戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
2008年3月1日、革命軍による迫撃弾戦闘が空港本体に炸裂しました。以下に紹介するのは08年3月、革命軍から寄せられた軍報・戦闘詳報の全文です。
革命軍は、3月1日6時45分、千葉県成田市南三里塚において、三里塚人民抑圧空港A滑走路に迫撃弾を撃ち込んだ。滑走路を破壊し離着陸を実力阻止する革命的戦果を闘いとった。
これは、「暫定滑走路」北側延伸工事強行を実力阻止する闘いであり、飛行阻止・空港廃港に迫る闘いである。革命軍は「3・1戦闘」に続きこれを数倍する強烈な打撃をもって、延伸工事、空港(関連)施設、空港警備隊を破壊、せん滅する武装闘争に連続的に決起する。
三里塚空港からの自衛隊の反革命戦争出撃を阻止しよう。三里塚闘争と反対同盟に敵対する木元グループを解体・根絶しよう。すべての労働者人民は三里塚反対同盟が呼びかける「3・30三里塚現地闘争」に総決起し、「暫定滑走路」北側延伸工事粉砕、市東さんの農地強奪を実力阻止しよう。革命軍とともに、空港「包囲―突入・解体」、飛行阻止・空港廃港を闘いとろう。
革命軍は、2008年3月1日午前6時45分、成田市南三里塚において、三里塚空港を砲撃し、三里塚決戦の火蓋を切る歴史的号砲を轟かせた。2発の迫撃弾がA滑走路(4000メートル滑走路)にむけ撃ちこまれ、空港敷地内に着弾し空港を破壊した。
×月×日×時、わが革命軍部隊は、千葉県成田市南三里塚一帯を完全な制圧下においた。
三里塚は革命軍の揺籃の地であり、革命軍は反対同盟を先頭に〈徹底被妥協・実力闘争〉を貫く三里塚闘争にはぐくまれてきた。わが戦士は三里塚の大地を縦横無尽に駆けめぐり、田んぼも畑も、森・林、住宅地・工場地帯も、道路はもちろんあぜ道、けもの道まで知りつくしている。
迫撃砲の設置ポイントは空港から南西約1キロ、空港本体―A滑走路を十分に射程内にとらえうる距離にある。空港関連施設―「麻薬探知犬訓練センター」の直近であり、「AMBエアカーゴセンター」の裏手にあたる。まさに敵の厳戒エリアのど真ん中だ。積み重ねた綿密な情報活動により、敵の防衛体制は完全に掌握している。大量の監視カメラ、各種センサー、マシンガンで武装して現場射殺を狙う空港警備隊員と「民間警察」=ガードマンによる定期・不定期の巡回など。しかし、敵権力は機械警備に頼りきりであり、弛緩しきっている。いまここで人民抑圧空港粉砕の「鉄の矢」を放つのだというわが革命的部隊の志気は高い。
敵との交戦にそなえ全部隊が先頭配置についた。われわれの攻撃目標は敵権力の最高警備対象=A滑走路だ。いまこそ、滑走路を破壊し人民抑圧空港の運用を阻止して、「暫定滑走路」北側延伸工事阻止―飛行阻止・廃港戦闘を闘いとるのだ。2基の携帯式迫撃砲は長年にわたり革命軍が開発し幾たびの実戦をへてより軽便により高性能に改良されてきた革命的兵器だ。工作班がただちに作業を開始する。砲を組みたて、砲弾をセットする。砲を地中深くしっかりと埋め込み、方位と発射角を人民抑圧空港―A滑走路に定める。さらに土のうで強固に固定する。慎重に時限装置をセットし、砲と各装置に完璧な偽装を施す。最後に必要な防御措置をとり時限装置を作動させて、すみやかに撤収行動にうつった。このすべての戦闘行動を敵に一指も触れさせることなくまたでっちあげ事後弾圧の口実も許さず貫徹し、革命戦士は三里塚の大地に包まれその姿を消した。
