全学連(伍代委員長)

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全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

同志中原虐殺の復讐戦に総決起せよ

革命的労働者協会理論機関誌「解放」No8(1977年7月発行)より
1977年2月20日
革命的労働者協会(社会党・社青同 解放派)総務委員会
中原同志

 2月11日午後7時半、革マルの反革命テロ部隊は、同志中原を襲撃した。同志中原は果敢なる反撃を行ったが、後頭部を鉄パイプ及びピッケルの様なもので集中乱打され、暗殺された。

 まぎれもなく殺害を直接目的にしたこの襲撃により、指がスッポリ入るほどの穴を含め、脳髄・中枢神経を破壊され、強靱な生命力にもかかわらず、12日午前10時20分、絶命した。

 革労協総務委員会はこの革マルの反革命白色テロル・虐殺に煮えたぎる怒りをもって復讐を誓うものである。

 プロレタリア自己解放の闘い、真実の共産主義=世界革命=永続革命の闘いを推し進め、革命的労働者階級自らが建設する革命党の建設を推し進める革命的労働者協会は、プロレタリア暴力革命への戦略・組織路線を明確にしての、さし迫る決戦に向けた陣形形成へ現実に踏み出し、"党―軍―ソヴィエト"建設へ全力をあげて闘いぬいている。まさに、このプロレタリア革命運動の発展に恐怖し、小ブル的ニヒリズムとエゴイズムのなれの果てにおいて、これまでのみせかけの「理論」がわれわれの理論的実践的闘いによって完膚なきまでに粉砕されるや、一切をかなぐり捨て、プロレタリア革命運動の推進力である党への破壊、特に指導部の暗殺に乗り出してきた。

 74年4・30、75年6・24と、指導部の殺害を目的とした襲撃が行われ、同志石井の虐殺、指導部虐殺未遂、大量殺人未遂が続けられてきた。

 我々は、この反革命集団へと純化した、反革命的宗派=革マルに対し、反革命襲撃に報復すると同時に、この報復戦を、革マルの解体戦として闘い抜く決意を固めこの反革命集団を追いつめてきた。そして革マルは、ますます深まる世界資本主義の危機の中で、ブルジョア階級支配の危機が鮮明になり、階級攻防戦の暴力的衝突、矛盾の只中からの革命的破壊的エネルギーの爆発が革命運動の軍事的発展として進展するや否や、その闘いの中にプロレタリア暴力革命を見て取り、小ブル的危機に満ち満ちた恐怖と憎悪にかりたてられてきた。すなわち現在直下の革労協・プロレタリア統一戦線の闘いの中に、革命とコミューンの勝利によって労働者人民が社会の主人公となる本質を小ブルエゴイストの敏感な反応として嗅ぎわけ、プロレタリアートが権力につくのではなく、自分達こそがプロレタリア大衆の代表として権力につくのでなければならないと、すなわち、プロレタリア大衆は自分から党を形成したり、自ら権力を樹立するのではなく、革マルによって代表され、支配されるしかないどうしようもないものであり、革マルによってのみ救済されるものであるという革マルの「原則」をふりかざし、その事が"暴力革命"の中で"暴力革命"を通して現実化するのだという危機感にかられ、これまでにも増して「暴力は革命の助産婦」であるとわめきながら、革命運動の軍事的発展、非公然―非合法能力の発展を、権力への通報・売り渡しを含めて阻止せんと、新たな敵対行動を開始しはじめたのである。

 プロレタリアート人民の怒りと現社会を転覆せんとする革命的エネルギーの高まりは、我々のプロレタリア都市ゲリラ戦を圧倒的に支持し、連帯し、自らの闘いとして確認し、狭山、天皇、朝鮮連帯、政府打倒の闘いに決起していく渦が闘い取られてきた。

 革マルは、「武装蜂起主義だ」、「暴力革命主義だ」、「軍事主義だ」、そして「挑発だ」と叫びながら危機感を表明し、そして、これまでにも増した反革命のエネルギーに満ちながら、そして極限的に腐敗を重ねながら革命運動の破壊に乗り出してきたのである。

 同志中原は、解放派の指導者の一員として共産主義=革命的マルクス主義の旗を守りぬき、理論的実践的に革命運動の最先頭で闘い抜いてきた。そして、革マルのエセ共産主義、エセマルクス主義を一点の曇りもなくその反動的本質を暴きたて、解体する闘いに起ち上がってきた。革マルは、革労協をおそれ、同志中原を恐れ、暗殺した。

