党・ソヴィエト・武装蜂起 第U部
―第T章―
「物神」(性、人種、民族、貨幣)と
「神」の解明
= 目 次 =
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問題の提起
第T部でみてきたような階級闘争の深化は、プロレタリア革命運動−共産主義運動に、人間社会の奥底の問題をも一つ一つ、「これを解決してみよ」という形でつき出す。プロレタリア革命が一切の矛盾の解決、止揚であるならば、それに答えていかねばならない。そういうものの一つに「物神」と「神」の問題がある。「物神」という言葉は、マルクスが『資本論』の中でよく使っているものである。マルクスがこの言葉を使ったのは、非常に早い時期であるが−『資本論』の中でマルクスは「物神」という言葉を次のような意味で使っている。「社会関係の物化」つまり、社会関係がその物の自然的性質から生まれているかのように現象するということである。
われわれは「物神」という問題をこのように理解するとき、それは「貨幣」に限らず、種々の問題についてそのように理解することができる。そしてそれは、現在、われわれが直面している多くの問題の中に共通に浮び上っているものではないかと考える。それは、階級社会の支配構造の問題の解明としても、人間の認識の問題としても、われわれが根本的に解明し尽さねばならぬものだと考える。
もちろん「物神」ということにしても、「貨幣」について語る時は、「民族」について語るときとは一定の差異はある。しかし奥深い所では、それは一つの問題に結びついていると考える。ここでは、こうした「物神」と「神」の問題を認識主体の構造も含めて、一定の解明を試みてみようと考える。更にそれを通して性差別、民族差別、人種差別の問題を解明してみようと考える。もちろん<差別>という問題においては、いろいろなものをゴチャマゼにすることはできないものであり、そうすることは誤りにおち込むことになる。従って、ここではあくまでも「性」「民族」「人種」という、あたかも「自然」が人間の差別の原因であるかのように現象する問題に焦点を当てた解明を行なう。
つまり、ここでは人間の社会的な問題が、どうして「自然」的なもののように現われてくるかという問題についての接近である。そしてそれを通して、『資本論』の中に述べられている「貨幣−物神」についても一定の解明を行なってみたいと考える。その解明の順序は次の通りである。
第一章 共同体の歴史的展開についての要約
第二章 物神(性、人種、民族、貨幣)の構造
第三章 神と物神の産出構造
ここで共同体の歴史的な展開、流れについて若干の要約を行なうのは、後でみるような民族や人種間題にとっての欠くことのできない基礎だからである。もちろん、ここで共同体の歴史についての全面展開を行なうことが目的なのではないので、今みた問題の解明について必要な限りでみることにする。共同体の歴史(社会の歴史)は、ほぼ次のように整理されている。「アジア的生産様式の社会」→「古典古代的(又はギリシャ、ローマ的)生産様式の社会」→「ゲルマン的生産様式の社会」。
これは、一切の階級社会の前に存在した「原始共産制」と「資本制生産様式の社会」を除いたものである。この整理は、主にマルクスの『資本制生産様式に先行する諸形態』の中で、行なわれている。ここで注意しておかねばならないのは「アジア的生産様式」とか、「ゲルマン的生産様式」とかいうのは、あくまでも歴史的に「典型」として、扱いうる社会の名前を使ったものであって、アジア的生産様式の社会はアジアに限ったことではないし、ゲルマン的生産様式も同じである。現在までの研究では、アジアでもヨーロッパでも、ほぼ以上のような発展をくぐってきているとされている。もちろん一つの地域における歴史が、きれいにこのまま順序立っているというものではないが−。
いうまでもなく、「アジア的生産様式」から「資本主義社会」迄は分業社会、階級社会である(もちろん歴史をみるにしてもいろいろな見方があって、同じ階級社会でも「アジア的生産様式」から「ゲルマン的生産様式」は、土地所有を基礎とした「共同体」(「共同態」)社会であって、資本主義社会は共同体の解体された社会であるという見方もできる)や つまり、「図式化」してみれば次のようなことになる。「原始共産制」−「アジア的生産様式」−「古典古代的(ギリシャ、ロ−マ的)生産様式」−「ゲルマン的生産様式」−「資本制生産様式」−「共産主義社会」(これは「過渡期社会」=「プロレタリア独裁」「社会主義社会」「共産主義社会」の三段階に分かれている)。そして「アジア的生産様式」から「資本制生産様式」迄が階級社会である。もちろん「プロレタリア独裁」は決して「無階級社会」ではなく「過渡期」であるが、ここでは一応このようにしておいてさしつかえあるまい。
さてわれわれは、「生産力の発展」−「分業の発生」−「階級の発生」という問題を要約的にみてみよう。すでに歴史の実証を通して明らかになっているように、ブルジョア的個人(私人)は人間の永遠の姿ではない。人間の在り方自体が歴史の中で変ってきたのだ。
<原始共産制>においては、「群」として生活していた人類には、そのそれぞれの群の中で、個人と群の区別の意識は成立していなかった。いわば個人は、群そのものに直接埋没していたのであり、その意味で個人と群とは直接に同一であったのだ。だが、生産力の発展は次第に個々人のエネルギーを共同体、群から自立して発揮させるようになり、僅かながら分業が始まっていく。こうして、アジア的生産様式の社会が生まれていく。
<アジア的生産様式>これは、原始共産制から分業社会、階級社会が発生しつつある状態である。ここにおいては、種族的共同体の中から漸く分業が始まり、「個人」が発生しかかっている。「更に又、種族団体内部の共同性はむしろ統一体が種族的家族の一人の首長に代表されるか、又は家父長たち相互の関係として<代表される>というように現われることもある。そこでそれに従って、この共同体の形態はより専制的であるかより民主的であるかのどちらかになる。労働により現実に領有することの共同体的諸条件、すなわちアジアの諸民族の場合に極めて重要であった用水路、交通手段等は、この場合上位の統一体、すなわち小さな諸共同体の上にうかぶ専制政府の事業として現われる」(マルクス『資本制生産様式に先行する諸形態』)
従って、個々の人間は事実上無所有であり、剰余生産物はこの最高統一体に属する。このアジア的生産様式の社会は、世界史上いずれの地域にもみられる「農業共同体」の第一段階である。このアジア的生産様式の中では、個人は共同体に対立して自立はしていないが、しかし種族的血縁編成を突き破る芽は「ヘレディウム」(宅地及び庭畑地の私有)の成立としてすでに生まれつつある。
アジア的生産様式の社会はすぐれて血縁を基礎とした種族共同体である。そしてその中に、村落や家族等の従属的共同体がある。家父長的家族共同体は、原始共産制社会における単なる原始的な血縁共同体に比較すれば一層発展しており、種族共同体の内部構造も、種族の形にまで拡大した家族、相互の婚姻によって結ばれた一連の家族、というような家父長制大家族(又は同族国)が、結びついたような形となっている。この社会における「個人」の発展の未熟さは、共同体の成員に対する共同体の圧倒的な強さとなって現われる。これは、アジア的生産様式の社会における所謂「一般的奴隷制」展開の起点ともなる。
<古典古代的生産様式>ギリシャ、ロ−マ的生産様式というふうに表現することもある。共同体の発展からいえば、アジア的生産様式のより一歩進んだ形のものである。つまり共同体からの個人の自立、又は私的所有の形成がより進んだものである。
「第二の形態は、土地をその基礎とするのではなくて、農耕者(土地所有者)の既成の定住地としての都市を想定している。農耕地は、都市の領域として現われるのであって、村落が単なる土地の付属物として現われるのではない。…だから戦争は、それが生存の客観的諸条件を占取するためであろうと、その占取を維持し、永久化するためであろうと、必要にして重大な任務であり、重大な共同作業である。だから、諸家族からなっている共同体は、さしあたり軍事的に編成されている。…共同体所有は−国有財産、公有地として−ここでは、私的所有から分離している。個々人の所有はここでは、第一の場合のようにそれ自身直接に共同体所有であるという訳ではない。つまり、直接の共同体所有では、共同体から分離された個人の所有はなく、むしろ個人はその占有者であるにすぎない。…共同体は−国家として−一方では、この自由平等な私的所有相互の関係であり、外部に対する彼等の結合であり、また彼等の保障である」(マルクス、前掲書)
この古典古代的生産様式の典型として知られているのは、古代ギリシャ、ローマである。これは農業共同体の一発展形態であり、それが集住を通して、つまり諸種族の連合を土台として集中によって「都市」の形成へと進んだのである。古い種族共同体の外観と名ごりを残しながらも、すでに生産力の発展、私的所有の形成により血縁的共同体は著しく弛み、一層大規模な「共同体」の形成、つまり種族間の連合が形成されていった。この共同体は、先程みたような軍事編成による「戦士共同体」という形になっていた。この古典古代的生産様式は、アジア的生産様式に比較して、はるかに高度な社会的分業が成立していた。つまり、共同体内の分業の発展が、血縁的規制を一層弛めていったのである。
この中で「家族」の構造も変化しており、例えばローマの家族形態は、旧い血縁関係が著しく弛み、基本的には「小家族制」(=単婚家族)に移行しつつあり、残存する「氏族制」又は「大家族制」(=同族組織)も消失しつつあった。これは私的所有の別の現われであり、従って「家父」の権力は強力になり、ローマの初期には、その妻子に対しても奴隷と同じように生殺与奪の権利をもっていた。ローマ人の家族は狭義の「家族」のみならず、広く奴隷をも含んでいた。こうして、古典古代に独自な「奴隷制経営」(ローマのラティフンディウムやギリシャのエリガステリオン)が展開されたのである。
<ゲルマン的生産様式>「ゲルマン人の場合は、よしんばその即自的に存在する統一が血統、言語、共通の過去と歴史等にあるとしても、外見しただけでわかるように、共同体成員のその時の連合によってのみ存在するにすぎない。従って、共同体は連合体ではなく、連合として現われ、統一体ではなく、土地所有者からなる自立的主体の連合として現われる。だから共同体は、古代人の場合のように国家、国家組織としては、事実上存在しない。なぜなら共同体が、都市として存在しないからである。共同体が現実に存在するためには、自由な土地所有者が集会を開かねばならないが、例えばローマの共同体は、これ等の集会の外に、都市自体という定在と、その都市におかれている官吏等という定在の中に存在している。…公有地は、ゲルマン人の場合には、むしろ個人的所有の補充としてのみ現われ、そして、敵対諸種族に対してその公有地のかたちをとるにすぎない。個々人の所有は、共同体によって媒介されたものとしては現われない。むしろ共同体と共同体所有という定在こそ、媒介されたものとして、すなわち自立の諸主体相互の関係として現われる。経済的全体は、基本的には、各個人の家の中にあり、この家が対自的に一個の自立的な生産の中心となっている(工業は、全く婦人の家内職業として現われる)」(マルクス、前掲書)
こういう構造を基本としつつ、従って家族のあり方についても、古典古代のそれよりも変化を生んでいる。「家長権」の家族に対する支配力が、ローマのそれに比較して不徹底となっており、又、家長の保護の権力、保護の義務も伴ってきている。従って家族の各成員は家長権に服しつつ、古典古代の場合と異なって、身分上も財産上も家長に対して一定の相対的独立をもつようになっている。同じように奴隷、「家父長制奴隷」も又、「家長権」の支配から、身分上も財産の私的占取についても一定の相対的に独立した地位を与えられていた。こうして「農奴」が成立していく(以上、全体の流れについては大塚久雄『共同体の基礎理論』を参考にした)。
要点のみをみてきたが、原始共産制社会からゲルマン的生産様式まで(要するに資本制生産様式に先行する諸形態)は、「群と個」=「共同体と個人」の直接的「統一(前者への後者の埋没)」から、生産力の発展を通して個人の活動が発達し、分業(=私的所有)が形成されてくる過程である。これは、「個別的存在の総体としての類約存在」である人間が、自然と人間の矛盾を原点として、社会を発展させていく弁証法的過程である。原始的共産制においては血縁を中心とした社会であり、それから分業の発展を通して「個人」が形成されてくる(私人と個人の区別は厳密に立てていかねばならないが、ここでは「私的所有者」=「私人」及びその萌芽形態をふくむ意味で「個人」という言葉を使っておく)。この過程は、精神労働と肉体労働の分業の形成、発展を内包しており、また私的所有者と、それを失った奴隷との階級分化の過程でもある。
(1)共同体の史的展開と性
@歴史的展開
第一章にみてきた問題の上に立って、われわれは目的に近づくために、人間と自然(なかんづく人間の中の自然)の問題が、この共同体の歴史的展開の中でどのような過程をくぐっているのかを要点的にみてみよう。いうまでもなく、性、人種、民族、「金」等はそれ自体が物神なのではない。分業社会の中で、これらが「物神」となっていくのだ。その「物神」としての現われ方は、「性差別」であり「人種主義」であり「民族主義」であり、「貨幣万能」のブルジョア社会の生活である。
その第一として「性」の問題をみてみよう。「性」が歴史的にどのような展開を行なってきたかは、エンゲルスの『家族、私有財産及び国家の起源』にすぐれた整理がある。マルクス、エンゲルスが使ったモルガンの研究に対して、異なった資料からの批判も存在しないことはないが、われわれは共同体の歴史的展開を含んで考えれば、ほぼエンゲルスのものを前提にして良いと考える。
エンゲルスの展開は次のようになっている。原始共産制から階級社会の成立の歴史は、同時に人間の生活の変遷、家族の変遷の過程であり、同時に、女性と男性の闘いの歴史でもあった。
<群婚> 初期の群社会の中では、人間の性的生活も群婚形態であった。これはつぎのような形で成立していったという。人間が動物状態を抜け出すためには、個体に欠けている防禦力を移動群の結合した力と共同性で補うことである。この比較的大きな永続的な群の形成のための第一条件は、成熟した雄が嫉妬から解放される方策を、この中から引き出すことであった。それは群婚である。群の男全体と女全体が相互を所有しあって、嫉妬の余地を残さないという形である。動物的であるということは、群婚的であることを必ずしも意味しない。哺乳類の中での知能の発展と性交の形態には、必ずしも一致がみられない。無規律なもの、群婚、一夫多妻制、一夫一婦制のあらゆる形がそこにみられる。エンゲルスのこれらの整理のように、たしかに「個人」が成立していない以上、群婚は自然な形態であったろう。しかもそれは、単に自然な形態であった以上に、それが一つの生活様式として打ち固められていくことによって、人類は発展できたのだろう。いうまでもなく、近親相姦の観念などということはなく、親子、兄弟は、原始時代では夫と妻であった。これは、今日でも若干の民族の中に残っている。又、こういう群婚形態の中でも、一定の期間を限った個別的対偶関係はあったといわれている。
<血縁家族> エンゲルスは原始社会の群婚形態から、まず初期に血縁家族が成立していったという。これは家族の第一段階でもある。ここでは、婚姻群が世代によって区別されている。家族の範囲内のすべての祖父と祖母は相互に夫婦であり、それぞれの世代はこういう形になる。この家族形態で婚姻から排除されているのは、祖父と子孫、親と子だけである。兄弟、姉妹を含めて、同世代は相互に皆夫婦であった。
