全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

8・9狭山上告棄却37ヵ年糾弾を闘う

東京高裁の再審棄却策動粉砕、狭山第三次再審闘争勝利
 

5・23闘争実行委を先頭に高検・高裁前での糾弾・情宣行動を闘う

 狭山事件の犯人にでっちあげられた無実の部落民=石川一雄氏に対し、1977年8月9日、最高裁第2小法廷(裁判長=吉田豊)が、上告棄却をうちおろしてから今年で37年。74年10・31東京高裁裁判長寺尾による差別「無期懲役」判決からわずか2年9ヵ月、最高裁は弁護団提出の重要な多くの上告趣意書・新証拠について事実審理・口頭弁論をおこなわずに、新証拠と弁護側の見解を一方的に排除した。そして、極悪の部落差別に居直り、国家権力がいつでも勝手に差別か否かを判断し獄殺するという部落民虐殺宣言であり、絶対許すことはできない。

東京高検弾劾

 8・9上告棄却37ヵ年糾弾の怒りも新たに、5・23闘争実行委員会、反戦・全学連による闘いを8月8日に展開した。青ゼッケンで身を固め、横断幕をひろげた部隊は、まず、証拠隠しを居直りつづける東京高検に対し、「ただちに全証拠を開示しろ、証拠隠しを許さないぞ」とマイクで弾劾のシュプレヒコールをたたきつけ、警備員の「どこの団体か明らかにしろ、チラシを出せ」などの介入を粉砕して闘う。通りかかった反原発闘争参加者が注目し声をかけてくる。

 つぎに、第3次再審棄却攻撃を策動する東京高裁にむかい、石川氏を先頭に部落大衆・共闘団体が糾弾行動を闘いつづけている高裁正門前で、参加団体交代でマイク持っての訴えと情宣活動をおこなった。高裁への移動途中から公安私服がまとわりつき、高裁正門前でも近くに配備して情宣を妨害してくる。これに抗議しつつ行動を展開し、弾劾のシュプレヒコールをたたきつけた。この間の石川氏の高裁前行動が連続して闘われていることもあってか、通る人たちが関心を持ってビラを受け取っていく。

「解明されない事実が存在する」「犯罪の証明が不充分」という棄却決定書を許すな

 8・9上告棄却決定は、事実審理をおこなわず、「判決」でなく「適法な上告理由には当たらない」とする「決定」である。「決定」は上告理由が法の定める要件に照らして根拠がないと決めつける、いわば門前払いであり、当時の多くの新聞でも批判されている。

 その棄却決定は最高裁の決定書としては異例の長文であり、上告趣旨の検討だけでなく、職権で訴訟記録や証拠を検討し「事実認定」の当否にまでたちいって調べているが、寺尾判決支持を前提としたものである。すべての「合理的に可能な反対事実」=石川氏無実の証拠を、「相当でない」の一言で抹殺しているのだ。上告趣意補充書、弁護人が取り調べを請求した5種類にわたる7つの新鑑定書は、石川氏が犯人であることに合理的疑いがあることを成立させる事実であるのに、決定書はまったくふれていない。「一部に証拠上、なお細部にわたっては解明されない事実が存在することも否定できない」「合理的に可能な反対事実が存在する限り、犯罪の証明が不充分として、疑わしきは被告人の有利に解決すべきである」といいながら、「被告人が犯人であることに合理的な疑念をさしはさむ事実の成立は認められず、また、それらの解明されない事実を総合しても、右の合理的な疑念を抱かせるに足りるものがあるとは認められない」と言い切っている、まったく許しがたいものである。

 棄却決定書では、死体を埋めたときに使ったとされるスコップについて、付着の物と付近の赤土の土質が一致するという捜査側の星野鑑定書について「必ずしも十分な捜査が行われたとはいえない」「本件スコップが死体を埋めるために使用されたと認定することは、相当でない」と言っておきながら、「犬に騒がれることなくスコップを持ち出すことができる」ことから、「被告人が犯人であることを指向する証拠の一つ」と矛盾した決定になっている。犯人の残した脅迫状の筆跡鑑定についても、捜査側3鑑定が筆者は漢字をすでに知っているものとしているが、原判決および決定書は、石川氏は当時漢字を知らず書くことができなかった、「『りぼん』を見て書いた」という自白を採用したうえで、脅迫状を「自白を離れて客観的に存在する証拠物であり、有罪の決め手だ」と、自白に乗った決定書である。このように棄却決定書は食い違いと矛盾だらけのもので、石川氏を犯人として決めつけ、捜査、取り調べ、1・2審裁判・判決を貫く部落差別を隠ぺいしようとした攻撃でまったく許せない。

