戦争とファシズムに突き進む安倍連合政府を打倒しよう! 日帝国家権力解体!
三里塚・市東氏農地強奪阻止決戦へ!
右翼・ファシスト撃滅!反革命革マル・木元グループせん滅!
(写真)市東さんに手錠をかけ、連行する千葉県警。
機動隊の右手は彼らの恐怖とあせりのあらわれだ!
自分は平気です。
これで俺たちは本気だということを
空港会社に知らしめることができた。
頑張りますからみなさんも頑張ってください。
(17日夜、接見に入った弁護士に)
=三里塚通信2686号(2010年5月18日発行)=
反対同盟のみなさん! 全国の労農水「障」学―闘う仲間のみなさん!
5月17日午後4時半、国家権力―千葉県警は「用地」内で不屈に闘う反対同盟市東孝雄さんをデッチあげ逮捕するという絶対に許すことのできない攻撃に踏み込んできた。成田署に怒りの嵐を叩きつけ、今すぐ市東さんを取り戻そう!
この日空港会社は、「5月20日からこの先は私有地となりますので通行をご遠慮ください」なる看板を団結街道の出入り口3カ所に設置するという、傲慢きわまる挑発行為に踏み込んだ。しかもその内ひとつは、新設された市東さん宅の見張り台の真向かいに設置されたのである。怒りに燃えて抗議・弾劾に決起した市東さんに私服刑事と機動隊が襲いかかり、「器物損壊」をデッチあげて不当逮捕した。(この時は逮捕理由さえ明らかにされていない)。さらに抗議する1名の仲間にも「公務執行妨害」がデッチあげられ、逮捕が強行された。敵は初めから市東さんに狙いを定め、真っ先に逮捕するという確認をもって今回の攻撃に踏み込んできたのだ。この政治判断がいかに高くつくか、直ちに思い知らせてやろうではないか!
現在成田署に勾留されている市東さんは、弁護士を通じて不屈に闘う決意をわれわれに伝えてきている。成田署は逮捕後も「現場検証」と称して団結街道に長時間居座り、空港会社の設置した立て看板を笑止にも3基とも持ち去った。もしもやつらが再び看板を立てに来たなら、そのときは一人一人が市東さんの闘いを引き継いで闘おう! 5月16日に反対同盟が発した臨戦体制突入の宣言から一昼夜が過ぎるのを待たず、今や団結街道は文字通りわれわれの戦場となった。廃道化攻撃に先陣を切って実力決起した市東さんと共に闘おう! 全国から結集し、団結街道廃道化を実力で阻止しよう!
抗議先:成田警察署 成田市加良部3−5 電話0476−27−0110
逮捕下手人を許すな! 抗議電話・電報の圧倒的集中を!
機動隊や私服刑事を乗せた車が常時徘徊し、団結街道を行き交う民間ガードマンの車が市東さん宅付近でこれ見よがしにスピードを落としてみせたりすることなどまで含め、その日は少なくとも午後3時まで、「いつもと何も変わらない月曜日」だった。この日、市東さんと現地行動隊の仲間たちは、前日の闘争の感想などを語り合いながらいつもとまったく同じように畑で農作業にいそしみ、昼食をとって午後の仕事に向かった。
(写真は左図のBの位置から撮影した市東さん宅大看板と監視ヤグラ。鉄板フェンスの向こう側が団結街道である。なお、この撮影地点は「第3誘導路」の工事区域に組み込まれており、団結街道が封鎖され着工が強行された現在、この風景を見ることは空港「敷地」外からは不可能になっている)
午後の休憩を終えた直後のことである。市東さんと現行隊の仲間が車に分乗して団結街道を北上し、西に離れた場所にある畑に向かおうとしたところ、上図@の地点で3名の作業員が立て看板を設置している現場に出くわした。ゴルフ場前の三叉路の南の角で、市東さんの家・畑への北側からの出入り口とも言うべき場所だ。そこに書かれていたのは、左のようなふざけきった内容だった。
