全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

同志北條千秀虐殺17ヵ年報復、東京拘置所弾劾行動に起つ

ビラ表ビラ裏

 1月13日、全国反戦と全学連は、東京拘置所弾劾行動にたった。1999年北条千秀同志が東京拘置所に拘禁中に「保護房」に叩き込まれた後に虐殺された17ヵ年にあたり、報復の決意も新たに決起した。

 午後、青ヘルメット・青ゼッケンで身を固めた部隊は、東京拘置所正門前に登場する。”同志北條千秀虐殺17ヵ年報復”の幕をひろげ、シュプレヒコールをたたきつける。「東京拘置所による虐殺に報復するぞ。『保護房』叩き込みをゆるさないぞ。獄殺医療を赦さないぞ。死刑執行を弾劾するぞ。獄中者の解放をかちとるぞ。監獄解体。東京拘置所解体」。

 行動開始から5分で拘置所内から看守・警備隊があたふたと出てきて、行動を規制してくる。十数名の警備隊員がわれわれの部隊の前に車止め蛇腹をひろげて対峙してくる。すぐに所轄の公安3名が駆けつけ、「殺人集団、うじ虫、テロリスト」などといいながら首を絞め殴りかかってきた。そして、これを合図に警備隊が蛇腹ごと部隊をぐいぐいと押してくる。これらと対決し、弾劾のシュプレヒコールをあげ続ける。

 正門前の行動を一段終了した後、面会所の門前と小菅駅の二手に分かれて情宣を行った。面会所前では、幕をひろげて面会に来る人、帰る人、地域住民に向けてビラをまいていく。東拘の医療放置、「保護房」虐待の実態を訴えると、多くの人がビラを受け取っていた。ビラまき開始直後に、警備隊が門を半分くらい閉め規制線をはり妨害してくる。また、本庁公安も駆けつけ監視してくる。これを徹底弾劾し、約1時間の情宣を貫徹した。

監獄・裁判所一体の北條千秀同志虐殺を断じてゆるさない

 98年5月26日、北條千秀同志は、反共ファシスト宗団=「明大ゴスペル」による襲撃を受け、襲撃者の通報によって警察に逮捕された。肋骨骨折の重傷を負わされながらも完全黙秘―非転向で闘った。東京拘置所移監後は、ファシストと権力・明大当局が一体となった反革命弾圧に怒りを燃やし対決した。

 東拘や東京地裁は千秀同志のこれまで闘いや、90年天皇Xデー決戦当時に爆取でっちあげ弾圧によって東拘に在監していた北條秀輝同志の長期獄中闘争を身近で支援してきた闘いを憎悪し、千秀同志に攻撃を集中してきた。当時の裁判長中山隆夫は、初公判において「人定」に黙秘で挑む千秀同志ら被告たちに対し、「黙秘を続けていると大変なことになりますよ」と報復感情をあらわにし、直後に獄外との「物の授受禁止」を加えるなど、接見禁止攻撃を強め徹底して獄外との分断をおこなってきたのである。

 千秀同志は、拘禁に起因する不眠や過換気症などに苦しんだ。諸症状と格闘しながら獄中闘争を闘いぬいていた。発症に対し東拘当局は、同志を医療とは名ばかりの薬漬けの状態にした。98年12月10日には、「薬が効かない、おかしい」と抗議する千秀同志を「保護房」へ叩き込んだ。必要な医療を要求する同志を暴力的に「保護房」に叩き込んだのである。そして還房後、懲罰審査を通告した。

 そういった状況の中で、「12月14日朝に自殺を図った」との報道がなされた。その日は入浴日で、居房の前の廊下はひんぱんに看守が通っていた。東拘当局は事態発生後、形だけの応急処置をしただけで長時間にわたって同志を拘置所内に放置し、救命救急医療がおこなえる病院に搬送したのは発見から実に4時間後であった。そしてその間二度に渡って、北條秀輝同志を意識不明状態の千秀同志に会わせた。目的は非転向で闘う同志への獄殺恫喝―転向強要である。東拘当局はまさしく意識的に千秀同志を虐殺したのだ。虐殺の下手人―東拘当局を断じて許さない。

