戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
明大学生会中央執行委員会委員長・副委員長の名において獄中から以下宣言する。
今日生み出されている「中執」僭称グループとは何か、そしてわれわれ学生会中執とはどこが違うのか!
「中執」僭称グループの発生は、98年5月25―26日の反共ファシスト「明大ゴスペル」による中執襲撃―権力・当局一体となった明大学生運動の暴力的破壊とその後の裁判闘争をめぐって生起した。彼らは対「明大ゴスペル」戦から逃亡し、我々の公判闘争を破壊しようとした。その彼らが現在「中執」を名乗り、あたかも中執が「明大ゴスペル」と和解・共存したかのように装っている。しかし学生会中執はファシストとは非和解である。このことをまず明らかにしておく。
98年5月25〜26日、「明大ゴスペル」を名乗る反共ファシストが「共産主義は悪魔だ」「殺してやる」「軍隊で人殺しの訓練をやってきた」と20数名で明大和泉に侵攻し、学生会中執ボックスを破壊し、鉄パイプ、金属バットで襲撃し、裏門では生協労働者を背後から襲撃し故北條千秀氏に肋骨骨折の重傷を負わせた。学生会中執がこの襲撃を粉砕するや、ファシストどもは自らの襲撃の事実を隠蔽し、権力を学内に招き入れ、闘う学友・生協労働者を国家権力に売り渡したのだ。これが5・25―26対「明大ゴスペル」戦―弾圧の真実である。
明大当局は、「明大ゴスペル」の襲撃と国家権力の弾圧を口実に革命的学生運動解体攻撃に踏み込んできた。
この攻撃に対して明大学生は総決起し6・2全学集会の闘いを頂点として「ファシスト許すな」「『明大ゴスペル』・明大当局による売り渡しを許すな」「5・26反革命弾圧を許すな」の闘いが開始された。このただ中で革命軍による10・18戦闘(国際反共ファシストの頭目金圭東せん滅戦)が炸裂した。
ところが他方、この明大学友の決起を「物理力」とし明大当局に対する「ボス交政治」のカードにしていくための方針転換がひっそりと行われていったのである。「『明大ゴスペル』を見ても何もするな」という指示のもとに闘う学生の戦闘意欲を解体し、学生の大衆的決起と物々しいバリケード作りは対当局「ボス交」のための単なるポーズとされてしまったのである。
学友諸君!「明大ゴスペル」の武装襲撃を朝鮮反革命戦争突撃―2000年天皇訪韓を前にした反共ファシストの本格的な跳りょうの開始のひとつと見、「明大ゴスペル」解体の闘いを闘いぬいてきたのではなかったのか。だからこそ我々は、獄中から檄を発してきたのだ。
ところが裁判闘争では、「『明大ゴスペル』は『白旗』をかかげた」と言いくるめようとし、公判廷における「明大ゴスペル」証人による露骨な売り渡し証言が継続されているにもかかわらず、獄中被告と傍聴団への「売り渡しの黙認―加担」が強制されるにいたった。(このことが生み出した獄中被告への極限的な重圧について彼等は一言も語ったことすらない!この重圧の中で、そしてこの重圧に乗じた権力=監獄当局による謀殺の疑いも有する、北條千秀氏の獄中での死へと至った)。2月9日には新たに2名の学友にでっち上げ売り渡しを行なっている事実や公判でも売り渡し証言を継続しているにもかかわらず、「ゴスペルに責任はない」「ゴスペルに情が移った」とファシストを擁護し、革命的団結における同志的批判をふみにじり破産に居直り続け、ついに闘う戦列からの総脱落―団結と闘いの破壊に踏み込んだのである。
このような中でわれわれ獄中被告は、怒りの決起を開始するに至ったのだ。われわれは階級裁判(司法)に一片の幻想も持ってはいない。階級裁判を粉砕し、また公判廷を国家権力―ファシスト一体となった白色テロ・弾圧の暴露の演壇とし、全学友、全人民対ファシスト戦に総決起していくことを訴える場としていくために闘いぬく。しかし彼らは「明大ゴスペル」に頭を垂れてでも「無罪をかちとる」「刑を軽くする」ために裁判闘争を闘うという。
彼等の転落と居直りは目を覆うばかりである。「『明大ゴスペル』は二流、三流のファシスト」「ファシストではない」と欺瞞し「明大ゴスペル」との対決を否定し、「明大ゴスペル」が我々を襲撃した事実を公判廷で反証することを「明大ゴスペルを売り渡すことになる」と親ファシストぶりを発揮するにいたっている。彼らは、われわれの批判に対し「真のファシストとの血戦を回避するために明大ゴスペルをファシストに祭り上げている」と批判にもならない中傷を繰り返している。「二流、三流のファシスト」相手に何もできない彼らは足元を見られ、明大ゴスペルには売り渡しを継続され、反革命革マルを明大和泉キャンパスに招き入れ蹂躙・立て看板破壊を許し、当局の自治会―大学祭破壊攻撃を助長させる結果になっている。
