全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

反原発運動をめぐって「右も左もない」という主張があるが、
それでいいのか!いやよくない!

2012年9月

 9月27日、またしても死刑の執行が凶行された。前回の執行から2ヶ月を経ずしての新たな虐殺は、国家の支配に服さない人間の存在を絶対に許さないという、すべての労働者人民に向けられた暴力行使である。自民党総裁選において、中国・韓国への戦争挑発を最も露骨に主張する安倍が選出されたことは、追いつめられた支配階級のなりふりかまわぬ姿を表現している。こうした兇暴化は、かれらに迫る危機の深さのあらわれであり、そしてかれらにこの危機を強制しているのは、国境をこえて湧きあがる労働者人民の怒りと闘い=階級闘争に他ならない。民主党・自民党から「維新の会」をつらぬき、「国家の危機」を叫び立てるあらゆる政治勢力は、この労働者人民の闘いをいかに圧殺するかという一点をめぐって「政策」を争っているにすぎないのだ。

 東日本大震災―福島第一原発の爆発事故を通して一挙に加速された労働者人民の生活の危機・生存の危機を、「国難」「国家の危機」として描き出すペテンにより、支配階級は排外主義―戦争への突撃を通して、自らに迫る危機を乗り切ろうとしている。反原発運動をはじめあらゆる闘いは、この攻撃と対決しうる鋭さを持てない限り、飲み込まれ敗北する他ない。原発はまさにそうした支配階級の手によって、「国策」として推進されてきたのだ。にもかかわらず、市民運動はもとより「共産主義」「プロレタリア革命」を言葉として語っている部分までが、このような見えすいた攻撃に屈服し、「反原発運動には右も左もない」という主張を掲げはじめていることを、私は怒りを持って批判したいと思う。「そう言った方が大衆に受け入れられる」とでも思っているのなら、その発想自体が大衆蔑視である。「右も左も関係ない」と言うのであれば、かれら自身は一体何者で、どのような社会を実現したいと考えているのだろうか。一言でいって、無責任なのである。

 「反原発」というひとつの目標のためなら「左」も「右」も共闘できるはずだ、といった論調が、原発反対をかかげる運動の中に一定存在していることは事実である。また、「反原発」を「入口」として闘いに足を踏み入れたばかりの学生が、最初の一時期にそうした「右も左もない運動」のあり方を夢想することは、あながち珍しいことではないだろう。小ブル的存在には小ブル的存在なりの「理想」や「正義」が存在しており、多くの学生は「争いのない世界」を夢想するところから「反戦の闘い」に決起してくるのであって、そのエネルギー自体が単純に否定されるべきものだとは思わない。私自身もそうした個体史を持っている。

 だが、「右も左もある」現実の運動の中に身を置く人間の口から「右も左も関係ない」という言葉が語られたなら、それはすでに欺瞞でしかありえない。そもそも支配階級にとっての「危機」と労働者人民にとっての「危機」を、「力を合わせて乗り越えるべき一つの危機」として描き出すこと自体が暴論なのであり、このことは結局「国家」という「共同体」の利害のために「国民」は自分を殺して献身せよ、という論理を内包している。だが「国家」とはあくまで支配階級にとってのみの共同利害態であるにすぎず、労働者人民にとっては本質的に敵対物なのである。それゆえに「国家の危機」に際し、「階級」の立場からこの危機を促進して「革命を起こそう」と叫ぶのが左翼である一方、右翼はあくまで「国家」の利害=有産階級の共同利害を守りぬくために「戦争を起こそう」と叫ぶのだ。「同じ現実」を前にしていても、両者の選択する行動は正反対であり、「右と左の違い」はまさにその点に存在している。原発の問題に関しても、「反原発」という「同じ言葉」を掲げることができたところで、右翼と左翼が「同じ闘い」を共に闘うことなど、できるはずがない。

 1929年以降の世界恐慌期、ナチスはドイツにおいて、「反失業」という「左翼も語る言葉」を掲げて伸長していった。だがかれらにとってこのスローガンが意味したところは、「国民の仕事と財産を奪っている」と自分たちが見なしたユダヤ人や「障害者」「病者」の排撃―虐殺に他ならなかったのであり、1932年にかれらが政権を握るや、このことはいっそう組織的に推し進められた。資本主義生産様式の廃絶をもってしか決して「解決」されることのない経済危機は、有産階級総体の政治危機へと転化して、ついにはヒトラーに、全ヨーロッパを焦土と化す戦争の口火を切らせるに至った。こうしたすべてが、当時のドイツ左翼の敗北を条件として凶行されていったのだという事実を直視する時、右翼との「融和」などでは断じてなく、これと徹底して闘うことの死活的重要性をこそ、歴史は我々に教えているはずなのだ。

