全学連(伍代委員長)

戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!

全日本学生自治会総連合(伍代委員長)

抄録 竹海衆(狭間嘉明)獄中小論集(1985年刊行)
全学連の革命的伝統継承し、前哨戦―ニ期決戦の最前線へ
1984・7・23〜25 全学連大会アピール

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 全学連大会に結集した先進的学友諸君!

 トマホーク配備阻止闘争を持続し、9月全斗煥来日−マルテン(※編集部註:天皇を指す)会談阻止闘争への戦闘的決起と今秋・来春二期着工阻止の歴史的決戦に総決起し、日本階級闘争の革命的転換の最前線に躍りでよ! 日帝中曽根の予防反革命的総攻勢に対峙し、雪崩をうった新・旧左翼の逃亡・敵対を踏みしだき、新たなプロレタリアート人民の全面的反攻の突破口=二里塚決戦に日本学生運動の革命的伝統に賭けて総決起せよ!

 日本学生運動は、第二次大戦後階級情勢の歴史的転換期には常に最前線にあった。

 上野高女における教官追放・復帰、学園民主化、天皇制教育体制打破にはじまり、国立大授業料値上げ阻止闘争・ゼネスト決起のなかからかちとった1948年全学連結成。それ以後、チェコ・東欧革命、中国革命―全世界・日本の戦後第一次革命運動の前進に対応した、米帝の占領政策の「転換」―日共へのフレームアップと労働(組合=産別)運動への弾圧、さらに、朝鮮反革命戦争の開始によるその徹底的激化のもとでの、レッドパージの嵐のなかで、唯一反レ・パ闘争を推進したこと。労働者階級による勤評、警職法闘争の高揚をうけて―背景として、スターリン批判(ハンガリア革命)と日共内綱領闘争がある―「58年の質的転換」(「同盟」軍規定)を経るなかでの60年安保闘争の中心部隊としての実現。この戦後民主主義運動、小市民的急進主義運動の頂点的爆発の階級的転換への始動=日韓・早大闘争とその質を内包した全学連(「三派」)の再建―すなわち、階級的学生運動(プロ統学生運動)を原動力=推進力とした全学連運動の登場。それを主導力とし、反戦青年委員会運動を基底的エネルギーとして受けた全共闘運動の60年代後半、安保・沖縄―教育闘争の戦闘的大衆的爆発(学生の矛盾=社会的隷属の階級的把握および学生の根本的解放《プロレタリア解放闘争の内在的一環》をエネルギーとしたいわば"最後の過渡期"の頂点的高揚)。

 70安保−72年沖縄返還=日帝の対外対内諸制度の改編=革命期への端緒的突入下、政府・権力問題―権力闘争(ソヴィエト運動)の一環へと諸運動を再編し、全諸組織をソヴィエト的に再編していくこと、また、プロレタリア国際主義の現実化、プロレタリアート内部の分断・対立の止揚、労働過程のみならず、再生産(消費)過程―政治生活(過程)を貫ぬく闘争、階級性を基底とした全人民性の獲得(階級的関係としては、労働者、学生のみならず、農民、漁民、都市中間層、同時に重要なものとして、階級的には諸階級のいずれかに属しながら、特定の歴史的社会的制約をもつ被抑圧・被差別人民・大衆の矛盾への闘い)、これらの諸要素を形成せんとしてきた70年代学生運動。

 そして、70年代の地平のうえに、革命期の本格化と決戦期の招来下において、再度、戦略的に結集し、集中し、権力闘争の本格的飛躍を環とした前哨戦攻防を目的意識的に推進すべき80年代前中期―現下において、再び三たび、しかし今回は自己の階級的位置を踏まえ、安保(日韓)、改憲、天皇等戦略的政治闘争を持続しつつ、一点、三里塚決戦に集中し全世界労働者人民の血の叫びに呼応し、日本階級闘争の敗北の流れを勝利へと転換することがまさに問われているのだ。

(2)

