戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
1974年の東京高裁寺尾による差別「無期懲役」の差別反革命判決から40ヵ年の10月31日、集会実行委員会により日比谷野外音楽堂において、全国の部落大衆・共闘団体2500名が結集(解放新聞発表)により闘われ、5.23闘争実行委員会、全国反戦、全学連もともに闘い抜いた。
この寺尾判決は、「石川の命わが命」と闘い抜いてきた全国の部落大衆と、労働者・学生・市民による差別裁判徹底糾弾の大衆的実力闘争への前進を解体せんとする攻撃だ。そして寺尾は、最高裁段階での事実調べをさせないことを目的に、1審「死刑判決」を破棄して「無期懲役」判決をうち下ろしのだ。これを受け、1977年8月9日、書類審査だけで上告が棄却され、その後の再審も書類審査だけで無実の証拠が葬り去られ、第3次再審請求から8年半になる現在、1974年10.31から40年間、一度の事実調べも行われず、棄却決定ー「門前払い」攻撃が続いている。この寺尾判決が「確定判決」として今なお、無実の石川氏を「女子高生誘拐殺人犯」として、仮釈放という「見えない手錠」をかしているのだ。10・31差別無期判決を許してしまった怒りと悔しさをかみしめ、石川氏の「寺尾判決の二の舞をふんではならない」との訴えの通り、再審棄却策動を粉砕し、国家権力を追いつめる闘い、狭山闘争の歴史的勝利に向けて全力で闘い抜く。
集会に先立ち、霞門前で東京高裁・東京高検にむけた弾劾行動、シュプレヒコールを闘う。そして、大量に動員された私服公安の弾圧策動を粉砕し、昨年10.31狭山中央闘争会場への潜入を弾劾する。その潜入公安グループをかくまった木元グループを弾劾し、我々の情宣を妨害・敵対を許さず、会場入り口で集会参加者にマイクで訴えながら情宣活動を行う。
5.23闘争実の仲間は「寺尾は部落に関する本を十数冊読んでいると豪語しながらも、判決文の中には『部落』も『差別』という言葉も一言も言っていない。また『全課程を精査・検討してみると、本事件の捜査はきわめて拙劣なものではある』と認めながら、『捜査官が初めから不当な予断と偏見をもって被告人をねらい撃ちしたとする所論を裏付けるような証跡は発見することができない』と、客観的証拠と石川氏の『自白』が一致しない点は『石川ウソツキ論』との詭弁を弄している。差別捜査、差別でっち上げを追認し、石川氏の全力の訴え、弁護団の論証を一蹴した、寺尾の部落問題の利用、もてあそびという態度と行為を絶対に許すことはできない。」と発言。
明大生協不当解雇撤回闘争を闘う仲間は「石川さんは自ら先頭にたって高裁・高検に対する糾弾の闘いをうちぬいている。この闘いに結びつき司法権力に証拠開示・事実調べを実力で迫る闘いを闘おう。三者協議という石川さん抜きの密室審理に狭山闘争の帰趨を委ねることは断じてできない。階級的共同闘争と差別実力糾弾の闘いで狭山闘争の歴史的勝利をかちとろう。木元グループの狭山闘争への破壊介入を断固として粉砕しよう。木元グループは明治大学で発生した差別事件への糾弾闘争に敵対し破壊した差別主義集団だ。公安警察の下僕でもある木元グループをあらゆる闘いの現場からたたき出そう。」
全学連中央執行委員会は、「狭山第3次再審闘争勝利に向け闘う。差別を糾弾して闘おう。三里塚・狭山・沖縄を貫き実力闘争で闘おう。1年前のこの集会で公安警察が潜入した。徹底して弾劾する。そして、これをかくまったのが木元グループだ。弾劾あるのみだ。木元グループによる狭山闘争破壊を粉砕しよう。」と、訴えた。
中央集会前日の30日、午後4時から第20回三者協議が行われたが、これまで行われていた記者会見もなく、31日の集会においてもその内容は明らかにされてない。
