戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
日帝安倍は3月29日戦争法を強行し戦争・改憲へと突き進んでいる。ますます三里塚空港の兵站基地・出撃拠点化を許さぬ農地死守・廃港決戦―「三里塚に勝って戦争を止めよう!」の闘いが決定的に重要だ。
こうしたなかで自衛隊の上級幹部教育機関である「統合幕僚学校」が2011年度にまとめた部内研究の報告書が報道された。安倍はこの自衛隊制服組の提言に沿った形で、集団的自衛権行使の閣議決定へと踏み込んだ。そして次々と武器輸出の解禁、PKOの武器使用基準の緩和、自民党憲法草案での緊急事態法条項新設と、実態的な改憲へと突っ走っている。さらに断じて許せないのが上記報告書が「国民全体の安全保障感を確立するためにはまず公教育に於ける周知に取り組むこと。『盲目的』(ママ)戦争反対、成田闘争の正当化等、国策妨害を教育するのではなく…」等と三里塚闘争への憎悪をむき出しにして教育領域にも言及していることだ。
三里塚は50年の徹底非妥協・実力闘争・一切の「話し合い」拒否の闘いで「未完の空港」を強制している。「国家の総力を挙げた国策でも、札束にも暴力にも負けずに闘えば勝てる」という勝利の展望を全国の労働者人民に指し示している。日帝の階級支配にとって三里塚闘争は敵ののど元に突き刺さった刃なのだ。まさに支配階級の悲鳴である。
今こそ三里塚―沖縄―福島を貫いて、安倍―国家権力の支配を許さぬ労働者人民―労農水「障」学の怒りを結集して、三里塚芝山連合空港反対同盟と固く連帯し畑を守りぬこう。
5月4日午後1時半、市東さん宅南側の開拓組合道路に仲間たちが結集した。明け方の激しい雨もあがり5月の空がまぶしい。三里塚木の根全国共闘、反戦青年委員会、全学連、手話講座実行委員会、反戦全学連三里塚現地行動隊が決意を述べ簡単な打ち合わせを行ったあと、デモに出発した。旧小見川県道を挟んで市東さん宅の真正面にある、公安や機動隊の出撃・弾圧拠点である前線指揮所に怒りのシュプレヒコールを叩きつけ、南台の市東さんの畑までのデモを貫徹した。南台(元現闘本部横)の畑には24時間監視カメラが稼動し、フェンスの上から畑をのぞき込む「お立ち台」から機動隊が日常的に監視をくり返している。市東さん、援農に入っている支援の農作業の一挙手一投足を監視する生活・営農破壊そのものであり、徹底弾劾する。さらに、最近、畑入り口にセンサーらしきものが設置されている。決戦に身構えた敵の動向に怒りに燃え、闘う労農水「障」学の部隊は農地死守をあらためて決意した。
デモの熱気をひきついで、午後7時より援農交流集会が開催された。木の根全国共闘の仲間が司会に立ち「今回の大きな目標は市東さんの農地を絶対にとらせない、そのためにどう闘うのかを主題に行います。私たちは三里塚の闘いで絶対に権力に屈しないことを学んで来ました。この闘いをさらに押し広げ仲間を組織し勝ちぬきましょう」と開会あいさつを行なった。
つづいて現地行動隊の仲間が基調提起を行った。「市東さんの農地裁判は最高裁に移り、4ヶ月以上経った。5.18の2回目の最高裁署名提出行動を反対同盟と共に闘い上告棄却を阻止しよう。いよいよ判決をいかに迎え撃つのかという段階に入った。三里塚闘争50年の闘いに学び、多くの人たちを三里塚現地に呼び寄せ、実力で闘う木の根共闘―労農水「障」学共闘の隊列を強化し農地を守りぬこう。萩原進さん、市東東市さんをはじめ数多くの反対同盟諸氏の偉大な闘いをひきついで、今の反対同盟がある。反対同盟諸氏の非妥協の50年の闘いをひきつぎ7.3集会を闘い、農地死守決戦に進撃しよう。三里塚闘争を標的にした自衛隊統合幕僚学校の2011年度報告は三里塚闘争を国策に反対する象徴的な闘いとして、戦争突入前に何が何でも解体・圧殺しなければならないと言っている。戦争反対・安倍政権打倒の核心的な闘いである三里塚闘争の重要性をより多くの人たちに呼びかけて、共に闘おう」と提起した。
つづいて、道交法弾圧を完黙非転向で闘い4月22日に奪還された現行隊の仲間が「ご心配をおかけしました。戻ってくることができました。実力闘争・非妥協で闘いぬく三里塚闘争が正しかったとあらためて確信しています。50年の歴史を引きつぎ現地で闘える喜びをもって、農地死守決戦を先頭で闘います」と出獄あいさつを行った。
そして、不退転の闘いをつづける反対同盟からあいさつを受けた。市東孝雄さんは「強風の中のデモ、ご苦労さまでした。反対同盟結成以来みんな一生懸命やって来ました。この50年で自分もはじめだんだん高齢化していますから、若い人もどんどん三里塚に呼んで、ますます権力と立ち向かえるような闘いをやっていきたいと思います。昔からやってきた軍事空港反対の闘い。だからこそ向こうは攻撃してくる。安倍政権は、実際日本の中では無茶苦茶になっているのに、よそでいい顔している、ああいう安倍は倒さなければいけない。そのためにも、今日集まられた方々も、力を一つにしてさらなる三里塚闘争の歴史をつくって行きたいと思います。どうかみなさん、力を貸して下さい。」と力強く訴えた。
