全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

鈴木幸司さんインタビュー(2006年8月)

―追悼集「闘えば必ず勝つ」(手話講座実行委員会発行)より
鈴木幸司さん

闘争開始から40年目にあたる2006年、空港会社による市東さんの畑の「耕作権解除」申請強行や、「暫定滑走路」北側延伸決定、「東峰の森」を破壊しての「新誘導路」計画の発表、一坪共有地の強奪など、敵が三里塚闘争の壊滅に向けた攻撃を矢継ぎ早に連発する中、反対同盟は市東さんの農地強奪実力阻止をかかげ、歴史的な〈決戦〉への突入を宣言しました。「用地」内を焦点として現在ますます激しく闘いぬかれている、新たな闘いの出発点となったこの年、手話実の仲間が、鈴木幸司さんから決戦への意気込みを語っていただいたテープが残っています。闘う労農水「障」学の仲間たちに鈴木さんが残してくれた力あふれるメッセージの数々を、抜粋して紹介したいと思います。(編集部)

―いよいよ決戦突入ということで、全国の労農水「障」学―人民に熱い檄を発してもらえればと思います。とりわけ、オヤジさんがいつも権力・機動隊・空港公団・私服に対して非妥協で闘っている、日常的な闘いを中心にまず話して頂ければと思うんです。まあ全般、このかんの市東さんの土地強奪のこととか…。

鈴木さん:いつも思っていることだが、俺がミサイルでも作れればいいなあと。

―アハハ。一発目からいいねですえ。いいなあ。椎名ばあちゃん(※2000年に逝去された反対同盟會田芳枝氏)も同じこと言ってましたよ。

2008年の手話実集会にて
2008年の手話実集会にて。
オヤジさんは常に、「武器」を手放さなかった。

鈴木さん:本当は反対同盟がミサイルつくれるような…ハハハ。本当、笑い事じゃあねえだよ。おれも一時はさ。あの強制代執行のころはさ。権力が持っている拳銃から何から、やつらから全部引ったくって、皆殺しにしてやりたいと。そのぐらいの気持ちがあったんだけど。本当にさ、いま全人民の、労働者階級はよ。総力を挙げてさ。やっぱり三里塚の問題を、三里塚の農民にまかせておいてはだめだという感じでさ、われわれ自身も全国の労働者階級をさ。全部三里塚に来いとかそんな問題じゃなくて、「三里塚の闘いを見ろ!」と。そういうような闘いをやっていきたいなあ。たとえば東峰の森の伐採とか、伐採したらもうどんなことが起きるかわからないというくらいの、そういう情勢をつくりだすのが今のわれわれの役目なんだよな。こうすれば闘えるとか、こうすれば勝てるとかっていう、そんな問題よりもさ。闘うということについてもっと自信をもってやれれば、本当にいいと思うだよな。全人民が文字通り火だるまになってさ。三里塚の問題は三里塚の農民でなきゃだめだっていうようなことじゃ、なくってさ、そういうような全人民、労働者階級を総結集するような、そういう闘いをやりたくってやりたくってしょうがねえんだけどな。

 ただおれがその先頭に立ってやるって言ってもよ。なかなか80も越えてっから、できねえけども。できねえけどもできるものも、あるはずなんだよな。闘志ってのは、闘う気持ちはあるわけだからさ。あってしかるべきだしさ。そういう闘いを、内容のある闘いを。だから、三里塚を見ろというようなそういうことじゃなくって、三里塚の闘いのすばらしさがどこにあるのか、全人民に知らせる役目をわれわれはもっているはずなんだ。だからこうすればいいとかああすればいいとか…ミサイルとか作れればいいと思う時もあるしさ、いろんな闘いを。このかんの40年というのは、それぞれの人がみんな思い思いの闘いをやってきたつもりだと思うんだ。みんな、やってきているはずだよな。それを今度は組織的にさ、今の労働者階級はこういうふうな階級にならなきゃだめだというような、そういうふうになれば本当にいいと思うんだ。ボクはその先頭になってやりたくてやりたくてしょうがないんだけども。どうしたらいいかどうしたらいいかって。

