全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

長田(荻野)佳比古追悼集会に寄せられた革命軍アピール
 1999年7月20日

(1)

 君が遺影の中でにっこりと微笑んでいる。

 私たちが、こんなにも早く、そしてこんなにも突然に、君に別れの言葉を贈る日がくるとは、想像もしていなかった。権力でもなく、革マルでもなく、そしてファシストでもなく、土肥を頭目とする党・軍破壊分子の手先に、君が、ただ殺害のみを狙った反革命的テロルで虐殺されるとは。

 君が生涯をかけ、常に自ら戦闘行動の先頭にたち、マルクス主義的な建軍武装闘争路線の理論的礎(いしずえ)を築き、組織的条件の形成に持てる力の全てを惜しみなく集中して育(はぐく)み鍛え上げてきたわがわが革命軍を、スターリン主義的軍隊に変質させ、プロレタリア・共産主義革命、プロレタリア階級の解放―全人民の解放をなしとげるための武装力としてではなく、山田の私的利害の暴力的貫徹のための、党・軍破壊の暴力装置におとしめようとした土肥は、この企みに敢然とたち向かい、危険を承知で木元グループとの党内闘争に不死鳥の如くたちあがった君に私兵をさしむけ、虐殺した。

 なんという腐敗した軍事だ。

 党・軍破壊策動が決定的な攻防環で封殺され、山田の組織破壊・利敵行為が革命的に実力阻止されて以降、全国全戦線で一斉に組織的反撃が開始され、自己批判・復帰が続出するなかで、破産と崩壊の危機に瀕した木元グループは、かわって前面化した土肥の6・13「革命軍声明」で解放派の建軍武装闘争路線の一切をなげすて、スターリン主義的軍事を満展開させた。7・2虐殺はこの「革命軍声明」どおりに実行された反革命的テロルである。

 なんという安易・安直な戦闘だ。

 対象設定からしても行使された手段からしても、下手人どもは解放派の思想と戦略を投げすてふみにじり、反革命的軍事に手を染めた。党内闘争の解放派としての階級的原則もなく、ただやりやすいというだけで君をターゲットとして設定し、もって威嚇しようとするこの低水準な軍事力の行使は、軍事的腐敗の極みである。

 困難な条件のなかで、我が身を呈して敢然としてもぎとった偉大な戦闘―全人民を鼓舞し勇気づけ何よりも感動させるような偉大な戦闘を、わが軍は幾度も組織し敵を圧倒してきた。77年4・15戦闘しかり、90年11・1―2戦闘しかりである。

 7・2反革命的虐殺は、この革命軍の輝かしい戦いの歴史を全否定し全労働者人民の憤激をかい、反革命的テロを行使したやつらを脱落・腐敗させるほかない反革命的軍事である。

(2)

 思えば、君の戦いと存在なしにはわが軍の今日の精強不屈の存在はありえなかっただろう。  君と鉄パイプを手に全国をかけめぐり、権力を、革マルを、ファシストを、そして71年には中核を、次々と殲滅していった夢のように楽しかった戦闘につぐ戦闘の日々。

 君はいつもその先頭にたち、にこにこと笑いながら腹の底から楽しげに敵どもをなぎ倒していった。私たちは君の戦いに導かれ、革命的軍事の原則と戦闘の厳しさ=喜びを身をもって教えられた。

 餓えているときは温かい食物を、病にふせっているときはやさしい見舞いのことばを、常に忘れることのないこころ優しい戦士であった。どんなに非常切迫のときも、うろたえることなく泰然自若として同志たちを指揮し励まし、危地をいくたびも切り抜けてきた。革命的軍事を生涯の事業と定め、公然任務に移行してからも、軍を防衛し発展させるために最大の力を集中してきた。

 君自身が思想的組織的に一時期困難な局面にたちいたったとき、私たちは共に戦うことを訴えつづけた。君は最後まで革命家・共産主義者としてふみとどまり、解放派の思想と路線にてらして自ら生きる道を選択し、急速に革命的に再確立していった。

 最後に会ったとき、君の目は、全国を鉄パイプを手にとびまわり反革命どもをうち倒していったあの頃の目の輝きをとりもどして、生き生きとして喜びにみち、解放派の隆々たる未来と革命勝利の不抜の確信を語っていた。

 山田と土肥は、君のこの革命的再確立に恐怖した。憎しみを一身にあびて君は虐殺された。君の新たなるたたかいの開始が、彼らの未来がないことを突きつけているがゆえに君を殺したのだ。

