戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
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5月23日、狭山闘争の取り組みの中で、警視庁公安1課の公安刑事・佐々木が、全学連の仲間A同志にテロを仕掛けてきた。5.23闘争実と反戦・全学連の部隊が、東京高裁前でシュプレヒコールをあげて、次の高検弾劾行動への移動中、尾行してきた公安・佐々木が両手でいきなりA同志を突き飛ばしたのだ。足首を強くひねり、靱帯損傷となった。絶対に許さない。
反戦・全学連は、この公安による暴行に対し、反撃戦に起った。6月6日夕方、警視庁本庁前に登場し、徹底した弾劾行動をおこなった。慌てふためく警視庁は、この行動を押さえつけようと、公安・機動隊数十名で襲い掛かってきて、さらなる暴行を加えてきた。
続いて、部隊は裁判所前に移動し、情宣をおこなった。ここで、丸の内署・機動隊が駆け付け、情宣を妨害し部隊を押してくる中で、突然「公妨だ」と、B同志を逮捕した。
これは、警視庁前・暴行弾劾行動への報復としてかけられた弾圧です。逮捕当日、丸の内署に連行されたB同志への公安の第一声は「何しに本庁にいったんだ」という声でした。まさに報復弾圧です。
権力のテロ・弾圧への断固たる反撃・報復戦にたとう。
でっち上げ弾圧の張本人=丸の内署・児玉孝之は、下着以外の同志の所持品すべてを強奪した。しかし押収品目録には、「リュック」「ズボン」としか書かずに、在中品すべてを強奪する、という手口です。これは2001年久留米弾圧で、福岡県警が在中品を記載せずに、バックから髪の毛一本にいたるまで一切合切をもち去った上で、高額の現金をネコババしていたやり口です(後の裁判での応酬で、返還せざるをえなかった)。徹底して弾劾する。
また、逮捕写真の後に3D写真撮影を強行した。これは2016年4月から警視庁管轄下で導入されたあらたな弾圧手法である。同志は、腕で頭を覆い隠し抵抗したが、撮影を強行された。ゆるせない。
B同志は、取り調べ拒否を闘った。湾岸署は、6月7日、取調べ拒否を通告する同志に対して、看守が房内に踏み込み両脇をかかえて取調室へ連行した。その上で、強制連行に対して、B同志は取調室前で「拒否」を再度通告しつづけ、取調べを受けず闘いぬいた。
湾岸署では、黙秘の被疑者として当然ながら使用する番号呼称に関して、留置看守は「番号だと差し入れは入らないかもしれないぞ」と嘘をつきながら黙秘つぶしをおこなってきた。
また点検拒否に対しても「ルールだ」「応じないなら飯なしだ」とどう喝し、看守が房内に入ってきて「なめるなよ」などと脅しをかけてきた。湾岸署では朝・夕の点検に加えて昼間にも、獄中者に両手を前にかざさせて、大声で軍隊式の点検を強要している。それでも点検拒否を貫く同志に対して、「説得に応じないなら懲罰だ」と実際に懲罰攻撃に入ってきた。6月13日には「反則行為に対する弁明は?」という通告をおこなってきたが、6月16日に釈放となり、懲罰は執行されなかった。
しかしこれは重大な攻撃です。点検拒否にまで懲罰をかける攻撃にはじめて踏み込んだ。
また、不当にも今回の弾圧に関するビラが交付されないという差止め妨害もあった。
B同志は、16日、湾岸署(留置先)での取調拒否や点検拒否を闘いぬき、完黙―非転向を貫き奪還された。獄外では、10日、湾岸署への抗議行動にたった。さらに、15日、勾留理由開示公判を闘った。
公安の暴行、不当逮捕をゆるさない、反撃戦に起とう。