全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

7.3三里塚50周年集会かちとる
50年の闘いのすべてをかけ、農地死守決戦を闘おう!
実力・武装で闘う労農水「障」学共闘を強化し決戦の地=天神峰へ!

7月3日、三里塚芝山連合空港反対同盟主催の「三里塚闘争50周年!これからも闘うぞ―農地を守り、沖縄・福島とむすぶ7.3東京集会」が錦糸町・すみだ産業会館ホールで開催され、630名が結集し大成功がかちとられた。

 〈反戦・反権力の砦〉〈不抜の実力闘争拠点〉として日本階級闘争の最先端をきりひらいてきた三里塚闘争は、ファシスト安倍による戦争突撃─改憲に向けた参院選の只中で50周年集会を迎えた。市東さんの農地法裁判が昨年6月12日の東京高裁(裁判長・小林昭彦)による農地強奪判決を許さぬ上告審闘争開始から1年が経過している。反対同盟は「最高裁による農地取り上げを許さない5万人署名運動」を全力で展開し、これまでに2度の署名提出行動を行い、9月7日には最高裁を包囲弾劾するデモと第3回目の署名提出の闘いに決起する。こうして最高裁―敵国家権力がいつでも決定を打ち下ろせる状況下での攻防がつづいている。そして三里塚現地では、敵国家権力―公安デカ、機動隊、ガードマン、空港会社による生活・営農破壊、右翼ファシストの敵対・破壊襲撃と対決し闘いぬいている。いよいよ1971年代執行阻止決戦以来の歴史的決戦として、市東さんの農地死守決戦が到来した。

 この日、反対同盟と支援連はそれぞれ「農地はいのち」と「反対同盟のロゴ」入りのTシャツを着て8時に集合し、全員で会場設営を行った。会場までの通路には各団体のブースが設置されて賑わった。反対同盟は50周年記念のTシャツ、缶バッチ、空港絶対反対のはちまき、DVDなどを、革労協、中核派、統一委など、反対同盟と共に実力武装闘争を闘ってきた支援党派が機関紙・誌、各種資料を販売し、また反警察反弾圧運動をはじめとする各団体が総意工夫をこらした展示や販売を行った。福島菊次郎さんの写真展も同時開催された。

 10時から小川プロダクションの「三里塚の夏」が上映された。1966年からの初期の反対同盟の闘いが次々と映し出された。空港公団・機動隊への徹底した闘い、そしていよいよ代執行攻撃とどう闘うのかどうしたら勝てるのかの、率直・活発な同盟員同士の議論を経て実力闘争へと決起していく過程が映し出された。50年にわたって機動隊の暴力にも金にも負けずに闘いぬく反対同盟農民の非妥協の闘いの根源をあらためて確認していった。つづいて「三里塚闘争の不屈の50年」のダイジェスト版が放映された。50年という闘いの日々はまさに生活と闘いが一体のものであることを明らかにした。この闘いを引きついでいこう。

ミニライブとゲストスピーチで盛り上がる

  

熱気に包まれるなか、萩原富夫さんが開会を宣言し、本集会への賛同とカンパのお礼を述べた。そして市東孝雄さんが北原鉱治事務局長の主催者あいさつのメッセージを、「北原さんがここに参加できなくて残念でなりません。私が代読します、顔を思い浮かべながら聞いて下さい」と前置きし「地元住民を無視した7.4閣議決定から50年を迎え、三里塚闘争は今なお成田空港の完成を阻止し闘いつづけています。71年2度にわたる強制代執行阻止闘争を始め国家暴力と真っ向から対決し闘いぬいてきた50年でした。第3滑走路建設策動は戦争攻撃と一体。市東孝雄さんの100年近く耕してきた農地を死守することは戦争への道を阻止する闘いでもあります。残念ながら療養中で参加できませんがこれからも反対同盟は意気軒昂と闘います。絶大なるご支援を心からお願いします」というメッセージを紹介した。

 つづいて趙博さんによるミニライブが行われた後、ゲストスピーカーが紹介された。

 はじめに新聞労連委員長の新崎盛吾さんが登壇した。「現在記者は休職中。新聞労連が反対運動を支援しているわけではなく異例。今回お引き受けした理由は、記者として三里塚闘争に関わってきたことが記者生活の転機となったこと、もう一つは私の出身が沖縄であるという2点です。『沖縄と福島をつなぐ』という集会に思いを強くした。祖父母4人が沖縄出身、私は東京で生まれ、『復帰』の時から沖縄で暮らした。当時小学校で『方言を使っちゃだめ』と言われていた。沖縄にルーツを持つ者はどこかしら戦争の被害者ということがあって、一つ間違えば自分がこの世になかっただろうなということを考えさせられる。三里塚においても、やはり多くの人々が沖縄から生活が出来なくて流れてきて、三里塚の地で開墾をした、そういう沖縄の歴史があった。」「沖縄も今、辺野古新基地建設に関して大きな運動が起きている、やはりこれも日本の国の政策が地元の意志を無視して押しつけられた。三里塚闘争が始まった時もまったく同じ構図だったろう、これは沖縄と三里塚を結ぶ大きな共通点」等々、記者時代に故萩原進事務局次長との交流のエピソードを交えながら話された。

