全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

下獄闘争の決意  北條 秀輝

再び獄外の最前線に合流し、
最後の血の一滴まで戦列を共にする

2000年2月13日

反革命戦争突撃を粉砕し前進せよ

 世界恐慌の大爆発が切迫している。スターリン主義の破産と資本主義市場へのその更なる組み込みが恐慌の危機を加速する要因となり、新たな世界革命の時代が到来している。

 米帝の「ひとり勝ち」も完全にバブルであり、いかに利上げをおこないソフト・ランディングをはかろうが、その一挙的崩壊は不可避である。バブルははじけるからバブルなのであり、米帝の延命方策が他帝国主義、他国家の経済を決定的破綻に追い込み、それがハネ返り、より深化拡大した矛盾として爆発するしかない。

 各国帝国主義は生き残りをかけて「独自経済圏」形成に走っている。その足下から右翼ファシストの台頭を伴いつつ、階級闘争の撲滅―「城内平和」の形成にうって出んとするも、全世界で労働者人民の反転攻勢が開始されている。階級闘争の変容形態としての「民族戦争・宗教紛争」が常態化している。帝国主義はこれを解決することはできず、最終的にはこの階級闘争の対外的転化としての戦争に「解決ならざる解決」を求めてうって出るしかない。

 日帝においては自自公連立政府のもとで一挙に予防反革命立法や首切り合理化などの強搾取―大収奪攻撃がかけられ、さらに有事立法の制定から改憲に突き進まんとしている。朝鮮反革命戦争とファシズムへの突撃は段階を画したものとなっている。

 解放派に集中する予防反革命弾圧は、新たな戦争と革命の時代への突入を告げ知らせている。反弾圧闘争が普遍性をもった一個の革命的闘いとして全人民的な波及構造を持つものとなっている。敵権力は7・22破防法型組織壊滅弾圧にうって出たことを必ずや後悔するだろう。

 われわれはこの敵の反革命弾圧にすくみあがり、ファシストに「情を移し」て路線転換した親ファシスト・ミニスターリン主義的私的サークル集団=木元グループの対極に、獄死・獄殺を恐れぬ新たな革命的質をもった革命戦士を確実に生み出しつつある。無論この先にはまだ幾度もの試練が待ち構えているであろうが、われわれは必ずそれをのりこえて巨大な革命党―軍建設に勝利する。

 その闘いを天皇訪韓阻止決戦を基軸としつつ、反戦・反権力の砦・三里塚闘争の大爆発―「暫定滑走路」建設阻止の闘いに勝利し、沖縄サミット粉砕の闘いと一つのものとして闘いぬこう。国鉄、本山を始めとする全争議の勝利をテコに労働運動の階級的前進を強力に推し進め、狭山闘争の勝利を始め、全階級戦線の飛躍的前進を勝ちとるべく闘いぬこう。

 権力、反革命革マル、ファシスト、親ファシスト・ミニスターリン主義集団の十字砲火を粉砕して前進せよ。

 中原同志虐殺23ヵ年報復戦闘を革マルに叩き込む。戦争とファシズムへの突撃の予防反革命弾圧に屈服し、権力―資本、ファシスト、反革命革マルに助命嘆願し延命せんとする木元グループ=反革命テロリスト集団を解体・絶滅する。とりわけこの輩を生み出した責任においてそれをなし切ることは革命派の絶対的責務である。それをやり切らずして革命党を名乗る資格はないものと肝に銘じなければならない。

 反革命テロリスト私兵分子は『崩壊』12月号に掲載された僭称「太田黒」雑文がニセモノであることは百も承知である。自分達は利権集団でありデマ、ペテンをこととする集団であることを承知のうえで、白色テロをやらなければならないという絶望的矛盾を抱えている。彼らこそが木元グループの中で最もニヒリスティックで脆弱な部分に転化しているのだ。

 彼らはわれわれが組織壊滅型弾圧をうけて何もできる訳がないと権力を頼みの綱としてたかをくくっていた。しかしそれでもなお革命的報復戦が貫徹されたことに心底震えあがっている。解放派の何たるかを、権力共々、その底力に恐れ慄いている。三里塚闘争から三里塚闘争の敵として「絶縁」され「排除」された。そのうえわが獄中同志が出獄したら風前の灯であり、まさに現在グラグラの状態である。それだけに権力や資本、革マル、ファシストとの「相互浸透」は最後的完成の過程に入り、総売り渡し集団に転落している。