<プナルア家族> 第一の段階が親子の問の性的関係の排除であったとすれば、第二の段階では、兄弟と姉妹を性的関係から排除する。ここでは、親子の関係は母方を通してしかわからないので、同じ母から生まれた兄弟姉妹の関係が排除され、これが傍系の兄弟姉妹にまで発展していったという。近親生殖を制限された諸種族は、そうでない種族よりも急速に発展した。この中で自然淘汰の原理が働いた、とエンゲルスはいう。こうして、この中から氏族制度が発達してくる。ハワイの慣習の中では、或る数の肉親又は遠縁の姉妹たちが、彼女らの共同体の夫たちの妻であるが、彼女らの同じ母から生まれた兄弟達は、この共同の夫からは排除されている。同様に或る数の肉親又は遠縁の兄弟たちに対して、彼らの同じ母から生まれた姉妹たちは、この共同の妻としては、排除されている。これらの夫(妻)たちは、互を兄弟(姉妹)とは呼ばない。彼らはプナルアと呼び合っていた。それは親しい仲間という意味で、いわば組合員というような意味である。つまり一定の家族圏内で夫たちと妻たちは相互に共有し合っているが、その家族圏の中では肉親の兄弟たちが、後には遠縁の兄弟たちも排除されていく。従って逆に、夫たちの姉妹も排除されていく。エンゲルスはこういう展開の中で、氏族という制度は殆んどプナルア家族から直接出発した、といっている。すでにみてきたが、群婚の社会である限り血縁がはっきりしているのは母方でしかない。従って女系だけが確認されていく。
「一組の肉親および血縁の(すなわち肉親の姉妹たちの血統をひく第一次、第二次又はさらに遠い序次の)姉妹たちを彼女らの子供、および彼女らの母方の肉親または遠縁の兄弟たち(われわれの前提によれば彼らは彼女たちの夫ではない)といっしょにとりだすならば、まさしく後に氏族制度の原始形態において、一民族の成員としてあらわれてくる人間の範囲があらわれる。彼らはみな一人の共通の族祖母をもっており、この族祖母の血統をひいているからこそ、その子孫中の女性は、世代ごとに姉妹である。しかし、これらの姉妹たちの夫たちは、もはや彼女らの兄弟ではありえず、従って後の氏族たるこの血縁群には属さない。しかし、彼らの子たちはこの群に属する。なぜならばひとり母方による血統だけが確実であるから、ひとりそれだけが決定的だからである。もっとも遠い傍系親族迄も含めて、母方の兄弟姉妹の間の性交が禁止され確立されるや否や、上述の群は、また一つの氏族に転化した訳である。すなわち、たがいに通婚を許されない女系血縁者たちの一つの固定的な圏として構成された訳である。そしてこの時以降、それは、その他の諸氏族から区別されていく」(エンゲルス『家族、私有財産及び国家の起源』)
<対偶家族> 長短まちまちの期間を限っての一定の対偶関係は、群婚形態の中にも現われたといわれる。氏族制度が発達すればする程、性的関係が結べなくなる兄弟や姉妹の数が増える程、このような習慣的な対偶関係は固定化していった。一人の男と一人の女が同棲していくのである。この場合、女の方が厳しい貞操を要求された。しかし婚姻はどちらからでも解消できた。この対偶婚から単婚が発展してくる。
<単婚家族> これは対偶婚の中から発生してくるものであり、それは父親の確かさについて議論の余地のない子供を生むという目的で、男の支配の下で築かれていく。これは要するに、子供が父親の財産を継ぐということを目的としたものである。ここでの特徴は、女が男に安全に屈従させられ支配されているということである。妻は、女中頭としての位置を意味することになり、ギリシャでは、女奴隷に生ませた子供は自由人となった。ギリシャの男たちは、自分たちは群婚を維持し妻だけに単婚を守らせるために、犬を飼ったり監視させたりした。要するに、男は女を支配しているために、いつ女が反逆して自分以外の男の子供をつくり、その結果自分の財産が、全くの他人に奪われるかもしれないという恐怖にかられていたのである。これは今のブルジョアジーも同じだが−。従って単婚制、一夫一婦制とは、他方に娼妾制と姦通をなくてはならない社会制度としている。
さて、エンゲルスの展開を主としつつ、もう少し、この男と女の闘いを整理してみよぅ。母権社会は、一定の生産力を背景にして成立してくる。たとえそれが僅かであっても、群婚的原始状態から家族が成立し、母権が成立してくるには、原初的な「個」の意識が、生産力の発展を背景にして生まれていることが前提であろう。又、母権社会が農耕社会の中で主にみられるのは、狩猟生活の中から女の仕事として、原始的な農業が成立していたことが背景にあるといわれている。動物と異なって、一年中子供を孕むことのできる人間の女性は、狩猟生活の段階では重要な役割が果せなかったが、狩猟という生産活動が、生産力の低さからいって全体の男の協力によってしか成立しなかったため、女が特に低い地位ではなかったという。やがて軽い道具を使って、女が農耕を始めていく。この中で、前述の子供の親は女親のみはっきりしているということが浮び上ってくる。すでにみてきたように、女たちの血縁の大部分又は全部は同一の氏族に属し、男は分散する訳だから、女は大きな力をもってくることになる。
ところが、更に生産力が発達し農耕の有利さがはっきりと知られてくると、次第に大規模な農耕労働が発達してくる。大きな力が必要な仕事が増えてくる中で、農耕は次第に女から男の手に移っていく。アメリカのプエブロインディアン(原文ママ)の伝承の中には、此の頃の男と女の争いが伝えられている。ホビ族の伝承によると、男と女の争いが始まった頃には男も女も同じようにトウモロコシとメロンを植えていた。ところが女性の仕事は段々縮小していき、結局女性は一片のトウモロコシももたず、男は大きなトウモロコシをもつようになる。女性は、男性と同じように働くことを要求したところ、男たちはプエブロを去って狩猟ばかりに熱中し始め、女性は段々やせていった。四年後には、とうとう我慢できなくなって、女性は男性に戻ってくるように頼む他なかった(住谷一彦『共同体の史的構造論』)。こういうようなことが、農耕社会では多かれ少なかれあったと思われる(女性労働でも一定の生産が上げうる農耕がない社会では、母権社会は成立しなかったともいう)。
生産力の発達の歴史は別の面からみれば、社会の中で個人的な生産が次第に強化される、私的所有(分業)の発達の歴史である。つまり、「個人」が成立し始める。この時代は、生産力の発達の度合からみて、母権社会が崩され、経済的に男の優位が確立されてくる時代に対応する。これはまた、すでにみてきたように対偶婚から単婚の成立の時代でもある。エンゲルスは、これを次のように書いている。
「富が増大するにつれて、その富は一方では家族内で男に女よりも重要な地位を与え、他方ではこの強化した地位を利用して、子の利益のために伝来の相続順位をくつがえそうとする衝動を生み出した。しかし母権による血統が行なわれているかぎり、これは出来ないことだった。だから、この母権がくつがえされねばならなかった。そして、それはくつがえされた。これは、今日も我々が思う程、困難な事ではなかった。何故ならば、この革命−人類の経験したもっとも深刻な革命の一つ−は、氏族の生きている成員のただ一人にも手をふれる必要はなかった。氏族の所属者はいままでどおりにしていてよかった。今後は男の氏族員の子孫が氏族にとどまるが、女の氏族員の子孫は排除されて、その父の氏族にうつるという簡単な決議で充分であった。これによって、女系による血統の算定と母方の相続権はくつがえされ、男系による血縁と相続権がうちたてられた。…ここに樹立された男の専制の最初の結果は家父長制家族という、いまやおこって来た中間形態にしめされている。それのおもな特徴は一夫多妻ではなくて『ある数の自由人と非自由人が家長の家父権力のもとに、一家族に組織されることである。セム人の形態では、この家長は一夫多妻の生活を営み、非自由人は一人の妻と子をもつ。そして、全組織の目的はある限定された地域内で畜群の世話をする事である』(モルガン)」(エンゲルス、前掲書)
こういう形で、対偶婚から単婚への歴史が進む。エンゲルスは、こういう形の家族の形態は、対偶婚から単婚への過渡だといっている。母権の転覆は、単婚を急速に発達させていった。このことからわかるように、共同体から「個人」が成立してくる過程には、生産力の発達を背景とした男と女の「弁証法」的闘いが存在した。生産力の発達は個人の労働の比重を増していった。それは女から男が生活のヘゲモニーを取りあげる過程でもあった。そして私有財産を基礎にした「個人」が制度として確立されるためには、男の子供が確実にわからねばならなかった。しかもそれが、女の男への隷属の上に立って行なわれるため、女の反逆−他の男の子を生む可能性−を粉砕するために男は「死」をふくめて女を恫喝した。
A共同体の発展と性の疎外
マルクスが『経済学・哲学草稿』の中で述べている性についての叙述は、人間の中での性の位置を本質的に言い尽している。つまり、人間の人間に対する関係が、直接的に人間の自然に対する関係でもある、そういうものとしての性。そして、男と女の関係がどの程度人間的関係としてあるか、ということがその社会の発展の度合をも決していく。性愛とは、人間が精神的、肉体的存在としての自らの本質を、他のもう一人の同じ存在としての異性を精神的、肉体的対象として得ることを通して実現するものである。それは、他の性としてある肉体性=人格性を、自らの対象として得ることにおいて、自らの肉体性=人格性を現実的に発現せしめんとするものである。だがこのことは、人間史にとっては、正に最も困難な課題でもあった。
すでにみてきたように、分業の開始は性における分業から始まる。人間の女性の自然(これは逆に男の自然ともいっていいのだが)は、他の動物と異なり、四季を通して懐胎可能なものである。しかも生み落された子供は、母親の乳によって1〜2年育てられる。こうして、生産における分業が始まる。だが分業の初期の段階では、そのことが直接女性の隷属を意味しはしなかった。むしろ群婚段階では、子供の所属がはっきりするのは母親のみだったことにより、女性の地位は高かった。
こうして、分業の初期の段階では、女性の分業のなかで女性の自然は、女性に力をもたらした。だが、より生産力が発展したことが、今度は逆に女性を不幸にする。
この段階では、すでに家族の発展を背景に私有財産が次第に形成され、「個人」がより強く意識されてくる。共同の力によってしか生産できない段階から、個人の力でかなりの生産ができるようになると、人間は自分の身体を共同体と区別して、明確に独立したものとして意識し始める。ちょうど幼児が次第に自分の身体の機能を自由にし始めると共に、自己意識が確立されてくるのに似ている。女性と男性の力の逆転が、この段階と重なることにより、女性の奴隷化の第一歩が始まる。女性にのみ「自然の力」が与える歴史的継承性(つまり相手の男は誰かはっきりしなくとも、女性にとっては自分の子供だということだけははっきりしているということによって、自分の存在の歴史が子供に引き継がれることを確認できる)を、「個人」の生成と共に男も要求し始める。「個人」が成立していない段階では、子供は皆、共同体全体の子供としてあり、そういうものとして「歴史」が引き継がれていった。しかし母権の成立自体が、すでに「個人」の非常に萌芽的な形成をも孕んでいる。分業社会での生産力の発達が今度は男の自然的条件に有利に作用し、次の新しい生産力の発展は男によって担われ、しかもそれが歴史的に、個人による労働が非常に強化される段階と一致していく中で、男は、女を自分に隷属させることによって、自分の「個人」としての歴史的継承性を確立しようとする。
このように、人間の性的関係の中で、人格性と肉体性の分離が始まっていく。女性は自分の自然的条件が不利に働き男に従属させられ、従って人格性が否定されていく中で、特定の男の子供を、曖昧性なく生むためにのみ男と性的関係を結ばされることになる。家父長的権力の確立以降、女性が愛する男と結ばれることは全くの偶然となる。男も女を隷属させ「物」として扱うことによって、自分の肉体性(性)を「物」として扱うことになっていく。女性の肉体性と人格性の分裂は、男性にとっても肉体性と人格性の分裂として現出する。
単婚は決して個人的性愛ではない。単婚の基礎にある個人は、私有財産の体現者としての「個人」であり、人間的普遍的存在としての個人ではない。エンゲルスが中世の騎士道について言っているように、階級社会では、個人的性愛はむしろ単婚への抵抗として、つまり姦通として生まれる。これはブルジョア社会にまで持続し、複雑に発展する。男は女と人間的に結びつくのではなく、女の過去をふくめたすべてを<支配>せんとする衝動にかられて女の肉体を支配することにより、女のすべてを獲得し支配しうると錯覚する。そのかわりに女は、それを売りものにして「社会的地位」を獲得しておいて、後は姦通で復讐する。また、単婚と娼妾制は不可分だ。
このような性の物化、物神化を、或る面から鋭く解明したのがボーボワールである。『第二の性』の中で彼女は、女性は男性という「第一の性」の陰として「男性でもないもの」として「作られる」という。つまり、現在、女性の性に本質的に運命的に結びついていると思われているもの−精神構造を含めて−は、このようにして社会的に作られたものであるという。
実存主義者である彼女は、「夫」サルトルと同じように<自然>と<歴史>の解明に弱く、従って古代の女性に、歴史的に無理な「自己投企」を強制するようなところがあるが、「第二の性」というつかみ方はすぐれたものをもっていると考える。
前述のような女性の男性への従属、性の「物化」が始まるや否や、性的関係においては、女性はマゾヒストとして、男性はサディストとして登場していく。女性は物として扱われることに快楽を感じ、男性は女性を物として扱うことにおいて快楽を得る。
自然発生的分業の中で形作られてきた支配は、こうして自然のあり方そのものから現われるように現象する。
ボーボワールは女性とは<挫折した性>だという。幼児から少女期にいたる過程で、女性は人間的挫折を味わわされる。歴史的な女性の敗北の歴史は、個人史に刻み込まれる。
世界は男のものであり、女はことごとく主要な場所から排除され、又そういうものとして扱われていく。「女だから」という言葉は決定的に響く。こうして女は、「優しさ」「弱さ」を「装う」ようになる。女性の衣服の一つ一つは、歴史的に作られてきた女の挫折の対象的あり方であり、それを着ることによって、子供は「女」になっていく。
男性の肉体の構造のあらゆるものが、「積極性」の原因に「高め」られ、逆に女性の肉体の構造のあらゆるものが「受動性」の原因に「高め」られる。考えようによってはいくらでも逆に考えられるのに、こうして「物神化」が起こる。更にこの「疎外」−「物神化」は「性の仮象」を生み出す。女性的なものがマゾヒズムになっていき、男性的なものがサディズムになっていくのに対して、今や<マゾヒズム的なもの><弱いもの>が女性になり<サディズム的なもの><強いもの>が男性となる。挫折者は女性となり、積極的なものは男性になる。こうして同性愛が成立する。ブラックパンサーの言うように、われわれは同性愛を非難しても仕方がない。人間は誤りを犯す自由をもっているし、自分の肉体をどう使うかはその人間の自由である。だが、同性愛は、<仮象としての性>=<内容を失った形式のみの性>である。つまり、自然を喪失した「性」であり、単婚の結果生まれたものであり、単婚と共に止揚されねばならぬ。
Bプロレタリア革命=人格性と肉体性の統一
