戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
親ファシスト・ミニスターリン主義集団(木元グループ)の政治的主張の中心は、あいかわらずファシストを「ファシストではない」、韓国安全企画部のスパイを「スパイではない」と言い続け、ファシストや権力のスパイを積極的に擁護するキャンペーンをはるというものである。そして、文書の全篇に売りわたしの記述をちりばめつつ、「武器の一切を開示してやろうか」と売りわたし宣言をおこなっているのだ。
こうして、彼らは秩序派らしく、闘う労働者人民が天皇の神秘化・神格化に反対して生み出してきた〈テンノー〉という用語にさえ極右的立場で批判を加えるにいたっている。彼らは、闘う労働者人民・革命的党派の指導部をカタカナで表記し、天皇をカタカナ表記することに反対するのである。反革命テロを存在意義とする集団とはこんなものである。
また、〈解放派の革マル批判〉を批判することを自己目的化するにいたった彼らは、黒田が依拠する西田哲学=日本的小ブルイデオロギー批判を清算し、平気で「向自的意識の獲得」などと革マル用語を使うにいたっている。山田を先頭に黒田イデオロギーへの屈服を露にしつつ、親革マル化を決定的に深めているのだ。
労働者運動の原則を破壊する彼らは、労働者の搾取・隷属への怒りから発する要求を無視・抹殺し、労働者(人間)の生活サイクルが一日単位で成立しているにもかかわらず、一日の労働時間の短縮ではなく、「週単位の時短要求」を全面賛美しているのである。
さらに、デッチあげ弾圧の嵐の時代に「ドジを踏むから弾圧される」「ドジを踏まないものは弾圧されない」という諜報機関と結託する集団らしい「テーゼ」を改めて掲載している。この「理論」によれば、「転び公防」で弾圧されたものはドジを踏んだことになるわけである。なんという権力賛美の集団だ。
また、山田らの脱落・転落の最大の根拠となったファシスト=「ゴスペル」戦をめぐっては歴史の改ざんが行なわれている。
〈ファシストの襲撃〉は「反共宗団との戦闘」に改ざんされた。正真正銘のファシストは「(金大中と同じ韓国的)反共宗団」(山田)、「おまえらマルクスの弟子か」「三年間殺しの訓練をつんできた」などと叫んでの「ゴスペル」の白色襲撃は両者間の「戦闘」一般へと免罪されているのだ。そして、山田らは、当然のこととばかりに、ファシスト=「ゴスペル」に授業を受けさせることを保障し、ファシストを擁護し続けたことを自慢している。
革命の敵・労働者階級の敵=ミニスターリン主義集団を解体せよ。
「崩壊」一月号は、ミニスターリン主義集団の新しい主張として、解放派が82 年―83年新年号論文の内部糾弾闘争(路線)を清算したから、自分たちは逃亡したのだと言いはじめたのである(日向が問題を十数年前に戻したのに続き、今回遂に、自己の破産の原因を16―17前にさかのぼらせたのである)。そして、ミニスターリン主義集団の「綱領的立脚点」を82―83年新年号に置くと言い始めたのである。
つまり、山田らは、解放派は84年以降、内部糾弾闘争(路線)を清算し、82―83年の綱領(的整理)を停滞・後退させてきたというのである(もちろん例によって、この長い間自分たちが何をやってきたかも総括することなく)。この16―17年の解放派の思想的実践的格闘を無意味なものとしたうえで、彼らは82―83年新年号に「綱領的立脚点を置く」と主張する。まさに、前代未聞の清算主義の極をいく主張である。81年の「プロカク」グループとの決別以降、同志中原の意志を引きつぎ、多くの同志たちが思想的実践的に格闘してきたことにつばを吐きかけ、80年代、90年代の戦略・綱領の深化の作業を公然と清算することを宣言しているのだ。これこそ、綱領的脱落と言わずしてなんと言おう。
さて、ここまで彼らが「思いを入れる」82―83年新年号の解放派における歴史的位置とはなにか。ミニスターリン主義集団の「正当性」を裏付けるものが何かひとつでもあるのか。答えはノーである。
何故なら、この82―83年新年号論文の継承・発展の上にこんにちの解放派が存在していることが歴史の真実であるからである。