 つづいて遺伝子組み換え食品いらないキャンペーン代表の天笠啓祐さんが登壇した。

 「閣議決定当時の高度成長期は農村から担い手を奪っていく時代であり、同時に、水俣病など公害、農薬被害が広がった。公共の名の下に土地が奪われ減反政策につながっていく。三里塚は農家に農業するなと言う政策に真っ向から対決してきた闘い。

 70年代の三里塚の闘いは、全国の農民運動の先頭に位置づけられた。大潟村など、米価闘争などの農民闘争が巻き起こり、三里塚は一つの象徴になっていた。

 80年代、旧ソ連アフガニスタン侵入でアメリカが対ソ対共産圏への経済制裁。穀物輸出しないと転換。アメリカで矛盾が一挙に高まった。レーガン政権で巻き返しGATT(ガット)ウルグアイラウンドで交渉進む。当時の中曽根政権。戦後政治の総決算。前川レポート83年。『農業は日本に要らない』といった。農水省が農家と農協の方を向いている省庁から、企業との結び付きを強めていく。三里塚は政府にとって最も嫌な闘いであった。『農業要らない』のに三里塚は農民の先頭で闘っていた。

 90年代、空港拡大問題が出てくる。食料農業の要が農家から企業・多国籍企業に変化。モンサントなど種子を握る者が支配。FTA・EPA、日本は食料を買って自動車を売る。この自由貿易協定の延長が、TPP。空港問題で政府ののど元に匕首を突きつけている。先頭に立っている三里塚の闘いに敬意を表しともに進んでいきたい」と結んだ。

実力闘争でつながる三里塚、沖縄、福島

 いよいよ三里塚・市東さんの闘いに入る。まず市東孝雄さん本人が登壇し「今日はいっぱい来てもらいたいと思っていましたけれども、実際にみなさまのお顔を見て、本当にやってよかったと思っています。あらためて50年ということを考えると、同盟の最初からの『農地死守』『軍事空港反対』の闘い、諸先輩、今日見えておられる方々もそうですが、その方々の偉大なる闘いであると、あらためて思っています。私はまだ3分の1くらいしか携わっていませんけれども、この10年、私の農地問題で皆さまの署名とか裁判、援農などで本当にお世話になっています。私は、農業が好きです。生まれた土地で誰にも文句も言われず100年やってきた土地です。それを『空港をつくるから、どけ』という攻撃がかかってきたわけですけれども、やっぱりそれは絶対に譲れない、やっぱり農地は命だ、耕す者に権利あり、そのことをあらためて問いたいと思います。これからも皆さまとともに、天神峰で、出来るだけ長く農業をし、それから空港反対もたたかい、今の安倍政権をひっくり返すようなたたかいを、まず、三里塚現地からあげていきたいと思いますので、みなさま、これからもよろしくお願いいたします」と堂々と決意が語られた。

 つづいて反対同盟顧問弁護団を代表し葉山弁護士が 「三里塚は 農地死守・一切の『話し合い』拒否、労農学市民の実力闘争で国家権力・空港会社の策動をはねのけて闘ってきた。三里塚闘争は日々勝利している。最高裁は拙速に決定を下せない。偽造した同意書・確認書。安倍政権の下暴挙が行われようとしている。農民殺しの判決を阻止しましょう」 そして市東さんの農地取り上げに反対する会、動労千葉、関西生コン、全国農民会議が発言した。

 つづいて宮本麻子さんが「戦争のための滑走路をつくらせない、全国の反戦闘争とともに闘う」カンパアピールをおこなった。

 司会が木内敦子さんに交代し、「沖縄辺野古の海から」安次富浩さんが「市東さんの農地を守る沖縄の会として来た。沖縄は日米により構造的な差別を受けている。先日の悲惨な事件、米軍基地がある限りこれからも起きる。島尻安伊子は島売り安伊子。戦争政策を推進する安倍政権を打倒する。現場闘争をゲート前でも、海上でも継続する」。

 金治明さんは 6月23日、市東さん先頭に安倍糾弾闘争を闘った。翌日カヌー隊出発の時市東さんに発言してもらった。辺野古の海の闘いは三里塚とつながっている。辺野古の闘いへの物心両面のご支援ありがとうございます」と訴えた。

