全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

東京高裁寺尾による差別有罪判決39ヵ年糾弾を闘う

狭山差別裁判糾弾! 階級裁判粉砕! 国家権力糾弾―打倒!

▼部落差別に貫かれた差別捜査・でっち上げを追認し、
 極悪部落差別判決をうち下ろした寺尾判決糾弾

 絶対に許すことのできない1974年10月31日の寺尾判決から39年、日比谷野外音楽堂において、市民集会実行委員会主催による「冤罪50年! いまこそ証拠開示と事実調べを!」集会が、全国の部落大衆・共闘団体などの結集により闘われた。5・23闘争実行委員会、全国反戦青年委員会、全学連もともに闘いぬいた。

 集会に先だち、東京高裁・高検に向けた弾劾行動を闘う。石川氏を先頭に解放同盟・各団体による前段の東京高検・高裁への要請行動参加者たちが、集会場の野外音楽堂への移動で眼前を通りすぎていった。石川氏への熱い連帯の思いをこめ、怒りも新たに高裁・高検を弾劾するシュプレヒコールを幾重にもたたきつけた。

 会場入口前でマイクでの訴えとともに、集会参加者への情宣行動を、大量に動員された公安私服の弾圧策動を粉砕し、木元グループの妨害・敵対を粉砕しつつおこなう。木元グループは、明治大学での部落差別貼り紙事件の下手人砂田を、明大当局・資本との取り引きのため抱えこみ、差別糾弾闘争に敵対した。そして狭山闘争現場で、石川氏を「覇気がない」と罵倒するビラをまきちらす差別主義集団である。さらに5・23闘争実を先頭で牽引する仲野同志をはじめ同志を虐殺した。差別主義・反革命集団の闘争介入は断じて許せない。

 5・23闘争実の仲間から「39年前、この日比谷公園、霞ヶ関一帯に多数の権力を配備した弾圧態勢がしかれ、狭山公判以外を休廷にしてうち下ろされた寺尾による差別有罪判決を徹底糾弾する。寺尾は『部落に関する本を読んでいる』と言いながら部落差別を黙殺して一言も述べず、警察・検察による差別捜査・でっちあげ・証拠ねつ造を追認した。そして9月26日の石川氏の全力の訴えの最終意見陳述、弁護団の最終弁論をふくめた9月の6回の公判を検討することもなく、判決文を執筆していた。寺尾のこうした部落差別のもてあそびそのものの態度と行為を絶対に許すことはできない。10・31攻撃をうけての部落解放同盟提起の、高松地裁結婚差別判決糾弾闘争時の三大義務拒否(兵役拒否・納税拒否・義務教育拒否―同盟休校)に匹敵する闘い、司法・国家権力に迫る闘いが、いまこそわれわれに問われている」と、寺尾判決への怒りと闘いの決意が述べられる。

 明大生協不当解雇撤回を共に闘う会は「10・31寺尾差別有罪判決を断じて許さず、第三次再審闘争の勝利をめざし石川氏、戦闘的部落大衆と連帯し全力で闘う。差別主義集団=木元グループが今回も狭山闘争破壊のために集会・デモへの介入を策動している。木元グループによる破壊・介入を粉砕しよう。共に闘う会は木元グループに明大生協労働者全員解雇の責任を必ず取らせる。資本・権力の手先=木元グループを狭山闘争はじめあらゆる闘いの現場から放逐・一掃していこう」と、狭山闘争の勝利と明大生協争議の前進にむけ闘う決意を明らかにする。

 反戦・全学連を代表して全学連からは「差別有罪判決39ヵ年糾弾の闘いをともに闘う。安倍連合政府のもと差別主義攻撃・排外主義攻撃に拍車がかかっている。『在特会』など在日朝鮮人民や部落民に対する襲撃にふみこんだ右翼ファシストと実力で対決しよう。10・22-23-27、組対法攻撃を継続する福岡「免状」弾圧を粉砕し、激化する治安弾圧攻撃をはねかえそう。権力による部落差別を断じて許さず国家権力糾弾―打倒の闘いを発展させ安倍連合政府を打倒しよう」と、狭山闘争を闘う決意とともに、激化する治安弾圧・テロと対決し安倍連合政府打倒にむけともに闘うことが訴えられた。

 反対同盟とともに、農地強奪阻止決戦を闘う反戦・全学連三里塚現地行動隊は「7・29千葉地裁による、市東さんの農地強奪判決を許さず、これまで以上の闘いをもって東京高裁に攻めのぼる闘いを。7・29公判闘争で車イス傍聴制限―『障害者』を差別・排除する攻撃が福岡の組対法弾圧裁判につづきかけられ、三里塚でも『障害者』の反撃を闘いぬいている。48年間にわたり〈徹底非妥協・実力闘争〉で闘う三里塚闘争破壊攻撃を許さず、労農水「障」学共闘で闘いぬこう。9月手話実集会につづく10・20全国集会への天皇主義右翼ファシストの敵対登場を許さず闘う」と、狭山闘争の前進とともに、決戦をむかえている三里塚闘争への結集をよびかける。