まずはっきりさせておくべきことは、82―83年新年号は「プロカク」グループとの決別以降、当時の暫定総務委員会で討論・確認され、この内容が80年代中期の革労協の組織的収約で確定され、以降、こんにちまで発展してきたという事実である。82―83年新年号は、(「解放誌11号」に収録されている「解放派20年の革命的継承の下、差別主義・清算主義・投降主義・分裂主義に陥らんとする一部分子の脱落・逃亡を突破し、革労協中央の旗の下に結集せよ」という声明を発した)当時の革労協総務委員会書記局有志を中心とした暫定総務委員会において討議され、発表されたものである。82 年新年号は、当時の戦略上・組織建設上のポイントとして、「プロカク」グループとの党内闘争の勝利的展開を総括し、スターリン主義の階級的突破の戦略的思想的ポイントを明らかにしつつ、被差別プロレタリア(被差別大衆)を不可欠な一環とするプロレタリアの階級形成・党建設の推進、非合法・軍事領域の強化によるプロレタリア権力闘争・対革マル戦の推進と共産主義的労働者党建設の本格的飛躍を軸に明らかにしたものである。この脱落問題を突破した解放派の前進に対して、敵権力は組織壊滅攻撃の総展開を開始し、拠点破壊攻撃を激化させるとともに、82 年5・7指導的同志への狙い撃ち弾圧を凶行するにいたったのである。83年新年号は、こうした試練に飛躍を正面からたて、獄中―獄外を貫く団結を強化し、解放派建設の前進をかちとることを明らかにしたものである。その内容は、反革命弾圧の集中砲火との対決を革命の前哨戦と位置づけきる党建設、階級性・革命性の組織的定立をとおした権力闘争・党派闘争の推進、内部糾弾闘争の総括をとおした差別問題を織り込んだ階級的戦略の定立を軸としたものであった。われわれは、これを80年代中期に組織的に収約し、以降、90年代の解放派の思想的実践的格闘に引きついできたのである。
山田らのペテンを許さぬためにあらかじめ明らかにしておくべきことは、82―83年新年号の討議・執筆に責任をもっていたのは現在の解放派の指導部であると言うことである。とりわけ、山田らが問題にしている戦略的思想的展開の部分を起草したメンバーは一貫して指導部として継続している。ミニスターリン主義集団のメンバーは誰一人含まれていない。むしろ、山田・土肥らは、「プロカク」グループの脱落と権力の弾圧の集中という歴史的試練のなかで戦略・思想・実践の飛躍の共有化が希薄であったと今日的に総括しえるのである。あえて〈西原らのシンパ〉である山田の思い入れの理由を探せば、この討議に参加し、執筆の一部を分担したメンバーが後に西原と行動をともにしたことぐらいである。
思い起こせば、西原らは解放派の指導的メンバーが過去に執筆分担した機関文書・個人署名論文に依拠し、これによって現在のその指導部を批判するという方法をとっていた。まさに、共産主義的原則と無縁な政治主義者・陰謀家が考えつきそうなことではある。しかし、われわれはこのような部分が単に自己の無内容さをさらけだしているのはそれにまかせるが、日向が十数年前から解放派破壊のチャンスをうかがい続けてきたことを告白した以上に、20年近く前から解放派破壊のために動いてきた輩を断じて許すものではない。
「崩壊」では、解放派が真実のマルクス主義の名において、展開してきたスタ批判が完全に清算されている。彼らは、「資本主義世界経済の『部分的かつ被制約存在でしかないスターリン主義諸国』」「世界体制の被制約的・部分的存在であったスタ圏内」といい、スタ国家が世界体制における無規定な一部であったとしている。一方においては、ブルジョア国家とスターリン主義国家を並列に並べ、蜂起で打倒するという「反帝・反スタ」的傾斜をうかがわせる記述をおこないつつ、他方、帝国主義が普遍的制約者としつつ、スタ国家がいかなる国家で、いかに世界体制と関係したか(全世界的なプロレタリアの階級形成の「疎外された現象形態」として部分的特殊的に制約してきたのか)を問うことがないのである。こうして、スタ国家を無規定化し、「スタ批判の核心は世界革命」「世界的生産力を手に入れる」「世界の大部分でプロ独『国家』を樹立」することで自動的にスタ国家が突破できるかのように展開している。
