全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

革命軍     アキヒト即位儀式爆砕の波状的同時戦闘を敢行
天皇防備兵=反革命治安警察部隊を完全打倒(1990年11月1〜2日)

機関紙「解放」489号(1989年11月15日発行)

11・1―2天皇戒厳軍出撃拠点=警察寮を同時爆破
戒厳部隊1名完全打倒、ほか6名重せん滅

革命的労働者協会政治機関紙「解放」489号(1989年11月15日発行)より

 革命軍より軍報が届いたので、これを発表する。

軍 報

清和寮
誠和寮

 わが革命軍は、11月1日、午後10時50分および、同10時55分、東京都新宿区北新宿1の36の14、日帝政治警察―天皇戒厳軍出撃拠点たる、警視庁統合待機寮「清和寮」に対して革命的同時爆破攻撃を敢行し、反革命戒厳部隊1名を完全打倒し、他6名を重センメツという歴史的大戦果を闘いとった。

 さらに11月2日午前1時48分および同3時11分、東京都世田谷区下馬2の23の2、反革命出撃拠点―警視庁統合待機寮「誠和寮」にたいして革命的同時爆破攻撃を敢行し、警視庁爆発物処理隊もろとも爆砕し、日帝国家権力を恐怖のどん底にたたきこんだ。

 この闘いは、11月天皇アキヒト「即位の礼―大嘗祭」爆砕―「皇居」攻略に向け、史上空前の首都戒厳令体制を打ち破り、「天皇の軍隊」―反革命首都戒厳軍を徹底センメツするという、偉大な歴史的戦闘として闘いとったのだ。 アキヒト即位儀式「即位の礼―大嘗祭」こそ、ムツヒト、ヨシヒト、ヒロヒトのアジア侵略とアジア人民大虐殺の歴史を継承し、階級支配の再編基軸として、文字通り、天皇の元首化、神格化をもって、日帝があらたな反革命戦争とファシズムに突撃せんとする、一大歴史的転換点なのだ。

 この闘いの第一の歴史的意義は、11月天皇アキヒトの即位儀式を爆砕する闘いとして、昨年2・24中央道爆砕戦闘を継承・発展させ、10・9武蔵野陵用皇室専用駅―「陵南会館」火炎爆破戦闘に続く偉大な闘いであり、危機にのたうつ日帝の破防法適用攻撃にひるむことなく、首都戒厳令弾圧体制を突破し、破防法弾圧の尖兵たる日帝政治警察―反革命天皇戒厳軍そのものの徹底センメツとして、正面からいどみ勝利したということである。

 同時に日帝政治警察―警視庁による11・7革命党中枢破壊テロル―1・28射殺テロルに対する断固たる革命的報復の闘いである。わが軍は、党・軍―闘う人民への反革命テロル弾圧(とりわけ首謀者)に対しては、百倍、千倍の革命的報復をやりきることを明言しておく。

 さらに、即位儀式への大量の自衛隊の動員をテコに、天皇の軍隊―「皇軍」として、治安出動―海外派兵、イラク=中東―国際反革命戦争へうってでんとしていることへの先制の革命的巨弾である。

 また、新左翼運動の全国的大衆運動拠点であり、革命的農民運動の拠点たる三里塚闘争破壊―代執行攻撃、10・15三里塚大清水団結小屋破壊に対する革命的報復・先制の戦闘である。

 わが軍は、日帝足下、プロレタリア人民の階級的責務として、全世界プロレタリア人民と共に、生死を賭して、天皇制打倒―日帝国家権力打倒の11月天皇即位儀式爆砕決戦に勝利し、90年代プロレタリア権力闘争の革命的飛躍を断固として戦取する。

 すべての労働者人民・大衆は総武装総決起し、即位儀式爆砕―「皇居」攻略に突撃せよ!