3月1日午前6時45分、2基の迫撃砲は「ドーン」「ドーン」と10秒間隔で連続的に火を噴く。発射された2発の迫撃弾は1100メートル先の現空港―A滑走路にむけ撃ちこまれ、空港敷地内に着弾し現空港を破壊した。
千葉県警―空警隊は革命軍「軍報」が3・1戦果を公表するや、あわてて報道機関に「捜索」を公表し、空港会社は迫撃弾が撃ちこまれ路上に破片が散らばる現空港を3日間にわたり運用しつづけ危険飛行を継続したことを隠ぺいしようとあがいている。警戒網を破られた権力は意気消沈し、空港本体―A滑走路を迫撃弾で蹂躙された空港会社は恐怖の声を上げている。
こうして3・1戦闘は完璧に勝利した。革命軍は三里塚決戦の緒戦で戦略的大戦果を闘いとった。
三里塚決戦は、革命軍が08年「太田黒」論文で宣言した三里塚決戦戦闘の初弾として戦取された。その意義は限りなく巨大である。
第1の意義は、戦闘対象=現空港(滑走路)の戦略的重要性であり、その攻略・破壊が敵に与える甚大な打撃である。3・1戦闘の攻撃目標は現空港―A滑走路であり、戦闘目的は滑走路を破壊し現空港の運用―飛行を阻止することである。迫撃弾は、A滑走路にむけ撃ちこまれ空港敷地内に着弾し、現空港を破壊した。3・1戦闘は、ついに現空港そのものを戦場と化した。革命軍は、3・1戦闘をひきつぎ、連続的に現空港に迫撃的戦闘行動をたたきこむ。空港運用を不断に停止させ「暫定滑走路」北側延伸工事・新誘導路建設―市東氏農地強奪を実力阻止し、空港廃港に攻めのぼる。
第2に、敵が一切手を触れさせないと豪語し最高度の防衛体制を敷いていた第一級の敵防衛拠点を攻略し、痛撃を加えたことである。3・1戦闘は、「三里塚で絶対に実力闘争・武装闘争をやらせない」という権力の攻撃を正面からうち破り闘いとられた。
「反テロ戦争」突撃のための国際反革命「協調」会議―7月「洞爺湖サミット」開催を控え警察権力は年明けから厳戒態勢にはいった。とりわけ参加首脳が降りたつ「成田空港」は、3月中旬に千葉市で開かれる環境問題「G20閣僚級対話会議」、4月初旬に東京で開催予定の「G8開発相会合」など、7月まで日本中を「サミット漬け」にする全国的厳戒状態の先行的な中枢防衛拠点として位置づけられていた。その敵防衛拠点の近接1キロ圏エリアに突入し空警隊の24時間警戒態勢を突破し、現空港を砲撃することに成功した。敵権力の衝撃は計り知れない。
本戦闘は同時に千葉県警―空警隊の「成田空港」防衛体制が「ザル」であることを実戦をとおしてその鼻先につきつけた。空港中枢を直撃する砲撃地点は無数にある。敵は弛緩し戦意は低迷し戦闘力は解体している。革命軍の旺盛な戦意と強靱な戦闘力は彼らを凌駕し、やすやすと敵陣深く潜入し、戦略的戦果を闘いとることを可能とした。
第3に、本戦闘は三里塚空港からの反革命戦争出撃を阻止する闘いの初弾である。
「暫定滑走路」北側延伸工事は「北も南も」という4千メートル級の軍用滑走路2本を備えた本格的軍事空港建設の攻撃である。これは三里塚空港の朝鮮反革命戦争への出撃・兵站基地化の攻撃であり、日米帝の朝鮮反革命戦争突撃の一環である。市東氏農地強奪攻撃は、「有事」攻撃、とりわけ「緊急事態」発令下での自衛隊・米軍陣地構築のための土地・施設の強奪(自衛隊法)や戒厳令・内乱鎮圧下での土地・家屋の強制使用・強奪(国民保護法)など、戦時徴発の一環としてかけられている。
