全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

10・22‐23‐27免状弾圧を粉砕したぞ
08年5・13組対法弾圧の継続―組織破防法攻撃を粉砕!
恐慌―3・11情勢―ファシスト政府下の弾圧粉砕!

▼11月3日三同志を同時に奪還―勝利する

 10月22日、23日に「免状不実記載・同行使」をでっちあげられ不当逮捕された二同志の一回目の勾留満期日である11月3日、10月27日朝霞闘争時に逮捕された同志もふくめて3人全員が奪還された。勝利である。勝利という総括がふさわしいのはつぎの理由による。

 第一に、何よりも、3人は08年5・13組対法弾圧を粉砕したが、今回も弾圧を粉砕し、勝利したということである。同志たちは、4年から4年半におよぶ獄中闘争を完全黙秘―非転向で闘いぬき、ついに左翼への組対法初適用を粉砕し勝利した闘いを牽引した。12年の夏から秋にかけての奪還後、すなわち出獄後半月とか数ヵ月の時点での「免状不実記載・同行使」というウルトラなでっちあげである。同志たちは長期投獄からの出獄後まもなくという、息をも継がせぬ不当勾留の連続での転向強要攻撃を粉砕したのだ。

 第二に、12年奪還直後の「免状」弾圧自体許しがたいものであり、勾留も許しがたいことであるが、当然とはいえ起訴を粉砕し、10・27弾圧の同志に関しては、「10日間」勾留をつけながらも実際は逮捕から8日目で権力は釈放せざるをえなかったのだ。同志たちの徹底非妥協―転向攻撃粉砕の獄中実力闘争、獄外からの警察―検察弾劾行動や街頭情宣など、本弾圧が徹頭徹尾政治弾圧であることを暴露し、労働者人民の治安弾圧機関への怒りを組織した闘いの勝利である。検事への弁護士からの抗議、勾留決定に対する準抗告、勾留理由開示公判闘争など法的反撃もとことんやった。

 第三に、組対法弾圧の継続としての13年1・16「脅迫」弾圧につづき、今回の「免状」弾圧も「組対法弾圧の継続・延長」としてむかえ撃って勝利した。実際、権力は取調べでつぎのように息巻いた。

 「(今回の弾圧は)弾圧に決まっている。選別、狙いうちに決まっている。お前はまだわかっていない。こんなことはうちのヨメさんでもやっとる。革労協だから逮捕した。犯罪事実などどうでもいい。組対法弾圧だってただの詐欺だ。なんで拡大解釈するか、革労協だからだ」とあけすけに語った。この県警公安三課中野雄宇の放言は一つひとつ許しがたい。同時に、5・13組対法弾圧では当初から公安警察浦賢児が自ら「自分たちが組み立てた」とでっちあげを認めたが、これを追認したのである。中野は、「黙秘したら組織犯罪とみなす」とも放言している。そして、裁判での警察の敗北を開き直った放言と腹いせ的な取調べ内容であった。その攻撃が粉砕されたのである。

 第四の勝利は、「革労協だから弾圧した」ということに表われている権力が恐れる路線・思想・組織性・綱領性への攻撃に対して、同志たちは、そしてわれわれは勝利した。

 とりわけ暴力公安デカ楠浦は、中央署237番同志への憎悪をたぎらせながら「お前たちが暴力革命をめざす限り徹底的に取り締まる」「昨日お前から指紋をとったが、これから指紋の照合にはいる。お前はなにか隠していることはないか? なにか関わった事件があるんやないか?」「お前のDNAと指紋はこっちが持っている。犯罪を犯すときは気をつけろよ」「片岡の件は知っているか? 駐車場に一人で車をとりに行ったときに車と車の間でメッタ打ちにされたな。目ん玉が飛び出して歯がボロボロになるまで殴られてたな。片岡の件は殺人事件だからまだ時効になっていない。いっしょにやってたんやないか? 安部のときはハンマーではなくてぼんごし(編集部注 石頭つきハンマー)のようなもので叩いたようだな」「鉄パイプと包丁をもって何しに行くつもりだったんだ。いまはお前は法律に守られているが、これが逆だったらどうなる? 三里塚企画で俺にこうされたらただじゃすまされんだろう。殴る蹴るの暴行を受けるだろうな」「ここが日本で良かったな、他の国だったら銃殺されてるぞ」。

 ほかにも「バイクは危ないぞ。警察はあなたたちを見てますよ。ただし24時間は無理ですけどね」と木元グループと連携した白色テロを、官許の白色テロを転向強要の材料にした。しかし、これらの手口も同志たちの怒りをかきたてるばかりであった。

