戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
= 目 次 =
|
戦争突撃の最悪の反革命的先兵が反革命革マルである。
革マルは帝国主義の反革命戦争突撃を免罪し「中東、バルカン半島、アジアをはじめとして世界各地で勃発している戦乱や戦争的危機の火種の成長の根拠・根源」「戦争的危機の深まりの震源」が米・欧・日帝国主義と「残存スターリン主義国家・中国ならびに"破産大国"ロシアとの、相互対抗的な関与・介入」にあるという(エセ「解放」一588号=10月4日付け「学生組織委員会」論文)。朝鮮反革命戦争の危機は、米帝を主導力として南朝鮮階級闘争の鎮圧と北朝鮮の戦争的打倒=反革命的「統一」のために日米韓が挑発的に戦争突撃していることによって引き起こされているのは、戦争計画「5027」の存在ひとつとってみても明らかである。
JR総連革マルは、党派としてのこの革マルの意図をあけすけに語っている。JR総連が8月19日連合中央に提出した「連合政治方針見直しに対するJR総連の対案」では、「新しい世界秩序形成は、日本国憲法の平和主義を基礎とし、国連をはじめとする国際機関を軸として構想すべきであり、わが国は国連等にいままで以上に積極的に協力する。国連決議によらない軍事行動に反対し、国連においては平和的な紛争処理を積極的に主張する」としている。これは国連決議に基づく国連多国籍軍によっておこなわれた湾岸戦争や多くのPKO派兵支持の反革命宣言である。また自衛隊の海外派兵についても「自衛隊について国際ルールとして、自衛権は独立国家の固有の権利であることを確認する」として、(同じく「対案」において日米安保を承認した上で)積極的に「自衛戦争」としての自衛隊出兵を推進すると宣言している。
6月のJR総連大会で委員長の革マル柴田は「これからの労働運動、民主運動は戦時下の運動としての展開を余儀なくされる」と挨拶して「戦時下労働運動」方針を提起した。これは露骨な戦争協力運動であり労働者同士の戦場での殺し会いを推進するものである。柴田は「自衛隊法101条によってJRは防衛庁長官の要請があれば特別の事情がない限り自衛隊への協力を義務づけられている」「自衛隊との『「密接な連携』と『協力』が義務づけられているJRは、軍事輸送・戦争加担を拒否できない」と発言した。既に88年自衛隊の青函トンネルを使った戦車の軍需輸送訓練に先陣を切って協力してきたJR革マルは、いま切迫する朝鮮反革命戦争突撃の最悪の先兵として登場しているのだ。新「ガイドライン」―朝鮮反革命戦争突撃の先兵=反革命革マルを解体・絶滅せよ。
権力は96年以降練馬区豊玉、厚木と連続的に革マル中枢の裏アジトを摘発してきた。今回11月逮捕されたNTTの革マルは国鉄「分割・民営化」の先兵をになってNTTに潜入した動労革マルであり、我が解放派の情報収集を行っていたことが判明している。この摘発は革命党への白色テロと日本階級闘争破壊を組織的危機の拡大の中で有効に行い得なくなっている革マルの尻を叩いて白色テロを権力がけしかけているものであり、御用済みの反革命として使い捨てするぞという権力からの恫喝である。
革マルの危機の第一は中枢危機であり、96年黒田の議長辞任以降後をひきついだ「植田」が使いものにならず、新年号での挨拶ひとつかけないていたらくであり、ついには公然集会でさらし者にされた(98年4月)。朝倉、西條らは集会で昔の思い出話にふけるほど崩壊を深め、革マル本来の任務である革命的左派への白色テロに打って出る反革命的気概を喪失している。
その組織的根拠をなしているのが革マル虚点の相次ぐ崩壊である。
早稲田の革マルは95年の商学部自治会の公認取り消し以降、当局の軍門に下り屈服を深めた。96年5・14戦闘=早大「特行」・「学生組織委員会」指導部五十嵐完全打倒の鉄槌がうち下ろされ早稲田の反革命組織はガタガタになった。97年の早稲田祭中止攻撃に対しボス交と電話盗聴による当局の「スキャンダル」探しという革マルお得意の延命策動が失敗し、今や早大革マルは崩壊の危機に直面している。今年も三年続きで早稲田祭は中止された。早大生の革マルを突破しての戦闘的決起を抑圧してかろうじて維持されている早稲田の反革命支配をうち破り、60年代早大闘争・70年代早稲田解放闘争以降の長すぎる反革命支配にピリオドを打つべき時が遂にやって来た。反革命戦争の危機に対し続々と政治的決起を拡大する学生の戦闘的組織化を推し進め早稲田の革命的拠点化を進めるチャンスである。
沖縄の革マルは、92年の「賃プロ魂注入主義」潰しの過程で教労革マルの高橋を殺害された。これにたいする革マル中央への不満と、残った革マルに対する中央からの「門中主義」批判にたいし、ついに93年から94年にかけて山里(グループ)が集団逃亡し沖縄の革マルは歴史的に形成されてきた部分としては根こそぎ状態になった。現在も労働者部分を中心にして無視できない勢力が残存しており、繰り返し沖縄革マル内部に発生する「心情主義的で仲間主義的な諸傾向」(99年「沖縄県委員会」の新年の「決意」)を相互浸透的に生み出している。組織的危機に喘ぎ、普天間基地移設=名護への新基地建設反対闘争に敵対し、もぐりこみと撹乱・破壊を策動する同化主義反革命=沖縄革マルを反戦・反基地闘争の烈火の闘いの中でせん滅せよ。