 ある時に、同じ部落の脱落した野郎にさ。「昔から、長いものには巻かれろという話があるだ。オギサク(※鈴木さんの屋号)もそんくれえ知ってっだっぺ」なんて。「今われわれはその長いものと闘っているんじゃねえか」と言っただよ。その時すぐさ。「われわれの闘いは、長いものには巻かれろじゃなくて、長いものを倒すための闘いをやっているんだよ」つって。野郎、何とも言わなかったけどな。今われわれはその長い物と相対してまともに闘っているんじゃねえかって。おれ自身もやっぱり、「敷地」内だけの問題じゃねえ。用水の問題の時、脱落した野郎らは、「『敷地』内と仲間割れするわけじゃねえけど、子どもらが孫の代になって農業やんなくなっちゃったらしょうねえから、大型農機具がどんどん入ってもいいようにやんなくちゃだめだ」と。そしたらワダのオヤジ(※反対同盟から脱落した、菱田地域で最大の地主)の息子が何て言ったか、「成田用水はオヤジが必要なんであって、おれは百姓やんねえ」ってそういう形になっちゃって。

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60年代の「おやっさん」(幸司氏)

―いま、全然やっていないもんね。

鈴木さん:うん。息子は全然百姓やんねえだから。おれの子どもだってどこの子どもだってみんな同じだけど、親父がああしろこうしろと言って反対運動やっているのは一人も一軒もねえわけだから。みんな子どもは子どもとしてさ。小さい頃から親父らの姿を見ててさ。それで親父が間違っていることをやっていると思えば、子どもらだってやんねえと思うけども。そうでなくて親父がまともに闘っているからこそ、後継者をわれわれも。作ろうと思って作った覚えは全然ねえだから。「どういう風に子どもを育てましたか」って聞かれることがあるけど、子どもは親の背を見てさ。育ってきてっだから。「こうしろ」「ああしろ」って親が指示して反対運動やってるわけでも何でもねえんだから。われわれだってさ。あの強制代執行の頃は、学校の担任だか先生だか何かが来てもさ。「先生は何にもやんなくていいからこの中に入ってくれ」って言ってもさ。誰も入る人がなかったけども、帰る時に子どもらに、「体に気をつけてがんばってくれよ」って言って行かざるを得なかったわけだ。本当に子どもらには、われわれだって教育されたのと同じだから。まさか子どもらがああいう言葉をさ。親が教えたわけでも何でもねえんだから。「先生は何にもやんなくていいからこの中に入ってくれ」って言ったのは、子どもら自身が考えて言ったことなんだ。

―教師らは、それしか言えなかったと。

鈴木さん:ところが中学3年生くらいになると、翌日学校に行った時、「先生きのう何て言った」と。「本当におれらのこと心配しているなら、何で入らなかったか」と校長室に突入しちゃって。ハハハ。それで校長室に入れさせなかったってこともあったけれども、これだって親が子どもに教えたことでも何でもないんだから。本当に、子どもだからってさ。先生が言ったように「子どもは学校に来て勉強していればいいんだ」とか「きょうだいや親らに任せればいい」なんて、とんでもないことだ。子どもだからってさ。ただ学校に行けば親が安心してると思うのは大間違いだよ。子どもは、今度は、親父が今日の闘いで権力に殺されるだか分かんねえんだから。そういう状況のなかで「子どもは学校に来て勉強すればいいんだ」って、ああそうですかっていう子どもは一人もいなかったんだ。本当におれもさ。親として子どもにここまで教育されたって感じになったもんだ。おれの子どももよく子どもなりに、親が教えたわけでもなく、よくここまで成長したなあって。子どもは学校に行って勉強すればいい、そんな簡単な問題ではねえんだから。我が子も珍しい子どもができたなあと思ったけども。ハハハ。

 謙太郎は一番兄貴だからさ。その下がいて、おらいの一番末っ子なんかはさ。学校あがる前の年だから。強制代執行、強制測量の時、「父ちゃん父ちゃんもっともっと早く、早く行かなきゃ野郎らに追いつかれちゃう」って権力に「捕まっちゃう捕まっちゃう」「ああもうちょっとで捕まっちゃうよお」なんて、オートバイの後ろで泣いたりなんかしてるんだから。「もっと父ちゃん早く早く」と。喜んだりもしてるんだけど、喜んだり泣いたり背中で。本当にすごかったよ。