さて、それでは男性の不幸の止揚と女性の不幸の止揚は、如何にしてなされるのか?それは結論的にいえば、プロレタリア運動、プロレタリア革命によってなのであるが、これを空虚な叫びとしないためにも、われわれはエンゲルスの先程の叙述を、『資本論』から捉え返さねばならない。それは、生産力の発展、特に機械の発展と性の問題である。すでにわれわれは、第T部の第T章で、機械が人間的結合の対象的実現であることをみてきた。それは、ブルジョア的支配の強化を通して、同時にプロレタリア解放の条件をつくるという弁証法的存在なのである。機械は、<自動力><結合力><単純化を通しての技術の客観化>という性質をもっていることによって、自然生的分業の中での男性労働者の位置を解体する。資本にとっては、それは婦女子労働の拡大、労働者相互の競争の強化なのであるが、労働者はその中で、苦しみを通してブルジョア社会の矛盾を超える闘いを強制され、自然生的分業を超えていく団結が生まれてくる。つまり機械は、資本主義社会で使われる限り自然生的分業の拡大、強化をもたらすのだが、それは決して機械そのものに運命的に付いてまわる性格なのではない(機械が分業社会で使われる限りで、そういうことなのである。これは第T部第T章でみた)。
くり返すが機械は、人間の類的結合の対象的実現である。<自動力><結合力><単純化を通しての技術の客観化>は、それ自体としては人間の「団結」の対象化であり、それが人間的共同性の下で使われるならば、人間の自然生的分業、「性の物神化」を現実的に超える力となる。人間の肉体的諸条件はこの中で超えられ、新しい発展が生み出される。
しかし、これは実は矛盾の深化、拡大を通して生み出されるのである。すなわち、分業社会で機械が使われる限り、それはますます分業の深化、拡大のテコとなり、性差別は強化される。自然としての生を破壊する形で進められる。
婦人労働の強化、重労働化、夜間労働の拡大。こうして女性の生理的諸機能は破壊されていく。身重の婦人は二倍の身体をかかえて満員電車に乗り、労働強化を強いられる。こうして生まれてくる子供の半分近くもが、何らかの異常(原文ママ)がみられるようになる。夜間労働の拡大はスレチガイ夫婦を増し、「夫婦」は現実的に夫婦でなくなり堕落の条件が作られていく。一方プロレタリアにとっては歴史的意味での単婚などありはしない。財産のない人には単婚などないのである。つまり、一方の性による他方の他の従属化などありはしない。あるとすれば、ブルジョア社会の風習がプロレタリアに伝染しているにすぎない。こうして、女性の隷属の条件はなくなっている。更に、直接的には低賃金の結果、夫婦共稼ぎとなり子供は母親の手から離れる。これらのことの結果は、男性と女性が身体を資本から防衛しつつ、正に相互に人間として結びつく条件を生み出し、そのような関係が成立する。そして子供の保育、教育もプロレタリア人民の共同性を背景として夫婦の共同の仕事となる。こうして性的結びつきは、人間的結びつきとして以外成立しなくなっていく。「性」の物化が終りを遂げ始める。
但し、単婚の廃止は群婚への復帰ではない。乱婚は単婚の裏返しにすぎない。人間の個別的身体性が人格性と一致してくることは、真の意味での個人的性愛の確立である。無秩序な性というのは、諸個人の肉体性と人格的尊厳の分裂から起るものであり、肉体的結合が、愛の中でのみ成立する個人的性愛の確立の中では、ブルジョアジーが「心配」しており、実際は自分がかくれて行なっている「群婚」など起りはしない。
反体制運動の中で、部分的に若者が夢想し、実践してみたりする「自由な性愛」は、ブルジョア的道徳、単婚の裏返しにすぎない。自分のブルジョア社会の「アカ」を洗い落そうとする「アガキ」として、個人史のなかではありえないことではないし、挫折や誤りをくぐらぬ個人は一人もいないが、それ自身はブルジョア的なものなのである。その持続は「甘ったれ」に転化する。もちろん共産主義社会になろうとも、恋愛の葛藤は消える訳ではなく、不幸な恋愛や錯誤は無くなる訳ではないだろう。ただそれが人間的喜びや悲しみとして純化されていくということはいえるだろう。
さてそれでは、近親の性的関係はどうであろうか。つまり、親子、兄弟のそれである。エンゲルスは、この血縁の性的関係の消滅については、自然淘汰を原因としてあげている。先程は、それに従って書いてみたが、それだけでは不充分と思われる。他の血縁との婚姻はたしかに身体の発達をもたらすだろうが、それをみて古代人が血縁結婚を禁止したというのは、どうも話が機械的にすぎるように思われる。それは、直接的原因というよりも、外的に与えられた条件だったと思う。親子、兄弟の性的関係が消えていくのは、共同体から個人が発達してくる過程ではないか。個人の発達ということは、血縁的な、感性的、精神的な同質性から独自性が発展してくるということである。それは、同質的な感受性、共同体的意識からの脱皮として形成されるはずである。従って個人の発達の過程は、近親の異性を異性として感じなくなっていく過程としてあるはずである。つまり、家族的共同体の中で育つ幼年期、少年期(少女期)からの脱皮として肉体と精神が発達するのだから、その新しい性的感受性にとっては家族的紐帯は「中性的」なものとして定立されることになる。従って、それまで自分が生きてきた社会とは異なった共同体へ向って、感性が発現することになるはずである。こういう形の問題があって、その上でエンゲルスの述べたような問題が重なっていったのだと思う。その証拠には、現代社会の中での近親の性的関係の成立は、自分と異質なものへの恐怖が基礎となっていることは、社会的・歴史的に明らかになっている。つまり、精神的な独立性が不充分な結果、家族的紐帯に肉体的成熟が結びつき、近親相姦が成立する。その別の形が同性愛である。自らの存在の挫折、又は精神的未発達等があって、「異質の性」への恐怖が生まれ、それと自らの肉体的発達が重なる時、成立する。
それでは、個人的性愛とは何なのか?それは、全自然史の成果を一身に体現しているものとしての個体−人間存在が、産業と文化という全人間史の成果と人間的共同体(団結)を対象的に前提として、もう一人の世界史的個人(自然)の存在を通して、無限に開示されるものに他ならない。人間の存在(精神と肉体)は全自然史の結実であり、しかもその無限の力が原始的自然の復活としてではなく、マルクスが『経・哲草稿』で述べているように、対象的に実現された全人間史(産業と文化)を通して、更に革命的闘いの中での人間的共同性の産出を通して、世界史的に産出、開示される中で個人的性愛は成立する。それは、不断に新たに産出される感性を前提として、個人と個人の間に持続的に成立していくであろう。自らの感受性を不断に新たに産出していく闘いを抜きにして、「持続」は苦痛になるし、また愛は不断に挫折を内包しているが、本質的には一人の人間の存在の無限の開示は、内容的意味での持続的関係の中で行なわれる。自らの歴史は相手に対象化されているのであり、そのことを離れても、同じもののくり返し以上には発展できないからである。
(2)「人種」について
@人種とは何か?
次にわれわれは、人種について一定の解明を行なってみよう。
第二次大戦下のナチズムは、民族主義というよりも人種主義であったといわれる。ここでは、人間の自然的、身体的特徴の差異が人間の本質的差異の如く語られ、生まれながらにして支配的な人種と生まれながらにして奴隷である人種がいるなどと、科学の外観をもってまことしやかに語られたのであった。人種という言葉はこういう歴史的な課題をかかえている。第二次大戦以降も、アメリカにおける黒人問題(黒人プロレタリアを軸とする)は、国際階級闘争にこの間題を突きつけている。ブラック・パンサーは初期のブラック・パワー的な傾向をすでに突破し、人種を超えたプロレタリアの前衛の位置を占めつつある。だがわれわれは、この問題について正確につかみとっておかねばならない。
いうまでもなく、人種的な差異を社会的差異の原因にしてしまうのは全く憎むべき偏見であり、正に支配階級の思想に外ならない。人種的差異は、それぞれの個性の一定のあり方として誇るべきものであっても、人間を差別し分断するものではありえない。しかし、階級社会ではそれが行なわれる。それは何が原因なのかを、少なくとも基本的にははっきりさせておかねばならない。そのためにはそもそも、人種とは一体何なのかを知らねばならない。
現在地球上に生きているのはすべてホモ・サピエンスというただ一つの種に属する。しかし身体的諸特徴や生理的ないくつかの機構については、差異がある。しかしいずれをとってみても、地球上の人間は皆相互に交雑が可能であり子供を生むことができる。
そういう点で人類は非常に多様性をもった動物であり、多型的な動物であるといわれる。人種(race)は、動植物でいう亜種にあたる。人類に非常に多くの異なった群が生じたのは、非常に古くから、それぞれの環境に適応した地域的な集団が相互に隔離されたからだといわれている。
この場合、内的要因を重視するものと、外的要因を重視する二つの学説の傾向がある。中味の程度の差異があるにしろ、多かれ少なかれ双方の要因が働いていることは確かだろう。この二つの傾向から人種の区分について、形態学的区分(身体的特徴から行なう区分)と遺伝学的・歴史的区分の二つの分類方法がある。リンネやプルメンバハなどの分析区分は第一の方法によっているが、最近は第二の方法が多いといわれる。人類遺伝学者スターンは、人種を定義して、遺伝的に多少とも隔離された人類集団で、他のどのような隔離集団とも異なった集団遺伝子組成を有するもの、といっている。フランスのヴァロアは、人種とは、言語、風俗、国籍のいかんを問わず、共通の遺伝的な身体の一全体を示すところの人の自然群だ、といっている。クログマンは、遺伝学的・歴史的区分と形態学的・分類学的区分とを調和させ、人種とは、遺伝学からみて、身体的形質に一定の組み合わせをもったヒトの亜種である、と規定した。
これらのことから、人種は、一定の地域を軸として集中している人間の「自然」的な分類方法である、ということができる。しかし交通の発展の中で、現在では地域性ということはあまり意味がなくなっている。更に、純粋な人種などというものはありはしない。あくまでも統計的な概念であるといわれている。しかし、それでは人種という概念が不必要かといえば、やはりそうではないだろう。後でみるように、社会と自然の接点を含む人間の歴史の解明に、それはやはり追究されていくべきものである。この問題は後でもう一度みるとして、次に人種の分類の方法をいくつかみてみよう。
人種の分類法−人種の分類方法で代表的なものは、「皮膚の色」「髪の毛」「鼻」「目」「蒙古(原文ママ)斑」「身長」「体構」「指紋」「血液型」「味盲(原文ママ)」等がある。「皮膚の色」は、黒色、白色、黄色、褐色等の三又は四つの分類方法により、黒色人種、白色人種、黄色人種、褐色人種等に分析する。
「髪の毛」は、色彩(黒、褐、粟、ブロンド)や、形態(直毛、波状毛、毬状毛)等によって分類する。
「鼻」は、形と高さによって分類される。
「目」は、虹彩の色と限裂等によって分類される。蒙古(原文ママ)人種は他人種には見られない目の特徴をもっており、いわゆる蒙古(原文ママ)皺襞がある。
「血液型」−これは、A、B、O型の分布の度合が人種の分布とかなり一致している点から利用される。この他MN式とかRH式とかも利用される。
「味盲(原文ママ)」−味盲(原文ママ)というのは、ある種の薬(PTC=フェニルチオカルバミド)を全く味として感じないものをいう。味盲(原文ママ)の人種的な頻度をみると、アメリカ・インディアン(原文ママ)は100%有昧者(つまり味盲(原文ママ)がいない)、アフリカの黒人も同じ、ヨーロッパでは17〜32%が味盲(原文ママ)、インドでは43%が味盲(原文ママ)、日本では7%が味盲(原文ママ)である。
非常に簡単に、人種の分類方法として一般化されている例を羅列してあげてみたが、こういう基準の上に立って、どのような人種の分析方法があるのだろうか。ある学者によれば地球上の人種は二種類だというし、又ある学者は、白、黒、黄の三種類だという。一方多いものは200もの人種をあげる。一般には20〜30種類位があげられるという。これらはいろいろの学説があるが、黄色人種(蒙古(原文ママ)人種)、黒色人種、白色人種の三分法を代表する三分類と、地域集団を一つ一つあげる分類とに大きく分けられている。そして、大分類によって分けられた人種を系株、又は人種群と呼ぶこともある。現在代表的な分類方法を、二つあげてみよう。
ロシア生まれのフランス人類学者、J・ドュケの『世界の人種と民族』の分類法は、その後の分類法に強い影響を与えた。彼は髪の毛の特徴を第一としつつ、これに様々な人種的特徴を加えた。これは、22亜人種を含む29人種に分類している。又、クローバーは三大「系株」をもとにして分類した。これは比較的簡単なのであげてみよう。
第一「系株」−「白色人系株」
ヨーロッパ北方人種 地中海人種 アルプス人種 ヒンズー人種
第二「系株」−「黄褐色人系株」
蒙古(原文ママ)人種 マライアン人種 アメリカ・インディアン(原文ママ)
第三「系株」−「黒褐色人系株」
ネグロ人種 メラネシア人種 黒色背の低い人種
クログマンは四大別を軸として分類した。
白色人(系珠)−(ヨーロッパ人)
北方人種 アルプス人種 ディナール人種 アルメノイド 地中海人種
黄褐色人(系株)
蒙古(原文ママ)人種 インド・マライ人種 アメリカ・インディアン(原文ママ) ポリネシア人種
褐色人(系株)
ドラヴィタ人種 オーストラリア人種
褐黒色人(系株)
ブッシュマン(原文ママ) ネグリロ人種 メラネシア人種 ネグロ人種
この他、分類法は沢山あるが、ここでは比較的簡単なものをあげてみた。
A人種をめぐる学説の背景
人種のそれぞれの起源、又はそれぞれの集団が遺伝的なものを含めて形成されていった中味についてはいろいろ研究されているが、今だに多くの課題を残している。特に論争になっているのは、先程もみたように形態学的な視点と遺伝的な視点であろう。人種的な分類にはいる時には、多かれ少なかれ遺伝的な中味として分類されていく。だが、それが絶対的なものか否かという、生物学的な次元の問題にまで行きつく。
それが直接、人種の研究と結びつくものではないが、その学問に多くの影響をもった生物学上の理論をみてみよう。それは、環境と遺伝をめぐっている。
人間をホモ・サピエンスという種に分類したリンネによれば、種とは、神によって最初に創られた類と同じだけある不変なものだという。彼も後に、退化や交雑によって変種のできることは認めたが、進化、発展には充分な注意を払わなかった。一方、1859年、ダーウインは『種の起源』を記して、種は固定的なものではなく、変化、発展するものだと主張し、それを生物の進化と関連させた。こういう種の固定性を否定する学説は、ダーウィンだけではなく、次のようなものがある。
アイマーの定向進化説−内的必然性によって一定の方向に発達することによって、種の進化又は変化を起こすというもの
ワグナーの隔離説−地理的な移動により起こる隔離によって、新しい種が生まれるというもの
ジョフロワの環境論−外界の影響が種の進化を生ずる直接の原因となるというもの
ラマルクの用・不用説−継続して使用される器官は発達し、そうでないものは退化するというもの
ダーウインの淘汰説−生存のための競争において適者が生存することに上り、種の変化を起こすというもの
ダーウインの進化論は、社会科学の思想にも多くの影響を与えたが、種の可変性にのみ性急に注目し、人間はサルから一直線に進化したというような誤りも生まれるようになった。しかも、ダーウインの進化論の序列を人類にあてはめて、「原始的な人種」を「進化した人種」が支配するというような、支配者に都合の良いデッチ上げ学説も現われた(後述)。
