戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が関東全域を襲った。倒壊した建物から出火した火災は、東京だけでも140ヵ所を超え、3日間にわたって燃えつづけ、下町のほとんどを焼きつくした。あいつぐ余震のなか、着の身着のままで家を飛び出し、炎に追われて逃げ惑う人々に、「社会主義者と朝鮮人が暴動を起こし、各地で放火暴行、井戸に毒を入れている」という流言が流された。成立したばかりの山本権兵衛内閣はこの流言を根拠に、「暴動の内乱への発展を予防する」として翌2日いち早く東京に戒厳令を布告し、さらに首都圏全域に拡大した。
軍がすべての権力を掌握し、「まるで戦場にかけつけるように」街頭に出動した。千葉県習志野から出動した騎兵連隊は、避難民であふれる列車から朝鮮人とみなした者をひきずり下ろし、銃剣で突き刺し刀で切り捨てた。荒川では土手に並べて機銃掃射した。警察署に「保護」と称して拘束された朝鮮人・中国人や社会主義者をつぎつぎにひきずり出して虐殺した。地震と火災、そして「暴動」の流言に恐怖と不安にかられた被災住民は、軍や警察の公然たる虐殺に先導され、自警団を組織し検問所をもうけ尋問し、鳶口からダイナマイトまであらゆる殺りく用の武器を手にし、朝鮮人虐殺を凶行した。
明らかになっているだけでも6千人をこえる朝鮮人・中国人が虐殺された。また南葛労働会や純労働者組合の活動家10名が亀戸警察署で、無政府主義者大杉栄、伊藤野枝が甥の子どもとともに東京憲兵隊長甘粕に虐殺された。朴烈、金子文子は「大逆事件」をでっちあげられ死刑を宣告された。
流言を流し戒厳令施行を主導したのは、内相水野錬太郎と警視総監赤池濃だった。水野は1918年の米騒動時も内相で、19年の3・1朝鮮独立蜂起時は朝鮮総督府政務総監だった。赤池は米騒動時抜刀して群集に襲いかかった人物で、3・1時は朝鮮総督府警務局長であった。いずれも日朝労働者人民の革命的決起を憎悪し、武装鎮圧にあたった張本人である。
当時、17年ロシア革命の勝利もうけ、米騒動の全国への波及、労働争議・小作争議の多発と、労働者人民の怒りがあちこちで吹き上げていた。10年「朝鮮併合」にはじまる日帝の植民地支配に対する朝鮮労働者人民の命を賭した決起は3・1独立蜂起として爆発した。22年には日本共産党、全国水平社が設立された。そして新潟中津川発電所工事での朝鮮人虐殺に対しては、日朝労働者人民1000人が抗議と究明にともに決起した。こうした植民地朝鮮と日本国内を貫く労働者人民・被差別大衆の革命的決起に震撼し鎮圧・虐殺の急先鋒であった2人は、震災の惨状のなか、労働者人民の怒りが政府―日帝にむかうことを心底恐怖した。怒りの矛先を朝鮮人と社会主義者に向かわせるために流言をしくみ、警察、軍をとおして流布し、軍の出動を可能にするために戒厳令を敷き、差別主義・排外主義を煽動し、大虐殺を凶行したのだ。
91年が過ぎた今日まで、日帝はこの虐殺を徹底して隠ぺいし、謝罪も調査もおこなっていない。長年にわたる日朝労働者人民の究明作業で明らかになった事実さえ、教科書や展示から抹消しようとしている。
そしていま、ファシスト安倍による、「慰安婦」強制をはじめ戦争の加害事実の隠ぺい策動と新たな戦争突撃に力をえて、ザイトクカイなどの差別主義・排外主義虐殺煽動が吹き荒れている。東日本大震災時は、避難区域に「外国人の窃盗団が荒らしている」という流言が流れ、避難民による自警団がパトロールに出た。広島の土砂災害でも、「空き巣」被害の報道に「朝鮮人か中国人にちがいない」という流言飛語がネット上を飛び交っている。九十一年前の虐殺は、決して過去のことではないのだ。労働者人民自身が虐殺に手を染めた歴史を二度とくりかえしてはならない。この事実にいっさいふれることなく、したがって軍隊の出動が治安出動以外のなにものでもなく、虐殺を主導・煽動した事実を隠ぺいし、「防災訓練」の名において労働者人民を動員していくことを許すことはできない。反戦・全学連は8月31日、9月1日、治安訓練粉砕、虐殺糾弾を闘いぬいた。