革マルの組織的危機の最たるものはJR総連革マルの危機である。
JR資本は国鉄「分割・民営化」の総破産状況の中で現在の長期不況―恐慌的事態に直撃され軒並み赤字決算に陥っている。JR各社は徹底的な合理化を進めようとしている。その先兵となっているのがJR総連革マルである。JR東日本でも、保線や信号通信といった保守部門の業務を設備管理と施工管理に切り離し、施工管理部門を丸ごと外部委託するという大合理化計画が進められている。この合理化で二千人以上が「リストラ」されようとしている。このようにJR資本は全国どこでも合理化につぐ合理化でこれ以上人手を抜くことが不可能なまでに合理化をしており、そのなかで国鉄労働者は相次ぐ重大事故で多くの生命を奪われている。
多発する重大事故にたいしJR資本と一緒になって責任を労働者になすりつけ国鉄労働者の怒りを買っているのがJR総連の革マルだ。97年10月の大月での衝突事故では事故原因は運転士の「信号機の見間違いにあった」として、それを隠した運転士が原因究明を妨害したと国鉄労働者を弾劾している始末だ(この運転士はJR東労組に所属していたが、この革マルの労働者切り捨てに怒り脱退した)。国労の熟練労働者を職場から排除してろくに訓練もさせないまま運転現場に放り込むJRの責任(それを資本の先兵になって促進した革マルの責任)を頬かむりして労働者個人を責任追及する革マルに国鉄労働者の怒りが集中している。また東青森駅構内での除雪作業中の4人の死亡事故や今年2月21日の山手(貨物)線での労働者5人が列車にはねられて死亡するというような保線関係の事故が多発しているが、その多くが出稼ぎや下請けの労働者だ。これらの事故にたいしてJR総連は下請け会社の「安全に関する杜撰な考え方」が原因だ(JR東労組「緑の風」)と露骨にJR東資本を擁護して労働者の憤激を浴びている。全国の職場でトンネルのコンクリート剥落事故やATOS(東京圏輸送管理システム)のシステムダウンによる列車の遅れなどが続発し労働者と乗客の生命が危険にさらされている。これが国鉄「分割民営化」とそれにともなう大合理化の所産であり、革マルの反革命的所行の結果である。三池の敗北とそれに続く大合理化の推進が炭塵爆発事故で一瞬にして数百人の炭鉱労働者の命を奪ったように、今職場で資本の大合理化攻撃とその労働手代=革マルの白色支配が国鉄労働者の命を日々奪っている。
革マルへの怒りと不信が渦巻く中、別の労働手代=JR連合が革マルの後がまを狙ってJR東労組への攻撃を強めている。既に組織人員ではJR連合が総連を凌駕している中で、6月のJR連合大会で総連の最後の牙城=「東日本の民主化促進運動」を決定し、そのための一人300円のカンパを集めることになった。6月上野車掌区で酒を飲んで「JR連合バンザイ」と叫んだ東労組員が長期休暇に追い込まれたり、7月JR連合ユースラリーに東労組の若手組合員がコッソリ参加したというので陰湿な犯人探しが行われたりという事態が発生している。
松崎はJR資本からの使い捨ての危機とJR連合の攻勢に直面して、水戸・千葉・秋田という歴史的には労運研系の力が強かった地本に本部中執の革マルを委員長や書記長などに落下傘降下的に配置するという前代未聞の人事を強行した(98年)。
また99年6月のJR総連大会で、松崎は副委員長・小谷、書記長・水澤、執行委員・清水らを退任に追い込み新たにJR東労組から副委員長に加藤実、執行委員に富塚正広を送り込んだ。総連と東労組の頂点を革マルで固める人事を強行してJR東資本との一層の癒着=合理化の先兵化で反労働者的反革命支配を延命させようと必死である。
JR総連革マルは国労闘争団の「原地原職奪還」の闘いに敵対し1047名の首切り撤回をJR資本が認めないように圧力をかけている。柴田は6月の総連大会で「雇用はJR以外で行うべき」と述べて自民党・運輸省・JR資本の国労闘争団解体攻撃の先兵として敵対を強めている。JR総連革マルは革マルの本隊であり産別革マルの最大「拠点」産別である。系統的なJR総連革マルせん滅戦闘の歴史的地平を引き継ぎ、危機にあえぐJR総連革マルに革命的テロルの鉄槌をうち下ろせ。
革マルの発生・延命は日本的小ブルの存在の構造とこの止揚をめぐる階級闘争の負の歴史が関係している。
日本資本主義は戦後革命の高揚を圧殺し、帝国主義的復活の道にはいった。急激な帝国主義的発達をとげ、50年代まで広範に存在した農村・農民を急激に解体・再編させ、新たな新中間層を急速に生み出していった。
こうしたなかで、60年安保闘争が爆発する。これは、労働者人民の広範なエネルギーを背景に、社民の制約をうけた官公労労働運動と市民主義的歪曲をうけた学生運動を中心とし、イデオロギー的には安保ブントを軸とする学生運動が表現するというものであった。しかし、これは労働者階級の合理化への怒りが爆発した三池闘争と結合することなく敗北していく。また、三池をはじめとする労働者の闘いは部分的武装を含む争議を展開しながらも、その全国結合と政治化に失敗し、安保決戦の全人民の牽引者として労働者階級の政治部隊を登場させることはできなかった。
この階級形成の未成熟のなかで、新中間層の不安と不満は一定の政治表現をとって噴出した。
ブントは大量の都市中間層の発生とその矛盾を一定表現していた。これらは市民主義極左にすぎず、スターリン主義に屈服していくものであった。このなかで、スターリニストの隊列からスターリン主義に構造改革派右派的に反発し、小ブルの不安を逃れようとする一団が現われたのである。