「成田空港」は日米共同作戦計画「5055」において「出撃・補給拠点空港」の筆頭にあげられており、07年11月の習志野基地への迎撃ミサイルPAC3配備につづき、「成田空港」防衛用のミサイル配備が進められようとしている。
米軍再編と日米両軍共同運用および自衛隊3軍統合運用体制の急速な進行、これと一体の沖縄名護新基地建設と自衛隊のアフガン・イラク出兵、これらはいずれも朝鮮反革命戦争突撃(中東反革命戦争突撃)のための日米反革命臨戦態勢形成の攻撃である。三里塚空港はその大きな焦点の一つである。3・1戦闘は朝鮮反革命戦争出撃・兵站基地化粉砕、成田からの出撃軍せん滅の闘いの突破口を切りひらいた。沖縄での米海兵隊兵士による少女への性暴力強制、イージス艦「あたご」の漁船衝突―漁民虐殺を許さず日米帝―日米両軍を糾弾する闘いと連帯し、帝国主義軍隊解体・反革命戦争出撃阻止の闘いとして戦取された。
第4に、実力闘争・武装闘争と戦闘的共同闘争を力に、路線転換攻撃を粉砕し日帝足下の最強の反帝闘争・実力闘争拠点として闘いぬかれてきた三里塚闘争において、三里塚現地で武装闘争を戦取し、まさに「決戦の08年」(反対同盟「新年の決意表明」)を切りひらく闘いとなった。三里塚闘争は反対同盟と新左翼の共同闘争を通して形成されてきた実力闘争拠点=日本階級闘争のもっとも凝縮した攻防点である。3・1戦闘は、この三里塚闘争の現実の勝利=廃港の展望を明らかにし、また1990年天皇決戦と一体で闘いぬかれた88〜90年の収用法決戦・治安法決戦をひきついで、権力闘争の飛躍の新たな水路を切りひらいた。
第5に、3・1戦闘は、「新農政」―農業解体・農民殺しの攻撃に対決し闘う全国の農民と連帯し、「FTA推進」を公言する李明博に対決し闘う民主労総・韓国農民団体をはじめとしたアジアの農民―労働者人民と国際的に連帯する武装闘争として闘いとられた。三里塚空港は日帝のアジア反革命盟主化―「円ブロック圏」形成の重要な反革命通商拠点である。日帝は日帝資本のアジア進出のために自由貿易協定(FTA)締結をおしすすめ農業破壊―農民殺しの「農作物自由化」に踏みきっている。その矛盾を「農業大規模化」「株式会社による農業経営」などの方策をもって小農民・無産農民に押しつけている。「暫定滑走路」延伸・「完全空港」化は、反対同盟つぶし―農業解体・農民殺しの日帝の死活をかけた延命策であり、国家的体重をかけてこれを強行しようとしている。3・1戦闘はこの攻撃に対する正面からの闘いの号砲である。
第6に、3・1戦闘は「唯一の武闘派」なるデマでグループを維持しようとしている木元グループに壊滅的打撃を与え、〈両輪〉の闘いをもってする木元グループ解体戦の勝利の展望を大きく切りひらいた。
木元グループは、恥知らずにも「07年新年号」掲載雑文をほとんどそのまま化粧直しして「08年新年号」と銘打って掲載するほどに、思想的枯渇と組織的解体を進行させている。反革命弾圧に屈服し本格的権力闘争路線を放棄して敵対・逃亡した木元グループは、敵に何の打撃も与えない「腐ったゲリラ」を重ねるほどに反革命的腐敗を深めている。