右翼・ファシストと手打ちし、同志虐殺を容認した木元グループを解体・根絶しよう

 反戦青年委員会と全学連は、東拘当局による同志虐殺を許してしまった団結と弾圧に対する闘いの内容が厳しく問われている。虐殺17ヵ年の本年、決意も新たにこの敗北を突破し東拘をはじめとした虐殺下手人・機関への報復戦を貫徹する決意を明らかにする。

 木元グループの頭目・山田茂樹は、権力・資本・ファシストに屈服し、闘う隊列から脱落・逃亡した。「明大ゴスペル」を指導する韓国の国家情報院(当時「安全企画部」)のスパイと親交し、襲撃や警察との連携を免罪した。その一方で、ファシスト弾劾・階級裁判粉砕を掲げて闘う被告団を制動し、非妥協で闘う仲間への排撃をおこなった。

 そして千秀同志虐殺に対して「東拘はやることはやった」と「千秀同志が限界だった」論を吹聴して回った。「獄殺とすると、若いメンバーが監獄を恐ろしいところと思ってしまう」などと自分の監獄への恐怖を吐き散らしながら同志虐殺を容認し、真相究明―報復戦の破壊を策動した。そして国家―監獄当局の攻撃と、それへの闘いの不充分性などを、千秀同志本人の「思想問題」にすりかえ、当時の獄中―獄外貫く団結の限界性と敗北を総括し闘うことに敵対した。

 ファシスト宗団から「お友達」とまで言われた木元グループは、脱落・逃亡以降は権力・資本の手先として明大生協労働者の全員解雇や、階級闘争を先頭で闘っていた五人の同志の虐殺を強行し、正真正銘の反革命集団へと転落した。  反戦・全学連は木元グループを生みだした中身を徹底的に検証し克服し、必ずや木元グループを解体・根絶する。

死刑執行弾劾! 「保護房」解体―あらゆる獄中弾圧を粉砕しよう

 昨年12月18日、国家―法務省と東拘・仙台拘置支所は2名の獄中者の死刑を執行した。労働者人民に死刑を宣告させた裁判員裁判の判決の下、刑を執行したのだ。労働者人民を動員しての国家による人民虐殺を徹底して弾劾する。

 深まる戦争突撃とそれを阻止する闘いが激突するなか、政府は弾圧を加速させている。そしてそのテコとなっているのが監獄の中の監獄―「保護房」である。2001年の名古屋刑務所における獄中者虐殺をはじめ、あらゆる暴行や拷問、獄殺の温床になっているのが「保護房」である。「保護」と称して千秀同志や「病者」・獄中者を叩き込み死に追い込んできた、紛れもない虐殺房だ。

 安倍政府は「世界一安全な日本」のための政策と称して、警察署内留置場の「保護房」を増設している。「保護房」収容の件数は東日本大震災の時期から格段に増えている。

 闘う獄中者、そして保安処分攻撃と闘う「病者」と連帯し、監獄や精神病院、入管施設など、すべての収容施設にある「保護房」を撤廃しよう。

全国の闘う人々と連帯し、吹き荒れる弾圧を粉砕しよう。 監獄解体―獄中者解放をかちとろう

 監獄は闘う者に屈服・転向、さもなければ死を強制するための暴力装置である。そして一人の同志への攻撃は、その同志が共にする団結への総掛かりの攻撃でもある。私たちは“一人の獄中暴行・拷問・「保護房」叩き込みも許さない”原則を鮮明にうち出し闘う。

 何より監獄は徹底した差別・分断、拷問・虐殺を日々執行し国家の支配を維持・拡大するために存在する。それを解体・廃絶するのは戦争突撃と治安弾圧に突き進む現在の階級闘争・革命闘争の第一の課題だ。千秀同志虐殺を許した総括をもって、弾圧と真に闘う団結を形成する。「戦争反対」を謳いながらも権力とは決して闘わず、むしろ弾圧と対決することを制動する勢力を踏みしだき、反弾圧の強大なうねりを上げていこうではないか。獄中―獄外貫いて警察・検察・裁判所、そして監獄、一切の弾圧機関を解体する闘いを闘おう。

 北條千秀同志虐殺17ヵ年徹底弾劾!東拘による死刑執行をゆるさない!「保護房」撤廃!監獄解体―獄中者解放を掲げ全国の監獄に向け進撃しよう。

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