戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
2013年10月、福岡県警はまたもや「免状」弾圧で3名の仲間を不当逮捕しました。組対法弾圧によって4〜4年半の獄闘をへて出獄し、直後奪われた生活条件を取り戻していく闘いのひとつが免許証の再交付や更新です。日帝国家権力・福岡県警は生活基盤も定まりようがないことを百も承知で、「出獄直後に申請した住所地が虚偽だ」と令状逮捕しました。全学連のA同志は、この弾圧を「絶対に許せない」という思いと、この間の取調べ拒否の闘いに続くべく、取り調べ拒否を闘いました。これに対し福岡県警はテロと拷問で同志の闘いを潰そうとしました。これへの反撃として同志を先頭に県警への抗議行動を行いました。以下に諸人士への呼びかけ文を転載します。
1 昨年10月22日、福岡県警中央署は、免許証の「虚偽記載」を口実に免状不実記載をでっちあげて、Aさん(元福岡県警中央署237号)を不当逮捕しました(11月3日釈放)。
取調べの公安刑事は「こんなことはみんなやっとる。お前達だからパクるんだ」と公言しており、政治弾圧であることは明らかでした。
Aさんは、この弾圧を「絶対に許せない」という思いと、この間の取調べ拒否の闘いに続くべく、自分も取調べを拒否する決意を固めました(別紙2 Aさんの訴えを参照)。
2 Aさんが留置場で取調べ拒否を表明すると、留置係は多人数でAさんを無理矢理車イスに乗せて手錠をかけ、捕縄で縛り公安刑事に引き渡し、刑事たちは5人から10人がかりで取調室まで強制的に連行したのです。こうした強制連行は、朝、昼、晩と連日繰り返されました。
警察官らは、取調べ自体を拒否しているAさんを毎日7時間くらい取調室に監禁したのです。
そうして、さらに取調べ刑事らは、Aさんに対し捕縄を机や椅子にくくりつけて締め付け、腰縄と手錠の締め付けによって苦しむAさんに罵詈讒謗を浴びせました。
3 法律的にも、取調べの受忍義務を否定する見解が有力かつ多数です。(平野龍一、松尾浩也、田宮裕、小田中聰樹、石川才顕、光藤景皎、前田朗、福井厚、多田辰也、豊崎七絵、 他)。
取調べ受忍義務を認めることは、訴追側と対等の地位を認める当事者主義に反します。何よりも黙秘して弾圧と闘うことの否定になります。そして、本来、取調べ目的の逮捕・勾留は認められていないはずです。まして本件のような暴力的連行による強制が認められるはずはありません。実際昨年6月、警視庁原宿署において、取調べ拒否者の居房内に看守が入ってきて、取調べに応じるように「説得する」事態がありました。これに弁護士が抗議したところ、留置担当は「手足を掴んで取調室まで連れていくことまではできないことは、座学教養で教育されている」と返答しています。
Aさんの取調べ拒否の行動は、でっちあげ弾圧に対する正当な闘いです。反対に、取調べを拒否するAさんを暴力的に取調室に連行し、取調室に監禁した警察官のやり方は、いずれも特別公務員暴行陵虐罪に該当する権力犯罪です。
4 そこで、わたしたちは、福岡県警の警察官らがAさんに行った取調室への強制連行・監禁・拷問をAさんとともに徹底的に弾劾し、これに対して厳重に(別紙1)のとおり抗議を申入れるものです。
こうした警察権力の暴力行使を絶対許さないために、みなさまの賛同をお願いします。
賛同用紙にご署名の上、お手数ですが、下記までFAXをお送りください。
2014年3月23日
公安警察解体!反弾圧・反警察運動
東京都港区新橋2-8-16 救援連絡センター気付 03(3591)1301 FAX03(3591)3583
福岡県警察本部 本部長 樋口眞人殿
福岡県警察中央警察署 署長 高木正浩殿
2014年5月20日
抗議申入人代表 弁護士 遠 藤 憲 一(東京弁護士会)
同 弁護士 浅 野 史 生(第二東京弁護士会)
抗議申入人 別紙一覧表賛同人目録記載のとおり
1 昨年10月22日、福岡県警中央署は、免許証の住所の「虚偽記載」を口実に免状不実記載罪でA氏(元福岡県警中央署237号)を不当逮捕した(11月3日釈放)。