集会の弁護団報告で、弁護団の中山氏は、自身が狭山差別裁判に弁護人として関わる経緯について述べ、石川氏が狭山事件を部落差別にもとづく冤罪事件であることを訴え、そこは譲れないものであることを訴えられたこと、中山氏としても、それが原点になっているということが訴えられてた。「昨日三者協議があった。今回28点の証拠が開示され開示証拠は164点。石川さんに有利な方向で裁判が進むことをさせないために証拠を隠す、これをはねのけすべての証拠開示を勝ちとっていきたい」とあった。また、当日の集会開催要項によると、10月27日、検察側が証拠物の一覧表の開示はできないとする意見書を提出したとのこと。これに対する反論を弁護団が10月29日に提出。また29日、「自白」における鞄等の位置関係についての弁護団報告書を新証拠として提出したとのこと。この弁護側提出の新証拠について「開示証拠の中の取り調べ録音テープから、石川さんが、被害者の鞄を自転車にくくりつけていたヒモ、鞄、中の本を捨てた場所、等々自白調書と違って石川さんが犯行を知らないこと、取り調べで警察が作り上げたことがはっきりわかる。それらは自白前から『自白』と違った場所で発見されている。警察の証拠でっち上げで『自白』を誘導したことが明らか」と説明された。
中央狭山闘争本部長から「2009年の三者協議から開始から5年、いつまでダラダラと三者協議をやるのか、の批判もある。さらに証拠開示をすすめて決定的な証拠を明らかにし事実調べへ進みたい。裁判がひっくりかえるような証拠まだない、事実調べの確実な見通しない中で裁判所に判断をさせない。今の段階で裁判長の判断は五分五分。第3次再審で勝たねば。石橋を叩いて渡る闘い。」と緊迫した状況が提起される。
集会では、袴田巌氏、管家利和氏(足利事件)、杉山貞男氏(布川事件)らも参加し、警察の暴力をもっての取り調べ、自白のでっち上げ、長期の獄中生活強制などを弾劾する発言が相次いだ。
集会終了後、デモに出発する解放同盟、支援者に向け再度情宣をおこなった。階級裁判粉砕と国家権力糾弾・打倒を呼びかける力強いアジテーションを会場内に響き渡らせ、参加者にビラを配ってく。‘国家権力による部落差別’に対する怒りは、すべての集会参加者の胸の内に燃えたぎっている。情宣への支持と共感を強く感じながら準備したビラを残らずまきつくした。
石川氏を先頭に都心を席巻する戦闘的なデモ行進がかちとられた。権力は今回もわれわれと部落大衆、戦闘的労働者人民を分断しようと出発時に妨害を策動してきた。前回、前々回に続き、隊列の先頭に宣伝カーが入ることを妨害してきたのだ。この妨害・破壊策動を全体一丸となってはね返した。その後も権力は公安警察を先頭に執拗な破壊策動をおこなってきだがみなぎる戦意で粉砕し石川氏、戦闘的部落大衆・労働者人民と共にデモ行進を貫徹した。デモ終着点で5.23闘争実から集約提起を受ける。「石川氏の身体をはった司法権力糾弾の闘いに連帯し、第3次再審闘争に勝利しよう」「差別裁判粉砕、国家権力糾弾・打倒、狭山闘争の歴史的勝利をかちとろう」、今秋期の闘いに向けた提起を全体で確認し、怒りと闘いへの決意も新たにシュプレヒコールをあげた。
石川一雄氏は「寺尾無罪判決だったら仮釈放のままこんな長い闘いにならなかった。今年中に何らかの決断が出るかと思ったが、残念ながら来年に持ち越された。殺人犯というレッテルをはがすために、法廷の場で明らかにしなければならない。『再審の 40年目で新証拠 今や司法は袋小路』」と決意をうたに込める。集会以前に発表されたメッセージで「今日のメッセージは近く行われる第20回三者協議の前であえある」とし、「思えば40年前の今日の判決は、弁護団や私を含め、誰しも無罪判決が出されるであろうと期待し、私も勇んで判決に望んだ次第でしたが、見事に裏切られ、それが結果的に長期の闘いとなり…」「河合裁判長が真摯に精査すれば、最早『事実調べを回避出来ないまでに追い詰めている」「『プライバシー保護』等を盾に開示を拒んでいる理不尽極まりない検察を弾劾しなければならない。」と怒りと決意を述べている。