 同志諸君、恐れるものは何もない。なぜならわれらは資本の鉄鎖以外失うべきものをもたないコミューンの戦士である。栄光の道を歩む革命者である。

 獄中は獄外の、とりわけ公然面の同志のまさに命をとした闘いに日々息づまるほどの緊張を覚え、ジリジリとした思いを馳せている。諸君に解放派と日本階級闘争の未来がかかっている。奮い起て! 戦意が勝敗を決するのだ! 何千倍も何万倍も鍛えられた恐れを知らぬ炎の革命戦士として出獄し、必ず同志達と再び相いまみえ共に闘いぬくであろう。それまで不屈に闘いぬいて欲しい。闘いぬき生きぬいて革命闘争の最後の勝利の日まで、共に前進しよう!

転向に走った反革命テロリスト集団

 反革命テロリスト集団は解放派への反革命テロと全階級戦線の撹乱・破壊をこととする集団に転落した。彼らのエネルギーは明確に反共=反マルクス主義であり、運動的には改良主義的民主主義である。

 山田らは党本部、三里塚、沖縄、そして獄中と非公然という組織的攻防の枢要点においてことごとく敗北した。とりわけ私的囲い込みの不可能な獄中においてただ一人の同志も組織化できなかったことは、彼らの思想的路線的な内容的絶無性を明らかにした。

 脱落直後のゴスペル公判において山田が発した「お前らこの弁護士を解任しなければ実刑になるぞ」「公正裁判をやる気があるのか」という言葉がすべてを示している。獄中は双方の主張を一定「客観的」に判断しえるということはあるが、それは一要素にすぎない。根本的には右の発言に端的なように、司法の中立幻想に屈服し転向するか否かが日々の獄中闘争において問われているのだ。つまり、原則的公判闘争を闘う弁護士の解任が、直ちに転向を意味しているがゆえに、そしてその強要は、木元グループの総転向とその獄中同志への強要であることを見ぬいたがゆえに、すべての獄中同志がそれを拒絶したのだ。

 獄中に対する態度は権力に対する態度そのものである。獄中にデマ・ペテンという小ブル政治技術が通用すると思うのは、権力と真っ向から立ちむかう思想がないということである。いいかえれば、真っ向から立ちむかっても勝てないという敗北主義思想があるからである。

 全獄中同志が山田らを見限ったのは、獄死・獄殺テロル下の獄中者は一切の欺瞞も曖昧さもなく、朝に夕に真っ向から闘いぬかない限り、屈服し転向するしかなくなるのであり、そこのところで同じ地平に立って死活性をもって切り結ぶ革命思想(生死観、同志観)を前面に押し立てない限り、心の底からの命がけの闘いの共感などうみだせないからである。

 つまり、山田らはそこのところで明らかに権力に屈服し、思想的に敗北していたのだ。それはすでにその地平からズリ落ちていたからであり、また或る者は初めからなかったからである。そしてそのため獄中同志の命がけの闘いを見くびり、侮っていたがゆえに憤りの決別を宣告されたのだ。これはあれやこれやの各論以前の問題である。

 敵からする日常的な転向強要のみならず、いきなり背後から「指導部」自らが権力の面前で、権力がやるように転向を強要するという階級闘争史上前代未聞の事態に、その大打撃によって5・26被告団は一時暗闇のドン底に突き落とされながらも、よく耐え、はらわたの捩れるような怒りと苦闘の中から不屈に起ちあがり、断絶的飛躍を一挙に成し遂げ、山田サークルと決別したのだ。ふるいおちた砂ではなく輝くダイヤモンドとして。

 ファシストにして旧安企部のスパイである「ゴスペル」の擁護、一体化を延命の死活的条件としているがゆえに、「ゴスペル」公判闘争は木元グループの心臓に突き刺さったナイフである。これをさらにギリギリとねじり込み、悶絶死させなければならない。それだけに生協労働者の解雇撤回闘争への敵対を含む被告団への反革命テロは必至である。防衛戦を強化し、被告団を守りぬき、権力―明大当局と一体化してかけられた解雇・退学強要を粉砕する闘いと一つのものとして公判闘争の勝利を勝ちとらねばならない。

