戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
革命軍よりの軍報が届いたので、これを発表する。
わが革命軍は、2月24日午後1時54分、東京都調布市深大寺南1-25の中央自動車道において、「大喪」の車列を直撃する革命的爆破攻撃を敢行し、「大喪」の車列を完全に阻止するという偉大な戦果をあげた。
わが革命軍は、本戦闘において、2・3東郷神社爆破戦闘とあわせ、帝国主義国家権力の天皇Xデー攻撃に決定的打撃を浴びせたことを宣言する。
天皇アキヒトの「大嘗祭」・即位式典をメルクマールとした、あと1年有余にわたる天皇Xデー攻撃、天皇主義ファシストによる反革命報復に対し、徹底した本格的武装闘争、実力対決をもって、天皇制打倒ープロレタリア革命勝利の革命的権力闘争を共にたたかわん。
1989年2月24日 革命軍
わが革命軍戦士は、○月○日○○時に調布市深大寺南1−25に突撃した。
戦闘現場、「大喪の礼」の葬列ルートである中央高速道路下り車線を眼下に見おろす数少ないポイントである。
わが革命軍が、この絶好の攻撃ポイントを見逃すわけがない。
さあ、突撃開始である。1・5メートルのフェンスを3メートルにしようが、わが戦士の突入ルートには何ら問題はない。弾圧対策も抜かりない。
攻撃ポイントに立つ。歴史的戦闘の最先頭に立つ喜びをかみしめながら、戦闘を継続する。少々の音も、ひっきりなしに通る高速の自動車の音でかきけされる。攻撃体制はすべて完了した。敵の探知にも耐えうる偽装工作をほどこす。計画通りである。
撤退作業に入る。地域住民とも一切会うことなく、あらゆる敵のデッチあげ策動をも許さない完璧な戦いである。全戦士は無事生還した。
* * *
2月24日午後1時54分、東京都調布市深大寺南1ー25の中央自動車道わきの斜面において、わが革命軍が埋設した革命的時限爆破装置が作動する。すさまじい鮮紅の火炎とともに"ドドーン"という大音響がとどろきわたり、大量の土砂が天空めがけて舞いあがる。次の瞬間、高さ8メートルの斜面が崩壊し、「大喪」葬列警備のために高さ3メートルに増強されたフェンスを押しつぶして大量の土砂が中央自動車道にくずれ落ち、車列が通る下り車線はおろか上り斜線までを埋めつくし、道路は完全に遮断される。
警備のために配置されていた機動隊員は激しい土砂の雨に襲われて、指揮官を先頭にクモの子を散らすように逃げ去る。ほうほうの体で中央自動車道上をまたぐ池ノ谷橋たもとに止めてある指揮車輌に逃げ帰った指揮官は、ふるえる声で総合警備本部に爆発により中央自動車道が通行不能になった旨を入電する。
戦闘時刻の午後1時45分には、「大喪」の車列は新宿御苑を出て首都高速4号線初台ランプに差しかかっている。総合警備本部に詰める治安警察軍トップは顔面蒼白となり、現場の指揮官に現状報告を求めるが、現場から返ってくるのはすさまじい威力の爆破戦闘に対する恐怖の絶叫のみで、さっぱり現状が掌握できない。やむなく総合警備本部は、中央自動車道上空にて警戒にあたる。やむなく総合警備本部は、中央自動車道上空にて警戒にあたる警視庁のヘリコプターに現場への急行を指示する。まもなく警視庁ヘリからもたらされた戦闘現場の現状報告は、総合警備本部のど胆をぬくに十分であった。
爆破戦闘により芝の斜面には深さ3メートル、直径10メートル近い大穴がポッカリと口を開け、飛び散り崩れ落ちた約10トンの土砂は中央自動車道全面に広がり、下り車線を完全にふさぎ、車列の通行を不可能にしているではないか!