解放派においては、スターリン主義国家の突破をめぐっては、世界市場の廃棄・世界革命の完遂とブルジョア国家機構の徹底解体は前提的問題なのである。問題は世界革命の完遂とともに、同時に、スターリン主義を突破するコミューンをテコとした社会革命の内容に絞られてきたのである。かくして共産主義社会とはなにか、自由な自己労働とはなにかが問題になり、この内容を胚胎した社会革命の推進が問題になるのである。
コミューンの原則の実施・労働証書制の導入をはじめとした社会革命の目的意識的推進こそがスタをこえていく共産主義の核心であり、この解放派の歴史的地平をブンド的に清算しているのが、今回の「崩壊」文書である。
また、プロ独「国家」を乱発し、「『国家』主義者」ぶりを発揮し、山田のブルジョア国家=「幻想的をつける必要もない共同体そのもの」論、これを押し隠そうとする日向の「幻想的共同体論」などとあいまって、真性の国家主義者への転落も近いものとなっている。この極みは、「数カ国のプロ独拠点」などのブンド的内容への転落だけでなく、「国家」主義者ぶりが昂じて、遂には「左翼」版大東亜共栄圏の危険を有する「アジア・太平洋規模でのプロ独『国家』」論として現われている。まさに、木元グループによるアジア太平洋国家構想など、アジア労働者人民にせん滅されよう。
レーニンが「国家資本主義を育成するプロレタリア国家の強化」を提起している限界をこえて、解放派は反革命の側の抵抗・帝国主義の干渉に対する内戦・革命戦争を展開しつつ、社会革命を推進するコミューン=ソビエトを問題にし、「プロレタリア国家」の死滅ではなく、廃絶を問題にしてきたのである。
コミューンを忌み嫌うミニスターリン主義集団は労働者階級の解放の意味を理解せず、革命を小ブル的人間解放のために、(山田の「普遍的人間解放」の乱発)ブルジョア国家にとってかわり強固な権力を確立する程度のものとしてしか理解していない。まさに、スタ的プロ独=党独裁を「民主化」する程度のイメージしか持ち合わせていないのである。だからこそ、コミューンの原則という言葉を使うもののその内実を展開しえず、生産者の自由で平等な連合や自由な共同・自己労働の実現という言葉さえ清算しているのである。
「崩壊」では、解放派の「被支配者階級にとっては共同体は成立せず、国家の共同体的性格は幻想であり、桎梏」という主張は正しかったとしつつ、その整理の発展としての「国家は支配者階級の共同利害態、被支配者階級にとっては桎梏」という展開に完全に論破されていることを認めている。しかし、とにかくケチつけしなければと、解放派の国家論は正しいがそれを「説教して回る」から悪いとか、「幻想的共同体」を「共同体幻想」と言いなおすから許してくれとか、おおよそ論争とはいえないすり替えを行なっている。
そのうえで、彼らは自分たちの国家論を語る。それは、国家は「政治的支配の道具」「抑圧装置=官僚的軍事的統治機構」「支配を維持する機構」という無内容・無規定なものとなる。ここでは、単純な「国家=官僚的軍事的統治機構」論が語られているだけなのである。まさに、論理的一貫性さえないのがミニスターリン主義集団の国家論なのである。ミニスターリン主義集団は国家論の両極、国家暴力装置論と国家(幻想的)共同体論の間をブレ、とめどもない破産の泥沼にはいっているのだ。
同志中原以降の解放派の格闘は、この両極の止揚をプロレタリア階級にとってブルジョア国家とはなにかに立脚することによって、成し遂げていくものであったのである。ブルジョア国家は支配者階級の暴力装置を有した共同利害態であり、プロレタリアにとっては桎梏に他ならない。この国家が資本制生産を永続化し、階級支配を維持するために、弾圧と統合、差別と統合の攻撃をかけてくるのであり、敵の分断・排撃・統合攻撃をめぐる攻防が〈幻想〉の強弱を規定しているのである。
ミニスターリン主義集団は、帝国主義を免罪する俗流経済学を当然のように主張するにいたっている。