進化論はしかし、遺伝現象の説明に行きづまった。20世紀になって、有名なメンデルの遺伝法則が再発見され、この中からダーウイン的な進化論一本槍の思考への批判が生まれていった。このように、遺伝という点に注目すると種の概念は再び限定されたものとなり、ある程度まで限定されたものになってくる。
ビブザンスキーは、種と亜種(人種)の違いを次のように説明した。異なった種とは、二つの間に遺伝因子の交叉ができない程、生殖上孤立し合った群である。しかし、亜種(人種)とは、遺伝因子の影響範囲に違いはあるにしても、どんな大きな地理的隔たりがあろうと、遺伝因子の交叉ができる群である、と。彼によれば、人間の間の亜種(人種)の違いの根本は、群の大きさ及び遺伝因子の複雑な組み合わせによるもので、一見多様にみえる外的形象の相違に惑わされてはならぬという。
現代の大まかな方向としては、先程もみたように、人種とは、遺伝的な身体形質の、統計的に比較的等質な人の集団であり、地理的隔離を背景にしているといわれている。そして、隔離、淘汰、突然変異、混血、遺伝子の浮動等を軸として研究される。そして、解剖学的特徴(身体の計測値)よりも、遺伝、遺伝機構に集中しつつある。「人種心理学」とか「人種の知能」とかいう全くバカバカしい(原文ママ)問題は、一旦遠のきつつあるが、支配階級の思想として根強く残っている。
B人種主義(人種論者)
人種主義とは、特定の人種が「生物学的」に「運命的」にすぐれており、又ある人種は「生物学的」「運命的」に劣っている、従って前者は支配者となるべき人種であり、後者は被支配者(奴隷)となるべきものだという思想である。
人種の問題は、次にみる民族問題との整理が必要であり、実際にも人種主義と民族主義は一緒になって出てくることが多いが、一応ここでは人種主義のみについてみてみよう。人種主義という言葉で最も極端だったのは、ナチスの「アーリャン人種優秀説」である。彼らは、アーリャン人種の血の純血を守るとして、ユダヤ人の大量虐殺を行なった。しかし、人種主義はナチスの専売特許ではない。
階級社会であるかぎり、多かれ少なかれ、人種主義は存在してきた。
人種の問題が正面に出てくるのは、「地理上の発見」から帝国主義段階に至る過程、つまり資本主義社会の世界制圧と帝国主義的発展のなかであるといわれている。ヨーロッパの人種主義は、例の「アーリャン人種」論で猛威をふるう。アーリャン人種を「作った」のはF・M・ミューラーという人である。彼は「インド・ヨーロッパとかインド・ゲルマンとかいう言い方は変えねばならぬ。何故ならばインドに侵入したサンスクリット語を話す人々は、自分たちを『アーリヤ』と呼んでいた。彼らこそヨーロッパ人、ペルシャ人、ヒンドウの祖先である」といった。ここでは、アーリヤ語を話す人々が、何故「アーリヤ人種」なのか少しも証明されていない。彼自身も、これは誤っていたことを後で認めた。何故ならば、例えば「日本語を話すから日本人種」だなどというのは誤りであることは一目でわかることだからである。後でみるように、人種と言葉とは直接には無関係だからである。
だが、この非科学的な「アーリヤ人種」はヨーロッパを歩きまわり、コピノー(1816−1882)の「人種不平等論」で「体系化」(?)された。彼によると黒人は、やたらに食欲があって気まぐれで理由もないのに人を殺す最低の人種であり、黄色人種は、肉体エネルギーが乏しく、しつこくて非常に贅沢な食いしんぼうで、実用的で思慮が浅い。白人は反省的で知力があって、勇敢で理想的だということになる。彼の「理論」は、一貫性がなく全くの偏見であることはいうまでもない。この他イギリスでは、アングロ・サクソンの人種主義が流行し、カーライル、キングスリー等がその基礎となっていた。
先程みたナチスの「アーリャン主義」になると、正にメチャクチャである。人種の遺伝素質は血の中にある訳ではなく、生殖細胞の中の遺伝子の中にあるということなどどうでもよいことになり、ドイツ人の患者に自分の血を輸血したユダヤ人の医者が罰せられたり、日本人の祖先がアーリャンになったりする。もっともヒトラーは、日本人を「名誉アーリャン」といったそうだが−。この人種主義のバカバカしい(原文ママ)思想が人々を恐るべき力で抑えていった様子は、ドイツの文学などにみられる。『西部戦線異状なし』(ラマルク)の中で、兵士が日本人はドイツと同盟を結んだからゲルマンなのだ、といっている様子が描かれている。第二次大戦中の、日本の民族主義も、米、英に対しては、人種主義的性格をもっていた。第二次大戦後も、アメリカのクー・クラックス・クラン(KKK)は推定4万人といわれ、人種主義の尖兵になっている。
これらの「思想」が出てくる時代をみれば明らかなように、人種主義は、階級社会の中で多かれ少なかれ存在するものであるが、それは階級社会の最も発展した資本主義社会で最も極端に現われ、それが帝国主義戦争、更に階級闘争の激化の中で極限にまで進むということである。
要するに人種主義というのは、社会的問題を、自然的生物学的問題にスリカエてしまうものである。
C人種についての整理
人種という問題それ自体は、人間の歴史の解明について追求されるべきものであり、今後も学問的課題となっていくだろう。但し、その中味については、更に種々の角度からの深化が必要だろう。先程も簡単にみたように、特にそれは、自然環境、地理的条件、社会環境等の「外的要因」と遺伝によって示される「内的要因」との関係をめぐっている(ここで社会環境といったのは、人種分類上において一つの基準となっている身長等は、栄養上で大きな変化があることが知られている、そういう問題を考慮してここであげた)。これは「人間と自然の弁証法」を解明していく上での一つの解明の角度となっていくだろう。この種の問題については、ここではいろいろな考え方(問題があるにしても一般的に使われている)を紹介するにとどめた。
更に後でもう一度みるが、民族と人種の関係が再度クローズ・アップされていく時期がくるだろう(すでにそういう傾向が生まれている)。近代の人類学は、人種と民族を分離して考えることから出発していった。又、それはそれなりに正しい問題を含んでいる。人種は、主に人間の自然的側面を問題にし、民族は、文化的側面として解明されていった。前述のように人種と民族は安易に同一視されてはならない。特にこの小論の目的である自然科学と社会科学の関係を、認識論上、明確に整理した上で、人種と民族を問題にしないと、人種主義者の罠にはまり込む。つまり、社会的問題、文化的問題の自然的問題へのスリカエ(物神化)が行なわれてしまうのである。こういうことを確認した上で人間の歴史の解明は、再度、人種と民族の関係の整理に行きつくだろう。以上に踏え、ここでは次のことを明らかにさせよう。
人種主義は、階級社会の発生以来、様々な濃淡があるにせよ存在し続けている。その構造は、社会的矛盾を人間の身体性(=自然)の特徴のせいにスリカエるというものである。更にここで注意しておく必要があるのは、共同体的問題が必ずからんでいるということである(人種という問題からして)。そしてこの人種主義は、帝国主義戦争と革命の時代に最も鋭く現われてくるということである。ナチスのアーリャン主義、アメリカにおける黒人プロレタリアの弾圧等々−(ここでは、寺田和男著『人種とは何か』を一つの参考とした)。
(3)民 族
@民族の構造と分類
民族とは、一体何を指すのだろうか?このことをこの論文の目的から把え返す前に、まず歴史的にみてみよう。単位として次のようにみることができるだろう。氏族−大民族(胞族)−種族(部族)−民族−国民。氏族についてはすでにみてきた。種族と部族は、文化人類学でも異なって使われるが、大体同一のものを指すとみてよいと考える。使い方のニュアンスとして、種族は「客観的」な問題(言語、文化)としてみられるのに対して、部族は政治的、共同体的視点からみる時に使われるといわれている。これについては、文化人類学の「平均的」「百科辞典的」見方で良いと考える。民族というのは、<部族の連合>によって生まれる。これも、マルクスの把握、そして現在の百科辞典的な文化人類学の把握からみてそう考えて良いだろう。別の表現としては、「民族学にあっては『民族』の用語は、ある『種族共同体』(エトノス″)を意味するものである」(エス・ア・トーカレフ『ソヴィエト民族学入門』)ともいわれるが例えば、ローマ帝国の基礎は、三部族の連合によってできたといわれる。
これを人種との関連でみていけば、ほぼ次のように考えて良いだろう。人の発生については今後のものを待つしかないが、まず、人種的差異は、すべて<ホモ・サピエンス>という同一の<種>(人間)に属するものの統計学的な分類であるという点を、しっかり確認しておき、この文章の最後の展開を含めて人種主義、人種的偏見の非科学性をしっかりと前達しておくことが大切であろう。その上に立って、人種的同一性は地理的同一性と密接な関連をもつことを踏えた上で、人種的同一性は何らかの形で人間の古代史における共同体形成の基礎になっていると考えて良いだろう。こういう人種的同一性の上に立って、更にその分岐が開始され、種族(部族)の基礎になる集団が形成されていったのだろう。その集団の中から、「共同体と性」の項でみたような形で氏族が生まれ、そしてその氏族を基礎に、部族(種族)として、その集団が共同体的構造へと再構成されていったのだろう。普通、種族(部族)は、同一祖先をもった広い意味での血縁共同体的要素によって結ばれている。そして、生産力の発展を背景にして文化が発達し(言語の分岐、発展等)部族の連合がなされ、更にそれが相互の同質性を形成していったものと思われる。
ここで、人種と民族の関連をもう一度みておこう。それは第一に、人種の方が広い概念であり、同一人種の中に多数の民族があるという点である。もっとも、分類方法によっては、人種も非常に沢山のものに分かれるが−。ここでは一応、人種の分類は大きな分類方法であり、しかも何らかの形で人種は、民族的なものの基礎にあると考える。第二には、人種の混血ということにより、民族が形成されていったという問題である。これはそうである場合とない場合とがあるだろうが、もともと人種というのは、非常に統計学的な概念であり、人間史の発展の中で様々な合体と分岐が長い間かかって行なわれ、それが地理的条件の中で次第に固定化していったものだろうからである。例えば、ドラヴィタ人種は、混血人種であろうともいわれている。こういう分岐と、合体は、厳密にいえば、すべての人種についていいうるのだろうと思う。民族にいたってはもっとそういう可能性がある。日本民族についても、大昔から「同一」の人間集団だったということはありえない。大部分の学者で一致しているのは、北方系と南方系の混血だろうということである。日本の神話に、神が天から来る神話と、神が海から来る神話があるが、前者は北方系の神話であり、後者は南方系の神話であるといわれている。大国主のウサギとワニの話とそっくりの神話が、インドネシアにある。
しかし、民族が全く曖昧なものかというと、決してそうではない。民族主義者が言うような意味での「純粋」とか「純血」とかいうことは馬鹿げた(原文ママ)話だが、人間の歴史の中での分岐や合流の中で、生産力の発展を背景に、一定の安定した共同体が固定化してくる時期があり、その時期に民族の基礎が形成されていったものだろう。それは、言語の形成を含めて確立、固定化してくる。生産力の発展を背景とした人間生活の一定の安定が、文化の発達をも促進していったのだろう。こういう意味で、言語の同質性は、民族の分類に大きな力をもってくる。
人種の項でみたように、普通ブルジョア社会での学問では、民族学は社会科学に、人類学は自然科学に属する。そういう点からいって、民族の分類上のメルクマ−ルには言語、風俗、地理等がある。その中でかなり重要な意味をもっている言語についてふれてみよう。言語学者は、言語上同系関係や超源の共通性から、同一グループを「語族」と呼んでいる。言語を分析する方法は、音韻、文法、語彙等によって行なわれる。ソヴィエトのエス・ア・トーカレフによれば、大体10の語族にまとめられるという。
@<インド・ヨーロッパ語族>スラブ語 バルト語 ゲルマン話 ローマン語 ケルト語 アルバニア語 ギリシャ語 北インド語 イラン語 アルメニア語等
A<セム、ハム語族>アラブ語 エチオピア語 ベルベル語 クッシート語等
B<ウラル、アルタイ語族>(これらはウラル語とアルタイ語に分けるべきだという見解もある)ウグロ・フィン語(フィンランド、ハンガリー) チュルク語(トルコ語等) モンゴル語 ツングース語(満州、ツングース等)
C<中国、チベット語族>中国語グループ チベット、ビルマ語グループ
D<マライ、ポリネシア語族>インドネシア語 太平洋諸島の言語 E<ドラヴィタ語族>タミール語 テルーガ語等(インド南部、セイロン島一部)
F<ムンダ語族>東部インドの言語
G<バンドサー語族>アフリカの南半分
H<コーカサス語族>
I<モン・クメール語族>インドネシア半島にひろがっている(カンボジア語等)
もちろん、ここでは分類できない多くの言語が解明不充分のまま残されている(日本語、朝鮮語、ブッシュメン・ホッテントット(原文ママ)語、インディアン(原文ママ)語等々)。
デンマークの比較言語学者、イエルムスレウは、語族を次のように分けている。
@<インド・ヨーロッパ語族>ゲルマン語派 ケルト語派 イタリック語派 ヘッラス語派 バルト語派 スラブ語派 アルバニア語派 アルメニア語派 イラン語派 インド諸派 ヒッタイト語派 トカラ語派
A<セム、ハム語族>ハム語派 セム語派
B<バンドゥー語族>アフリカ大陸南半分
C<ウラル語族>サキュード語派 フィン・ウゴル語派
D<アルタイ語族>チュルク語派 モンゴル諸派 ツングース語派
E<シナ(原文ママ)、アウストリック語族>タイ、シナ(原文ママ)語派 チベット、ビルマ語派 アウストリッタ語派(マライ、ポリネシア語、ポリネシア語、クメール語、ヴェトナム語)
そして、系譜的に整理がついていないものとして、日本語、朝鮮語、ドラヴィタ語、ブッシュマン(原文ママ)語、ホッテントット(原文ママ)語等をあげている。
日本語については、言語学者の大野晋氏は『日本語の起源』で、<文法構成><母音調和><語彙>等から、アルタイ語だと判断している。それも単なるアルタイ語ではなく、南方のポリネシア語系との混成だとしている。大野氏によれば、日本では縄文式時代に、ポリネシア語族のような音韻組織をもった南方系の言語が使われており、そこへ弥生式文化の伝来と共に、アルタイ語的な文法体系と母音調和をもった朝鮮南部の言語がはいってきたという。更に、この朝鮮からはいってきたアルタイ系の言語は、かなり南方的な要素も入り混っていた。そして、朝鮮からはいってきたアルタイ系の言語が主軸となって、日本語が成立するが、南方系に属する要素も残しているという。又、神話、説話の系列をみると、北方系と南方系を含み、量からみれば南方系の方が多いといわれる(以上、大野晋『日本語の起源』)。
