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三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
09年3月12日、福岡拘置所の看守どもは「指示した時にくつ下を脱がなかった」という言い分で東署134号さんを"虐待・虐殺の温床"「保護房」へ連行し、暴行の限りを尽くしました。胸を圧迫され窒息しそうになり、気を失った。「死ぬかと思った」と告発しています。この暴行を知った私達は全員で当局に謝罪を要求、「保護房」の撤廃を訴えました。事実のもみ消しを図り「自分の目で見てないなら憶測」「他人の事に首をつっこむな」と居直る当局に対し闘いに立ち上がり、点検拒否やハンストと考えうる限りの抗議を始めました。これを鎮圧する為に私と東署134号さんに対し「強制給食」という虐殺行為が強行されました。強制給食とは、数人がかりではがいじめにし拘束した状態で、鼻から胃に管を通し、極短時間で殺人的量の液体を注入するという拷問です。この強制給食に対し、福岡地裁で国賠訴訟の裁判が闘われています。そして福拘当局との闘いは今なお続いています。
←左図説明
(挿絵はすべて東署134号さんが訴えたものです)
@首を締め上げられ「保護房」に連行され
A「保護房」内で殴る蹴るの暴行。1名はうつ伏せにした状態で背中に馬乗りになり、後ろ手の状態で両腕をねじり上げました。このとき窒息しそうで「死ぬかと思い」ました。
Bはぎ取ったジャンパーで両腕を縛り、ズボンで両足を縛ったまま放置されました。
3・12暴行の目的は、私たちの活動によって獄中者を今まで通り扱えなくなることを防ぐための見せしめとして、そして国・権力と闘う私達の組対法裁判を軸とした闘いをつぶす為にありました。
―歴史的に虐殺をくり返してきた、「監獄の中の監獄」です。
「保護房」は監獄や精神病院―あらゆる保安施設に設置され、虐殺・虐待を出し続けています。溜まりきった汚れ、一切の生活品なし、時間の把握もできない、食事はあらかじめ粗悪にした状態で出される、カメラ・マイクによる24時間監視体制、当局による暴行の執行現場として日々用いられている保安処分と闘う「病者」「障害者」と共に、今こそ「保護房」を撤廃させよう。
ここに紹介した獄殺処遇は氷山の一角にすぎません。全国の監獄・施設で日々こうしたことがなされています。国・権力の横暴を許す訳にはいきません。こうした中で、09年8月、抗議のハンストに起ち上がった私と東署134号さんに対し、鎮圧の為の「強制給食」が強行されました。強制給食は世界中で虐殺を出し、国際的に禁止(ジュネーブ条約他)された拷問です。私達はこれに対して、国・当局に謝罪を要求し国賠提訴しました。
私達1人1人は別々のフロアー・棟に分断されています。しかし、1人1人が自分へや目の前の不当に対し、独自の闘いを闘っています。獄中者への「保護房」連行への弾劾、差別発言や嫌がらせへの追及・暴露のアジテーション、「保護房」からもどされる際のアジテーション、等々。私は強制給食を受けたからこそ、これを絶対になかったことにさせない。また屈しない旨で、毎月の数日間ハンスト抗議を続けています。そしてこうした闘いへの、周囲の獄中者の応援・激励が私達1人1人の本当に大きな支えとなっています。
暴行が行われた3月「12日」を期して、毎月一斉点検拒否が闘われています。12日を焦点に、1人1人ができる闘いを闘っています。ある者は点検の代わりに弾劾のコール、ある者はハンスト、ある者は自作プラカードの提示…。そして全国での死刑執行や3・12暴行、強制給食1ヶ年では総シュプレヒコール決起がかちとられてきました。この闘いは、1人への暴行も許さない、そして日々の獄中者への扱いを絶対に許さないと拘置所に突きつけ、そしてそうした密室暴力に打ちかつ方法を指し示してきました。「闘えば必ず勝つ」と。
獄中で行われていることは一挙手一投足の取り上げ、それに抗じる者への暴力であり、「社会を映す鑑」監獄の暴力の突出は、そうした社会づくりの先駆けです。すべての人々、労働運動や反戦運動の共通の問題として、一つの闘いとしてあります。
当局は当該の私達の出廷を理由も答えず「不許可」とし続けています。看守らは国賠の存在そのものをおし隠し、逃げ回っています。そして、医務課への抗議は「絶対にさせない」と守り固めています。福岡地裁(裁判長太田雅也)は私の出廷要求に完全無視を決め込みました。原告・当該、下手人どもを出廷させよう。このビラを読まれたすべての皆さん、私達と共に闘いましょう。