黒田は、日本資本主義の特殊性によって形成されてきた旧い小ブル的イデオロギー=西田哲学の立場からマルクス主義を対象化し、この解体・破壊を通して黒田イデオロギーを確立し、小ブルの延命の道をさぐっていった。
この特徴は資本主義の発展による中間層への抑圧に反発しつつも、中間層の再編を迫るプロレタリア革命の台頭に対する不安への対処でもあった。こうして、当時の小ブルインテリの日本的小ブルイデオロギーの温存の上に、反左翼的契機を背後にもった「反スタ」をかかげる小ブル「社会主義」が誕生したのである。。
革マルは以降この反階級的本質を純化し、反革命へ転落していく。こんにちにおいては「戦争協力宣言」をおこなう、ファシズム的改編の「左翼」を偽装した推進者である。革マルの「世紀末の混沌論」なるものは、民族・宗教戦争をプロレタリア革命で止揚することに恐怖し、帝国主義による鎮圧を期待し、これを支持するものに他ならない。
まさに、西田が日本的小ブルの不安を天皇制ファシズムと侵略戦争の積極的推進に逃れようとしたように、黒田も自署を「日出ずる国の哲学者へ」などと銘打って出版し、戦争動員の本格的開始に合わせて、自らの民族・国家主義者ぶりを現わすにいたったのだ。また、革マルはソ連スターリン主義がSDIの恫喝に屈服したように、こんにちの「情報革命」に屈服し、OA化・FA化以前には人間が機械に使われることがなかったと主張し、OA・FA以前は労働者を管理する側に回り、ブルジョア社会を小ブルジョアとして享受してきたことを告白し、OA・FAへの「疎外感」を語り、電脳物神に屈服したことを明らかにするのである。
また、革マルが「反スタ」を語ろうとも、革命マルイデオロギーはスタのタダモノ論を一歩もでるものではなく、「宇宙的物質の自己運動」などと称しつつ、「意識=脳髄の分泌物論」に帰着するのである。
2・11反革命―同志中原虐殺報復、革マル解体・絶滅戦の最後の勝利を闘いとるのはわが解放派である。2・11報復23ヵ年決戦の猛攻で、革マル政軍中枢―黒田・松崎・土門・西條・朝倉・「植田」、エセ全学連「特行」=学生革マル、JR総連革マルを革的テロルで打倒する。反革命戦争突撃の先兵、労働者・被差別大衆・全人民の敵、反革命革マルを解体・絶滅せよ。
わが解放派から脱落した親ファシスト・ミニスターリン主義的サークル集団(木元グループ)は、「党内闘争」に完敗したあげくに、権力(ファシスト、革マル)との一体化を深め、7・2荻野同志虐殺に引き続く11・14森田同志虐殺に踏み込み、プロレタリア革命闘争と革命党の破壊―廃墟化を存在証明とする反革命集団に転落した。革命党の綱領・路線・組織(―その地平の堅持、破壊の阻止と再結集)をめぐった攻防という性格を未だ有していた「党内闘争」から、その敵対性・破壊性が階級闘争・革命闘争総体に及び、その解体・絶滅が全階級的意義を持つに至った「党派闘争」の対象として、木元グループを革命的に解体・絶滅していくことを宣言する。
木元グループは、権力の指導部・軍・拠点に集中した解放派壊滅攻撃―その当面の環としての拠点明大破壊への集中にすくみ上がり、反共ファシスト=「明大ゴスペル」―「国際ヘブライ文化研究会」(=「淀橋教会韓国部」)とのボス交―和解・屈服を(木元がボス交していた相手の姜章植は「韓国安企部」のスパイであったことが判明。)直接的契機としつつ、路線転換=権力・革マル・ファシストへの助命嘆願に走り、その証として、陰謀的に解放派から脱落し、建党・建軍の地平の公然合法主義的・改良主義的破壊・撹乱に至ったものである。自治会非公認化攻撃に闘わずして屈服=「明大城内平和」の自己目的化が最大の確信というサークル集団であり、綱領・思想・路線は「観念的」なものとして否定して「現実の運動」を対置し、実は全戦線における路線転換―解体をエネルギーとしてきた。5・4(―5)党本部襲撃に失敗するや、指導的同志をカタカナで名指しにして虐殺・抹殺を公然と宣言することを軸に、党・軍破壊を全面化させてきた。獄中に対し分断と囲い込みをはかるが、獄中同志は北條同志を先頭に木元グループの本質を見ぬき対決し、5・26明大弾圧被告団も(当初木元グループを選択したメンバーも自己批判―復帰し)全員解放派のもとに結集した。木元グループは、獄中同志を一人も組織できなかったうえで、同志たちを「転向者」規定するという腐敗を深めた。また、山田の指導下から決起し、その変質・腐敗と対決する同志を「革マルのスパイ」規定し虐殺を宣言した。そして、三里塚現地拠点への襲撃、5・26明大弾圧弁護士への襲撃―テロ宣言、戦闘的共同戦線破壊へと踏み込んだ。
わが解放派は、党本部、三里塚現地拠点、5・26被告団、沖縄現闘団をはじめ、攻防の枢要点において勝利し、再合流を次々とかちとってきた。木元グループは、政治的破産の上に、6・13「声明」で「軍」を僭称して、わが解放派に対するご都合主義的「反革命」規定を出し、「無制限無制約の革命的テロル」なる反革命虐殺宣言をおこない、ついに、7・2同志荻野に対する虐殺のための虐殺を凶行した。スターリン主義的「党の軍隊」路線のもとでの私兵化による、解放派「党内闘争」史上初めての虐殺目的のテロルである。
