全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

9/15―16 戦争法粉砕―国会前「公務執行妨害」弾圧徹底弾劾!

9/25同志たちを奪還! 取り調べ拒否を闘いぬく! 「保護房」弾圧弾劾!

 戦争法粉砕!8〜9月、怒れる巨万の労働者人民が、国会へ幾度も押し寄せた。権力の“コーン”や“鉄柵規制”を突破して、何度も国会へと迫った。そこら中で権力の不当な道路規制や看板規制に抗議し、それを突破し、あるいは看板を撤去させる労働者人民の闘いがあった。安倍と戦争立法の防備兵である警察とその規制の象徴である鉄柵はあちこちで押しやぶられ、それを踏み倒し、のり越えて、戦争立法成立へとひた走る国会議場へと実力で迫る闘いがうちぬかれた。「安倍はやめろ」を踏み越えて「戦争法成立絶対許さん」「安倍をたおせ」と実力で迫る闘いに心底恐怖した国家権力は、今夏―秋の過程でも25名の逮捕弾圧を強行した。とりわけ戦争立法が参院特別委員会採決―本会議採決強行に向かう過程では、恐怖と憎悪にかられた権力による大量弾圧が凶行された。15日には3名、16日には13名の「公妨」逮捕が強行された。同志たち3名を含む不当弾圧を徹底的に弾劾する。同志たちは、この戦争法を象徴する弾圧に対して、まさしく徹底非妥協で果敢な獄中闘争を闘いぬき、全員が25日までに奪還された。

9.15「鉄柵たおせ」の闘いに合流した同志たちを狙い撃ち

 9月15日、20時30分すぎ、国会前信号では、権力の不当な交通規制により、通行ができなくなり歩道に人があふれる。「なんで通さないんだ!」、「鉄柵外せ」と多くの人々が怒りの闘いを繰り広げる。戦争法に対する巨万の決起を「鉄柵秩序」に封じ込めようとする警察に対する怒りが爆発する。ものすごい数の人々が鉄柵を踏み越えて進む。機動隊は抗議する人々を突き飛ばし、押し倒す。怒りが爆発する。次々と投入され二重三重に阻止線をはる機動隊を怒りの実力闘争が突き破り、対面で鉄柵外せと闘う人々と大合流する。鉄柵が引き剥がされる。この闘いに震え上がった警視庁は大量の機動隊を投入し、むき出しの国家暴力によって鎮圧しようとする。これが国家権力の姿だ。戦争(法)と弾圧は一体だ!

 警察弾劾の声が叩きつけられる。国会前は戦争法と一体の弾圧許すなの怒りが沸騰し、闘う労働者人民を一つにする。あせりにかられた機動隊は年配者であろうがお構いなしに道路に押し倒し、安全靴で蹴りを入れてくる。攻防は数百メートルにわたって繰り広げられる。その攻防のなかでとんでもないことが起こった。「弁護士」の腕章をつけた者が、機動隊の側に立ち、「やめろ、やめろ」と闘う人の前にたちはだかるではないか! 戦争法制定のために配置されている、むき出しの国家暴力がふるわれているその時に、機動隊の側にたつとは何事か!

 機動隊の攻撃で、闘う人々が将棋倒しになる。倒れた人々に機動隊は暴力を振るう。闘う人々は隊列を組み直し、機動隊と対峙する。青ゼッケンの同志が闘いの前線で果敢に闘っている。機動隊は憎しみもあらわに同志たちに襲いかかり、引きはがし道路に押し倒し、顔、頭、腹部を安全靴でけりまくり「公妨」で不当逮捕したのだ。

 2同志は、この逮捕時の機動隊の暴行により、衣服はビリビリに引き裂かれ、負傷した。額には切り傷、右まぶた下も擦り傷、左胸下打撲、頭部にはたんこぶができるほどの暴行だ。赤坂署3号同志は、医療要求し、東京逓信病院に行ったが、要求したにもかかわらずレントゲンもとらない。腹部の痛みは出獄後も続いている。出獄後の受診で肋骨骨折が発覚した。麹町署四号同志も全身あざだらけで痛みは四〜五日続いた。絶対に許さない!