90年11月2日 革命軍

戦 闘 詳 報

「解放」490号(1990年12月1日発行)より

 わが革命軍は、90年11月1日、午後10時50分および、同10時55分、東京都新宿区北新宿1の36の14、反革命治安警察軍の戒厳部隊出撃拠点たる警視庁統合待機寮「清和寮」に対し、革命的同時爆破攻撃を敢行、反革命戒厳部隊1名を完全打倒し、他7名を重せん滅という輝かしい歴史的大戦果を闘いとった。

 さらに同月2日午前1時48分、同3時11分、東京都世田谷区下馬2の23の2、反革命治安警察軍の戒厳部隊出撃拠点―警視庁統合待機寮「誠和寮」をも攻略・蹂躙し、同時爆破攻撃をもって同警察寮を警視庁爆発物処理隊もろとも爆砕し、日帝国家権力を恐怖のどん底にたたきこんだ。

警察寮を同時爆破

 ついにわが革命軍は、11・1―2戦闘の敢然たる戦取と、かけ値なしの流血の死闘を敵に強制することによって、あまりにも永すぎた戦後階級闘争の微温的屈辱的歴史に革命的ピリオドをうったのである。日帝政治警察=天皇防備兵の革命的爆破戦闘による完全打倒というあらたな歴史的地平は、天皇制打倒―日帝国家権力打倒の蜂起・革命戦争の勝利においてしか止むことをしらない階級闘争の内乱的発展の偉大な一歩である。わが革命軍は、対権力死闘戦に対する日本左翼の怯懦な、歴史的ともいえる日和見主義的精神をおし破りつつ、67年10・8、71年9・16をひきつぎ、革命的断絶的に飛躍した地平において歴史の転換を画す前衛的戦闘を戦取してきた革命派の誇りにかけて、この手に握りしめた管制高地から更なる飛躍をたたかいとるであろう。

 わが革命軍の渾身の一撃によって、日帝国家権力そして天皇にとって一世一代の「晴れの日」が見るも無惨な流血を強制され、ズタズタに引き裂かれることによって天皇(制)の「神」としての反革命権威は確かに地に堕ちたのである。それがふたたび労働者階級人民・被差別大衆の頭上に昇ることはもはやない。

 2万6千人動員の厳戒体制下、わが革命軍は、戒厳部隊出撃拠点そのものを攻略し、的確無比に反革命部隊員を完全打倒した。警視庁は「パニック状態」(東京新聞)におちいり、天皇即位儀式防衛の「今回の大警備で最大の誤算」(産経)と、その衝撃にうちのめされ茫然自失の態である。

 他方、11・1―2戦闘は、天皇即位儀式に反対し天皇制打倒―日帝国家権力打倒闘争に決起したたたかうプロレタリア人民を鼓舞し限りなく力づけた。11月12日、即位式粉砕中央闘争会場の宮下公園で革命軍の本戦闘の軍報をつたえる全学連委員長の演説は、地鳴りにも似た万余の人民の拍手と歓声につつまれ、しばし聞きとれなかったほどであった。

 これは、天皇即位式粉砕のために全国の職場・学園・地域からの広範なストライキ決起をかちとり結集した、すべてのたたかうプロレタリア人民の反天皇決起の頂点において炸裂したたたかいが、本戦闘であったことをさし示している。国鉄をはじめとした全国での職場決起、山谷―寄せ場労働者の実力決起、明大・東北大を先頭とした全国学生のストライキ決起、部落解放運動の反天皇・狭山決起、三里塚芝山連合空港反対同盟の家族ぐるみの総決起、こうした広範な日本のたたかう労働者人民・被差別大衆の実力決起と固く結びつき、全世界のプロレタリア人民のたたかいと国際的に連帯して鋭く重々しい対権力武装闘争として本戦闘はたたかわれ勝利したのだ。天皇アキヒトの即位式典は、全国から根こそぎ動員された3万7千余名の治安警察軍に守られてかろうじて挙行された。しかし天皇の反革命権威を誇示するはずの即位式典は完璧に破産した。治安当局は、パレード沿道への動員予測を30万人と公表していた。だが実際に動員されたのは、権力発表でもわずか11万余名であった。京都で強行されたヒロヒトの即位式典には60万人を動員しえたにもかかわらずである。天皇主義ファシスト、神社本庁、遺族会、生長の家等々の天皇主義ファシスト陣営が必死になって動員をかけた結果がこれである。