さて、今までは言語の面から民族の問題をみてきたが、民族の成立が社会の発達の中でもっている意味は、生産力の発展を背景とした共同体の一定の固定化、又は安定した共同体の形成という点だろう。そういう意味で、民族自体が相対的なものであって絶対的なものではないが、しかし一定の歴史的な区切りの意味をもつと思う。例えば、インド・ヨーロッパ語族といえば、インド人からイタリア人、ドイツ人を含むが、それらの全体を一つの民族というのには無理があるし、社会の形成の歴史からいっても、それら全体を一つのものとしてまとめることに、民族や国民という点では直接には意味がない(別の点から意味をもつだろうが)。一応、近代国家形成の母体となっている一定の共同体としては、インド民族、ゲルマン民族、イタリア民族という形になる。日本語と朝鮮語が同じアルタイ系で、非常に似ているからといっても、それは歴史的な共同体形成からいって、一定の同一性を含めて相互に強く影響し合ったというものなのだろう。民族としては、相互に独立した共同体を形成しており、別なのである。しかし日本「本土」と沖縄となると、単にアルタイ系で似ているようなものでも、又一方が他方に影響を与えたというようなものでもなく、明確に同じ言語の兄弟であり、むしろ同一の民族的共同体を形成していた人々が地理的に分岐し、相対的に独自の文化を創ったというべきだろう(しかしこれも、すでにわれわれが分析してきたように、同一民族内の相対的分岐、独立の中で、一方が他方を征服し差別するということを生み出し、単純に「国民的統一」などということでは片づかない。ソヴィエトによる止揚しかない)。
さて、「−人」という時、いろいろな意味でいわれる。民族が基礎になって、近代国家が形成され「国民」が形成される。この「国民」なるものは、更に複雑で沢山の人種的差異や民族的差異を含んでいる。国民は、資本制生産様式の発達を背景に、最も有力な民族が、他民族を抑圧的に包摂して「国家」を作る中で形成されるからである。従って民族解放闘争が起こったりする(これについての政治的階級的態度については、中原一「プロレタリア革命と民族問題」−『解放』NO.2所収−参照)。従って「−人」という時、「民族」という意味でいわれたり、国民の意味でいわれたりする。ブルジョア社会では、アメリカ人という時、黒人、白人、アメリカ原住民を含んでアメリカに住んでいる者を指すが、決して「アメリカ民族」の意味ではない。或いはフランス人という名称についても複雑である。フランス国民の構成は、ケルト族、ローマン族、ゲルマン族の複合であり、原住民はケルト語を話していたが、ローマ支配の時代にローマン語化し、現在のフランス語ができる。「フランス人」という名称は、フランスの原住民を征服したゲルマンが、「フランコ」と呼んでいたことに起源をもっているという(トーカレフ『ソヴィエト民族学入門』)。
こうして「−人」という時、人種的な意味でいわれた時(白人、黒人、黄色人等)、民族的な意味でいわれる時(ゲルマン人等)と国民的な意味でいわれる時(アメリカ人等)とがある。この時、第二のものと第三のものが一致するものとしないものがある。例えばインド人という時、インド・ヨーロッパ系の人には「民族」の意味にもとれるし「国民」の意味にもとれるが、インド内の少数民族にとっては、「国民」という意味で現在は「インド人」であるが、民族としてほ異なる(これはベンガルのように将来独立国家となる可能性をはらんでいる)。
A民族とは何か
第U部のこの小論は、以前私が「プロレタリア革命と民族問題」(『解放』NO.2)で展開、生理したものの補足及び発展を意図している。@の「民族の構造と分類」は、前記の小論では省いた部分の補足である。以下、「プロレタリア革命と民族問題」から一部そのまま転載する。
スターリンは、民族を次のように規定する。「民族とは、言語、地域、経済生活、及び文化の共通性の中にあらわれる心理状態の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された堅固な共同体である」(『マルクス主義と民族問題』)
高島善哉が批判しているように、この中には二つの欠陥がある。第一は、人種問題を落していることであり(これをもっと一般化すれば、人間の中の「自然」の科学的把握が欠如しているということ)、第二は、民族の諸要素を並べてはいても、その全体的な論理を貫く把握がないということである。そして高島善哉の指摘の上に立って、第三に、分業(私的所有)の問題の欠如である(高島善哉『民族と階級』は多くの点で示唆に富むものであるが、後に述べるように、「分業論」と「史的唯物論における社会的生産の本質論」を欠如しているため、結局「民族」を超えることができず、一種の「戦闘的民族主義」に終っている)。
これに対して、次のようにいいうるのではないか。≪一定の生産力の発展に規定され、分業(=私的所有)の上に成立しているところの、自然の地域性に強く制限された産業、生産様式に基礎をもつ文化の同一性、更には自然的諸条件(大地と人間の身体的特徴)の同一性に強く束縛されて成立している共同体≫と。もちろんこれは正確なものではなく、一定のまとめである。しかし、民族という問題をどこから収約していくかという時に、「一つの鍵」にはなるだろう。
この場合、重要なのは、第一に、「分業社会」ということである。いうまでもなく分業社会というのは、必ずしも商品生産の社会ではない。アジア的生産様式の社会も、分業社会(階級社会)であった。第二には、生産力の発展段階、従って交通形態の発展段階に規定され、その結果一定の産業と生産様式に限定されていること。その結果自然の地域性と強く結びついた産業、生産様式を基礎として、文化の同一性が生み出されていること。そして第三に、同じ理由から、自然(大地と身体的特徴)の同一性が保持されること。人種と民族とは同一ではないが、人種的特徴を背景とした身体的特散の同一性である。第四に、私的所有(分業)を基礎とした階級支配によって貫かれている「共同体」の問題。
スターリンの場合、第一に、「私的所有=分業社会」という点が明確にされていない。このことは一般的のようにみえて、後でみるように非常に決定的なことなのである。第二に、「民族問題」の困難さの根本である「自然」の問題が、「私的所有=分業」又は「階級」とどういうからみ合いになっているかが、統一的に理解されていない。「民族問題」の困難さの根幹は、生産力の限界を根底として、分業(私的所有)を通して、「自然」(対象的な「自然」と人間の中の「自然」の双方)が、人間にとって「物神化」されていることにあり、又そのことが、それを基礎としたイデオロギーと共に「共同体」を通しての「階級支配」のテコになっているというところにある(「幻想的共同性」の基礎)。
次に述べることからも明らかなように、各人種間の身体的特徴の差異などは、人間性の区別に全く無関係なのである。「色が白い」とか「黄色い」とか「黒い」とか、「鼻が高い」とか「低い」とか、「髪の毛が黒い」とか「金色である」とかいうことは、それぞれの個性として誇るべきことではあれ、人間性の区別につながるものではない。民族間の言語、風俗、習慣の差異なども同じである。
「フォークとナイフ」で食おうが「ハシ」で食おうが、酒を飲もうが「ウォッカ」を飲もうが、「米」を食おうが「麦」を食おうが、「洋服」を着ようが「キモノ」を着ようが「アオザイ」を着ようが、そういうことは人間のそれぞれの地域の自然に対する知恵がつくり出したものとして誇るものではあっても、人間性の区別などになるものではない。
言語も同じである。こういう意味での「民族性」は、プロレタリア独裁の下では、その個性を充分に発揮し、むしろ発展をとげるだろう。そして更に、共産主義社会の実現の過程では、人々が自由に世界各地に交流し、そこで自由に働き又生活し合う中で、こうした「民族性」は、全面的に発達しつつ相互に結びつき止揚の過程にはいるだろう。
階級社会における「民族問題」の根幹は、こうした「民族性」が「分業=私的所有」と不可分に結びついて出てくることにある。こうした要点を確認した上で、次に「民族」と「国民」の問題を整理しておこう。「民族」という「概念」の背後には、氏族、部族等があり、又「民族」の上に「国民」が成立している。「氏族」や「部族」については、ここでこれ以上ふれる必要はないだろう。「国民」というのは、「民族」が資本制生産の発展の上に、「近代国家」を形成するに至ったものだといって良いだろうと思う。従って、民族と国民とは、必ずしも同じではない。どちらかといえば民族というのは、「自然」の問題を色濃くもっており、「国民」は「民族」の上に「発展」したものであるといって良いだろう(以上転載)。
民族の規定をしている三つの説明を少し補足すれば次のようになるだろう。第二の分業社会ということは、これまでみてきたように、部族(種族)の連合ということである。第二の生産力の発展に規定された「地域性」ということは、別の面からみれば、生産力の発展を背景に、人間の共同体としての一定の固定化、又は安定ということにもなる。
尚、階級闘争にとって、何故民族の解明が必要なのかといえば、プロレタリア革命は歴史を引き継ぎ、止揚するということだからである。それぞれの民族が、独特のあり方を通して資本主義に到達していく時、プロレタリア革命という普遍性が、その独特のあり方を歴史的に引き継ぎ止揚し発展させるのでなくては、世界史的(つまり歴史を引き継ぎ且つ世界的である)共産主義に到達することはできない。歴史を引き継ぎ発展させるものでなけれは、それは「空虚な一般」であって、形式のみとなる。
歴史は共同体的なものであり、それをプロレタリア的共同体へ止揚していくのだ。だから、原則的にいえば、異なる民族は何らかの形で分離、自立する闘いが必要なのだ。政治的に独立せず、文化的にのみ自立しているなどというのはニセモノである。文化は本質的には、政治と不可分なのだ(単純な一対一的な直結ではないが−)。自ら政治的に自立し、自らの言語を発達させない民族は、歴史的発展はなしえない。だがそれが、現在的には、ブルジョア的な「民族独立」闘争になるとは限らない。ロシア革命後−特に第二次大戦後の現在では、プロレタリア革命による歴史の継承、発展がむしろ必要なのだ。そして異なる民族のソヴィエトは、必要ならば一旦分離して、連合することを追求しなくてはならない。但しこれは、レーニンもいっているように、その段階の階級形成の判断の上に立って慎重になされねはならぬが−(この政治的方向性については「プロレタリア革命と民族問題」参照)。
(4)貨 幣
ここでは、何故、貨幣が「物神」としての力をもってしまうかを簡単にみてみよう。その構造は次のように要約できる。
第一は、貨幣は商品であり、従って生産物であるということからくる問題である。生産物とは、人間と自然の矛盾を基礎として人間が類的活動(生産)を通して自然を作り変え、それを自らのものとすることによって、人間と自然の矛盾を超えていくために作り出されたものである。又同時に、それは生産の本質からいっても、人間の類的活動の対象的実現という意味ももっている。
第二には、分業を前提とした社会での商品のもつ意味からくる。商品は、資本主義のかなり以前に、古い時代から存在する。これは、共同体間の交流の開始の中で生み出されてくるのである。資本主義社会の貨幣とは単純に同一視する訳にはいかないが、しかし全く別のものではなく、社会関係の発展の中で、前者が後者へ発展したものということができるだろう(もちろん、貨幣自身が果す役割は同じであるが)。そういう意味で、貨幣の本質的解明は『資本論』(第1巻)の中で行なわれている。つまり、分業社会での生産が、交換を通して自らの中にある本質(価値)を、相手の商品の使用価値を通して対象的に表現していく(このことは人間存在のあり方としての「対象的存在」ということに深く関わりをもつ)。この過程は、分業(私的所有)社会の中で、「疎外」された形で「普遍性」を形成していく構造である。
貨幣物神の解明のためには、生産物のもっている人間社会の中での本質的意味が特に重要である。<神>としての力をもってくるのは、分業を基礎とした社会の中で、人間が対象的存在であることを通して、「普遍性」が外在化し、疎外されていくという点にある。(この詳しい展開は『共産主義「復活」の諸問題』―「史的唯物論の確立のために」T・U参照)
われわれは今迄、この問題を解明するために必要ないくつかの整理をしてきた。その上に立ってここで今迄の叙述の収約にはいっていこう。
(1)マルクスにおける「疎外」と「物化」の把握
われわれは今迄、疎外や物神という言葉を説明ぬきで使ってきた。ここで最後のまとめにはいっていくためにも、この問題についてまとめておく必要があるだろう。
マルクスは疎外という言葉を初期には使ったが、後期にはそういう概念は使っていないという人がいる。確かにマルクスとエンゲルスは『ドイツ・イデオロギー』の中で、「哲学者にもわかるように」という但し書きをつけて疎外という言葉を使っている。しかし、そのことはヘーゲル主義的意味での疎外論の批判ではあっても、マルクスが疎外論の科学的な捉え返しを放棄してしまったということを少しも意味しない。例えば『資本論』の中でマルクスは疎外という言葉を頻繁に使っており、第三巻の中だけでも十回以上使っている。
「このような考え方がそれほど奇妙なものと感ぜられなくなるのは事実の外観がそれに合致するからであり、又資本関係が労働者を彼自身の労働の実現の条件に対してまったく無関係にし外的にし疎外し、それによって内的な関連を事実上おおいかくしてしまうからである」(『資本論』第3巻第1篇第5章第1節)
「ますます資本は資本家をその行使者とする社会的な力としてあらわれ、この力は一個人の労働がつくり出せるものに対しては最早考えられるかぎりのどんな関係ももたないのであり、…しかもそれは疎外され独立化された社会的な力であり、この力が物として、又このような物による資本家の力として、社会に対立するのである」(『資本論』第3巻第3篇第15章第4節)
「だから経済的諸関係の疎外された現象形態、そこではこの諸関係が一見して無茶苦茶であり完全な矛盾であるような現象形態―そしてもし事物の現象形態と本質とが直接に一致するならばおおよそ科学はよけいであろう―まさに、このような現象形態のもとでこそ俗流経済学は全く我家にある思いをするものだとしてもそして又この諸関係の内的関連がおおいかくされていればいるほど、と言ってもこの諸関係が通常の観念にとってはなじみやすくなればなっているほど、益々それは俗流経済学にとって自明に見えるとしても、そんなことは我々にとっては驚くにあたらないのである」(『資本論』第3巻第5篇第27章)
「こうして利潤は(もはや唯その一方の部分だけでなく、すなわち借手の利潤からその正当化の理由を引き出す利子だけでなく)他人の剰余労働の単なる取得としてあらわれるのであり、この剰余労働は生産手段の資本への転化から、すなわち現実の生産者に対する生産手段の疎外から生ずるのであり、上は支配人から下は日雇人に到るまで現実に生産に従事するすべての個人に対して生産手段が他人の所有として対立することから生じるのである」(『資本論』第3巻第5篇第27章)
以上、今までの叙述に密接に関係があると思われる用法を選んであげてみた。
ヘーゲルにとっては、疎外というのは「絶対精神」が「弁証法的」に展開する際に行なう行為であり、一種のトンボ返りのようなものである。
「一方では、現実の自己意識は、その疎外を通して現実の世界に移行し、この世界はその自己意識に帰っていくが、他方では人格でもあり対象性でもあるこの現実こそは廃棄されている。両者はそのまま共通している。現実の、このような疎外が純粋意識もしくは実在である。現在は、自分の思惟でありまた思惟されたものでもある自分の彼岸においてそのまま対立をもっており、彼岸もまた、自分を疎外した自分の現実である此岸において対立をもっている」(ヘーゲル『精神現象学』〔D〕精神B自己疎外的精神、教養)
マルクスが批判しているように、ヘーゲルにとっては対象それ自体、意識が作り出したものであり、従って仮象にしかすぎない。従って疎外の止揚ということは、対象性そのものの止揚になってしまうのである。つまりヘーゲルにとっては、疎外というのは意識が自己を外在化させ、そのことにおいて自己自身と対立していくことである。但し、既にみたようにこの対立自身は空虚な仮象なのであるが―。マルクス主義的立場に立って、又は科学的立場に立ってこのヘーゲルの疎外論を捉え返すということはどういうことなのだろうか?