4番地点
中郷反対同盟と青ヘル部隊が共に闘った「4番地点」

―謙太郎さんが飯つくったり風呂炊いたりしていたという話は聞いたことあるけど。

鈴木さん:謙太郎がどういう指示をしたか知らないけど、兄弟らで誰それはごはんの支度だの、誰それは風呂場の準備だとかだの、今日は誰々って、子どもらが決めただよ。だからちょうどおれが捕まったときなんかはさ。子どもらもさ。みんな仕事を分担してさ、誰それは朝起きたら戸を開ける、夕方になれば閉めるとか、みんなやっていたみたいだな。父ちゃんいなくてどうかなと思っていたら、子どもらみんな言うこときいてちゃんと仕事を決めてやっていたって。ほっとしたけど、帰ってきてから。おれにしてみれば初めての経験だからな。生まれて初めての経験だから。権力の取り調べの時には、会田検事というのが、「家では子どもらが大騒ぎして学校にも行かないで泣いている」「泣いて待っている」とか言ってさ。泣いてるどころか、喜んで仕事分担までしていたんだ。だから、権力の野郎らは家のことを心配させたりさ。そんなことしかしねえ。

―その時は初めての逮捕だし、やっぱり家のことは心配だったでしょう。

鈴木さん:やっぱり家のことはよ。権力が言う前におれがこんなこと心配してんじゃねえかっていうことは、権力は知りきってるわけだから。「父ちゃんがいねえでみんな泣いて待ってんじゃねえの」なんて言ったら、そのつもりになっちゃうと思ってっだから。とんでもない話だ。帰ってきたら、「父ちゃん、子どもらはみんな言うこと聞いて、ほんとにいかった」なんて。いねえ方がよっぽどいかったって…ハハハ。

―強制測量のころでしたっけ?

鈴木さん:そうだ。強制測量の頃。毎日朝晩、朝はさ。だいたい八時半から九時になればさ、ドラム缶が鳴るだよ。ドラム缶鳴る前に、一時間、二時間くらいさ早く、おれとばあさんが交代交代でさ。朝早く一時間くらい行って、とにかく一日の仕事を午前中にやっちゃうだから。それくらいの気持ちだからよ。ドラム缶はあの橋の際にさ。一番前の川の縁にあっから、権力でも私服でも来れば、それを鳴らす。「おう、ドラム缶鳴ってっど」「おお、行かなきゃなんねえ」もう、鳴ればとにかく駆け足でみんな行くだから。億劫だと思ったことは全然ねえもんな。みんなの総力でさ、だから「中郷はいいなあ、中郷はいいなあ。気がそろっていて」なんて言われてきたわけだ。ワダの親父が先頭になってやっていたから。まだ。これが逆に成田用水になったら、ワダの親父一番中心になっていただから。今度は右にならえと同じだから。

―その当時ね、初めは座り込みとかだったと思うんだけど、機動隊が暴力をふるってきてそれに対して、本当に戦闘になるわけでしょ。楯とかそういうので来ることに対して、同盟はスクラムを組んだりとか糞尿弾やったりとか、砦にたてこもったりとか、地下壕とか、そういう歴史。実力闘争の歴史をね。引き継いで、この決戦でどのような闘いを実現したいかってことだと思うんですけど…

鈴木さん:どんな闘いどころじゃないよ、さっき言ったミサイルとか。ハハハ。おれんとこにボーリングの玉あるしさ。あの玉を利用したり。ハハハ。いわゆる実力闘争だからさ。こういうことをやったでは、昔のようなことをやったではかなわない。そういうもんじゃないと思うだよな。昔こういうことをやったということはあるということだけではしょうがねえもんな。それを何度でも繰り返し、繰り返しながらもさ。その中で勝利をつかまねばなんねえだから。勝つってことはさ。負けるじゃねえだから、勝つ心はさ。相撲の勝負とかそんなもんとは違うだけにさ。この闘いはどういう闘いだってことをさ。根本から知りぬくことができないと、どんな闘いだってできないと思うんだよな。だからこうやれば勝てるとか、そんな簡単なもんじゃないと思うんだ。