ファシストへの転化の一歩を踏みだした反革命テロリスト集団を絶滅せよ

 反革命テロリスト集団は『崩壊』新年号(再刊5号)で、ついに「国家社会主義」=ファシストへの転化の決定的一歩を踏み出した。

 決定的には国家論において次のように主張している。「問題は、労働者階級がとらわれている『共同体幻想』をどう打ち破っていくかということである」と言いつつ、「(国家は)資本主義社会では、社会=共同体全体の共通利害を守るという外観の下、内部における階級利害の対立を隠蔽し支配を維持していくための機構として完成された姿をとる」と言うに至った。

 われわれは資本主義社会の特徴として、史的唯物論の核心との関連において、それまでの階級社会と異なって「階級対立がもっとも完成された姿をとる」と言ったことはあった。それは資本主義社会は最後の階級社会であり、労働者の社会的存在における普遍的被制約性ゆえに、資本制生産の絶対矛盾を内在的に推進することを通して革命の必然性を展開するものとして主張されたものである。

 ところが彼らは「国家そのものが資本主義社会では完成された姿をとる」というのだ。しかし、予め完成されるべき姿の国家(機構)などありはしない。そもそも何をもって「完成される」というのか。被支配階級にとってそのことが何の意味があるのだ。国家とは階級闘争の産物であり階級支配の機関なのであるから、不断に階級闘争によって(その機構も)変化するのである。だからこそ反帝闘争の推進によって労働者の階級形成が進む中で反革命国民統合による幻想的共同性が打ち破られ、革命においてその国家機構が粉砕されることが可能となるのである。

 つまり、彼らの実質的恐慌の否定にたつ「国家(機構)は資本主義社会では完成された姿をとる」というのは、階級闘争の外から客観主義的に眺めまわし、労働者の本質的革命性を否定し、「だから労働者には反革命国民統合を打ち破ることはできない。階級支配は完成されるのだ。国家=共同体に屈服するしかないんだ」=「屈服せよ」と迫ったものなのだ。

 解放派の「資本制生産の絶対矛盾」論の清算のみならず、史的唯物論の放棄、破壊である。まさに革マルと同じ革命の彼岸化であり、ブルジョア国家の神秘化―全面賛美である。左翼用語をまとった小ブル反共主義者の主張そのものに他ならない。さらにプロ独の廃絶ではなく死滅を主張し、プロ独の強化―労働者人民の反プロレタリア的支配の強化を主張する「国家主義者」ぶりである。

 こうしてムッソリーニがそうであったように、当初から左翼を装った反革命革マルとも異なって、左翼の中から「国家社会主義」=ファシストへの道へ決定的にその歩を踏み込んだのである。ファシストと「相互浸透」し、7・2、11・14反革命をもってその尖兵としての位置を積極的に占めるに至ったことを、このように正当化した。まさに左翼からの「崩壊」である。

 木元グループが解放派の破壊―「分裂」攻撃をしかけたという決定的事実を曝いておく。日向らは5月6日に私とA同志に面会できる条件はあったにもかかわらず、A同志にのみ面会した。自分たちが陰謀をしかけたため解放派の出方をみてデマとペテンで湖塗せねばならないので、「分裂」の内容は何ひとつ語らずただ自分達の指示する人物以外会うなという囲い込みのためにのみ、選別的にA同志だけに面会したのだ。また後日、A同志が人脈主義的囲い込み策動を突破して解放派に結集したあとにいたっても、「同志は本来こちら側にくるべき人間」とも話している。まさに人脈主義的囲い込みそのものである。

 他方、私には5月11日に日向が面会にきた。条件はあったにもかかわらず5月6日に面会しなかったことについて「そっち(北條)は○○ルートだから然るべきところの指示待ちだった」と言った。つまり「北條は本来こちら側にくるべき人間ではないから然るべきところの指示待ちだった」という意味である(そもそもそんなルートなどない。自分達の陰謀に似せて勝手にそう思い込んでいただけである)。