 楠浦ら公安が革労協と解放派の何に恐れているかをよくあらわしている。暴力革命路線であり、本格的権力闘争であり、極刑弾圧を恐れぬ革命的テロルを駆使した革命的党派闘争なのである。あるいは非公然・非合法の領域を堅持して闘う組織と勢力に対してである。しかし、同志たちは逆にそこを確信に闘いきった。今回の弾圧も権力は負けるべくして負けた。われわれはひきつづき、いや、ますます本格的権力闘争路線を階級的にうち鍛え、暴力革命に勝利する。憎むべき権力、その機関、その構成員に対する闘いを貫徹する。

 第五に、5・13組対法弾圧は「共産主義を標榜している革労協」への弾圧であったと同時に戦闘的「障害者」解放運動や戦闘的労働運動への弾圧であった。多くの介護者を奪い、地域で生きる「障害者」解放運動の拠点への攻撃であった。「無償で行う介護は『他人介護料』が支払われる対象ではない、だから詐取だ」として、警察―検察―太宰府市行政―裁判所はこぞって「詐取」を「共謀した」として同志たちを4年以上も獄に奪った。しかし、戦闘的「障害者」解放運動も戦闘的労働運動も、今回の弾圧に怒りをまして闘った。それどころか不当な弾圧への怒り、逮捕された同志たちの「取調べ拒否」をはじめとした果敢な反撃に、全国からの共感の声がまきおこり、逮捕がマスコミ報道されるまえに中央署への抗議がはいり、権力は対応に大わらわであった。

 11月1日午前にもたれた「勾留理由開示公判」では、一般の傍聴もふくめて席が埋まった。組対法攻撃と闘う会による福岡地裁前の情宣でも、警察への怒りの声が寄せられた。

 第六に、〈三里塚・組対法決戦〉のなかでの勝利である。中央署同志は、10・20三里塚現地闘争を先頭で闘い、翌21日福拘による「強制給食」に対する国賠裁判の原告本人尋問の闘いを終え、いざ三里塚へという帰路での福岡空港での逮捕であった。

 これまで「免状」弾圧は、多くがたとえば三里塚現地闘争の直前に逮捕され、現地闘争への結集を妨害するものであったりした。今回の弾圧は、逆に、現地闘争や国賠裁判のあとに強行された。弾圧に対して、三里塚現地ではただちに反撃の情宣が闘いとられた。同志は奪還後、日本階級闘争の最前線、三里塚に戻り復帰した。公安楠浦は、同志の5・13弾圧出獄後の三里塚決起が憎くてしかたがなく「成田左遷」などという言辞を吐いた。権力がわれわれの闘いに圧倒されるのはこれからだ。

 第七の勝利は、組対法元被告団の敵への怒りを倍加させたことだ。これまたほかならぬ公安中野は「いちばん悪い森田がなんでいままでどおり生活しているかわかるか。警察に協力したか、敵対したかの違いだ」とあけすけに語った。仲間を売り渡し、権力とともに組対法弾圧を「組み立てた」森田俊介を脅迫したとして、権力は本年1月16日に「脅迫罪」をでっちあげて一名を逮捕した。10・22―23―27「免状」弾圧は、この1・16「脅迫罪」弾圧の第三回公判を11月1日にはさんでの弾圧であった。

 結果、11・1公判闘争は、法廷内外を貫いて、また中央署、福岡県警本部、博多署での闘いと結びついて戦闘的に闘いぬかれた。一時的とはいえ、組対法弾圧を受けた7名の同志のうち4名が獄に奪われたのだ。組対法弾圧元被告同志たちを先頭に獄内外を貫く渾身の反撃戦が闘われた。この「免状」弾圧こそ、われわれの怒りに油を注いだ。敵への怒りは深い!

▼ファシスト首相安倍のもとでの弾圧の強化と獄中テロ

 日帝は未曾有の危機に陥っている。プロレタリア革命派、共産主義革命派の圧倒的チャンスであり、また飛躍のときである。今回の弾圧は、50年の節目をむかえた10・31狭山闘争や、ファシスト安倍を最高司令官とする自衛隊観閲式が埼玉県朝霞訓練場で10月27日に強行されるなかでの弾圧であった。また、直後の11月8日には、元福岡県警東署員で組対法弾圧時に中央署同志に暴行を加えた下手人中村俊夫への判決が出た。今後、官僚的軍事的統治機構のなかの突出分子がファシストとして前面へ出てくる。反革命戦争とファシズムの危機のなかで、われわれは弾圧諸機関への報復を意識的に立てなくてはならない。

