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全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

【 資 料 】<国家権力・神奈川県警の殺人的取調べを弾劾し、 小田原国賠裁判闘争に勝利しよう

2000年4・21小田原弾圧国賠裁判を共に闘う会が03年8月に発行したパンフより

【小田原国賠裁判とは】

 小田原国賠裁判は、2000年4月21日神奈川県警公安三課と小田原署によるAさんへの不当逮捕と殺人的取調べを弾劾し、Aさんを死の危険にたたきこんだその責任を徹底的に追及する裁判です。2002年7月23日、横浜地裁に提訴されました。

神奈川県警―小田原署による面会妨害、治療妨害の末の逮捕

 Aさんは、2000年2月9日真鶴駅ホームで、転向反革命集団・木元グループによる刺殺テロをうけ重傷を負いました。一緒にいたBさんは刺殺されました。Aさんは救急車で小田原市内の病院に運び込まれそのまま入院となり、緊急処置、手術となりました。刺傷は肺、横隔膜、腸管にまでいたっており、手術は開胸、開腹下、横隔膜修復手術、結腸部分切除、胸腔内洗浄、膿瘍ドレナージ、気管切開など複数の処置がおこなわれ5時間以上にわたる大手術でした。手術後も意識もうろうとする危険で重篤な状態が続きました。 神奈川県警は、Aさんが救急車で運ばれた時から病院を厳重な監視下におき、意識もうろうとするAさんの耳元で怒鳴りまくり、酸素マスクをはずしてまで顔写真をとらせ、病院に圧力をかけて友人達の面会を妨害しつづけました。病院内では、携帯電話をかけまくり、Aさんが回復しはじめ、歩行訓練をはじめるようになればその後をついてまわり、また食事の残量を調べるなどAさんに対する執拗な監視と非道ぶりは病院関係者に注意されるほどでした。神奈川県警は「被害者」である病人のAさんを弾圧態勢をもって監視下におきつづけたのです。

 そうしてようやく2ヶ月半ぶりの4月21日退院をむかえました。しかし神奈川県警は病院門前で待ちかまえ、弁護士や友人達の防御から力づくでAさんを引き剥がし、Aさんを逮捕したのです。容疑は、一緒にいたBさんが持っていたという「4徳ナイフの共同所持」による「銃刀法違反」「凶器準備集合」というものです。何というでっちあげ逮捕でしょうか。そもそも神奈川県警は、Bさんの所持品どころか遺体の安置場所すらAさんに教えなかったのです。

長時間取調べによる腸閉塞発症

 神奈川県警は、2ヶ月以上ほとんど寝たきりで傷も癒えていないAさんを劣悪な小田原署の留置場に放り込みました。留置場の食事は朝からカップラーメンや脂っこいものが多く、流動食から柔らかめの食事にきりかえていくらもたたないAさんには全く酷なものでした。風呂も週2日で、傷口のこまめな消毒はかかせませんが、留置場では自分で簡単な消毒すらすることはできません。差入れを頼みたくても、友人達との接見すら禁止されました。

 Aさんをこのような境遇におき、神奈川県警公安3課は連日3〜6時間におよぶ取調べを強行してきました。夜間も取調べを強行しました。回復していないAさんを留置場から引き出し、固い椅子に同じ姿勢で何時間も座らせ転向強要を浴びせつづけました。Aさんは、この殺人的取り調べに対して完黙―非転向を貫き、あるいは"取調べ拒否"をもって闘いぬきました。通院治療は、毎回攻防してかちとりました。Aさんは「今度は警察に殺される」「殺されてなるものか」と体力、気力を振り絞って闘いぬき、凄まじいストレスと緊張の中で、逮捕後6日目に腸閉塞を発症したのです。

神奈川県警による執拗な革命者抹殺攻撃

 開腹手術をしたAさんは、「腸閉塞をおこしやすいのでストレスは努めてさけるように」と医師からいわれていました。最も気をつけなければならないといわれた腸閉塞を、ストレスの固まりである警察署の留置場で退院後6日目で発症したのです。激痛で房内を転げまわり「早く病院へ」と叫ぶAさんを小田原署は放置し、眼と鼻の先にある病院への搬送を遅らせました。