 歴史は先進的学友の主体的営為を呼びかけている。第二次大戦後、長すぎた"平時"は終らんとし、戦争とファシズムヘの道は敷きつめられつつある。闘わずして屈辱に企身まみれるのも、その道に立ちはだかり、プロレタリア(全人民)解放に自己の全生活行程を据えつけるのも諸君の自由である。ただし全ての人間史に明らかなように、究極のところ中間の道は幻想にすぎないことだけは知るべきだろう。時代は言葉ではなく、行為による選択を強い、その行為のための思想を要求している。

 今、南西アフリカでは「先進」資本主義諸国での「飽食」の他方で、幾千万、幾億の人民大衆が飢餓を強制されている。このことに「私は私、他人は他人」として、対岸の開題として、よくて無力感、総じて無感心・無感動でいるのは、世間(資本=企業の社会的力や国家の政治的力)に屈従し貫かれた「大人」の言うことだ。青いと言われようが、ロマンチックな感傷と言われようが、若い青年、学生は、現実の社会的矛盾に怒り、労働者・人民の苦闘に感勤し、現実を変革せんとする情熱が生命であり、恐れを知らず、可能性に向かって突撃することをなくせば、何の存在理由もないといえる。そして、歴史はつねに「甘っちょろい(永遠の)」青年によって発展してきたことはまぎれもない事実である。

 ところで、南西アフリカの飢餓は直接的には干ばつが促進しているが、天災ではなく人災であり、資本主義的生産様式を基軸とした世界関係−各国の仕組みに起因したものであって、我々の実践(プロレタリア世界革命)によって、その繰り返しは十分に阻止できるのである。また、社会の在り方、政治(支配)に無関心であろうとなかろうと、客観的には、社会や国家のほうで放置してくれないのであり、資本(企業「勤め先」)に自分の労働力(商品)を売り、職場で資本(家)の言いなりにされ(隷属させられ)、労働時間を賃金(自分と家族の生活資料費=再生産費)以上に、長くさせられ(搾取され)て、はじめて、高級か中級・下級かの差異はあれ、賃金奴隷としてしか圧倒的多数は生きることができないのである。

(3)

 ごく最近、かつての731細菌部隊=人体実験問題につづいて日本軍の中国における毒ガス使用が明らかになったり、過去ではなく現在そのものであるKAL機の領空侵犯=墜撃事件について、米英帝防衛筋の情報として、衛星と連動したスパイ活動だったことが明らかにされている。支配階級―国家権力は、そして、それに中立づらしながら、従順な商業マス・コミ(新聞やテレビ等)は、戦前においても戦後民主主義の爛熟を経た今日においても、情報操作を行ない、戦争=アジア人民の惨殺に動員し、反ソ=反共キャンペーン(反ソをテコとした対ソに限らず反革命戦争への国民統合の推進)を展開し、のちにデマだったなどといってもすでにその作られた嘘の事実によって歴史は進められていくのである。情報の権力への集中と大衆操作に対決することなしに、そしてまた、プロ・人民の側の独自の情報をもつ団結を形成しなければ、"事実"すら知ることもできないのであり、まして、その"事実"の科学的(階級的)把握―自分にとっての意味と行為の選択は決してできないのである。

 マスコミ人間が『パラノ(「偏執型」)からスキゾ(「逃亡型」)へ』などと寝言を言っているが、これは一見して、60年代(後半)=「パラノ」から、70年代=「スキゾ」であって80年代は、再び「パラノ」への時代に彼流にもなりそうなのに、時代のズレがあるのではと思われる。しかしわれわれから一歩把え返してみると、ある面であたっているのである。つまり、70年代は敵味方の敵対性の深化や死闘戦の先端的深化だったことを横に置き、経済的矛盾の不可逆的構造化と矛盾の「後進国」=他国や下層大衆への集中=累積等々を捨象すれば、高成長の頂点と破産の開始=余韻は、戦後第二世代の生活(感覚)においては「軽やかさ」や「優しさ」をもった「スキゾ」にすぎなかったのだから、空気のようなものであって真の「スキゾ」ではなかった。むしろ、80年代は日常生活上も、入学生活を除けば重苦しく、資本・権力が、戦後的諸関係を一挙的に改編し、そういう人間に対してはもちろん、小市民的欲求の吐露に対しても圧殺せんとする時代であり、暴風雨(と階級的激突)の招来を予感するが故に、まさに「スキゾとしてのスキゾ」真の「スキゾ」(「逃亡するは今」しかし、教官=インテリでない労慟者はどこに?)であるということなのである。