取調べの公安刑事は「こんなことはみんなやっとる。お前達だからパクるんだ」と公言しており、本件が被疑者に対する政治弾圧であることは明らかである。
A氏は、こうしたでっちあげ政治弾圧を「絶対に許せない」という思いから取調べを拒否する決意を固め、留置担当官にその旨告知した。
2 ところが、捜査官と相談した留置係警察官は、多人数でA氏を無理矢理車イスに乗せて手錠をかけ、捕縄で縛り、留置場外で待っている公安刑事に引き渡し、A氏は5人から10人の刑事によって取調室まで強制的に連行された。
こうした強制連行は、勾留中、朝、昼、晩と連日繰り返された。そうして警察官らは、取調べ自体を拒否しているA氏を毎日7時間くらい取調室に滞留(監禁)させた。
さらに、取調べ刑事らは、取調室内で取調べ拒否を宣言するA氏に対し、捕縄を机や椅子にくくりつけて同氏の身体を締め付け、腰縄と手錠の締め付けによって苦しむA氏をせせら笑い罵詈讒謗を浴びせた。
警察官らは地検への押送時にも車に無理矢理押し込め、写真撮影−指紋採取時には首を締め上げるなどの暴行を加えた。
3 被疑者の取調べの受忍義務については、刑事訴訟法198条1項但書きを根拠に出頭・滞留義務(供述自体の強制は認めていない)を認める一部の見解もあるが、否定説が有力かつ多数である(平野龍一、松尾浩也、田宮裕、小田中聰樹、石川才顕、光藤景皎、前田朗、福井厚、多田辰也、豊崎七絵、他)。
取調受忍義務を認めるならば、訴追側と対等の地位を認める当事者主義の訴訟構造に根本的に反し、黙秘権を実質的に侵害することになる。本来、取調目的の逮捕・勾留は認められていないはずである。まして本件のような暴力的連行や暴力的監禁が認められるべくもない。
実際昨年6月、警視庁原宿署において、取調べ拒否者の居房内に看守が入ってきて、取調べに応じるように「説得する」事態があり、このことに関して弁護士が抗議したところ、留置担当は「手足を掴んで取調室まで連れていくことまではできないことは、座学教養で教育されている」と返答している。A氏の取調べ拒否は、法律的にも正当である。
にもかかわらず、取調べを拒否するA氏を暴力的に取調室に連行し、取調室に監禁し、捕縄を椅子にくくりつけるなどした警察官の行為は、逮捕・監禁・強要・特別公務員暴行陵虐罪に該当する違法な権力犯罪である。
4 そこで、わたしたちは、福岡県警の警察官らがA氏に行った取調室への強制連行・監禁・拷問を徹底的に弾劾し本書を以て厳重に抗議を申入れると共に、責任者、違法行為に関与した警察官らの謝罪を求める。
以上
◆不当逮捕
私は、2013年10月22日に免状不実記載の容疑で福岡県警によって逮捕され、11月3日に釈放されるまで、福岡県警中央警察署に勾留されました。
「免状不実記載」とは、「そこに住んでいないのに虚偽の住所を免許証に記載させた」というもので、政治家や芸能人をはじめ学生や単身赴任の労働者など多くの人々が該当します。しかも今回は、私が2008年組織犯罪対策法による左翼への初適用をもっての弾圧を受け(判決では不適用)、4年半の獄中闘争を経て出獄直後に住所をおき、すでに住所変更しているにもかかわらず、その出獄直後の住所地にまでいいがかりをつけてきたものです。
しかし、取調べの公安刑事は「こんなことはみんなやっとる。お前達だからパクるんだ」と言っており、政治弾圧であることは明らかです。私はこの弾圧に対して、「絶対に許せない」という思いから取調べを拒否することにしました。
◆取調室への暴力的連行
逮捕当日、私は暴力的な身体検査によってパンツまで脱がされそうになったので、抗議し、やめさせました。
取調べ初日(翌日)、留置場で私は「取調べ拒否」を宣言しました。すると、留置係長が「では捜査官に聞いてくる」と言って戻ってくると「捜査官に聞いたところ、『出してくれ』とのことだったので強制的にあなたを出します」と言い、7〜8名の留置管理課警察官が私を無理矢理車イスに乗せて手錠をかけ捕縄で私の体を縛り、留置場外で待っている公安刑事に引き渡しました。この間ずっとビデオ撮影をしています。