 権力・木元グループによる敵対・破壊をはねかえし熱気あふれる情宣行動がかちとられた。本集会の開始に合わせ全体でシュプレヒコールをあげ、いったん情宣をしめくくる。5・23闘争実の仲間を先頭に会場に入場し、集会に合流する。

 本集会中、野外音楽堂内を公安私服刑事が徘徊しているのを摘発する。集会参加者の公安私服への怒りのまなざしのなか追及・弾劾し、公安警察の集会への潜入・破壊と対決した。三月埼玉狭山集会につづく公安私服の潜入とこれを防衛する木元グループを怒りをもって弾劾しよう。

▼「来年こそは再審、無罪をと闘う決意」―石川氏の発言

 集会で石川氏は「39年前の不当判決に怒りをもって結集したみなさんありがとう。無罪をかちとるまで全力で、不退転の決意で闘う。来年こそは再審開始決定、無罪をと闘う決意だ。頭の上は晴れていても心は闇、心も晴れやかになるようご支援を」「冤罪を訴え駆け抜け50年 未だ見ぬ春は近きと信じ」と心を歌に託す。早智子さんは「狭山はいま動いている。マスコミもとりあげている。多くの人に狭山を訴え司法を動かしていこう。今年から来年にかけていちばんの山場」と訴える。

 石川氏は各地でも闘われる10・31集会へむけたアピールで「再審裁判の方も自分の描いた通りにことが進まず、……皆様方には大きなお世話を頂きながら、なかなか進まないと感じておられるのではと思うと、本当に済まなく、アピールを書く私のペンも重く感じられます」と気持ちを述べている。そして「現時点では兎も角、楽観することなく、再審開始の実現を目指し、全身全霊を傾注し東京高裁前の訴えや支援の要請を展開して参る所存です」と闘う決意を明らかにしている。

 集会では、警察・検察による冤罪を闘いぬいた免田・足利・布川・袴田事件の諸氏から連帯アピールが述べられる。「無実の人を犯罪者にする警察、検察こそ犯罪者。絶対に許さない」「日本の司法、検察庁は証拠開示をおこなわず、冤罪を生む過ちをくり返している」「狭山事件の再審をかちとることは石川さんの無罪をかちとるだけでなく、冤罪事件の再審開始につながる」と。

 寺尾判決を崩す闘い、証拠開示、事実調べをかちとろうの基調提案、集会アピールが確認される。あわせて、半世紀無実を訴え闘いつづける石川氏のドキュメンタリー映画「SAYAMA」の上映運動が提起された。

▼石川氏、戦闘的部落大衆とともに都心をデモ行進

 集会終了後、会場から常盤橋公園までのデモ行進が取り組まれた。5・23闘争実は、デモにむかう部落大衆、集会参加者にむけ情宣行動を取り組む。ハンドマイクからアジテーションを響かせながらデモ参加者一人ひとりにビラを渡していく。「差別裁判糾弾、階級裁判粉砕、国家権力糾弾─打倒、狭山第三次再審闘争勝利にむけともに闘おう」「国家権力に怒りをたぎらせ高裁前行動など身体を張って闘いぬく石川氏とともに狭山闘争の歴史的勝利をともにかちとろう」と、熱く訴えた。

 第三次再審闘争が決戦的な局面をむかえるなか、寺尾有罪判決への怒りに燃え再度の差別有罪判決─再審棄却を断じて許さぬと結集した部落大衆の情宣に対する注目は高い。アジテーションとシュプレヒコールを交互におこないながら情宣を貫徹した。前回5・23中央集会につづき今回も用意したビラはすべてまきつくされた。

 権力に守られながら会場出口─デモ出発地点付近に居並ぶ木元グループに弾劾の嵐を浴びせつけデモ行進に出発する。5・23闘争実の闘いにあせりを募らせた権力は、開始直後、宣伝カーを隊列の前面に出させない、使用させないという妨害・規制をおこなってくる。この敵対・妨害を集会主催者とともにはねかえした。出発直後の歩道には、集会への潜入・破壊策動を摘発され弾劾の嵐にさらされた二名の公安刑事の姿があった。権力のこれまで以上の露骨な闘争破壊に結集した仲間の怒りが一気に燃えあがる。宣伝カーを先頭に権力・ファシスト、木元グループらの敵対・破壊をはねかえし戦闘的なデモ行進を石川氏、戦闘的部落大衆とともに闘いぬいた。