 この不当逮捕に対して、部隊は当夜ただちに警視庁本庁前に登場し、「不当逮捕徹底弾劾」のコールをあげる。権力は、いきなり本庁前であがったシュプレヒコールに右往左往しながらも暴力的な排除に出てくる。これと徹底対決して、不当逮捕弾劾! 同志奪還! の決意も固く、この日の行動を終える。

9.15不当逮捕弾劾の三里塚通信はこちら

9.16戦争法特別委員会採決阻止!の一大攻防の中での13名「公妨」弾圧

 翌9月16日は、前日の不当逮捕徹底弾劾! を呼びかけながら、国会前へと登場する。昨日の逮捕現場を見ていた人も多く、我々の反弾圧の訴えに、たちどまり、「あれはひどかったわよね」「頑張って」とビラを受け取り、カンパも寄せられる。

 参院特別委員会の採決が目論まれていたこの日、国会前は見たこともない重警備が敷かれる。歩道脇の鉄柵は二重にされ、鉄柵同士が厳重にロープで縛られた上、結束されている。さらに道路中央には、機動隊バスが二重に並行しておかれている。まさに戒厳体制だ。道路左右の歩道から人民が鉄柵を越えて合流することを阻止しようというのだ。ここまでして通そうという戦争立法の、これが正体だ。徹頭徹尾暴力的な人民弾圧・抑圧法なのだ。

 この日も国会周辺には、“いてもたってもいられない”と続々と人々が詰めかける。この重警備に、驚き、怒りの炎に油を注ぐ。敵は、ますます“鉄柵と機動隊バスの枠内秩序”に労働者人民の怒りを封じ込めようというのだ。そうはいかない!われわれは、この場に来たくても来ることができない人々の怒りも引っさげ、権力の強制するこの秩序をぶちやぶり、国会に進撃すべく前へ前へ、と進む。

 国会正門最前線では、最も戦闘的な人々が果敢に鉄柵攻防に挑む。相変わらず、国会正門に向かわず、あえて横向きに「お立ち台」をつくって「安倍はやめろ」とわめく部分を尻目に、何度もわっしょい、わっしょい、とスクラムを組み鉄柵の向こう側にいる機動隊に詰め寄る。ついに鉄柵の一部が破られる。機動隊の指揮官車からは、声を上ずらせ「対象を見とけよ」との絶叫が聞こえる。2時間にわたる押し合いの攻防がくりひろげられる。

 そして、再度、スクラムが強化され、「安保粉砕!」「わっしょい」コールがひときわ力強く鳴り響く。背中で機動隊の四重五重の壁を押しさげる。権力は、蒼白になり絶叫しながら、仲間達を引き抜く。地面に打ち倒し、人相が変わるくらいに顔面といわず、頭部といわずけりあげ、不当逮捕しさったのだ。この攻防の中、わが同志も1名が引き抜かれ、「公妨」逮捕された。この激しい実力闘争こそが、安倍をびびらせ、この日の特別委員会採決を粉砕したのだ。

 ふりしきる雨の中、汗だくになりながら、ただちに闘う仲間たちとともに、麹町署弾劾行動を闘いぬいた。

9.16不当逮捕弾劾の三里塚通信はこちら

取調べ拒否の闘いが大爆発

 こうやって、不当逮捕された3名の同志たちは、戦争法弾圧への怒りを爆発させる獄闘に入っていった。3同志は完黙―非転向闘争の延長としての取り調べ拒否の闘いに入っていった。

 15日に逮捕され、赤坂署に留置された同志は、徹底した出房拒否、連行拒否を叩きつける。写真撮影も指紋採取も拒否だ。権力は暴力的にこれらを強行する。とりわけ、17日の地検押送、18日の裁判官の勾留質問の場に赴かないという闘いを徹底的に闘いぬいた。裁判所職員は音を上げ、地裁接見で待っていた弁護士に「先生、なんとか裁判官に会うよう、説得してください」と懇願する。これを一蹴して同志は、弁護士接見室から出ない闘いに入る。

 16日に逮捕された月島署留置の同志も、連行拒否を闘う。この闘いに対して権力は、同志たちを車椅子にくくりつけて強制連行したのだ。

 3同志は、こうやって出獄までの約10日間、取調べを拒否しぬいた。共同事件の被弾圧の仲間たちにも取調べ拒否の闘いは広がっている。ともに、完黙―非転向、転向攻撃粉砕の獄中闘争を闘いぬいた。

 この不当弾圧に対して、獄外は逮捕直後の警視庁、麹町署への弾劾行動をうちぬき、連日のビラ情宣をおこなった。9月18日にはビラでよびかけて、再度警視庁本庁弾劾行動を闘いぬいた。権力はあらかじめ本庁前の車道に機動隊バスを並べ、対面から見えないようにしてきた。そしてよびかけで集まった人々との分断を図り、警官の壁をつくり、部隊で300メートルも押してきたが、ビラの呼びかけで結集した人も怒りを倍加させて、共に霞ヶ関一帯に響き渡るコールで不当弾圧を徹底弾劾しぬいた。