そして、7・2報復戦―7・2一相川の死と、7・2二明大(和泉)への学生会委員長・副委員長(5・26弾圧で獄中)の声明配布と同志荻野追悼を軸とした情宣行動への画歴史的な大弾圧(全員逮捕―起訴)を理由として、わが解放派を「反革命」規定すると手直しした。木元グループは7・2二明大弾圧と一体化し、自らの反革命的転落の画期点であることを吐露しているのだ。
さらに、山田が秘密を共有し癒着してきた「ゴスペル」の姜章植が、旧KCIA=「安企部」(現「国家情報院」)のスパイであったこと(5・26弾圧の7・19公判での姜の「証言」での自認)の暴露は、木元グループを驚天動地の世界に叩き込んだ。
また、10・10三里塚闘争や10・24北富士闘争から排除され、反弾圧救援運動、「障害者」解放運動等で弾劾の声が高まり、木元グループは政治的破産を拡大してきた。
こうした中で、木元グループは権力との癒着を深め、権力の別働隊として11・14森田同志に対する反革命虐殺襲撃を凶行した。九州における解放派の歴史的人格の一人であり党中央の指導の一角を担ってきた森田同志に対する虐殺は、文字通り官許の虐殺であり、権力―木元グループが一体となって虐殺したものである。まず、10月9日、福岡県警によって三里塚闘争に向かう九州の寄せ場労働者・「障害者」・学生の部隊に対する、森田同志らの狙い撃ちデッチあげ逮捕―車ごとの未明までの不当拘束が、戦闘的共闘・戦闘的拠点の破壊を狙ってかけられた。そして、この弾圧を合図に、土肥らによる支社周辺での杜撰な情報活動の展開と11・14襲撃が、権力の監視下でおこなわれた。さらに、同志が病院で容態が安定し意識も回復したことが確認された翌日の11月26日、突如死亡したことは、権力の指示の下での虐殺を強く推察しうる。また、権力は、11・14以降、木元グループが支社周辺を公然と徘徊し、わが解放派に対する新たな襲撃・破壊をすることを容認している。わが解放派の同志にはナチス棒で殴りかかり、逮捕まで策動したこととの対比においても、癒着は歴然としている。権力―木元グループが一体となった森田同志虐殺に報復せよ! 権力の木元グループを使った解放派壊滅攻撃を粉砕せよ! 土肥ら首謀者・下手人・手引き者を総せん滅せよ!
権力・革マル・ファシストへの屈服・癒着
木元グループは、解放派の思想性・組織性から変質し、プロレタリア革命と革命党の破壊者として転落した。
まず第一に、権力との一体化、癒着・結託関係の深化をはじめ、権力・革マル・ファシストに対する対敵性の解体と屈服・癒着である。
脱落直後から、権力が「明白な形で取り除く」と宣言し最も弾圧を集中している指導的同志に対する虐殺・抹殺を公言し、権力の弾圧への呼応に始まり、指導部防衛・組織防衛の闘いの破壊を狙った井戸端会議的デマの捏造と暴露(6・13反革命「声明」など)。「下手人一覧表」の作成と権力への提供、権力の面前での「下手人」としての名指し=デッチあげ―同志売り渡し。そして、7・22明大における権力・当局とタイアップした挑発行動(全学連・反戦の部隊が中庭で情宣中、「襲撃」―「衝突」を演出しわれわれへの弾圧を引き出すためにのみ、明大生協理事・小林らが中庭に面した学館二階の踊り場にヘルメットをかぶりポールを構えてポーズをとった)をおこなった。自らは挑発行動を終えて「反主流派だから相手にするな」という公安の機動隊に対する指示に守られて逃亡した上に、わが解放派への全員逮捕―起訴を「保護」と言いなし弾圧を賛美した。さらに、「ゴスペル」の姜章植=スパイ問題をもみ消すために、「ゴスペル」といっしょにスパイ擁護のためにのみ9・30公判に現われ、極悪反動裁判長・中山を「尊敬する裁判長」(「ゴスペル」証人・金相兌[キム・サンテ]の発言を「10・9付声明」で積極的に引用)と呼んでスパイ隠しを嘆願したのだ。そしてついに、九州における10・9弾圧をうけた、官許の11・14森田同志虐殺とその後の癒着関係にもとづく赤裸々な敵対・破壊である。山田・土肥の権力との癒着という隠れた秘密が公然化・全面化してきたのである。小ブル的道徳主義者としてふるまってきた山田は、組織に秘密にしていた種々の問題を権力に掌握され脅かされたことをも契機として権力への屈服・癒着に入り、一体化を深めている。権力に弱みを握られている土肥は権力の卑屈な手先と化した。「ゴスペル」の姜章植=安企部のスパイの暴露に対する、木元グループの「革マルの謀略論と同じだ」なる"一大キャンペーン"は逆に、山田自ら権力との癒着の核心をつかれたことへの絶望的な焦りの現われである。
ファシストに「情を移し」た山田らの親ファシスト性もとどまるところを知らない。「ゴスペル」=反共ファシストが「お前らマルクスの弟子か」「殺してやる」と絶叫して襲撃してきたという出発点的事実すら消し去り、「5・25―26事件を起こしたこと自体が間違いだった」と98年5・25―26対ファシスト戦を全面的に清算・否定し、さらには、10・18戦闘の「対ファシスト戦の本格的開始の歴史的号砲」(99年年頭・革命軍アピール)としての意義を否定している。あげくの果てには、農本主義を例に取り「出身階層からすれば、革命の側に来てもいい部分をファシストに組織されている革命の側の不十分性」などと、親ファシスト性・ファシズムへの敗北主義を満開させている。出身階層の問題としても、ファシストは小ブルが基軸であることを意識的に抹殺している。