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 パレスチナ解放闘争ではその端緒以来、民族の土地、存立基盤を奪われ、常にイスラエルの、ときにはアラブ反動権力のホロコーストとテント生活を強いられる。そのなかで、闘いにあたって、死の問題を解決することが問われ、今日では、パレスチナ人総体(老人から子供まで)がコマンドを産み、コマンドとなることを当然のこととし、ごく自然に、宗教に頼ることもなく(!)、自己の運命を他者=総体の運命=解放に見い出すに至っている。韓国の青年学生についていえばクーデター=労学人民の闘いの根絶攻撃に抗して、敵の重包囲下、敗北=全員虐殺を前提に最後まで銃を捨てず、凄絶な戦闘を敢行した、あの歴史的な光州蜂起を実現した彼らは、全員が革命家ではなく、先進的なあるいは一般的な大衆であり、無名の戦士として、決起し、死に、現在に引き継いでいるのである。

 日本階級闘争は、戦前闘わずして総転向・総屈服し、戦後第一次の革命期も、中途挫折した国際的にもまれにみる屈辱的歴史をもっている。しかし、権力に屈従した弱者は単に弱者にとどまることはない。同時にドイツナチスを上回る世界史上最悪な日本軍=日帝の臣民として、国内の共産主義者を虐殺し、朝鮮・中国・アジア人民を数千万人虐殺し、幾億人も蹂躙し尽したのであって、奴隷は、他の奴隷を殺さずには存在しえなかったのである。

(5)

 80年代階級決戦期、同じ歴史を繰り返さぬ戦闘と団結を三里塚二期廃港決戦の総決起によって準備しなければならない。

 三里塚二期決戦に、用水着工阻止闘争を突破口に突人せんとする中で、日本革命に占める位置を明らかにし、80年代中期の路線にもとづく闘争・組織方針を鮮明にしておかねばならない。その場合、留意しておくべきいくつかの点について述べておきたい。

 第一は、60年安保にせよ、70年安保にせよ、学生運動(全人民)のエネルギーを根底的に規定していたのは、労働者階級の労働過程を基底とした状態と闘争・団結であったことである。60年安保は、第一次合理化(人の合理化)への闘いと日帝の自立復活=帝国主義的諸攻撃との闘い(砂川=基地闘争などを含む)と、それらの小市民的民主主義的運動への合唱隊化の中で、そして日共の「七中イズム」による逃亡の中で、小ブル急進主義的運動の中心部隊としての全学連が展開したのである。70年安保は、官公労のみならず第二次合理化運動への闘いを基礎に民間工場労働者の歴史的な戦闘的決起を根本的エネルギーとした戦闘的青年労働者=反戦青年委運動のエネルギーを受けつつ、社共に変わって新たに全ゆる領域の人民の新左翼への結集の端緒を拓きつつその頂点として、いわば議会主義・平和革命と区別された暴力革命、実力闘争という一つのテーマにおける大衆闘争としての(〈実力阻止〉闘争の)、60年安保以来の、67年10・8―11・12をくぐった総決算として展開されたのである。

 本三里塚決戦は、70年代以降民間は同盟・JCに制圧され生産性向上運動が完成してきている中で、更に第一次オイルショックやベトナム革命の勝利に対応して、減量経営―中小・下請けの倒産攻撃が吹き荒れ、スト権スト敗北(上尾暴動への屈服=官公労・本工企業主義の限界および権力・当局・右翼の弾圧への敗北という二重の意味で)を画期とした総評・民同の春闘=路線の破産が劇的に進み、総じて全民労協結成へと(更には全的統一へと)収斂される流れ―その重圧下で苦闘しつつある組織労働者および一貫して矛盾が集中された中小未組織・寄せ場・失業労働者・出稼ぎ労働者=農民の累積した怒りを闘うエネルギーヘと転化する運動・組織構造を有して展開されなければならないのである。

 全学連運動は、共同闘争としてはまず第一義的に労働者運動との連帯を不断にたて、職闘支援―地区共闘の構造の中でストライキ・地区デモ・集会―実力闘争、そしてゲリラ的パルチザン的戦闘と呼応・連帯(推進)していかなければならないのである。