 現下の反原発運動それ自体が、右翼的路線との「譲れない攻防点」をはらみながら進行している。「放射能によって『障害者』が生まれることになる」という「反原発運動」の形をとった差別キャンペーンは、国家をあげた「障害者」差別―抹殺攻撃へと道を開くものであり、また被災地との連帯を欠落させたところで語られる「がれき受け入れ反対」の主張は、排外主義へと道を開いてゆく危険性を背中合わせに持っている。「右も左もない運動」という主張が決定的に間違っているのは、「反原発」という「目的の外観」の統一性を作りだすため、こうした労働者人民の譲れぬ利害を圧殺することを内容としている点である。この主張はそのことゆえに、「国家」「天皇」という「公共性」のために「国民」は犠牲となれ、という攻撃に対し、根本的には屈服せざるをえない構造を持っている。その先に待ち受けるのは「原発の廃絶」であるどころか、矛盾の押しつけが際限なく繰り返されたあげく、ますます多くの労働者人民が虐殺されてゆく未来の姿でしかありえない。「左」であることを曇りなく掲げて闘うことが、今ほど必要な時代はないはずである。

 前提的に「右翼とか左翼とかそういうの自体、よく分からないんです」という質問を受けることが、我々自身にもこのかん増えてきている。「語源」から説明するなら1789年のフランス革命の際、王制を打倒して合法性をかちとった国民議会において、革命を終わらせ王制を復活させることを主張した保守派が議長席の右側に陣取り、これに対して革命の徹底的な遂行をとなえた急進派が左側に陣取ったことが、「右翼」「左翼」という「呼称」の由来である。フランス革命は、封建社会を打ち破り資本主義社会を成立させるものとして貫徹されたブルジョア革命だった。現在的に捉え返すなら、労働者革命の時代である今日においては、その資本主義社会を打ち破るために体制と非和解的に闘うのが「左翼」である一方、資本主義の上に成り立つ諸関係を革命から防衛するために「闘う」のが「右翼」であると言えるだろう。「革新派」が「左翼」であり「保守派」が「右翼」だという解説がなされがちだが、ブルジョア議会制度の内側におけるこうした対立は、日本共産党や社会民主党の現状を見れば明らかなように、あくまで資本主義社会の枠組みを前提した上で成立しているものであるにすぎず、本質的な違いを示す規定であるとは言いがたい。

 「右」と「左」の決定的な違いは、むしろ実践上の違いとしてあると私は思う。核心的には「共同体」を擬製しながら「階級支配の機関」として存在している「国家」に対し、これを護持する立場に回るのかそれとも粉砕する立場に回るのかという違いである。3・11以来、原発という「国策」への怒りが語られない日はない。だが、「国家」そのものに手をかける運動が展開されない限り、「国益」「国策」それ自体とは対決することができないのであって、運動の中味は結局「よりよい国策」を求めるようなものにしかなりようがない。しかし、「よい国策」とは何なのだろうか? 利潤の追求のために労働者人民の命を踏みにじる今の社会の仕組みをそのままにした上で、原発だけが廃止されるような「都合のいい話」など、およそ考えることは不可能だ。国家そのものを廃絶する闘いをとおしてのみ、「国策」との根本的な対決は初めて可能になる。だとすれば、国家を廃絶した上に建設される「新たな社会」とは、果たしてどのようなものなのか。それ以前にそんなものが、どこに準備されているのか。現在的には「闘い」の中にのみ、それは存在しているのである。「国家」との非和解的な闘いを通して形成される「団結」の中にこそ、我々は「新たに建設される社会」の姿を形づくってゆかねばならないのだ。