 「奉祝」運動を総破産させた最大の力、それこそ11・1―2戦闘の革命的破壊力である。

 アキヒトは、3万7千の治安警察軍、自衛隊の儀仗隊・軍楽隊・砲兵、それに天皇主義民間右翼に守られてしか「皇位の継承」を宣言しえなかったのである。

 アキヒトは即位式典で、全世界とりわけアジア諸国の支配階級の代表どもを前にして、「八紘一宇」の思想をあらわすとされる「高御座」にのぼり、ファシスト・ヒロヒトの「遺徳」をたたえ、その継承と天皇制の新たな再確立にむけ、自ら強力に元首化・神格化の道を歩むことを宣言した。

 「心から」万歳三唱した土井の社会党は論外にしても、共産党はいっさい反対運動をとりくまぬばかりか、「天皇の赤子」革マルも「挑発者」規定をもってわが革命派の背後からの攻撃・襲撃に熱中した。

 11・1―2戦闘こそが、11月天皇即位式典―「大嘗祭」粉砕の全人民的高揚を主導しきり、進むべき方向を鮮烈に示したのである。そればかりか11・1―2戦闘は、諸党派を含む実力決起をはるかに凌駕する流血の死闘戦の戦取によって、それらを牽引し秩序づける前衛的戦闘としての責務をはたしきったのである。

 この戦闘の勝利を通して、わが軍は日帝国家権力とブルジョアジーの憎悪の的となり、非妥協―実力でたたかうすべてのプロレタリア人民の前衛的革命的武装勢力として、日本階級闘争の革命的発展のたたかいの巨大な前進をはかったのである。

= 戒厳部隊を大恐慌に陥らせ、天皇即位儀式を破産させる =
誠和寮

 本戦闘は、日本階級闘争の革命的発展の方向性を決定づけたのみならず、わが軍のこれからの武装闘争の道筋を強力にさし示す戦闘ともなったのである。

 本戦闘の第一の革命的意義は、反革命戒厳部隊をせん滅し、即位儀式を粉砕したことである。

 天皇即位儀式とは、天皇が「皇祖」=天照大神と米飯を食し、同衾することによって神となるという荒唐無稽極まりない「大嘗祭」を神道的確心とし、これと対になって天皇が「皇位継承」を宣し、天皇を神格化するための儀式であり、これを国家行事として強行することによって、天皇は政治的には元首としての地位を強め、反革命戦争とファシズムへの一挙的突撃をはかる一大反革命攻撃である。

 日帝支配階級にとって、天皇(制)は、自らの階級支配を維持強化し、反革命的国民統合と帝国主義的対外進出をはかるうえで不可欠なのである。

 ただ共産主義革命だけが、階級支配の廃絶もろとも、天皇制をキッパリと廃絶できるのであり、ほかのいかなる政治的変革においてもその廃絶は不可能である。

 われわれの天皇制とのたたかいは非和解的である。それは、近代天皇制が、アジア人民、日本の労働者人民・被差別大衆、そして共産主義者らに加えてきた侵略と搾取収奪、差別・抑圧・虐殺の血ぬられた歴史に対決し、天皇制の下虐げられたすべての人々の利害に依拠しそれをひっさげてわれわれが闘っている以上、そこに妥協や和解の余地などありはしない。

 戦前、秩父蜂起や大逆事件、間島蜂起や日本人共産主義者などの天皇制国家権力とのたたかいは、常に虐殺をもって圧し潰されてきた。また戦後の、「狼」グループらの数少ない反天皇武装闘争に対しても、日帝国家権力は爆取=死刑で臨んできている。

 この歴史は、天皇(制)に手をかけることに対する日本左翼の恐怖感をその本質とした日和見主義的な意識的軽視と神格化を生み出してきた。

 われわれは、天皇(制)とのたたかいに本格的に着手した70年代中期以降、常にこの非和解性を自覚してきたし、むしろ意識的に反天皇闘争をわが権力闘争論のなかに積極的に位置づけることによって、その不可避的発展を促進してきた。今この天皇制を王冠とする日帝国家権力とのたたかいを、ようやくにして、反革命治安警察軍―天皇防備兵の完全打倒をたたかいとる地平にまで押し上げることに成功した。

 わが軍は、89年2・24中央道爆破戦闘の革命的地平を継承し、今回、革命的飛躍的に、反天皇武装闘争の前進をかちとることに成功した。日帝治安警察部隊1名の完全打倒は対日帝武装闘争史上に永く輝く「金字塔」である。