 我々ははっきりさせねばならない。

 革マルの存在と、プロレタリア自己解放=プロレタリア革命とは共存しえない、と。

 プロレタリアートの自ら形成する革命党の建設、プロレタリアートの革命的階級への形成を追求する我々と黒田教のドグマによって支えられる宗派革マルとは、倒すのか倒されるのかの関係にあり、その対決は、階級闘争の権力闘争の時代への突入の中で決定的局面へと入りつつある、と。

 我々は、革マルが階級闘争の煮つまりと共に、その反革命的本質を純化した姿において己れを生み直して今日に至っていることを踏まえるならば、同志中原虐殺への報復の闘いは、確実に革マルを解体し、日本階級闘争から絶滅することとして貫徹され切らねばならないと考える。

 我々は、反革命革マルによってかけがえのない革命運動の指導者を虐殺された憤怒を深い深い決意にかえ、己が手で革マルを葬り去るために全心血を注ぎ込み総決起することを誓うものである。そして、同志中原の遺志を一人一人全員が引き継ぎ、プロレタリア解放の勝利、永続革命=世界革命の勝利に向けて闘い抜くことを誓うものである。

 革マルは今日、「反帝・反スタ戦略」の完全な破産を確認するように、20年前の「反スタバネ」「反スタ主体性」へ一切の確信点の崩壊の中ですがりつこうとしている。20年間の「発展」のではなく、20年間の破産への道を見返りながら、「ハンガリア革命20周年」を虚しく叫んでいる。そして、「プロレタリア的主体性」なるものが、現代小ブルニヒリズムの宗教的救済、小ブルの観念的思い上がりのための屁理屈であるのみか、プロレタリアートへの「憎悪」の理論であることを臆面もなく暴露しながら、プロレタリア解放闘争に敵対を続けている。今や革マルは一切の政治方針・路線を見失い、もはや「政経闘争論」「ロッキード反戦」等の思いつきも枯渇してしまい、ひたすら「二大政党制」による「階級支配の安定」を願うという反動的堕落振りを見せている。そして動労革マルの3・19ショックによる崩壊過程は「第2の動労」を夢見た全逓革マルの崩壊、牛込支部の元革マル岡部殺人未遂に見られる腐敗を協奏曲にドラスティックに進行している。学生戦線においては、全国で「虚」点が音をたてて崩れ落ちている。

 そして決定的には、彼らの本質を代表するテロ部隊の崩壊がある。

 かくして、革マルは、全面的な危機にのたうちながら、プロレタリア革命党の破壊を通して生き延びようと必死である。

 我々は確実に革マルを追いつめてきた。彼らを解体し尽くす闘いへ敢然と踏み込み、血みどろの死闘を通して勝利を手にするであろうし、しなければならない。

 プロレタリア解放、永続革命=世界革命、共産主義=革命的マルクス主義の名において勝ちぬかねばならない。 

 同志中原の生前の闘いと遺志は、我々の団結の中で生き続け発展し続けるであろう。



=同志中原一の略歴=

 1959年東京大学に入学。60年安保闘争を闘い、61年社青同に入盟、66年社青同学協解放派の議長に就任、68年学生戦線より移行し社青同東京地本書記次長を務め、69年7月同書記長になる。69年9月革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)の結成に尽力し、結成大会以降一貫して書記局員として党活動に専念し、プロレタリア革命党建設の最先頭に立ち、日本革命運動の輝ける指導者として比類なき献身性を発揮した。69年11月の蒲田戦闘、70年6・15闘争を指揮して権力に不当逮捕され、今日なお裁判闘争を闘っていた。著書としては「共産主義復活の諸問題」「党・ソヴィエト・武装蜂起」などがあり、この他にも多くの文書活動を行っている。

 2月11日午後7時半茨城県取手駅前において、約10名の革マル反革命白色テロ部隊によって襲撃を受け果敢な反撃にもかかわらず後頭部を集中的に乱打される。この攻撃を受けた後もその強靱な生命力で最後の瞬間まで闘いぬいたが、翌朝の午前10時20分、力及ばず斃れる。享年36歳。


4.15戦闘

同志中原虐殺報復の巨弾として闘い取られた77年4・15戦闘は、革マル実質No2であった政治組織局員藤原はじめ下手人につながる4名の反革命分子を乗っていた自動車もろとも灰化せしめた。
 われわれの報復戦は革マルの解体・絶滅に至るまでやむことはない!



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