学生会中央執行委員会の態度は、ファシスト撃滅、反革命革マル解体・一掃である。このことを一歩も譲ってはならない。ファシストと共存するのかそれともせん滅するのか、ここが「中執」僭称グループとわれわれ学友会中執との決定的違いである。
今日の事態の性格は、日帝国家権力―政治警察、明大当局一体となった明大革命的学生運動解体攻撃を真正面から打ち破り闘いぬくか否かを巡ってでもある。明大学生運動は中執再建以来、差別糾弾闘争(部落解放闘争)、日朝連帯闘争、「障害者」解放闘争、労学連帯を闘いぬき、三里塚戦士を輩出し、天皇決戦、PKO―日帝の戦争突撃阻止の闘いを最先頭で担い抜き、数派にわたる学費値上げ阻止闘争など教育学園闘争を闘い、文字通り全国学生運動の範をなしてきた。学生のみならず戦闘的労働者、被差別大衆、人民が結集し、諸大衆運動の集会・闘いの会場としても提供し、明大を「プロレタリア解放―全人民解放の砦」として打ち固めてきた。だからこそ日帝国家権力の憎しみと攻撃を一身にうけ、これと一体となった明大当局の革命的学生運動解体攻撃の激化があったのだ。生協和田問題や「砂田差別事件」、ファシスト・「明大ゴスペル」による武装襲撃をも口実とした革命的学生運動解体攻撃は、明大当局の攻撃であると同時に、これまで明大学生運動が蓄積してきた闘いの地平を問うものとしてあった。
これを正面突破しさらなる飛躍をかけ明大を「全人民解放の砦」として打ち固めていくのか、それとも一切を自治会(自治会費)防衛に切り縮め発展と飛躍の道を閉ざすのか、をめぐって今日の事態は生起した。前者がわれわれの立場であり、後者が「中執」僭称グループの立場である。
「中執」僭称グループは、生協和田問題では、資本による労働者支配の手段である「解雇権」行使を是認し、今日にいたっては「悪質職制の首を切れと資本に要求してどこが悪いのか」と前代未聞の反労働者的言辞を吐いている。また、砂田問題では、差別糾弾闘争の発展ではなく「対当局交渉の圧力」に落とし込めてきた。ファシスト的な差別主義・排外主義をもって部落差別落書きを続発させた砂田に対して、明大学友による砂田告発があったにもかかわらず、大衆的実力糾弾闘争としての発展の道を閉ざし、一片の「反省文」で「ケリ」をつけたということに凝縮されている。自ら路線転換と脱落をはっきりと刻印したのだ。
これらの事態に対し、われわれも少なからず容認・加担してきたことを痛苦に自己批判し、新たな闘いに決起することを全学友の前に明らかにする。
「中執」を僭称する脱落・転向グループが、いかに中執のスローガンをひょう窃しようとも、彼らの反階級性、親ファシスト性は、闘う労働者人民なら誰でも簡単に見抜いてしまうことだろう。
我々は反共ファシスト宗団「明大ゴスペル」の襲撃を粉砕し、売り渡し弾圧を獄中にあって完黙・非転向で闘いぬき、ファシストどもへの報復の怒りを倍加させながら、階級裁判粉砕闘争を闘いぬく。
反革命戦争とファシズムに対決し、死闘決起する全世界プロレタリア人民と結合し、闘うすべての明大学友の先頭に立つ、これが我々の確信である。
革マル・ファシストの敵対を粉砕し、また売り渡しを実行し継続する明大当局による革命的学生運動(拠点)破壊攻撃を粉砕し、国家権力の反革命弾圧を粉砕すること、これが我々明大学生会中執のゆるぎない闘いの指針である。
われわれの闘いは、三里塚芝山連合空港反対同盟諸氏をはじめ闘う諸人氏、獄中不屈非妥協に闘う北条秀輝氏、獄中戦士たち、三里塚現地行動隊、沖縄現闘団をはじめとする戦闘的革命的労働者・学生・人民の闘いを共有している。そのことは6・13安保粉砕・政府打倒闘争(芝公園)の大爆発で証明されている。
我々の闘いの対極に階級闘争の原則をことごとく投げ捨て、明大学生運動の地平を「カネとボス交政治」で破壊し、現在も権力・当局に屈服して革マル、ファシストとの恥ずべき「和解・共存」路線をひた走る脱落・転向グループが学生会中執内から生み出された。われわれはこの事が、ファシストに学園侵攻の条件を与え、反革命革マルの和泉蹂躙を許し、明大当局による自治会・サークル・大学祭運動破壊攻撃を助長させてしまったことを全明大生の前に真摯に自己批判するとともに、内部から生み出した責任をとりきり、「中執」僭称グループを速やかに解体し、闘う学生会中執と革命的学生運動の再構築の闘いに決起することを明らかにする。
獄中・獄外をつらぬいて革命的学生運動を担う学友たちは、すでに脱落・転向グループ(=「中執」僭称グループ)解体の熾烈な闘いに決起し、勝利への進撃を開始した。我々は学生会中執委員長・副委員長の責務を全うし、この闘いの先頭に立つ。さし迫る反革命戦争とファシズムと対決し、プロレタリア解放―全人民解放に向かう革命的学生運動に合流し、われわれと共に勇躍決起することをすべての明治大学の学友に訴える。