次回第21回三者協議は1月末とのことで、集会主催者挨拶で来年1月が最も重大なヤマ場と言われている。検察側は証拠リスト開示を拒否する意見書を出してきたことに見られるように、肝心の「殺害現場」とされる雑木林の血痕反応報告書・8ミリ撮影フイルムなど、無実をさらに鮮明にする証拠を「不見当(見あたらない)」と言って開示せず、不検討の理由も明らかにしておらず、頑なに証拠開示を拒否し続ける姿勢を鮮明にしている。それらの証拠こそが、部落への集中見込み捜査、差別でっち上げ逮捕・取り調べ、証拠のねつ造そのものであるからこそ、警察権力の威信にかけて隠し通そうとしているのだ。また、それらを全て容認し差別決定を下してきた司法権力ー国家権力の極悪な部落差別の隠蔽を強化しているのだ。
「開示証拠を公開すると弁護士でなく本人が罰せられることもあり、慎重に対応したい」との弁護団発言にもあるように、開示証拠や三者協議内容を明らかにすることへの規制が強化されている。「仮釈放」の保護観察のもとにおかれている石川氏に対して、「不特定多数に対して発言してはならない」などの規制がかけられている。石川氏はこうした規制や、権力に刃向かえば再収監という攻撃をはねのけ、自らマイクを握り東京高裁前にたっての糾弾行動、「見えない手錠」の鎖を一つ一つひきちぎる闘いを続けている。石川氏の言う「検察官に手持ちの証拠を吐き出させる闘い」「権力に迫る闘い」こそが問われている。 部落解放運動が訴えてきた内容として、次の言葉がある。
「どんな厳しい状況にあっても、わが同盟は糾弾の旗を守りぬかねばならない。60年におよぶ歴史の中で幾多の先輩が命を賭して守りぬいてきた闘いの魂であり、それによって今日、『国民的課題』と言われるまでに運動を前進させてきた原動力である。…」
「『話し合い』ではなく、なぜ糾弾なのか? 善意の人々からもよくだされる疑問である。広義に解釈すれば、糾弾とは部落差別に関わる『話し合い』である。そして、『話し合い』の中には、対談・座談会・懇談会・討論会や交渉、談判なども含まれている。しかし、糾弾に対置して『話し合い』がだされてくる背景には、『当事者間で』『少人数で』『怒りを抑えて静かに』という注文が必ずついている。この条件は、運動の前進につながらないという意味から、わが同盟は今日の段階では是認していない。その理由は次の通りである。
」(『いまこそ糾弾の旗高らかに 旭ヶ丘小学校差別事件糾弾闘争中間総括 部落解放同盟奈良県連合会 1981年』)
この歴史的な内容と実践に学びながら、さらにわれわれは、戦前の全国水平社が日帝の戦争とファシズムに向かう過程で階級支配に屈服した血の教訓をわがものとし、差別問題を常に階級支配との関係で位置づけていかなくてはならない。権力打倒と階級支配の廃絶、資本主義社会における賃労働と資本の矛盾という根本的矛盾の問題として、真正面から問題にしていかなくてはならない。そうでないと、繰り返し、階級性から離れた小ブル的な“反差別運動”や日共や革マルや木元グループに露骨な様々なスターリニズムによる差別問題の利用や差別主義への転化が生じる。
世界恐慌の危機が深まる中、全世界労働者・人民が武装闘争、ストライキ・街頭占拠闘争に起ち上がっている。階級支配の危機におびえる安倍は、天皇(制)攻撃を全面化し、排外主義・差別主義煽動を行い、治安弾圧を強めている。秘密保護法施行、「集団的自衛権」公使閣議決定、司法取引=売り渡し攻撃、「テロ資金凍結法」制定、労働者派遣法改悪策動など、政治的社会的なファシズムへの転換攻撃をごり押ししている。
こうした中で身元・土地差別調査やネットでの差別書き込みが激発しており、都営住宅エレベーターに差別落書きが2年も放置されていたり、「『部落地名総監』を配っただけでは人権侵害にならない」との、研修会での広島法務局幹部(複数)の発言など、身の回りでの差別事件が多発している。差別を見過ごすことは差別そのもであり、いっさいの差別を許さず闘いに起ち上がろう。日本維新の会橋下を尖兵に、部落解放闘争が築きあげてきた団結の拠点破壊攻撃がかけられている。ザイトクカイの水平社博物館への差別攻撃を許さず闘おう。戦争とファシズムに突撃する安倍政府打倒、天皇(制)攻撃粉砕、日帝国家権力を打倒しよう。全国水平社結成以来の部落解放闘争の原点である糾弾闘争を非合法化し、部落解放運動解体せんとする攻撃と対決して闘おう。