 公安楠浦は「おまえが指紋採取を拒否したとき、全国の警察が『おおっ』となった」と5・13弾圧時の指紋採取拒否の闘いが全国の権力を震撼させた事実をもらした。そうして権力頂点からする意思のもと、今回も拒否した同志に対して、大会議室に連行したうえでマスク、帽子、特殊手袋で武装した十数名で採取を強行した。写真撮影にいたっては、数日後に楠浦が後ろから首をしめあげておこなった。勾留状には通常逮捕直後の手続きの写真が添付されるが、謄本が請求されることをあらかじめ想定して、あえて請求したのちに写真撮影日を延ばし、暴行の限りを尽くして写真撮影を強行したのだ。この写真には同志の首に楠浦が腕をまきつけた暴行現場が写っているのだ。実際に入手した勾留状謄本には、黙秘にもかかわらず、三人とも「被疑者写真」が添付されていないのだ。

 こうしてブルジョアマスコミですら「警察の焼け太り」と評価するほどの「捜査の見直し」の実態がますますファッショ化し、やがて階級と階級が暴力的に直接衝突する内戦情勢へといたるのであり、われわれはそういう革命情勢煮つまりを蜂起からとらえかえして目的意識的に闘うのである、喜々として、かつ緩みなく。

▼獄中テロル・転向強要を粉砕し攻勢的獄中闘争を貫徹

 獄中の同志たちは、留置場でも攻勢的に闘いぬいた。取調べを拒否して闘った同志に対しては、公安と留置係が一体となって同志を数人がかりで暴力的に房から引きずり出し、手錠を架けて無理やり車イスにしばりつけ、留置場の外に連行した。そこからは同志を車イスからひきはがし引きずりまわして警備課の取調室や検察庁にひっぱり出した。

 手錠のロックを意識的にかけないようにして、抵抗すると同志の手首が締めつけられる暴行を加えた。地検押送時には、わざと同志のシートベルトをはずさず身体を車外に引き出す暴行をはたらき、同志は左脇腹を負傷し、痛みが継続した。レントゲンと診察要求に対しては、「『氏名が不詳なのでカルテに書くことができない。よって診察はできない』と担当の医師が言った」などといって留置係は診察を拒否した。

 この暴力的な連行に対して、同志は取調室に入れられてからも取調べを拒否すべく、イスに座らず、床に寝そべって闘った。すると、公安は床に薬をまき「害虫駆除のために薬をまいた。気をつけろよ。駆除液がつくぞ、俺がやったんじゃないからな」とチンケな、しかし決して許せない行為をはたらいた。「床に寝そべってないでイスに座れ。座らないと被疑事実について聞けないじゃないか」と泣きを入れた。そうして腰縄をイスにくくりつけ締めあげたのだ。

 取調べの最初からの「取調べ拒否」という新たな闘いに対して、国家権力は暴力につぐ暴力によって同志を屈服させようとした。同志はこの攻撃に対しても徹底的に闘いを貫徹したのだ。

▼権力による白色テロ誘導

 福岡県警と反革命木元グループとの一体ぶりは、警視庁公安すら語るほど度しがたいものである。今回も県警は10月23日早朝家宅捜査を強行するさいに、ブルジョアマスコミをひき連れてきて報道させた。マスコミは「不実」とした住所地と「拠点」とした住所地の両方を報じ、木元グループによる白色テロを誘導した。99年7・2荻野同志虐殺、11・14森田同志虐殺から14年、いまだ木元グループ根絶ならず、この怒りと悔しさを何がなんでも木元グループにたたきつけなくてはならない。五同志虐殺報復―木元グループ根絶戦のなかで、綱領・路線を鍛えあげなおし、対革マル戦、対ファシスト戦の革命的飛躍をかちとっていくのだ。

▼不当な差し入れ妨害

 今回の弾圧で判明したことに、中央署と博多署の突出した差し入れ妨害がある。これまでも、また今回も県警本部では認められた差し入れ物が、物によって中央署と博多署では認めようとしなかったのだ。彼らは「警察による逮捕によって係留中の者に対しては、初回の差し入れでは最低限の衣服と洗面用具等である」というのだ。抗議―弾劾をつくして、翌日、ノート、郵便書簡、切手、便せん、本等を差し入れに行くも、「検察庁による勾留が決定される前の段階では、二回目の差し入れは受け付けない」と前日とは違う説明で受けつけようとしない。

 これだと一度目の差し入れが不十分な物しか用意できない場合、急な逮捕の場合は(むしろ不十分な場合のほうが多いだろう)、被疑者はたいへん困ることになる。実際今回、現金を差し入れて十分な金を確保しようとしたが「二回目は受けつけない」と居直った。帰る交通費すら確保できない状態を同志は強いられた。

