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5月20日、満を持した福岡県警―中央署・県警本部への徹底弾劾行動が闘われた。
公安警察解体!反弾圧・反警察運動(以下反・反運動と略す)の仲間たちは、昨年10月に福岡県警がでっちあげた「免状不実記載」弾圧(以下「免状」弾圧)時、「取調べ拒否」を闘う全学連の同志に対して、福岡県警総ぐるみで強行した取調室への暴力的連行と監禁に対して、全国の救援諸団体、弁護士、学者らに抗議署名をよびかけた。一ヵ月あまりで57氏、13団体の抗議署名が寄せられた。
5月20日、福岡県警のこの暴挙に対する全国の怒れる諸氏の抗議申入書を携え、被弾圧当該である元中央署237号同志と反・反運動の仲間を先頭に中央署と福岡県警本部を直撃する弾劾行動がうちぬかれた。
昨年10月福岡県警が強行した「免状」弾圧は、非転向で出獄した組対法被弾圧同志を狙い撃ちにした組対法攻撃の延長であった。4年から4年半の獄中闘争を闘いぬき出獄した直後、奪われてきた生活諸条件を奪い返していく一環でもある免許証の再交付や更新に際して、「虚偽の住所を申請した」とでっちあげ、3名の同志を不当逮捕したのだ。もっとも長い獄闘を経て、強制給食国賠の原告としても闘う同志(元中央署237号)にいたっては、すでに住所変更を終えているにもかかわらず、「出獄直後の手続きが問題だった」とことさらに難癖をつけ、国賠で福岡地裁に出廷して帰途に着いた福岡空港で不当逮捕しさったのだ。
公安3課中野雄宇は「弾圧だと? 弾圧に決まっとろーが。選別、狙い撃ちに決まっとろーが。お前はまだわかっとらん。こんなことはうちのヨメさんでもやっとる」「『被疑者は革労協の構成員であるが』と書いとろーが。これがすべて。犯罪事実なんてどげんでもよかと。革労協だから逮捕した。組対法弾圧だってただの詐欺だ。なんで拡大解釈するか。革労協だからだ」とその本音を隠すこともしていない。
権力の簡便な弾圧の常套手段である「免状」弾圧の横行を許してはならない。
同志は不当きわまる弾圧に腹の底から怒りを燃やし、また反原発闘争などで不当逮捕された人たちが切りひらいてきた「取調べ拒否の闘いに続こう」という思いで、不当逮捕翌日の取調べ初日「取調べ拒否」を留置係に宣言した。この宣言に対して、中央署は「捜査官が『出してくれ』ということだ」といって留置管理課警察官が7、8人がかりで房になだれこみ、同志を車椅子にしばりつけ手錠をして留置場外の警察官にひき渡した。そして公安3課楠浦くにひこを先頭にした公安刑事らが、車椅子から引きおろして、手錠をつかみ、捕縄をひきずりまわして暴力的に取調室まで同志を連行したのだ。わざとロックをはずした手錠がぐいぐいと同志の手首を締めつけた。衣服は裂かれた。
この暴力的連行にますます怒りを燃やした同志が、取調室内でも取調べを拒否して実力で退出しようとすることに対して楠浦は、捕縄を机に結束した。同志が床に座りこむと今度は椅子と机の脚をしばりつけ、さらに捕縄のあそびをなくして椅子にがっちりとしばりつけた。同志が息苦しさのあまり椅子を折りたたむようにすると楠浦がむりやり椅子を戻すという、徹頭徹尾暴力の限りを尽くしたのだ。さらに「何が『ふーふー』だ。屁タレが」「日に日に衰弱していくのお」「きついか。きついか。苦しいか。がんばれ」と楽しみながら嘲笑し、「バカ(ママ)」「アホ(ママ)」「屁タレ」と差別的罵倒を集中した。この「取調べ拒否」の闘いに対する攻防は、同志が出獄する瞬間まで12日間にわたった。
さらに勾留期間中盤にいたって全員マスク、なかには特殊部隊用手袋で武装した者をふくむ公安デカ10数名が楠浦を先頭に同志の首を締めあげ、両手首をひねりあげて写真撮影と指紋採取を強行した。そして楠浦は勝ち誇ったように「お前のDNAと指紋はこっちが持っている。犯罪を犯すときは気をつけろよ」と指紋などの生体個人情報の強奪が予防反革命であることをあけすけにしたのだ。勾留状からは、楠浦によって首を締めあげれらた被疑者写真は除かれている。そのうえ治療妨害、差し入れ妨害とありとあらゆる手段をもって同志の徹底非妥協の闘いに襲いかかったのだ。こうして同志が合流した「取調べ拒否」という新たな闘いをなんとしても潰そうとしたのだ。
いままで「取調べ拒否」宣言者が暴力的にひき出された例はほとんどない。2008年以降組対法攻撃に対して果敢に闘いぬき、組対法適用を粉砕し、福岡拘置所獄中者の圧倒的な共感と闘いをひき出し出獄した同志が、さらなる弾圧に対してもそれを凌駕する戦意と実戦で対峙したとき、権力の総力をあげたテロルが襲った。この攻撃に対してほとんど獄中同志ひとりに対峙させてしまった総括をかけて、獄外はこの必死の闘いに呼応し、文字どおり獄内外で弾圧と闘う実践を形成しようとしてきた。反・反運動がよびかけた署名集めから5月20日にいたる闘いは、孤軍奮闘してきた同志にこたえ、さらなる反弾圧闘争の飛躍をともに切りひらくべく総括をこめた闘いとして、ともに展開していった。