反革命革マルが、関西大学の部落民「障害者」を襲撃しようとして、関大部落解放研ボックスとそこに居たメンバーを襲撃して35ヵ年になる。「未解放部落の存在に起因する部落差別」という部落抹殺論をエセ「解」紙上で展開した革マルが、部落差別主義を居直ったまま、狭山―部落解放運動に関わり―破壊することを許してはならない。とりわけJR総連革マルや民主党田代などの「冤罪共闘」と称しての関わりは、まさに、石川氏が「ゆずれないものとして」ある差別糾弾の闘いを否定するものである。加えて、この革マルの部落抹殺論は、77年の8.9狭山上告棄却―部落民虐殺宣言の直後に出されたものであることが意味するのは、部落民と部落解放運動への憎悪である。そうして、革マルは、79年12.10に至るのである。
木元グループの反革命と差別主義の純化は、ますます度しがたくなっている。10・31狭山の現場に限らず、権力に素面をさらすことで、自分の官僚性を押しだしてきたのが宮井誠である。その宮井が狭山集会への公安警察の潜入を擁護したことを、われわれが暴露し、闘う部落大衆や労働者人民から追及されるや、この日は、マスクで顔を隠して登場した。まさに権力には尻尾を振り、闘う人民には「秘密」をつくるのが木元グループである。この日、代わりに素面をさらしたのが、元木清子である。元木は、99年5.4の木元グループの脱走直後の5.23狭山闘争で「ビラ一枚も書けないダレソレ」と同志のことを言及した。およそ、部落解放運動が、文字一つ、ビラ一枚を取り戻したり、書き上げたりする闘いを、積み上げてきたことを知った上での発言であり、決して許しておけない内容であった。それから15年、今や、元木は、われわれのことを「人じゃない」と言い募り、10.31の宣伝カーでは「検察は肝心の証拠を開示しない。それに対して高裁は手ぬるいことをしている」と、司法権力が行政権力にもっと権力行使をしろとわめくありさまである。そして、同じ徳島大の四宮・木元グループ「全学連」委員長は、これまた、アジテーションで、「狭山事件の当日、埼玉県警は犯人を包囲しながら取り逃がした」ことを強調し、“警察はちゃんとつかまえろ”と何回も絶叫したのである。元木同様、宮井は「クズ」とか「カス」と言う言葉を連発し、むらたは日雇い労働者に「チンピラ」発言をする。度しがたい木元グループの放言、人間観を、指摘するのも口惜しいが、われわれは、必ずや根絶することをもって責任をとる。
これらの発言や発想は偶然ではない。2001年5.22の徳島大学弾圧に際して、四宮や安田は、大学当局に泣きつき、われわれの情宣部隊に対して弾圧を要請し、「自分達を守れ」と訴えた。2000年6.27の九大弾圧では、公安からの情報を得て、鈴木ギャ―、坂田、芳永らが三里塚講演集会の破壊に来た。つまり、木元グループからすると体制内秩序の中で、ファシストに屈服し、権力に屈服して、「運動すること」が、そしてわれわれや三里塚などの戦闘的闘いをつぶすことが、「革命運動」なのである。
川村すみこの「敵対・逃亡」(『崩壊』)で木元グループ全労交は、ますます破産への道を加速する。弾圧に対して、「私たちは反社会的集団ではない」と主張する川村ら木元グループが、弾圧や争議の中で瓦解するのは当然である。岸本の「急激な入浴」―死への関与への弾圧を恐れた木元こと山田茂樹が、13年11月に逮捕されて、無事放免されたことは、総スパイ集団木元グループの中でのスパイ争い、誰がより太いパイプを権力と結ぶのかというスパイ合戦をますます強めることになる。内部叩きと体制内性への屈服は、10・31の現場の数分でいやというほど全面展開されるのである。木元グループは「腐ったゲリラ」を行なうことで、われわれへの白色テロの新たな意志一致に入った。木元グループ根絶戦を根絶戦として、5同志虐殺の決意も新たに、攻勢的に貫徹しよう。