戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
親ファシスト性はついに、日帝の戦争突撃への屈服宣言へといたった。
彼らミニスタ集団は自らの基調的核心を「機関紙第二号」に書いた。それは「日帝の朝鮮反革命戦争突撃は自自公の戦争翼賛政府の形成というように表面上はスムーズに進行しているように見えながら、じつは内部にあらゆる破綻の要素を内包しているのである。それは、戦争動員態勢形成をめぐる労働者人民の翼賛化のうちに孕まれる怒りそのものをどうしようもないという問題や、経済的諸問題、あるいは今回の核武装へむけた技術・生産問題等、多岐にわたっている」というものである。
ミニスタ集団よ。朝鮮反革命戦争突撃がスムーズに進行してるだって。冗談も休み休み言え。三里塚・沖縄・国鉄をはじめとする戦闘的労働者人民が敢然と敵の突撃路に立ちふさがっているではないか。弾圧の集中をうけながらも、解放派が前衛的闘いを貫徹してきたではないか。敵は戦争遂行態勢が形成しえないが故に、焦りに満ちた弾圧と拠点解体攻撃をしかけているのだ。もっとも、もはや路線転換を遂げ、自分たちが弾圧の集中対象からはずされたことに安心しきっているようではこの革命的緊張感を理解できるはずもないが。
したがって、「破綻の要素」もプロレタリアの革命性への不信感をあらわにした小ブル的客観主義を満開にしたものである。「労働者人民の翼賛化のうちに孕まれる怒り」「経済的諸問題」「核武装にむけた技術・生産問題」が彼らのいう矛盾・「破綻の要素」なのである。なんとデタラメなものか。
最大の問題は「労働者人民の翼賛化のうちに孕まれる怒り」という珍論である。ミニスタ集団はもはや労働者人民の翼賛化は完成したという敗北主義的理解に立っているのである。
だからこそ、「朝鮮反革命戦争突撃がスムーズに進行」と平然と言えるのである。
戦争への態度をめぐる「国民的分岐」が全大衆的規模で進行するなかで、現在直下で問われているのは「革命化か、翼賛化か」ということである。プロレタリア革命派が前衛的任務をはたし、労働者階級の本質的革命性を引き出しきれば、一挙的革命化は可能だということである。この点の確信の崩壊がミニスタ集団の脱落・反階級的転落の根拠なのである。
「翼賛化のうちに孕まれる怒り」とは翼賛化に屈服した上での、この範囲での怒りを意味する以外ない。こんなものに依拠しては翼賛態勢の改良は要求できても、とてもプロレタリア革命などでてこないのだ。弾圧と翼賛化に対する怒りさえ、表現できないのが現在のミニスタ集団の惨状をあらわしているのだ。
また、合理化・失業の嵐を語らず、すなわち、危機の深化のなかにおける、労働者への矛盾の極限的集中を通した支配・隷属の強化とこれへの反抗の増大を展開すべきところを、小ブル的客観主義まるだしで、「経済的諸問題」などとするのはいいかげんにしろ。これは、ミニスタ集団が働く階級の支配・隷属を基底とした資本制生産の根本矛盾を否定し、資本家間の矛盾に矛盾の根源を求めるスタ的内容に傾斜している証にすぎない。
また、「戦争突撃の破綻の要素」のなかで、その中心要素に「核武装の技術問題」などをあげるのは、完全なブルジョア的技術物神の吐露である。米帝の軍事・先端技術が他の帝国主義の追随を許さぬものとはいえ、もはや日帝はアジアで反革命戦争を戦うに十分な軍事技術を蓄積しつつあるのだ。
ミニスタ集団よ。この項で言うべきはあれこれの現象ではない。戦争突撃は激化しているが、労働者の不満と反抗も増大しており、弾圧と翼賛化に対決する実在するプロレタリア人民の闘争・団結の発展が戦争突撃を粉砕するということである。
ミニスタ集団の反階級的転落はとどまることを知らない。
「機関紙第二号」においては、全世界労働者階級人民の敵=日米帝国主義は美化・免罪されるにいたった。
彼らはインドネシア・東ティモール労働者人民の闘争・革命との連帯の視点をスッポリ欠落させてつぎのように言う。「注意しておかなくてはならないのは、オーストラリア主導の多国籍軍が東ティモール労働者人民の期待を実現するためのものではないということである。ましてや、米帝・日帝の行動が、そういった東ティモール労働者人民の血の闘いを結果的に圧殺しようというものでしかないのは明らかである」と三流週刊誌並みの分析を堂々と述べるのである。