 日帝の階級支配の危機が深まるにつれ、天皇攻撃はさらに激化していくであろう。わが軍は、この攻撃に敢然と対決し、11・1―2戦闘のさらなる革命的な継承・発展を実現する決意である。

= 破防法適用粉砕し、革命党破壊反革命弾圧に報復を貫徹 =

 第2に、日帝の革命党に対する破防法組織解散条項適用攻撃を粉砕したことである。

 日帝は、10月23日「政府声明」を発し、破防法の団体規制の適用を示唆した。「声明」は、、本格的武装闘争の放棄を迫り、破防法団体規制適用で脅しをかけてきた。しかしわれわれにとって、こんな脅しなど全く無力である。その回答こそ、11・1―2戦闘である。

 基本的にどう喝法としてあった破防法は、歴史的にはその前に膝を屈した日本左翼の姿しか知らない。不屈にたたかおうとした少数の武装集団は、破防法弾圧の前に完全に補足―解体させられてきた。

 いま日帝の前に恐るべき挑戦者が登場したのである。強固な地下党を堅持し、広範な公然大衆運動を組織して、非合法軍事を展開する、不屈の戦闘者精神をもった革命家集団である。革命的危機を前に党員名簿を「解放軍」=米帝(日帝)に差し出していた骨の髄からの日和見主義者=日共とは異なり、「一匹狼」的に個人主義的な武装闘争を追求した分子とも異なって、公然と非公然、合法と非合法を統一的に展開する本物の革命勢力の登場である。

 破防法攻撃は、日本階級闘争がやっと世界的水準の武装闘争に接近しつつあることの現れにすぎない。革命的武装闘争を本格的組織的に継続的に実現している革命勢力を非合法化していない国が、世界のどこにあるというのか。

 すでに9・19「治安法」下の三里塚は、「地域戒厳令」下、破防法的弾圧に日常的にさらされてきたではないか。89年11・7弾圧は、問答無用の発見即逮捕攻撃として破防法そのものではないか。90年1・28弾圧は、射殺攻撃として破防法弾圧の水準=革命家の虐殺・抹殺の攻撃を、事実をもって如実にさし示したではないか。

 こうした一連のすでに積み重ねられてきた先行的弾圧の現実に無縁な者のみが、破防法弾圧の急速な煮詰まりに、いまさらのように浮き足だっているのである。

 第3に、11・7革命党中枢破壊テロル―1・28射殺攻撃テロルに対する断固たる革命的報復のたたかいである。

 わが軍は、党・軍―たたかう人民への反革命テロル弾圧に対して決して容赦しない。下手人のみならずその首謀者に対して、倍する徹底した革命的報復の鉄槌をくわえることをここに宣言しておく。

 われわれは、この点を、戦前治安維持法型弾圧に対する敗北の総括としてもはっきりさせねばならない。日本のプロレタリア革命運動は、治安軍、特高警察に対する報復戦をほとんど貫徹しえてこなかった。本戦闘は、敵暴力装置との戦闘をもって破防法弾圧にたいする先制攻撃を敢行した点において、戦前の歴史を大胆にふみこえていく第一歩となったのである。

= 海外派兵への先制打 =

 第4に、自衛隊の中東派兵策動に対する先制的反撃のたたかいとなった。

 即位儀式で、大量の自衛隊員が儀仗兵、軍楽隊、砲兵として参加した。日帝軍の「皇軍」化が一挙的に進行した。天皇の軍隊化こそ外征作戦を担いうる自衛隊への反革命的跳躍台である。アジア人民は、自衛隊は平作道に対し徹底した反撃のたたかいをくりひろげてきた。わが軍の11・1―2戦闘は、このアジア人民のたたかいに国際主義的に連帯・呼応してたたかいとられた。

 天皇制強化の攻撃と、自衛隊の「皇軍」化を通した治安出動と海外派兵の攻撃は、まさに一体の攻撃としてかけられてきたのだ。わが軍のたたかいは、自衛隊派兵法案を葬り去った。衣を替えて再提出されようとしている派兵法案を粉砕するたたかいにわれわれは再び決起するであろう。