3・1戦闘は、瓦解著しい白色テロリストどもがすがりつく「革命軍は対権力武装闘争をやらない」というデマを事実をもって粉砕した。3・1戦闘に示される、戦略的攻撃対象を身を挺して攻略した革命軍の軍事的展開力と、その戦果の比類なき階級性・革命性―全人民性は、白色テロリストどもを地に叩き伏せた。
革命軍は、木元グループとの5・4―5破壊襲撃―革命軍破壊策動以降9年間の死闘戦と地をはうような建軍闘争の勝利的推進をとおして、革命的建軍武装闘争の歴史のすべてを継承しその新たな飛躍を闘いとる3・1戦闘に勝利した。そして本戦闘は、全党・全潮流―すべての同志たちの、弾圧と白色テロを封殺する対権力防衛戦と対木元グループ索敵防衛戦の勝利と全戦線での政治的組織的攻勢を前提として戦取された。まさに〈両輪〉の闘いの勝利である。
第7に、革命軍は、98年2・2空港中枢爆破・迫撃弾戦闘(―99年4・27戦闘)以降、10年間にわたる対権力闘争の「空白」を革命的につき破り3・1戦闘に勝利した。
建軍闘争において、3・1戦闘は、一つに地域戒厳態勢下の三里塚で、敵権力の24時間の厳戒態勢の間隙をつき、大胆に敵警戒エリアに突入し戦略的戦果を闘いとる革命軍の高度な軍事展開能力を明らかにした。二つに技術的には長射程、簡便・安全の携帯型迫撃砲を開発・改良し実戦に投入した。三つに革命軍に寄せられた広範な労働者人民の支持・支援がこの戦果を可能とした。四つに5・4―5の打撃を克服し革命軍が一個の戦闘組織としての組織的確立を宣言する戦闘となった。五つに本格的権力闘争の地平を媒介し促進する戦闘として3・1戦闘を闘いとった。本格的権力闘争の地平において断固とした攻勢をとり、敵の戦略的防御対象を攻略した3・1戦闘の勝利は、本格的権力闘争を闘いとる革命的軍事組織として革命軍をさらに飛躍させるだろう。
三里塚闘争において、プロレタリア革命運動に不可欠な革命的軍事が鍛えられ成長してきた。まさに三里塚闘争は革命軍の揺籃の地であり、三里塚闘争に敵対した部分は(革マル・木元グループを端的な例として)武装反革命に転落していった。この三里塚で、われわれは対権力武装闘争の新たな火蓋を切った。三里塚闘争に対する敵の攻撃が苛烈かつ暴虐な国家ゲバルトの行使である以上、われわれの闘いもまた、一切の制約を取り払い破壊とせん滅の赤色テロルで打撃を強制する対権力死闘戦として闘われ、その先にこそ三里塚闘争の血みどろの勝利がかちとられる。3・1戦闘勝利をもって、反革命戦争とファシズムの危機を蜂起―革命戦争に転化する流血の死闘戦にふさわしい武器質の飛躍を可能とする、革命戦士の主体的条件を獲得した。
最後に、そしてなによりも、反対同盟に対する敵の全体重をかけた解体攻撃への反撃の号砲となった。反対同盟諸氏の三里塚決戦にかける烈々たる戦闘宣言は、革命戦士を決死の戦闘に決然としておもむかせる。北原氏は「08年、反対同盟は三里塚闘争の原点を守り、空港廃港へと追い込む闘いを展開する」と決戦を宣言し、市東氏は「敵に一泡も二泡も吹かせる闘いをやろう」と呼びかける。鈴木幸司氏は「農地が闘いの拠点だ、この闘いに勝利しよう」と語りかけ、萩原氏は「志半ばに逝った多くの反対同盟員の闘いの歴史を引き継ぎ闘う」とその深い決意を語る。3・1戦闘は、これら反対同盟諸氏の決戦宣言にこたえ、三里塚闘争に心を寄せる労働者人民を力づけ、三里塚闘争勝利の展望をさし示す戦闘となった。反対同盟をはじめとした闘う労働者人民は、3・1戦果に快哉の声を上げている。