そして県警本部公安3課の楠浦を先頭に、私の手錠を掴んだり捕縄を掴んで車椅子からひきづりおろし、私を取調室まで強制的に連行しました。公安刑事が最初10人ぐらいから5人、あるときは2〜3人で手錠をロックしていないので、動くたびに手錠が手首にくいこみ激痛が走りました。
こうしたことが釈放日まで連日毎回(朝、昼、晩 平均取調べ室滞留1日7時間ぐらい)繰り返されました。連中は最初の何回かは私を取調室に入れるところまでビデオ撮影をしています。
◆拒否宣言を無視して取調室へ監禁、拷問
私は係長が私の房に呼びにきた時には「『事件』をでっち上げるための場である取調べを拒否する」「拷問の場である取調べを拒否する」と宣言し、房から連行される時には「『事件』をでっち上げるための場である取調べを止めろ(許さないぞ)」「拷問の場である取調べを止めろ(許さないぞ)」と弾劾しつづけました。
公安刑事は私を取調室に入れると一旦椅子に座らせるので、私が取調室から出ようとすると今度は捕縄の端を机の脚に結束しました。腰縄と机の脚との間にできた捕縄のあそびがある程度あったため、私は床に座った状態で出入り口の方へ向かおうとしましたが阻止されました。次からはそのあそびさえ作らないので、あくまでも抗議して、床に座るか横になるような姿勢をとりました。
そうしたところ、被疑者用の椅子の脚と机の脚を縛りつけ椅子を固定するようになり、さらに捕縄の縄を机に縛り付けていたのを椅子にがっちりと縛りつけるようになりました。
私は苦しさのあまり椅子を折りたたむようにして縄をゆるめようとしました。すると、楠浦が椅子を元の状態に無理矢理戻すのでさらに縄がきつくなりました。
私の身体は腰縄と手錠の締め付けによってどんどん傷つけられ非常に痛みました。楠浦は私が「ふーふー」と言って苦しんでいるのを見ながら楽しそうに笑いました。同様に「何が『ふーふー』だ。屁たれが」、「お前はおおげさなんだ」「日に日に衰弱していくのお」「きついか。きついか。苦しいか。頑張れ」と言い放ち、ことあるごとに「バカ(ママ)」「アホ(ママ)」「屁たれ」と罵倒しました。このようなことを私が釈放されるまで毎回くりかえしました。
◆押送時も暴行
地検・地裁押送時には、警察官が私を車椅子にしばりつけ車まで移動し、無理やり車に押し込め連行しました。
地検押送の帰りに中央署に着いた時、警察官はわざと私のシートベルトを外さずに無理矢理私を車から引きずり出そうとしたので私は左脇腹を負傷しました。
この件で留置警察官に外部の医療機関での診察とレントゲン検査を要求しましたが、留置係長が「『氏名が不詳なのでカルテに書くことができない。よって診察はできない』と担当の医師が言った」と言ってきました。私が「病院の名前と医師の名前を言え」と言うと、係長は「それは言えない」と居直ったままでした。
◆首を締め上げて写真撮影−指紋採取、差入れ妨害
10月29日には、中央署刑事1課鑑識係警察官4名と、全員マスク、特殊部隊用手袋着用の県警公安3課警察官10数名が楠浦を先頭に私の首をしめあげ、両手首をひねり、暴力をもって私への写真撮影と指紋採取を強行しました。写真には首をしめあげられた私の姿が写っています。私はこの時、手錠による暴行と足を踏まれたことによって負傷しました。また機関紙や本のみならず、ノート、びんせん、封筒などまで差し入れ妨害されました。
◆取調べ拒否の闘いに続く
このように、敵・国家権力は徹頭徹尾暴力的なテロによって取調べ拒否の闘いをつぶそうとしました。私は取調室に監禁し屈服をせまる「取調べ」そのものを絶対に受け入れるわけにはいかない、という思いで毎回抗議し抵抗しました。この間の弾圧と闘う人々による取調べ拒否の闘いに続こうという思いで取り組みました。その結果、警察官による暴行・拷問によって肉体的・精神的打撃を受けました。しかし、自分なりにやりきったので晴れ晴れとした気持ちで出獄することができました。今後、敵はさらに凶暴化し弾圧を強めてくるでしょう。これを許さず、多くの人々と弾圧をはね返す闘いを強めていきたいと思います。