全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

松本榮二氏を追悼する

福岡県反戦青年委員会
全日本学生自治会総連合(伍代委員長)九州ブロック
松本栄二氏

 11月7日、佐世保の海を守る会代表として、佐世保現地で佐世保軍港解体を闘いぬいてこられた漁民・松本榮二氏が逝去された。 福岡県反戦青年委員会と全学連九州ブロックは、闘い半ばで無念にも亡くなられた榮二氏を思い深く哀悼の意を表する。また、榮二氏から長きにわたって受けてきた多大な友誼と恩恵に対し心から感謝するとともに、近年佐世保現地の闘いを十全に取り組みえなかった私たち自身の非力さを反省し、榮二氏の闘志を引き継いで、佐世保軍港解体、帝国主義軍隊解体の現地闘争を実現し必ずや勝利することを誓う。

 松本榮二氏は、70年代後半原子力船むつの佐世保入港阻止闘争を契機に佐世保現地での闘いを開始した。以降、地元漁民を組織して「佐世保の海を守る会」を結成し、激しい怒りをもって国家権力、日米帝国主義軍隊と実力で対決する先端的な闘いに、闘いの同志でありよき伴侶でもある信子氏とともに突き進んでいく。83年エンタープライズ入港に際して怒りを爆発させた氏は、エンタープライズに漁船で突撃し、ペンキを投げつけ入港実力阻止を闘いぬいた。この闘いへの弾圧によって逮捕され長期の裁判闘争を闘うことになった榮二氏は、いささかの妥協や屈服も拒否したばかりかますます闘志を強め、さらに闘いを研ぎ澄ましていく。85年榮二氏は三里塚闘争に決起し、反対同盟との交流を深めながら反戦・反権力の砦=三里塚と結合した闘いを開始する。三里塚現地闘争の演壇で「武装せよ!」「天皇に死を!」「敵に死を!」と檄を発する姿には誰もが衝撃をうけ闘志を奮い立たせた。

 職場・学園で知り合った新しい仲間をまず最初に連れて行くのは決まって佐世保であった。日頃私服警察が近づくと必ず吠えて威嚇し主人に知らせるという大勢の犬たちに迎えられながら榮二宅を訪れると、交流を深めた後には必ずアワビ、伊勢エビ、ウニなど、潜水を専門にしていた氏ならではの大量の海の幸が食卓に並んだ。九州の労学共同で幾度も開催した佐世保現地研修において榮二氏が労を執り共に漁船で佐世保港をまわったことは今も忘れがたい思い出である。90年代PKO決戦の際には、夫妻は自らの住居を長期間にわたって提供し、共に連日の座り込み、情宣行動に立ち上がった。三里塚前段集会や、大学祭など拠点大学での取り組みのために何度も福岡を訪れ、闘いの組織化を共に担った。榮二氏はいつ誰に対しても情熱的に反戦闘争への決起を呼びかけた。孤立を恐れず、私服警官による日常的な監視や嫌がらせにも屈せず、決して闘うことをやめなかった氏の闘いから私たちはいつも励まされ、学ばされてきた。とりわけ氏の闘いへの衝撃と感動から闘いを開始したという同志が大半を占める九州においては、組対法弾圧をはじめとする治安弾圧の激化の中で、転向強要・路線転換攻撃と対決し長期投獄を辞さず闘いぬいてきた地平は、榮二氏なしにはありえなかったといっても過言ではない。

松本栄二氏

 反革命戦争突撃に身構えた基地機能強化が近年ますます推し進められていく中、この数年体調をくずされていた榮二氏は、眼前の佐世保港を蹂躙する米艦船を煮えたぎるような怒りをもって睨みつつ、「なぜ解放はもっと佐世保をやらんのか! 弾圧など言い訳にならん!」と、信子氏とともにいつも私たちを叱咤し、その度に私たちは反省を迫られてきた。「第二、第三のエンプラを!」、…こうした約束を果たせないまま、長年の戦友にして闘いの大先輩である氏を失った悲しみは深く、また忸怩たる思いを拭いきれない。 反戦青年委員会と全学連九州ブロックは、闘いにつぐ闘いの人生を最後の瞬間まで閃光の如く駆け抜けた氏の遺志を引き継ぐことを固く誓う。 佐世保こそ、世界にも知れ渡った“ZENGAKUREN(ゼンガクレン)”の武装闘争の歴史的出発点であり原点である。 そして三里塚と共に日本階級闘争の拠点である。佐世保の海を守る会と連帯し、革命的反戦闘争の前進で、現地における佐世保軍港解体闘争の爆発を必ずや実現する決意をもって追悼の言葉にかえたい。

2014年12月24日

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