菱田砦
菱田砦
05花見会
05年花見、歌がうまかった

―答えがあるわけじゃないですよね。

鈴木さん:うん。だからこの闘いは、本当にさ。やっぱり、40年間闘ってきたとはまったく思えないような闘いをやる以外にないと思うだよな。40年間やってきたことを、ただ繰り返し繰り返しやるだけじゃ、しょうがないと思うんだよ。中身をもった、実を結ぶようなことをやらなくちゃ。だから、ここでどうしろこうしろっていう風には、なかなか行かない。たとえば東峰の森に穴掘ってやるとか、そういうことだってできねえはずはねえ。板に釘うってさ。昔は落とし穴とかつくったようだけれど、そういうのもやっていいと思うんだけどさ。われわれの考えている以上のことをさ。やれるような人間になんなくちゃ。闘うってことはさ。こういう闘いをやれば必ず勝てるとかさ。そんな闘いじゃねえと思うんだよな、こうすればいいじゃないかとかさ。強制代執行で4番地点にいた時には、竹槍で…ハハハ。尖らして、ちゃんと焼いてあっだから。割れないように。おれも元軍隊で仕込まれたからさ。こうやるもんだ、ああやるもんだ、ぞうきんを絞るようなやり方でって。みんなにも教えたよ。まあいずれにしても、今こうやって話しているけど、何だってできるんだから。持っていれば。ハハハ。自分が素手では殺されるっていうような感じだから。やんなくちゃやられっちゃうっていうことだから。誰にでもやれることだから。ちょうど軍隊に行けば、「突撃ーっ!」って号令かかったと同じだよな。それと同じような気持ちになっちゃうよな。とにかく殺さなけりゃ殺されるっていうような、そういうやっぱり感じになっちゃう。やられる時はやられるって感じだ。おれなんかここを狙っていた(のどもとをさす)。ハハハ。全部ここを狙っていただから。当たったときはここんとこにズンと来るだ。ハハハ。ああチキショー、闘えば勝てるって。4番地点はどでかい穴が横に掘ってあるわけだから。堀みたいなのがあって。野郎ら下からはい上がってきてよ。どーんと一斉に「突っ込め!」なんてやってさ。それを竹槍振り回して、一生懸命上がってくるやつらをこう、突くだから。愉快だよ。本当に。とにかくやつらを叩き殺さなければ気がすまねえことだから。おれもまだまだ今よりも若かったからな。ハハハ。本当にあれだよな。やっぱり、ここへ飛行場を作るとか何とかって言うよりな、とにかく、権力が憎くてしょうがねえだから。こいつらを全部叩き殺しても間にあわねえぐれえ。それだから、国が悪いとかそんなことはまだまださ。少し冷静になってからでねえと分からなかったけど、とにかく権力が憎かっただよな。マルキの野郎らが憎かっただ。「警視庁の鬼の4機を知らねえか。この土百姓らが」なんて、土百姓なんて言ってたからな。驚いたと言うよりも「こんちくしょう」「何言ってんだ」って思って。聞いたよ。「おめえら毎日毎日飯食ってんじゃないか」って。こっちは鬼の4機も何の4機も知んねえだからさ。

―最初の頃に、市営グラウンドで闘争があった時のことでしたっけ。

鈴木さん:ああ。野郎ら、当時は500円だったから。一人捕まえたら500円ってことだから。その頃はけっこう500円も値打ちがあっただっぺ。あの時はおれも京成の駅の方から降りてきて、どういう風に逃げてきたか、わけわかんねえだけど、途中で駐車場に出たところささ。バス停がちょいちょいとあったからさ。そこへ頭を突っ込んで逃げた人を、やつら全部袋だたきだから。めちゃくちゃだよ。

2005年、市東さんの畑の前で
反対同盟(2005年、市東さんの畑の前で)

―戸村委員長が頭をやられた時でしょ。

鈴木さん:戸村委員長は市役所の上がり口だっぺ。上がり口でやられたっていう話は聞いてっだけどさ。こっちはしばらく経ってからしか分からなかったけどさ。それから、ヘルメットがなけりゃしょうねえってことになってよ。全部ヘルメット。おれも。あの時2千円ぐらい取られただっけかな。叩かれても割れねえようなヘルメットにしただから。そっで、おれも逃げながら、前に落ってた角材をちょっと拾ってよ。こう、振り向きざま殴ったはいいけれど、野郎らにこの襟首つかまれてさ。下のグランドまで転がり落ちたことがあったよ。そういう一幕もあったけど、とにかくあの野郎、背中から真っ二つになれって思って、ぶっくらわしたはいいけどよ。ぶっくらわしたら「あいつ逮捕だ」ってこう、後ろから捕まってよ。