「崩壊」では、「帝国主義の延命方策」は「足下労働者の階級闘争―賃金交渉力を抑圧―解体することによって賃金低下をはかる」ことであると主張している。いま、帝国主義の延命をめぐり、戦争・ファシズムへの突撃と連動して、首切り合理化・賃下げ・失業の嵐が吹き荒れているとき、この攻撃との闘いが労働者階級の運命を決めようとしているときに、ミニスターリン主義集団は「賃金交渉力の抑圧」を敵の延命戦略の軸としているのである。これこそ、社民化したミニスターリン主義というべきものである。
合理化を通して労働者階級の搾取が強化されるとともに、社会的隷属が強化されるのであり、この資本の社会的権力の強化を背景としつつ、ファシズム的改編を通して政治権力が飛躍的に強化され、戦争への突撃がなされているのである。スタと同様に搾取しか見ないミニスターリン主義集団は、労働者の支配・隷属の強化が結局、敵の延命戦略の最終的核心となることがまったくつかめないのである。
それだけではない。首切りと賃下げ攻撃を一体でかけ、「首切りも賃下げも」という攻撃が吹き荒れているとき、賃金に問題を切り縮めるだけでなく、「賃金交渉力」と言い、民同的ボス交主義者ならではの表現をしているのだ。
これを裏付けているのが、「宇野経済学」に屈服した日向の「恐慌論」である。日向は、解放派の恐慌論では利潤率の傾向的低下の利潤量の増大による突破が破綻する原因をゴマカシているといい、「利潤量(剰余価値)の増大のためには、相対的過剰人口を吸収する」「これが賃金の高騰を招き、これによって利潤量(剰余価値)の増大が破綻する」「これによって、銀行に対する貸付増加に頼ることになる」「これが利子率の高騰を招き、支払い不能による再生産過程の中断の連鎖が起きる」という「恐慌論」を主張している。
日向はブルジョア的な俗説として、賃上げが恐慌を招き、賃下げが資本を救うと考えているだけなのである。
賃下げを強行し続けても、利潤率の傾向的低下を背景に、資本の絶対的過剰、すなわち、資本を剰余価値生産のために再び投下することのできない状態が現れるのである。日向は解放派の恐慌論からこっそりこの核心点を引っ込めているのである。
日向は恐慌をめぐる時期に、「相対的過剰人口の吸収」が起きるかのようなデマをとばしている。少なくとも、歴史は、恐慌・戦争による大量の価値破壊の後、相対的過剰人口の吸収が起きたことを示している。
恐慌・不況期における合理化は、機械体系・労働の技術的基礎の改編を停滞させ、大量首切りという労働の社会的人員配列の改編を軸に推進されてきたのである。日向のデマとは逆に、この資本の飽くなき利潤追求のための活動により、相対的過剰人口が暴力的に創出されるのである。
恐慌が労働者階級にいかなる影響を与えるのかなどまったく興味のない日向は、日向が好む「常識の類」を無視できるのである。労働者の搾取・隷属・支配の突破を問題にしえない彼らには、資本制生産における合理化の戦略的意味や戦争動員―合理化・失業との闘いがつかめないのは当然のことであるが。
彼らの組織路線は解放派に似せた用語を使っているものの、解放派の階級性・革命性とはまったく無縁のものであり、スターリン主義に屈服したものである。
76年1月書記局論文(「解放誌」13号収録)や80年代中期の共産主義的労働者党建設路線の確立とその今日的発展を考えれば、「党は、プロレタリアの団結のその時点における最高の発展段階であり、同時に、自己限定性をもった普遍的特殊としての党である」という展開は、スターリン主義党とどこが違うのかさえ、まったく展開しえていないものなのである。
彼らの根本的誤りは、組織論を階級形成論と切断して自立的に展開していることであり、また、ブルジョア国家権力の打倒―コミューン権力の樹立の総過程と切り離して、静止的に論じていることである。解放派は、スタ・社民・革共同をこえて、プロレタリアの階級形成の総過程、ブルジョア国家権力の打倒とコミューン権力の樹立(社会革命の推進)のなかで組織論を成立させてきたのである。