5月20日、まず被弾圧当該同志と署名を託された反・反運動の仲間が中央署を訪れ、署長との面会を要求する。中央署は、右往左往しながら1時間も待たせた。しびれをきらせて何度も抗議すると、ようやく対応に出たのは「総務2課長宮原」である。「相談室」内に入ることを拒否し、ロビーで対応するうち、のらりくらりしながらも「抗議書は受け取らない」と口走る。
らちがあかない。その場で反・反運動の仲間が抗議書を読みあげる。暴行の一つひとつをあげ徹底弾劾する。もとより「取調べ受忍義務」などないこと、これを認めれば訴追側と対等の地位を認める当事者主義の訴訟構造に根本的に反し黙秘権を実質的に侵害すること、本来「取調べ」目的の逮捕・勾留は認められておらず、ましてや本件のような暴力的連行や暴力的監禁が認められるべくもないこと、などをあげ、「厳重に抗議し、責任者、関与者らの謝罪を求める」という内容だ。
妨害をはねのけ、読みあげた抗議書をたたきつけ玄関から出ようとすると、宮原が「うけとれません」と追いかけ、当該同志の背中のリュックのチャックをあけてむりやり押しこもうとするではないか。「ふざけるな」とつきかえす。
署外で待っていた仲間たちと合流すると同時に、あわてた中央署公安どもが出てきた。公安どもはこれまでこそこそと隠れてこちらの様子をうかがっていたのだ。部隊が中央署の前に布陣して徹底弾劾のシュプレヒコールをあびせると、女警官がビデオをまわし、連中は「やめろ」とわめきだした。この公安どものなかには拷問の下手人がおり、部隊は徹底弾劾した。そしてなんと、57氏、13団体の「抗議書」は雨のなか、中央署玄関口にうち捨てられているではないか。 警察「不祥事」の露見が絶えない権力は、人民の抗議をかくもやすやすとうち捨てるのだ。通行人がつぎつぎにたち止まりこの事態に注目する。怒りも新たに徹底弾劾し、つぎの行動にうつる。
雨が強くなるなか、福岡県警本部に向かう。中央署から連絡を受けた公安どもが、ビデオを回しながらすでに入口でたむろしている。ここでも当該と反・反運動の仲間がまずは受付に赴く。すると、なんと楠浦を先頭に6、7名の公安が玄関口で阻止してくるではないか。
「どういうことだ、受付にいくんだ、どけ」というと公安3課脇山大輔が身体ごとぶつかってくる。脇山は、組対法弾圧でも「脅迫」弾圧においても先頭で動いた輩である。「抗議書を出すのだ、どけ」というと「抗議は受けつけん」といったかと思うと「何の抗議か」といった先から「抗議は受けつけんといいよろうが」と腹でぶつかり、肩をおしてくる。楠浦にいたっては被弾圧当該同志に組みつき、リュックの肩ひもを両手で引きまたしてもテロどう喝だ。前日の対福拘デモで仲間たちに「楠浦、おまえを許さんからな」と指弾された楠浦は、「おっ、許さん、言うたな。公務員にそんなこと言うてええんか、どういう意味か」と脅迫弾圧に乗じて野放図に挑発してきた。これこそ人民をなめきった福岡県警の姿だ。絶対に許すことはできない。また「わざわざこんなところで言うなや。俺は県警本部におるけんいつでもこいや」とも言ってきた。「(前日の楠浦の)発言どおりに来てやったぞ、通せ」というと顔をこわばらせる。いつものように傲岸不遜ではあるが、こいつに余裕はない、ただただ被弾圧同志を露骨なテロでもって屈服させようという焦りだけだ。この挑発と妨害を徹底弾劾して、抗議書を投げこむ。「読まんからな、受け取らんからな、捨てるからな」と弱々しく叫ぶ楠浦と脇山を尻目に、全体での抗議行動にうつる。
「免状弾圧を許さないぞ、暴力公安デカ楠浦を許さないぞ、楠浦ここにこい、本部長出てこい、『不祥事』をくり返しながら人民を弾圧する県警を許さないぞ」とシュプレヒコールをたたきつけると、先ほどまでいた楠浦はこそこそ玄関口に隠れるではないか。激しい雨をひき裂いてシュプレヒコールを浴びせ天神情宣に向かった。
ここでは、前日の強制給食国賠の傍聴者と出会い、いまの司法や権力への批判に意気投合した。また、「福岡県警を弾劾しよう」の声に道行く人々はつぎつぎにビラを受け取っていく。「警察」と口にしただけで通りすぎた人がわざわざビラをもらいに戻ってくるほどだ。福岡県警に、そして弾圧に対し、人民がどれほど怒っているかがよくわかる。「免状」弾圧についても多くの人が「おかしい」と声を上げていた。
被弾圧当該同志を先頭とした第1弾の抗議行動は意気軒昂に闘いぬかれた。
そしてこの一部始終を知った抗議申し入れ人たちのさらなる怒りをかったのが福岡県警である。福岡県警本部・中央署には、「市民からの批判や抗議を一切受け付けないという倣岸・不遜な態度…57名を…侮辱するもので断じて容認できない」という5月23日付抗議書と5月20日付前記抗議書2通の弾丸が郵送でうちこまれた。
福岡県警は数限りないでっちあげ弾圧をくりかえしてきた。01年久留米弾圧においては弁護人からの追及にはほおかむりしたまま大金をねこばばし、公判闘争で発覚したら「みつかった」と返却してきた。左翼への組対法弾圧の初適用攻撃を組みたて、「脅迫」弾圧をもって野放図に弾圧を拡大することを夢想し、そしていま「取調べ拒否」闘争潰しの先頭にたつ福岡県警に抗議を集中しよう。獄内外渾身の闘いをもって、6・28反弾圧・反警察集会に結集しよう。