戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
村本 俊一
11・14反革命テロの口実は木元自身によって「機関紙」「声明」などにおける虐殺扇動として展開されている。
その特徴は、解放派による明大学生運動の革命的再編・再生への闘いを破壊するために、これを推進する戦士を虐殺するというものである。
政治内容上の核心は、「ゴスペルの責任者=姜章植(カン・ジャンシュク)はファシストではない、韓国安企部のスパイではない」「ゴスペルはファシストではない」として、ファシストや日韓の治安機関を防衛するものであり、前代未聞の「ファシスト・スパイを擁護するためのテロ」が凶行されたのだ。いまや、彼らはファシスト=「ゴスペル」や韓国安企部の利害を代弁することを通して自己の利害を発現する集団に転落した。
次に、「一切の制限を取り払い」「軍事的殲滅戦を機軸とする闘い」という主張を繰り返し扇動した上での虐殺ということである。この無規定な概念を使うことを通して彼らが主張していることは、これまでの解放派の原則に制約されず、「小ブル的自由」を「無制限・無制約」に手に入れ、小ブル集団を生き長らえさせるためのテロをおこなうということである。
プロレタリアの闘いは、ブルジョア国家権力を打倒し、ソビエト権力を実現していくためにその内容に即した方策・手段をとるものとなる。したがって、この原則に「制約されている」ともいいうるし、また、この原則の範囲では「無制限・無制約」といいうるものである。まさに、労働者階級の普遍的共同利害の実現という大原則にそった階級的方法・手段を明らかにしているものにとっては、「無制限・無制約」などという規定は戦略上・思想上の意味をなさない。
ミニスターリン主義集団は党的団結の思想闘争による変革という党内論争・闘争をめぐる原則を破壊したと同様に、党派闘争概念も革マルと同レベルかそれ以下的理解しかできていない。
党派闘争において、対象との闘い・対象の解体を通して自らの側に打ち立てるものが皆無なのである。つまり、彼らは闘争を通して止揚すべき内容を自らに問うことがまったくない。
ミニスターリン主義集団は、7・2同志滝沢虐殺―11・14同志森田虐殺という反革命(的)行為を継続することを通して、反革命行為の継続を必然とする政治グループへと転落した。
彼らはこれらのテロ・解放派戦士の虐殺を連続的に凶行することで、自己を小ブルテロリズム集団として再生産するサイクルを形成しつつある。
すなわち、反帝闘争の格闘を喪失し、革命的戦闘的運動・組織を白色テロで破壊することを存在目的とする集団が形成されつつあるのだ。
すくなくとも、69―70安保決戦以降、三里塚や全障連・救援戦線をはじめとする戦闘的闘争を敵にまわして破壊活動を繰り返してきたのは革マルのみである。山田らはこの革マルと同じ世界にすでに足を踏み入れている。
この反革命テロ行使のみを「独自性」として、これを軸としてミニスターリン主義の「体系」が形成されようとしている。
どんなに無内容であっても、政治グループはそれが依拠する階級・階層の利害を反映して「イデオロギー」をもつものである。ミニスターリン主義集団は、綱領的には破産し、総括も戦略基調も打ち出せないにもかかわらず、反革命テロにだけはのめりこめる。この秘密はなにか。
彼らは、他者の死を自己の小ブル的生のエネルギーとする「死の体系」(同志中原が70年代前期に提起したもの)というべきものをもっている。
この階級的背景にあるものは次の点である。彼らは、小ブル的体制内的個とその再生産のための諸関係を防衛するために、プロレタリア的な解体的再編をせまる解放派を破壊することを延命の道としている。
問題はこれを支えるエネルギーとイデオロギーである。
ここには左翼からの転向・転落にともなう、他の小ブル以上のプロレタリアへの深い絶望が存在している。これは彼らにおいては、ニヒリズムの浸透とともに、絶望一般をこえたプロレタリア(革命)の憎悪として広がっている。これは解放派への憎悪と破壊の根拠となっていく。こうした、階級的政治的背景をもちつつ、彼らの暴力や軍事は存在する。これをめぐる特徴は、死に神秘的意味をもたせる小ブル的生死観とこれを基底とした小ブルテロリズムである。
彼らは支配・隷属からの解放のために生きんがために、死を賭して闘うことを否定する。同志中原が提起した死は生の凝縮された結果であるという思想に真っ向から敵対する。山田の"死期が近づけば人間は乱調化する"という"テーゼ"は問題を解く核心をなすものである。このテーゼは"他者が死期が近づき乱調化した"という「批判ならざる批判」のために使われたものであるが、これは実は人間存在一般に適用されるものであり、また、自己自身の心情を告白したものに他ならない。山田の小ブル思想は死の前には、一切が沈黙させられる。死は絶対的恐怖となり、死は神秘化される。山田は自己のイデオロギーが「死期が近づけば乱調化する」という小ブルの弱々しい「命あってのものだね」論程度にすぎないことを表明するとともに、同時に、自己自身がそのようにふるまうことを告白しているのである。