萩原富夫さんは「市東さんが、こうしっかりとした気持ちでいてくださっている。言われたように、やはり新しい三里塚ということだと思う。この50年、意義のある闘いをやって来ました。そしていま、市東さんに対する新たな攻撃という情勢の中での闘いをどうやって勝ちぬくか。今までの闘いを引きつぎながら、引き継いでいるということは、敵の側が三里塚を恐れているということです。それで敵を恐れさせるような闘いをやりたい。沖縄、福島とか国策との闘いの、根底的な怒りと結びつき、その中で三里塚闘争の本質が活きるよう運動を進め、市東さんの闘いを勝利していきたい。お互いに意見交換し、交流しながらとももに闘いを創っていきたいと思います。よろしくお願いします」と訴えた。反対同盟から熱い檄が発せられ、参加者一同が割れんばかりの拍手で応えた。
福岡築港日雇い労働組合からの「4.24出来町公園からの叩きだし、炊き出しつぶしを許さない総決起集会は大成功を勝ちとりました。反対同盟からのアピールありがとうございました。農地取り上げを許さず、いざことあらば現地にはせ参じ市東さんと共に闘います。出来町でも5月から叩きだし工事を始めようとしています。出来町を拠点に生活・労働し闘う仲間を守りぬきます。出来町にも駆けつけて下さい。共に闘いましょう。」というアピールが紹介された。
そして、三里塚野戦病院・手話講座実行委員会の朝田しげるさんが「野戦を守りながら市東さん決戦を何としても闘います。反対同盟も支援もやられたら必ずやり返す、鉄塔を倒されたらすぐにヤグラ建てたように、こうして50年闘ってきた。もっともっと人を増やして勝利しよう」と」と乾杯の音頭をとった。そして、全体の交流に入っていった。
しばらくの歓談ののち、木の根共闘に結集する諸団体があいさつに立った。
まず三「障」委が「去年、この場で萩原さんとお話して、6月に三「障」委と反対同盟との交流会がもてました、ありがとうございました。あの時に三「障」委は市東さん決戦を実力闘争で闘う決意、そして「障害者」もいることを前提に、共に実力闘争で闘いましょうと、提起させていただきました。今もその決意に変わりはありません。「障害者差別解消法」は、ふざけんな!です。差別実力糾弾で闘う国家に「障害者」の差別かどうかを判断を委ねるなんて絶対にありえない。差別は「障害者」本人が受けて腹立たしくて、糾弾するのが差別糾弾です。実力をもって糾弾するのが差別糾弾です。実力闘争・非妥協は反対同盟と三「障」委の絆みたいなものです。この絆を大切に今後も反対同盟とともに実力闘争を闘う介護者を組織しなくてはなりません。
同じく三「障」委の仲間が「5年間病気で休んでいました。お見舞いありがとうございました。これから一生懸命頑張りたいと思います。よろしくお願いします」と満面の笑みであいさつした。
千葉の労働者は「地域の労働者が三里塚とつながり、資本に対して声を挙げていけるような運動をつくろうと格闘しています」、さらに初参加の仲間は「三里塚と聞いて、まだあるんだ、とにかく一回行ってみようと今日来たら、みなさんすごく元気がいいのでびっくりしました。三里塚も反原発も帰って若い人たちのなかに広げていきたいと思います」と発言した。
全学連は「農地強奪実力阻止を先頭で闘う。戦争法粉砕の国会前の権力の規制、弾圧を許さない攻防は三里塚の実力闘争の力。伊勢志摩サミット粉砕を共に闘おう。5.23実は「国家権力による部落差別を許さず5.24狭山中央闘争を闘おう」、反弾圧反警察運動は「6.25反反集会へ!今なぜ黙秘か、弾圧現場から闘いを」、東京反戦は「用水決戦で、反対同盟が弾圧恐れず実力で闘ってきたことが、自分の原動力です」と、決意表明した
生活保護打ち切り攻撃と闘う仲間は「私たちは遊んでいるわけじゃないし、なまけものでもない。。50年闘いつづける三里塚はすばらしい。三里塚の実力闘争を共に、反貧困反差別で闘う」と決意が語られた。その後も反対同盟を囲んで、にぎやかに交流がつづいた。
最後に現行隊が「実力・武装で闘う労農水『障』学共闘の決戦陣形をうちかため、反対同盟と共にいざ農地死守決戦へと進撃しようとまとめ、反対同盟歌を全員でスクラムを組んで歌って、交流会を終えた。翌日は現地調査、援農闘争が取り組まれた。
71年代執行以来の歴史的大決戦が目前に迫っている。援農交流集会で、一人一人の三里塚が語られ、勝つためにどう闘うか意見が交わされた。創意工夫をこらした闘いを編み出し決戦に突入しよう!!