(6)

 第二に、現在の日帝(中曽根政権)の全階級・全人民への全領域での、しかもそれぞれ戦略的意義をもった総攻撃の中で、三里塚決戦に集中していく場合の問題である。

 これを闘う側のエネルギーという面からみてみる。第一の点では、資本主義社会における主要な階級関係を構成し、階級として革命性をもっており、諸階級・全人民大衆のエネルギーを根底において規定している労働者階級をあげた。今日資本家階級―独占資本はその特殊利害のみを防衛し、労働者農民、漁民さらには小零細資本を切り捨て、在日朝鮮人や、沖縄人民、アイヌ人民、部落民等を一層抑圧・差別・貧困・(虐殺)にたたき込み、「障害者」や老人や女性等を、差別し、抹殺し、矛盾を集中していこうとしている。危機に際して、一点プロレタリア革命から防衛するための諸包摂策を投げ捨て、資本主義の本質―競争=弱肉強食の論理を直接貫徹しつつある。このとき、労働者・人民大衆の階級的諸種の矛盾(隷属―被搾取、抑圧・差別・収奪・貧困)の強化・深化に対決するエネルギーや、韓国・フィリピン・インド―アジアやパレスチナ・中東、エルサルバドル・ニカラグア―中南米、南ア―アフリカ(さらには欧米)における、ぎりぎりのところからの不屈の決起に連帯するエネルギーを、いかにして三里塚決戦に集中していくのか、集中することによる三里塚決戦の全階級性・全人民性の凝集と決戦の爆発による、諸エネルギーの拡大・強化を実現することが大きな課題としてあるということである。

 現在の攻撃は、強権的であり、全面的・立体的・重層的であり、闘争も、戦闘性・革命性とともに、立体性・重層性・総体性を問われる中で、70年安保決戦までの過程のように戦略的でかつ全階級的で、全人民的な集中環の設定が困難にみえる。しかし、経済的政治的総過程の推展と収斂構造を洞察し、全ての闘争を一つの目標へと、政府・権力問題=統一戦線・共同戦線問題へと収斂させていくことが問われているのであり、そうでないかぎり、個々の闘争は空転し敗北することを意味している。個々の戦線は、自らの運動を自力・自闘で粘りづよく進めるとともに、横の運動との連合と結合を追求し、一つの政治的戦略的目標に向わんとしつつあるのである。そして、この歴史的な流れを促進していくためには、諸運動・団結の小ブル的改良主義的固定化とそれと対応した「保革」連立政府や、中間政府(社共人民戦線政府)との結合を利害とする諸官僚や、公民・社共、(さらには革マルなど)と階級的、党派的に闘うことなしには決してなしえない。現在の敵の攻撃は、戦後世界体制―日帝の根底的崩壊的危機にたいして、「最後の唯一可能な」方策としてある(反革命)戦争とファシズムに向けて、したがってそれを許すか否かをめぐる階級決戦に向けて、全ゆる必要な転化的諸条件を政治的社会的経済的秩序―法制度および、実践的な政治的経済的支配過程―の帝国主義的反革命的改編によって形成していくものである。

 闘いは、〈(国際)反革命戦争とファシズムの危機を蜂起(革命戦争)に転化し、プロレタリア独裁を樹立(又は帝国主義ブルジョア政府打倒−労働者政府樹立)せよ〉の戦略スローガンのもと、不断に全ての反帝大衆闘争を権力闘争へと転換し、全ての大衆組織を権力基礎へと、ソヴィエト的組織―プロレタリア統一戦線(階級的戦闘的共同戦線)へと再編していかなければならないのである。