「中執」僭称グループとは、革命党から脱落・逃亡し革命党・軍破壊に手を染めた反解放派破壊グループと行動を共にする者たちである。ミニ・スターリン主義サークル集団・木元グループに家父長的・宗教的・奴隷的に従属する彼らに未来はない。彼らには労働者が資本との闘いをとおして階級として形成されることも、「革命は…打倒する階級が革命においてはじめてすべての古い身の汚れをぬぐい落として、社会の新しい基礎をつくる力を身に付けるところへ達しうるからこそ必要である」(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)ことも理解できない。彼らは、労働者階級人民・学生の〈闘いを通した革命的成長〉を見ることができないゆえに、小ブル的絶望とニヒリズムに浸り、自らの組織能力の欠如を大衆の現状を引き合いに出すことで正当化し、運動や闘いは常に私的利害のための「物理力」=「対当局交渉の取引」に利用し、に利用し、事実からさえ目をそらし(明大ゴスペルの売り渡しの継続すら見えない)、同志的団結も知らぬがゆえに自らをも欺瞞する。思想が枯渇しているがゆえに、闘いは自分たちがつくるという当たり前のことすら忘れ、「絶対神」(木元)の指示を待ち、運動をおこなえば「手打ち」のためのセレモニーとなり、組織観は命令・屈服・服従である。そんな彼らにできることは学生大衆に尊大に振る舞うことぐらいしか残っていない。
彼らは、「拠点はカネだ」と公言してはばからず、「非公認化はやめてくれ」と当局に泣き付き、明大における一切を対当局交渉に切り縮めてきた輩である。明大ゴスペル公判では「『明大ゴスペル』にヤジを飛ばすな」「弁護士を解任しなければ実刑になるぞ」と権力が泣いて喜ぶ言辞を吐き、原則をつらぬき闘いぬくわれわれ獄中被告に「反革命」の悪ばを投げ付け、ついにわれわれを〈己の権力への助命嘆願のための生け贄〉よろしく差し出し、逃亡したのだ。
破産に破産を重ねる彼らは、5・26裁判弁護士襲撃におよび、これに「抗議声明」を発した弁護士に「襲撃とはなんだ、襲撃とは頭をぶち割ることをいうんだ」と叫び、引き連れてきた公安デカの前で再度暴行を加えた。三里塚現闘を襲撃し権力の三里塚闘争弾圧の口実を提供し、闘う「障害者」へのテロ・虐殺を宣言し、革マルを和泉キャンパスに招き入れて看板破壊などの蹂躙を許すなど転落の極みである。
今やわれわれの善意に満ちた忠告が役割を果たす時は終わった。「中執」僭称グループ解体へと猛然と決起する時だ。われわれは「中執」僭称グループ解体の闘いの最前線に立つ。
われわれの進撃を阻むものは、権力・革マル・ファシスト、明大当局を問わず、倍加する報復が炸裂することを心せよ。「中執」僭称グループとの「ボス交(密約)」が継続されるならば、「中執」僭称グループへの協力・加担が継続されるならば、明大は大衆的怒りの炎にさらされなければならないであろう。
7月2日、出勤途上にあった生協労働者・長田佳比古氏が、反解放派破壊グループにより虐殺された。頭部のみに打撃を集中した虐殺のための虐殺である。長田氏は、わが明大学生運動の先達であり、幾多の歴戦の戦士であり、またわが獄中被告防衛のために日夜粉骨砕身の闘いの最中であった。長田氏虐殺の下手人、手引者、同調者への報復戦に起ち上がることを宣言する
最後に「中執」僭称グループに肩寄せ合う学生諸君に告ぐ。
諸君らはただちに自己批判し決然と革命的学生運動の旗の下に結集せよ! 自己批判を闘いぬく勇気ある者こそが革命的学生運動の輝かしい試練を担いうるのであり、当然にもわれわれはかかる部分の闘いに対しては真摯に応える用意がある。逆に引き続き居直りと破壊を己の存在理由とする者には、恥ずべき「生」の果てに倒されていく他はない。
そしてすべての明治大学の学友諸君!
ミニ・スターリン主義と家父長的「紐帯」を震源とし、「カネとボス交政治」の物理力化―引き回しを「運動」とし、上意下達式の学生・サークルの引き回しによって無内容化・空洞化させられてしまった今日の明大学生運動の負の現状を自ら突破し、クラス・サークルから生き生きとした論議を闘わせ、もってあらゆる差別と対決し、「学園の兵営」化―「天皇の大学」化と対決する内実を豊かに育む回路を持った明大革命的学生運動の再構築の闘いに一人一人の学友が立ち上がろう。
明大学生会中央執行委員会委員長・副委員長は獄中完黙―非転向闘争の闘いをひっさげ、自らの責務にかけて全明大学友の最先頭に立つ決意である。
7・18宇都宮病院糾弾闘争に決起しよう。
7―8月第8次ゴラン高原出兵阻止に決起しよう。
明大から「有事立法」―戦争突撃粉砕に決起しよう。
全学連大会に総結集せよ。
共に闘おう。