革命軍は3・1戦闘をひきつぎ間断なきゲリラ戦の嵐を現空港にたたきつける。不断に飛行阻止―空港機能停止を強制し、「暫定滑走路」北側延伸工事・新誘導路建設実力阻止―市東氏農地強奪阻止を戦取して、空港廃港まで闘いぬく。
三里塚闘争は決戦情勢をむかえている。2003年12月、政府・空港公団(現空港会社)は、市東孝雄氏耕作地の強奪ならびに天神峰現闘本部・野戦病院などの強奪を宣言した。これに対し革命軍は、2004年、木元グループ報復・解体戦の戦略的戦果を力に、新たな決戦宣言を発し実力阻止の戦闘態勢にはいった。反対同盟は06年3・26全国集会で、「ふたたび血を流して闘うときがきた」と、新たな決戦を宣言し三里塚への全国集中と実力闘争・武装闘争決起をよびかけた。
権力・空港会社は、06年9月「暫定滑走路」北側延伸工事に着工し、十余三トンネル付けかえ工事や、東峰の森伐採、一坪共有地破壊をはじめとした拠点破壊・土地強奪攻撃を暴力的におし進め、焦点的には本年10月にも市東氏農地を強奪すると宣言している。08年「新年挨拶」で、空港会社社長森中があらためて「09年度完成」(10年春供用開始)を宣言し、また周辺自治体も「成田国際空港づくり推進会議」を結成して「空港完全」化要求を強めている。
闘いの機は熟している。2月17日の革労協政治集会では反対同盟諸氏が三里塚決戦に向けた実力闘争・武装闘争の決意を明らかにし、「空港廃港」の檄を発した。敵の焦りに満ちた暴力的攻撃が強まっている。反対同盟と戦闘的共闘の隊列に、実力闘争・武装闘争の気運が高まっている。こうした中で、3・1戦闘はついに三里塚決戦の武装闘争の初陣をきり、闘いの火ぶたを切っておとした。三里塚の大地を鉄と火の武器を手に縦横無尽に駆けめぐり、現空港破壊、敵権力打倒の流血の死闘戦に総決起しよう。
実力闘争・武装闘争こそが三里塚闘争勝利の展望である。反対同盟がかかげる〈空港絶対反対〉〈一切の「話し合い」拒否〉〈徹底非妥協・実力闘争〉の基本路線が勝利の方針だ。反対同盟のこの実力闘争路線を市民主義・合法主義―議会主義的に路線転換させ、三里塚闘争の核心点である実力闘争・武装闘争を削りおとし解体させようとする攻撃が強まっている。「成田空港」の発着枠を年間30万回に増やし、騒音地獄と航空機事故の脅迫をもって反対同盟を屈服させようとする権力・空港会社―千葉県知事堂本の攻撃、そしてこれに呼応して「推進会議」での「完全空港」化を促進する相川らの脱落派ならびに脱落派支援諸党派の破壊・攪乱行動、ファシストの本格的敵対、そして反革命革マル、木元グループによる三里塚闘争破壊の白色テロルがそれである。
革命軍は、この決戦情勢にさいして革命的武装闘争の爆発―本格的権力闘争の飛躍をもって革命的回答とする。
三里塚空港建設は、交通・運輸・通信部門の再編・強化を最先端として国家的規模で大合理化を推進し、天皇を前面におしたて日帝がアジア反革命盟主としてつき進むための攻撃である。この攻撃に正面から対決し、日帝足下の最強の反帝闘争・実力闘争拠点として前進してきた三里塚闘争は、武装を不可欠の要素とする革命的階級形成の決定的な大衆的波及原点となっている。三里塚という敵の攻撃の重心において闘いとられる的確無比の武装闘争は、敵の政治支配に打撃を与え、また革命的階級形成の決定的なテコとなる。