 病院へ運び込まれたAさんは、再度手術を施されねばなりませんでした。Aさんはイレウス管挿入の手術をうけました。Aさんが再度管につながれぐったりしているにもかかわらず、汗だくになって治療を終えた医師に近づいてきた神奈川県警は「留置場に戻せませんか」といってきたのです。医師は当然ながら一蹴しました。勾留の「一時執行停止」となった後も権力はAさんに手錠をかけつづけ、最後まで「留置場に戻す」ことに執着したのです。(このデッチあげ容疑は後日不起訴となっています。)

 権力に対して非妥協で闘う者=革命者に対するこれほどまでに執拗な獄殺―抹殺攻撃!私たちは怒りをもってこの不当逮捕と殺人攻撃を告発するものです。

 この弾圧は「木元グループがし損じれば権力がかわって殺る」という攻撃そのものです。権力の弾圧を条件として木元グループが白色テロで襲い、木元グループのテロを口実に弾圧をしかけるという構造をあからさまにしています。

 Aさんと弁護士は勾留「一時執行停止」後「留置場出入り簿」の証拠保全をかちとり、国賠提訴の準備に入ったのです。

「主治医の指示」をデッチあげ─殺人的取調べに居直る神奈川県警を許すな

 殺人的取調べを徹底追及する国賠裁判の最大の争点は、「1時間が限度という医師の指示を無視した長時間取調べによって腸閉塞を発症した」という点です。

 国賠裁判闘争で、被告・神奈川県警側は面会妨害や治療妨害には居直った上で、さらに「原告の健康状態に配慮して取調べを中止、中断した」「取調べは被疑者の身体生命の安全に最大限配慮しながらおこなわれた」とぬけぬけと言い放っています。その上で「主治医は取調べ時間については体力を消耗した極端に厳しいものでなければ3,4時間は可能といった」と医師の「指示」をデッチあげて殺人的取調べに対する追及をのがれようとしてきました。

 何よりも不当逮捕に驚いたのは、Aさんや友人だけではありません。Aさんとともに闘病してきた病院スタッフ、とりわけ主治医は驚きと怒りの様子を陳述書で次のように述べています。「Aさんが退院後、すぐに病院玄関前で逮捕されたと聞いた時、私は驚きのあまりしばらくぼう然としました。…私が経過中あれほど重症と説明したのに、事前に主治医の私に意見を求めなかったことに対し、医師として強い不快感を覚えました」「取調べはAさんの身体の負担にならないような状態で、かつ時間的にも1時間が限度と説明しました」「(県警側が主張する3、4時間の取調べが可能と医師がいったというのは)そのような発言は記憶にありません。今ふりかえってみてもあの時点でのAさんの体力を考えれば、留置、取調べという環境は医学的にみて困難であることは明らかであり、常識的にみて私でなくとも同意する医師はいないと思います」とはっきり述べています。

 また原告Aさんの陳述書では、入院以降の治療妨害、面会妨害、取調べ状況を虐殺攻撃として細部にわたって暴露しています。そして執拗に獄殺を狙ってきた神奈川県警への燃えたぎる怒りと反撃の決意が述べられています。また国賠提訴の闘いが、留置場や監獄での虐殺や暴行弾劾の闘いにたちあがる人々との連帯した闘いとして、権力をおいつめる闘いとして闘い抜くことを訴えています。

 この国賠闘争は、原告Aさんの獄殺攻撃への怒りを発射点にそれを粉砕した地平で闘われています。多くの皆さんが、Aさんの陳述書を読まれ、権力の獄殺攻撃に対する怒りを共有し研ぎ澄まし、国賠裁判闘争に注目されんことを訴えます。国賠闘争に勝利し、公安警察解体の闘いへ攻め上りましょう。

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