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全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

原爆投下居直り、核兵器独占宣言、「反テロ」戦争推進、日米同盟強化
オバマ「広島演説」「岩国演説」を弾劾する

 5月27日、米帝オバマが広島・平和公園を蹂躙し、被爆者の前で17分間にも及ぶ演説をおこなった。オバマは、「謝罪」を拒否し、原爆投下―大量虐殺を居直った。この演説は、核兵器独占・保持・使用を宣言するものにほかならない。しかも、いわゆる「核のボタン」をそばに携えたまま演説をおこなった。さらに、広島に来る前に、あえて米軍岩国基地に立ち寄り、海兵隊員・自衛隊員の前で激励と日米同盟強化の演説をおこなった。

 演説の一言一言が怒りなくしては読めない。徹底して弾劾するとともに、「広島演説」「岩国演説」について以下、特徴的なところに絞って批判する。

 「広島演説」の冒頭から、「71年前の雲ひとつない晴れ渡った朝、空から死が降ってきて、世界は一変した」。原爆投下という米帝の主体的責任を回避し、客観的叙情的に描きだす。「広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦」というのもそうだ。米帝が原爆を落としたという事実に言及しないで、徹底して避ける。終始、他人事のように一般論を繰り返す。これこそ原爆投下の居直りだ。

 「閃光と炎の壁がこの街を破壊し、・・・」「恐ろしい力が解き放たれた」。原爆の熱線と爆風について言うだけで、放射能について、原爆症で亡くなった、あるいは放射能に差別に苦しみ続けている被爆者への言及は一切ない。「恐ろしい力」が放射能のことともとれるが、あえてその言葉を使うことをしない。

 「広島だけが際立って戦争を象徴するものではない」。戦争の惨禍は広島だけ、原爆だけではないと、被爆者の前で言い放つ。「6000万人もの人たちがなくなった」。「行進させられ」―日本軍によるフィリピン・バターン死の行進を想起させるように。「毒ガスで」―ナチスによるガス室での虐殺を想起させるように、広島だけではないと。

 冒頭に被爆者に対する追悼を形ばかり口にしている。アメリカ人捕虜については昨今の調査結果から12人と細かく出しつつ、そのほかは「10万人を超える」と大雑把な言い回しである。その上で、被爆者だけではないと繰り返し強調する。直前の「岩国演説」でも、またオバマがアメリカに戻ってからの講演でも、「第二次世界大戦で命を落とした、全ての人々を追悼する機会」と位置づけ、被爆者だけへの追悼ではないことを強調する。

 「きのこ雲」をみて「人間の中核に矛盾があることを想起する」と言う。ここでも客観的に述べる。「科学や物質的な進歩、社会的革新」が「悲劇をもたらす誘発剤」となると。米帝が決断したから原爆投下、大量虐殺があったのであり、技術的革新を誘発剤とするのは極度の居直りである。

 「いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう」。よくもこんなことが言えるものだ。核廃絶を求め、戦争のない世界を求め、「謝罪」を求め、保障を求める被爆者に対し、何一つしない米帝が。

 「あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきた」。米帝の責任を言わずして、「運命の日」とは何たる言い草か。「希望をもたらす選択」とは、日米同盟であり、日米の友好であるという。何が希望か。日米同盟(戦争同盟)のために被爆者をダシにしているのだ。こんなことが許せるか。また、この「選択」は、核兵器に関して「存在を制限し、縮小し、究極的には廃絶するために機能する組織と条約をつくった」ともいうが、うそである。核兵器の開発競争により数万発もの核兵器が存在している。組織と条約とは、帝国主義国とスターリン主義国家の核独占と管理のためのものである。

 「究極的には廃絶」「核兵器なき世界を追求」「私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません」、プラハ演説でも繰り返された言葉。核兵器独占宣言にほかならない。

 「それでもなお、世界中で目にするあらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ、そして腐敗と残虐行為、そして抑圧は、私たちのやることに終わりがないことを示している」。これは、帝国主義に付き従わないものに対して、容赦なく「反テロ」戦争・虐殺をおこなうことを宣言しているのだ。

 「私自身の国の物語・・・すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある・・この理想の実現は決して容易ではない」。現実として平等ではない。支配・被支配があり、搾取・収奪があり、階級格差、経済格差、差別・抑圧がある。世界中で戦争する米帝はじめ有志連合などによって、多くの人々が虐殺されている。こうした支配―虐殺の張本人である米帝・オバマが平然とこう言うこと自体が許しがたい。

 「私たちは戦争は望んでいない。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしい。国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られる」。これまた、オバマが何を言うか。オバマは来日直前のNHKのインタビューでも、広島での演説に謝罪を入れないことを言及するときに、「理解すべきことは、戦争の最中、指導者はあらゆる決定を下さなければならないということ」といい、米帝の原爆投下を正当化し、また現米軍の最高司令官としてあらゆる決定を下す用意があると表明している。ここに核兵器の使用は排除されていない。

 演説の最後の一文。「世界はこの広島によって一変した。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きている。なんと貴重なことだろうか。この生活は、守る価値がある。それを全ての子供達に広げていく必要がある」。「広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることだろう」。広島で、長崎で、沖縄で、ベトナムで、イラクで、シリアで、世界中でどれだけ多くの人々を米軍が虐殺してきた、また現在虐殺していることか。その現実を前にして何が「平和な日々」か。オバマは、労働者人民を支配し、屈服させること、階級支配の安定を「平和な日々」といっているのだ。そして、この演説中に出てこなかったのは、来日直前に明らかになった沖縄における元海兵隊員の女性殺害である。これへの「謝罪」もない。またもや軍隊・基地ゆえの事件が発生した。なにが、「平和な日々」か。

 「核戦争の夜明けではない」と欺瞞しながら、米帝では、今後30年間で約1兆ドルもの巨額の核開発、新型への更新計画が予定されている。徹底して弾劾する。

 「岩国演説」についても見る。

 米軍を激励してから広島入りするという、この行動自体がゆるしがたく、被爆者に対して挑戦的なものだ。

 まず冒頭から、「日米両国の素晴らしい同盟関係を再確認」するとしている。そして「米軍の最高司令官であること」を名誉とし、繰り返し日米同盟、安全保障での協力を語る。

 「世界中で平和と安全を促進」と米軍が主導する「反テロ」戦争―反革命戦争、労働者人民虐殺を全面賛美した。

 「日米両国が共有する価値観、決意」として、自由、民主主義などをあげ、まさにその名の下に世界中で戦争をし、これからも戦争をすることを宣言した。

 そして、ここでも沖縄における元海兵隊員の女性殺害については、一切触れない。

 原爆投下居直り、核兵器独占宣言、「反テロ」戦争推進、日米同盟強化のための「広島演説」「岩国演説」を弾劾する。

 帝国主義の核武装・反革命戦争を粉砕する革命的反戦闘争を闘おう。被爆者、2世3世の格闘に学び連帯し、被爆者差別をゆるさず、核廃絶に向け闘おう。

( 鷲尾 久 )

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