 反原発の闘いが勝利し、原発を推進してきた国家権力が打倒されたなら、この先何百年もかかると言われている事故処理作業や廃炉作業は、国家権力を打倒したものたち自身がただちに引き受けなければならない仕事となる。いま反原発を闘っている人間がその責任を放棄するなら、権力は再び「誰か」の手によって独占され、「誰か」がやらねばならない危険な被曝労働は「強制」によって再び「誰か」の上に押しつけられることとなるだろう。すべての労働者人民が、「共に生きる」ために交替制をとってその作業を引き受けてゆくような体制を、自ら築きあげてゆくことの他にどこにも解決策は存在しない。それを可能にするような「新たな共同性」は、現在直下闘いぬかれている反原発運動の中からでなければ、どこからも生まれてこないものなのだ。自らの意志で闘いに立ちあがった大衆の一人一人が、自らの意志で新たな社会の担い手となってゆくことを通し、初めて革命は大衆自身のものとなる。それが、解放派が結成以来推進してきたソヴィエト(コミューン・レーテ。日本語にすれば「評議会」)運動の持つ意味であり、三里塚を戦場につちかわれてきた労農水「障」学共闘の内実に他ならない。「上」からの命令や強制によってではなく、大衆自身が主人公となって闘うことを通してこそ、巨万の大衆が自分たち自身の諸関係を変革してゆくことは初めて可能になるのである。

 だが、「右でも左でもない」ことを掲げた運動は、労働者人民がそうやって階級支配と対決し、新たな社会を建設してゆくことを、出発点において否定している。そこに結集する諸個人は政治的内容を持ってはならないとされ、労働者も資本家も「障害者」も「健全者」も「市民」としてひとくくりにされて、その差異性をはぎとられてしまう。労働者が労働者として、「障害者」が「障害者」として自らの利害を主張すれば、「運動の統一性を乱す」として排除の対象とされるに至る。そのことの上で「運動の方針を出す人間」は、「別のところ」に存在しているのである。「右でも左でもない」運動の「方針」などというものは、最大限に「善意」で解釈したところで運動の内部における「右」と「左」の力関係を反映した折衷的なものであるにすぎず、全く中途半端でご都合主義的な代物でしかありえない。のみならず運動が「国家」の存続を前提したものへと自らを限定しつづける限り、その内容は必然的に右へ右へとシフトしてゆく。かれらの主観に関わらず、そこには必ず何らかの小ブル的私的利害が存在している。「右も左も区別しない」といううたい文句でかき集められた参加者は、結局のところそうした手前勝手な「方針」を実現するための物理力としてのみ、「必要」とされているにすぎないのだ。一般に言われる「市民主義」の運動は、おしなべてこうした「官僚主義」への傾向を隠し持っている。原発の廃絶に向けた具体的な道のりも、今ある社会に代わる新しい社会の姿も、そこからは決して導き出されることがない。

 「いろんな意見があっていい」といったような言葉が、自称民主主義者の口からはよく語られる。一見ものわかりのいいように響くが、そのじつエラそうな言葉である。別にかれらが認めてくれようとくれまいと、「いろんな意見」は常に存在するだろう。「どんな意見を持つか」ということこそが、実際は問題なはずなのだ。被災労働者人民が一人の仲間も殺させるまいとして闘いぬいているこの瞬間、右翼・ファシストはまさに他者へと矛盾を集中して自分たちだけが生き残るための戦争挑発キャンペーンを繰り広げ、在日朝鮮人民・中国人民への白色テロに突撃しているのである。このような感性と「共存」できる「反原発運動」とは一体何なのか。「原発には反対だが核武装は推進する」とうそぶく者たちの利害を、「尊重」してやらねばならない理由がどこにあると言うのか。こうした部分との、あえて言うなら「血まみれの闘い」を通してのみ、市民主義的要求のもとに圧殺されている労働者・被差別大衆の階級的要求は解き放たれ、反原発運動は生き生きと産み直されて、国家による総体的な支配と対決してゆくことが可能となるのだ。もし逆に反原発運動が、国家と非和解的に対決できない内容にとどまり続け、その内側に差別主義・排外主義のはびこる余地が残されたままとなるなら、矛盾はどこまでも再生産され、はるかに多くの血が流されてゆくことになるだろう。右翼・ファシストを撃滅し、「国家の廃絶」を正面から掲げることを抜きにして、原発―核の根本的廃絶はありえない。「右」か「左」か。ファシズムかコミューンか。実現される未来の姿は、一つしか存在しないのである。

( 式上 由也 )

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