警備のために急造された高さ3メートルのフェンスは10メートル近くにわたりグニャリと曲がり、わが革命軍の埋設式爆破装置の破壊力のすさまじさを物語る。
わが革命軍は「大喪」の車列のゆくてを完全にふさぎ阻止したのだ。わが革命軍は2・24戦闘に大勝利したのだ。
総合警備本部はあわてふためいて、「大喪」の車列に時速50キロ予定の走行速度を15キロ以下に落とすように指示を出す。車列がさしかかった初台ランプから戦闘現場までは、首都高4号線7キロと中央自動車道5・4キロのわずか12・4キロである。時速50キロ走行では10分そこそこで到着してしまう。そんな短時間で道路を復旧するのは不可能なのだ。
総合警備本部は、現場指揮官に対し道路復旧を絶叫する。だがしかし、昨秋9・26千葉県警道野辺派出所に対するわが革命軍の時間差爆破攻撃により仲間がせん滅された記憶も新しい機動隊員たちは、なさけないことに第2波攻撃におそれをなして、指揮官にせきたてられても戦闘現場には近づけない。総合警備本部は、戦闘現場から1キロ少し先の中央自動車道調布インターに待機する治安警察部隊に現場への急行を命じ、かろうじて復旧作業にとりかかる。
「大喪」車列の本来の現場通過時刻は、午後2時5分頃の予定であった。しかし、ヒロヒトの死体と天皇アキヒトの葬列が実際に現場を通過したのは、午後2時22分である。葬列は「見送る」者とて誰もいない首都高速上を30分近くもノロノロ運転の屈辱を強いられたあげく、現場近くにさしかかるや、わが革命軍の第2波攻撃におそれをなして、時速80キロ以上のフルスピードで現場を通過、ほうほうのていで逃げ去るではないか。
わが革命軍は、2・24ヒロヒト「大喪」爆砕戦闘に勝利した。
反革命治安警察当局は、「何の実害もなかった」と強弁している。だが反革命治安当局は、空前の戒厳令体制と予防反革命弾圧をもってしても、わが革命軍の葬列を実力阻止した2・24爆破戦闘をぶち抜かれ、その反革命的威信は泥にまみれ決定的打撃をこうむったのである。
わが革命軍の2・24爆破戦闘は、新天皇アキヒトの来秋の即位式典ー「大嘗祭」にむけこの後も1年有余にわたってくりひろげられる天皇制攻撃、本格的に開始されるであろう天皇主義右翼ファシストによる反革命報復テロルに対する、より徹底した、より強力な本格的武装闘争による対決の突破口でもある。
すべてのたたかう労働者人民、被差別大衆はわが革命軍に続け!
2・24戦闘の第一の革命的意義は、ヒロヒトの「大喪」を直撃する本格的武装闘争として敢然とうちぬかれ、葬列の実力阻止を戦取するという具体的戦果に求められる。
ヒロヒトの「大喪」は、皇居の儀式から始まり、ヒロヒトの死体をのせた車を中心に61台の車列をしたてて新宿御苑に移り、そこで「葬場殿の儀」「大喪の礼」を行った後、ふたたび車列を組んで八王子市につくられた武蔵陵墓地にむかい、「陵所の儀」をおこなった後に埋葬するという一連のまがまがしい儀式により構成されている。
わが革命軍は、この天皇制の反革命的な「神聖」な権威を高めようと仕組まれた「大喪」の儀の中から、葬列に対する革命的爆破戦闘を「大喪」爆砕の戦術として採用したのである。
公安警備当局は、「日本警察の名誉と威信にかけて、過激派のゲリラの封じ込めに全力をあげる」(警備会議での警視総監大堀の訓示)と公言し、そのもてる力のあらん限りをわが革命軍の補足・壊滅とゲリラ的戦闘の封殺のための治安厳戒態勢に投入してきた。だがそれらはすべて徒労に終った。
商業新聞は「意表ついた地雷型爆弾」「警視庁に衝撃」(2月25日付朝日新聞)と、反革命治安当局が2・24戦闘で受けた打撃の深さと敗北感を報じている。
わが革命軍は、2・3東郷神社爆破戦闘の詳報で「大喪」爆砕の本格的武装闘争への決起を宣戦し、たたかう労働者人民・被差別大衆に約束してきた。われわれはそれを忠実に守ったのである。