「労働者人民の期待を実現する」とはなにか。これは、ミニスタ筆者があらかじめブルジョア的独立を「労働者人民の期待」するものとし、労働者人民にたがはめしていることを意味する。
筆者は、米・日帝の行動は、「東ティモール労働者人民の期待を実現する」目的をもっているが、「結果的に」東ティモール労働者人民の闘いを圧殺するという意味のことをいいたいのである。
ミニスタ集団の帝国主義への態度は「労働者人民の期待」=ブルジョア的独立のために行動することはよいが、しかし、この結果が「人民の圧殺につながる」のはまずいという程度のものである。
米帝・日帝をはじめとする多国籍軍の政治目的は東ティモール・インドネシア労働者人民の闘争・革命の圧殺である。ミニスタ集団がなにをいおうと目的はこれ以外ないのだ。ただし結果はこうなるとは限らないのだ。結果は階級闘争の勝敗のみが決めるということだ。
ファシストと連携する路線は結局、帝国主義を公然と免罪する路線にいたる。
したがって、ミニスタ集団には東ティモール・インドネシア労働者人民の国際反革命階級同盟・ワヒド政府を打ち倒すプロレタリア革命の衝動の高まりを対象化しえず、これを平然と切り捨てることになる。
ミニスタ集団は「インドネシア労働者人民の闘いの高揚と相互媒介的に東ティモール独立闘争が進展するなかで」と書き、米・日帝、多国籍軍の東ティモールのブルジョア的独立のもとでの、東ティモール労働者人民の闘争・革命の絞殺・圧殺を免罪するのだ。小ブル民主主義・民族主義への転落を明らかにしつつ。
また、ミニスタ集団は「臨界事故は…小渕の…政府形成―組閣を吹き飛ばして」「この事故によって日帝の核武装にむけた核政策は大幅に遅れざるを得ない」と書き、日帝の反革命性・凶暴性を対象化しえず、日帝を美化するのである。日帝は臨界事故によって核武装攻撃・計画を遅らせることはまったくないのだ。むしろ、労働者人民に「安全」などかえりみず犠牲を強いて、アジア反革命盟主化のために核武装をより急いで行なおうとしているのだ。さらに、小渕は臨界事故によって、政府形成を吹き飛ばされていない。この逆である。小渕は臨界事故をテコとして、自らを先頭に危機管理対策会議をつくり、自衛隊を出動させ、「外出禁止令」を発令し、内乱鎮圧をみすえた「危機管理」態勢を構築し、これによって一挙に戦争遂行政府の輪郭を形成しようとしたのである。組閣を遅らせたのは、労働者人民の臨界事故弾劾の怒りがストレートに小渕政府にはねかえるのを防ぐために他ならない。
ミニスタ集団の臨界事故問題の分析には一切自衛隊の治安出動への弾劾の姿勢がないのが特徴である。彼らが免罪しようとも、日帝は自らの核・原子力政策の必然的結果の事故さえも、労働者人民の責任にし、この帝国主義的人災をテコに、さらなる内乱鎮圧態勢の強化を推し進め、核武装へ突き進んでいるのだ。
ミニスタ官僚は自らの戦略的組織的破産を取り繕うために、解放派の「内乱―コミューン」というスローガンが「反革命」であり、「権力に投降をしめす」ものであると言っている。
しかし、よくよく考えてみよ。われわれ解放派は1999年新年号基調論文、同志中原虐殺22ヵ年政治集会基調で〈反革命戦争―ファシズムの危機を蜂起―内戦(革命戦争)に転化し、ソビエト権力を樹立せよ〉の決戦戦略スローガンを堅持することを宣言した上で、朝鮮反革命戦争の危機の(その後の数度の部分的交戦にしめされるような)本格的煮詰まり、上からの戦争動員の開始に対して、内乱ないし、内乱的闘争を提起し、「内乱―コミューン」というスローガンをかかげた。これは新年号巻頭論文・政治集会基調文書に明確な形で示されている。この時点では解放派に属していたものがこれを反革命と言える根拠はなにか。ミニスタ同調者たちよ。こたえてみよ。