プロレタリア総体の階級形成の構造を解明し、プロレタリア革命の実現とコミューン=ソビエトの構造を解明してこそ、党の独自の成立地平が明確になるのである。つまり、第一インター規約前文に示される労働者階級自身による革命という原則とこの実現の総過程や階級形成の発展段階の時間的継起・空間的並存を明らかにしてこそ、党が階級形成の一環・一部であり、しかし、これ一般に解消されない区別性を有し、階級形成の最高の発展段階である革命の実現から捉え返された労働者全体の階級形成を目的意識的に推進していく任務が出てくるのである。
この点を削り落とし、党を「その時点における最高の発展段階」とする規定は、スターリン主義の党が自己をプロレタリアの団結の「最高の発展段階」と規定し、「党=普遍」とし、党独裁を正当化してきたことを突破しえない。彼らの規定は結局、スタの規定に「その時点」を加えたものに過ぎないのである。つまり、「その時点」は資本主義下の階級闘争の時点、過渡期の時点を意味するほかなく、「その時点」は党の絶対性を相対化する効果があるだけで本質はなんらかわらないのである。
また、「自己限定性をもった普遍的特殊」という規定はどうか。
普遍的特殊という場合、問題になるのは労働者階級の普遍的利害の実現の構造が解明されてこそ意味を持つ。普遍性の現実的形成、ないし、現実的普遍の形成が前提になっているのであり、これとの関係においてのみ普遍的特殊は成立しているのである。したがって、ミニスターリン主義集団の普遍的利害の実現・現実的普遍の形成と切断された「普遍的特殊」はまさに、小ブルの「特殊」利害として自己完結する以外ないのだ。また同じ理由で、この点を明らかにできない「自己限定性」は労働者階級から検証されることのない「党主体」が「自分たちは自己限定性をもっている」という主観として語るものに他ならない。
これらのことは実践的には、党を含み、党を推進力とするコミューンとそれによる社会革命の推進への憎悪として、随所に現れている。
ミニスターリン主義集団は、あらゆる領域で解放派思想の階級的革命的原則を解体させ、似た用語をちりばめ延命を図ろうとしているだけなのである。
彼らの組織論の帰結は、党内論争ひとつまともに展開しえず脱落しておきながら、実際は山田や土肥が綱領的内容を一切明らかにもせず、人脈と利権で革労協とは無縁なサークル「革労協(解放派)」という団体をデッチあげ、山田・土肥のスタ的任命制で「中央委員会」をつくりだし、山田・土肥賛美のための「大会を開催する」などとしていることに現れている。解放派用語を使用し、ごまかそうとしてもミニスターリン主義の地金がすぐのぞいているのである。
また、山田らの極右スターリニスト性が端的に現れているのが生協論である。これもまた、山田らのみが「党内闘争」を形成されつつあった「私的サークル」で煽動していたとしても、山田は党内論争すらできずにいたことも含め、機関として問題の整理・解決に努力したことに私的不満を述べているに過ぎない。そもそも、今回山田が「崩壊」紙上に「堂々と」発表した生協論は社民勢力の中でならいざ知らず、解放派の地平では論外であり、反戦・全共闘勢力的地平に対する破壊の内容にすぎないという低レベルにあることは明らかである。山田らは、マルクスが協同組合主義の誤りをただす目的で書いた「国際労働者協会の暫定評議会の指示」を協同組合主義の擁護のために引用すると言う恥ずべき行為を平然と行なっている。
運動が壁に突き当たったとき、マルクスの歴史的格闘から捉え返し、その突破をはかろうとする作風さえ持ち合わせていない山田らに改めて問題をはっきりさせておく。マルクスは一八六六年の暫定評議会の指示の「協同組合労働」なかで、まず総論にあたる部分で、「国際労働者協会の任務は、労働者階級の自然発生的な運動を結合し、普遍化することであって、なんであろうと、空論的な学説を運動に指示したり押しつけたりすることではない。したがって、大会は特殊な協同組合制度を提唱すべきではなく、若干の一般原理を明らかにするにととめるべきである」とし、その後に協同組合の意義と限定性を述べているのである。
また、山田のペテンの思惑とは区別されて、マルクスは「協同組合商店よりは協同組合生産にたずさわることを勧める」といい、当時の職場をパージされた労働者たちがおこなっていた協同組合工場での生産にたずさわることが経済制度の土台を攻撃し、労働者が資本家なしでやっていける力を形成するものと考えていたのである。