 君を虐殺するとは、解放派のこの輝かしい武装闘争の歴史を抹殺し、革命軍建設の全営為を否定し、プロレタリア・共産主義革命の未来と党建設の事業を破壊しようとすることである。私たちは、7・2同志長田虐殺に報復し、彼らが抹殺・破壊・否定しようとしたもの全てを守り前進させるために死力をつくす。これが同志長田の無念に応える唯一の道である。

(3)

 「革命軍声明」は彼らの反革命性の紋章であり、7・2虐殺は反革命的軍事そのものの実行である。

 党内闘争において反対派を「反革命」と規定し、反対派殲滅に「軍」を動員し、しかもその手段に「無制限無制約の革命的テロル」を行使するという。

 これは解放派の建軍武装闘争路線の全否定であり、スターリン主義的軍事への変質である。

 これは「党の軍隊」であって、統一戦線の軍隊ではない。戦闘員は、司令官のもとに、デマと囲い込みで物理力化され、「命令は絶対である」(土肥)として自主的な意見表明と政治討論は禁圧される。戦闘行動の発動において政治組織的統制は無視され、私的に運用される。土肥が常々主張し我々の批判の前に撤回(―屈服)させられてきたこうした「誤まてる軍事」「腐敗した軍事」が、制動するものもいなくなった今、野放図に満展開している。その必然的で典型的な帰結が7・2虐殺であった。

 首謀者・土肥を革命的に打倒せよ。

(4)

 私たちは、自らが生み出した責任において、土肥を頭目とする反革命的軍事力を解体する。7・2虐殺を兇行した指揮者と下手人はその全員を掌握している。彼らをひとり残らず殲滅し、その首級を君の遺影の前に並べよう。木元グループの解体のたたかいは、6・13反革命的「声明」と7・2虐殺を転換点として、軍事的解体を通してのみ彼らの自己批判・復帰がありうる局面に移行した。階級的革命的政治性は武装せる政治性としてしか自らを貫徹することはできない。解放派がつちかってきた党内闘争の革命的原則を堅持しつつ、7・2虐殺に倍する報復戦を、それ以上の水準で貫徹しなければならない。

 「党内闘争」への権力・革マル・ファシスト・小ブル諸派の反革命介入と「漁夫の利」を狙った敵対行動を許さず、一刻も早く彼らの解体と解放派の革命的統一をなしとげよう。

 拠点明大の革命的制圧と解放派拠点としての革命的再生のたたかいが、この「党内闘争」の「天王山」である。木元グループの死力をつくした敵対行動を粉砕し、明大の革命的拠点としての再確立のたたかいに、同志長田の遺志をひきつぎ勝利しよう。

 われわれは7・2虐殺の首謀者・下手人・手引者を容赦なく殲滅する。7・2報復戦の勝利のなかから彼らの戦闘力を解体し、明大を革命拠点として再生・再確立する。このたたかいが木元グループの息の根を止め、解放派の革命的統一―支持・同調分子の大量的な自己批判・復帰をもたらすであろう。

 7・2虐殺は、木元グループから一切の"正当性"を奪い去った。"正当性"もヘッタクレもないとばかりに、反革命的テロルでわが同志たちを虐殺し続け、虐殺の威嚇でわれわれに屈服を迫るという絶望的な道しか彼らには残されていない。

 木元グループのこうした反階級的敵対・反革命的虐殺を許さず粉砕するたたかいに総決起しよう。

 私たちは同志長田のたたかいと遺志を木元グループ解体のたたかいの勝利―明大の革命的再拠点化として結実させる。

 君の革命的軍事(組織と戦闘)に集中した30余年のたたかいの歴史は、わが軍の非非的組織建設と戦闘行動の中に継承され、脈々と生きつづけるであろう。

 革命軍建設のパイオニアであり勇敢な戦士であり、すぐれた指導者=組織者であった同志長田の、プロレタリア・共産主義革命勝利にむけた未完の遺志を革命軍は断固として継承し、前進する。

 プロレタリア統一戦線の旗のもとたたかうわれわれは、木元グループの破壊策動に打撃を受けたが、その戦闘力はいささかも減殺されていない。われわれがその先頭にたって7・2虐殺の首謀者―山田・土肥を殲滅する。そしてまた、下手人・手引者どもを決して許さないであろう。

 われわれは、報復・解体戦の戦闘勝利をもって同志長田追悼の辞とする決意である。

 結集された同志・友人、そして御家族のみなさん! ともにたたかおう!

1999年7月20日     革命軍

全学連と共に闘おう! 連絡先・連絡方法はこちら               home