2005年3月、全国総決起集会
2005年3月
全国総決起集会の開会宣言をおこなう
05年援農交流集会
05年援農交流集会。熱弁をふるう

―で、何、下に転げ落ちちゃったんですか。

鈴木さん:そのうちに離しただっぺ。野郎らは。

―:ああ、それでパクられなかったんだ。

鈴木さん:その時はパクられなかったんだ。パクられたのは強制測量の時だな。最後に逃げる時に、坂志岡の土手の切ったところ、そっから逃げることになってただから。そこでおれは野郎らにひっくり返されたか何かしたからな。そっで、逮捕されたんだ。あの時は千葉の中央署に持ってかれたな。そん時だよ。あの頃は一人逮捕すると、野郎らも大体引き上げるのが多いんだよ。で、「引き上げろ」って、同盟も引き上げるところで、誰それが逮捕されたって所でもって、みんな「鈴木幸司さんがんばれー」なんて。ハハハ。こっちは我慢して文句もいわねえでいるんだ。黙秘権どころでねえ。「こんちくしょう」「こんちくしょう」と思って、言いてえこともいわねえでガマンして、名前だけは絶対に言わめえと思ってよ。そしたら「あんたがいくら黙秘しても『鈴木幸司さんがんばれがんばれ』ってみんな言ってんだから、名前ぐらい言ったらどうだ」って。本当、同盟の人たちをその時ほど恨んだことはなかったな。ハハハ。やっととにかく、おれはがマンしてるのにさ。検事の野郎は「それ見ろ」ってな感じで、「学生らはそんなことに慣れてるから、捕まるのは同盟の人ばっかしだ」って。捕まるのは同盟が多かったんだよ。その頃はな。ハハハ。その時に、やっぱりあれだな。「年寄りのいるうちはいいな」「いいな」と。やっぱり、よそのうちを見てても分かるようにさ。親らがいればいいなとか、子どもらがいればいいなとかさ。じいさんがいれば、ばあさんがいれば、おれ一人パクられたってちゃんと子どもらに飯も食わせてくれるし、いいなって。そういうのはよーく見えるわけだよな。「ああ、おれのうちだけは家族いっぱいで出ちゃうから、しょうねえだ」って思って。だからやっぱり、家族の多い家があるとかさ。あるいは、中にはさ。今日はたとえば農作業を何々やんなきゃなんねえとかさ。同盟の動員があっても行かないのもだんだんだんだん出てくるわけだよな。だから、作業の面だとかさ。同盟の出動があっても行かないやつだとかさ。差が出てくるわけだよ。どんどんどんどん。そら、すごいもんだ。特にみんなほとんど、中郷あたりもスイカを作ってたからさ。スイカの交配やったものとやんねえものとではさ。スイカの玉つきが悪いから、すぐ分かるわけだよ。「ああ、誰それはドラム缶が鳴っても出てこなかった」って。出てこなければスイカの交配をやったってことになるしさ。そういう、作業の面でもどんどんどんどん差が出てくるわけだよ。それはわれわれもさ。分かっていながらも、これを逃したら反対同盟から切られちゃうって感じが出てくるわけだよな。どんなことしても反対運動の闘いには、何をしてでも捨てていったからこそだと思うんだけどさ。で、捕まって出てきてからも、頭叩かれて入退院してる野郎らの援農に行ったりさ。おれもうちに来ても、何もかも全部、「今日はどこそこの援農だ」とかさ。「家のこともう少しやんなきゃダメだ」とか言われても、やるどこじゃねえ。そんなのもさ。見舞いに行ったり、援農に行ったりさ。

団結餅つき大会
三里塚企画恒例の団結餅つき大会にて

―オヤジさんが援農に行ってたんですか?

