戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
5・13―2・17弾圧で投獄された仲間たちは、戦前日共の敗北の突破をかけて「獄中を戦場に」闘いぬいている。机をひっくり返して拷問的取り調べに反撃し、指紋採取に名を借りた殴る蹴るの暴行に実力で対決し、繰り返される死刑執行に対しては獄中でのシュプレヒコール決起を敢行して周囲の獄中者人民の圧倒的共感を組織している。裁判闘争をめぐっても、「早期出獄」を自己目的化することによって屈服を深めていった戦前の闘いの敗北を総括し、「いかなる報復弾圧も受けて立つ」という「被告」団の決意を先頭に、「密室性・迅速化・重罰化」を特徴とする戦時司法への転換攻撃を実践をもって打ち砕く闘いが力強く前進している。労働者人民が〈徹底非妥協・実力闘争〉で反撃戦にたちあがったとき、弾圧はむしろ権力者自身の首をしめつけるくびきへと転化するのである。
この闘いに恐怖した福岡拘置所当局は2009年3月12日、東署134号(※完全黙秘をつらぬいて闘っている仲間たちのため、留置番号で呼称。以下同様)に対し、「検房」への抗議を口実に気絶するまで首を締め上げる暴行を強行。さらにこの獄中テロへの抗議のハンストにたちあがった東署134号・中央署55号に対し、鼻からチューブを挿入して中身不明の注入液を流し込む「強制給食」という拷問をおこなってきた。植民地支配下の朝鮮・中国をはじめ、全世界で幾多の闘う労働者人民を虐殺してきた手法そのままに、日帝国家権力は全学連戦士たちへの獄殺攻撃へと突撃しているのだ。弾圧の下手人たち、とりわけテロを確信とし、喜びとしている看守らを絶対に許すことはできない。
獄中の仲間たちはこの攻撃に一歩も引くことなく、さらに闘志と団結を打ち固め、反撃の闘いにたちあがっている。 たとえたった一人でも不屈に闘う戦士がいればそこから革命は必ず前進するということ。もしも自分が闘いの過程で虐殺されたとしても残された仲間たちは必ず報復戦を貫徹してくれるということ。このことを確信して闘うことで、獄中の仲間たちは日本階級闘争の歴史がこれまで生み出しえなかった新たな闘いの地平を日々切り開き続けている。この闘いを支えぬき、さらなる闘いを国家権力に叩きつけることによってのみ、全人民の闘いが、そして世界史の中で志半ばに倒れていった無数の戦士たちの闘いが「勝利」をつかみ取ることは可能となるのだ。〈戦争か革命か〉〈ファシズムかコミューンか〉いまや一切の中間的選択肢は存在しない。
権力との、ファシストとの、あらゆる反革命との、逮捕・流血を恐れぬ死闘戦に今こそ立ちあがろう。支配と抑圧、差別と迫害の存在するあらゆる場所から反撃の闘いを組織しよう。密集する反革命弾圧を打ち砕き、敵が全体重をかけた破壊攻撃を集中する〈反戦の砦〉=三里塚にすべての闘いの力を結集させて闘うことが、日帝足下での現在の階級攻防においては一切の前提である。すべての学友諸君に、「教育監獄」の鉄鎖を打ち破り、〈三里塚・組対法決戦〉の戦列へと合流されんことを訴える。全学連と共に闘おう。
ナチスが共産主義を攻撃したとき、私は多少の不安を感じたが、自分は共産主義者でなかったから何もしなかった。
次にナチスは社会民主主義者を攻撃した。私はさらに不安を感じたが、自分は社民主義者ではなかったから何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、病人(「障害者」)がというふうにつぎつぎと攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、やはり私は何事も行わなかった。
そしてナチスはついに教会を攻撃した。私は牧師だったからそのとき初めて行動を起こした
―しかし、その時にはすべてが手遅れになっていた。
ナチスによって迫害され、強制収容所で8年間を過ごし、九死に一生をえたドイツのプロテスタント牧師マルティン・ニーメラーが、戦後になってから語った言葉である。「政治的無関心」はいけないという説教のネタとしてブルジョア民主主義者もしばしば引き合いに出す有名なフレーズだが、われわれが何よりもこの警句から教訓化すべきは〈一人に向けられた弾圧は全人民に向けられた弾圧〉であるということであり、かつ〈常に最もラジカルな立場で闘いぬくことによってのみ、弾圧に打ち勝つことは可能になる〉ということだろう。
1.戦争への道=治安弾圧 | 2.「非国民狩り」が始まった | 3.組対法初適用攻撃を打ち砕こう |
4.戦前治安維持法弾圧との闘い―血の敗北の教訓 | 5.逮捕・流血を恐れぬ激闘に決起しよう |