全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

同志荻野虐殺16ヵ年報復
報復戦貫徹―反革命木元グループ解体・根絶にむけ決意も新たに
7.6反戦・全学連が闘いにたつ

山田・土肥らによる脱落―路線転換と先頭で闘った同志荻野の虐殺を許すな

 

 本年7月2日をもって、反革命木元グループによる同志荻野虐殺から16年が経過した。同志荻野は、1970年代初頭より革命的党派闘争と本格的権力闘争の飛躍の最先頭にたち、公然―非公然をつらぬく党活動の先頭で奮闘してきた。虐殺当時は、明大生協労働者として権力・革マル・ファシストへの屈服―路線転換を最深の動機とする木元グループの革命党からの脱落、それを契機とした党―統一戦線破壊とまっ向から対決し、解放派の団結と闘いの新たな飛躍にむけ自ら熾烈な攻防の前面にたち獅子奮迅の闘いを日々展開していた。

 99年5・4〜5木元グループによる革命党本部占拠策動は反戦・全学連をはじめとした戦闘的な労働者・学生の闘いにより粉砕された。それから虐殺までの2ヵ月、同志は理事会・御用組合=明大生協従業員労組・パート労組をテコに木元=山田茂樹が私物化同然にしてきた自らの職場明大生協において、文字どおり命がけの身体をはった闘いをつらぬきとおした。

 脱落―路線転換に対する怒りをみなぎらせ、山田や生協理事小林、従組委員長片山などの掌握下にある生協労働者や学生に対し、山田・土肥らによる脱落―党・軍破壊策動との対決と自己批判―革命党への復帰を呼びかけつづけてきた。また、5・4〜5をうけ獄対活動が困難になるなか98年5・26反共ファシスト宗団=「明大ゴスペル」戦弾圧により当時東京拘置所に在監していた生協労働者・学生を物心両面にわたって支援し、権力、明大資本、「明大ゴスペル」との非妥協・非和解の裁判闘争・獄中闘争を闘う被告団の大きな支えとなっていた。同志の奮闘があったからこそ、いったんは木元グループに組織されかけた者をもふくめすべての獄中同志が解放派―プロレタリア統一戦線の隊列への合流をかちとった。

 同志の烈火のごとき闘いは、山田・土肥らによる囲いこみによって人脈的に組織化されていた木元グループ構成員たちに動揺をあたえ、その上意下達支配に亀裂を生じさせた。7・2虐殺テロは、同志の闘いに恐怖し心底憎悪する山田・土肥らによって、同志の輝かしい闘いの地平そのものの抹殺をも意図しながら凶行された。また、虐殺テロに踏みこむことにより個々のグループ構成員の自己批判―復帰の道を断ちきり、早くも組織瓦解の危機にあったグループの統制を強めようと意図するものであった。まさに“虐殺のための虐殺”としてあったのだ。

 解放派が解放派であるためには、7・2虐殺テロへの報復戦を何がなんでも貫徹しなければならない。同志荻野虐殺に手を下した木元グループは、反革命の道をいっきょに転落し解放派の誇るべき4名の同志をつぎつぎに虐殺していった。木元グループの反革命の奈落への転落を刻印したものが、ほかならぬこの7・2同志荻野虐殺なのだ。山田・土肥をはじめ虐殺の張本人どもに報復の鉄槌をうち下ろし、組織瓦解の瀬戸際であえぐ木元グループを解体・根絶せよ。

 木元グループ解体・根絶、明大再拠点化に向けた不退転の決意をみなぎらせ反戦青年委員会と全学連は同志荻野虐殺16ヵ年報復の闘いに決起した。

渾身の怒りをこめ明大大学会館前に登場し情宣闘争を貫徹

明治大学駿河台前

 7月6日午後、強まる雨をものともせず明治大学駿河台、大学会館前に登場した反戦・全学連の青ヘルメット部隊は、入口正面に向かって横断幕を広げ隊列を整え怒りのシュプレヒコールを明治大学にたたきつける。「同志荻野虐殺に報復するぞ、木元グループ解体・根絶、木元グループと連携する明大当局を許さないぞ、明治大学の学生運動・生協つぶしを許さないぞ、明大の再拠点化をかちとるぞ」――決意と闘志にあふれたシュプレヒコールが篠つく雨を振り払い一帯に響きわたる。闘いの熱気がまたたくまに大学会館前を席巻する。入口前に立ちはだかる2名の守衛は部隊の戦意に圧倒され表情を強ばらせている。

 部隊の眼前にある大学会館のなかには明大の中枢とも言える理事会が置かれている。また大学会館に隣接する12号館はかつての明大生協の諸店舗が置かれていたところであり、同志荻野の職場もここにあった。虐殺の当日も同志は、戦場となった職場に向かう途上であった。

