戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
大木よねさんの闘いから43年、三里塚は1日も途絶えることのない闘いの中で〈反戦の砦〉〈反権力の砦〉として打ち鍛えられ、現在に至っている。1978年に日帝は、滑走路一本の「国際空港」の開港を未完のまま強行。1983年には脱落派が発生し、不屈に闘う反対同盟に敵対の限りを尽くしたあげく、今日に至るまで「三里塚闘争の幕引き」を策動しているが、こうした敵の攻撃との対決を通して反対同盟の闘いは屈服させられるどころか、よりいっそう国家権力との非和解性を研ぎすましながら前進をかちとってきた。
こんにち三里塚の地で闘いぬく反対同盟の各氏は、誰もが歴戦の戦士たちである。すべての反対同盟は、機動隊のテロや私服刑事の監視・恫喝、子どものランドセルまで検問する日常的な嫌がらせ、地縁・血縁を駆使した切り崩しの数々と、24時間365日、49年間にわたり対決し闘い続けている。
1990年を前後する天皇代替わり決戦のさなか、「代執行来るなら来い。女房と共に屋根に上がって迎え撃つ」と仁王立ちして敵の攻撃を打ち破った「用地」内反対同盟市東東市氏が1999年に亡くなって以降は、息子の市東孝雄氏が跡を継いで最先頭で闘いぬいている。日々、空港「用地」内で農作業が営まれ、反対同盟と共に闘う全国の同志・友人たちの生活の糧が実っている。
政府と空港公団(04年4月の民営化以降、成田国際空港株式会社=空港会社)は2002年4月、脱落派の屈服と裏切りを条件に、反対同盟の軒先での工事を通して「暫定滑走路」を建設し、供用を強行した。反対同盟の畑と闘争拠点によって誘導路は「へ」の字に曲がり、管制塔からは目視もできず、着陸帯の幅は国際基準の半分しかないという、世界にも類例を見ない危険極まる代物である。安全性を意図的に無視し、反対同盟を叩き出すためにのみ強行されたこの攻撃は、しかしながら反対同盟の不屈の闘いの前にたちまち破産した。畑をコンクリートで囲い込まれ、殺人的な騒音と排ガスの集中を受けながら、反対同盟は「さらに100年闘う」と高らかに宣言し、ますます意気軒昂に闘いぬいている。
49年という歳月と、これに費やした莫大な機動隊、国家予算をもってしても、いまだに空港は完成していない。当初の空港建設のもくろみはとっくに破産している。にもかかわらず政府は執拗に三里塚に空港を造ろうとしている。そこにあるのは、国策事業である空港建設に反対する存在を何が何でも根絶やしにしようとする国家の執念そのものである。航空需要や採算を度外視してまで敵が「完全空港」化にこだわりぬくのは、三里塚が「第一級の治安問題」としてあるからに他ならない。反革命戦争出撃拠点としての空港建設は敵にとって譲ることのできない課題であり、それにもまして「反対同盟をつぶすこと」「三里塚闘争をつぶすこと」自体が彼らにとっては問題なのだ。言い換えるなら戦争とファシズムへの突撃に唯一の延命を求める支配階級にとって、反対同盟と三里塚闘争の存在はそれほど巨大な脅威なのである。
追いつめられた政府・空港会社は、反対同盟市東孝雄氏の畑に対する強奪攻撃を本格化させると共に、09年には「暫定滑走路」北側延伸と東側新誘導路の供用を強行。さらに「第三誘導路」の建設により、闘いの拠点として守りぬかれてきた〈団結街道〉を破壊し、「用地」内反対同盟を完全に空港の内側に囲い込む攻撃に踏み込んできた。これに対し反対同盟は「代執行以来の決戦」への突入を宣言し、「今こそ血を流して闘う時だ」と檄を飛ばして不屈非妥協の闘いをいっそう燃えあがらせている。2010年には団結街道封鎖攻撃を粉砕する闘いが、市東氏の実力決起を先頭に、反対同盟の相次ぐ不当逮捕をはねのけて闘いとられた。
13年7月、千葉地裁(多見谷裁判長)は空港会社による市東さんの農地強奪を認める不当判決を強行した。しかし、反対同盟と全国の仲間たちの闘いにより仮執行(判決確定の前に執行すること)はつけられなかった。現在、東京高裁において控訴審が闘われている。そして、この裁判闘争と共に三里塚現地の攻防が重要となる。あらたに多くの住民を叩き出す「第3滑走路」計画がもちあがっている。
これが三里塚をめぐる現在の攻防局面である。わが全学連は空港廃港を掲げ闘う反対同盟と共に、この決戦を断固たる実力闘争・武装闘争で闘いぬく。すべての学友諸君は今こそ武装し、〈逮捕・流血を辞さぬ闘い〉の最前線に起て!
1.閣議決定から強制代執行まで | 2.労農水「障」学共闘のあゆみ |
3.三里塚をめぐる現在の攻防局面 | 4.決戦の三里塚に総決起しよう |