全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

長田(荻野)佳比古追悼集会に寄せられた北条秀輝同志の獄中アピール

 同志が最後に見たものは、かつて知った顔であったろう。そのマナコは反革命革マルと同じように、親ファシスト化したスターリン主義者宜しくドンヨリ虚ろな、しかし解放は憎しの一念に凝り固まったものであったろう。

 いかにデマとペテンに満ち満ちた山田や土肥らの政治技術に弄されていたとはいえ、解放派の「討議資料」も読んでいるという以上、これら下手人はその他愛ないペテンとデマに自ら進んではまり、路線転換したのであり、ファシストと結託しない解放派憎しの一点で虐殺したのである。

 我々の解体戦に脅え虐殺しなければもたないが故に虐殺したのである。虐殺のための虐殺であり、それによってデマやペテンや脱落、もろもろのすべてを正当化しようとしたのである。

 長田同志は私が入学し活動し始めた時から全国の学生運動を指導していた献身的で心優しい革命家であった。

 とりわけ忘れられないのは、73年の川口君虐殺糾弾―革マル弾劾―早大解放闘争の先頭に一貫して立ち指導してきた姿である。また私にとっては、何よりも73年9・14〜15神大戦闘の共同被告であり戦友であった。(この戦闘で無様な姿を晒したのが山田であった)。

 同志の完黙―非転向闘争に励まされ、それを支えとして私も完黙―非転向を貫いた。神奈川署での取調べの時に同志が必死の街宣で励ましてくれたことを昨日のことのように想い出す。

 最後に会ったのは6月8日の面会であった。私が必死に「明大の学生オルグを頼む」と言ったのに対し、同志は笑って応えた。別れ際に同志は「またくるよ」と言い、私はいつものように「気をつけて」と言った。それが交わした言葉の最後であった。

 親ファシスト―ミニ・スターリン主義的集団―山田サークルは、虐殺の首謀者である山田、土肥を始め、佐藤、片山、梶木らは獄中にすぐ見破られる許しがたいデマとペテンを次々と流した。私と警視庁40号同志はその証人である。

 端的に山田(「木元文書」)の「革マルのスパイだ」というわが同志への断定がまずあって、1ヶ月後に佐藤は「革マルのスパイかどうかはともかくとして」などと言いつつ、スパイの証拠がみつかったと40号同志に手紙を書いてきた。断定が先にあって後から証拠が出てくるということ自体がデッチあげの証明である。その正当化のためにスパイよばわりしたわが同志を「殺す」と言い放っているのだ。

 この輩達は中枢ほどデマとペテンで塗り固めているので相互信頼関係、同志関係などなく、私利私欲で結びついており、疑心暗鬼に満ちて本質的に脆弱である。

 すでにその本質は弁護士戦線や三里塚を始めとする闘う戦線において大衆的に明らかになっている。何よりもわが解体戦がその本質を浮き彫りにする。我々がそれを決意した以上、このグループが階級戦線に延命する余地はない。どんな犠牲を払ってでもこのような輩を生み出したことの自己批判をかけて解体を完遂する。

 長田同志への一撃一撃を私へのものとうけとめ、同志を失った心の空隙(すきま)は、必ず山田は無論虐殺の直接の指示者である土肥をナマスに切り刻み、下手人共を血祭りにあげることで埋め合わせる。解放派の何たるかをその怒りの深さと底力をそのことによって知らしめる。

 とめどなくこみあげる悲しみ、悔しさ、怒りを無念の一言におしつつみ、長田同志の遺志を引き継いで反革命革マル、反共ファシスト共々この極悪の親ファシスト―ミニ・スターリン主義的集団を全ゆる手段を駆使して解体する。

 同志の遺志を引き継いで世界革命―共産主義社会の建設へいざ前進せん!

1999年7月12日     東拘在監 北条秀輝

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