全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

請求異議裁判早期結審・判決による強制執行攻撃をはね返そう

6.28請求異議裁判を闘いぬく

 6月28日千葉地裁民事第5部(高瀬順久裁判長)で、反対同盟先頭に労農水「障」学の仲間175名が結集し、第7回請求異議裁判が闘われた。

 裁判に先だって、千葉県警の集会破壊策動をはねのけ、太郎良陽一さんの司会の下、中央公園で集会が行われた。

まず反対同盟から萩原富夫さんが「市東さんの農地の強制執行を許さず闘おう。成田空港による住民無視の機能強化を許さない。安倍の強権政治をはね返そう」と、呼びかけた。

 動労千葉など結集した諸団体が決意を明らかにした。三里塚・木の根全国共闘の仲間は、「裁判の早期結審策動を粉砕しよう。実力闘争と労農水『障』学共闘で、農地強奪攻撃を粉砕しよう」と訴えた。集会後直ちに、千葉地裁に向けた包囲・弾劾デモに出発し、沿道の市民に裁判の不当性と、共に立ち上がることを訴えた。

 この間の千葉地裁の金属探知機・荷物検査など警備強化に対して、木の根共闘の仲間たちは、裁判所入り口で「金属探知機・荷物検査をやめろ」「傍聴妨害を許さないぞ」などと抗議のシュプレヒコールを叩きつけた。傍聴をしようと集まった多くの仲間と呼応し徹底抗議しつつ、公判傍聴に臨んだ。

市東さん、萩原さんの渾身の証言勝ちとる

 午後2時から公判が開始された。今回は、反対同盟萩原富夫さんの証言と市東孝雄さんの本人尋問が行われた。

 萩原さんは、1988年、学生支援者としてはじめて、三里塚闘争に関わった。大木よねさんへの代執行への怒りをきっかけに、現在有機無農薬の野菜をつくる農民として、反対同盟員として生きる自らの確信を述べていった。東峰部落に対する東峰神社の立木伐採、東峰の森破壊など空港会社の傲慢なやり方への怒りを述べた。「農地は農民にとって生命と同じものであり、強制執行は絶対に許されない。裁判長は怒りの炎に油を注ぐその引き金を引くのか、肝に銘じて判決を書け」と、きっぱりと表明した。

 続いて、市東さんが証言台に立った。市東さんは、親子3代誠実に生きてきたことを語った。そして、この3代の人生を戦争―空港建設という国策が、いかにむごく踏みにじってきたか、怒りこめて明らかにした。「じいさん(市太郎さん)は、茨城の長竿(ながさお)で暮らし、丁稚から番頭まで勤め上げ、天神峰に来て『御料牧場』に働く人を相手にした店を出していた。自分が小学校6年の時に亡くなった。おやじ(東市さん)は、2回(合計8年)戦争に行き、帰ってきた時は32歳だった。復員が遅れ農地解放の手続きにもれてしまった。自分は、洋食屋に2年、焼き鳥屋に20年働いて、職人世界の習わしとして、1年はお礼奉公をして戻ってきた。自分の店に空港公団が来たこともあったが、『親父の好きなようにすればいい』と答えた。自分は50歳になったら、帰ると決めていた。おやじは、土地は絶対売ってはならないという遺言状を残している。おやじは、『同意書』『境界確認書』を偽造した空港会社に天の上で激怒している。戦争、空港建設という国策でまたも土地をとられることに怒っていた。2003年に、新聞で私の小作地の底地が空港公団(現空港会社)に買収されたことを知り驚いた。翌日空港職員浅子と保坂がポケットに手を突っ込んで、横柄な態度で話しに来たが追い返した。1998年から自分が地代を持って行ったが、地主は何もないかのようだった。はなれの立て替えの時も言いに行ったが『いいだろう』と言った。コンクリートで堆肥場をつくる時も『すぐにはがせるならいい』と了解を得た。進さん(故萩原事務局次長)も言っていたが、小作人に無断で地主が土地を売るなどあり得ないことだ。農民を愚弄することは認められない。土壌は生きている、代替はきかない。有機農業、産直運動とは、嘘をつかないことだ。これこそ、自分の生きる道だと確信している。空港会社は、『騒音を承知で帰ってきた』と言うが、B滑走路ができたのは私が帰ってきたあとです。親が亡くなり、帰ってきて農業をやることのどこが悪いのか!裁判長は正義を貫いていただきたい」と、怒りを込めて証言した。

 空港会社代理人上野、和田は何の反対尋問も行わなかった。市東さんから「上野(元千葉地裁裁判長、現空港会社側弁護人)さん、何か聞くことは」と問い詰められたが、墓穴を掘ることを恐れ、鉄面皮で沈黙を押し通した。

 その後、弁護団は証人調べの継続を裁判長高瀬に迫った。市東さんらの尋問で証人調べを打ち切ろうとしていた高瀬は、弁護団の鋭い追求の前に、後日の進行協議で結論を出すということで、裁判を終了した。

 裁判終了後、伊藤信晴さんの司会の下で報告会が開かれた。

 最初に、市東さんは「言いたいことの半分も言えなかった。これからも闘い続ける」、萩原さんは「怒りを叩きつけた」と、あいさつした。市東さん、萩原さんの言い尽くせぬ怒りを参加者全員が全身に受けとめた。