そして、71年三里塚東峰十字路戦闘(機動隊3名完全せん滅)後の、一部に現われた「機動隊=労働者・農民の子弟―変革論」以下の、階級的打倒なき変革論であるのみならず、ファシストへの同情―一体化を示しており、先制的な対ファシスト戦の否定である。姜=スパイの暴露に対して、「関東大震災時の『朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた』式の民族差別である」などと、権力(―スパイ)と闘う人民との区別もなく、「スパイになった人民をスパイと言うのは差別だ」式の権力・ファシストの側に立ったデマゴギー的な弁護論であり、同時に「何でも差別」論による差別問題の解消である。「反共国家韓国の国家機構の一員であってもファシストではない」「KCIAであればファシストとは言えない」などと、そもそも、南朝鮮労働者人民がKCIAの弾圧・虐殺やスパイ工作と血を流して闘ってきたことすら消し去り、「権力=中立・道具」論的傾向を示しつつ、権力内のファシストの存在と台頭を否定し、結局スパイ擁護・ファシスト擁護のためなら、どんな詭弁・デマも弄するというところまで行きついているのだ。
革マルへの屈服と共存(―一体化)も進行している。初期から、革マルのエセ「解放」を「信頼できる参考資料」として獄中同志に差し入れたこと(当然にも獄中同志たちは怒りをもって対決した)。6・18明大和泉への革マルの登場―破壊への屈服―共存。革マル松崎明を「打倒対象」からおろし、また「JR総連革マル」も「せん滅」対象からはずしたこと(木元グループ「機関紙再刊二号」)。いずれにしても、革マルとやりはしないが黒田に次ぐ打倒対象である松崎の名を下ろし、産別革マルの基軸である「JR総連革マル」をはずしたのは意図的である。
そもそも、解放派から脱落した大きな要素が対革マル戦からの逃亡であって、さらに、党から脱落すれば対革マル戦の主体的条件を失うのは当然である。またそれは、権力闘争やゲリラ戦とともに血を流した対革マル死闘戦によって切り拓いてきた革命軍の歴史に唾を吐いていること、及び彼らの私兵集団が軍の僭称物であることの証左である。
反革命テロルへの突撃
第二に、解放派「党内闘争」に完敗したあげくに、権力・革マル・ファシストと一体化して、わが解放派=革命党の破壊―革命的同志の虐殺を目的とする反革命テロルをこととするに至ったことである。
木元グループは、土肥主導下6・13「声明」で「軍」を僭称した御都合主義的「反革命」規定(6・4山田が鉄槌を受けたことをメルクに)をして、「無制限無制約の革命的テロル」なる反革命虐殺を叫び、7・2荻野同志を虐殺した。しかし、その後山田によって7・21―22をメルクマールとする「反革命」規定へと手直しした。要するに、彼らには革命的原則は一切なく、ただただ解放派の綱領的・路線的地平、組織的地平の破壊が目的であり、そのために反革命虐殺テロを継続して凶行するということである。解放派建軍武装闘争を歴史的に切り拓いてきた荻野同志虐殺(7・2)に続く、11・14森田同志への虐殺テロは、木元グループの反革命への転落を画した。権力の7・22弾圧―10・9弾圧―解放派壊滅攻撃―戦闘的拠点破壊攻撃と連携し、「(7・22弾圧で解放派の)大半を逮捕したことにふまえて、権力は今(木元グループに解放派の)残存拠点・残存分子に対する一斉攻撃をけしかけている」という、革マルの木元グループへの反革命テロけしかけと一体化した反革命テロである。
それは、土肥の解放派軍事論の破壊・革命軍の解体を主要な利害とするスターリン主義的軍事論の満展開であり、「党の軍隊」路線(党的軍事組織ならざる「党の軍隊」)へと純化した私兵集団を使っての虐殺である。「党軍事委員会の確認なしには、隊員との討論はおこなってはならない」(山田の獄中同志への恫喝手紙)という政治組織と軍事組織の軍隊内における関係の無理解・隊内政治討論の否定。関連して「統一戦線の軍隊」論の根幹における否定。非公然と目されてきたメンバーの浮上と公然への配置。自分たちが長期・極刑にならないことを前提とした獄中同志切り捨て(と獄中発病問題に対するあやまてる思想問題への一面化=「仮病」論)。「司令官の命令は絶対だ」なる土肥のデマにもとづくスターリン主義的組織性の表明。そして、とくに錯乱の極みで一線をはるかに越えたものとして「10・18ゴスペル戦闘と4・27戦闘は自分たちの戦闘だ」なる陰謀告白。これらは解放派軍事論の全面否定であり、彼らの軍事が階級闘争の革命的発展のためではなく、そのスターリン主義的抑圧と破壊―プロレタリア革命党の破壊・革命者虐殺のための軍事に転落・変質したことを示している。
階級闘争への攪乱・破壊
第三に、階級闘争―大衆運動・共同戦線に対する外在性と介入―撹乱・破壊・敵対性の全面化である。
木元グループは、権力・革マル・ファシストとの一体化を強めながら、階級闘争総体に対する悪質な破壊者として転落した。
5・26明大弾圧被告団とともに公判闘争を原則的に闘う救援連絡センターの戦闘的弁護士に対する襲撃(6・4、6・16)とテロ宣言(弁護士に「」をつけるまでに至っている)。5・4―5脱落以降救援連絡センターへの弁護士選任すらしなくなったくせに介入だけはするという、まさに撹乱・破壊のための救援連絡センターへの介入は、木元グループが、反戦・全共闘運動を通して切り拓かれてきた反弾圧救援運動の地平の破壊・解体を利害・目的としていることを示している。権力や革マル・ファシストと利害を同じくする木元グループの、戦闘的弁護士への反革命テロ策動、救援連絡センター破壊介入を断固粉砕しなければならない。