こうしたことを念頭に置きつつ、冒頭部分に続き、「協同組合運動が、階級対立に基礎をおく現在の社会を改造する諸力のひとつであることを認める」といい、これが「社会の改造の諸力のひとつ」になるためには、協同組合が零細な形態に限られている限り、資本主義社会を改造することはできないこと、社会的生産を自由な協同組合労働に転化するためには、国家権力を生産者自身の手に移す以外の方法では実現し得ないことを明らかにしているのである。
そして、山田が決して引用すること、同意することのない展開を行なっている。マルクスは「協同組合がふつうの中間階級的株式会社に堕落するのを防ぐため、協同組合に働くすべての労働者は、株主であってもなくても、平等の分け前を受け取らなければならない」と。
以上のように、われわれはマルクスの展開を引き継ぎつつ、今日的に問題を整理し、協同組合運動自身が内在的矛盾を有しており、この限定性をふまえ、労働者・被差別大衆・人民と結合し、協同組合運動の階級的推進をめざしていくというものとしてきたのである。
また、協同組合は不断に(商業)資本の競争の論理に襲われ、金融資本の支配・介入に狙われ、その内在的矛盾を直撃される。こうして、株式会社への退化にさいなまれる。こうしたなかで、協同組合経営は擬制的資本として現出し、協同組合内においても、「労資関係」が成立するのである。だからこそ、和田問題のような協同組合内で発生する反プロレタリア的行為の発生問題に関しては、擬制的資本の力の発動として理事会が解雇を発動するのではなく、協同組合で働く労働者自身がその力で反プロレタリア的分子の追放を含んでプロレタリア的に解決すべきとしてきたのである。
まさに、擬制的資本の人格的表現とも言うべき山田は、反マルクス主義であるばかりだけでなく、社民・日共以下的な経営体の論理にはまりきっている。山田は、個別生協を資本制生産の総過程から切断してその「労使関係」を論述する。今日の生協が金融資本の介入を受け、自らが直営工場を持ち展開していることを抹殺し、何一つ資本制生産の制約を受けていないという「前提」をつくりだす。この資本制生産の総過程を対象化することなく、生協労働者が生み出す剰余価値は、生協組合員に安価な商品として還元されていて、資本として蓄積されないから生協は資本ではないというのである(今日の協同組合資本は組合員への還元をタテマエとしており、山田的には資本でないと免罪される)。こうして、こんどは「生協運動の意義」は「生協が資本でない」こと、安価な商品を提供する行為自身に求められ、これ自身が革命的とされるのである。こうして、反プロレタリア的分子ではなく、この「革命的生協」を批判する労働者をはじめとして理事会の意に沿わないものは解雇するのである(これが山田らのプロ独「国家」の政策と考えればよい)。
ミニスターリン主義集団は、現実に惹起した矛盾と党内論争の過程に即して問題を整理することさえも歪曲し、個々の脱落の首謀者の自己の政治的解体の契機とその心情の違いを「分裂の起源」の違いとして現わしていたのである。この意味では長期の歴史的単位で清算主義的総括を語るものは早い時期から解放派の党派性からは脱落傾向を有し、陰謀的・外在的に関わってきたことを告白しているものとみなければならない。
「崩壊」紙上では、数多く存在する小ブル的個の「怨念」のなかでも、土肥周辺の「5年前、6・20起源説」が採用されている。
これは解放派の組織・機関活動の歴史とその中での党内論争の歴史に即して、総括を行なうことを破壊し、特定の同志にデッチあげにもとづく批判を集中することによって、自己の脱落性を隠蔽するために都合がよいからである。
土肥らは、敵権力の新たな組織壊滅・革命者抹殺攻撃の開始の歴史的転換点となった6・20弾圧への怒りのひとかけらもなく、逆に、6・20型弾圧に屈服し、それのみならず、これを力として組織内陰謀政治を開始したということなのである。われわれはこれを彼らの側から告白したものとして、今日的に捉え返す。この敵との新たな闘いの飛躍の背後で、土肥らが陰謀政治を開始し始めていたことは痛恨の極みである。しかし、われわれは、彼らが自分たちの陰謀政治の開始時点を99年5月脱落・組織破壊の正当化の手段に使うようなペテンを許しはしない。