それは、マルクスがヘーゲルの弁証法を評価する視点をみれば明らかである。
「従って、ヘーゲルの『現象学』とその究極的成果とにおいて―運動し産出する原理としての否定性の弁証法において―偉大なるものは、ヘーゲルが人間の自己産出を一つの過程としてとらえ対象化することを対立すること、すなわち外在化することとして、そしてこの外在化の止揚としてとらえているということ、こうして彼が労働の本質をとらえ対象的な人間すなわち、現実的であるゆえに真なる人間を、人間自身の成果として把握しているということにほかならない」(マルクス『経・哲草稿』)
つまり、疎外を労働又は社会的生産という点から捉え返すことである。それではマルクスは、疎外をどういう意味で使っているのか?
それは次のように理解していいだろう。人間の活動である「社会的生産」(それは人間の活動の一切を含んだ意味で使う)は、矛盾を超えていくためにより普遍的なものを生み出さんとする。分業社会でこれが行なわれる時、生み出された普遍的なものは、分業のドレイとして縛りつけられているものに対して逆に抑圧的に作用する。この構造を、マルクスは疎外と言っている。これは物質的生産についても精神的生産についても同じである。
それでは、「物神」についてはマルクスはどう言っているのだろうか?
「…他面この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとっては外的なものであって、その背後にかくされた人間的諸関係のたんなる現象形態である、という予感が横たわっている。この意味では、商品はいずれも、価値としてはその商品に支出された人間的労働の物象的外被にすぎぬから、章標であろう」(『資本論』第1巻第1篇第2章−この「物象」という訳は長谷部氏の訳であり、向坂氏は「物財的」と訳している)
「我々のみたようにすでに最も簡素な価値表現たるX量の商品A=Y量の商品Bにおいても、ほかの物の価値の大きさがそれで表示されるところの物は、それの等価形態をこの連関から独立に、社会的な自然属性として有するかにみえる。われわれはこの虚偽の仮象の確立を追求した。この仮象は、一般的な等価形態がある特殊的な商品種類の自然形態と癒着した時、または貨幣形態に結晶した時、完成する。…ここから貨幣の魔術が生ずる。人々の社会的生産過程における彼らの単に原子的な振舞いは、従ってまた彼ら自身の生産諸関係の彼らの統御および彼らの意識的な個人的行為から独立する・物象的な・姿態は、さしあたり彼らの労働諸生産物が一般的に商品形態をとるという点に現象する。だから貨幣物神の謎は、眼にみえるようになった、人目をまどわす商品物神の謎にほかならない」(同上)
「我々は、すでに資本主義的生産様式の、また商品生産さえもの、最も単純な諸範疇についてのべたところで、つまり商品と貨幣についてのべたところで、神秘化的性格を指摘したが、この性格は社会的な諸関係、すなわち生産にさいしての富の素材的諸要素がそれの担い手として役立つところの社会的な諸関係を、これらの物そのものの諸属性に転化させ(商品)、またもっとはっきり生産関係そのものを一つの物に転化させる(貨幣)。すべての社会形態は、それが商品生産や貨幣流通にまで到達しているかぎり、このような転倒に関与する」(同上)
「資本−利潤、またはより適切には資本−利子、土地−地代、労働−労賃では、すなわち価値および富一般の諸成分とその諸源泉との関係としてのこの経済的三位一体では、資本主去的生産様式の神秘化、社会的諸関係の物化、物質的生産諸関係とその歴史的社会的規定性との直接的合成が完成されている。…このようなまちがった外観と欺瞞、このような、富のいろいろな社会的要素の相互間の独立化と骨化、このような、物の人格化と生産関係の物化、このような日常生活の宗教、およそこのようなものを解消させたということは古典派経済学の大きな功績である」(同上)
これらのことからも明白なように、社会的関係を物の自然的諸性質に転化させる、又は生産関係そのものを一つの物に転化させる資本主義的生産様式の神秘化的作用を、マルクスは「物化」と呼んでいる。そしてそれによってその物がもつ「神的」性格から、その物を「物神」と呼んでいる。それでは、何故そのようなことが起こるのか?
(2)社会的関係を物の自然的諸性質に転化させることによる
「物神」の産出
第二章において、「物神」のあり方をいくつかみてきた。そこにおいてわれわれはほぼ「物神」の構造を解明しえたが、ここでそれを、もう一度まとめて整理しておく必要があるだろう。性、人種、民族、貨幣というような形でみてきたが、このそれぞれの叙述はかなりアンバランスなものであった。何故ならば、何らかの形で既に解明が進んでおり、それを整理していくことにより大部分の解決ができるものと、そうでないものがあるからである。前者は性の問題であり、後者は民族、人種間題である。従ってここまでにくる以前に内容の解明にはいっていけたものと、その概念の説明以上には出られなかったものとが一緒になった書き方になっている。その辺は力量不足を含めて容赦してもらうとして、ここでもう一度、本質的解明という点に揃えて整理しておきたい。今迄の書き方に今みたようなアンバランスがあった以上、ここでの書き方も、簡単な要約ですむものと、少し詳しく整理せねばならぬものという「量的」アンバランスが出てしまうが、その辺はそういうつもりで読んでいただきたい。
<「性」の物神化> これは、既にみてきたように分業の発展により女性が一定の仕事の中に閉じ込められ、そのことを通して男性に従属していくことによって生まれる。こうして男性は、女性を自らの従属物としてしまうことによって、自らの「性」をも人格性を喪失した「物」に転化させてしまう。女性の仕事は共同体的な仕事の一環として位置づけられているのだから、その仕事に伴う諸要素は女性固有の性質のように固定化する。しかも、この分業の深化、拡大の過程は同時に、既にみてきたような認識論上の「タダモノ論」(唯心論の裏返しとして)の形成過程であり、こうして誤った「自然科学的」認識が成立する。人間の社会的諸問題や精神の問題を人間の中の自然のせいにする「認識」である。
<人種と民族の物神化> 人種と民族とは機械的に、絶対的に分離してしまっても仕方のないものだが、しかし直接的には異なったものである。しかし、人種主義、民族主義として問題にする時、分けて解明することが不可能である。何故ならば、人種と民族は共に共同体を背景にした「自然」の問題をめぐっており−その現われ方が異なるにしても−、民族主義は、人種主義とからみ合って出てくることが多いからである。ここでは民族主義をまず解明し、そこを通して人種主義を解明し、その後に両者の差異性をみてみよう。
今迄みてきたように、民族は分業の発展を背景にもちつつ、部族(種族)の連合として成立してくる。しかもそれは生産力の未発達を背景にして、人間の共同的活動範囲が一定の地域に限定されているという中で成立してくる。ところで人間は類的、対象的存在である。つまり何らかの共同のもの(普遍的なもの)を対象としてもち、またはそういう対象を産出することによって類的意識(共同体的意識−人間的意識)をもつ。ところで、今みたような部族連合が成立する段階では、その共同体の人間がもつ対象としての自然は地球全体からみれば非常に限られたものである。従って特定の生活様式をもち、それにより特定の言語をもつ。ある所では米と麦を箸で食べ、木と紙で作った家に住む。ある所ではトウモロコシを食べ、皮で作ったテントに住む。またある所では、草原に羊を飼って移動する。こうしたことはその人間を、直接的な行動、習慣、風俗のみならず意識空間としての言語の世界を通して規定する。自然的条件の差異、産業の差異、生活様式の差異は、言語の形成、発達に大きく作用する。しかも人間は、言語という対象化された普遍的意識を通して、普遍的意識(共同体意識)をもつのだ。しかもそこに住んでいる人間は分業にしばりつけられている。
こうして個々人にとっては、物質的対象としての自然、産業生活様式、言語は、疎外されたものとして成立している。しかしまた個々人は、それを通してしか人間でありえないのだ。しかも、この分業に包摂された個人は、性の分業において鋭く出たような問題にとらわれている。つまりそれぞれの分業の中で、個々の存在(肉体)はその分業に伴う社会性の「体現者」として現象させられている。つまり鍛冶屋は「鍛冶屋的存在」として、詩人は「詩人的存在」として、更に奴隷は「奴隷的存在」として現象させられている。
民族主義を解明する時、もう一つみておかねばならぬのは共同体間の分業の問題である。つまり分業は共同体問分業としてもあること、しかもそれはしばしば一方の他方への支配を伴っているということである。その典型が、帝国主義本国と植民地の関係である。この中で、今みた一つの共同体の中で起こる現象が、共同体間で起こることになる。つまり、イギリス帝国主義の支配者にとっては、アフリカの人間を征服することによって、「征服されること」によってもたらされたアフリカの人間の状態を固定的なものだとしてしまい、しかもそれを生活様式と結びつけてしまう。かくしてアフリカの草原を自由にかけまわっていた人々は「奴隷的な人間」だということにされてしまう。民族主義の問題の困難さは、個人と共同体の関係と共同体と共同体の関係が一緒になって出てくるからである。共同体的意識ということは人間的意識ということだから、分業に囚われている限り、別の民族の人間は「理解しがたい」かのように現象することもある。つまり、生産力の限界を背景にして一定の地域に固定化され、しかも分業に包摂された人間には、その対象的自然と生活様式、言語等が疎外された普遍性として現われ、しかもその疎外された対象を通してしか共同体的意識をもちえないのだ(ここに民族主義の恐るべき力がある)。こうして分業に縛られた「物神」に支配された状態に、共同体間分業の問題が重なり、異なった民族相互の分断は決定的なものにみえるのだ。
人種の差異は、これを更に極端化する。今みたように、同じ民族の中でもそれぞれの身体性(肉体性)は分業とそれにまつわる社会関係の体現物として現象させられており(社会関係の物化)、これが認識論上の唯物主義(タダモノ主義)と重なっている。ところが、人種的差異はこの唯物主義(タダモノ主義)にとって恰好の材料となり、民族の中でみてきたような問題が極端化されて突き出され、既にみてきたような全く非科学的な憎むべき人種主義が生まれる。
<貨幣>−これについては既にみてきているので、ここではくり返さない
以上のことをまとめて収約すれば、「社会関係の物化」による「物神」の産出とは、次のような構造の中で起こることになる。
第一に、自然生的分業の発達(人間が自然と自分を支配できない状態)。
第二に、第一のことを背景として、疎外された普遍性を手に入れることによる支配者の成立、被支配者の成立。分業が発展してくれば、普遍的なものはその分業に囚われている人間に支配的に作用する力となり、その普遍性を身につけたり、自らの活動としてなしたり、手に入れたりした人間を、支配的な位置につける。逆にいえば被支配的存在が作られる。
第三に、第二の問題の時に人間の対象的本質ということが大きく作用する。疎外された普遍性は、分業に囚われた存在の中に共通している共同体的本質を外在化させる形で成立する。対象化が疎外となる。
第四に、第一〜第三の結果、社会関係が分業に囚われている存在の自然(肉体、貨幣の場合は使用価値)と重なって現象する。
第五に、この過程は、精神労働と肉体労働の分業の発展の過密でもあり、唯心論(観念論)と唯物論(タダモノ論)が相互的に発展する過程である。
(注=自然生的分業の発生ということは単に矛盾が「自然生的」に生まれてくるということだけを意味しない。支配階級は、支配の強化のためにはその分業を目的意識的に利用して、同一民族、同一人種の社会でも人民の一部を社会から強制的に排除し差別、分断を人為的に作り出すことも行なう。)
(3)「神」の産出の確造
人間がどうして神を作り出したのかは、われわれがもう一度ハッキリさせておかねばならぬ課題である。確かにフォイエルバッハは、神の秘密が人間の秘密であることを暴露した。しかしフォイエルバッハは、何故、人間が神を生み出してしまうのかを解明するのに、決定的に不充分であった。ヘーゲル的普遍性(疎外された観念的普遍性)に対して<自然的存在>、<個別的存在の総体としての類的存在>を明確にし、その人間が自らの類的本質を疎外したものとして、神を解明した。だが、こういうことの上に立って更に追求しなくてはならぬのは再度、何故、人間が神を生み出すのかという問題である。マルクス・エンゲルスの追求はこれに成功しているが、直接的にこの間を解明した形の論文は少ない。それがわれわれの闘いの中で、割合大きな意味をもってしまっている。単純化していえば、観念化とは一体どういうことなのかということである。逆説的なようだが、この間題の追求にある視点から光を投げかけているのが、近代哲学の出発点となっているカントの哲学であると考える。主観的観念論としての体系を確立している『純粋理性批判』は、また、最も鋭く神の秘密をも解明していると思われる。それはバイブルや仏典が、宗教書であると同時にわれわれに最も多くの神の秘密を提供するものであるのと同じ意味である。ここでは、この逆説的な作業を若干行なってみたいと考える。
<『純粋理性批判』の構造>
カントの『純粋理性批判』は、1781年に第一版が出された。つまりドイツで資本主義が発達していく過程である。第二版は1787年に出されるのだが、この2年後の1789年にはフランスではフランス大革命が起き、ルイ16世がギロチンにかけられ、ブルジョア革命が成功する。だがドイツではブルジョアジーの発達は遅く、イギリス、フランスよりはるかに遅れていた。漸く成立していったブルジョアジーは、封建社会の残りかすを沢山身につけていた。カントの苦闘は、近代ブルジョアジーが自己を思想的に確立せんとする苦闘でもあった。そういうものとして『純粋理性批判』は書かれていった。認識論上の主観的観念論は、近代的ブルジョアジーの「人間の立場」(封建社会の神に対して)を確立せんとするものであった。だが結局カントは「神」に余地を残していかなくてはならなかった。いやそれは、そういう形式をとりながら近代ブルジョア思想の限界を非常に早い時期に指し示し、それによってブルジョアジーも結局「神」を必要とするということを証明したものでもあった。
まず、簡単にこの『純粋理性批判』の大まかな構造をみてみよう。それは構成からいえば次のようになっている。
一、先験的原理論
第一部 先験的感性論
第二部 先験的論理学
第一部門 先験的分析論
第二部門 先験的弁証論
二、先験的方法論