万死に値する自らの戦争責任を詭弁をもって言いのがれてきたヒロヒトの「大喪」は、アジア人民をはじめとする全世界の労働者人民・被差別大衆の憤怒の的であり、天皇制攻撃を飛躍的に強化する日本帝国主義のいっさいの策動は、たたかう全人民の憎悪の集約点なのである。
わが革命軍はこのヒロヒト「大喪」をズタズタに切り裂き、天皇制の反革命的権威を地に落とす葬列実力阻止の戦闘を敢然とうちぬくことで、自らに課せられた革命的責務をまっとうした。
2月24日が臨時立法で休日となり、ほとんどの生産活動、商業活動が停止され、ブルジョアマスコミは終日「大喪」特別番組だけとなる「国をあげての服喪」が強制されるという天皇制攻撃の嵐が吹きあれた。
東京においては、皇居─新宿御苑─八王子・武蔵陵墓地を中心に戒厳令状況下におかれ、労働者人民に対する徹底した弾圧攻撃が掛けられた。社会党をはじめとした議会内野党勢力は、「大喪」式典への参加をもって天皇制の下に完全に屈服した。
だが、わが革命軍の「大喪」葬列爆砕戦闘に呼応して、都内中野においては、解放派を先頭にたたかう労働者人民・被差別大衆によって「大喪」粉砕の実力決起が反革命弾圧と天皇主義ファシストの妨害を粉砕して断固としてかちとられた。そしてわが革命軍と、解放派を先頭とした天皇Xデー粉砕の実力決起を牽引力として、全国数百カ所においてさまざまな反天皇制の集会やデモがたたかいぬかれたのである。
だが反天皇の巨大なうねりは、同時に日帝の服喪強制攻撃を切り裂き破産を拡大した。日帝国家権力は、2月24日当日「大喪」の葬列を沿道で「見送る」国民の数を100万人と予測して、それに見合った警備体制を敷いた。この100万人という数値は、大正天皇の葬列を「見送った」ものの数が100万人と同程度とふんではじき出されたものである。当時の交通事情を考えれば、今回の葬列への国民動員の数を大正天皇の「大喪」と同程度としたこと自体、ずいぶんとひかえめな数値ではある。
ところが24日当日、「大喪」の葬列を「見物」したものは、警備当局の公式発表でさえ、予測の100万人を大きく下まわる57万人、実際はその半分の20数万人程度という惨胆たる結果に終った。場所によっては人影もまばらで、警備の治安警察軍の多さだけが目立つという惨めな姿をさらしたのである。ブルジョアマスコミが連日天皇賛美の反革命キャンペーンをはり、自民党が全国に動員指令を発し、遺族会や軍恩連、また生長の家などの天皇主義ファシスト諸団体が必死になって組織動員をかけて、なおかつこのありさまだ。
わが革命軍は、2・3戦闘詳報で「『大喪』に参加し天皇制攻撃の先棒をかつぎ、戦争とファシズムの突撃に荷担する者はすべてわが革命軍の攻撃の標的になるであろう。そこにおいて生起するいっさいの責任は、参加し荷担する者が負わなければならない」と警告した。闘いの爆発は日帝の服喪強制に大打撃を与え、国民的分岐を促進し、日帝の葬列「見送り」動員の激減を強制した。闘いはヒロヒト葬儀への動員から多くの離反をもひき出したのである。
わが革命軍と解放派の前衛的突出こそが、まぎれもなく反天皇の巨大なうねりの形成に主導的役割をはたし、国民的規模での階級亀裂を促進したのである。
たたかう労働者人民、被差別大衆、そして全世界の人民がわが軍の2・24戦闘を歓呼をもって迎えた。天皇制打倒の本格的武装闘争を、日本階級闘争はその過去において、闘いぬいた歴史と経緯をほとんどもたない。わが革命軍が日本階級闘争史上にはじめて2・3戦闘そして本2・24戦闘を刻印し、その途についたばかりである。だが、唯一わが革命軍によってのみ担われた「大喪」を直撃し車列を実力阻止するたたかいは、日帝国家権力・天皇主義ファシスト陣営に深甚な打撃を強制したのである。