鈴木さん:おれが行ってただから。家のこと全部捨ててさ。全部おれが行ってたから。

―その頃まだ学生とかは援農とかには来てないんだ。

鈴木さん:あんまりいなかったな。おれが援農に行ってたそういう野郎らも、きっと残るかと思ってたんだけど、残んねえでみんな行っちゃったな。で、中郷ではワダの親父の言うことは大体みんな聞いちゃうんだよな。菱田のワダって言うとさ。菱田での地主階級だから。キュウベエでもチトセヤでもみんなそうだけどさ。「ワダの親父がなかったら家がなかっただ」「我が家がなかっただ」っていうような、感じになっちゃってるだから。だから昔の地主・小作っていうのはそうだよな。チトセヤだのキュウベエだの、全部ワダの土地を作ってただからな。それは大きいよ。地主ってのはさ。で、「おれのうちで育ったんだ」っていうことがやっぱり、ワダの親父だって親父の代からちゃんと教えられてきてるから。だからやっぱり、地主・小作の関係っていうのはすごいと思っただよ。でも、少しずつさ。この運動やってる中では、多少は違ってきたとこあるわけだよな。地主の野郎に対してもさ。少しはものを、いくらかずつ言うようになってきたって感じだと思うだよ。だからおれはいつもさ。酒飲みの座敷になるとさ。ワダの親父が大体一番先に「野郎らーっ!」て来っだから。「野郎ら、おれの言うことに間違いはねえだ」って。「おれのやってるとおりに来れば間違いはねえんだ。野郎ら」って言ったらさ。みんな「ハイそうですね」って感じになっちゃうんだ。よーし、こんなだったら飲む時にはワダの親父より先に酔っ払っちゃおうと思って。ハハハ。そっから飲み始まるだ。ワダの親父が騒ぎ立てる前にさ。「ワダの親父ーっ!」「ワダの親父ーっ!」なんて言うのはおれだけだから。

―(「ワダの親父」こと)小川総一郎とは、同級生だったんですよね。

鈴木さん:同級生であったから。「ワダの親父」なんて言ってるのはいまだにおれだけしかいねえけど。みんな「ワダの旦那」だから。今の息子なんかは「ワダの若旦那」ってこう呼ばれんだからな。まだそういうのがあんだから。菱田の一番の地主だかんな。おれも、あのくらいの家の息子になりたいなあって思ったもん。おれらは耕耘機買うたってよ。農耕に使ってる牛一匹つけてもさ。なかなか耕耘機は買えなかったから。それを野郎ら、木を一本切ればさ。2万とか3万とかになっただっぺけどさ。だから、今もやっぱり地主階級つうのは、今の資本家階級とさ。ワダの今、中谷津の上がり口の山一枚をさ。権力が使ってるけどさ。権力に売ったのもそのせいだと思うだよな。権力の使ってるあの山一枚は、野郎よっぽどになったと思うんだ。

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「軍国少年」として徴兵された時の写真

―オヤジさんがいつも言ってる天皇制の問題について話してもらえればと思うんですが…

鈴木さん:おれにすれば、やっぱり抑留生活がさ。一番やっぱり根本だな。何しろあの、抑留生活が忘れられないだよ。あのほら、天皇の野郎がさ。「10万人の日本軍隊を賠償に使ってもいい」って言ったことについてはさ。もう忘れらんねえもんな。絶対忘れねえもん。あれは。そんだから、いわゆる今で言えば、「反天皇」。「日の丸」「君が代」だとか、あのことについての、東京都の知事の野郎のあの憎らしさって言ったら、ねえもんな。おれだって、あの時期ってのはさ。「何で日本が負けたのか」って、それが業腹でな。こんなことに、この戦争によってさ。戦争って言えば必ず勝つってことしか考えてねえから。だから、どんなに苦しい戦争があってもさ。必ず日本は神風が吹くっていうことでもってさ。それで完全にごまかされちゃったよな。だから、要するに天皇のためだなんだっつうことで、とにかくおれはいつ戦死してもいいと思って、戦死すれば金鵄勲章もらえるっつうような感じだから。絶対やっぱり、忘れられねえよな。だから、あの天皇の野郎が、あれだよな。日本の軍隊の10万人を捕虜にしちゃってもいいって言ったことについてはさ。絶対忘れらんねえもんな。だから、あの天皇に、本当に凍死する人間の顔を見せてえような感じだったよな。凍死ってのは、死ぬ時にはさ。息引き取る時には「うーん」ってうなるだけだからな。あれは忘れられねえ。おれだって歩ってて「おい鈴木」って、同年の野郎にさ。埼玉の人かな。妹から手紙が来たけどさ。「どういうように(死んだか)鈴木さんは知ってるそうですけど」って。どういうような状態で死んだかってことをさ。手紙であったけど、聞かせてくれってことで、これは本当によ。そいつにさ。歩けなくなって。「鈴木ーっ、おれは歩けなくなった。頼む。後押してくれ」なんて言われて、「何言ってんだ。おれだってやっと歩いてんだ」なんつって、それがやっぱり、悔いるよな。もしも今だったら、自分がどんなに歩けなくてもさ。野郎をやっぱり押してやれば、生きて帰れたかなと思うことがあるもんな。どういう状態で、妹からどういう形で亡くなったかってことだったけど、自分の兄貴のことをさ。書いてくれって。おれ、書くこともできなかったもんな。手紙でよこしたけれども、「こういう状態で亡くなりました」ってことは、言えなかったよなあ。本当に。モンゴルのあの寒さは、すごかったよな。とにかく、足の冷たくて痛くなんのは分かっだけどよ。それだけだもんな。それで「うーん」って野郎ら死んじゃったのは、そのままうなって死んじゃうだもんな。あの最後の声なんか、もうさ。天皇の野郎に本当に聞かせてやりてえ。あいつが「賠償に使ってもいい」なんてことを言ったことがさ。その頃は「天皇」「天皇」でまだ、「天皇のため」「天皇のため」でみんないたからな。おれらの抑留中には、やっぱり、どんなことしてもみんな生きて帰ろうと思っただけど、おれだってやっぱりどんなことしてもさ。死ぬもんかってことだけでもってさ。ただ生き抜いてきたからさ。