 弁護団各氏からの闘いの決意が述べられた後、北原健一さんは「50年の闘いが正しかったこと、これを歳をとるごと確信を持ってきた。闘わなければ何でもない。市東さん先頭に、反対同盟として皆さんとともに闘う」と決意表明した。さらに、各団体から連帯のあいさつが述べられた。最後に伊藤さんから反対同盟の決意が述べられ、この日一日の闘いを締めくくった。

180717請求異議裁判ビラ
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 裁判長高瀬は何が何でも7.17次回公判で結審―早期判決を強行しようとしていた。後日の進行協議で、弁護団が粘り強く追求した結果、次回補佐人として元立教大教授石原健二さんが農業問題で、専修大学法学部教授内藤光博さんが憲法問題で、意見を述べることとなった。次々回9月27日最終弁論となった。しかし、高瀬は自分を最高裁からプレッシャーを受ける「小役人」だと言いながら、早期結審―判決をねらっている。裁判闘争を強化しよう。署名活動を継続しよう。反対同盟とともに、農地強奪―強制執行を絶対に許さない闘いに立ち上がろう。

7.8樫の木まつりに集まる

 7月8日、暑い夏空の下で、「樫の木まつり」が開かれた。

 まつりに先だって、強制収用の対象となっている市東さんの南台の畑で、現調・小集会が行われた。太郎良陽一さんが発言し、伊藤信晴さんから裁判状況と畑の説明が行われた。続いて、支援共闘団体が決意表明した。解放派を代表して反戦全学連三里塚現地行動隊は「71年の大木よねさんに対する強制代執行をまた再びくりかえすのかという時期に入った。大木よねさんの徹底抗戦の闘い、市東東市さんの『代執行来るなら来い』の闘いを引き継ぎ、国策による農地強奪、農民殺しの強制執行は絶対に許さない」と、闘う決意を明らかにした。集会を終えて、市東さんを先頭にデモに出発した。機動隊前線指揮所前で、三里塚・木の根全国共闘の仲間たちは、農地強奪の尖兵=機動隊に対して徹底弾劾のシュプレヒコールを叩きつけた。権力の弾圧を打ち破って、最後まで戦闘的デモが貫徹された。

 デモ終了後、市東さんの庭に移動して第2回『樫の木まつり』が行われた。

 まず、萩原富夫さんが「第3滑走路問題のなかで、市東さんの農地を守りぬくという闘いを進めている。裁判、署名などを通して、三里塚を全国に訴えて闘っていく」と、開会の挨拶を行なった。「市東さんの農地を守りぬくぞ!」という乾杯の後、前半司会を宮本麻子さん、後半を木内敦子さんがつとめ、動労千葉、関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会などはじめ全国から結集した仲間から次々と、連帯のアピールが行われた。発言者からは、農地強奪攻撃を粉砕し続けて、「今年もやれた」、「来年もやろう」という声が次々と上がった。

 三里塚・木の根全国共闘は「(デモで)断固として、権力や空港に怒りを叩きつけつけた。私たちは、毎月第3土曜日天神峰に集まって、機動隊の前線指揮所弾劾を闘っている。絶対に農地強奪を許さず闘っていく」と、三里塚を闘う「障害者」解放委員会からは「決戦にはかけつけて闘う。共生共闘で闘う。市東さんとともに闘う」と、決意を明らかにした。

三里塚を闘う千葉県実行委からは「この地にもし強制執行に来るならすべての人がこの天神峰にかけつけて、実力で阻止する闘いを全力で闘おう」と発言し、さらに千葉地裁で行われている反原発住民訴訟が裁判長が高瀬であることを明らかにし、高瀬に対する「はがき運動」を呼びかけた。

 全学連(伍代委員長)は「市東さんの農地強奪を阻止するために、実力で闘うことをともに決意していこう」と呼びかけた。手話実は「『空港絶対反対』『障害者解放』『国家権力打倒』をかかげて闘ってきた。相模原で『障害者』虐殺事件、今は『障害者』の不妊手術強制の問題がクローズアップされている。悔しい思いをかみしめている。仲間の思いを引っさげて、決戦を何としても闘いたい」と、訴えた。

 反対同盟から肉じゃが、焼きそばなどが振る舞われ、木の根共闘は「かき氷」を提供し、大盛況だった。お酒が入り、交流の場が広がる。趙博さん(パギヤン)などの歌あり、景品抽選会ありの賑やかな祭りが盛り上がった。

 最後に市東孝雄さんは「自分たちの正義性を問う請求異議裁判、これだけは譲る訳にはいかない。この間の証言でも言ったように、私たち反対同盟は絶対に嘘をつかないし、正義を貫くということで闘ってきた。このまつりが来年はこの倍位に出来れば、最高裁の判決もひっくり返せるんだというような闘いをしていきたい。私も頑張りますが、皆さんともに闘っていただきたい」と訴えた。

 決戦本部太郎良さんは「団結しよう。スクラムを組もう」と呼びかけ、参加者全員で「反対同盟歌」の大合唱を行い、伊藤信晴さんが「団結頑張ろう」で締めくくった。

 農地強奪攻撃をはね返して、「来年もこの地で、樫の木まつりを」ということが結集した労農水「障」学の仲間たちの誓いとなった。請求異議裁判の早期結審―判決策動を粉砕しよう。10.14三里全国集会に総決起し、今夏―今秋三里塚決戦の大爆発を勝ちとろう。

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