 まさに人脈主義選別オルグであり、これを私が批判したことに対して、土肥はA同志に「『人脈主義』などの悪罵をのりこえて」と書いてきた。すなわち、「北條はこの俺様に悪罵を投げつけた」と本末転倒した逆うらみの心情をかりたて、私を切り捨て落としこめることでA同志を取り込もうとした。これゆえ私へのデッチあげ批判の上で、非公然と目されていたメンバーを公然浮上させ、連日A同志のみに面会オルグさせ、私には入れなかったのだ。

 そして日向はA同志から、なぜ本社に執着せず自分から出ていったのだと質され、「本社なんていったって、太田黒論文は、本社は(ファシストの)犠牲になれなんて書いているじゃないか」と吐露したのだ。これらが彼らの思想であり、路線である。こんな人物が「理論家」を自称して先の国家論のような一連の駄文を書き連ねているのだ。

 したがってA同志の「北條同志の切り捨てになっている。長期獄中闘争はそんなに君らと相容れないのか」との批判は的確に彼らの心臓を射ぬいているのだ。だから公の場で私が「転向した」と叫びながら、内部固めのため「再決起を粘り強く促す」などとおためごかしを言うしかないのだ。  彼らは単なる路線転換ではない。「毒(ファシスト)を喰らわば皿(日韓治安機関)まで」喰ったのだ。「官許の面前での虐殺宣言」とはまさにこういうことであり、権力、資本、ファシストが自分達の力の源泉であると宣言したのだ。

血潮で染められた真紅の旗のもと権力闘争の前進を

 われわれは、われわれが生み出してしまった真正ファシストへの転化を開始した極悪のこの反革命テロリスト集団を、なにをさしおいても一刻も早く解体・絶滅せねばならない。猛攻をたたきつけ、革マル共々せん滅し、新たな階級闘争の革命的前進を勝ちとらねばならない。

 中原同志、石井同志、北條千秀同志、長田同志、安部同志の無念を片時も忘れず、否、苦しいときこそ必ず思い出し闘いぬくであろう。実際にこれまでの闘いがそうであった。志なかばに倒れた同志こそが、必ず「怯まず進め」とわれわれを叱咤する。

 生あるものは必ず死す。だからこそ自らの生を充実し価値あるもので、労働者人民に恥じぬものとして生きようと欲すれば、必ずや熱情をもって同志との血盟のもと、命がけの革命的闘いを闘いぬいていくのである。革命の大激動の前には、こざかしい小ブル政治技術主義など虚しいものである。同志の屍に熱き血潮で染められた真紅の旗をうち振り続けることで応えるのだ。プロレタリア共産主義革命の勝利のために。

 資本制生産様式にもとづくブルジョア社会こそがあらゆる飢えと貧困、抑圧と差別、悲惨、荒廃の原因である。この資本制生産を維持・防衛するための資本家階級の共同利害態が資本制国家であり、その本質は資本家階級の独裁であり、従って暴力支配を本質的属性としている。

 プロレタリア革命は本質的に暴力革命である。それは人間は感性的存在であり、直接生産過程が資本の専制支配であることに根拠をもつ。従って、反合実力闘争を発射点とし、街頭実力闘争(大衆的武装闘争)とゲリラ戦パルチザン戦の有機的重層的展開・推進で、革命的反戦闘争、権力闘争を闘いぬくことで労働者階級の革命的階級形成は進むのである。武装しない労働者は無である。

 この核心をはずした民主主義―議会主義擁護運動など、どんな形容をつけたところで「たがのはずれた桶」であり、ただの議会主義=「歌を忘れたカナリア」である。

 そもそも民主主義は階級支配の一形態であり機能的形式的なものにすぎず、弾圧と一体のものである。すなわち、民主主義は本質的に議会外の実力攻防の結果であり、労働者階級が強いられた妥協=均衡点でしかない。だから議会外の実力闘争が後退すれば必然的に民主主義的諸権利も剥ぎとられていくのである。