 最後に、本戦闘は、10月15日大清水団結小屋破壊に対する報復のたたかいとして闘いとられた。同時に、きたるべき強制代執行とのたたかいの先制打でもある。

 11・1―2戦闘は、71年9・16戦闘を革命的に継承したたかいとられた。いま脱落派が「連絡協議会」なる土地売渡し陰謀を公然とおし進めるなか、その第1の事業として「空港問題をめぐって亡くなった犠牲者」のための「合同慰霊祭」をひらこうとしている。東峰十字路でせん滅・打倒された三警官と、東山君や三の宮君ら三里塚闘争で権力に虐殺され生命を奪われてきた無数のたたかう人民をいっしょくたにして後者を踏みつけにしようとするこのたくらみに、われわれは怒りをおさえることができない。脱落派を解体する。とりわけその「主流派」として売渡し策動をおし進める反解放派脱走分子を鉄槌をもってわれわれは解体する。

= 内乱的死闘の時代開いた11・1〜2戦闘 =

 情勢は、無条件に本格的権力闘争の革命的発展を要求している。

 帝国主義の恐慌と反革命戦争の危機の増大。スターリン主義の劇的崩壊とソ連・東欧圏の解体。東独の併呑による強大な帝国主義ドイツの登場。総じて、戦後世界体制の解体的再編過程への突入と激烈な政治的経済的矛盾の軍事的衝突への急速な転化。こうした世界情勢を背景に、日帝は天皇制攻撃と自衛隊の海外派兵を環とする戦後政治体制の解体的再編、反革命的再確立の攻撃をつよめ、「城内平和」創出の最大の妨害物―三里塚闘争と革命党派の存在を一掃するために、「成田治安法」と爆取・破防法攻撃を一挙にかけてきた。

 戦後的前提を右から踏み破る権力の強権的攻撃の前に、実力で反撃する力を持たない党派は屈するか解体されるかしか道がない。革マル・ファシストの白色テロのまえに自らを守り労働者人民を防衛できない党派に、一体誰が好きこのんで結集するだろうか。

 11・1―2戦闘は、対権力武装闘争の内乱的死闘の時代へのた端緒的突入の実戦的始動のたたかいとなった。

 戦前の革命的武装闘争の歴史はひとまずおくとして、戦後階級闘争史上、日本のプロレタリア人民は、11・1―2革命的爆破戦闘により初めて権力の完全打倒を自らのものとした。銃殺・刺殺の歴史はあっても、その経験を、日本プロレタリアートは戦後もっていなかった。いまここにわが革命軍が、その歴史的前衛として的確無比な戦闘でこの歴史的大戦果をたたかいとった。

 本戦闘は、71年9・16東峰十字路戦闘の主力としてたたかい3警官せん滅戦を戦取した歴史を引き継ぐものこそはじめてなしえた歴史的偉業である。しかし、かの偉大な9・16戦闘をも歴史的に相対化してしまうほどの巨大な革命的意義を、本戦闘は有している。

 三里塚第2次強制代執行阻止の大衆的高揚を力としその最先端でたたかいとられた9・16戦闘に比して、本戦闘は、圧倒的に党的戦略的決断を条件として戦取されたのである。決定的には、対革マル死闘戦で鍛えぬかれ、88年3・17戦闘以降の本格的武器の開発・習熟・駆使を可能とした恒常的武装勢力の建設(主体)と、爆弾という強力無比の本格的武器の行使(手段)の両面において、革命的に飛躍している。

 わが軍は、今回、天皇即位儀式という敵の側からの戦後階級闘争史を画する一大攻撃に、爆弾を武器に挑み、一個の戦闘を通し敵権力を恐怖させ、逆に味方を限りなく勇気づけ、それを通して日本階級闘争の革命的前進を一段おし進めるのに成功した。今後、三里塚、派兵攻撃、破防法攻撃等々の日帝階級支配の転換的攻撃に対し、節目毎に嵐のようなゲリラ戦をたたきつけ、無力に屈服を深める野党・新左翼右派ブロックを尻目に、革命軍と解放派こそが、勝利の展望をさし示すことができるであろう。

 権力は、11・1―2戦闘に恐怖している。いわく「悪質、凶悪・卑劣・残忍・冷酷・陰湿・偏執的(ママ)、獣的(ママ)」等々―およそ考えられる限りの悪罵がわが軍に投げかけられている。