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天神峰 市東さん宅の大看板に
自ら同盟旗を立てた幸司氏 (02年)

―直接はこのかんの農業委員会の問題などで市東さんのところに攻撃が集中してきているわけですけども、いつもオヤジさんが「用地」内も「用地」外もないって言っているそういう闘いが市東さんや萩原さんを支えていく力に…。

鈴木さん:多少なりともさ、やっぱりおれらは、「用水闘争はおれらの問題だ」「おれの問題だ」って、そういう風に思っちゃったら終わりだと思うな。菱田の方では用水全部やってさ。みんな賛成派になっちゃってさ。おれだって「用地」内と一緒にやろう一緒にやろうって言ったって、そういうものができちゃったら一つの口実を与えるようなものなんだもの。おれらも「用地」内と基本的には違わないしさ、やっぱり、たとえ一人でも、反対していくことが「敷地」内と共通の闘いをやっているんだというものをさ。見せないとな。このことについてもやっぱり、三里塚の問題は三里塚の農民の問題じゃないんだと。全国全人民の闘いとしてやれるようなことをやっていかないとさ。改憲だ改憲だって、自由に憲法変えさせちゃってるようではさ。自然にやっぱり、戦前と同じ以上なことになっちゃうんだから。それが一番おそろしいことだよな。だから小泉が単なる靖国神社に参拝することだけだと思ったら大間違いだ。小泉の言葉だけを本物にしたらおおごとだ。いま天皇が元はさ。戦争反対派であったとか何とかさ。そんなこと、戦争に反対していた昭和天皇なんてありえねえだから。だって「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」って、はっきり言っていんだから。天皇が作った文書でなくても、代書でも何でも昭和天皇という人間はさ。それを読み上げているわけだから。それを本物にしてさ。われわれも「お国のためだ」って兵隊になって、「天皇陛下のために闘う」と言わざるを得ないような教育をしちゃってきたんだから。これは恐ろしい教育だよ。権力側の攻撃の仕方っていうのは、それではっきり決まっているんだ。われわれはどんなことをしても戦争をやることができないような国にしなきゃしょうねえ。その戦争をやるかやらないか、どんなにやりたくても戦争はやることができないんだっていうような、国民の願いというものをさ。権力を倒すと同時にやっぱり、今の権力のもっている恐ろしさというものをさ。全人民の中に知らせなきゃなんねえわけだな。それには三里塚に勝つ。より他にないと思うんだけど、勝つための手段。勝つための手段は人を選ばずということがあるかもしれないが、正しい人民の運動として、われわれはどんなことをしてもこの闘いの先頭になってやる以外に、何ものもないと思うんだよな。よく大木よねに対するさ。暴力とか言うけど、やっぱりそれをやったやつが憎いものな。こいつらがあいつらと同じことをやったんだなって思えばさ。石の投げ方も違うわけだよ。ハハハ。そういう気持ちになることは簡単にはできないけどさ。それをやったやつがやっぱり憎いもの。大木よねに対するこの暴力っていうのはさ。誰が聞いたってこれは、許せないって気持ちになるんだよ。やる気でやるんじゃなくて、やらざるをえないんだよな。あの怒りっていうのはさ。

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2007年10月全国集会の開会宣言のために、鈴木幸司さんが準備した自筆の発言原稿

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