3・1戦闘は、三里塚闘争のプロレタリア性・全人民性が発揮されたものであり、また大衆闘争の武装的発展にむけ闘いぬく突破口として、全国・全戦線で闘う労働者人民・被差別大衆にむけた「このように闘おう、このように闘えば勝てる」という熱いよびかけでもある。
三里塚闘争は、朝鮮反革命戦争の巨大な兵站基地として「完全空港」化がもくろまれている巨大な軍事基地を解体する闘いである。三里塚農民の土地を武器とした闘いは、沖縄労働者人民の基地解体にむけた闘い、パレスチナ人民のイスラエル占領地解放の闘い、そして韓国・平澤をはじめとした米軍基地建設反対闘争など、反戦・反軍の共感を全世界で生み出している。この闘いを、帝国主義軍隊解体・基地解体、プロレタリア的国際連帯の武装闘争としてさらに強力に発展させよう。
三里塚闘争は、農民の土地を強奪したたき出すという農民殺し・農業破壊を許さない闘いである。全国農民の三里塚闘争への決起を闘いとり、日帝による農業破壊と農民殺しの攻撃に対日帝闘争をもって対決する戦闘的農民運動を築きあげよう。
三里塚空港建設は、日帝足下において、またアジアをはじめとした全世界労働者人民に対して、首切り・合理化、搾取・収奪と抑圧・隷属を強化する攻撃である。全労働者・人民の三里塚闘争への決起を闘いとり、労働者階級・全人民が搾取・収奪に抗し隷属の鉄鎖を断ち切るための闘いを燃えあがらせよう。
三里塚闘争は、社共・革マル・木元グループを追放し、現地・実力で闘うことをとおして築きあげられてきた、全人民解放の砦である。反対同盟にかけられた攻撃を、闘う労働者、被抑圧人民・被差別大衆、闘う全人民が自らにかけられた攻撃として闘い、労農水「障」学の革命的共闘を拡大し、プロレタリア解放―全人民解放の拠点として共に実力決起をかちとろう。
三里塚決戦勝利のために決起し、プロレタリア国際主義の旗をかかげ、工場に、「寄せ場」に労働運動拠点を作り出し、全国の農民の決起を組織し、被抑圧人民・被差別大衆の解放闘争の前進―労働者人民の闘いの奔流を生みだそうではないか。
年あけてさらに深刻化する一方の「サブプライムローン問題」はこの春から夏にかけて資本主義世界経済を金融恐慌の瀬戸際に追いこんでいく。その脆弱な環として日帝ブルジョアジーは、かつて経験したことのない政治的危機に直面している。その延命をかけて日帝は、「円ブロック圏」を形成しアジア反革命盟主となり、戦争とファシズムの凶悪な攻撃で打開しようとする道を政治的・経済的・軍事的に必死になって追求している。
03年3月の米帝のイラク―中東反革命戦争への突入と日帝・自衛隊のイラク出兵―本格参戦は、また06年朝鮮民主主義人民共和国のミサイル発射と核実験から米日韓反革命階級同盟の臨戦態勢の強化として緊迫の度を加える朝鮮反革命戦争の危機は、三里塚空港の反革命戦争出撃・兵站基地としての「完全空港」化を権力にとって一刻の猶予もならない国家的緊急事とするにいたっている。
帝国主義工場制度のなかでは「過労死」、労災、自殺が頻発し、労働者階級の大失業と低賃金化、総「非正規」化が進行している。労働者階級に対する分断・競争、抑圧・差別の攻撃が強まり、総体としてこのままでは生きていけなくなるほどの極度の奴隷労働と搾取・収奪、窮乏化が強制されている。戦時下の排外主義・差別主義攻撃―抹殺攻撃が激化している。労働者階級人民の生きるための激発する闘いを解体・鎮圧する、全社会的な反革命的再編と組織絶滅型の反革命弾圧が強化され、戦闘的党派・潮流には非公然・非合法領域の解体攻撃が集中している。こうして日帝ブルジョアジーは、戦争とファシズムにむけた反革命国民統合―「城内平和」攻撃を貫徹するために、革命的闘争拠点としての三里塚闘争の破壊と反対同盟・戦闘的共闘の解体を暴力的に強行しようとしている。