 敵日帝国家権力のわが軍への悪罵の限りを、われわれに対する最大級の賞賛としてうけとっておこう。

 だが、ここでわれわれは日帝国家権力に一言忠告しておこう。反革命治安警察軍1名の死の責任は実はお前達にあるということを。わが軍は、88年千葉県警道野辺派出所に対し波状的爆破攻撃を敢行、治安部隊1名をせん滅した。われわれはその戦闘詳報において治安警察軍に警告を発しておいたはずだ。「われわれはありとあらゆる創意をこらして、敵に強制する打撃を高めるべく、自由に戦術を決定し実行する。わが軍に侵攻された地点に『現場検証』などといって安易に足を踏み込むのははなはだ危険な行為であると知るがよい。わが革命軍によって蹂躙された拠点はそのまま放棄すべき点を忠告しておく」(解放440号)と警告してあったはずだ。それを忘れて、攻略された現場に部下を向かわせた責任こそが問われなければなるまい。

 しかも許しがたいことに、「無差別(ママ)の殺傷をねらった」ゲリラという反革命キャンペーンを組織している。わが軍の戦闘行動は不必要な打撃を与えないための細心の注意が、情報・技術・作戦戦闘行動のすべてにわたって貫徹されている。武装闘争の常として攻撃目標以外に打撃を与えてしまう可能性は残るのだが、目標攻略と戦力防衛とのギリギリのともながらの追求のなかで、わが軍は的確に目標を破壊してきた。今回の反革命1名完全打倒に動転した日帝国家権力は、こうしたデマ・キャンペーンをもって破防法適用に踏み切ろうとしているのだ。

 反革命をうち倒した一発の爆弾は、権力どもの恐怖感・不安感を決定的に昂進させた。夜も寝れずに警察署・交番の周辺をウロつく警官。超ロングラン警備の徹夜の連続に、警備車両の中で無警戒に居眠りする警官。この間そうした姿が都内随所で見られた。

 わが軍は、まさに敵の虚を突き、思いもしなかった戦術をもって、敵からすれば「卑劣・悪質・凶悪」な手段で一切容赦を与えず無慈悲に敵権力をせん滅するというゲリラ戦原則にいっそう習熟し、味方戦力の強大化と敵権力のそぎ落としを着実に実現していくであろう。

= 生命かけた決起による敵治安軍打倒―決戦の戦取 =
はいつくばる反革命治安軍

 革命軍は本戦闘に、己れの生命と人生の一切を賭して決然と決起した。一瞬のミスが自らの生命を奪い、あるいは極刑攻撃をくわえられることにもなりかねない恐るべき緊張下で、本戦闘は勝利したのだ。

 敵権力は、反革命分子の死を、人間の死一般にすり代える詐術をもちいて、革命軍を攻撃しようとしている。

 この世に死一般などあるわけがない。いかなる生の結果としての死なのか―反革命としての死なのか、革命家としての死なのか、時代がますます煮つまり革命と反革命に急速にこの社会が分裂していく中では、厳然として区別されるその2つの死に二分されていく。

 われわれは、反革命分子のせん滅を戦闘行動に際してはトコトン追求するし、より大量のより重度のせん滅を自らの生きがいとして喜びをもって迎えるだろう。一方で、同士と組織を防衛するためには、同士を見捨てて敵前逃亡するよりも、敢然とその場に踏み止まり敵の手にかかりせん滅される方を、われわれは選ぶ。その対極にあるものこそ、他人が死ぬのはいっこうに構わないが、自分が死ぬのだけはいやだという反革命どもの腐りはてたブルジョア的生死観である。

 主体的困難をあげれば数限りないなかで、わが軍は、確固たる戦略的確心と不屈の戦闘意志で11月天皇決戦の勝利の大勢を決する大戦闘を11・1―2戦闘として戦取することに成功した。

 決戦をただ決戦として組織したたかいぬいたもののみが、勝利の果実を手中に収めることができるのである。わが軍は、11・1―2以前のわが軍と決然と区別される地平に、今たっている。この地平を防衛し、さらに発展させる組織的営為のみが、わが軍を日本革命のプロレタリア的武装力として着実に発展させるであろう。