「まだ自分のものにもなってない道にどうして看板なんか立てられるんだ」「副市長の片山は、払い下げ手続きには1〜2ヶ月かかるって言ってたぞ」「一部が私有になるだけで道ごと通れなくするなんて話があるか!」何を言われても無言で作業をつづける3名に厳重に抗議し、一行は畑に向かった。市東さんはこの時、「ゴルフ場の側に看板が立てられる分には、しゃくにさわることではあるけれども口で抗議する以上のことをするつもりはなかった」と振り返っている。だが畑に着いて仕事を始めるやいなや、家の方に残って作業をしていた現行隊の仲間からケータイに連絡が入った。ゴルフ場の角でおこなわれていた同じ看板の設置作業が、団結街道監視ヤグラの真向かい(上図Aの地点)でも始められたという報せだった。
連絡を受けた市東さんは、「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」「みんなはここでカブを採っててくれるかな」と、そばにいた仲間たちに言い置いて単身現場に向かった。そして、実力決起した。
(左は、現行隊の同志が直前に撮影した写真。このとき現場にいた作業員・ガードマンは、市東さんの怒りの迫力に恐れをなして一目散に逃げ出したという)。
付近を徘徊していた私服刑事が慌てふためいて連絡を取り、団結街道はまたたく間に機動隊で埋めつくされた。(上図 「市東さん宅」 の 「さ」 の文字の位置にあたる空港敷地内に、当時機動隊は常駐していた)。周囲にいた仲間、異変を感じて畑から駆けつけた仲間が次々と押さえ込まれる中、市東さんを連行しようとする機動隊との肉弾戦が、本人を先頭に数分間にわたって継続された。
逮捕実行部隊の陣頭指揮にあたった、千葉県警公安・石畑房雄。
それまでも三里塚闘争破壊のための数々の所行に手を染めてきた、極悪分子である。
急報を受けた反対同盟が続々と現場に駆けつける。最初に現場に到着した萩原進事務局次長は、「連れてくなら俺も一緒に連れてけ!」と叫び、今まさにパトカーに乗せられようとしていた市東さんと機動隊の間に身体を押し込んで抵抗した。
権力・機動隊は萩原事務局次長を暴力的に引きはがし、「器物損壊」をデッチあげて市東さんを不当逮捕しさった。この際、そばにいた支援の仲間1名も「公務執行妨害」をデッチあげられ、不当逮捕されている。
権力は監視ヤグラ周辺のそこかしこで押さえ込まれていた支援の仲間たち数名をも連行しようと画策したが、駆けつけた反対同盟がこれに対して猛然と抗議。権力は不当逮捕の拡大を断念せざるを得なかった。その後も「現場検証」と称して団結街道に居座ろうとしつづける機動隊に対し、日没に至るまで反対同盟を先頭とした現場攻防が繰り広げられた。
左: 機動隊に詰め寄る萩原富夫さん 右: 同じく鈴木謙太郎さん
監視ヤグラの上から撮影された「現場検証」の様子。すさまじい怒りによって破壊された立て看板に、係官らが群がっている様子が見える。この日、権力は上図の黄色い数字で示した3カ所に空港会社が設置した看板のすべてをこっそりと持ち帰り、その後2度と立てに来ることはなかった。市東さんを先頭とする反対同盟・支援の一丸となった闘いが、文字通り実力で敵の攻撃を粉砕したのである。
支援連絡会議の部隊が成田署への抗議・激励情宣行動を闘う中、市東さん宅の離れには反対同盟各氏が結集し、いかに闘うべきかをめぐって深夜まで検討を重ねた。市東さんとの接見を終えた弁護士が到着し、獄中からのメッセージが紹介される。
「自分は平気です。これで俺たちは本気だということを空港会社に知らしめることができた。頑張りますからみなさんも頑張ってください」。
力強いアピールに全員の闘志がみなぎった。獄中の闘いと結びつき、敵が「通行禁止」を予告してきた5月20日の当日早朝から、現闘本部脇の市東さんの畑に結集して廃道実力阻止の布陣を構える方針が確認される。目にもの見せてやろう! 反対同盟と支援の不眠不休の激闘の日々が、前日の闘争における「臨戦態勢」突入の宣言どおり、この日を境としていよいよ本格的に開始されたのだった。