戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
三里塚通信2773号(8月27日発行)より
戦争とファシズムの時代に向かおうとする今こそ、51年貫いている三里塚闘争の原則である〈空港絶対反対・農地死守・一切の「話し合い」拒否・非妥協実力闘争〉を堅持し、市東さんの農地強制収用攻撃に立ち向かう!
反対同盟の連帯旗を翻し、全国労農水「障」学の実力闘争・共同闘争で、反戦・反権力・反差別の砦三里塚を守り、三里塚に勝って世の中をひっくり返す!
8月9日午後1時46分、三里塚・芝山連合空港反対同盟事務局長北原鉱治さんが、95年の生涯を全うされた。
北原事務局長は1966年7月10日、三里塚・芝山連合空港反対同盟結成以来、三里塚闘争の最先頭に立ち、全ての闘いの責任者として同盟に対する攻撃の矢面に立ち、同盟を守り抜いてきた。反革命革マルや、解放派が生み出した木元グループ、右翼ファシストなどの三里塚闘争・反対同盟破壊攻撃を一身に浴びながら、三里塚を背負う強靱な闘争者魂で、ものともせず粉砕した。心から敬服してやまない。札束と暴力の国策攻撃に対し、三里塚の農民・住民の止むに止まれぬ怒りが逮捕・流血を辞さない実力闘争に発展し、三里塚は国家権力とまっこうから実力対決する戦場となっていった。国策に実力で刃向かうものへの国家権力の暴虐性が全人民の前に暴露されていった。地元三里塚の農民、住民の必死の闘いが、多くの労働者人民の共感を呼び、とりわけ新左翼勢力を中心に、現地での闘いを通した共闘が結ばれ、逆に闘いを制動する共産党・社会党と袂を分かった。
北原事務局長は、自分自身が数々の実力闘争の先頭に立ち、地下壕戦、要塞戦など生命がけで闘った。こうした反対同盟の闘いに恐怖する国家権力は、北原事務局長を4度不当逮捕したが、怯むことなく、反弾圧の先頭で闘いを貫いた。自身の戦争体験をとらえ返し、「二度と戦争をしてはならない」と強い信念で訴え、反戦闘争の先頭に立った。反対同盟と支援共闘団体の結び目となり、三里塚勢力の決断と実行の要となり、徹頭徹尾権力と非和解で闘いぬいた。83年3・8脱落、87年9・4脱落は、「北原事務局長解任」を策動し、「話し合い」条件交渉による三里塚闘争と反対同盟破壊攻撃であった。この攻撃に対して、闘いの原則を貫き粉砕した。
あらゆる場で実力闘争・共同闘争を訴えた。そのエピソードは数知れない。
反対同盟の「一斉行動」がはじまり、北原事務局長は体調の良い時は辻説法に立った。芝山の農村地帯の空き地や、街路に立って、地元成田の街頭に立って、「姿は見えなくても、必ず聞いていてくれる人がいるんだよ」とマイクを握って語り続けた。あるいは、芝山町役場の前に立って「相川や、良く聞け。オマエはなにやってるんだ?」と、町長の権威にあぐらをかく裏切り・敵対者を圧倒した。
外出の回数も減る中、2016年三里塚企画で開催された全学連大会に参加され、若者と共に闘い未来を切り拓くことへの、情熱ほとばしるシュプレヒコールをあげられた。
市東さん農地死守決戦の直中で、北原事務局長を失うことは痛恨極まりない。
しかし、北原事務局長の闘いの一生を思えば、これからは我々の闘いと生き様で北原事務局長に応えていかなければならない。北原事務局長はじめ、生ある限り国家権力と闘いぬいた反対同盟諸氏の足跡を、しっかりと踏みしめ三里塚闘争勝利まで闘いぬく。反戦・全学連三里塚現地行動隊は反対同盟と共に在る!