彼らの白色テロと破壊活動はファシスト=「ゴスペル」・日帝政治警察・韓国国家安全企画部(現国家情報院)に支えられて行使されている。
こうした背景をもち、明大生協理事=小林力らは越冬闘争に破壊・介入するためにのみ「福日労」「越冬実」なるものをデッチあげ、歴史的な越冬闘争会場を権力の肝いりで借り受け=「占拠」し、越冬闘争を闘う戦闘的寄せ場労働者・支援の労働者・学生に反革命襲撃を凶行したのである。
それのみならず、この反革命襲撃によって、三里塚の野菜をもって越冬闘争支援にかけつけた三里塚芝山連合空港反対同盟と福日労の合流を破壊したのである。
彼らの確信は「資本に首切りを要求する運動=革命的労働運動」であり、したがって、闘う生協労働者が休職願いを出していることに対して、「休職の理由はない」「出頭せよ」「出頭しないなら即日解雇」と言い、「一週間無断欠勤した」「反抗し、職場秩序を乱した」とし、解雇攻撃をかけることを「革命的行為」というのである。これを推進する小林は、遠く九州まで遠征し、明大生協の労務担当として労働者の首切りを行なうことではあき足らず、寄せ場労働運動破壊を行なったのである。
このグループの解体戦は反帝闘争の階級的革命的前進を基礎にしつつ、相対的独自の闘いを推進してこそ勝利できるものである。われわれは、木元グループとの「党派闘争」を党・潮流として組織的系統性・計画性を強化し、闘いぬく。
労働者階級の武装こそ、革命・コミューンの前提である。プロレタリア革命軍建設の前進を切り拓き、7・2―11・14報復戦を完遂せよ。
「『最高司令官』たる○○○」というデマは、木元グループの組織丸ごとの総売りわたし集団への転落の記念碑的言辞である。この言辞をある同志が言ったというまったくのデマのうえで、引用句もなしで(すなわち、木元グループ自身の言辞として)公然文書で記している。革命軍の戦闘行動はすべて指導的同志が指令したという真っ赤なデマであり、怒りなしには読めない代物である。続けて、この言辞は「いかなる場所であろうと対破防法的緊張感が一ミリでもあるなら」言えない言辞であるとまで書いて、「革労協に破防法を、団体規制法を適用せよ」「指導的同志を処刑台に送れ」と、権力に売りわたしているのである。何という反革命集団だ。
革命党・軍破壊のために権力・革マル向けにことごとくデマを書き連ねる「太田黒」を僭称したこの自称「指導的同志」は、自らの両性関係上の対敵性の解体、永井の党・軍破壊陰謀への加担などなかったかのようにデマを書き散らし、権力の手で革命党・軍を破壊してくれと売りわたすに至った。土肥が一行も文章を書けないなかでこの反革命分子しか書く奴はいないというおまえ達の内部事情は分かるが、それにしても最初に書いた文章が、指導的同志の権力への処刑嘆願とは、なんたる惨状か。この一文で、おまえ達全員を売りわたし分子にふさわしい形で鉄槌をうち下ろし総せん滅する。
木元グループがスターリン主義的な(党的軍事組織でさえない)「党の軍隊」路線に陥っているという的確な批判に対し、「党的軍事組織」だと取り繕ったのはいいが、その「党的軍事組織」は「党員(同盟員)で構成され、革命党の綱領・路線の承認を前提とする」と書いてしまっている。こんなことを書いていいのか。それこそ「対破防法的緊張感が一ミリでもあるなら」決して書いてはならないことではないのか。これでは、木元グループの私兵集団は全員が党員であり、軍は党組織の一部であるという自白をするようなものである。これでは木元グループの私兵集団が行う戦闘行動はすべて山田の指示でやっている、政治組織の組織決定でやっているということになってしまうのではないのか。