 そして「記録を調査しても、…被告人に対し予断と偏見をもって、差別的捜査を行ったことを、窺わせる証拠はなく、…原審の審理及び判決が、積極的にも消極的にも部落差別を是認した、予断と偏見による差別的なものでない」と言い切ることにより、“差別か否かは国家権力が決める”として極悪の部落差別に居直っている。この棄却決定は、寺尾による10・31差別「無期懲役」判決の確定=獄死虐殺決定にとどまらず、国家権力がいつでも勝手に差別か否かを判断し獄殺するという部落民虐殺宣言であり、絶対許すことはできない。

東京高検の証拠隠し・居直りを許すな、ただちに全証拠を開示せよ

 高裁・寺尾段階においても、またこれまでの闘いで石川氏の無実はすでに明らかになっている。さらにこの間の第3次再審闘争のなかで136点の証拠開示がされたが、東京高検は肝心の「殺害現場」とされる雑木林の血痕反応報告書・8ミリ撮影フィルムなど、石川氏の無実をさらに鮮明にする証拠を「不見当」(見あたらない)と言って開示せず、不見当の理由も明らかにしてない。「殺害現場」を裏づける客観的証拠は何もなく、石川氏の強制された「自白」のみである。事件当日、至近距離にいて「悲鳴も人影もなかった」と証言しているOさんの証人尋問が何より必要である。石川氏が言うように「『殺害現場』が特定されないまま『有罪』が認定されていることになり、それらを究明するのが裁判所の職務の筈です」(一昨年5・23メッセージ)。

 8月20日の第19回「三者協議」(裁判所、検察、弁護団)においても新たな証拠開示はなく、弁護団の要求していた「手拭いに関わる捜査資料」について、検察側は「不見当」ないし「関連性がないので開示の必要性ない」とする意見書を8月19日に提出してきたという。「手拭い」は犯人が残した証拠で死体を後ろ手に縛った物であり、配布数の改ざん(警察のでっちあげ)も明らかになった。石川氏が犯行に使ったのち、義兄の家から入手して警察の回収に出したとされているが、義兄も1本提出しているため配布されたのは2本だったと数字が改ざんされていたのだ。6月18日の「三者協議」において、未開示の筆跡関係証拠について、それまでプライバシーに関わると拒否していた検察側が、弁護人には開示できないが裁判所に提出する用意があると回答したが、それ以降裁判所に提出されたのかはっきりしていない。今回裁判所が開示の方向で検討中とのことだが、裁判所に未提出であればただちに提出要求・開示勧告をすべきであり、裁判所に提出されたのであれば開示すべきものである。証拠物の一覧表(リスト)について、裁判所は開示の方向で検討してほしいという姿勢を示した、ということだが、それだけにとどまっている。検察側は全証拠をただちに開示すべきであり、河合健司裁判長は開示勧告をすべきである。

 弁護団に対して、「協議内容を外部に漏らすな」と、被告事件でもない再審事件であるにもかかわらず「証拠の目的外使用」として懲罰の対象にする攻撃が変わらず強化されている。今回の「三者協議」においても、この間、検察側の証拠隠しによる逃げ切り、裁判所による証拠隠しの追認、何もせず引き延ばす攻撃が続いており、怒りでいっぱいである。石川早智子さんも言っているように石川氏が「死ぬのを待っているのか」、石川氏の「これが最後だ、あとの裁判はない」(3・11埼玉集会発言)の怒りと闘いの決意をわがものとし闘いぬこう。

石川氏の怒りと闘いにこたえて狭山決戦勝利へ

 63年3・11浦和地裁内田「死刑」判決、74年10・31東京高裁寺尾「無期懲役」判決、77年8・9最高裁上告棄却、第1次再審・第2次再審棄却のすべての裁判で差別裁判が強行され、差別判決・決定がうち下ろされてきた。まさに石川氏の言うように「今までの裁判官たちは全て等しく自分の意志で権力犯罪に手を染めてきた共犯者」(2005年3・16第2次再審特別抗告棄却に対する石川氏メッセージ)なのだ。そして10・31以降、第3次再審請求の今日まで40年、一度の事実調べもなく差別裁判の強行、棄却攻撃がうち続いている。

 石川氏は31年7ヵ月の長期獄中生活を強制され、「仮釈放」の現在、保護観察のもと選挙権もなく旅行も制限され、「不特定多数に対して発言してはならない」などの規制がかけられている。しかし、権力に刃向かえば再収監という攻撃をはねのけ、東京高裁前にたち、マイクを持っての糾弾行動を部落大衆・支援者とともに闘いつづけている。酷暑のなか、背広にネクタイ姿での行動に、石川氏の部落差別にもとづく権力犯罪への怒りと闘いの決意をひしひしと感ずる。

 10・31狭山中央闘争が解放同盟中執会議で確認され、石川氏の第20次高裁前行動も闘われる。「寺尾判決の轍を踏んではならない」という石川氏の檄をしっかりとうけとめ、差別実力糾弾の闘いを東京高裁・高検にたたきつけ石川氏、全国の部落大衆とともに第三次再審闘争の勝利をかちとろう。

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