 デモ終着地点で5・23闘争実の仲間から集約提起をうけ、差別糾弾闘争の前進、狭山闘争の勝利にむけ決意も新たに全体でシュプレヒコールをあげ、寺尾差別有罪判決39ヵ年糾弾の闘いを貫徹した。

▼手拭い配布の改ざん―でっちあげ鮮明の新証拠提出―弁護団報告

 集会では、狭山弁護団から10月17日提出の(被害者を後ろ手に縛った)「手拭い」関係の五点の新証拠についての報告がされた。

 この手拭いは事件当時、近所の米穀店が配布した165本のうち、警察が回収できなかった7本のなかの一本が犯行に使われたとされている。警察は5月11日に石川氏宅から回収したにもかかわらず、5月6日昼のTBSテレビニュースを見て家族が、娘婿の石川仙吉宅、または隣家から調達して「工作」した、とこじつけ寺尾判決もそう認めている。しかし今年三月に開示された当時の捜査報告書には、5月6日午後0時20分ころ石川宅へ行ったさい、新しいのし袋に入ったままの手拭いを見せられたことが明記されており、0時2分すぎから50秒放映のニュースを見てからの調達は不可能である。隣家は、手拭いはもらっていないとずっと主張している。警察は石川仙吉宅にも6日午前中に訪れ、使用中の手拭い一本を確認(後に回収)している。そして今回、米穀店の手拭い配布一覧表の石川仙吉宅への配布数が、一本を二本と改ざんされていたことが特殊カメラ撮影で明らかになった。警察の証拠ねつ造を現すものにほかならない。寺尾判決は「家人も、関源三警察官が万年筆をあらかじめ勝手出入口の鴨居に置いておき、そこから万年筆が発見されるような工作をしたと主張していることなど考えあわせると…手拭いについても家族が工作した疑いが濃い」と、警察の証拠でっちあげを逆手にとって家族の「工作」と決めつけており、まったく許せない。弁護団はさらに、TBSの放送内容についての捜査報告書、石川氏宅周辺の手拭い配布先についての捜査報告書などの証拠開示を求めたと報告された。

▼東京高検の証拠隠し・居直りを許すな、
 高裁裁判長河合健司の棄却策動粉砕

 10・31集会を前にした10月28日、第15回「三者協議」がおこなわれたが、検察側は「証拠開示の必要性はない」という強硬な態度を続けている。

 寺尾判決では、「犯人の脅迫状と石川氏の筆跡が一致した」というでっちあげを有罪の大きな証拠として確定判決の主軸としている。しかし、本年五月に開示された新証拠の、石川氏が不当逮捕当日に書いた上申書については検討・判断していない。弁護団は専門家の筆跡鑑定五通を今年5月8日に提出しており、これだけでも事実調べが必要なはずである。事件当時の石川氏の筆跡と脅迫状は一致しないという鑑定は以前も出されているが、真犯人が残した唯一の証拠はこの脅迫状と、農道で発見された遺体だけであり、重要な証拠の検討はおこなわねばならないはずである。筆跡関係で未開示の筆跡資料について、検察は10月11日の意見書で「開示の必要性はなく、プライバシーに関わるので開示できない」と拒否し、弁護団は10月17日開示勧告申立書を提出した。

 石川氏を犯人とする三大物証―被害者の物とされる万年筆・腕時計・鞄は、すべて強要された石川氏の「自白」により発見されており、発見の経緯や、被害者の物でなくねつ造された証拠であることが明らかである。証拠開示勧告をうけた殺害現場に関する三項目についても、検察側は「不見当」(見あたらない)と言って開示せず、「不見当」の理由も明らかにしていない。裁判所の開示勧告を無視する検察の対応にも、開示命令や事実調べにふみこまない裁判所の姿勢が問われている。

 1974年10・31確定判決から39年、一度の事実調べもなく棄却攻撃が相次いでおり、まさに石川氏の言うように「これほどまでに無実の証拠が明らかなのに事実調べ・再審がおこなわれないのは、狭山事件が部落差別による権力犯罪だから」なのだ。狭山担当の高裁第四刑事部裁判長河合健司は、検察側がこれほどまでに証拠隠しに居直っていても、開示勧告をせず再検討を促すのみである。次回第16回「三者協議」は1月末とのことだが、国家権力は、石川氏本人が出席できず、協議内容を明らかにすることも禁ずる「三者協議」の「密室」のなかで「処理」し、狭山差別裁判糾弾の大衆的実力闘争を解体しようとする手を緩めてはいない。石川氏は、権力に刃向かえば再収監という攻撃をはねのけ、東京高裁前行動を部落大衆・支援者とともに闘いつづけている。東京高裁・高検、司法権力に迫る闘いをともに闘おう。

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