まったくもって未だ不十分なことばかりですが、しかしラディカル(根底的)に闘うことを追及しています。(労働者人民や党派がそれぞれ何にこだわっているのか、どういう思いなのか、そういうことは意識的に抹殺し、ただただ「過激派」キャンペーンを貼ることで何らかの打撃を与えれるとでも思っている輩は、すでに敗北の要因を死ぬほどもっている。そのことを労働者人民の闘いで教えてやろう)。この「ラディカル」とは、隷属・支配のありかた、あるいは差別のありかたに徹底的にこだわり、したがって資本制社会における労働者階級への隷属から全てを捉え返し、その粉砕にむけ徹底的に闘うということです。監獄においてもそういうことで、多くの獄中者への攻撃を問題にし、共に闘うため、団結を拡大するため闘ってきました。

 未だ、我々は、そして筆者自身不十分なことばかりですが、しかし、呻吟する労働者人民一人ひとりへの生き様、闘いに全力で関わり、応えていきたいと思っています。この社会で、すべてが資本家の秩序のもとに位置づけられていく社会のなかで、苦しむみなさん。学生のみなさん。この隷属・支配、差別を打ち砕いていくため、生き死にを共にし、闘おうではありませんか。全学連、そしてプロレタリア統一戦線はあなたの決起を待っています。

(福岡東署45号)

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