 辺野古に行こうという運動をしている若者からは「私は琉球2世。沖縄戦経験者の父から、三里塚でスイカを作っていたことを聞いた。先日市東さんの援農に行って感動した」と報告した。

 「福島・反原発運動から」発言があり、最後に萩原富夫さんが50周年アピールを読み上げ、シュプレヒコールをあげてしめくくり集会を終えた。

市東さん、反対同盟と共にいざ決戦へ

7.3集会は、日帝政治警察の集会破壊・治安弾圧策動を粉砕して、また下総政神党、日本国神党、国防同士会など右翼ファシスト、反革命革マル、木元グループなどの敵対・破壊・攪乱策動を封殺して闘いとられた。戦争―改憲攻撃の嵐の中でますます強まる天皇攻撃、右翼ファシストとの攻防を三里塚の闘いを先頭に攻勢的にたたかいとろう。

 参院選で自民党が「圧勝」し、改憲勢力が3分の2を押さえた。しかしここ現れているのは決して階級支配の安定ではない。世界的に深まる恐慌の下で、資本主義生産様式の危機が進行し、ファシスト安倍を筆頭とするブルジョア階級は、強搾取と強収奪により闘わなければ生きられない・殺されてしまう労働者人民の決起に日々脅えている。だからこそ激化する治安弾圧に対し完黙・非転向で闘い、右翼ファシストによる差別虐殺攻撃を粉砕する先制的な闘いにうって出よう。この闘いは市東さんの農地死守決戦と一つのものである。50周年集会で新たに結集した人々、何十年かぶりに参加した人々を三里塚現地へ、市東さんの農地強奪阻止決戦に組織して闘おう。ともにこの搾取・収奪・差別分断の世の中をひっくり返そう。

 7.24木の根共闘の三里塚現地デモに結集し、現地攻防をつみあげよう。9.7最高裁デモ・第3回署名提出行動、10.9全国総決起集会へと労農水「障」学の仲間を組織し、決戦陣形を構築しよう。 

 今こそ71年9.16東峰十字路戦闘(3警官完全打倒)と大木よねさんの徹底抗戦(「クソ袋とみのさんの刀で武装し、反対同盟さ身あずけ」て闘いぬいた─この武装コミューンへの道を切り開いた地平を引き継いで農地死守決戦を闘おう。反革命戦争・ファシズム粉砕、改憲阻止へ。

■三里塚闘争50周年! これからも闘うぞ! 農地を守り沖縄・福島と結ぶ7.3東京集会アピール

1966年7月4日閣議決定から50年。地元住民を無視した暴力的な空港建設に反対し、「農地死守」を不屈に貫いて生き闘って勝利してきた50年です。成田空港はいまだ完成していません。これは闘う農民と労働者、学生、市民の共同の勝利です。この勝利を引き継ぎ、新たな闘いに打って出ましょう。

 50周年はまだまだ通過点です。追い詰められた政府と空港会社は24時間化とB滑走路北延伸、第3滑走路建設に向けて動き出しました。

 この攻防の先端にあるのが市東孝雄さんの農地取り上げ問題です。3代100年耕し育てた農地は市東さんにとって命と同じです。「この地で生きていく」その心と生き方はカネに換えることなどできません。市東さんの譲れない思いは、多くの人々の共感を得て支援の輪が全国に広がりつつあります。農地法による強制収用を許さない〈最高裁・緊急5万人署名運動〉をさらに拡大し、農地取り上げ判決の取り消しを勝ち取ろう!

 そしての本日の集会は三里塚と沖縄・福島との連帯集会として開催し、国策と闘う強固な連携と陣形を築きました。先月起きた、沖縄での米軍属による女性暴行殺害という痛ましい事件をくり返してはなりません。沖縄への差別と犠牲の押しつけを許さず、辺野古新基地建設阻止から「すべての基地撤去へ」と闘おう。

福島での放射能による健康被害は深刻です。子ども達の命を守る運動を支援し、国と東電の責任を追及しよう。すべての原発の再稼働阻止・廃炉へと闘おう。

 世界の新自由主義・資本主義体制は崩壊の危機を深めています。立ちあがった韓国フランス等の労働者のストライキ闘争を指示し、労農連帯・国際連帯の輪を広げていこう。

 戦争と改憲、格差と貧困、国益国策優先の安倍政権を、何としてもこの参議院選挙で打倒しよう。市東さんの農地死守へとただちに立ちあがり、千葉地裁・最高裁闘争へ攻め上ろう。

〈行動方針〉
@7.11(月)市東さん耕作権裁判・千葉地裁デモ(9時・千葉中央公園)
A9.7(水)最高裁デモ&第3回署名提出行動
B10.9全国総決起集会

 2016年7月3日 三里塚芝山連合空港反対同盟

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