三里塚闘争に対する敵対・外在性が一挙に露呈している。木元グループは、10・10現地闘争から排除されたあげくに、10・18「公聴会」粉砕闘争を反対同盟・支援連が闘いぬいているときに、権力の「許可」を取って「成田駅頭情宣」なるものをおこない全く三里塚闘争と無縁の存在であることを示した。のみならず、権力の許可など取らずに情宣行動を展開してきた地平を解体し、三里塚闘争の破壊者としての展開に入ったのだ(権力・公安の支援連に対する「君たちも許可を取ってやったらどうだ」="許可を取らなければ情宣をやらせない"という反革命恫喝をみよ)。木元グループは、「11・13現地闘争」なるものを、反対同盟に「分断・破壊」「裏切り・敵対」と断罪されたにもかかわらず強行した。反対同盟を先頭とした三里塚闘争破壊のために権力にのみ認められた「闘争」である。
10・24北富士闘争からの脱落と敵対策動。そして、8・1全障連大会会場での戦闘的「障害者」への襲撃―拉致(未遂)はじめ、「障害者」解放運動の敵対者・破壊者に転落した。さらに、権力と一体となって11・14森田同志虐殺を凶行した木元グループは、福岡・築港日雇労働組合(福日労)に対する破壊攻撃を集中している。越冬闘争の会場を、当局は福日労に貸さずに木元グループに使用許可を与えた。福日労に対しては、「一ヶ月以上前には貸し出しできない」と言いつつ、木元グループに対しては同じ条件であるにもかかわらず「予約」として貸し出し、福日労を締め出したのだ。木元グループは、権力―当局と一体となって会場を押さえ、それを"力"=恫喝材料に福日労に屈服を迫るという、敵対・破壊を全面化させている。
大衆運動・戦闘的共同闘争・拠点的闘いに対して、撹乱・破壊のために介入し、従わない運動(組織)に対しては解体するという、恐るべき外在性と敵対・破壊ぶりは、スタ―リン主義的であるのみならず、革マルと同質である。そして、あらゆる戦闘的な闘いの地平を解体―廃墟化し、官許の運動へと転換させようとしているのだ。
解放派の戦略の解体と反革命的転落
第四に、解放派の綱領・戦略・路線と組織性を解体し、変質と反革命転落を遂げている。
一つには、「内乱―コミューン」のスローガンを極右的に否定し、「転化」スローガン(「反革命戦争とファシズムの危機を蜂起―革命戦争に転化し、ソビエト(コミューン)権力を樹立せよ!」)を反革命的に改ざんし、日帝の戦争突撃とファシズム的改編攻撃にむけた「城内平和」攻撃の先兵と化していることである。われわれにとっては自明の「蜂起の一回性」を口実に、それに至る内乱的攻防(弾圧・テロとの闘い、革命軍のゲリラ戦、ストライキ、街頭実力・武装闘争、自衛武装の推進など)を否定し、革マルばりの「革命の彼岸化」に入った。革マル松崎の「冬の時代の労働運動」よろしく、「ストライキをやれば企業がつぶれて展望がなくなる」とストライキ反対―企業防衛主義に転落している。国家論をめぐって「幻想的共同体論」と「暴力装置論」を止揚した〈国家の本質は、支配階級の共同利害態であり、その属性として官僚的軍事的統治機構を有する〉という、マルクス主義=共産主義運動における画期的地平を否定し、「共同体論」(「共同体」だとして、社会成員全体に共通する利害が存在するという主張)を開陳しつつ、戦争(ファシズム)にむけた国家的統合に屈服した。国益主義・国家主義への転落に至るのは必然である。また、プロレタリア革命運動の社会革命の内実を突き出したパリ・コミューンの地平を抹殺している(「コミューンは十二世紀から存在する」とか、「単なる政治形態」などと、核心をずらした反革命的歪曲)。「国家の廃絶」を否定し、「プロ独も権力(国家)だから」とスタ―リン主義的な「プロレタリア国家の強化」論(=労働者人民への抑圧)が本音=核心なのである。
明大「城内平和」の自己目的化―それを越える闘いの圧殺を至上命題としたごとく、全階級戦線における反革命的敵対・破壊者として転落しているのである。
二つには、解放派の非公然・非合法―建軍の地平を解体し、公然合法主義への転落とスタ的「党の軍隊」論による私兵的テロリズムへの変質・転落である。プロレタリア共産主義革命の内容を消失させ政治的思想的空洞化の下で、軍事技術を物神化しつつ、同志虐殺―革命党破壊、戦闘的労働者人民虐殺のための反革命的「軍事」に転落したのである。わが解放派は、解放派建軍武装闘争の地平を堅持し防衛・強化をかちとっていくとともに、木元グループの反革命暴力を解体・打倒していく。
三つには、思想的綱領的レベルにおける変質と転落である。「悪質職制の首を切れと資本に要求するのは当然」などと、労働者の団結した実力の闘いによる放逐ではなく資本の力を自らの力とする、反プロレタリア的な主張が木元グループ全体を覆っている。労働者階級の資本家階級の下への経済的隷属がブルジョア階級支配の根幹であり、その廃絶があらゆる運動の根底に据えられなければならないことの否定、プロレタリアートの社会的存在における革命的可能根拠の必然的展開としてプロレタリア性を革命性として貫徹・実現していくことに対する嫌悪と敵対・破壊を核心としている。レーニン「外部注入論」批判をはじめとし、スターリン主義批判―「コミューンとしてのソビエト」、「国家の死滅」(―「プロレタリア国家の強化」)ではなく「国家の廃絶」、「過渡期路線」など―を通したプロレタリア・共産主義革命めぐる綱領的地平を解体し、小ブルジョア的スタ―リン主義的に反革命的変質を深めている。