こうして、己れが死に絶対的恐怖を抱くことによって、己れの恐怖の裏返しとして「他者の絶対的恐怖」も死にあることになる。
転落し、競争と分断に屈しこれを自己の喜びとするにいたった小ブルたちは、自己の小ブル的生のために他者をけおとす関係をつくり、他者に関わる。こうして、他人との共同の形成を通して、諸個人が発展していく運動からずりおち、ニヒリズムを蔓延させ、分断された小ブルは他者の死を己れの力と錯認する「疎外された共同性」=宗教的組織をつくるのである。もはやブルジョアにたちむかうことのなくなった小ブル的生のために、「他者に死を強制する」ことに「支配力」を感じ、これを自己目的化していく。
このイデオロギーはブルジョアや官僚的軍事的統治機構の構成員の「他人の死を自己のエネルギー」とするイデオロギーと共通するものである。
ミニスターリン主義集団の組織構造は、ブルジョア社会に屈服した競争・分断、差別・分断を前提とした位階制を変形させたものにすぎず、山田を頂点とし、構成員はこれに従属するというものである。
ミニスターリン主義集団の「家父長」=山田の手法はブルジョア社会の論理において、構成員の「弱み」を掌握し、これによって他者を恫喝し屈服を強制し、自己への従属化をはかる。このために左翼の思想闘争・マルクス主義の論争とは程遠いブルジョア的「ディベート」がくりかえされ、山田への屈服を迫り続ける。
さらに、ミニスターリン主義集団の内部に頂点・「無謬な山田」(?)の対極に「内部の敵」=打撃の集中人格をつくり、全体がこれをたたくことによって「団結」が固まるという構造をもつ。
また、この内部の「家父長的支配」が揺らいだときは、新たな対外的緊張に問題の解決がすり替えられる。
こうして対外関係を通して、排他的共同関係をつくり、これを実感するのである。この組織性を背景として、「無謬な山田」(?)は嘘と情報操作を常態化させる。また、諸個人は思想や戦略を問題にしてはならず、素朴実践主義がはばをきかせ、マルクス主義思想を学習することさえも素朴実践主義の敵とされ、政治内容は極度に空洞化させられる。ブルジョア社会への憎悪さえなく、ブルジョア国家を打ち倒すエネルギーも展望も消え失せ、ニヒリズムが構成員を覆いつくす。
しかし、分断され不安に慄く小ブル的個は自己を再生産する。この再生産の前提をなす諸関係を防衛するために、〈競争と分断〉〈差別と分断〉〈階級支配の論理〉に屈服し、自己を脅かす他者に攻撃を加える。これは「死の体系」をもった「他者の死」に自己の小ブル的生のエネルギーを見いだすものとなってあらわれる。こうして、小ブルテロリズムを確信とする新たな宗派的集団が現われたのである。
これを背景として、プロレタリア的階級性を蒸発させた技術主義的小ブル軍事が絶対化されるのである。
彼らの小ブル軍事は敵のせん滅・戦闘力の解体のむこうにソビエト=コミューン権力を打ち立てるというプロレタリア的階級性にもとづく軍事を否定・破壊し、完全にブルジョア的軍事技術物神におちいったものであり、超階級的な物理的力としての「軍事」が問題にされているにすぎない。
彼らは三里塚への敵対をはじめ反帝闘争の格闘を決定的に希薄化させ、宗教性を有したテロリズム集団化している。このようなグループの解体戦は反帝闘争の階級的革命的前進を基礎にしつつも、相対的独自の解体戦をそれとして強力に展開してこそ、勝利しうるものとなる。
すなわち、われわれは、ミニスターリン主義集団との闘いを「党内闘争」の決着をかけた「党派闘争」(党派闘争そのものへ転化しつつあるが)として、党・潮流として組織的系統性・計画性をもって推進しぬくということである。
とりわけ、7・2―11・14報復戦の貫徹はこの絶対的基軸である。これを軸に、反革命テロに対する全党・全潮流・全人民的防衛・迎撃戦を強化しつつ、プロレタリア的階級性を凝縮する暴力的軍事的闘争に集中し、「党派闘争」に勝利していくことである。
また、「死の体系」を背後にもった小ブルテロリズム集団に対する闘争は、彼らのテロのために強化された組織性を粉砕するプロレタリア的階級性に基礎をおく、より強力な組織性の確立が不可欠である。この実践化・現実化がなければ、一切は壮大な無となる。小ブルの組織性をこえる階級的党活動・生活を確立し、共産主義的労働者党建設の飛躍を闘いとろう。
コミューンの前提は労働者階級の武装にある。労働者階級は武装し、はじめて自由にふるまえることを肝に銘じよ。
いざ武装し、11・14報復へ。