本戦闘の第2の革命的意義は、日本帝国主義国家権力の打倒とプロレタリア独裁の樹立を射程にすえた本格的武装闘争が、軍事の質においていっそうの進化を遂げたという点に求めうる。わが軍は、昨秋9・26道野辺派出所爆破、本年2・3東郷神社爆破と2度の戦闘において、爆破の威力を段階的に高めてきた。だが、本戦闘のそれは、前2者をはるかにうわまわる破壊力をそなえていた。それは、治安警察軍の金属探知機による摘発が不可能な地下深くに注意深く埋設された。わが軍が攻撃地点に選んだ調布市深大寺南1の25の中央自動車道わきの斜面は、爆破攻撃にとっては格好の戦場である。ゲリラ戦・パルチザン戦の経験が豊富な者ならば、誰であっても迷わず、そこを攻撃地点に選んだであろう。治安当局も、それを予測して戦闘現場を含む一帯においてパトロールを1ヶ月も前から実施し、金属探知機による検索をくりかえした。
だが、その検索も地上にセットする「簡易設置型」の爆発物や発火物を念頭においたものであり、わが軍の攻撃兵器を発見することはできなかった。
わが軍が開発した爆破兵器は、きわめて安定した化学的性質ときわめてすぐれた燃焼速度を有し、その破壊力は極めて高い。その兵器としての水準は、各国の軍隊が使用するそれと比較しても何ら遜色のない優れたものである。
3万2千余名の治安警察軍を投入し、40億近い予算を使った戒厳令体制も、わが革命軍から見れば、何の工夫もセンスもない人海戦術のそれでしかない。それは、わが革命軍の過去の戦術にもとづいて、それらを防止することを念頭に警備の人垣を作ることだけであった。こうした警備方法で、わが革命軍の攻撃を阻止することは不可能である。
わが軍は、本戦闘の実現のために武器水準・戦闘技術の各方面にわたる高度化、緻密化を徹底して追求し、戦闘が要求する質を様々な困難にうちかち実現してきた。
本戦闘の第3の革命的意義は、本戦闘が治安警察の革命軍壊滅のすさまじい反革命弾圧との熾烈な地下的攻防に勝利してたたかいぬかれた点にある。
帝国主義国家権力、反革命治安警察は、解放派を戦闘とする革命的労働者人民・被差別大衆に対する大量逮捕、予防拘束、不当捜索による反革命弾圧に乗り出した。この反革命弾圧の真のねらいの一つは、わが革命軍の補足・壊滅である。治安警察は、その88年度『警察白書』において、「過激派の『テロ・ゲリラ』の根絶」を再重要・最優先政策としてかかげ、「現場検挙活動」と「非公然アジトの摘発と非公然活動家の検挙」に必死になったのである。大量の警察官を投入したアパートローラー作戦、ホテル・旅館・不動産業者・レンタカー会社等の業者を組織化した非公然活動家の摘発のシステムの形成、駅・ターミナル等交通の要所における張り込みの態勢をもって、この都市の海の中でわが軍の摘発をもくろんだ。
わが革命軍の組織実体をほとんど何もつかんでいない治安当局は、「非公然部門・軍事部門を支えている組織構成員についても違法行為を看過することなく積極的に検挙活動を行い、組織全体の弱体化を推進する」(88年『警察白書』)として解放派に集中する反革命弾圧に踏み込み、全国で百数十ヶ所の不当捜索・身体捜索を実施し、20めいもの同志を不当逮捕し、尾行・追尾、電話盗聴、スパイ強要とあらゆる不当違法捜査をくりひろげざるをえなかった。
わが革命軍は、こうした空前の革命軍壊滅作戦の只中で、2・24爆破戦闘を準備し、見事な勝利をおさめた。わが革命軍は深山に住む仙人ではない。公然・合法領域の革命的組織活動とたたかう労働者人民・被差別大衆の隊列そのものによって支えられ、非公然・非合法活動をくりひろげ発展させてきたのである。
部隊の保全の成否のいっさいは、敵の革命軍壊滅攻撃を撃退しかわしきる非公然・非合法活動の習熟いかんにかかっている。その点において、われわれは敵の大弾圧に耐えしのげるだけの非公然・非合法展開能力を血のにじむような努力と敗北の真剣な総括をとおして身につけてきたのである。
そうであるが故にわが革命軍は敵の反革命弾圧が公然・合法領域をおそってきても、自らの作戦行動を中止し撤退する必要をまったく認めなかったのである。
われわれは、きたるべき日帝国家権力、天皇主義ファシストとの血で血を洗う本格的死闘をたたかうに必要ないっさいを、現下の天皇制攻撃下の本格的武装闘争の始動の只中で凝縮して準備し形成しなければならない。天皇制打倒─反天皇制のたたかいにおける守勢や後退は、共産主義にとり死を意味するのである。