四つには、運動的エネルギーと路線の変質・転落である。小ブル民主主義的急進性の行き詰まりと転落をエネルギー的根拠とする木元グループは、当面、小ブル学生主義的な民主主義的エネルギーをかりたてつつ、社民的改良主義的運動に介入―寄生し、戦闘的革命的闘いへの圧殺者・破壊者として純化し、ファシズムへの屈服・先兵化への道をひた走ろうとしている。
労働運動においては、解雇攻撃と闘う労働者の闘いに「小さな争議」と悪罵を投げつけ破壊を策し、帝国主義工場制度足下でのプロレタリアートの闘いの組織化はあらかじめ放棄している。
唯一組織的に取り組んでいる山谷―寄せ場労働運動への関わりにおいても、ヤクザ手配師に「情が移った」(小林の発言)ボス交路線による寄せ場労働者の闘いの制動・圧殺と引きまわしという本性が露呈しつつある。木元グループは福日労に対する官許の破壊策動をはじめ、労働運動(拠点)の破壊というファシズム的要素を孕んだものに転落しつつあることを軽視してはならない。
学生運動においては、自治会非公認化―革命的学生運動解体攻撃を学生大衆の戦闘的決起を組織化して打ち破るのではなく、その逆に、当局(―権力)の許容を越え出る闘いのスターリン主義的圧殺者として登場するに至っている。明大において、獄中不退転に闘う学生会正・副委員長(5・26弾圧「被告」)を「転向した」とデッチあげ、私的に「解任」し、あるいは、7・2二弾圧の挑発者として行動し、当局・権力に「明大城内平和」=学生運動の廃墟化の先兵として容認してもらうものとなり果てている。
部落解放運動をめぐっては、革命的部落解放運動の地平を清算し、糾弾闘争の地平の否定・解体と「教育糾弾論」―社民的融和主義のとりこみをおこなっている。「対象の変革を第一義とする差別糾弾」などと主張し、それを批判したわが解放派を「差別主義反革命」と得意気に規定する木元グループの反革命的転落は深い。部落差別は部落民の虐殺を核心としており、差別糾弾闘争とは、それに対して部落民自らの生命と団結を守ることを第一とするのであり、それを軸に差別と闘う労働者をはじめとした共同闘争の発展をかちとり、その力で国家権力・資本に対しては打倒し、労働者人民の場合は自己批判させ差別と闘うように変革していくのである。木元グループの主張は、権力と人民の区別がないだけではなく、「糾弾なき変革論」である。結局のところ、糾弾闘争を否定し、差別主義者を糾弾闘争から防衛し内部にとりこみ、運動総体を解体・腐敗させ、部落解放運動のファシズム融和への転落の先兵となる道をひた走っているのだ。
以上のような反プロレタリア的反革命的内容は、本質的なものとして全戦線において展開されるのであり、運動の発展のためにも早急に解体・絶滅・一掃をかちとっていかなければならない。
五つには、木元グループは、その組織性において、階級的革命的団結―組織性とは無縁のみならず、根本的に背反するスタ―リン主義的かつ宗教的組織性をもっている。思想も理論もない「革命ゴッコ」の山田を唯一とするお粗末なサークル集団であるがゆえに、デマとどう喝を特徴としている。山田・「ミニ山田」への従属―依存関係がその家父長制的宗教的紐帯の基軸であり、山田の指導下から決起した同志に対する「人格としてのスパイ」なる反マルクス主義的な主張が平気で通用し、革マル=黒田の「人間的同一性論」への同化が進行しているのだ。木元グループは、党内思想・路線闘争も組織できずに脱落し、「党内闘争」に完敗し、いまや、思想的路線的空洞化の極限化の下、デマとどう喝・スターリン主義的政治技術、物理力としての「軍事」(テロリズム)が全てとなっている。木元グループはスタ的宗教的構造を有しており、いかに脆弱とはいえ集団としての反革命的転落をとげた今日、その打倒―解体・絶滅を通してしか、一部の根底的自批―再結集もありえない。
木元グループを解体せよ
以上のごとく、木元グループは、解放派の思想性・組織性から変質し、左翼性すら解体し、権力・ファシスト・革マルとの一体化を深め、反革命虐殺テロの継続・強化―党・統一戦線および共同戦線に対する破壊者として登場するに至った。日帝の戦争とファシズムへの突撃の下での解放派壊滅攻撃―全戦線での解体(路線転換)攻撃の先兵として、反革命テロと大衆運動・共同戦線破壊を全面化させているのだ。
今や、このミニスターリン主義集団=木元グループの解体戦は、現下の内乱的闘いの不可避の一環を構成するものとなった。わが革労協は、権力による破防法型壊滅攻撃や革マル・ファシストとの闘いと一体の政治性格をもつ革命的「党派闘争」として闘う。最悪の反革命集団を生み出した責任において、全党・全軍あげて木元グループを解体絶滅し、全国全戦線から放逐することを宣言するとともに、この闘いに全ての労働者人民がともに決起されんことを呼びかける。
一切の逡巡をかなぐり捨て、自ら武器をとり、7・2二荻野同志虐殺―11・14森田同志虐殺に報復し、反革命に転落する親ファシスト・ミニスターリン主義集団を容赦なく解体絶滅せよ!