8月30日、9都県市合同防災訓練の一環として東京都・杉並区合同防災訓練が和田堀公園地区・高円寺北地区・桃井地区の3地区において開催された。反戦青年委員会と全学連は、内乱鎮圧にむけた治安出動訓練としての姿をより鮮明に表した今回の東京都・杉並区共同主催による防災訓練を徹底弾劾し、これを粉砕すべく訓練会場にむけ断固とした闘いに決起した。
訓練では、木造家屋密集地での火災・倒壊を想定した「救出救助訓練」がおこなわれるという。訓練参加者に被害状況等をあらかじめ教えず、参加者は自衛隊員などの指示のもとに動かざるをえない状態を強制される。訓練目的として掲げられた「各防災機関との連携」「自助・共助」とは労働者人民を警察・軍隊などの指揮・命令のもとに行動させることであり、まさにそのための訓練ということができる。
また自衛隊に加え、ソウル・台北の消防レスキュー隊の参加も予定されている。朝鮮反革命戦争突撃を見すえた韓国・台湾治安機関との連携強化の動きにほかならない。
そして、今回さらにふみこんだ攻撃として、東京都教育委員会が事前に各市区町村の教育長に協力要請をおこない学童・生徒を組織的に訓練に参加させようとする動きがある。杉並区は2005年に杉並区中学生レスキュー隊なるものを創設し生徒による防災組織づくりを推進してきた。こうした部分を中心に生徒の大量動員がもくろまれている。
高円寺北地区では、馬橋小学校を訓練会場として使用し、桃井地区では小・中・高生ら生徒を中心に医療・介護訓練をおこなうとされている。軍隊・警察が主導し学童を強制的に参加させる訓練は軍事教練そのものだ。教育のファシズム的改編と一体の学生・生徒動員―参加の強制を許すことはできない。
「M7.3の東京湾北部地震を想定して」などというのはまやかしだ。労働者人民の内乱的闘いに身構え、軍隊・警察を先頭に労働者・学生・住民が一体となり鎮圧にあたる態勢をつくりだしていくことこそが訓練の真の目的だ。軍隊・警察との一体性をさらに強めながら強行される東京都・杉並区合同総合防災訓練は粉砕しなければならない。
反戦・全学連の青ヘルメット部隊は、3つの会場のなかでも中心的な訓練会場として最大規模の動員と訓練を予定している和田堀公園会場にむけ怒りの闘いにたちあがった。
訓練開始の午前9時に合わせ、闘う部隊が訓練会場に近接した方南通りの一角に登場する。
眼前には警備動員された機動隊車両がならび、会場周辺道路の交通規制がまさに開始されようとしていた。会場に向けて横断幕をひろげハンドマイクで情宣を開始する。
横断幕には、防災訓練粉砕と関東大震災下の朝鮮人大虐殺糾弾が書かれている。内乱鎮圧・治安出動訓練である防災訓練を断固粉砕するとともに、日帝足下労働者人民の歴史的・階級的自己批判をかけ91年前の9月1日、関東大震災発生より開始された朝鮮人・中国人、社会主義者や無政府主義者、6千名をこえる大虐殺を徹底して糾弾しぬくこと、このことこそが反戦・全学連の決意と闘いだ。こうした闘いにともにたちあがることを訓練に参加する労働者、学生、住民、すべての労働者人民に訴えていく。
「日帝の戦争突撃を粉砕するために、防災訓練や国民保護訓練をはじめ、あらゆる戦争準備を粉砕しよう。新たな学徒動員攻撃を許すな。朝鮮人・中国人虐殺91ヵ年実力糾弾の闘いにたちあがろう。闘う南朝鮮・中国―アジア労働者人民との階級的国際連帯を強化し、日帝の反革命戦争突撃を粉砕しよう。安倍連合政府を打倒しよう。10月三宅島村・御蔵島村における島しょ総合防災訓練、11月国民保護訓練を粉砕しよう。反革命戦争突撃を見すえた治安出動訓練の激化を許すな」。
部隊が登場した場所は駅から訓練会場に向かう参加者が必ず通る場所だ。多くのビラが受け取られた。なかには参加者であることを自ら明らかにしながらビラを受け取っていく人もいた。上空には訓練に動員された消防庁のヘリが低空旋回し、時おり救援物資輸送などと車体に記された複数のトラックが通りすぎていくなか、怒りに燃え情宣闘争を闘いぬく。