ここでは先験的感性論と先験的弁証論を主にみてみてみることにする。ここがわれわれの課題に最もふれているからである。先験的感性論というのは、有名な「コペルニクス的転回」という所である。つまり、それ以前の認識論は直観が対象の性質に依存せねばならぬとしていたのだが、カントはそれでは真理の認識は不可能であるとする。カントは、真理は先天的認識によらねばならぬし、そのためには対象認識が人間の直観能力の性質に依存せねばならぬのだという。当時のヨーロッパ哲学は、イギリスの経験論にしても大陸の合理論にしても「先天的認識」のみが確実性を有するということを前提にしていた。そしてイギリス経験論は、認識は経験にその起源をもつものであり対象についての先天的認識は成立しない、従ってわれわれの認識は確実な真理をつかみえないとした。その意味で「懐疑論」的性格をもっていた。合理論は、先天的認識のみが確実な真理を把握しうる、それは可能であるというものである(『カントの哲学』岩崎武雄)。先天的認識というのは、数学の公式のように経験に頼らずに人間が「先天的」にもちうるものをさしている(もちろんわれわれは、数学の公理等が全く経験を離れた神秘的(先天的)なものだとは思わないが−)。カントの立場はこの限界を超えてはいない。こうして、人間の認識の直観を支える感性の中の時間、空間は、人間の感性の形式なのであって、対象に具わっている性質ではないという。早い話が、同じ地球に住んでいても直観の形式が空間、時間という形式を具えていなければ、人間と別の認識が成立するというものである。時間、空間が対象(自然)の存在のあり方であることを認めないのである。こうして人間の認識する対象は人間にのみ固有な現われ方をする「現象」でしかないことになり、物それ自体の本来のあり方=「物自体」は人間には認識できないことになるのである。
さて、この先験的感性論の上に立って先験的論理学が展開される。そこでは、第一部門の先験的分析論によって「先天的総合判断」が成立するための「カテゴリー」の分析と、そのカテゴリーが直観といかに結びつくのかが論じられる。要するに、経験上得られる直観と、カントが言っている超経験的なものと、関連を示しているのである。そして第二部門において「先験的弁証法」が展開される。ここで展開されるのは、何故人間が「仮象」(ここでは神)を生み出してしまうのかということである。カントはここで言う仮象を、一般的にいわれる幻想と同じ意味で言っている。
「すべての仮象は、考えるという働きの主観的条件にすぎないものを客観の認識だと考えることから生ずる」(カント『純粋理性批判』河出版、A397)
「感官の対象の可能なゆえんは、感官とわれわれの思惟との関係である。この関係であるものが先天的に思惟されることができるのであるが、しかし質料を構成するものすなわち現象における実在性は与えられていなくてはならぬ。…本来ただわれわれの感官の対象として与えられるものについてだけ妥当するにすぎない原則を、あらゆるもの一般に妥当しなければならない原則であるとみなすのは、そもそも生来の幻想によるものである」(前掲書A581)
「理性の原則とは、本来与えられた現象の系列において端的な無制約者に立ちどまることの決して許されない原因への追求を命ずる一つの規則にすぎない。であるから理性の原則とは、経験の可能なゆえんの原理でもなければ感性の対象を経験的に認識するための原理でもなく、従って悟性の原則でもない。けだし経験はいずれもその限界内にとじ込められている。理性の原則はまた、感性界の概念をあらゆる可能な経験をこえて拡張する構成的原理でもなく、かえって経験をできるだけ広く続行し拡大しようとする原則であり、それによればいかなる経験的限界も絶対的限界とみなされてはならないような原則である。従って理性の原理は、原因の追求に際してわれわれのなすべきところを規則として要求するが、客観として一切の遡源に先立ってそれ自身として与えられているものを予科するものではない。それゆえ私はこれを理性の統制的原理と名づける。これに対して、客観(現象)としてそれ自身与えられているものとしての制約の系列の絶対的総体性の原則は構成的宇宙論的原理と言うべきだろう。そして私はこの原理(構成的原理)の無意味なことを丁度この区別によって示し、それによってこの区別がなされなかったなら不可避的に生ずるところの単に規則として役立つにすぎない理念を客観的実在性をもつものであるかのようにみる誤りを防止したいと思ったのである」(前掲書A509)
こういう把握の上に立って、理性の誤った使用によって三つの「先験的仮象」が生ずるという。第一は、定言的推理によるものであり、第二は、仮言的推理によるものであり、第三に、選言的推理によるものである。こうして、「一個の主観における定言的統合の無条件者、第二に、一個の系列の項の仮言的統合の無条件者、第三に一個の体系における部分の選言的統合の無条件者が求められねばならない」(前掲書A322、B379)。
定言的推理というのは「すべての人間は死ぬものである。カーユスは人である。故にカーユスは死ぬ」というような推理であり、この推理の根本には常に、一般的なものへの発展が必要である。つまり「カーユス」→「人間」→「すべての人間」というような形である。こうしてそれ自体としては述語とはなりえない絶対的主語を求めていくことになる。仮言的推理というのは「もしAであればBである。ところでAである。従ってBになる」というような推理である。これは結局、系列の第一項、絶対的前提を求めていくものである。選言的推理というのは「AであるかBである。Aである。故にBではない」というものであり、これは一切を含んだ絶対的包括者を求めていく。こうして、第一のものから思惟的主観の絶対的統一としての「霊魂」、第二のものから現象の制約の絶対的統一者としての「世界」、第三のものから思惟一般のあらゆる対象の制約の絶対的統一者つまり「神」という、三つの「先験的理念」が生まれるという。つまりこれが理性が必然的におちこむ「先験的仮象」であるという。
カントの言う先験的弁証論は、こういう先験的仮象を暴露する論理学だという。カントはこの三つの形態を「先験的誤謬推理」−「純粋理性の二律背反」−「純粋理性の理想」でみる。第一のものは、人間が「我思う」(Ich denke)という概念又は判断から出発して、心という実体、霊魂の存在を考え、これを経験を無視していろいろ規定を考えるからだという。第二のものは、理性が絶対的前提を求めて進む中で生まれ、二律背反になるという。第三のものは、認識の理想は実在性の総体を考えて一切をここから導き出そうとすることにあるが、この実在性の総体という理想が現実に実体としてあると考える時、生ずるという。要するにカントは次のように言おうとしているのだ。人間の認識には、「感性」−「悟性」−「理性」の三段階がある。悟性は、規則によって、直観、感性によって与えられる現象を統一する能力であり、理性は悟性の規則を原理の下に統一する能力である(B359)。そして先験的感性論でみたように、人間によって可能な直観は感性的直観であり、これを決してこえられない。ところがこれをこえて理性を「構成的」に使用する時、先験的仮象が生まれるというのである。
要するにカントは、現実的な個別的な存在のあり方を感性に限定し、その存在が現実的個別的感性をそのままにしておいて、普遍性を追求する時に仮象(神)を生み出すと言うのである。カントの鋭い点は、人間の本質を「理性」を通して掴んでいることである。つまり無限なものを無限に追い求める存在として掴みとっていることである。もちろん、これはカントにとっては批判の対象なのであるが−。更に、カント以後展開されていくドイツ観念論において「解決」されてしまう課題が、予感的にではあれ問題意識として残っている。つまり物自体の問題である。カントからフィヒテ、シェリング、ヘーゲルと進む過程で、自然を含めた客体が主体(自我)によって産出されるものとなってしまうが、カントにとっては、物自体として残る。但し、カントの物自体は、フィヒテの自我やへーゲルの絶対精神につながる性格をも含んでいるのだが−。
このカントの先験的弁証論=仮象の解明をフォイエルバッハ、マルクスの地点から把え返せば、次のようになるだろう。ブルジョア的アトム的個人(私人)は、直接的現象、個別的感性としては対象を掴み得るが、対象の普遍的本質は掴み得ない。しかし人間存在としては、その個別的存在は類的普遍的本質を即自的にはもっており(団結を通して展開されてはいないが)、それを分業と競争の論理に基づいて展開しようとする時、神を産出する。フォイエルバッハが鋭く解明したように、人間は類的対象的存在であり、従って何らかの形で自らの外に類的なもの(普遍的なもの)を定立することによって初めて、人間として意義されるものなのである。従って分業と競争の論理に囚われ現実的には個別的存在を超えることができないブルジョア的個人が、共同体的意識をもとうとすれば、その個別的感性を否定した上で、それを超えて自らの普遍的本質を観念的に対象化するしかない。自らは感性的現実的存在であるから、こうして産出される観念的普遍性も「実体」として定立される。さもなければ、自らを類的に意識することができないからである。
あとでもう一度整理するが、物神と神とは異なる。もちろんその産出の構造は本質的に共通したものであるが、神は今みたように観念の実体化を本質とする。いうまでもなく、実体化された観念は現実の物や人間として表現されていくが−。
以上、われわれは様々な問題を通して神と物神の解明を行なってきた。こうしてわれわれは、神と物神の止揚を再度、分業(私的所有)の止揚として立てることができる。この点についてのわれわれの方向性は、第T部のプロレタリア運動のあり方(共同戦線−統一戦線−党)でふれた。
<参考T>分業と競争の論理
「分業と競争」の中での人間の論理をみてみよう。これを現在の教育の問題を通して行なってみよう。
現在、ブルジョア教育の中ではすさまじい形の専門化、競争が進んでいるが、これがどういうことなのかは、幼児、小学校段階での選別に非常に鋭く表われている。「IQテスト」なるものによって選別されて、それに達しなかった児童は小学校入学を「遠慮」させられる。また入学した子供でも、同じような形で選別された子供は特殊学級として特別な学級に入れられ、他の子供たちと隔離されてしまう。これを最も厳しい形としつつ、幼児教育、小学校、中学校段階でコース別の専門化が既に進む。中学校入学の入試はその推進としてある。これは一体どういうことを意味するのか?人間の一定の発育段階で個別的人間のあらゆる問題は人間的共同体の中に包み込まれていて初めて、全体的発展の一環として解決されていくものなのだ。人間の一生の歴史を通して、それは解決されていく場合もあろう。一人の児童の発育がどういう経過で不充分になってしまったのかは、又どう解決されるのかは「IQテスト」などでわかるのものではないはずだ。
人間の本質とは生ける人間の総体なのであって、その児童の人間的発展は、その共同体総体の問題として立てて初めて可能なのだ。
マルクスはブルジョア心理学を批判して次のように言っている。
「産業の歴史と産業の生成しおわった対象的現存とが、人間的な本質諸力の開かれた書物であり、感性的に提示されている人間的な心理学であることは明らかである。だがこの心理学は、これまで人間の本質との連関においてではなく、つねにただ外面的な有用性の関係においてだけとらえられてきた。なぜなら、ひとは−疎外の内部で動きながら−人間の一般的な現存だけを、つまり宗教を、あるいは歴史を、その抽象的=一般的本質において、政治、芸術、文学等々として人間的本質諸力の現実として、また人間的な類的行為としてとらえることしか知らなかったからである。通常の物質的な産業(−これをあの一般的運動の一部分としてとらえることもできれば、同様にまたこの一般的運動そのものを産業の特殊な一部分としてとらえることもできる。というのは、すべての人間的活動はこれまで労働であり、したがって産業(勤労)であり、自己自身から疎外された活動だったからである−)において、われわれは感性的な、疎遠な、有用な諸対象という形態のもとで、疎外という形態のもとで、人間の対象化された本質話力を見いだすのである。〔あの〕心理学にとってはこの書物が、したがってまさに歴史のうちでも感性的にもっとも身近で近づきやすい部分が閉じられているのだが、そのような心理学は、現実的な、内容豊かな、実在的な科学となることはできない。科学ではあっても、人間的労働のこの偉大な部分をお上品に捨象する科学、人間的活動のこのように広汎に展開された富が、『必要』『凡俗な必要』などと一言でかたづけられること以外なにごともこの科学に語りかけない限り、自分自身のうちに自分の不完全さを感じない科学について、いったいわれわれはなんと考えるべきであろうか」(『経済学・哲学草稿』−「私有財産と共産主義」)
にも拘らずブルジョア社会では、一定の児童を他の児童と隔離してしまうことによって「病」にしてしまう。ある時期にある要素が、共同体から隔離されてしまうことによって、その児童にとってその要素は発展を押しとどめられた一面的なものとして固定化してしまう。しかも、「普通」学級の生徒自身も、この構造の中で、同時にゆがめられているのだ。
<参考U>人間の認識の構造
−ギリシャ哲学における認識の発展−
われわれが目的としている問題を解明するために、もう一つ、人間の認識の発展の問題を整理しておかねばならぬ。例えば、幼児が青年となり、大人になっていく過程の認識は、構造と内容において総合的発展をたどる。構造を抜きにして内容をおしつけても意味がないし、逆であっても同じである。例えば、平和の話ばかりをすることが子供の成長の発展になるとは限らない。事実を知らせることは、単に「争い」があることを知らせるという意味ばかりでなく、人間の成長にとって自我の形成と葛藤が必要なのだということからも避けてはならない。これについてはすでに、歴史的な共同体の発展においてみてきた。個体発生は系統発生を繰り返す。子供は、海から発生し人間にまで発展した生物としての過程を、母親の体内で経るのである。そういう意味で、現段階においても、歴史の発展における認識の構造と内容の整理が必要である。共同体の歴史においてみた、共同体の中からの個人の発展は、認識の構造と内容としても独特の歴史を構成する。それを、アニミズムとシャーマニズムの問題、およびマルクスによっても最も正常な(原文ママ)子供といわれたギリシャのイオニア、アテナイの歴史を通してみてみよう(後者については出隆著『ソクラテス以前』を参考にしてみる)。