「内乱―コミューン」への反発は山田らがファシストと和解・連携し、当局とボス交するために、一切の敵との暴力的闘争を清算・中止することを現実的契機としている。そして、これが固定化され、ミニスタ的経営体防衛主義を普遍化させた企業主義・国益主義に屈したスト反対論にいたったものである。こうして、彼らの「血で血を洗う」軍事は権力・ファシストとの内乱(的闘争)にはむけられることなく、内乱的闘争を推進する解放派のみにむけられるのである。
ミニスタ官僚は労働者人民に一ミリの責任ももたずに、内部の不満を押しつぶし、問題を解放派に排外的に押しつけるために、「機関紙第一号」なるものを出した。これは次はいつ出るのかもわからぬ怪文書のたぐいだった。また、「第一号」として、あまりにもミニスタ官僚の本心たる解放派の継承性の放棄を自己暴露したことに気づき、今度は「第二号」をなんと「通刊第694号」としたのである。すなわち。「解放692号」までは「解放」紙の内容を承認するかのように振る舞ったのである。ここで再びまた、上記の問題にブチあたるのである。ミニスタ官僚よ。内乱―コミューンを展開した1999年新年号は引き継ぐべき「解放」としてどうおまえたちは継承しているのだと。ミニスタ集団は「反革命」「権力への投降」内容を引き継ぐということになるがどうか。いや「通刊」の号数をまた変えるか。いずれにしても、ミニスタ指導部の思いつきに任せて辻褄あわせをやってもらおう。
内乱―コミューンに反革命規定をして、なにか内容めいたことを語れば即座に馬脚を現すものである。
いわく、「『コミューン』(正確には、パリ・コミューンにおいて提起されたコミューン原則を内包したプロレタリア階級独裁の権力機関)」、(解放派は)「コミューンもソビエトもそれ自体としては形態を示すものであるのに、あたかも性格規定を含むかのようなペテンを弄している」と。
ここには「左翼」用語を使ったマルクス主義・解放派とは相容れない世界が展開されている。まず、「パリ・コミューンにおいて提起されたコミューン原則」とはなにか。これは筆者の文脈からはパリ労働者のコミューンの施策をめぐるものをさすが、マルクスはパリコミューンの施策の意義を打ち固めつつ、限界を指摘し、この総括を通してコミューンの思想と原則を確立していったことが明らかにされねばならない。すなわち、コミューンの原則はマルクスによるパリコミューンの総括をとおして定立されたものなのである。
また、この文書の筆者は「コミューンの原則」の内容とはなにかは語らない。ここにはこの筆者がマルクス主義に立脚する姿勢がないというばかりでなく、マルクスに反する展開をもってコミューンを解体する意図が温存されている。
この筆者が、マルクスのパリ・コミューンの総括内容や、コミューンとその原則の内容を決して語らないのはそのためである。
このうえで、彼は「コミューン原則を内包したプロレタリア独裁の権力機関」と自己の確信を述べる。つまり、「プロレタリア階級独裁の権力機関」という「普遍的なもの」にコミューン原則は包含される程度のものにまで落としこめられるのである。彼はコミューンでなく、これにかわって、「プロレタリア独裁の権力機関」を「普遍」とし、この言葉を使う。これは解放派への憎悪を込めた、「コミューンは形態」「性格規定を含まない」という展開を通して決定的となる。すなわち、かれは「コミューンは形態問題」であり、「本質性格はプロ独の権力機関だ」といいたいわけである。こうして、コミューンの内容は葬られる。
しかし、これはスターリン主義(レーニン主義に責任があるが)に屈服した上での堂々たる意見発表にすぎない。つまり、マルクスの「フランスの内乱」から「ゴータ綱領批判」を通して打ちたてたコミューンとこれをテコとした社会革命の推進、共産主義社会の実現の思想の破壊である。この筆者はマルクスの地平を解体させ、スターリンのプロ独裁=スタ党の独裁論へいきつくのである。