闘う部隊の登場に対し権力は、警視庁本庁公安刑事を先頭に十数名で妨害・破壊に出てきた。急きょ動員した機動隊部隊とともに部隊を包囲し、暴力的な敵対をおこなう公安刑事どもと真っ向から対決し断固とした闘いを貫徹した。
9・1を「防災の日」として首都圏の9都県市合同でおこなわれる「防災訓練」が、今年は在日米陸軍相模総合補給廠を主会場に強行された。
消防や警察が中心の「防災訓練」に、石原知事下の東京で2000年に自衛隊の戦車を銀座に登場させ、迷彩服の部隊が都内を走り回る訓練が強行された。これを皮きりに、また重大災害時の自衛隊出動をも利用しながら、自衛隊の参加が拡大され、さらには米軍の参加も強行されてきた。
しかし米軍基地そのものを主会場として住民を動員する訓練ははじめてである。8月31日に横田基地でおこなわれた米軍の「防災演習」には、オスプレイ2機まで参加した。まさに「集団的自衛権」行使―戦争突撃をみすえた米軍・自衛隊一体となった戦時動員・治安出動演習であり、絶対に許すことはできない。反戦・全学連の部隊は8時前、訓練粉砕を訴えるべく、相模原駅前に登場した。
横断幕を広げ、ビラをまきつつ、シュプレヒコールを開始する。敵対のために待ち構えていた神奈川県警、警視庁の公安数十名が「やめろ、やめろ」「交通のじゃまだ」と妨害にかかる。ものともせずコールをたたきつける。「防災訓練粉砕、治安訓練・内乱鎮圧訓練粉砕、戦争突撃粉砕、朝鮮人虐殺91ヵ年糾弾、在日朝鮮労働者人民と連帯して闘うぞ」――駅に向かう人々が公安の妨害のなかくり返されるコールに足を止める。制服の機動隊が「圧縮!」の指令でデッキの手すりの縁に部隊をおしつけようとする。「妨害をやめろ、弾圧を許さないぞ、ビラまき妨害弾劾」とおし返しながら全員で徹底して弾劾する。県警公安どもは「トラメガと横断幕はやめろ、情宣許可をとれ、公安条例違反だ」とわめく。われわれは木元グループのように権力の許可や指示でやるような闘いはやっていない。多くの労働者が見守るなかで攻防が続く。ビラまきさえ妨害する公安への批判の視線を気にしてか、なんと責任者らしき公安が「トラメガと横断幕をやめるのならビラはまいてもよい」と言ってきた。もちろんそんな「取引」にのっかるわれわれではない。「圧縮」攻撃を徹底弾劾し許さず、横断幕を広げ、ビラまきを開始する。コールはこの間も間断なく続けられる。終始続く妨害と対決し、約1時間にわたって治安訓練粉砕の情宣行動を闘いぬいた。
午後、多くの虐殺が凶行された東京東部で、91年前の虐殺を糾弾し、二度と許さない労働者人民の闘いを訴えた。ビラがつぎつぎに受け取られる。
日帝はこの虐殺の事実を徹底して隠ぺいしてきた。虐殺現場に埋めた多数の遺体を、夜陰に乗じて掘り返し持ち去ることまでした。虐殺を目撃した生き証人もいまやわずかしか生存しない。しかし多くの人が父母や祖父母から、在日の友人から、虐殺の話を聞いており、その歴史が記憶や記録から消されようとしていることに危機感を抱き語り継ごうとしていることが、受け取った人の反応からうかがわれた。相模原での「防災訓練」粉砕を闘ってきたことを話すと、「相模湖のダムを作るときにも朝鮮の人がたくさん働かされていたと祖母に聞いた」と話してくれる人もいた。九十一年前の虐殺が、苛烈な朝鮮植民地支配、強制連行・強制労働、皇軍「慰安婦」―性奴隷強制の事実が、「デマ」として喧伝され、自主規制に走る自治体などによって記録の展示や石碑が撤去されようとしている。これは新たな差別虐殺―戦争への突撃・改憲と一体だ。朝鮮労働者人民、在日朝鮮労働者人民と連帯し、絶対に阻止しよう。ザイトクカイなど右翼ファシストの差別主義・排外主義虐殺煽動を絶対に許さない。虐殺に手を染めた日本労働者階級の自己批判をかけ、在日朝鮮労働者人民とともに粉砕しよう。