これは解放派軍事論の全面破壊であり、破防法攻撃に対する予めの投降(山田の好きな言葉で言えば「白旗を掲げた」)である。いったん公然文書に書いたこの決定的言辞は、取り消しはきかない。日和見分子の山田に自ら爆取や殺人罪攻撃を引き受ける気概はない。木元グループの解放派からの脱落・逃亡が本格的権力闘争や対革マル戦の死闘からの路線的な日和見主義的な清算と解体、革命軍への敵対と破壊のエネルギーであったということが、こうして彼ら自身の言辞で赤裸々に語られるに至った。「ゴスペル」がボス交の確認を破ったらいつでも叩くから、対「ゴスペル」戦闘―対ファシスト戦の路線的日和見を行っていいんだと、赤子の手をひねるように簡単に山田の「高度な政治判断」にのせられたこの「指導的同志」は、いままた「太田黒」を僭称して「本格的権力闘争と対革マル戦」をやるんだという話す先からそのデマ性がばれるミエミエのデマのお先棒担ぎを山田にやらされている。一度党・軍破壊の陰謀に加担した恥ずべき歴史は二度三度繰り返すと言うことか。
非公然と見なされてきたメンバーが次々に公然浮上している。「太田黒」を僭称し「革命軍」を偽造するためにのみわざわざ12月号にニセ「太田黒」を掲載したのはいいが、軍事路線に関する肝心な箇所はすべてかつての「太田黒」論文の糊・はさみ文章ではないか。しかも書いてる本人が内容を理解できていないから同じ文章の中で矛盾したことを書いても平気でそれに気づきさえしていない。
それが先述の「党軍路線」批判への反批判を意図し「党的軍事組織」であると自己規定しながら、「党=軍」であると書いてしまったお粗末であり、また解放派に対する破壊攻撃を「党内闘争」であると規定しながら、6・13反革命「声明」をここにいたって手直しし「無制限・無制約の革命的テロル」での「総せん滅」方針をこっそり隠蔽して、解放派に対しては「革命軍」として攻撃すると書いているお粗末である。これではメチャクチャではないのか。書いてる本人が解放派破壊のこの反革命行為が党派闘争なのか党内闘争なのか、また「革命軍」であればいかに方針化すべきなのかが分かっていないのである。どうも文章を読めば党内闘争だが、解放派にたいしてだけは自称「軍」を使って攻撃していいんだと読める。これでは軍事路線としてはフラフラであまりにも肝心要のところで無規定であり首尾一貫していないのではないのか。そもそも理論や路線に何の関心も素養もないこの「指導的同志」にこんなことを教えても「猫に小判」か。総売りわたし集団にふさわしいのは「武器の批判」―総せん滅だけだろう。
5月2〜3日の経過を偽造し、またもや軍事機密を次々に権力・革マルに売りわたしている。4月27日、公然会議で山田が「本社占拠だ、三里塚現地拠点占拠だ」と酔っぱらってくだを巻いていたその日に、5月4日以前の討論設定の要求をニタニタしながら拒否し、わざわざ5月6日以降の設定を要求してきたのはおまえではないか。「本社占拠」の意思一致を終え、非公然での組織破壊―連絡切断と討論拒否を強行した当の本人が、「会議への介入」もないものだ。この時期に解放派を分裂させる行為が、権力・革マルの利害以外いかなる形でも正当化できないことを分かっていて分裂を強行したことが、今日いかなることだったのかが白日の下に明らかになりつつある。党・軍破壊は言うにおよばず諸君らが分裂の正当化の根拠とした「明大拠点防衛」自身を破壊し明大当局の拠点破壊に組みする行為だったのだ。
「国家=共同体」論の二度にわたる日和見主義的強調(―本格的権力闘争路線の放棄の権力への売り込み)や、自分達のせん滅した革マルの数を間違って「22名」などと対革マル戦を本気で闘う気概もないことをしっかり革マルにアピールしている点などはいまさら問うまい。しかし、指導的同志の虐殺をまったくのデマに基づいて権力・革マルに哀願した事実は見逃すことはできない。おまえらはこの一点で総せん滅されなければならない。おまえ達が三里塚闘争と反対同盟への敵対・破壊のためのみの子供だましの「戦闘」に熱中し解放派破壊のための白色テロにのめり込む一方、次から次に非公然と目されたメンバーを浮上させて路線転換を敵にアピールしているその対極において、解放派はおまえ達を反革命として「党派闘争」で革命的に解体する決意と体制を着々と強化している。売りわたし分子どもよ、革命的鉄槌を心して待て。