全学連(伍代委員長)

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右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

告訴について考える〜対権力非和解性をつらぬき闘おう〜

2016年12月

 闘いの現場において、国家権力―警察、機動隊、海上保安庁、ファシストなどの暴力が横行している。断じて許すわけにはいかない。徹底して弾劾し、反撃戦を闘おう。

 現在、さまざまな闘いの現場で、告訴・告発・被害届の提出が散見される事態になっている。これらは、国家権力や右翼ファシスト・反革命勢力との激突の前線において闘いの中でおこっていることである。これらの闘いに対するわれわれの力不足を噛みしめ・反省しつつ、しかし重大な警鐘を乱打したい。

 告訴・告発・被害届の提出は、形態の違いはあれ、おおむね国家権力(検察・警察)の威信に依拠し捜査権の発動を求める行為である。そして、何者かの処罰を求めることになる。その上で、起訴となれば裁判所がそれを裁くという構造である。

 ここに重大な問題があると考える。これらは、国家権力に頼る、それ以上に同じ目的・利害を共有して共に行動するということとなる。マルクスは、著書「フランスの内乱」でパリ・コミューンの総括として、「労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」と述べた。これは、国家権力それ自身の階級性を問う内容であり、とりわけブルジョア国家権力との対決・非和解性を訴えたものである。この意義を継承して闘いたい。国家権力と対決し社会を変革する闘いは、その刃を支配・国家に向けている。告訴等はその研ぎ澄まされた刃をそぐことになる。対権力非和解性の貫徹、これは、いかに困難な局面にあっても譲れない点ではないか。

 告訴等を具体的に考えてみる。検察(警察)が告訴した人を事情聴取するだろう。そこでは、告訴内容である被害の内容を訴えるとともに、闘う側(個人だけではなく)がそのときあるいは事前にどのような行動を想定し、どうしようと考えていたのかなどが具体的に聞かれるだろう。そこまでしゃべった上でなお、起訴の裁量権は検察にある(※検察審査会という制度があるが、これは労働者人民の闘いを実力での闘いではなく、ブルジョア法の枠内にとどめるための一つの制度である)。また、そこまでしゃべらなくても、検察(警察)とともに会話する関係、「処罰」のために一緒に考え行動する関係、それを作ることで検察(警察)はよしとするかもしれない。そこで権力のスパイ攻撃がかけられる可能性もある。裁判となれば検察側証人として呼ばれることも考えられる。そんな関係がいいのだろうか。いいわけがない。完黙も非転向もあったもんじゃない。

 また、司法は決して「中立」でも「公正」でもない。告訴は、暴力に関する裁定を国家権力(裁判所)が決める、闘う側からするとそこに判断を委ねるということになる。そして逆に、国家やファシストの暴力に対する実力反撃・報復の闘いが法に則らないものとして制動され、罰せられる。そんなことが許せるか。

 国家の支配・暴力性は監獄に凝縮される。取り調べにおける「自白」の強要、長期拘禁、看守の暴行─「保護房」へのたたき込みなど。告訴等は、告訴した相手を監獄に入れることを要求することであり、この国家の暴力性を自らの力とすることになる。これでは支配の鎖を鍛え自らを縛るものとなるのではないか。

 国家暴力は野放図であり、労働者人民を傷つける・殺すことをいとわない。三里塚の強制代執行では、闘う側に死人が出ることを想定して棺桶が用意された(実際にはその棺桶に打倒された機動隊がはいったのだが)。開港阻止決戦では東山薫さんが機動隊のガス銃水平撃ちによって虐殺された。沖縄においても、機動隊や海上保安庁の暴行がきわまっている。監獄でも無数の獄中者が殺されている。右翼ファシストや反革命どもの敵対・暴力も在日朝鮮人民や闘う側に襲いかかっている。

 これらとどう闘うのか。敵の暴力的突出に対しては、実力での反撃しかない。下手人に報復するのだ。また暴露・宣伝等を駆使してそれ以上の暴行を許さない闘いも大事になる。社会を革命する闘いにおいて、国家権力との、右翼ファシストとの、反革命との血みどろの闘いはさけては通れない。実力・武装で闘うことが鍵となる。国家権力―資本に対する武装を堅持し、握りしめた武器を手放してはならない。

 共に闘おう。

(葉月 匡弘)

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