虐殺の首謀者・下手人・手引者を総せん滅せよ!
革命党の廃墟の上にプロレタリア革命の勝利はないことを肝に銘じ、生死をかけ、長期投獄を恐れず、解体・絶滅の死闘戦に起て!
北條同志をはじめとした獄中の同志! 全ての同志達!
荻野・森田両同志、片山在根・北條千秀両同志、中原・石井同志ら志半ばでたおれた全同志の遺志をひき継ぎ、プロレタリア国際主義を高く掲げ世界革命の勝利を目指し、訪韓阻止決戦を軸にした決戦的諸闘争を牽引し、対ファシスト戦・対革マル戦、そしてミニスターリン主義集団の解体・根絶戦を、破防法型=非合法化弾圧をはねのけ渾身の力で貫徹していこうではないか。新たな質・量をもった7・22―10・9型大弾圧に対峙し、右翼ファシスト、革マル、木元グループのテロルを封殺していく党の革命的改編、すなわち公然領域の非公然・非合法性の根本的強化、非・非領域の革命的飛躍とその全党・全潮流的防衛の強化、そして、労働戦線・拠点を軸としたプロレタリア統一戦線の拡大・強化、共同戦線の拡大と階級的革命的再編(統一戦線への結集)に死力を尽くそう。
国家権力による、7・2二反革命弾圧と一党派の指導部の虐殺の公言に凝縮される階級闘争の現局面は、党・統一戦線―軍の建設と闘争の推進の仕方における、革命的再編・飛躍を課し、路線の堅持とともにその大衆化を実現すること、そのための系統的計画的整理を死活のものとしている。
このことを何段にも噛みしめ、2000年―21世紀初頭を、世界史的階級決戦の号砲としよう!
階級決戦が差し迫るなか、われわれは7・2二をはじめとする組織壊滅弾圧の集中砲火と木元グループとの「党内闘争」「党派闘争」(対革マル・対ファシスト戦)の試練を正面から引き受け、戦争突撃・動員と対決し、安保・天皇・三里闘争の前進を切り拓き、非合法の共産主義的労働者党建設の前進をかちとってきた。
1999年―2000年は戦争遂行態勢形成のための政治・社会再編の攻撃の集中期である。激化する予防反革命弾圧との闘いは避けて通ることはできない。歴史的激動の時代は旧来の闘いと団結の再編を迫り、政治勢力の再編と党派闘争を不可避なものとさせる。
2000年階級闘争は恐慌の危機なかでの全世界的な合理化・失業・収奪の嵐と朝鮮反革命戦争の危機の一層の深化のなかで、矛盾の激成に対する労働者人民の広範な怒りを組織しつつ、一切を戦争遂行・動員の強制に対する内乱的闘争の戦取に集中することを最大の課題としている。
このポイントは、歴史的な階級闘争の拠点=三里塚・沖縄・国鉄・狭山に集中しつつ、賃下げ・合理化・大衆収奪などの矛盾の噴出点から闘いの組織化と階級化・革命化を推進し、日帝の延命=攻撃環である戦争遂行・動員態勢の暴力的形成と日帝のアジア反革命盟主化の突撃との対決に集中していくことである。この闘いの最大の戦略的集中環は天皇訪韓阻止決戦である。
ゲリラ・大衆的実力闘争・ストの貫徹から内乱的闘争を爆発させ、日帝国家権力打倒―コミューン(ソビエト)権力樹立へ進撃しよう。
対ファシスト・対革マル・対木元グループ戦の死闘下、共闘再編を推し進め、共産主義的労働者党・プロレタリア統一戦線(拠点)・プロレタリア革命軍建設の飛躍を闘いとろう。
2・11二三ヵ年革労協政治集会を成功させ、天皇訪韓阻止決戦の歴史的爆発を戦略的に準備し、2000年三里塚「暫定滑走路建設」阻止・沖縄サミット粉砕闘争の爆発をかちとり、小渕自自公連合政府打倒へ突き進もう。
すべての革命的労働者人民は真紅の革労協の旗のもとへ。
全ての共産主義的革命者は革労協に結集せよ!
全世界の労働者団結せよ!
永続革命・世界革命!