 権力は、90年天皇決戦を戦闘的に闘いぬいた解放派に憎悪を集中した。とりわけその拠点校であった明治大学に対しては、「皇居近隣に赤旗などとんでもない」と、革命的学生運動・生協(労働)運動破壊に力を注いできた。権力・明大資本一体の攻撃に屈服し、路線転換による「拠点」防衛―延命を願望したのが木元グループだ。木元グループ発生の大きな背景として権力・明大資本一体の拠点破壊攻撃がある。明治大学を断じて許すことはできない。

 しかし、木元グループが革命党からの脱落を見返りにいくら延命を懇願したところで、当然のことながら明大資本はいっさい聞かなかった。明大学内から学生運動、自主的サークル運動や闘う労働者を放逐・排除するために使い廻されるだけ使い廻されたあげく、2002年9月、明大生協「自主解散」―200名の生協労働者の首切りをおこなった。こうしたことの見返りとして明大当局は、裁判での「和解金」や明大生協の「解散助成金」など億単位のテロ資金を木元グループに提供している。そして廃墟化した学内に「入構禁止」措置や監視カメラの大量設置、民間会社の制服ガードマンの大量導入など現在の学内治安管理態勢が構築されていく。脱落・転向した反革命集団―木元グループと連携しながら学生運動つぶし、生協(労働)運動つぶしを踏み台とした学園再編をおし進める明治大学に部隊の怒りが燃えあがる。

 反戦・全学連の同志が交替で、アジテーションをおこなう。同志荻野の闘いをわが闘いとし、木元グループによってうち下ろされた虐殺テロの一撃一撃をわが痛みとする熱のこもった発言が続く。闘いに結集したすべての同志が、同志虐殺への報復と解放派の歴史的拠点=明大への再進撃を深く心に誓う。

 闘いの高揚に恐怖した権力は公安私服刑事を動員し闘争破壊を策動してきた。守衛職員からの一報を受けるなり権力は即座に動きはじめる。警視庁本庁の公安刑事が闘争現場に車両で乗りつけ、所轄=神田署の公安刑事とともに露骨な挑発・破壊をおこなってくる。

 反戦・全学連の部隊は戦意も高く、権力の闘争破壊を粉砕して大学会館前での長時間の情宣を戦闘的に闘いぬいた。最後に全体でシュプレヒコールを再度明大にたたきつける。撤収過程では、さらに数を増した権力の執ような追尾をはね返し、圧倒的な闘志と迫力をもって闘いを貫徹した。

木元グループ解体・根絶戦の烈火のなか明大再拠点化へむけ進撃しよう

 木元グループが革命党からの脱落・逃亡を公然化した1999年5・4〜5から16年が経過した。木元グループの反革命転落が現在進行形で留まるところなく進んでいる。木元グループの反革命への転落を決定的に加速させた7・2同志荻野虐殺への報復の闘いを取り組んだ反戦・全学連は湧きあがる怒りとともに報復戦の先頭にたつことをあらためて全国の同志・友人に対して宣言する。同志荻野をはじめとした5同志虐殺に報復し、生みだした責任に置いてともに木元グループを解体・根絶しつくそう。

 親ファシスト―ミニ・スターリン主義集団として脱落直後から木元の内部テロ支配によってようやくグループとしての体裁をとっている木元グループは、櫛の歯がかけるように構成員がつぎつぎに逃亡する事態のなか、いまや組織の存立さえ危ういという状態に直面している。首都圏部隊の中軸であった生協・中執などの明大関係者は、いまや首切り理事=永嶋・木口のほかごくわずかを残すところまで減少し、地方においても九州・四国など離脱者が後を絶たない。

 注意すべきことは、組織的瓦解と反革命転落が相乗的に進行していることだ。木元グループはいまや、沖縄で見られるように反革命革マルと部隊を隣り合わせ労働者人民の闘いへの介入・破壊を策すにいたっている。社民・日共の運動に革マルとの共闘をも織りこみながらぶら下がるのが唯一の延命路線となっているのだ。

 対権力非和解性と言うことでいえば皆無だ。2000年5・26九大弾圧で権力の任意提出に進んで応じた芳永亨をはじめ、山田や宮井誠を先頭に取調べを権力との情報交換の場としてきたものどもに権力との非和解性などあるわけはない。一昨年の狭山闘争の現場で明らかになったように、権力の破壊・介入に対する闘いに公然と敵対し、権力をかくまうというあからさまに従順ぶりをアピールするまでになっている。

 木元グループの組織延命にための白色テロを断じて許すな。機先を制し解体・根絶の巨弾を山田・土肥ら反革命頭目どもの頭上にいまこそうちおろそう。

 木元グループ解体・根絶戦の推進と同時に断固明大への再進撃をかちとろう。反戦・全学連も名を連ねた6・1「声明」の内容を幾重にもとらえ返し、労働者人民・被差別大衆解放―プロレタリア革命の前進基地たりうる拠点建設をめざし再度明大に進撃していこう。反戦・全学連はこうした闘いの最先頭で闘う。全国の青年労働者・学生諸君、反戦・全学連とともに闘おう。

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