マルクスは、1848年2月革命から1850年10月までのフランス労働者人民の闘いを総括した「フランスにおける階級闘争」において、はじめて「プロレタリアの階級独裁」を展開した。48年2月革命をめぐる時期においては、プロレタリアは独自の労働者党をもたず、小ブル「社会主義」のもとに包摂されていたが、革命的闘争を通して階級形成の前進を開始させる。こうしたなかで、マルクスは「本論では、この問題についてこれ以上詳論する余裕はない」としつつ、「革命的社会主義の主張するところは、革命の永続の宣言であり、かつまた、階級差別一般の廃止に、階級の差別の基礎となっている全生産関係の廃止に、これらの生産関係に照応するいっさいの社会関係の廃止に、およびそれらの社会関係から生ずるすべての観念の変革に、達するための必然的な過渡期としてのプロレタリアートの階級独裁である」と述べている。(革命的社会主義とは当時のブランキなども含むプロレタリアの「現実的普遍性」・戦闘的左派勢力をさしている)。
マルクスは「党宣言」「ド・イデ」「経哲」などの地平に立った同時期に、階級差別の基礎になる生産関係・社会関係の廃止に達する過渡期として、プロレタリアの階級独裁を展開しているのである。この歴史的意義は重大である。
これをうけて、マルクスは共産主義者同盟や第一インターの活動と経済学批判の活動を展開し、1871年のパリコミューンをくぐり、この思想を深化・発展させていくのである。以降の思想的実践的営為なしに、コミューンという階級闘争の所産なしに、コミューンの原則はでてくるわけもないのである。
マルクスはパリ・コミューンを総括して、コミューンの意義を常備軍の解体・全人民総武装、「執行部にして同時に立法部」たるコミューン・選挙制・解任制で労働者なみの賃金の官吏、「社会革命の前兆」としての「パン職人の夜業の禁止・労働者への罰金制の禁止」などをあげつつ、コミューンを「労働の経済的解放が達成されるべきついに発見された政治形態であった」「生産者の政治支配はその社会的隷属状態の存続と同時に存在することはできない」「労働の解放によってすべての人は一労働者となり、そして、生産的労働はもはや一つの階級的属性ではなくなってくるのである」ということまで展開しているのである。労働者人民が血の闘いのなかから生み出したコミューンを生産者の政治支配は社会的隷属とあいいれないことを明らかにし、このポイントを「労働の解放」にあるとしたのである。
つまり、マルクスの思想的実践的格闘の歴史に照らして言えば、パリ・コミューンの総括が1848年2月革命(―50年)の総括を包含しているのであって、逆ではないことは明らかである。階級支配の廃止の過渡期におけるプロレタリアの階級独裁という展開がパリ・コミューンをくぐって、コミューンの思想・原則として深化・豊富化され、〈コミューン=階級独裁〉とされてきたのである。今日的問題はレーニンの展開のスタ的歪曲によって、プロレタリアのブルジョア・反革命に対する階級独裁がコミューンによる政治支配ではなく、労働者階級の前衛を自称する「前衛党」=スタ党による独裁一般が、反革命への独裁ではなく、労働者への独裁としてあらわれたことの突破ということである。この突破の核心をコミューン原則の実施においてきたのは解放派の共通の確認である。
ミニスタ官僚は、このようなマルクス主義の思想の発展過程・解放派の思想的発展の地平を無視し、マルクス主義の核心点の基軸の一つをなす、コミューンの思想を「形態の問題」に切り縮め、破壊するのである。
マルクスのこの思想的展開を主観主義的に「包含しているもの」は以降のレーニンを経由したスターリンの「プロ独裁=党独裁」論の展開しかないのだ。こうして、ミニスタ官僚はマルクスと解放派にむかって、「コミューンは性格規定を含まない」「(スタ的)プロ独論に包含されている」と攻撃し、結局、コミューンの原則を否定したミニスタ党独裁論に転落するのである。内乱(的闘争)に反対し、コミューンの原則を否定・破壊するミニスタ集団を許すな。
親ファシスト・ミニスタ集団は団結小屋襲撃をはじめとする三里塚闘争への数々の敵対の上で、不屈に闘う反対同盟とまったく無関係な、そればかりではなく、反対同盟に打撃を与える「三里塚闘争」なるものを展開しようとしている。ミニスタは10・10三里塚現地闘争からも、10・18公聴会粉砕闘争からも、脱落・逃亡しておきながら「11・13三里塚現地闘争」なるものをかかげている。