本2・24戦闘の第4の革命的意義は、天皇主義ファシストや反革命革マルに本戦闘の戦取が深甚な打撃を与えたという点にある。
伝え聞くところによれば、天皇制「軍神」東郷平八郎をまつる東郷神社へのわが軍の2・3爆破戦闘に対して、天皇主義ファシスト諸集団は「もう我慢の限度をこえた」「堪忍袋の緒が切れた」といきまいているらしい。だが、その誰もが「服喪中につき報復は当面控える」と「自粛」を決め込んでいるという。報復の「自粛」とはもっともらしい理由に聞こえるが、それは口実でしかない。
日本の天皇主義ファシストは、新天皇アキヒトの即位に際しての言葉だけの「憲法尊重」発言に接しただけで、自らの天皇主義の反革命信念に動揺をきたすほど思想的には脆弱な存在である。だからといって、その反革命白色テロルへの踏み込みを軽視することは許されない。武装した反革命集団である事実には、いささかの変更もない。
しかしわが軍は、昨秋よりの3波にわたる本格的武装闘争の戦取をもって、天皇主義ファシストの白色テロルへの踏み込みに対する管制的戦略高地をがっちりと確保した。わが軍は、反天皇闘争への天皇主義ファシストの白色襲撃が開始されれば、本格的武装闘争の地平でもって徹底してせん滅しつくすことを宣言する。
また反革命革マルの惨状たるや極限的ですらある。
反革命革マルは「天皇は超世俗的・超国民的」と賛美の限りをつくし、「天皇の病状を気遣うのは当然」と早稲田における右翼の記帳所を容認し、革マル副議長松崎明は鉄道労連旗開きを中止するなど「天皇の赤子」として忠誠を誓ってきた。さらに革マルは「もっぱら天皇裕仁の過去の罪業をあげつらうことに終始するのは、ピンボケでありアナクロニズムまるだし」などと一貫して戦争責任追及に反対・敵対してきた。
ところが、革命軍と解放派を先頭とする反天皇闘争の爆発に完全にうちのめされ、2月に入るやエセ「解放」紙上で天浪某は「『万世一系の天皇』イデオロギーの復興」「最大の戦犯、裕仁」などと口走り、動転と破産の極に達したのだ。
破産し崩壊を開始した革マルをさらに革命的テロルで追撃せよ!
革マルは自民党内政治中枢を握る旧内務官僚勢力の頭目たる後藤田と結託して、鉄道労連を使い労働運動の帝国主義的再編の尖兵と化したが、天皇Xデー攻撃の機に乗じて、わが革命軍と解放派への反革命テロルを策動しているのである。だが革マルの反革命テロ組織たるエセ全学連「特行」が崩壊へむかう現状では、襲撃未遂を演じるのがせいぜいである。
われわれは、2・24「大喪」爆破戦闘のいっさいの成果を反革命革マルせん滅戦闘へと注ぎ込まなければならない。
すべての労働者人民諸君! 同志諸君!
われわれは、嵐のような天皇Xデー攻撃の只中で、Xデー攻撃粉砕! 「大喪」爆砕! の実力決起を敢然とうちぬき、天皇制打倒の勝利の展望をガッチリと切り拓いた。
帝国主義国家権力が、戦争とファシズムへの突撃を天皇制攻撃を軸におしすすめ、その攻撃の要ともいうべき革命党(革命軍)壊滅攻撃に踏み込んだことに対し、一歩もひるまず逆に天皇制打倒の本格的武装闘争を果敢に戦取し、天皇制をめぐる階級的分岐を徹底して促進し、反天皇制の全人民的高揚を生み出した事実は実に教訓的である。
戦前ー戦後を通じて、日本の階級闘争が根深く保持してきた天皇制に対する敗北感・恐怖心は、このXデー攻撃との激烈な攻防を通して一掃されつつある。こうしたたたかいを通して、日本の革命闘争は真の意味でのインターナショナルな質を獲得していけるのである。
われわれは、アジアをはじめ全世界の労働者人民・被差別大衆が憤怒を燃やす、天皇を頂点にいただき天皇制を精神的背骨とする日本帝国主義の打倒を非和解にたたかいぬかねばならない。
われわれは、革命的権力闘争の死闘への断絶的飛躍の第一段階をきっぱりと画したのだ。死をも恐れず、最後の勝利の日までともにたたかわん!