路線転換攻撃が強まり、新左翼内部でも、日和見主義的路線転換と権力の強攻撃への屈服、その急速な無力化・分散化が進行している。革命軍は、革マル・ファシストの白色テロを粉砕し、路線転換陰謀のはてに脱落・敵対した木元グループとの死闘戦を闘いぬいてきた。本格的権力闘争の飛躍を闘いとる革命軍は、日本階級闘争における暴力革命路線を堅持し闘う革命的武装力である。
3・1戦闘の勝利をうけて、わが革命軍の戦闘任務は鮮明である。
第1に、革命的武装闘争任務として三里塚決戦に集中し、この決戦なかから本格的権力闘争の飛躍―11・1〜2戦闘を越える武装闘争を闘いとる。その勝利を、日本階級闘争に対する路線転換攻撃を粉砕し、反革命戦争粉砕・帝軍解体、「有事」・改憲攻撃粉砕、「洞爺湖サミット」粉砕、天皇訪韓阻止―日帝のアジア反革命盟主化粉砕の闘いにより攻勢的にひきつぎ、日本階級闘争の革命的転換・飛躍を実現する。反対同盟と戦闘的共闘の「暫定滑走路」北側延伸工事―市東氏農地強奪阻止、東峰の森強奪―破壊・一坪共有地強奪・拠点破壊攻撃粉砕、市東氏裁判闘争勝利の闘いを革命軍はともに闘いぬく。3・1戦闘につづき現空港の運用を阻止し空港施設を破壊するより苛烈な決戦的戦闘行動に連続的に決起し、空港包囲・突入―解体、現空港廃港に進撃する。
第2に、3・1戦果に直撃され危機を深める木元グループの絶望的白色テロ策動を索敵・防衛の闘いを強化し粉砕する。彼らを〈両輪〉の闘いをもって革命的テロルで報復、解体・根絶する。
第3に、3・1戦闘に危機感をつのらせ排外主義的反革命テロを激化させるファシストを打倒する。対ファシスト戦戦取の新たな戦端を切り開き、反革命革マルを革命的テロルで打倒する。
第4に、3・1戦闘報復のでっちあげ反革命弾圧を粉砕する。現場射殺と「カメラ社会」化、DNAでっちあげ弾圧などの革命軍解体をねらった反革命弾圧の集中と、殺人罪・爆取弾圧と死刑・無期、長期投獄攻撃を粉砕し勝利する。破防法発動に対する攻勢的・武装的攻防をもって破防法を正面から受けてたち粉砕する。
革命軍は三里塚決戦戦闘を闘い、その勝利のなかから、より革命的により強固に、自らをうち鍛える。防衛戦を一個の戦略的闘いとして貫徹し、非合法地下の陣地を守りぬく。不断に思想的深化と政治性・組織性の革命的錬磨を自らに課し、不屈・不抜の革命戦士として飛躍する。完黙―非転向の攻勢的獄中闘争に勝利する。対権力ゲリラ戦を持続的・攻勢的に闘いぬく。働きながら軍事を展開する(戦闘行動を闘う)プロレタリア的戦闘組織建設をおし進め、ともに空港包囲・突入―解体の全人民総決起の武装闘争の先頭で闘いぬく。
反対同盟は、3・30三里塚現地闘争をよびかけている。すべての労働者人民は、3・1戦闘につづき、総武装・総決起して三里塚人民抑圧空港にむけ実力で進撃しよう。「暫定滑走路」北側延伸工事阻止、市東氏農地強奪阻止のために、武器を取り闘おう。革命軍は、3・1戦闘をひきつぎ越える戦闘をもってその先頭で闘いぬく。
(2008年3月)