▼11・1勾留理由開示公判を闘う

 午後から1・16「脅迫罪」弾圧公判闘争の予定される11月1日、午前十時から県警本部同志、11時から中央署同志に対する勾留理由開示公判が闘いとられた。早朝から地裁前でまかれた組対法攻撃と闘う会のビラは、いつにもまして受け取りがよい。

 それぞれの裁判で、「被疑事実」の「住所」とはどういう定義か、「自己の住所」の判断基準は何か、「自己の住所でない」とした基準を示せ、と求釈明事項がたたきつけられた。しかし、勾留裁判官林直弘はこの裁判から逃亡し、それにかわって登場した福岡地裁岡本康博は「一件記録を見て明らか」と例の司法官僚どもが教えたとおりの決まり文句をくり返すだけ。「罪証隠滅のおそれ」や「逃亡のおそれ」などはなっから存在しないことを追及しても、「回答の要なし」とくり返す。このような許しがたい対応が、県警本部同志にも、中央署同志にもくり返された。

 同志たちは、それぞれ断固たる意見陳述をおこなった。

 県警本部同志は、取調べ公安中野の放言や「障害者」差別発言を暴露弾劾した。中央署同志は、取調べ拒否の闘いと報復的な暴行・拷問を暴露・弾劾した。

 裁判では裁判官岡本の暴力的訴訟指揮がめだった。とりわけ、開廷と同時に「帽子、サングラス、マスク、フード等の着用は認めません」と言った直後、何の注意や警告もなくいきなり「退廷」を強行した。そのうえ、開示公判まで「車イス二台制限」という傍聴規制を強行したのだ。

▼関東でも「免状」弾圧弾劾行動―情宣を闘う

 10月27日、「免状」弾圧直後に闘われた朝霞自衛隊観閲式粉砕闘争現場での「免状」弾圧弾劾のビラ情宣につづいて、関東での反撃戦が闘われた。

 福岡で開示公判が闘われている11月1日、組対法攻撃と闘う会・関東の仲間たちは、霞ヶ関に登場し、福岡「免状」でっちあげ弾圧の弾劾闘争を闘いぬいた。まず警察庁前でマイクを使った弾劾のシュプレヒコールをたたきつける。

 「福岡での免状弾圧弾劾、三名へのでっちあげ弾圧弾劾、組対法弾圧の継続を許さないぞ、獄中テロ弾劾、強制給食を許さないぞ、獄中の仲間と連帯して闘うぞ、公安警察解体、すべての弾圧機構を解体するぞ、秘密保護法上程弾劾、組対法を粉砕するぞ」と弾劾する。

 警察庁前には警視庁公安二課の私服どもが道路の反対側裁判所前で情宣活動中の人たちの動静をうかがっていた。仲間たちが登場すると早速、警視庁に連絡したらしく、警視庁方向から公安一課の私服どもがやってくる。警察庁弾劾行動を写真撮影しながら妨害を図るが、それを一蹴して、警察庁弾劾行動を貫徹した

 その後、裁判所前に移動して情宣活動をおこなう。裁判所に出入りする人々に、福岡での「免状」でっちあげ弾圧を許さず、ともに反撃しようと訴えた。多くの人がビラを受け取り、熱心に読んでいた。

 当日の福岡地裁で闘われた勾留理由開示公判闘争に連帯し、獄中での非妥協の闘いに結びつき、関東の地でもともに反撃戦を闘いぬいた。

▼「還付品を返す」という黙秘潰しの攻撃を粉砕

 今回も権力は釈放時に「押収した物を返す」と称して、同志たちがあずかり知らぬ物を返そうとした。そして署名、捺印を求めてきた。どこで、いつ、だれから押収したかどうかわからないものを、立会人以外の者に還付しようとすること自体が攻撃である。同志たちはことごとく抗議して、受け取りを拒否して闘った。

 今回の弾圧に対して、最初からの「取調べ拒否」という闘いが闘われた。3・11以降、怒れる労働者人民の闘いのなかから編み出された「取調べ拒否」という新しい闘いに、同志は自らの組対法弾圧粉砕決戦で培った力を合流させ、実戦した。それは激しいテロルとの攻防となった。われわれはこの闘いを共有化し教訓化し、必ずや日本階級闘争が弾圧の局面において敗北してきた歴史を突破する。その闘いをわれわれの闘いに注目し、共感する人々とともに闘いぬく。全国、全世界の闘いと結びつき必ずや権力を打倒し勝利しよう。

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