赤坂署による6日間の「保護房」弾圧徹底弾劾

 この中で、群をぬいてあくらつなのが赤坂署である。徹底非妥協の闘いを貫く赤坂署3号同志が、地裁から戻ってくるや否や「保護房」にぶちこんだのだ。「指示に従わないから」というのが理由だ。指示に従わない例としてあげたのが、取調べを拒否していること、受け取り書のサインに本名を書かないこと、だというのだ。

 人民虐殺の温床である「保護房」は撤廃あるのみだ。赤坂署こそ、新宿、高輪、大崎…と昨年から連続する〈警察署の「保護房」への連行途中で人民を殺した〉その下手人署だ! 「本年2月11日、110番通報で駆けつけた赤坂署員が米国籍の男の両手首、足首を保護バンドで縛り、制圧後間もなく心肺停止状態になり、意識不明のまま三月一日に死亡した、渡辺副署長は『適切な対応だった』」と居直っている。「保護房」撤廃を断固推進する赤坂署3号同志は、この新聞報道の直後、「保護房」撤廃実の仲間とともに、赤坂署弾劾行動を闘い抜いて来た。このことをよく知り憎悪する国家権力は、同志を赤坂署にぶちこんだ時から、「保護房」弾圧を狙っていたのだ。絶対に許さない。

 だから、理由など何でもよいわけだ。「保護房」収容の法律的建前は「大声を出した」「自傷他害のおそれ」となっている、これ自身許しがたいが、この建前すら全く関係ない理由で、更新も含めて6日間もぶちこんだのだ。これは、広がる取調べ拒否の闘いへのどう喝であり、あらたな黙秘つぶしの攻撃である。いつ、どこに勾留されようとわれわれは黙秘し、すべてのやりとりは留置番号で通してきた、これに弾圧をかけてきたのだ。断固反撃しよう。

 赤坂署3号同志は、「保護房」でのハンストを闘い抗議した。

9.23赤坂署弾劾行動を多くの仲間たちと闘う

赤坂署前で抗議行動
赤坂署前で抗議行動

 9月22日夜、このことを知ったわれわれと反弾圧を闘う仲間たちは、赤坂署への怒りの抗議を集中する。赤坂署には抗議電話が鳴り響く。そして9月23日夕刻、仲間たちとともに赤坂署への抗議行動にたつ。権力はあらかじめ用意した「ブースの中でやれ」という。これは国会前の「鉄柵秩序」と同じだ。われわれは、そんな囲いの中に入るか、と実力で署前に登場する。

 権力が暴力的に押してくるのを押し返しながら対峙する。かわるがわるマイクをもちながら、赤坂署を弾劾し、獄中同志を激励していく。「『保護房』撤廃! 監獄解体!」のコールが多くの人民の声になる。「8名の仲間をかえせ」のコールが鳴り響く。また、米国籍の男性を虐殺したことを追及されるや、赤坂署員はうろたえる。

 「保護房」弾圧との闘いは、こうやってより大衆的な課題として鮮明となり、「保護房」は全人民の怒りの的となった。

 1時間にわたる抗議行動のさなかに、弁護士が接見に入る。弁護士は23日朝に電話で抗議し、ただちに抗議書を送りつけた。弁護士の報告によって、「保護房」を解除になっていることが報告される。

赤坂署3番同志への「保護房」収容解除を求める弁護士の申入書はこちら

ガサ弾圧弾劾!

 警視庁は、勾留満期が迫る9月24日、現代社本社のある第一センタービル、翌25日には三里塚企画へのガサを強行した。

 第一センタービルへのガサでは、テレビ局をひきつれ、あえてエンジンカーッターでドアを破壊し「戦争法に反対した者は過激派」とのキャンペーンをもって分断を図ろうとしてきた。権力はドアをあけるやバールをぶちこみ、同志の足を割った。3時間にわたって建物を占拠した。

 三里塚企画においては、1同志の容疑で2時間のガサを終了するや、やおらもう1名の令状を出し、ガサを継続するというしつこさだ。ガサ弾圧を徹底弾劾する。

 獄外での戦争法粉砕の闘いは、不当弾圧をうけた獄中においても非妥協の闘いとして継続され、爆発した。不当弾圧に対する獄外の闘いは、何よりも弾圧機関―下手人を許さない闘いとして闘いぬかれ、この闘いをもって獄中同志と固く結び合った。勾留理由開示公判の裁判所による分離強行を徹底弾劾する。しかし、多くの被弾圧者たちとむすびつき、エールを交換しながら果敢な闘いの中で、同志と仲間たち全員を9月25日に奪還した。

 不屈に闘う反戦・全学連には、多くの激励が寄せられた。反弾圧闘争こそが、闘いの分水嶺だ。革命的分岐を促進し、戦争法粉砕!安保粉砕!反軍・反基地闘争を闘おう!

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