アニミズムとシャーマニズムの問題をまず簡単にみてみよう。アニミズムは原始的社会の人々にみられるもので、所謂トウテム等の問題である。原始社会の人々は、特定の動物たちを神と崇めた。そこでは、自分たちとその動物は直接的に同一視されていた。これは、人間と自然の同一視の原初的形態である。シャーマニズムは、それよりもー歩発展した形で、人間の神を崇めそれを通して自然との調和を祈願するものである。シャーマニズムにおいても、アニミズムにみられる自然と人間の同一視は存在するが、アニミズムは自然現象の方に人間を引きつけて理解しているのに対して、シャーマニズムは人間の方に自然現象を引きつけて理解する傾向がある。人間の社会がより発展していった経過を反映している。
アニミズムからシャーマニズムに引き継がれた人間と自然の同一視は、本質的にはブルジョア的認識においても止揚されずに残る(但し二元論約分裂を含みながら)。それは、自然の理念化ということである。認識主体としての人間の側に形成する普遍性が観念的なので(分業の発展と共にそれは明確となる)−「理解」「認識」ということが、対象の認識主体への同質化を含むため−対象も観念化されてしまうのである(アニミズムにおいては、この観念的な認識構造というよりも、社会の発展の低い段階での人間と自然の同一視という側面が強い)。従って、分業社会である限り、対象認識は本質的に観念的であり、ブルジョア社会もそれを超えることはできない。くり返しになるが、分業社会では、共同体的意識は、すでにみてきたように観念の実体化を根本としているからである。
さて、こうしたことを前提として、ギリシャ古典哲学の歴史を、ここで必要な限りでみてみよう。社会的背景を詳しく述べていることもできないので、出隆氏による哲学思想の歴史の叙述を素描するにとどめる。
ギリシャ哲学は大きく分けると、アテナイ以前の哲学、アテナイの哲学、ヘレニズム時代の哲学に区分されるという。アテナイ以前の哲学は、世界および人生の真相の追求にあり、その真相は「プユシス」なる言葉で語られ、「自然」という意味を含んでいた。この自然は、内外、つまり人間と自然の区別が明確でなく、内なる心的なものがそのまま外界の一部として投射され、一様に物の世界とみられていた。この最初の哲学は、自然学的宇宙論的なものであり、主観が問題となっていない「客観的」なものであった。こういうプユシスをみる見方は、紀元前6世紀の人々の間では「物活論的−一元論的」であり、前5世紀になると、主として「機械論的多元論」となる。
アテナイの文化は、ペリクレスの民主政治の下で全盛期に達するが、哲学としては大いなる悩みの時代にはいる。探究の対象は自然から人間にかえり、主体の中に客観的価値を見出さんとするものである。この時代は、悲劇詩人の出現からソプイスタイ(懐疑論者)やソクラテスの時代を経てソクラテスの弟子たち、特にプラトンとアリストテレスに至るまでの時期である。ギリシャ哲学は、神話から始まり理論−学問へと発展していく。詩人たちの神話においては、世界発生は大昔の太祖に求められたのに対して、学問においては、概念的、論理的な「はじめ」になる。ここでは、むしろ時間的な意味を失って、概念の「はじめ」、論理の第一者、現に有り且つ変化している現象の本質そのものは何か、という意味での「もともと」になるのである。「誰から」ではなく「何か」が問題とされている。個人自体の本質的価値が尊重されるようになったこの時代では、伝説の「起こり」ではなく、「自然」によるその「本質」に原理を求めるに至る。その意味で、もともとの「アルケー」を求めるに至る。こうして哲学が生まれる。
≪ソクラテス以前の哲学者たち≫
ターレス−彼は、雑多なる万物を貫いてそこに一貫している本質的なものを問題とし、その実体を問題とした。概念的、本質的に「はじめのもの」「第一のもの」を求め、それを「水」だとした。しかも彼の「水」は生きているものであった。そういう意味での「物活論」であった。
アナクシマンドロス−彼はターレスの「水」をもなお有限なものと考え、「もとのもの」をそのまま「無限なるもの」(ト・アペイロン)と呼んだ。これは永遠不滅なものであると同時に運動的なものであり、また物活論的な立場に立っていた。「無限なるもの」は概念的なものというより、極めて物質的なものと考えていた。「ト・アペイロン」は自ら分離することにより、「暖かきもの」と「寒きもの」という二つのものが生まれる。そして、この性質が異なる二物から万物が発生する。更に彼によれば、ト・アペイロンから発生した有限な物質の世界は、これら一切を生み支配する無限なものにとっては悩みであり、また分離して有限な個物となることは無限なるものに対する罪である。亡びなきはト・アペイロンのみで、一切の有限者は罪あるものであり、その償いとして有限性を滅ぼし、もとのト・アペイロン(無限者)に返らなければならない。
アナクシメネス−彼は、万物の原質を空気だという。彼は、ト・アペイロンの如く無限でありながら、しかもそれほど超経験的でなく、水よりはるかに無際限であるところの原質を見出したのである。彼は空気の濃淡により、諸物質の生成を説明する。アナクシマンドロスにおいては有限無限の二元論に向かわんとしていたものは、アナクツメネスにおいては同じ原質の濃淡の量的差異になる。
ヘラクレイトス−彼は、一切は流れると言ったと伝えられる。万物の流転を力説した。彼はやはり物活論の立場で、原質を火だという。火から水、水から土地、更に土地から水、水から火へと万物は流転するというのである。神において一切は一であり、神は火でありロゴスであるという。更に彼は、反対の一致を説いた。
ピタゴラス−ピタゴラス教団という宗教団体を作り、その宗教の一端として教育を行なう。彼は、万物は数であるといい、音楽や数学の教育を通して調和を研究した。彼は十の反対概念(有限と無限、奇数と偶数、右と左等)をあげ、この対立の結合から世界の一切は生じると考えた。数教学を道徳にも適用し、平方数(2×2=4、3×3=9)を正義の数とした。
バルメニデス−彼は、「有る物」しか思惟されないものはありえないという。彼は思惟と存在の同一性を説いた。但し、存在の認識に関しては、感官的知覚を無視し論理的理性を唯一の認識源泉とした。この「有る物」(to eon)は連続した一体を成す永遠の存在であり、不生不滅、無始無終、更に唯一の同質的連続体として不可分であること、また不動であることなどがあげられている。彼は空虚を認めなかった。更にこの「有る物」は球形であると言った。パルニメデスの理論は、二元論的なピタゴラス理論の批判として存在した。
エンペドクレス−彼は、多元論的機械観をもっていた。彼は生物学者または化学者であった。彼の原理は4の「根」であった。彼もまた世界を球だと考える。パルメニデスの理論を改造し、唯一の「有る物」に代って4種の「有る者」を考えた。この4つとは、火と空気と土と水である。これは、原質の種数を多数にしたということで、思想史的に重要な意味をもっている(多元論)。更に彼は、4種の根の他にこれら四元を結びつけあるいは反撥させる力をもつものを考え、それを愛と憎しみとした。ここに至ってギリシャ哲学は、質料因と動力因が分かれ、物活論が捨てられ、原質以外に力の概念を発見したのである。この発見は、元素概念の発見と共にエンベドクレスの重大な発見である。
アナクサゴラス−彼はエンベドクレスの考えを発展させた。絶対に生成も消滅もしない「複数の種子」を考え、その混合と分離によってものごとを説明する。更にエンベドクレスの愛と憎しみの考え方を一般化させ、無限にして自主自力的なる一切を知り一切を支配するヌース(精神または理性)を考えた。このヌースにより一切の分離混合は始まるというのである。
原子論者たち−アナクサゴラスのヌースなどに力を借りず、全く機械的に世界を説明するという方法が原子論理である。レウキッポスは、エンぺドクレスやアナクサゴラスの性質の違う多元論にかわって、性質的差別を根本的なものとは認めず、元素をばすべて同一性質のもの、あるいはそれ故に無性質的無規定的なものと考えた。つまり、パルメニデスの考えとエンベクドレスやアナクサゴラスの考えとの統一である。アトムというのはそれ以上不可分なものという意味である。パルメニデスが空間の存在を否定したのに対して、レウキッポスやデモクリタス等の原子論者はこの「有る物」を細かく分割し、その分割の極に多くの「不可分なる実体」を見出した訳である。そしてこの原子は同一性質をもち、ただ形と大きさだけが違うのである。原子論においては、空間がなくては運動が不可能である。ところで空間は空虚すなわち「有らぬもの」である。ところで運動は現にある。それ故に、空間は有らぬものでありながら有らねばならない。このように運動は現に存在するという事実から、レウキッボスは「有らぬもの」(非存在)なる空間を、運動の条件として有ることを許したのである。このことをデモクリタスは「非有は有に劣らず有る」と言っている。原子論は機械的必然論の立場であり、何ものも無からは生じず、一切は原因あって生ずる、しかし第一原因が必要だと考えない。愛や憎しみやヌースの如きを第一原因としてもち出すことは、かえって因果必然の関連を断ち切ることになる。運動の原因は運動であって、どのように原因をたどろうとも、原子自らの運動以外には原因は見出せないとする。目的論の立場では無制約的な第一原因があり、機械論の立場では第一原困はなく、一切は因果律に支配される。プラトンやアリストテレスは前者であり、デモクリタスが後者である。
≪ソクラテス以後≫
アテナイの哲学は、一定の懐疑を内包し、「内省」を通して物事の本質をみていこうとしていた。ソクラテス以前にはソフィステスたちが活躍し、一切を疑い懐疑を広めていった。これに対してソクラテスは、「汝自身を知れ」という方法でもって、真理を追求していった。認識の対象を外から自己自身に向け、そこから本質を求める方法が始まっていったのである。ソクラテスの後を受けて、その弟子であるプラトンが展開したのは、弁証法(対話)による真理の追求方法であり、そして彼は物事の本質を、物事の背後にある「イデア」にあるとした。イデアは形相であり、現象界にあって生成消滅を免れないヒュレー(質料)とは異なる。イデアは超越界にあって生成も消滅もせず、存在しているとされている。プラトンのイデアリスムスは、原子論的マテアリスムスへの対抗を含んでいた。アリストテレスは、プラトンの観念論に対して、経験論的傾向が強いとされつつも、ギリシャ哲学の集大成的意味をもっている。
ギリシャ哲学の歴史の研究が目的ではないので、非常に大まかにみてきた。要するに、今われわれが追求している点からみてギリシャ哲学の歴史の中でどういうことが問題になったのかということがわかればいいのである。われわれはギリシャ哲学の歴史の中で、次のような流れをみることができる。第一は、一元論から多元論へ、そしてまた二元論と多元論の統一的展開。第二は、物活論から機械論への発展。第三は、アテナイ以前の哲学においてはいろいろな形であらわれ雑多であった現象と本質の関連が、ソクラテス−プラトンを通して整理される。つまり、現象の背景にあるイデアとして、観念として「本質」が定立されたのである。これは、イオニアの哲学の中で初めは「水」とか「空気」とかいう直接的な物質から始まり、一歩一歩抽象への道を歩んでいた「本質」の追求が、遂にイデアとして、現象の背後にある観念として定立されたことを意味する。
問題をあまりに一対一的に結びつけることはできないにしても、この過程は再び、共同体とその中からの個人の疎外の過程と不可分である。一元論から多元論の弁証法的過程が、直接的な物質(水、空気等)から抽象的な存在への「抽象」の過程であり、しかもその抽象化を通して再度、質のあり方を再編成せんとする。物活論から機械論への展開は、自然と区別された人間の意識化と、その目による自然の凝視の表現である。ここには、種族的、血族的共同体の中への人間の埋没が突破され、対象をみつめる人間の目がより普遍的に発展し、科学的になっていく過程が示されている。対象認識とは本質的に、自己対象化と自己への同質化を含むものである。血縁的共同体を対象化しえない人間には、その血縁的共同体へ同質化して対象をつかみとるしかない。一元論−多元論、その統一の過程、および物活論から機械論への過程は、この自然の客観的認識、本質の抽象化の過程を示している。そしてソクラテス以降は、再度この産出されつつあった「個人」の対象化の努力の中で新しい認識論への道がひらかれるのである。ギリシャ的に発達した「個人」の民主主義は同時に、共同体から遊離してしまった「個人」の不安の原因にもなっていった。こうして相対主義、懐疑論が横行し、その中からソクラテスの方法−「汝自身を知れ」−が出てくる。今みてきたように、それはより高度な認識への道であった。この共同体と「個人」の葛藤−弁証法は、分業の発展の中でブルジョア社会にまでくり返され、そのことを通して認識も発達していくのである。
ソクラテスの方法の認識論的整理が、プラトンの方法に外ならない。つまりディアレクチーク(弁証法)による「イデア」への道である。これは直接目にみえるものを信じられず、その背後の本質をみていこうとする方法なのである。いうまでもなくギリシャは、奴隷を基礎にした社会であり、従ってマルクスがアリストテレスを批判して言っているように、「労働」−「生産」の意味がわからず、社会の科学的認識に至ることはできない。それはプロレタリア運動を背景として、マルクスによって初めて体系化されていく。われわれがギリシャ哲学を一見した中でみることができるのは、認識主体の状況と対象認識の構造の不可分性である。それは一見無関係にみえる道徳的な問題を含んで、対象認識に深く関わっている。
現在まで貫かれている分業社会(階級社会)の認識方法は、根本的には精神労働と肉体労働の分裂を背景にした、「唯心論」と「唯物論」への分裂を内包している。しかしこれは一つのものであり、単なる裏返しでしかない。「唯心論−観念論」は機械的な事物の背後に本質としての観念(神)をみ、結局、自然の人間への同質化を行なう。一方の「唯物論」はその裏返しとなって、人間の中味を物理的機械的な現象で説明しようとする。しかし、対象を機械的な物質としてみる「唯物論者」は、ひそかに自分のみはイギオロギーとしての隠れた「唯心論」をもっており、その隠されたエゴイスティックなイデオロギーの物理力として他人をみているのである。つまり単なる物質として他人をみているのである。今までみてきたような「物神」と「神」の産出の過程は、同時に、認識主体の側のこういう構造の産出の過程でもあった。
補足−第二章(1)において、「単婚」という用語が出てくるが、これについては、次の点を補足する。「要するに、プロレタリアの婚姻は、根源的な意味では単婚であるが、その歴史的な意味では決してそうではない」(『家族、私有財産及び国家の起源』)。
1972年2月