 11・1―2戦闘は、対革マル死闘戦の歴史的地平の上にかちとられた。これは結果ではなく、対革マルの当初から意識的に戦略的課題として追求してきたことであった。

 日本における革命闘争の道は、反革命革マルとの断固たる死闘戦の戦取を通して、対権力闘争の死闘的本格化へと通じていたのである。同志中原を先頭とした戦略的洞察が、11・1―2戦闘を最高の到達地平とする今日の権力闘争の本格的発展を切り拓いてきたのだ。

 わが軍は、革マルせん滅戦の堅持と同時に、11・1―2地平の防衛・発展を力として対右翼ファシスト戦の戦略的準備・攻勢的実践的着手を実現していかなければならない。

 11・1―2戦闘をメルクマールとした日帝国家権力―反革命治安軍との血で血を洗う死闘戦の激化―権力闘争の内戦的本格的発展を、破防法弾圧に勝利する建党・建軍の飛躍的強化・新たな革命的大衆運動の組織化を展望した未踏の新たな地平のなかでかちとっていかなければならない。

 そのなかで、ひとつだけ言及する。それは、完黙―非転向闘争と不屈の獄中闘争である。11・1―2戦闘を勝利させた力のひとつがこれだからである。

 日帝国家権力は、この5年間、逮捕したただのひとりの解放派戦士さえ自供―転向させえていない。これは大変なことである。100人近い戦士を逮捕しておきながらである。あせった権力は、ムチャクチャな弾圧、デッチあげや「微罪」弾圧をかけてきている。とりわけ破防法攻撃の前では、完黙―非転向闘争の勝利は鉄壁の牙城と化して組織と同志を守りぬく。

 11・1―2戦闘への反革命報復弾圧は、熾烈を極めるであろう。

 本戦闘は、北条同志をはじめとした獄中同志たちへの戦闘をもってするたたかいのアピールである。諸君のたたかいはわが軍を鼓舞し、勝利の確信をいやがうえにも高めている。諸君の不屈の獄中闘争に支えられ励まされ、わが軍はここまでたたかいぬいてきた。

 権力はわが軍に対する弾圧の糸口さえつかめないなかで、11・1―2戦闘共謀容疑で獄中同志に不当なデッチあげ攻撃を加えてくるかもしれない。それは爆弾闘争をやめろという脅迫であり、「人質」政策である。

 われわれは、口実となるような一切の可能的根拠を与えず完璧な防衛措置をとり本戦闘に決起しそして勝利した。しかしデッチあげを常套化している日帝国家権力は、受けた打撃が重大なぶんそれだけデタラメなデッチあげを強行してくるかもしれない。

 すでに公安当局は「同一グループ製造? 大宮で押収の革労協爆弾」(日経11・6)と、デッチあげ爆取弾圧の網を獄中の同志北条をはじめ多くの同志に加えようとしている。革命軍の闘いの進展にともない、いつでも獄中再逮捕―デッチあげ弾圧の危険性が獄中闘争を闘う革命的諸同志に加えられる。「人質」政策の獄中的常態化である。わが軍はこのような「人質」政策を許さず、断固として権力闘争の本格的飛躍・発展のために獄中同志とともにたたかいぬく。

 人生のほとんどを地下アジトと監獄を行き来するだけですごそうとも、、われわれには一片の悔いもない。たとえ、死刑・生涯の幽閉を強制されようと、それがこの社会でもっとも革命的な生き方だとわれわれは胸を張って言い切る。これこそこの時代においてもっとも積極的で生き生きとした生き方闘い方である。

 わが軍は、その時代の革命的前衛的武装組織として、常に革命的武装闘争の最前列に位置し時代時代の革命的転換を切りひらくたたかいの牽引者としてたたかいつづけるであろう。

 わが軍は決然と戦闘行動にたち「大嘗祭」を粉砕するであろう。

 権力は、11・1―2戦闘敗北のとりもどしをかけて、すさまじい執念で反革命弾圧にのりだしてきている。

 組織力を革命軍防衛のたたかいに総力集中しよう。すべての同志が、とりわけ公然領域の同志が、非合法非公然展開能力の高度化・軍事能力の獲得につとめ、全党・全人民の総武装、家族・両性関係の革命的再編を日常的党生活の革命的再編の基底において実現した根底的な党活動の革命的転換・飛躍を実現しよう。敵の攻撃はもっとも防壁の低い所から侵入してくるのであり、自分の防衛は全党の防衛のために、まさに「一人は万人のために万人は一人のために」の精神で極刑攻撃が集中している非合法地下の同志たちを守りぬかねばならない。