 従ってまた、とりわけ危機の時代の労働監獄における労働者階級人民の実力闘争に対する弾圧は、ささいなことで必然的に文字通りの監獄ゆきとなるのである。

暴虐の暗雲ふり払い非転向―下獄闘争を闘いぬく

 1月27日上告棄却の通知がなされた。徹底弾劾する! これは90年1月28日逮捕を意図した、明らかな敵からする「記念日闘争」―弾圧である。

 監獄においては剥き出しの暴力支配が行われ、情勢の煮つまりと共にそれはより一層苛酷なものになる。しかしわれらは革命者である。この暴力支配の先兵と果敢に対峙し、これを根底から破砕すべく敵を心胆寒からしめ震撼させる闘いを、獄壁をうがちつつ闘いぬく。暴虐の暗雲をふり払い、一条の曙光をさし招くべく、新たな革命の時代にふさわしい下獄闘争を非転向で闘いぬく。

 そして私は必ずや再び獄外の最前線に合流し、最後の血の一滴まで戦列を共にすることを、誰よりも故同志たちの遺影に固く固く誓って下獄闘争に突入する。中原、石井、長田、安部同志のように闘おう。餓狼の如く容赦なく敵に襲いかかれ。血だるまになっても倒れることなく、破防法型組織壊滅弾圧を木っ端微塵に粉砕し、必ずや一挙的飛躍をなしとげん。

 以上をもって不退転の下獄闘争の決意表明とする。  いざ世界革命―永続革命へ前進せん!

2000年2月10日

アピール追記

 2月10日の朝日新聞、13日届いたレタックスで、反革命テロリスト集団による柿沼同志らへの刺殺テロと九州支社デッチあげ弾圧を知る。私は虐殺=刺殺への怒りと報復の決意にこの身を震わせている。

 この反革命テロは権力から情報を貰いうけた可能性が極めて大きいことに徹底して注意せよ。

 反革命革マルはスターリン主義者のトロッキー暗殺を真似て、ピッケル様のもので中原同志を虐殺した。

 反革命テロリスト集団は7・4三里塚闘争にむけて7・2に長田同志を虐殺した。次には私に土肥が「権力の面前での襲撃宣言」を送りつけると同時に11・14安部同志をそのとおりに虐殺した。これは彼らの「三里塚闘争破壊闘争」に向けたものであった。そして今回はついに2・11中原同志虐殺に合わせ武器質をアップし、反革命記念日闘争として同志を刺殺した。

 国家論において「国家社会主義者」=ファシストとの一体化に入った親ファシストは「相互浸透」の『浸』ファシストである。不安に慄く己の小ブル的生の再生産のために、革命党と闘う労働者人民の虐殺を無上の喜びとするサディズムとニヒリズムの極地に至る「死の体系」をもった真正ファシストとして第一歩をしるした。

 彼らには革マル黒田のような明確な宗教的イデオロギー体系がそれとしてない。革マルはせん滅されてもそこに逃げ込んで安心立命を見出そうとするのであるが、彼らにおいてはそれに依ってかわるものが反革命テロルなのである。つまり「念仏テロル」である。それゆえに革マル以上の反革命として朝に晩にそれをおこなわなければ一日としてもたないという本質的脆弱性をもっている。また彼らの行使する軍事は、本質的に労働者人民を脅しつけ屈服させるための手段である(―今、この反革命軍事力が三里塚芝山連合空港反対同盟をはじめとした戦闘的労働者人民にむけられようとしている)。武器質のアップは、まさに革マルと同じく脆弱さのウラ返しとしての脅しである。

 思想的、理論的、政治的には彼らはゼロであり攻防としてはすでに決着がついているのだ。権力(―資本)、ファシスト、革マルの力のみによって支えられている反革命テロルである。これは彼ら自身、骨髄まで自覚している。こんなものにわれわれが負けるわけがない。絶対われわれは勝利する。

 柿沼同志達は文字通り最後の血の一滴まで闘いぬいた。この革命思想―遺志をしっかりとわが胸に抱き徹底報復を誓う。

 末期のあがきを見境のない反革命テロで延命せんと、真正ファシストとしての突撃を開始した反革命である。この極悪の反革命テロリスト集団の絶滅を絶対に勝ちとらん。プロレタリア世界革命へ故同志達と共に進撃せん。勝利のインターナショナルを高らかに歌わん。

2000年2月13日

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