もちろん、これは反対同盟が呼びかけたものではない。それでは、これはなにか。34年間国策を阻み、熱田・小川らの脱落を踏み越え、闘いぬいてきた反対同盟といかなる関係にあるのか。34年間反対同盟とともに、実力・武装闘争を闘いぬいてきた三里塚の共闘勢力といかなる関係にあるのか。そして、現実の「暫定滑走路建設」年内着工阻止の闘いとどういう関係にあるのか。彼らはこれらのことに一切答えない。彼らの「闘争」はこれらのいずれとも無縁なものなのである。
こうして、「11・13」闘争なるものが三里塚闘争からの脱落宣言・「三里塚闘争破壊・弾劾闘争」であることが鮮明に浮かび上がってくるのである。
彼らミニスタ集団は反弾圧戦線・労働戦線など全戦線において「ミニスタに反対するもの=反革命」として、戦闘的共同戦線破壊を繰り返してきた。こうしたなかで、拠点=三里塚闘争は実力闘争・武装闘争を発展させ、反戦の砦として発展してきたが故に、出発点から山田らの敵対性を見抜いていたのである。
これに対して、山田らは、反対同盟を先頭とする三里塚共闘勢力全体を「ミニスタへの反対勢力」=「反革命」とし、破壊対象とすることを必然としているのである。
ミニスタ集団は「山田と、ファシストであり韓国安全企画部のスパイである姜(カン)との癒着の暴露」を隠蔽することのみを目的として、「A・スパイキャンペーン」運動を展開している。しかし、この反階級性を戦闘的労働者人民は見抜き、山田らの目論みは破産に破産を重ねている。山田らの10・3付けの「沖縄現闘団見解への見解」なるものの特徴は弾圧を「権力の保護」と規定する内容の延長で、「7・22弾圧=解放派のドジ論」を展開し、弾圧されない自分たちを「ドジでない」ことに求めている。なるほど、ミニスタ集団は「ドジでない」かもしれない。安全企画部のスパイと癒着し、権力・当局とボス交してるが故に、弾圧されないないことを「ドジでない」というのであれば。
ミニスタ官僚と行動する部分よ。50名近い被弾圧・起訴者を革命的団結の不可欠な一翼として革命運動を展開する解放派に対して、革マルの「首根っ子急所」論に見習ったテロ・破壊を繰り返している自己を見つめなおせ。この間、解放派の地平を密かに清算し、弾圧にあっても完全黙秘・非転向闘争の報告もできぬほど解体していることを直視せよ。
また、「A=スパイ」キャンペーンをめぐっては、Aがスパイである客観的事実さえ提出せず、「スパイである事実」を「『現時点で明らかにできないもの』は明らかにできない」と開き直っている。まさに、自らがおこなっていることが、客観的事実なき「スパイ」キャンペーンに転落していることを自認し、居直っているのだ。
また、自供・転向したものをわれわれ解放派がどうあつかってきたを知った上で、解放派がAを「包含している」とだれひとりだませぬデッチあげをおこなうのである。
小ブルによるプロレタリアへのテロ・暴力行使の口実を、自らがおこなった「実名をあげてのテロ宣言」ではなく、「無制限無制約のテロ」によるものとしている。またしても、「党内闘争」の原則に関係なくミニスタに反対するものは抹殺・虐殺することを公言しているのだ。
いまだミニスタ官僚とともに行動している部分よ。
もはやミニスタ集団は、「11・13三里塚闘争」にしめされるように、日本階級闘争の拠点=三里塚闘争から脱落し、この外から敵対・破壊をおこなっているだけではない。デッチあげられた反対同盟・北原事務局長のアピールをミニスタ「8・6集会」で発表した事実にミニスタ集団は責任をもって答えてみよ。ミニスタ官僚は大衆団体を見下し、自分たちの破産が露になるとその責任を解放派に排外主義的に転化することを繰り返してきた。しかし、もはや辻褄のあわないことだらけではないか。デッチあげアピール発表問題を自分たちの内部で徹底解明・追求してみよ。そうすれば山田・土肥から訣別し革命的自己批判を貫徹し、復帰する道が切り拓けるというものである。
同志長田虐殺に報復せよ。解放派の戦略・綱領性を破壊し、戦闘的労働者人民に敵対するミニスタ集団を解体せよ。