 公然主義・合法主義の残滓を一掃しよう。11・1―2戦闘地平で新たな革命的総武装を全同志がひとりの例外もなくかちとろう。その思想的核心は、革命的生死観の定立と対権力死闘戦の思想である。そのための党内思想闘争の活性化と学習活動の系統的計画的推進を、多忙きわまりないからこそ革命的執着をもって実現しよう。破防法弾圧に対決し勝利しうる党を機関紙活動を基軸にすえた原則的組織活動で建設しよう。組織原則のわずかの逸脱も自批―相互批判の原則的活動で克服し、権力―革マルのスパイ潜入を許さず摘発するたたかいを強化しよう。

 こうした党活動の全面的・精力的・原則的推進を革命軍内部においておし進め、戦士ひとりひとりの共産主義者・革命家としての革命的成長・飛躍をかちとらねばならない。

 獄中戦線は、革命戦士にとって最も身近な戦線だともいえる。勝利と敗北はめまぐるしくその位置をとりかえる。痛苦な敗北の結果わが身を獄壁の中に置き、獄中闘争を第一の任務とする時がくるかもしれない。捕われたらあとは出獄を指おり数えるだけの耐え忍ぶ日々にするわけにはいかない。獄はきわめて多忙なところだ。獲得目標をきめて計画的系統的に獄闘をたたかわねば、5年や10年はあっという間にすぎてしまう。

 われわれには、北条同志の誇るべき不屈の獄闘の地平がある。獄にあっても烈々たるたたかいのアピールを発し階級闘争全体を力づけ牽引するような不屈の獄闘、捕えてしまったことを逆に権力が悔むような攻勢的積極的な獄闘をたたかいとらねばならない。石川氏や赤堀氏の不屈の獄闘に学び、獄舎を第2の「わが家」とするような悠々たるマイペースの獄闘を組織しよう。

= 「大嘗祭」爆砕―天皇制打倒へ決起する =

 すべての労働者人民・被差別大衆のみなさん! すべての同志諸君!

 11月の首都東京の夜空にこだました4発の爆弾の炸裂音は、日本階級闘争を根底的に転換させた。それ以前の闘争が、まるでひなたぼっこをしていたかのように感じられる、対権力の革命的死闘戦の嵐のような日々が始まった。

 反革命治安警察軍を完全打倒された日帝国家権力は、血なまぐさい報復の代償を求めて目を血ばしらせながら東京(近郊)の街路を走りまわっている。突出する先端部をたたけ、これが反革命どもの鎮圧作戦の合言葉だ。日帝国家権力の全体重をのしかけた、「解放派壊滅」作戦が開始された。見せしめに血祭りにあげようと同志たちを追い求める反革命のギラギラとした反革命的執着心に比して、わが方の革命的警戒心はまだまだお人よしのそれであり、11・1―2戦闘以前的水準をいくらもこええていない。反革命弾圧とのたたかいは、勝利か敗北か、ふたつにひとつしかないのだ。ギリギリと革命的に執着して、その勝利をかちとろう。

 三里塚二期廃港決戦の勝利をたたかいとろう。土地強奪=強制代執行を粉砕して空港廃港へ攻めのぼれ。脱落派「協議会」を粉砕し空港機能停止―飛行阻止の戦略的大戦果をたたかいとれ。

 破防法弾圧を粉砕せよ。

 自衛隊海外派兵を阻止しよう。

 破防法弾圧策動に小躍りして白色テロにのめりこんできた反革命革マルを革命的テロルで打倒せよ。JR総連―松崎を解体打倒せよ。

 即位儀式粉砕のたたかいに触発されて革命派に対する白色テロルを画策している天皇主義右翼ファシストをせん滅せよ。

 すべてのたたかう労働者人民は11・22―23「大嘗祭」粉砕闘争に総決起し、皇居にむけ総進撃せよ。革命軍はその戦闘でたたかいぬく。

 ともにたたかおう!

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