 今日のそれぞれ重要な戦略的意義をもった攻撃をあげるならば、安保・軍隊(トマホーク、日米等共同訓練、海外派兵核武装、シーレーン、等々)、改憲、刑法(保安処分)、監獄法、天皇(元号、靖国、日の丸、君が代―なお社会党系の屈服の激化、日共系の開始)、沖縄(グリーンベレー、主任制等、統合基地攻撃の深化、87年天皇沖縄訪沖)、入管法―入管体制・外録法(指紋押捺等)、国鉄・電々等行革−民営化(官公労解体、「全的統一」の権力による促進)、教育(教員養成制度改悪等、臨調・教科書、大学自治の根絶、中高平定運動等)、失対、年金「障害者」関連等、「社会福祉」の切り捨て改悪、地改法攻撃、「男女平等」法・労基法改悪等々であり、また、闘う拠点と組織を解体・再編(包摂)する直接的な予防反革命攻撃として、政党法を法制度的要としつつ、労戦(−総評)の解体・再編攻撃、三里塚反対同盟―三里塚勢力の解体攻撃(日本原北富士、全国反軍・反基地等、住民運動の解体)、狭山―戦闘的階級的部落解放運動の解体攻撃、赤堀―「障害者」解放闘争(全障連)解体攻撃、さらには、在日朝鮮人民解放闘争(組織)解体攻撃などとして推進されているのである。

 破防法弾圧―三里塚戒厳令(処分)を突破し、決戦的戦闘の重要な要素たる全ての労働者・人民の闘いを結集し、結合し、圧縮され個別化したエネルギーを凝縮した、集中的爆発をかちとり、同時に三里塚決戦の勝利を媒介として、全戦線の戦闘的発展を促進し、戦闘的革命的共同戦線の拡大・深化へと返していかねばならない。

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 第三に、この闘いの実現は、資本・国家権力の反革命的集中弾圧との血み泥の対決のみならず、全運動傾城における一切の反動的敵対と対決し、諸運動−諸組織(労組、自治会等々)の再編をめぐる階級的=党派的力関係を塗り変えていくことによってのみなされうるということであり、全学連は一切の反全学連攻撃を粉砕し、プロレタリア統一戦線諸組織との共同を強めていかねばならないのである。

 全学連運動―日本学生運動の歴史も、このことを証明している。60年安保闘争において、はじめて日共が大衆的な分裂・敵対(逃亡)を行なったこと。これにはじまり、敗北後の革共同のゲバルトと「宮廷革命」による破壊、それ(第三次分裂=革マル)に対する解放派とブントと革共同―中核派を中心とした全学連運動の再建のための闘い(64年再建準備大会・66年再建)。産協路線にもとづく教育(工業)再編への闘い=東大・日大闘争を頂点とした無期限バリケード封鎖闘争に対して大学防衛=秩序派の反革命的尖兵としての日共=民青の武装敵対(67年11・12現地闘争への地域住民を煽動しつつの敵対)、および革マルの安田死守攻防戦からの利敵逃亡―それ以降の早大・全国における、「安保決戦に対決する、決戦後の他党派解体決戦論」による(「武装蜂起主義反対」「革命主義反対」という反革命的スローガン)画段階的な反革命的純化=小ブル「社会主義」の反革命への転化の端緒への突入、これと対決することによって全共闘運動も(反戦青年委員会運動も―これはさらに、職場における資本職制−同盟・JC、社共一体になった敵対を受けた)歴史的展開がはじめて可能であったこと。

 70年代における安保決戦―反戦・全共闘運動の波及を社共・革マルによって中間的に収約させることなく、かつ、新たな権力闘争とソビエト運動的質をもったものへと再編していくために、早大・東大―全国学園において、総評全国青年協において(新たなソビエト的戦闘的組合の再編反対=「まいもどり(?)」反対なる反共的民同的・JC的団結の防衛をかかげていたが)革マルとの死活をかけた闘いを中核・ブンド等の逃亡・屈服・共存願望のなかで唯一貫徹(糖谷君全人民葬問題等々)し、日本階級闘争−日本学生運動の戦闘的伝統を防衛する楯となってきたこと。70年代を通して権力の反革命弾圧とファシストの白色テロと対決しつつ、党対党(統一戦線対統一戦線)の死闘を発展し、我が解放派潮流のみならず、戦闘的な労働者(組合)、人民の政治空間を断固として拡大しつづけ、同時にその思想的政治的質において日共スターリニストを解体する、その戦闘上軍事上の質においてゲリラ・パルチザン戦闘と相互媒介しつつ、権力闘争の、就中ゲリラーパルチザン的死闘の本格化を準備してきたのである。

(8)

 戦後世界体制が決壊し、新たな革命の時代の到来を告知する諸兆候として、80年代への突入を前後とした諸事件が、現に生起している。

 チリ反革命、ヴェトナム革命と第一次石油ショックを経た、ポルポトの「貧困の平等=共産主義の反動的な実験」とカンボジア内戦およびヴェトナムの内戦介入=ヴェトナムーカンボジア戦争、ソ連軍の反プロ的アフガン介入、イラン革命とイラク=アラブ反動による反革命戦争およびイラン革命の反プロ的固定化、ニカラグア革命・ポーランド"連帯"のソ連圏を揺がす決起、光州蜂起、イスラエルによるレバノン反革命戦争=パレスチナ人民絶滅戦争、そして朝鮮反革命戦争に端緒をもち、ヴェトナム反革命戦争・北爆によって展開してきたものを、その国の民族ブルジョアジー=権力の支援という外観すら投げ捨てた純粋形の80年代階級決戦期にふさわしい画段階的な反革命戦争への踏み込みとしてのグレナダ反革命等。

 そのなかで諸階級は、自己の生存条件を賭けて政治行動をまずそれぞれの突撃隊(多くは党的形態をとる)から開始している。60年を前後して形成されてきた日本新左翼運動の中からも、決戦から前段逃亡することを規定的動機とし、直接的には三里塚決戦(労戦再編をめぐる攻防)からの右からの分裂―しかも権力と革マルに加え、右翼や政治ブローカーにわけもなくひねられながら―を強行し、日本階級闘争の小ブル的中間的固定化に一役買う部分が発生してきている。

 この脱落と敵対は、権力の反革命弾圧および右翼の手配、革マルの特殊戦術(スパイ戦術)と謀略―白色テロ、右翼、「情況」=政治ブローカーの解体攻撃と、それと呼応した同盟―青行内情況派等「話し合い」・利権分子による党派間の分断工作(!)によってなされたものである。

 それはまず、反戦―全学連・解放派と中核派への個別的攻撃、相互の分断を策し失敗したのち、両派=戦闘派・決戦派を排除しつつ同盟の分裂、就中「用地内」、無土地や下層、手話実勢力等原則派の破壊と、政治的に無能な群小諸派、就中、決戦逃亡を党是とした第四インターのオルグというようにすすみ、インター以外の党派は三里塚闘争の勝敗・成否より、労戦=労情的関係を先行させるという転倒した対応をしたのである。なお反全学連―脱走分子は当然にもそれらすべてを知りつつ、脱落派に組したことの意味は重要である。

 その過程と結果を通して、脱落派総体の右翼的転落を全戦線で堰を切って進行させたのみならず、権力、右翼、革マルに介入の条件を与え、さらに労働官僚や部落解放運動における融和主義による、三里塚闘争封殺を促進させ、全国反軍・反基地、反弾圧、反公害等々の全戦線における困難を拡大してきたのである。革命期の深化と三里塚決戦の招来は、社共・革マルとの党派闘争、脱落ブロックの解体・止揚の課題を全学連の不可避的任務としているのである。

(9)

 若き先進的学友諸君! 全国250万人の学友諸君!

 歴史における諸個人の自由の発露とは、共産主義的革命的な対象変革的主体変革的実践にほかならない。

 生産活動における自然に対する関係とそれを規定する人間と人間の関係(社会的諸関係)=政治的社会的支配―隷属関係を根本的制約とし、その革命的変革による新たな共同社会の形成に向け、戦死と投獄を恐れず世界史を切り拓く主体として、今こそ決起せよ! 三里塚決戦にゼネスト―大衆的実力闘争―ゲリラ的戦闘、革命的労農水「障」学共闘とで全力を投じよ!

「自由か然らずんば無、
 血み泥の闘いか然らずんば死」 (ジョルジュ・サンド)

 は じ め に
 解説にかえて
 全学連の革命的伝統継承し、前哨戦―ニ期決戦の最前線へ(1984年7月)
 冒頭意見陳述書(1982年5・7「銃刀法」デッチあげ弾圧公判闘争)
 資水制社会における「犯罪」と監獄(1982年8月)
 監獄の廃絶とプロレタリア解放闘争(1984年5月)

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